日本のカレー史 国産カレー製品の登場~変遷 | スパイシー丸山「カレーなる365日」Powered by Ameba

日本のカレー史 国産カレー製品の登場~変遷

日本のカレーの歴史。
 
記事の引用で何度かブログアップしていますが、
 
自分でもしっかりまとめてみたいと思っているんですよね。
 
とはいえ、全てを網羅しようとすると
 
情報量が膨大すぎてまとめるのに時間が・・。
 
部分、部分に分けて、気が向いた時に書いてみようと思います。
 
 
今回は日本のカレー製品の登場~変遷についてです。
 
さて、本題に行く前に、
 
カレーライスという食文化はどのような経緯で日本にやって来たのか?
 
ざっと駆け足でおさらいしてみましょう。
 
カレーの伝来
 
 
日本にカレーがやって来たのは幕末期の1860年前後。
 
開国とともに外国の文化が入ってきますが、
 
イギリスにより西洋料理の1つとして伝えられました。
 
※1859年の開港(横浜・長崎・箱館)あたりではないかと。この開港の主な取引先はイギリスでした。
※イギリスはインドを植民地にしていましたが、現地でカレーの美味しさに目覚めたイギリス人が本国イギリスに持ち帰り、その美味しさはイギリス国内に広まることに。徐々にイギリス流に変化し、日本に伝わったようなシチュー式カレーライスがこの時期ポピュラーになっていたのです。イギリス式カレーの誕生と衰退はこちら

 

 
カレーライスは今でこそ日本の庶民の食べ物ですが、
 
西洋から伝わってきたこのめずらしい食べ物は、
 
当時はお金持ちの上流階級の人しか口に出来なかった特別な料理。
 
というか、カレーライスをはじめとする洋食自体が
 
庶民は決して口にできない、超セレブ食だったのでした!!
 
 
明治期のカレー
 
明治時代に突入すると外国文化はどんどん入ってきます。
 
西洋料理店は東京の中でも増えていきますが、
 
これまた一般庶民が西洋料理に触れる機会は少なく、
 
その多くは外国人を対象にしたホテルが中心でした。
 
そこで提供されるメニューにはもちろんカレーライスもあり、
 
『C&Bカレーパウダー』というイギリスで大人気のカレー粉を輸入し
 
イギリスのレシピを元に作られていたようです。
 
※C&Bカレーパウダーは今も販売中。日本ではネスレジャパンが取り扱っています。
 

 
日本初の国産カレー粉
 
西洋料理店の増加にともない
 
C&Bカレーパウダーの輸入量はどんどん増えていきます。
 
そこに目をつけたのが
 
大阪の薬種問屋「大和屋」の二代目・今村弥兵衛。
 

 
自分が取り扱っている漢方薬に似ていると感じたのか
 
1903年(明治36年)、独学でカレー粉を作ってしまうのです!!
 
そして、1905年には「蜂カレー」というネーミングで発売されることに!!
 
 
日本初のカレー製品であり、
 
日本初の国産カレー粉が大阪から誕生した瞬間でした!!
 
ちなみに、大阪の薬種問屋「大和屋」は
 
その後「今村弥」→「ハチ食品」という社名になり
 
業務用カレーやレトルトカレーを手掛けるメーカーに。
 
現在もカレーメーカーとして確固たる地位を築いているのでした。
(一般的にはレトルトのメガ盛りシリーズが有名です)
 
 
初の国産カレー粉「蜂カレー」の誕生は画期的な出来事でしたが
 
国産カレー粉が注目されるまではけっこう時間がかることに。。
 
発売後、すぐに大ヒット!的な情報は見つからなかったので
 
「蜂カレー」を軌道に乗せるまでけっこう苦戦したんだと思います。
 
※国産カレー粉が見直されるきっかけとなったのが1931年のC&Bカレー粉偽装事件。詳しくはこちら
 
 
日本初の即席カレー
 
初の国産カレー粉「蜂カレー」が1905年(明治38年)に誕生しましたが、
 
翌年の1906年にはユニークな商品が今度は東京から登場することに。
 
それが、日本初の即席(インスタント)カレー
 
東京・神田の一貫堂から発売された「カレーライスのたね」。
 

 
当時のカレーは
 
カレー粉と小麦粉を使って作る手間のかかる食べ物。
 
この「カレーライスのたね」はそんな手間を解消すべく
 
お湯をかけるだけで完成するというスグレモノだったんだとか!!
 
現在のカレールーとは違い、肉やカレー粉が固形化されたもので
 
熱湯をかければカレーになるドライフーズのような商品だったとのこと。
 
上の広告画像を見ると、缶のようなものに入っていて
 
円柱を切ったような形状だったようですね。
 
 
時代は大正となり1914年(大正3年)。
 
現在のカレールーの原型とも言える商品
 
「ロンドン土産の即席カレー」が
 
東京・日本橋の岡本商店より発売になります。
 
 
お湯で溶いて、その中に肉や野菜を入れて煮ると
 
即座にカレーが出来上がるという
 
まさに現在のカレールーに通じる商品だったようです。
 
 
洋食の1つであるカレーライスはまだまだ贅沢な食べ物でしたが
 
即席タイプの商品がこうやって世に出てきたということは
 
つまりはそこに需要があったということ。
 
明治末~大正初めのこの時期、
 
東京エリアのある程度裕福なお家では、
 
それなりにカレーライスが食べられていたと考えられますね。
 
 
2つの即席カレーは東京から生まれましたが
 
この時期に東京では国産カレー粉が誕生していないのも注目ポイント。
 
ブランド志向の強い東京は、要のカレー粉はイギリス製のものを使い
 
即席カレーを作っていたのではないかと推測。
 
逆に初の国産カレー粉を誕生させた大阪では
 
大和屋の「蜂カレー」に続き、
 
缶詰問屋の広木屋商店(後のメタルカレー、現・大同株式会社)が
 
1915(大正4)年にカレー粉製造を始めているから面白いです。
 
大阪にはその後、浦上商店(現・ハウス食品)が誕生することになります。
 
 
関東大震災とカレー
 
 
関東大震災が起きたのが1923年(大正12年)。
 
この年、東京・高田馬場のノーブル商会が
 
調味料を加えて特殊な方法で固めた即席カレールーを開発、
 
「文化カレー」として実用新案として登録しました。 
 
意外に思えるかもしれませんが、この関東大震災というのは
 
東京におけるカレー普及の要因の1つだったようなのです。
 
森枝卓士著「カレーライスと日本人」にはこう書かれています。
 
『関東大震災は酷い被害をもたらしたし、古い秩序や価値観を一新させてもいる。たとえば、江戸時代からずっと畳敷きだったそば屋が、いまみたいな椅子のスタイルに変わっていくのも震災以降の建て直しのときからだった。そして、外見が変わるのと一緒にメニューでも新しいものを受け入れている。カツ丼、ライスカレーなどが登場するのもこのころからなのである。』
 
 
エスビーとハウス 産声上げる
 
現在に通じるカレーメーカーもこの時期に台頭してきます。
 
まずは現・ハウス食品の浦上商店も1913年に大阪で始動。
 
得意先からカレー粉の販売を委託されたことが始まりですが
 
1926年(大正15年)には会社を譲り受け、
 
「ホームカレー粉」の製造・販売がスタートすることになるのです。
 
 
そして現・エスビー食品である日賀志屋は
 
1923年(大正12年)にカレー粉の製造に成功し
 
東京・浅草の七軒町にて創業することに。
 
東京にもようやく国産カレー粉の風が吹きはじめることになります。
 
 
一歩先行くノーブル商会
 
一歩先ゆく即席カレーを手掛けていた
 
既述のノーブル商会はさらなる開発行っていて、
 
即席カレーである「文化カレー」を使いやすくするため
 
粉末状にした商品「スヰート(スイート)カレー」を発売!!
 
その製法の特許も得ていたようです。
 
 
ノーブル商会は1932年(昭和7年)には、
 
即席カレールーを最中に詰めた「カレーモナーカ」も発売!!
 
これも実用新案を得ました。
 
 
このあと登場するエスビーのモナカカレー(1959年発売)が
 
モナカ系の元祖だと思ってましたが、
 
ノーブル商会はその27年も前にモナカカレーを手掛けていたとは!!
 
カレーの歴史を扱うサイトの多くは大々的に取り上げていませんが
 
日本のカレー史を考える上でかなり重要な会社のようですね!!
 
 
さて、大正から昭和のはじめにかけての時期になると
 
比較的裕福な家庭では口にする機会も増え、
 
カレーライスは日本各地に広まりつつあったようです。
 
・西洋野菜のジャガイモ・玉ねぎ・ニンジンが普及し、これらを使いカサ増ししやすくなったこと。
(イギリスから伝わったカレーは肉がメインの食べ物でした)
 
・牛肉よりもリーズナブルな豚肉が普及するようになったこと。
 
・モボ・モガ(モダンボーイ、モダンガール)に代表されるように西洋化へのあこがれが強まった時代だったこと。
 
・カレーライスが軍隊食に採用され、軍隊で覚えたカレーを兵隊さんたちが故郷で広めていったこと。
 
様々な要因が重なった結果だったのではないでしょうか。
 
※実際にカレーライスを口にできたのは比較的裕福な人たち。この頃の多くの庶民は裕福ではなかったので、日本全体で考えると食べたことがない人の方が圧倒的に多かったと考えるのが妥当でしょう。カレーライスという存在は知っているけど食べたことがない・・。そんな憧れが戦後のカレー普及→国民食化に影響しているのではと自分は考えています。大正期の考察はこちらがわかりやすいです。
 
 
第一次カレー産業隆盛期
 
そんなこともあり、大正末期から昭和初期にかけては
 
カレー粉製造を目指す人達が次々と現れてきます。
 
こちらのサイトでは「第一次カレー産業隆盛期」と紹介されてますが
 
まさにそんなカンジですね!!

1927年(昭和2年)、名古屋で双葉屋商店(現・ロークス本舗)を創業し、
 
即席カレールー「双葉屋ロークス」を発売しています。



浦上商店(現・ハウス食品)の「ホームカレー」は、
 
改良を重ねた結果少しずつ売り上げを伸ばしていきます。
 
そして1928年(昭和3年)、今につながる新しいブランドが誕生。
 
ホームカレーからハウスカレーへ生まれ変わったのでした!!


 
日賀志屋(現・エスビー食品)は、カレー粉の研究をさらに進め、
 
輸入品の「C&Bカレー粉」に勝るとも劣らないカレー粉を、
 
1930(昭和5)年に誕生させ普通品の商標は「ヒドリ印カレー」
 
高級品は「サン・バード(太陽と鳥)」を併記して発売することに!!
※Sun&Birdの頭文字でS&B
 
 
1931年、甘利商店(現・甘利香辛食品)が創業し「花印カレー粉」を販売。
 
 
美津和ソースは、1932年(昭和8年)、カレー粉の製造を開始。
 
美津和カンパニーの頭文字をとって「M&Cナイト純カレー粉」としました。
 
 
ここからは資料が少ないので情報のみで。
 
1930(昭和5)年、笹原商店 「リス印C&Sカレー粉」。

1931年、金鶏商会(現・平和食品工業)「森永カレー」「キンケイカレー」。

1931(昭和6)年、ブルドックソース食品 「ブルドック印純良カレー粉」。
 
1931(昭和6)年、飯野商会(現・ケー・アイ・エス)香辛料の原料販売開始。

1932(昭和7)年、山田商会 即席カレールゥ「OBカレー」 。
 
1935(昭和10)年、佐藤食品工業所(現・水牛食品) 「昭和カレー」。

1935(昭和10)年、昭和香辛料(現・ムアー食品)「ムアーカレー」。

1935(昭和10)年、旭食品商会(現・ナイル商会)「エビスカレー粉」。

1937(昭和12)年、多務良商店(現・多務良屋)「太陽鷲印純カレー粉」。

1938(昭和13)年、高橋商店(現・テーオー食品)「サンイーグル印カレー粉」
 
 
 
太平洋戦争に突入
 
さて、第一次カレー産業隆盛期という言葉の通り、
 
国産カレー製品は大いに盛り上がるのですが・・、
 
1941年12月、日本は太平洋戦争に突入することに。
 
 
戦時体制に入ると、食料統制のため、
 
カレー粉の製造と販売は
 
軍用食のためをのぞいて中止されることになってしまいます。。
 
 
1945年8月15日、 日本敗戦。
 
 
 
戦後のカレー産業
 
さて、戦後です。
 
手持ちの晴れ着やコート、袴など
 
大事にしてきた衣類を、食べ物を手に入れるために
 
農家や闇市で食糧と換える生活がくりかえされ、
 
たけのこ生活」という言葉が流行ったんだそうです。
 
 
カレー業界も、こうした苦境の中で製造を再開することになります。
 
まず、頭角を現したのが愛知県のオリエンタル
 
オリエンタル即席カレーは終戦の年の1945年11月に発売となりました!
あらかじめ炒めた小麦粉とスパイスを合わせた
 
ノーブル商会のスヰートカレーのような
 
パウダー状の即席カレーだったようですね。
 
 
当時の人々はカレーに対する憧れはあっても、
 
それが家庭で食べられるという発想がなかったので
 
創業者はその思い込みを払拭するべく奮闘!
 
ちんどん屋に先導させたリヤカーに商品を積み込み、

今の店頭PR販売のようなスタイルで商品を売り歩いたんだそうな。
 
※当時のオリエンタルの様子はこちらが詳しいです。
 

あんぱん1個5円の時代に「即席カレー」の価格は5皿分で35円。
 
決して安くはなかったのに、愛知県内では飛ぶように売れたそうです!
 
 
GHQ下の日本
 
敗戦により、GHQの占領下にあった日本。
 
 
1946(昭和21)年にはGHQから小麦粉(メリケン粉)が供出され、
 
東京の89校で試験的に学校給食が行われたことがきっかけで、
 
カレー業界も積極的に学校給食に協力することに。
 
この年は横浜交易食品(現・交易食品)が「コーエキ印純カレー」発売。
 
福岡では大盛香辛料研究所が設立されています。
 
 
1948(昭和23)年4月には、業界の手持ち原料で
 
東京の学童給食にカレーを出すことになり好評を博することに。
 
これにより農林省が澱粉を供出し、
 
GHQも香辛料5トンを放出したので、業界は活況を取り戻しました。


また、この1948年は世田谷区三宿に東京香辛料が設立されたり、
 
黒川与兵衛商店が「月美人印のカレー粉」の製造を再開したり、

山城屋(現・日本調味食品)が「山城屋のカレー粉」を発売するなど、
 
カレー業界は戦後の混乱期から脱しつつあったのでした。
 
 
戦前の姿に戻ったかのように見えてきた業界ですが
 
敗戦国日本はGHQにより対外貿易に対して拘束を受けており…、
 
そのためスパイスの輸入が思うようにいかなくなってしまいます。。。

そんな中、日本の要請に応えてスパイスを供給してくれたのが、
 
インドミッション(外交使節団)。
 
そして、この時に影の力となって働いてくれたのが
 
後にナイル商会としてインデラカレーを作ることになる
 
東銀座ナイルレストランの初代オーナーA.M.ナイル氏でした!
 
日本人とも深い付き合いがあったナイル氏は
 
インド使節団の考慮から使節団の顧問を務めており、
 
日印友好の架け橋となり、日本のために努力してくださったのです。
 
 
ハウス再始動
 
A.M.ナイル氏の尽力により
 
大量のスパイスがインドを出航した1949(昭和24)年。
 
ハウス食品もついに営業を再開することに。
 
社運をかけて即席タイプの「即席ハウスカレー」を発売したところ
 
関西を中心に好スタートを切ることになります!
 
 
オリエンタル即席カレーも即席ハウスカレーも
 
即席タイプであったもののどちらも粉末状。
 
戦前がそうであったように、
 
当時カレーと言えば基本的にはカレー粉を意味していて
 
実際、1950(昭和25)年にエスビーは
 
今も愛されるロングセラー商品、赤缶のカレー粉を販売したのでした。
 
 
時代は粉末から固形へ
 
時代は粉末状から固形へ。
 
この辺りから固形ルーという新しいスタイルがやってきます。
 
赤缶の発売と同じ年の1950年に
 
キンケイが固形タイプのカレールー「キンケイミルクカレー」を発売。
 
 
ユニークな石鹸のような形状だったようですが
 
その形ゆえに石鹸と間違えて使ってしまった人もいたんだとか。
 
 
板チョコ型の発明
 
そして、1952年に画期的な商品が登場します!
 
現在のカレールーに通じる板状の形を初めて採用した
 
ベル食品(現・ベル食品工業)が発売した「ベルカレールウ」です!
 
 
考案者はお菓子メーカーも手掛けていたので、
 
板チョコをイメージして考案したのでは、と言われているんですよね。
 
サイズは現在のカレールーの形よりも大きく
 
1枚が8人分、それが4等分出来るようになっていたそうです。
 
 
板チョコ型の固形ルーは使い勝手が良かったのか
 
その後、多くのメーカーが模倣することになり
 
日本のカレールーの主流スタイルに!
 
カレーが国民食になり得たのも、
 
この使いやすい形状も重要な要素だと思うんですよね。
 
偉大なる発明をしてくれたベル食品工業に感謝です!!
 
 
モナカカレーが大ヒット
 
家庭のカレーはカレー粉から即席カレー
 
さらに固形カレーへと進化していくことになりますが
 
エスビーは粉末状と固形の中間期とも言える1959(昭和34年)に
 
かつてノーブル商会が発売した斬新な商品“カレーモナーカ”を
 
「エスビー モナカカレー」として発売し全国で大ヒットします!!
 
 
即席モナカカレーはパウダー状のカレールーを
 
とろみを出す目的からモチ米で作ったモナカの皮に包んだもので
 
文字通りの“モナカカレー”だったんだそうな。

 
 
板チョコ型が主流に
 
翌年の1960(昭和35)年になると
 
固形化に取り組んでいたハウスが
 
「ハウス印度カレー」で固形カレーの仲間に参入!!
 
 
続いて同じ1960年に
 
グリコが固形タイプの「グリコ ワンタッチカレー」を発売し
 
 
1963(昭和38)年にはハウス食品が
 
子供カレー市場を開拓することになった「バーモントカレー」を発売。
 
1964(昭和39)年はエスビーが
 
“インド人もびっくり”のキャッチコピーでおなじみだった
 
「特製エスビーカレー」を発売することに。
 
 
エスビー「ゴールデンカレー」、ハウス「ジャワカレー」なども販売され
 
現在のカレールーに繋がる
 
固形タイプへと完全に移っていくことになるのでした。
 
 
その後も、さまざまなカレールーが発売され、
 
重要商品となるレトルトカレーの登場などもありますが、
 
今回のエントリーはこの辺で一度終えたいと思います。
 
 
まとめ
 
改めて調べてみて驚いたのは、
 
メーカーによるカレー製造は
 
戦後になってから盛り上がったのかと思ってましたが
 
大正末期から昭和初期にかけて相当数のカレーメーカーが現れ
 
第一次カレー産業隆盛期と呼ぶにふさわしい
 
かなりの盛り上がりが存在していたのですね!!!
 
そして、ノーブル商会に代表されるように
 
製法の特許を取った即席カレーがあったり
 
戦後エスビーがヒットさせたモナカカレーも1932年に世に出ていたりと
 
即席カレーの技術は
 
戦前にすでに下地が出来上がっていたことがわかったのも
 
個人的に大きな収穫となりました!!!
 
 
今回は「国産カレー製品の登場~変遷」ということで
 
カレー製品にスポットを当てて書いてみましたが
 
まだまだ、まとめてみたいことは山ほどあります。
 
時間を見つけて、
 
別の切り口での日本のカレー史をお届けしてみたいと思います。
 
 
参考文献
小菅恵子著「カレーライスの誕生」
森枝卓士著「カレーライスと日本人」
参考サイト

【平和食品(かつてキンケイカレーを製造)の監査役・河野善福氏(御年82歳)の個人HP】

カレー商品の歴史

 【交易食品HP】

 

 

スパイシ~~♪♪♪
 
 
 

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