お湯で溶いて、その中に肉や野菜を入れて煮ると
即座にカレーが出来上がるという
まさに現在のカレールーに通じる商品だったようです。
洋食の1つであるカレーライスはまだまだ贅沢な食べ物でしたが
即席タイプの商品がこうやって世に出てきたということは
つまりはそこに需要があったということ。
明治末~大正初めのこの時期、
東京エリアのある程度裕福なお家では、
それなりにカレーライスが食べられていたと考えられますね。
2つの即席カレーは東京から生まれましたが
この時期に東京では国産カレー粉が誕生していないのも注目ポイント。
ブランド志向の強い東京は、要のカレー粉はイギリス製のものを使い
即席カレーを作っていたのではないかと推測。
逆に初の国産カレー粉を誕生させた大阪では
大和屋の「蜂カレー」に続き、
缶詰問屋の広木屋商店(後のメタルカレー、現・
大同株式会社)が
1915(大正4)年にカレー粉製造を始めているから面白いです。
大阪にはその後、浦上商店(現・ハウス食品)が誕生することになります。
関東大震災とカレー
この年、東京・高田馬場のノーブル商会が
調味料を加えて特殊な方法で固めた即席カレールーを開発、
「文化カレー」として実用新案として登録しました。
意外に思えるかもしれませんが、この関東大震災というのは
東京におけるカレー普及の要因の1つだったようなのです。
『関東大震災は酷い被害をもたらしたし、古い秩序や価値観を一新させてもいる。たとえば、江戸時代からずっと畳敷きだったそば屋が、いまみたいな椅子のスタイルに変わっていくのも震災以降の建て直しのときからだった。そして、外見が変わるのと一緒にメニューでも新しいものを受け入れている。カツ丼、ライスカレーなどが登場するのもこのころからなのである。』
エスビーとハウス 産声上げる
現在に通じるカレーメーカーもこの時期に台頭してきます。
まずは現・
ハウス食品の浦上商店も1913年に大阪で始動。
得意先からカレー粉の販売を委託されたことが始まりですが
1926年(大正15年)には会社を譲り受け、
「ホームカレー粉」の製造・販売がスタートすることになるのです。
1923年(大正12年)にカレー粉の製造に成功し
東京・浅草の七軒町にて創業することに。
東京にもようやく国産カレー粉の風が吹きはじめることになります。
一歩先行くノーブル商会
一歩先ゆく即席カレーを手掛けていた
既述のノーブル商会はさらなる開発行っていて、
即席カレーである「文化カレー」を使いやすくするため
粉末状にした商品「スヰート(スイート)カレー」を発売!!
その製法の特許も得ていたようです。
ノーブル商会は1932年(昭和7年)には、
即席カレールーを最中に詰めた「カレーモナーカ」も発売!!
これも実用新案を得ました。
このあと登場するエスビーのモナカカレー(1959年発売)が
モナカ系の元祖だと思ってましたが、
ノーブル商会はその27年も前にモナカカレーを手掛けていたとは!!
カレーの歴史を扱うサイトの多くは大々的に取り上げていませんが
日本のカレー史を考える上でかなり重要な会社のようですね!!
さて、大正から昭和のはじめにかけての時期になると
カレーライスは日本各地に広まりつつあったようです。
・西洋野菜のジャガイモ・玉ねぎ・ニンジンが普及し、これらを使いカサ増ししやすくなったこと。
(イギリスから伝わったカレーは肉がメインの食べ物でした)
・牛肉よりもリーズナブルな豚肉が普及するようになったこと。
・モボ・モガ(モダンボーイ、モダンガール)に代表されるように西洋化へのあこがれが強まった時代だったこと。
・カレーライスが軍隊食に採用され、軍隊で覚えたカレーを兵隊さんたちが故郷で広めていったこと。
様々な要因が重なった結果だったのではないでしょうか。
※実際にカレーライスを口にできたのは比較的裕福な人たち。この頃の多くの庶民は裕福ではなかったので、日本全体で考えると食べたことがない人の方が圧倒的に多かったと考えるのが妥当でしょう。カレーライスという存在は知っているけど食べたことがない・・。そんな憧れが戦後のカレー普及→国民食化に影響しているのではと自分は考えています。大正期の考察はこちらがわかりやすいです。
第一次カレー産業隆盛期
そんなこともあり、大正末期から昭和初期にかけては
カレー粉製造を目指す人達が次々と現れてきます。
こちらのサイトでは「第一次カレー産業隆盛期」と紹介されてますが
まさにそんなカンジですね!!
1927年(昭和2年)、名古屋で双葉屋商店(現・
ロークス本舗)を創業し、
即席カレールー「双葉屋ロークス」を発売しています。
浦上商店(現・ハウス食品)の「ホームカレー」は、
改良を重ねた結果少しずつ売り上げを伸ばしていきます。
そして1928年(昭和3年)、今につながる新しいブランドが誕生。
ホームカレーからハウスカレーへ生まれ変わったのでした!!
日賀志屋(現・エスビー食品)は、カレー粉の研究をさらに進め、
輸入品の「C&Bカレー粉」に勝るとも劣らないカレー粉を、
1930(昭和5)年に誕生させ普通品の商標は「ヒドリ印カレー」
高級品は「サン・バード(太陽と鳥)」を併記して発売することに!!
※Sun&Birdの頭文字でS&B
1931年、甘利商店(現・
甘利香辛食品)が創業し「花印カレー粉」を販売。
美津和ソースは、1932年(昭和8年)、カレー粉の製造を開始。
美津和カンパニーの頭文字をとって「M&Cナイト純カレー粉」としました。
ここからは資料が少ないので情報のみで。
1930(昭和5)年、笹原商店 「リス印C&Sカレー粉」。
1931年、金鶏商会(現・
平和食品工業)「森永カレー」「キンケイカレー」。
1931(昭和6)年、ブルドックソース食品 「ブルドック印純良カレー粉」。
1932(昭和7)年、山田商会 即席カレールゥ「OBカレー」 。
1935(昭和10)年、佐藤食品工業所(現・
水牛食品) 「昭和カレー」。
1935(昭和10)年、昭和香辛料(現・
ムアー食品)「ムアーカレー」。
1935(昭和10)年、旭食品商会(現・
ナイル商会)「エビスカレー粉」。
1937(昭和12)年、多務良商店(現・多務良屋)「太陽鷲印純カレー粉」。
1938(昭和13)年、高橋商店(現・
テーオー食品)「サンイーグル印カレー粉」
太平洋戦争に突入
さて、第一次カレー産業隆盛期という言葉の通り、
国産カレー製品は大いに盛り上がるのですが・・、
1941年12月、日本は太平洋戦争に突入することに。
戦時体制に入ると、食料統制のため、
カレー粉の製造と販売は
軍用食のためをのぞいて中止されることになってしまいます。。
1945年8月15日、 日本敗戦。
戦後のカレー産業
さて、戦後です。
手持ちの晴れ着やコート、袴など
大事にしてきた衣類を、食べ物を手に入れるために
農家や闇市で食糧と換える生活がくりかえされ、
カレー業界も、こうした苦境の中で製造を再開することになります。
オリエンタル即席カレーは終戦の年の1945年11月に発売となりました!
あらかじめ炒めた小麦粉とスパイスを合わせた
ノーブル商会のスヰートカレーのような
パウダー状の即席カレーだったようですね。
当時の人々はカレーに対する憧れはあっても、
それが家庭で食べられるという発想がなかったので
創業者はその思い込みを払拭するべく奮闘!
ちんどん屋に先導させたリヤカーに商品を積み込み、
今の店頭PR販売のようなスタイルで商品を売り歩いたんだそうな。
あんぱん1個5円の時代に「即席カレー」の価格は5皿分で35円。
決して安くはなかったのに、愛知県内では飛ぶように売れたそうです!
GHQ下の日本
敗戦により、GHQの占領下にあった日本。
1946(昭和21)年にはGHQから小麦粉(メリケン粉)が供出され、
東京の89校で試験的に学校給食が行われたことがきっかけで、
カレー業界も積極的に学校給食に協力することに。
この年は横浜交易食品(現・
交易食品)が「コーエキ印純カレー」発売。
福岡では大盛香辛料研究所が設立されています。
1948(昭和23)年4月には、業界の手持ち原料で
東京の学童給食にカレーを出すことになり好評を博することに。
これにより農林省が澱粉を供出し、
GHQも香辛料5トンを放出したので、業界は活況を取り戻しました。
また、この1948年は世田谷区三宿に東京香辛料が設立されたり、
黒川与兵衛商店が「月美人印のカレー粉」の製造を再開したり、
山城屋(現・
日本調味食品)が「山城屋のカレー粉」を発売するなど、
カレー業界は戦後の混乱期から脱しつつあったのでした。
戦前の姿に戻ったかのように見えてきた業界ですが
敗戦国日本はGHQにより対外貿易に対して拘束を受けており…、
そのためスパイスの輸入が思うようにいかなくなってしまいます。。。
そんな中、日本の要請に応えてスパイスを供給してくれたのが、
インドミッション(外交使節団)。
そして、この時に影の力となって働いてくれたのが
後に
ナイル商会としてインデラカレーを作ることになる
東銀座ナイルレストランの初代オーナーA.M.ナイル氏でした!
日本人とも深い付き合いがあったナイル氏は
インド使節団の考慮から使節団の顧問を務めており、
日印友好の架け橋となり、日本のために努力してくださったのです。
ハウス再始動
A.M.ナイル氏の尽力により
大量のスパイスがインドを出航した1949(昭和24)年。
ハウス食品もついに営業を再開することに。
社運をかけて即席タイプの「即席ハウスカレー」を発売したところ
関西を中心に好スタートを切ることになります!
オリエンタル即席カレーも即席ハウスカレーも
即席タイプであったもののどちらも粉末状。
戦前がそうであったように、
当時カレーと言えば基本的にはカレー粉を意味していて
実際、1950(昭和25)年にエスビーは
今も愛されるロングセラー商品、赤缶のカレー粉を販売したのでした。
時代は粉末から固形へ
時代は粉末状から固形へ。
この辺りから固形ルーという新しいスタイルがやってきます。
赤缶の発売と同じ年の1950年に
キンケイが固形タイプのカレールー「キンケイミルクカレー」を発売。
ユニークな石鹸のような形状だったようですが
その形ゆえに石鹸と間違えて使ってしまった人もいたんだとか。
板チョコ型の発明
そして、1952年に画期的な商品が登場します!
現在のカレールーに通じる板状の形を初めて採用した
ベル食品(現・
ベル食品工業)が発売した「ベルカレールウ」です!