「月を目指すも、失敗に終わったミッションの歴史」 | 定年後の風景

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これは珍しい月探査の失敗した詳細記録でした。失敗をこうして集めるのは並大抵では無く、難しいと思いました。そうそう出来るものでは無く、華やかな成功の歴史は当然表舞台に出ていて、それを集めるのは根気と手間だけで、そう難しいとも思えません。

 

そしてまあ長文のこの記事を読んでると、ああ確かにそうだったと思い出すものが多々ありました。もう時事的なことになって、その時だけの記憶の奥底に沈んでしまってるものが殆どで、しがしそうであるが故に、余計にさらにまた宇宙開発ファンとしては、思いきり懐かしいものでもあるのです。

 

また失敗したが故に、それ以上の詳しい情報が流れて来ずに、今回改めて詳細に知ったことも多々あって、驚きもし、また勉強にもなりました。一番驚いたのは、ブログにも少し書いて、映画化すら望んでいたものでした。

 

アポロ11号が月面着陸を目指していた正にその時に、ほぼ同時に未知の飛行体、恐らくは当時で言うソ連製と思しき探査体が、月に激突した正体が、今回この記事ではっきり分かったことでした。ソ連のルナ15号とあり、無人でサンプル採取して帰還する予定で激突して失敗したとのことでした。

 

これでまあ、望んでたソ連がヤケクソで、片道飛行で有人月一番乗りを企てた映画化は、ほぼ無理になりました。まあそう言えば、もう出来ないと分って、ソ連は有人着陸は必要無いと諦めてましたからね。その通りで、その後無人探査は続けてましたけどね。

 

しかしそれを言うと、ガガーリンも何も、有人宇宙飛行も全部、まあ言えば必要無かったですけどね。出来ないので不要とした共産主義の思想でした。サターンⅤ似も開発してましたが、システム工学が無かったので、出来ませんでした。諦めたと思います。

 

ソ連も初期は、ドイツの技術で独自に開発してましたが、華やかだったのは宇宙遊泳くらいまででしょうか。あれもゴム製手袋が膨張して、宇宙船に戻れなくなる一歩手前で、死にかけてたと、レオーノフ本人が語ってましたけどね。

 

そしてまあ、なので月有人飛行を諦めたので、まあ言えば有人軌道飛行も殆ど目的が無くなり、あとはまあ人体実験のように、軌道実験船に半年とか長期滞在させて実験するしか目的が無くなりましたね。なので米国の様な、派手なランデブー飛行などはソ連はありません。

 

尚、半年とかの長期滞在しても、致命的に寿命が短いとか、放射線の影響出たりの発表は今の所無くて、今もISSに滞在してますから、今さらながらに人類は宇宙に強いですな。これだけでも生命自体が、もともと宇宙由来だと思わせてくれますな。

 

これら見ると、人類が宇宙目指すのは、やっぱり依って来る生まれ故郷に帰ろうとする本能としか思えませんなあ。それ以外に理由が思いつきませんねえ。失敗した月探査には、当然アポロ13号が入ってて、月探査は出来ず、奇跡の生還したですな。

 

これ見てると、確かにわざわざ有人で月探査する目的は苦しいですな。中継見てると、まあ現地で飛行士や学者が、自分の目で見て岩石採取したり、地質見たりとそれぐらいですわ。それ以上に人間が行ってまで探査する重要性は低いですな。

 

遥かに低いコストで、無人で出来ることが殆どなのに気づきますなあ。淋しくて面白く無いですが。記事見て行くと、初期の月へのパイオニアシリーズなど忘れてますね。ソ連のルナの名は憶えていますねえ。NASAのレンジャー計画辺りも名は憶えてます。

 

これ見ると、パイオニアの目的は月周辺へ到達で、レインジャーは月への衝突が目的だったようで、ロケットの不調も相まって、四苦八苦して、しかしそれでもレインジャー7号で、遂に月面衝突と近接写真撮影に成功にしたので、大々的に報道され、記憶に残ったですね。

 

写真は電送写真の要領で、衝突までに電波発信して地球に送ったものと思います。1964年頃ですから、自分は12才で、物心つき、最も宇宙開発にも燃えてた頃でしたねえ。NASAの次のサーベイヤー計画が、ブログにもよく出てくる、米国の画期的月軟着陸シリーズでありますな。

 

3脚で垂直逆噴射降下して、軟着陸に5回成功し、2回失敗したとあります。しかしソ連はその頃軟着陸の技術が無かったので、1968年ゾンド6号を月の裏側を回って地球に帰還させると言うチビるようなミッションしたのが、個人的には感動的で、深く記憶に刻まれたのでした。

 

まあしかし、今回記事を読むと、実際には機器故障でボロボロで、着地は地面に激突して、粉々バラバラだったとありますね。辛くも戻って来たようでした。だから月面写真も何も無かった気がしますがどうたったですかね。フィルムカメラで撮って回収したんでしょうかね。

 

ここで記事は、もう有人月探査のアポロ13号となります。アポロ13号が助かったのは、優れたシステムの冗長性だったと思いますよ。それと搭載コンピュータが、まだ16進数のキー入力プログラムだったのが大きいと思いましたよ。

 

CPUは8ビットでは無かったでしょうか。電卓が4ビットでした。16進数のプログラムを打込むと、そのマシン語の通りにプログラムが走る、見えるコンピュータだったですね。恐らくは最小限の機器コントロールだけに使ってと思いましたよ。

 

写真見ると、ちゃんとこの16進数のキーボードが映ってて、アポロに積んでたのは、後のプログラム電卓程度だったことが分ります。今のクルードラゴンなどは、莫大なプログラムが組まれており、全て管制との通信でしかやり取り出来ないと思われますね。

 

さて最後の方に、愈々中国が出て来ますね。一番最近は月の裏側に着陸して、採取持ち帰りに成功しました。日本他も軟着陸には成功したことになります。その他記事ではイスラエル、インド、の失敗が続き、米国民間企業の着陸失敗も続きます。

 

ロシアも47年ぶりに軟着陸目指して失敗してます。プッチンは自国をソ連と勘違いしてるようですが、ロシアの国力では宇宙開発は無理と思いますよ。核を5千発持ってるので、世界は平伏していますが、核では宇宙開発出来ません。