2015年、新年が明けました。ご挨拶がすっかり遅くなってしまいました…(汗)、あけましておめでとうございます。

さて年末は、須野町の区長さんであり、今住んでいる家の大家さんでもある濱田さんの家(隣町の新鹿という町にあります)で、餅つきをさせてもらいました。息子さん、娘さん達が帰省中で、みんなで楽しくお餅をつきました。昔ながらのやり方の杵と臼でついた餅はほんとに美味しかったです。

そして元旦と二日は、おせち料理を食べながらコタツに入り、ずっとDVDを観るという、正月ならではのゆったりとした時間を過ごさせてもらいました。
むかしから大ファンであるドラマ「北の国から」が、なぜか年始のこの時期にどうしても観たくなり、ツタヤに借りに行ったのでした。
一昨年の夏に、リヤカーで北海道を回った時に、「北の国から」の舞台である富良野も歩き、ドラマの中に出てくるロケ地なども実際に自分の足で歩き見てきたので、その後DVDであらためて観る「北の国から」は感無量でした(笑)

リヤカー旅の時、富良野にある「北の国から資料館」にも入り、実際にドラマの中で五郎さんや蛍などが着ていた衣装なども展示してあり、とても感動した覚えがありますが(笑)、今回DVDを観終わった後、その時の資料館の入り口のパネルに書かれてあった言葉をあらためて思い出しました。

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『気がつけば今、五郎の生き方』
「北の国から」の放送が始まった1981年は日本がバブルを迎えるもっと前。
文明に向かい、どんどん変わってゆく日本に対しみんなが舞い上がって受け入れてきたことは確かです。あれから30年。ようやく今、日本が「おかしい」ことに世の中が気付き始めています。
そんな中にあって、便利さに流されない五郎の生き方は文明に対抗する日本人の座標軸だったのではないでしょうか。

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そしてタイミング良く、家に置いてあったスーパーのイオンから送られてくるMOMという冊子があるんですが、その中に北の国からの脚本家の倉本聰さんのインタビュー記者が載っていました。
これが本当に素晴らしい記事内容だったので、以下に転載させてもらおうと思います。(これは素晴らしい…という箇所を勝手に僕の判断で太字にしています)
↓↓↓







「震災後”絆”と騒いだくせに、人々は記憶を風化させてしまっている」


富良野への移住で仕事への姿勢が激変。

1981年の放送開始以来、日本中を感動させてきた不朽の名作『北の国から』。バブル景気に向かっていた時代と逆光する、農村を舞台にした素朴な人間ドラマだったにもかかわらず、視聴率はぐんぐん伸び、多くの人の心をわしづかみにする国民的ドラマへと成長した。
生まれも育ちも東京の脚本家、倉本聰さんは、それまでもシナリオライターとして数々の作品を送り出してきたヒットメーカーだった。ところが42歳で北海道・富良野に移住したことが、脚本家としての姿勢を激変させる転換点となったと語る。
「戦争を経験した僕からすると、戦後、あまりにも日本が豊かになってしまったことに不安を感じていたんです。もう少し身の丈に合った暮らしをしたいと思い、39歳で札幌に移住することに。
ただ札幌という街はプチ東京みたいなもので、飲ん兵衛の僕にとっては肝臓に悪いんです(笑)。
どこかいい所はないかと探し回っている時に、飲み屋で隣に座った人から勧められたのが、富良野。
早速翌日に案内してもらうことになりました。朝7時に札幌を出て富良野に到着したのが10時ごろ。11時には永住を決めていましたね」




生きていくために必要なのはお金ではなく、絞り出す知恵や想像力。

ちょうどそのころ、倉本さんは歌手の北島三郎さんに志願して、1週間付き人をさせてもらうことに。
「なぜサブちゃんは人気があるのか、その謎を解くために真冬の函館から青森まで付いて回りました。舞台と客席とのやりとりを見ていると、サブちゃんはお客さんの学歴、貧富といったことにはまるで興味がないんです。観客をただ楽しませるために、裸でぶつかっていく。その時、『ああ、俺は間違っていた』と思いましたね。それまで僕が台本を書いていたのは、プロデューサーや俳優といった、テレビ業界の人に向けて。テレビの前にいる視聴者のことなんて考えていなかったんです。いかに上から目線でいたかを気付かされましたね」
 名作『北の国から』の誕生の裏側には、倉本さん自身の物を書く姿勢や目線の変化があった。一方で、慣れない富良野での暮らしは、「自分にできることの少なさ」を痛感する連続でもあったそうだ。
「うんとデカい岩が林道にあったので、近所の農家の青年に『あんただったらどうする?』と聞いたんです。するとスコップを持ってきて周りを少しずつ丹念に露出させながら、『1日3センチくらいは動くんじゃない?10日もあれば30センチくらい動くべさ』って言うわけです。この言葉には、ショックを通り過ぎて感動しちゃいましたね。都会の感覚だといつかじゃなく、すぐ動いてくれないと気に入らないでしょう。自分で動かすのが無理なら誰に頼んだらいいか、いくら払えばいいかという思考になってしまう。その考え方が、一種の敗北なのだと気付かされました。都会の暮らしはできないことだけでなく、できることすらも面倒くさがるから筋肉が衰えていく。そうすると高い金を払ってジムへ行き、何の生産性もないのに重い物を上げたり、どこにも行き着かない自転車をこいだり、非常に不可思議な行動にでるわけです。この矛盾に人間の愚かさを痛感しましたね」




自給自足の生活で人間教育をたたき込む。


1984年から脚本家や俳優を養成する私塾「富良野塾」を主宰し、2010年に閉塾するまで約350人の若者たちを指導してきた倉本さん。
塾生たちは2年間自給自足の共同生活を送りながら、俳優、脚本家になる以前に「人間教育」をたたき込まれる。
「私が何を教えたというよりも、自給自足の生活をしていれば否応なく『生きる』ことの本質がわかってくるんです。塾生たちに生活必需品を10個挙げさせて集計したところ、1位が水、2位がナイフ、3位が火で4位が食べ物でした。それをテレビのプロデューサーに話したら非常に面白がってくれたんで、今度は渋谷の若者たちに同じ質問をしたんです。すると1位がお金、2位が携帯電話、3位がテレビで4位が車でした。物の考え方が、全然違うんですよね。野外で必死にサバイバル的な生活をしていると、お札というのは火をつけるかお尻を拭くかしか用途がない(笑)。実際に僕は、火がつかないときに千円札を燃やしたことがあります。生活に重要なのは偏差値教育で詰め込まれた知識じゃなく、生きるために絞る知恵。スーパーに並んでいる物をただ食べるのではなく、実際に泥だらけになって作ることから食べ物を想像するべきなんです。今は高校や大学に行くことが当たり前になっているけれど、頭でっかちな学生ばかり育つなら、2~3年農村に放り込む『懲農制』を作るべきだと思っています」
 他にも富良野塾では24時間電気もガソリンも使用しない『原始の日』をもうけ、生きている鶏を塾生たちに絞めて調理させるなど、数々の「荒治療」を経験させたそうだ。
「おかげで夫婦だけでお産に挑んだ、たくましい女の子もいました」と、倉本さんは目を細めて笑った。




風化が進む今こそ福島に寄り添いたい。


そんな倉本さんの薫陶を受けた富良野塾OBたちは、現在、プロの演劇集団「富良野GROUP」として活動している。来年1月から、舞台劇『夜想曲ーノクターン』を、全国各地で公演する予定だ。劇は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故で甚大な被害を受けた福島が舞台。倉本さんは「微力ながら少しでも福島に寄り添い、風化に対抗する一石を投じたい」と脚本を書き下ろし、演出も行った。
「原発問題に対する僕の意見は、もちろん、反対です。でもそれ以前に、あれだけ、絆と騒いだくせに、都会の人たちが記憶を風化させてしまっていることが問題だと思うんです。ある映像で、海岸林が全部なぎ倒されて流されたのに、4本のタブノキだけが根っこがむき出しのまま残っているのを見たんです。網みたいに根っこで支え合っているのを見て、絆という言葉はここから来たんじゃないかと思いましたね。でも今では根っこがブチブチと分断されて弱くなり、一人一人、孤独になっているような気がしています」
 昨年8月に富良野で行われた初演後も、何度も福島に足を運んで取材を重ね、台本を改稿してきたという倉本さん。
「家族を守るために勤務する病院を離れざるを得なかった看護師さんや、津波の写真をカメラに収めるという使命よりも、多くの人の命を助けることを選択し亡くなった新聞記者など、いろんな人がさまざまな苦しみを味わっている。そういう人たちの苦悩や悲劇な、震災後3年以上たって風化が進んでいる今だからこそ、目を向ける必要があると思っています。当事者の人たちの現状は僕らの想像以上のものですが、少なくともそこに寄り添うことはできるはずですから
 富良野や福島で見て、聞いて、知り得た知恵を「生きる知恵」「風化させない知恵」として表現し続ける倉本さん。私たちも経験や情報から得たその知恵を、生きるための知恵に変え、しっかりとアウトプットしていく必要があるのかもしれない。




このブログに何度も書いてますが…、今年の7月に人口5人の限界集落、熊野市須野町でお店をオープンしましたが、近隣の集落の方々やいろんな方々に「え?あの須野町でお店をオープンしたん?!」と、かなりの衝撃を提供してしまった感がありましたが(笑)、本人達は特に別に思い切ったことをやった気はなかったのですが、やはり話題性があったのか、オープン後にはいくつかの新聞社さんやネットメディアさんに取材を受けて、記事にして頂きました。ありがとうございます!

(新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASGB95VSVGB9ONFB01P.html

http://www.sankei.com/region/news/140911/rgn1409110014-n1.html

(ネットメディア)
サルシカ|新しいスタイルの田舎暮らし
http://www.salsica.com/?p=18992





「不便じゃないですか?」とか「大変じゃないですか?」などとたまに聞かれることがありますが、リヤカーで日本一周の旅をしている時から、旅を一区切りして定住することになったら、田舎の自然豊かな場所に住もうと決めていたので、限界集落に住むことになったことも、特に思い切ったことをしたわけでなく、ごくごく自然な流れでした。
というか、リヤカーに水と食料を積んで、リヤカーの屋根にソーラーパネルを搭載し電気を自給しながら、ガソリンなど使わず歩いて旅をしていたのも、もしもの何かの有事(自然災害?金融システム崩壊?)があった際に、どんな環境にでも対応して生きていけるように、との思いも心のどこかにあったんです、実は。


今現在、夫婦二人で毎月の生活費(家賃、電気代、食費、通信費、ガソリン、車の維持費、健康保険、税金)を、月10万円で暮らしていくという計算でやっています。
何回か前のブログ記事にも書きましたが、支出を抑えお金のために働く時間を減らせば、薪を使ったり田んぼや畑をやったり、生活(生きていくため)に使える時間が増えます。やはり、都会に比べて、地方や田舎のほうがこういう暮しがやりやすいと思います。


「田舎暮らしに憧れるんだけど、田舎は仕事がないもんね…」とたまに言われることがありますが、確かに田舎には都会に比べて勤め先としての仕事の数は少ないと思いますが、自ら仕事を創り出すチャンスはたくさんあると感じています。
税金やガソリン代や…、まだお金というものがある程度は必要な資本主義システムの中で僕達は暮らしているので、お金をまったく使わず100%自給自足をしていくことはまだまだ大変ですが、支出を抑えて、お金のためだけに働く時間を減らすことができれば、個人的には確実にストレスは減るし、将来の漠然とした不安のようなものは消えていくと思います。
前回のブログでご紹介した、ぐるり農園の村瀬さんをはじめ、実際、都会からIターンで熊野にやってきて、自ら「なりわい」を創り出し、豊かに暮らしている人は熊野にもたくさんいます。


「今だけ、自分だけ、お金だけ」
という、旧来の価値観や考え方を手放し、お金というものだけに頼らず、仲間や地域の人と助けあい、自然からたくさんの豊かさや恵みを頂き分かち合い、未来の子供たちへと美しい自然、地球を残していく、こういう考え方や実践者が一人でも増えていけば、最高ですよね(^O^)
(自分もまだまだ未熟というか、その道の途中ではありますが)

政治、経済、世界情勢など激変中の世の中ですが、こういう時にこそ、自らの足元や生活をしっかりと見つめ、楽しむこと、感謝することを忘れず、日々を暮らしていきたいです。



前回のブログ更新から二ヶ月が過ぎてしまいました。。ご無沙汰しています、マサーヤンです。
さて、この二ヶ月間もいろいろとブログに書きたいような出来事がたくさんありましたが、なかなかブログを書くというアクションにまで至らず、、でした。

今年7月から住み始めた熊野市須野町の古民家ですが、奥さんがもともと熊野市街地の国道沿いでやっていたメイドイン熊野の衣食住&量り売りのお店「木花堂」を、人口5人の限界集落須野町で自宅兼店舗として9月23日にリニューアルオープンし、お店部分だけでなく住居部分の改装ももちろんDIYでやっていて、11月に入って急に寒くなり、台所の床板を張ったり、薪ストーブ(ダルマストーブ)を導入したりと、冬支度を急いでおりました。
ダルマストーブを導入してから、お風呂、調理、暖房と生活のすべてにさらに薪を使うようになったので、時間を見つけては近くの山に入っては薪の確保。薪を使った生活を送るには普通、一年前から次の年の一年分の薪を伐ってストックをしておくものですが、なにせ今年7月から住み始めたので、薪のストックがなく、自転車操業的に(笑)日々なんとかやりくりしている状態です。


さて、そんな中、11月にフリーペーパークマノジャーナル2014年秋号を発行しました。結婚前から奥さんがもともとやっていたこのフリーペーパーの発行、結婚後に自分も携わらせてもらってから今回で二回目となるフリーペーパー制作。


今回の記事のメインとして取材をさせてもらった先は、熊野市の山沿い、和歌山県境近くの和気(わけ)という、自分が住んでいる須野町と同じくこれまた限界集落となっている集落で、大阪からIターンでこの地にやってきて農業をやっておられる村瀬さんが営む、ぐるり農園さんでした。

農薬や化学肥料などを一切使わず、肥料も近くの平飼いの鶏の鶏糞と米ぬかと籾殻を発酵させた最低限の自家製肥料だけを使った、地球環境にも身体にもやさしい、生命に満ち溢れた美味しい野菜を作っておられます。その美味しい野菜を、JAなどに卸すという従来の販売方法ではなく、この野菜を気に入って頂いた熊野市近隣のお客さんのお家へと直接配送されています。
奥さんがもともと、このぐるり農園さんの野菜を時々購入していて、それで自分もこの野菜を何度も食べさせてもらいましたが、自然栽培で作った野菜独特の、野菜本来が持っている濃い味をしていて、エネルギーみなぎるほんと美味しい野菜です。

このぐるり農園さんのコンセプトがまた素晴らしいんです。

「すべては土に還り、そこからまた新しいいのちが生まれます。雨は川にあつまり海となり、また雨になって大地をうるおしてくれます。循環するいのちの輪を想いながら農業をしています。ひとつひとつのいのちの光が未来へとつながっていくことを願って。」


もともと地域おこし協力隊として旦那さんが4年前にこの熊野の地にやってきて、地域おこし協力隊の任期の3年が終わり、茨城県出身の奥さんと結婚し、昨年の夏から本格的にぐるり農園を始められました。今年第一子となるお子さんも誕生しました。(おめでとうございます!)

そんなご夫婦お二人の夢は、、(以下、クマノジャーナル本文から転載します)

畑を耕すことで、土地と人を繋いでいくこと。限界集落となっているこの和気にも、山の斜面に昔の人が積み上げた石垣で守られた田んぼの跡地が、まだまだたくさん残っている。しかし獣害と高齢化で耕作放棄地は増えるばかり。そんな状況を少しでも変えたいという二人の方法は、とてもシンプルだ。
耕すこと─。
大地にいのちが灯り、集落の人、野菜を食べる街の人、熊野に縁がある人と、つながる。川から大地を経て海へ、海から雨へ、そしてまた川から大地へ…。循環するいのちの輪を体と心で感じながら、熊野の地を耕す日々が、未来へとつながっていく。
前回のブログ更新からまた日にちが空いてしまいましたが…、前回の記事で書いた9月23日(秋分の日)須野町での木花堂リニューアルオープンなんですが、当日は僕らの予想を上回るほどのたくさんのお客様(60名近く)に来て頂けました。人口5人の限界集落が全住民数の何倍ものたくさんの方々で賑わいまして、ほんとうにありがとうございました。。

お店の改修作業もなんとか、ぎりぎり間に合いました。ド素人丸出しながらも古民家を自分たちの手で改修しお店開店の状態にまでなんとか持ってきましたが、いや~、なんとかなるもんですね(笑)
(とりあえず、お客様にここはお店なんだと思ってもらえる最低ラインに達しただけで、これからも理想のお店を目指しての改修作業は続きますが)







時々たま~に、「よくこんな所でお店をやろうと思いましたね」とか「ここでお店を開くのは相当勇気がいったでしょう?」などと、人から言われることがあります。
が、僕ら二人ともここでお店をやろうとした際に、まったく勇気というものを出してないし(笑)、ごくごく自然な流れでこういうことになったんです。

お店をやるにあたって『お金を儲ける、稼ぐ』ということが第一の目的ではないので、前回のブログ記事にも少し書いたように、まずは自分たちの生活(田んぼや畑をやったり、薪を割ったり、薪でご飯をつくったり…)を丁寧にやっていくことが一番大事なことなので、それよりも、ここ熊野や須野や、僕らがやってることに興味があるという方々に、お店があるということを口実に?熊野や須野や自分たちの暮らしぶりなどを実際に見に来て頂くことが、うれしいんです。


とは言え、今の資本主義社会の中で生きていくためには、税金や国民健康保険やガソリン代や…、お金というものがある程度は必ず必要です。それで、僕らの毎月の生活に最低限必要なお金はいくらなのか?を算出しました。
現在お風呂や調理は薪の火でやっているのでガスを引いてないですし、水は山水なので無料ですし、電気だけは現在、中部電力さんと契約してますが(電気もゆくゆくはオフグリッド式に自給をしていきたいです。こちらのお宅のように→http://ameblo.jp/green-note-page/entry-11927784609.html)、あと携帯電話は須野町自体に電波が届いてないので(汗)、先日解約をしました。
そのように、生きていくことに必ずしも必要でなさそうなものをどんどん削っていって(必要経費の断捨離)、毎月の生活に最低限必要なお金はいったいいくらなのか?を算出したら、いわゆる世間一般での毎月の平均的支出額と比べると、かな~り低い額で生活していけることが分かり、そうするとお金のために働く時間を生活のための時間(田んぼや畑、薪拾い&薪割り、料理、保存食づくり、DIY、もの作り…)に割り当てることができます。田舎や限界集落ではこのように支出を抑え、お金のために働く時間を少なくすることができると思います。


以前にも何度かご紹介させてもらった「里山資本主義」の本の中で、個人的にとても共感している箇所を再度、以下に抜粋させてもらいますが、、、
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マネー資本主義に染まり切ってしまった人の中には、自分の存在価値は稼いだ金銭の額で決まると思い込んでいる人がいる。それどころか、他人の価値までをも、その人の稼ぎで判断したりする。違う、お金は他の何かを買うための手段であって、持ち手の価値を計るものさしではない。必要な物を買って所持金を減らしても、それで人の価値が下がったわけではないし、何もせずに節約を重ねてお金を貯めこんでも、それだけで誰かがあなたのことを「かけがえのない人だ」とは言ってはくれない。そう、人は誰かに「あなたはかけがえのない人だ」と言ってもらいたいだけなのだ。何を持っていなくても、何に勝っていなくても、「何かと交換することはできない、比べることもできない、あなただけの価値を持ってる人なのだ」と誰かに認めてもらいたいだけなのだ。さらにいえば、何かの理由でお金が通用しなくなったとしても、何かお金以外のものに守られながら、きちんと生きていくことができる人間でありたかったはずなのだ。
そうであれば、持つべきものはお金ではなく、第一に人との絆だ。人としてのかけがえのなさを本当に認めてくれるのは、あなたからお金を受け取った人ではなく、あなたと心でつながった人だけだからだ。それは家族だけなのか。では家族がいなかったら、家族に見放されたらどうするのか。そうではない。人であれば、誰でも人とつながれる。里山資本主義の実践者は、そのことを実感している。
持つべきものの第二は、自然とのつながりだ。失ったつながりを取り戻すことだ。自分の身の回りに自分を生かしてくれるだけの自然の恵みがあるという実感を持つことで、お金しか頼るもののなかった人びとの不安はいつのまにかぐっと軽くなっている。里山資本主義の実践は、人類が何万年も培ってきた身の回りの自然を活かす方法を、受け継ぐということなのだ。
里山資本主義の向こう側に広がる、実は大昔からあった金銭換算できない世界。そんな世界があることを知り、できればそこと触れ合いを深めていくことが、金銭換算できない本当の自分を得る入り口ではないだろうか。
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今は時代の大転換期の真っただ中で、そう遠くない将来に、ありとあらゆる価値観ががらりと変り、今まで当たり前であったことが当たり前でなくなる世界がやってくると思っていて、そんな世界の中ではお金というものの価値観も今とはがらりと変わると思っています(お金というものが必要のない世界になる?)。


時代の移行期である今、僕らに必要なことは、、「古い価値観を手放していくこと」。具体的にはどういうことかと言うと、だいぶ以前にもこのブログでもご紹介させてもらった本『もっとあの世に聞いた、この世の仕組み-雲黒斎(サンマーク出版)』の中に書いてある、「義務」「犠牲」「我慢」の3Gから「LOVE(愛)」「THANKS(感謝)」「ENJOY(楽しむ・味わう)」のLTEの価値観へと個人個人がシフトしていくこと
それから実際の生活をより自然に則したものに変えていくことだと思っていて(人間誰しも、土と離れて生きていくことはできません…)、そのために僕自身2008年頃から言ってます「農ライフ」や、塩見直紀さんの提唱されてる「半農半X」、そして上記の「里山資本主義」、、これらの実践が、時代の移行期である今、よりスムーズにソフトランディングし次の時代へと行くために、まさに必要なことなのではないかと思っています。





こちら現在、僕らの毎日のごはんの調理にフル回転中のロケットストーブ。名前は「ロケ太」。ローマ字表記が間違って「ROCETA」になってます(笑)。
千葉県鴨川在住の頃から合わせてロケットストーブ愛用暦2年ぐらいですが、今までは薪の焚き口をL字になってる箇所の上部だけを使ってたんです(下のほうは着火用の口で、薪に火がついたらここに蓋をしてました)。
ところが最近、蓋を閉めず今まで着火用の口にしてた下のほうを薪の焚き口にして使ってみると、薪が横向きになって燃えるので、めっちゃ火力が強くなり、燃焼効率も上がり、お湯などもすぐに沸くようになりました。2年間使ってて、しらなかった。。ロケットストーブ、、奥が深い。。
これからは、ロケットストーブ式でパンやピザを焼けるような石釜を作れないものかと現在、頭を悩ませています。DIYや、もの作りは楽しいですね^^



またまた、ブログ更新がご無沙汰になってしまいましたが…、現在、23日(祝)の木花堂のリニューアルオープンに向け、もっか鋭意作業中です。(あと2日後に迫ってます、やばい、笑)
人口5人の限界集落でお店をやるなんて、今までの時代の経営理論的?な常識からすればとんでもないことかもしれませんが(笑)、実を言うと商売的なことは二の次で、それよりも自然豊かな須野町での、これから僕たちが目指していく自給自足的循環型の暮らしを、お店にやって来た方々に実際に見て頂きたい、そしてそういう暮らしを始める人が少しでも増えていけば楽しいなあ、嬉しいなあという想いがありまして、あえてここでお店をやっていこうと思った次第です。

築100年の古民家を自分達で改装してるので、完璧な状態にしてオープンしようとすると、もう半年ぐらいは時間が必要かと(汗)。でも改装途中の進化の様子、その過程すらもお客さんに楽しんで頂けたらという、むりやり正当的理由をくっつけ(笑)、このたび23日(祝)オープンという運びとなりました。
(「○○とは…、○○でなければならない」という考え方に縛られては、自由な発想や新しく何かを始めることはできないと思ってます、個人的に^^;)

というわけで、23日(祝)は、ささやかながらオープニングイベントを行うことになり、その告知をさせて下さい…!

(お店の営業日は、今後土日祝のみになります)


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◎木花堂 須野町での移転オープニング・ミニイベント◎
9月23日(祝)11時~15時頃(お店は18時まで)
・・・作家さんの小物販売(LOG JAMほか木工作家さんetc)
・・・創作レストラン 日和 さんのランチ

場  所:ホームページ上のgoogle mapをご覧ください。
アクセス:尾鷲熊野道路 賀田ICを下りる(尾鷲市・熊野市からとも15分)
           ↓
     右折して賀田町・R311方面へ
           ↓
     信号があるので、R311を右折(南下)
           ↓
     R311を海沿いに15分ほどで須野町へ降りる小道が左側に表れます。
     (木花堂 看板アリ)
           ↓
     木が茂っていてちょっと不安になるかもしれないけれど、
     数分で須野の海が目の前に開けます。
     町の駐車場に車を停めてください。
           ↓
     そこから歩いて2、3分で木花堂です。
     (木花堂 看板アリ)
    
     ※尾鷲市方面、熊野市方面ともに賀田IC経由がおすすめ。
      (新鹿ICからだと道が細いが、賀田ICからだと走りやすい)
     ※尾鷲市から、熊野市からともに30分くらいです。
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まだまだ改装中です。。

お盆もあっという間に過ぎさっていき、ブログ更新がまた久々になってしまいました…。お盆期間中は、ありがたいことに須野町の家にたくさんの人が泊まりで遊びに来てくれてました。

そして8月17日には、前からすごいという噂を聞いていた熊野の花火を見に行くことができました。
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(ヤフー知恵袋より)
熊野大花火大会とは?
三重県熊野市の七里御浜(熊野古道浜街道)で毎年8月17日に開催される『熊野大花火大会』は三百余年の伝統を誇るお盆の初精霊供養の灯籠焼きや追善供養の打ち上げ花火が始まりといわれているもので、中でも特にオススメは最後を飾る「鬼ヶ城大仕掛け」です。
鬼ヶ城大仕掛けは、岩場に花火玉を置き、そのまま地爆させる体感出来る花火で、二尺玉ですが陸地で爆発させるので空に打ち上げる花火よりかなり間近で見えてモノ凄い迫力の衝撃波が伝わってくる花火好きなら一生に一度は体感したい花火です。
「海上自爆」という、船の上から花火玉を次々と投げ入れて逃げる船の背後で半円状に花開き海面に映えるのも綺麗です(三尺玉海上自爆とゆう大きなものもあります)。
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という説明にもあるように、とにかく花火がほんとに目の前で打ち上がり、花火を打ち上げるだけでなく、花火を岩場や海上で自爆させるという…その迫力と体感する衝撃がすごかったです。また来年の夏が楽しみです!

↓こちらのサイトでは「全国の行ってみたい花火大会ランキング」の1位になっていますね。
http://hanabi.walkerplus.com/mitai/







そして現在は、人口5人の限界集落、熊野市須野町での「木花堂」リニューアルオープンを秋分の日の9月23日を目標に、その準備をすすめているところです。



むかし4年ぐらい前でしょうか東京に住んでいた頃、千葉県の房総半島で面白いこと(脱都市的な持続可能的な新しい暮らし)をやっている面白い人達が集まってのトークイベントが表参道のほうであり、そのイベントに参加した時に、当時千葉県いすみ市のほうで、パン屋さんを開業されていたパン屋「タルマーリー」さんのお話を聞いたことがあり、房総にこんな素敵なパン屋さんがあったのか…と、とても感銘を受けたことがあったのですが、そのお話を少し。


「タルマーリー」さんは材料や製法に徹底的にこだわり、材料は国産小麦だけを使いパンを作るのですが、地域の農家さんに小麦の栽培をお願いし高い価格でその小麦を買い取り、そして安全でおいしいパンを高い価格で販売するというもの。
そうすることによって、その地域の農家さんは労働力に見合う適正な価格で買い取ってもらえるので、安全でよりよい品質の小麦を作ることに力を注げるし、パンを買う消費者のほうも価格は高いけれど安全でおいしいパンを買うことができるというのです。
そうすることで、その地域に正しい経済の巡りができるのだとおっしゃってました。
少しでも安い材料を海外から仕入れて、安全性や品質には疑問が残るようなものを安い価格で販売するというグローバル経済の流れとは逆の考えで、それにとても感銘を受けたことを思い出します。


その「タルマーリー」さんは現在、岡山県真庭市のほうに移転されて営業をされているようです。
http://talmary.com/


「タルマーリー」のご主人、渡邊格さんが書いた本『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』という本が少し前に話題になっていたようです。


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amazonより
【著者・渡邉格(わたなべ いたる)から読者のみなさんに】

まっとうに働いて、はやく一人前になりたい――。回り道して30歳ではじめて社会に出た僕が抱いたのは、ほんのささやかな願いでした。ところが、僕が飛び込んだパンの世界には、多くの矛盾がありました。過酷な長時間労働、添加物を使っているのに「無添加な」パン……。効率や利潤をひたすら追求する資本主義経済のなかで、パン屋で働くパン職人は、経済の矛盾を一身に背負わされていたのです。
僕は妻とふたり、「そうではない」パン屋を営むために、田舎で店を開きました。それから5年半、見えてきたひとつのかたちが、「腐る経済」です。この世でお金だけが「腐らない」。そのお金が、社会と人の暮らしを振り回しています。「職」(労働力)も「食」(商品)も安さばかりが追求され、その結果、2つの「しょく(職・食)」はどんどんおかしくなっています。そんな社会を、僕らは子どもに残したくはない。僕らは、子どもに残したい社会をつくるために、田舎でパンをつくり、そこから見えてきたことをこの本に記しました。いまの働き方に疑問や矛盾を感じている人に、そして、パンを食べるすべての人に、手にとってもらいたい一冊です。

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いくつかのネットメディアほうにも、「タルマーリー」さんについて素敵な記事が書かれてありますね。

『「colocal コロカル」ローカルを学ぶ・暮らす・旅する』
http://colocal.jp/topics/lifestyle/people/20140205_29108.html

『greenz.jp グリーンズ』
http://greenz.jp/2013/11/02/talmary_book/
http://greenz.jp/2014/02/12/talmary/



上記でご紹介した記事内にも書かれていますが、

おカネは関係性をつなぐ媒介でしかありません。おカネを媒介に地域の経済循環をつくり、その結果、地域に暮らす人たちが豊かさを実感し、自然の生態系も豊かになる。タルマーリーが目指す「腐る経済」はそういう姿です。それは、「腐らないおカネ」が支配するマネー資本主義とは正反対の、自然と人間に光を当てた経済のあり方です。


この部分に個人的にとても共感できるものがあります。


持論を展開させてもらうと、お金というものは一つのエネルギーであって、それ自体に良いも悪いもなくて、大事なのはそのエネルギーを循環させることであり、そこにお金が介在していなくとも、例えば作り過ぎた野菜をご近所にお裾分けするとか(物々交換)、結(ゆい)というような地域における助け合い・分かり合いなど、それらも立派なエネルギーの循環なわけでして…
おそらく近い将来、世の中でお金というものの価値がなくなっていく中にあって、なにより大切なことはお金に頼らずとも、そのように分かち合い助け合い、エネルギーを循環させ、一人一人が豊かに幸せに暮らせる社会を作っていくことだと思います。

個人の幸せと豊かな自然環境を犠牲に、「腐らないお金」に人と社会が振り回される時代は終わりにして、人類がはやく次の時代へと駒を進めていければいいですね。


そのためには、タルマーリーさんのように、木花堂もここ熊野市須野町で、少しでもよい地域経済の巡りをつくり出し、地域や社会へ、豊かで幸せな世の中づくりへと、少しでもお役立ちできるお店にしていけたら…と、そんなことを思っています。
結婚式や木花堂の移転作業などで、ここ最近バタバタしてて、ブログ更新が久々になってしまいました…。
ブログに書きたいことお伝えしたいこと…たくさんありますが、最近の出来事を少しかいつまんでブログ更新をしたいと思います。



現在暮らしている三重県須野町の家では、まだガスを引いてないので(今後ガスを引くか引かないかは未定です)お風呂も、調理も薪を使って生活しています(調理はたまにカセットコンロ)。
で、前々から作りたい作りたいと思っていても、なかなか時間がなくて作れなかったロケットストーブを先日作りました。
ロケットストーブとは、一斗缶やホームセンターで売ってる材料等で簡単に誰でも作れる優れものの調理用の薪燃焼器具ですが、昔住んでいた千葉県の家でもこのロケットストーブを使っていたのですが、このブログで何度もご紹介した「里山資本主義」の本の中でも優れもののアイテムとして紹介されていましたが、これは外気と煙突内の温度差を作り出し薪の燃焼効率を高める仕組みを作り、少量の薪や小枝などでもお湯を沸かしたり調理ができたりする、すごいアイテムなんです。


つくり方は簡単で、一斗缶の蓋と横に煙突を通す穴を二つ開けて煙突を通し、煙突と一斗缶の隙間には、園芸用の軽石(パーライト)を入れて(このパーライトが断熱効果を発揮します)できあがりです。




薪を着火口に投入し火をつけると風の気流が起こり、炎がロケットのようにすごい勢いで逆噴射し、その上に鍋ややかんをおけば調理ができるというものです。たしかにガスに比べて薪を伐ったり確保したりと手間と時間と労力はかかりますが…、この作業を楽しいと思えればこっちのもの。なにより薪の火で沸かしたお茶やコーヒー、そして薪の火で炊いたご飯はほんとにおいしいです。少しでも薪を使っていくことで日本中の荒れ果てた里山の整備に少しは役立つのではないでしょうか。




続いて現在改装中の部屋の様子ですが、こちらもブログを書いてない時も作業を少しずつ進めていて、下の写真は畳を剥がして荷物などが乱立している状態でしたが(ビフォー状態)




床下に杉板を張り、壁には漆喰を塗り、取りあえず一斗缶を足に上には長い板を載せただけのテーブルですが、すっきりして現在はたいぶくつろげる部屋になっています(アフター状態)




それからこれをブログに書こうかどうしようか迷ったんですが(個人的なことで恐縮なので…)、先月の27日(日)に熊野市の丹倉(あかくら)神社で結婚式をあげまして、その時の模様を地元の新聞社さんに取り上げて記事に書いて頂きました(ありがとうございます)。
ちなみに申し上げておきますと、これは僕たち夫婦が有名人だからとかでは全くなくて(笑)、丹倉神社で結婚ということに話題性があったから記事にして頂いたようです。
丹倉神社と言えば、このブログを以前から読んで下さってる方にはご存知の神社だと思います(今年の3月頃のブログ記事に何度も登場しますが)。神社といっても鳥居や社殿がある場所ではなく、ご神体の巨石(盤座)があるだけです。古代の自然信仰の祭祀場そのままが残ったこのような場所は熊野にいくつかあるのですが(盤座信仰についてはまたいつかあらためてブログに書きたいと思ってますが)、リヤカーで日本を旅をしていた自分がこうやって熊野に住んだり結婚をしたりするきっかけとなった場所ですので、ここで結婚式をあげさせてもらうのも自然な流れと言いますか、ちなみに自分達がこの神社で結婚式を挙げるのは近年では3組目で、昨年10月と今年3月に式を挙げられた1組目と2組目の方々とも自分達はなぜか不思議なご縁があり、ここ以外での式は考えられなかったのですが、当日は遠方からお互いの両親、家族、友人などたくさんの方々にお集まり頂きまして、本当に心より感謝感謝です。。





そして今日のブログ記事の本題として書きたかったことは、こちらのことですが…、これは今、部屋に張ってある「地球歴」です。
これは杉山開知さんという方が2007年に考案したもので、最近では少しずついろんな人に知られるようになってきてる暦です。


※ 地球暦 太陽系時空間地図。宇宙の太陽系の惑星である「地球」にいる自分が、いまがいつで、どこにいるのかがわかる暦で、民族や国を超え、地球人であれば誰もが理解でき、共通して使えるのが特徴。

以下のサイトの記事に詳しいことが書かれてあります。
http://greenz.jp/2014/06/05/chikyureki/
http://www.mammothschool.com/2013/10/kaichi-sugiyama-cartographer/

考案者の杉山開知さんのインタビューが上記のサイトに載っていますが、興味のある方にはぜひ読んで頂きたいと思いますが、個人的にとても賛同できることが書いてあった箇所を抜粋させてもらいます。

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暦は科学ですか、それとも思想・哲学ですかってよく質問されるんですが、答えはその両方なんです。天文学っていう科学的な天測が進化すると、同時にそれを感じるこっちの心や考えかたも進化していく。人類の意識が進化したら、はかりも進化していくのは自然なことだと思う。社会が変わったら、時計も変わる。日本の場合は最終的にかなり極まった暦の知的体形をもっていたんだけれども、歴史的ないきさつのなかで、140年前にいまの西暦を使うにいたっています。

いまや、太陽系に生きていることじたいが当たり前な事実で、誰しも宇宙人的な感覚をもって、今日も地球はまわっていると理解しています。知覚範囲が、銀河まで広がっている。ということは、僕らが把握できる世界が広がっているわけです。暦というものは人の意識がつくっていて、世界観がこの世界をつくっているから、世界観が変われば、常識はあっけなく変わっていく。

社会システムをコントロールするために支配者が使ってきたツールとしての暦は、もう古い。言ってしまえばナンセンスだと思う。要は社会経済や企業体を維持するためにやっていることであって、もう僕らは満たされているから、この物質的な世界を豊かにするっていうことにはゴールは見出せない。生態系生物の調和を考えたら、ピークを超えたら、それをいかにしてプラスマイナスゼロにしていくかっていうことのほうが重要でしょう。美しく、気持ちよく、僕たちが豊かにのんびり暮らしていくにはどうすればいいですか?って地球の自然環境に問いかけながら、徐々にテンションを下げながら、遊びを増やしていくべきだと思う。人がつくっていくものは変わりつづける。そして人は生きかたを変えつづけている。そういう一端で暦をチョイスすることもできると思う。自分の生きかたに合わせて自由につくれる暦っていうのが、いま必要なのではないでしょうか。それで僕は、地球暦というものをつくりました。時間そのものは、生まれながらに与えられている「命の限り」です。その白紙のキャンバスに向かって、自分の物語をいかにして描くか。そこが、生きるっていうことの本質である「鍵」だと思う。

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日々の暮らしの中でも、僕たち一人一人はこの地球に住む地球人として、宇宙や自然の流れの中で生かされている…、そんな感覚をいつもいつも忘れたくないものです。



ひさびさに須野町移住の様子をブログにアップします。現在、木花堂の移転作業やフリーペーパー・クマノジャーナルの発行作業やその他いろいろと予定が詰まっている…汗、合間を縫って、ぼちぼちと家の改装作業を進めています。

この古民家の1F部分の2部屋を今後木花堂のお店用に使うので、人様にお見せする場所であり、改装作業にも妥協をせず手を抜かずに理想形を追い求めてやっています。が、いかんせんそこは素人なので、きっとプロのような綺麗な仕上がりにはならないと思いますが、でも素人にしか出せない味わい?オリジナル性、親しみやすさみたいなものがきっと出せるのではないかと(笑)。

家の外面に張った杉板に柿渋(渋柿の青い果実を発酵させて作られた、昔からある日本固有の天然塗料)を塗りましたが、これがですね、時間が経つとほんとに味わいのある色に変わってきました。



こちらは野外台所。先日から週に何回かはこの須野町の家での寝泊まりをし始めていて(家の中でテントを張ってます、笑)、たくさんの蚊と格闘しながら、野外で調理をして、ご飯も食べています。



お風呂は、こちらの薪風呂です。
これは、薪と灯油を併用しながらお風呂が焚けるという優れものの風呂焚き機なのですが、現在、灯油部分の機械が壊れていて、今は薪オンリーでお風呂を沸かしています。が、でも五右衛門風呂などに比べても、燃焼効率がいいのか少量の薪でもすぐにお湯が沸いてくれます。(と言ってもボタン一つでお湯が沸く電気や灯油の給湯器に比べれば、なかなかの労力と時間がかかりますが)



そして特筆すべきは、このお風呂の水。
人口5人3世帯の、僕らが暮らすこの熊野市須野町、すべての家庭の水道の蛇口から流れてくる水は山から流れてくる山水を引いたもの。
水道水のようなカルキや塩素が入ってない天然水なので、お風呂で沸かすお湯がなんともまろやかで柔らかいのです。そして薪で沸かしたお湯は、湯冷めをしないし芯から温まるし、なんともいいものなんです。



ちなみに水道水の塩素濃度が世界一高い国が日本だと言われています。戦前の日本の水道水は微生物の力で水を浄化する「緩速濾過方式」というものでしたが、戦後、水道水に塩素を入れるようにしたのはGHQの占領政策の一つであったそうです。今現在も0.1ppm以上の塩素濃度が義務づけられています。
一般的に海外では塩素は毒だと知られていて、発がん性物質を含みアレルギーやアトピーなどの原因になると言われていて、なによりその強力な酸化力で人間の皮膚や腸内にある常在菌(有用微生物)を殺してしまうそうです。

最近、水道水ではなく塩素もカルキも入ってない山水のお風呂に入っていますが、(まだ5回ぐらいしか入ってないので)とにかく感覚的なことでしかまだお伝えできない段階ですが、ほんとになんとも良いんですよ。

ちなみに自分、2~3年前から歯磨き粉を使わなくなり、ここ数ヶ月前からはシャンプーも石鹸も使わなくなりました(お湯に浸かって、お湯で頭を流すだけ)。タモリさんは石鹸を使っていないという話は結構有名ですが、福山雅治もシャンプーを使っていないんだとか。
それじゃあ不潔で臭くなるのでは?と思われるかもしれませんが、人間の身体に、もともといる常在菌(有用微生物)が身体についてる汚れや油脂を取り除いてくれるので、大丈夫なんだと思います。
幼い頃から植え付けられた当たり前や習慣というのを急にやめたり変えたりするのはなかなか難しいですが、(誰かの都合に合わせて作り上げられた?)常識や当たり前が必ずしも正しくはなかったということに気づき、一つずつ小さなことから自分の生活を見直して、より自分が心地よい、しっくりくる事を選んでいきたいと思います。
先日のことですが、現在店舗移転作業中の木花堂のお店の前(国道42号線)で、先日のリヤカーマン加藤さんに続いて、またまた日本一周リヤカーマンとの出逢いがありました。びっくり&興奮しました(笑)

お名前は、芳澤義人さん。山口県宇部市から日本一周チャレンジ中です。お話を伺うと、2010年にリヤカー日本一周旅をスタートし、毎年1~2ヶ月の期間の中で、今年はどこどこを回るという目標を立て数年間かけてトータルで日本一周を目指されている方でした。
以下が今まで歩いてこられた場所と日数と距離です。

2010年31日間 900km 四国一周
2011年40日間 920km 九州半周
2012年22日間 596km 九州一周
2013年53日間 2200km 北海道一周

そして今年2014年は、山口県から山陽道を歩き大阪から紀伊半島を回り、その後東海道を歩き、東京でゴールだそうです。そして驚くべきはその一日の移動距離。平均40km~50km歩かれるそうで、僕も昨年夏に北海道をリヤカーで一周しましたが、あの広い北海道をわずか53日間で歩かれたそうで、ほんとびっくりでした(ちなみに僕は3ヶ月かかりました…)。
そして年齢をお聞きすると72歳だそうで、これまたびっくり(若々しい!そしてリヤカーマン加藤さんとも同年代)。

そしてさらに個人的に感動したことは、実はこれはリヤカーではなくて大八車なんだそうで(江戸時代から昭和時代初期にかけての日本で荷物の輸送に使われていた総木製の人力荷車)、そして寝泊まりはこの大八車の中でできるように作られていて、「一度テントを張って土の上で寝たことがあるけど、この大八車で寝ることを覚えたら、もう土の上では寝ようとは思わんです(笑)」とおっしゃってました。テントに比べ雨風にもこれなら大丈夫そうですし(実際この前の台風も大丈夫そうでした)、公園やキャンプ場などテントを張る場所を探して歩き回る必要もないですし(道の駅の駐車場などに停めれば、すぐさま宿に早変わり)、テント設営の手間もいらないですし…、実はこのリヤカーの上で寝泊まりできる形態は以前から僕も追い求めていた理想型であったわけで(笑)、それを実際にやっている方がいて、感動しました。

そして大八車の外壁には、今までの旅の中で出逢った人達の応援メッセージがびっしりと書き込まれていました。
芳澤さん、どうぞこれからもお気をつけて、良い旅となりますよう、ぜひぜひ心からお祈りしております!








先日のことですが、このブログでも以前にご紹介をさせてもらった(こちら)、三重県と和歌山県と奈良県の3県が交わる場所にある大渓谷・瀞峡(どろきょう)のほとりに佇むオシャレなカフェ「瀞(どろ)ホテル」さんへと行ってきました。



築100年以上、開業96年の歴史を持つ元旅館で、先代さんが他界され休業中になっていた旅館を、先代さんの息子さんご夫婦が若い感性でこの建物の中で昨年の6月からカフェをやっているという、ほんとに素敵なところなんですが、この「瀞ホテル」さんの店内の一角に、和歌山県(中辺路町)にあるオリジナル革小物&セレクト小物のお店「selection ROCA」さんと、三重県熊野市にある「木花堂」、そして和歌山県の「瀞ホテル」さんと3県の3店による県境の垣根を取っ払った新たな試みとして、今年5月の始めからミニセレクトショップがOPENしているのです。




今は熊野市という市がありますが、もともと熊野と言えば、以下の図のような紀伊国(紀伊藩)のことを差すようで、これが3県に分かれてしまったのが明治からだそうで、その当時、廃藩置県によってそれまでの全国各地の藩が持っていた領土をそのまま今の県にしたパターンが多いのですが、なぜか紀伊国(紀伊藩)は強引にも3県に分けられてしまったように思うのですが、これは古くからこの熊野の地が持っていた日本人の精神性とか熊野信仰とか人々への影響力を低減化するために、時の政府がわざとそうしたのではないのだろうかと思っています。

ちなみに、明治政府が行った通称「神狩り」と呼ばれる神社合祀令というのがあり、これにより全国的に見ても特に三重県と和歌山県の神社数がかなりの数、減らされたようです。
○ 三重県(現存数)942 (滅却数)5547
○ 和歌山県(現存数)790 (滅却数)2923
○ 愛媛県(現存数)2027 (滅却数)3349
○ 埼玉県(現存数)3508 (滅却数)3869
○ 長野県(現存数)3834 (滅却数)2997
長野県は全神社数の2分の1強、埼玉県は2分の1弱、愛媛県は3分の1強、和歌山県は5分の1、三重県は7分の1に減少。
(参考資料:縛られた巨人 南方熊楠の生涯「新潮文庫」)

これなども当時、この熊野という場所が持っていた影響力を低減化するために行われた政策の一つだったのかもしれません(あくまで個人的推測ですが)。最近この熊野という場所について自分なりにいろいろ関心を持って調べているのですが、巨石とか盤座とか沖縄の宮古島などにも繋がる古代文明(ムー、縄文)からの流れがこの場所には残っているようで、このことについてはまたいつか書いてみたいと思いますが…



さて…話は戻ります、そういう明治政府による政治的な意図はともかくとして、和歌山、奈良、三重と県で分かれるのなく、熊野として繋がってここを一緒に盛り上げていきましょうという「瀞ホテル」さんの今回の試みはほんとに素敵だと思っていて、先日瀞ホテルさんに行ってきたのは「木花堂」の商品を納品するためと、以前から食べてみたいと熱望していた瀞ホテルさんのランチを食べるためでした。

そしてここで、なんであなたが「木花堂」の商品を納品しに行くのかとツッコまれるかもしれませんが(汗)。以前からこのブログでもそれとなく書いてましたし、親しい回りの人達や、もう知ってる人もたくさんいるかもしれませんが、ブログなどで公式にはまだ言ってなかったので書きますと、今年5月に「木花堂」の咲恵さんと結婚をしまして、現在、「木花堂」とフリーペーパー「KUMANO ジャーナル」の仕事を二人でやっているのです。
この結婚に至るまでの話しは、ちょっと長くなるのでここには書きませんが^^; このたび不思議な流れに導かれ、ありがたいことに、ただもうほんとにご縁というしかないんですが。ちなみに、二人とも昔から興味があった事柄(エコビレッジ、自給自足、循環型生活、農ライフ…)や、やりたいことやこれからの夢が驚くほどに全く同じだったわけでして。というわけで、これからの新しい時代の(農を中心とした)自給自足的ライフスタイル、循環型持続可能型社会の雛形作りを咲恵さんとともに熊野市須野町で実践し、その様子をこのブログでもお伝えしていきますので、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。(僕のことについて書かれた咲恵さんのブログ記事→http://kumanofurusat.jugem.jp/?eid=544




そして「瀞ホテル」さんの話に戻りますが、「木花堂」の商品を納品したあと、待望のランチを頂きました。
僕が頂いたメニューはおかずマフィンとホットシナモンアップルティー。めちゃめちゃおいしかったです。窓から瀞峡の美しい景色を眺めながら、オシャレな空間で頂くおいしいランチ、最高のひとときでした。ありがとうございました!