カレーをイギリスに伝えたのは誰か?
日本のカレーは「インド→イギリス→日本」という
イギリス経由で“洋食”として伝わった食べものなのですが、
今回はそんなイギリスのお話し。
イギリスのカレーの歴史は、
ウォーレン・ヘイスティングというイギリス人のインド初代総督が
1772年にインドからイギリスへの帰途に、
「カレー」を作るためのスパイスと米を持ち帰ったのがはじまり!!
というのが、
まぁ、多くのカレー本や情報サイトに載っていて、
スパイシーさんも、そういうものだと思っていました!!!!
このウォーレンヘイスティング説に異を唱えたのが下の記事!!
昨年の10月に書かれた比較的最近のもなのですが、
こんなピンポイントでマニアックな所に興味を持ち、
徹底的に調べるとは、
めちゃくちゃユニークな記者さんですね!!!
まずは、記事を読んでから、
記事の後にたっぷりと書いた
スパイシーさんの考察をチェケラしてみてくださーーい♪♪
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カレーの歴史を洗い直したら大きな謎に突き当たった
日本カレーの“源流の源流”に迫る
(JB Press 2016年10月14日) 漆原 次郎
日本における「カレー」が、本場のインド由来でなく、英国を経由して日本に伝わってきたというのは知られている話だ。明治初期、文明開化に伴い英国から西洋料理の1つとして伝わったとされている。
そうすると、日本のカレー史にとって「インドから英国にカレーが渡った」ということが重要な点の1つとなる。英国は1600年に東インド会社を設立し、インドに進出。1858年から1947年まではインドを植民地としていた。当然、この強い関係から、インドから英国に食文化が紹介されて、英国におけるカレーが広まったことにはなりそうだ。
だが、誰がどのようにそれをしたのだろうか。
「ヘイスティングがカリを英国へ」原典は百科事典
日本ではさまざまな媒体で、1772年頃、英国人ウォーレン・ヘイスティングズ(「ヘイスティングス」「ヘイスティング」の表記もあり)が、カレーの原料となるスパイスをインドから持ち帰ったと説明されている。ヘイスティングズ(1732-1818)は、インド初代総督で、1772年当時はベンガル知事だった。インド総督に就いたのは翌1773年から1786年までだ。
S&Bの「カレーの世界史」には、1772年頃のこととして、「ヘイスティングスは、カレーの原料となるスパイスと当時住んでいたベンガル地方の主食である米をイギリスに持ち帰りました。このカレーと米を組み合わせたライスカレーはイギリス王室で大変な評判となり上流階級の人々へ広まり、次いで産業革命で頭角をあらわしてきた資本家階級など、生活に余裕のある人々へと広がっていきました」とある(最終確認2016年10月13日)。
また、ハウス食品の「カレーの世界史18世紀」には、「ウォーレン・ヘイスティングが、インドからの帰途、インドの料理で使われる粉末の混合スパイスと米を持ち帰ったのが1772年。(略)イギリスに一時帰国することになった際に、『これを国の友達にも食べさせてあげよう、自分もイギリスにいる間食べられないのはさびしいし・・・』というわけで、粉末のスパイスをあれこれ取り揃えて、または混合スパイスである『マサラ』や中でもとくに辛い『ガラムマサラ』を、ついでに米もいっしょに持ち帰ったのでしょう」とある(最終確認2016年10月13日)。
これらはいずれも、調味するための食材が初めて英国に持ち込まれた趣旨の記述だ。
企業が発信するこれらの似た記述は、何を情報源にしているのか。ハウス食品に聞くと、小菅桂子『カレーライスの誕生』(講談社学術文庫)などを元に作成しているとのことだった。また、S&Bからは、山崎峯次郎著『香辛料 その歴史とカレー』(凸版印刷)、『森枝卓士著『カレーライスと日本人』(講談社現代新書)、水野仁輔著『カレーライスの謎』(角川SSC新書)、そして小菅の同著の記述を主に参考に編集していると回答を得た。
情報源として共通する小菅桂子著『カレーライスの誕生』を見てみると、ヘイスティングズの名が出てくる。小菅はヘイスティングズについて、「『カリ』を一七七二年に持ち帰ったとある」としている。なお「カリ」は、タミル語の方言で「野菜、肉、食事」などを意味し、これが「カレー」の語源ともされている。
ただし、小菅の記述も別の情報源によるものだった。同著には「小学館『日本大百科全書』によれば」とある。そこで、原典をたどって『日本大百科全書』を見てみた。たしかに、「カレー粉」の項目にこう書かれている。
<(前略)日本に最初に紹介された西洋香辛料は、イギリスの『C&Bカレー粉』であった。これは、イギリスの初代インド総督ウォレン・ヘースティングズが、インドの『カリ』を一七七二年に本国に持ち帰ったものを、クロス・エンド・ブラックウェル社がイギリス人にあうように混合しなおしたもので、のちにビクトリア女王に献上したといわれている。(後略)>
1772年、ヘイスティングズは帰国していなかった
これで解決としたいところだったが、ふたたび謎にぶち当たってしまった。
英国ではヘイスティングズによるカレー伝来をどう伝えているのか知りたくなり、英語での情報検索を試みた。ところが、ヘイスティングズとカレーの関係をめぐる英国発の情報が、皆無といってよいほど見つからないのである。インターネットでは、英文で見つかったのは、S&Bが世界向けて発信する“About Curry”(カレーについて)というサイトや、日本人による高校英語のワークシートの題材での記述ぐらいだった。
そこで、チャールズ・ローソン卿という人物が1895年に著した『The Private Life of Warren Hastings(ウォーレン・ヘイスティングズの私的生活)』(ロンドン・スワン社刊)を読んでみると、本国の英国に「カリ」を持ち帰ったとされる1772年、ヘイスティングズは、「カルカッタでの新たな役職の仕事に忙殺されていた」とある。同年、彼はマドラス管区における参事会メンバーから、カルカッタ知事へと役職を移していた。そして、この年、ヘイスティングズが本国の英国に帰国をしたという記述は見当たらない。
別の資料にも当たってみる。英国の歴史家トーマス・マコーリー(1800-1859)が著した『Warren Hastings : An Essay(ウォーレン・ヘイスティングズ 随筆)』には、版によってヘイスティングズの年表がついている。それらを見ると、問題の1772年について、彼がマドラス管区参事会メンバーからカルカッタ知事への異動したことは書かれているものの、やはり本国に帰国したという記述はない。
ヘイスティングズの年表から、彼がインドに行った時期と英国に戻った時期を整理すると、表のようになる。少なくとも、『日本大百科全書』にある「ウォレン・ヘースティングズが、インドの『カリ』を一七七二年に本国に持ち帰った」という記述はありえなさそうだ。
ウォーレン・ヘイスティングズの略歴。赤字は渡航に関する記述。青字はインドの「カリ」を持ち帰ったとされている年代。
四半世紀前にはカレーのレシピが英国の料理書に
もしもヘイスティングズが「カリ」を英国に持ち帰ったのだとすれば、1764年から1769年にかけての一時帰国時か、1786年のインド総督退任後の帰国時以降となるだろう。
しかし、後者はありえなさそうだ。インド総督退任後の帰国時期には、すでにロンドンでカレー粉が売られていたとみられるからだ。英国の現代の料理著述家であるローラ・ケリー氏が、彼女のサイトの「The Origins of Curry Powder(カレー粉の原点)」という記事で、1780年代中頃のザ・モーニング・ポスト紙(その後デイリー・テレグラフに買収)に、カレー粉の新聞広告が出稿されていたと紹介している。
ちなみに、この広告には、「カレー粉と呼ばれる非常に貴重なこの食材は、かの有名なソランダーによって東インドから持ちこまれたもので」といった記述がある。「ソランダー」は、スウェーデン出身の植物学者ダニエル・ソランダー(1733-1782)と考えられる。だが、彼が参加した航海ではインドには寄っていないため、ソランダーがカレー粉を持ち込んだという広告の記述の信憑性は疑わしい。
では、1764年から1769年にかけての一時帰国時、ヘイスティングズがインドの「カリ」を英国に持ち帰った可能性はあるのだろうか。
これについては、残念ながら確証的な情報を得ることはできなかった。ただし、カレーのレシピについては、ヘイスティングズが「カリ」を持ち帰ったとされる1772年の四半世紀前にあたる1747年、すでに英国の料理本で紹介されていることは分かっている。
ジャーナリストの森枝卓士氏は前出の著書『カレーライスと日本人』で、大英博物館を訪れて見つけ出した1747年発刊の英国の料理書『The Art of Cookery Made Plain and Easy(明快簡易料理法)』に「To Make a curry the Indian way(カレーのインド式調理法)」が載っていることを述べている。ここで使われている香辛料は、ターメリック、ショウガ、そして胡椒だという。
ヘイスティングズがおそらく人生で初めてインドに渡った1750年よりも前に、英国で「インド式」としてカレーの作り方が料理書に載っていて、具体的な香辛料が書かれていた。少なくとも、ヘイスティングズが関わるより前に(関わっていればの話だが)、英国ではインド式を意識したカレー作りのための香辛料が存在していたことになろう。
分かっているのは、英国のカレーがインドから伝わったのは18世紀のいつかであるということ。しかし、誰がどのような形で、カレーを作るためのスパイスなどの材料をインドから英国に初めて持ち込んだのか。日本のカレーの“源流の源流”には謎が残されている。
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さて、ここからが、
記事を読んだ後にまとめた、スパイシーさんの感想&考察です。
読後、改めて調べてみたのですが、
英語でいくら調べても、
ウォーレンヘイスティングがイギリスにカレーを伝えた!!
という記述は、どこにも載っていないんですよね!!
カレー大国イギリスにカレーを伝えたのが
本当にウォーレンヘイスティングなら
英語版Wikipedia、英語によるカレーの歴史、その他の情報サイト
ウォーレンヘイスティングの人物紹介etcで
絶対にヒットするはずで、ヒットしないということは、
このような事実は“ない”と考えて間違いないかと。
いやー、これは本当に本当に大発見っすね!!!!!!
記事にもあるように、この情報のソースをたどると、
小学館『日本大百科全書』に書かれていた内容にたどり着くのですが、
当時の百科事典をまとめていた方による
“思い込み”の可能性が高い気がしてきたなー。
さて、次の考察に進む前に
イギリスによるインド支配の歴史をおさらいしてみましょう。
16世紀以降はムガル帝国がインドを支配していましたが、
第6代皇帝アウラングゼブ(位1658~1707)の死後、衰退していきます。
また、ヨーロッパ諸国のインドへの進出は、
15世紀末のポルトガルに始まり、次いでオランダが続きましたが、
既述の“ムガル帝国の衰退”と入れ替わるようにして
フランス、イギリスが登場してきます。
※どうしてヨーロッパの人々がやってきたのか??航海技術が発達したこの時期、スパイスがめちゃくちゃお金になるということがわかり、ヨーロッパ各国が南アジア地域にこぞって進出してきたのです。ポルトガルが最初に拠点をインド・ゴアに構えたり、オランダがスパイス貿易でものすごく儲けたりetc.イギリスだけの話ではないのでご注意を。ヨーロッパ諸国の猛者たちがスパイスを求めヨーロッパからアフリカ大陸経由で南アジア(インド)までやってきた!これが「大航海時代」。その際、行く方向を誤ってしまい、コロンブスやヴァスコダガマがアメリカ大陸を発見したのでした。
イギリスは17世紀以降、インドで貿易を本格化させます。
商売をするだけでなく、地元の権力者との交渉や戦いによって
土地もどんどん獲得していくようになります!!
フランスもインド支配に向けて力を入れていたのですが、
インド利権をめぐる戦いにイギリスが勝利してからは、
フランス勢力は衰退。。。
以降、本格的な英によるインドの植民地化がはじまることになります。
インドにおけるイギリスの動きが本格的になっていくのは
17世紀以降ですが、もう少しさかのぼると、
1600年には、すでにイギリス東インド会社が設立されていまして
イギリスとインドの関係は、実質的な支配がはじまるまで、
けっこうな時間がかかっているんですね!!
で、
そんな動きと呼応するように、
インドではイギリス人とインド人のカップルによる
アングロインディアンと呼ばれる人たちが生まれたり、
また、イギリスから一攫千金を狙いインドに渡った“インド成金”の
ネイボッブと呼ばれる人たちも現れるようになります!!!
インドで財産を築くことに成功した、ネイボッブたちは、
インドに住み続けた人もいれば、
財を持って、本国イギリスへ帰国した人たちも多くいたんだとか。
このブログでたびたび登場する
貴重なインド料理歴史本、リジー・コリンガム著「インドカレー伝」には
こんなことが書かれています。
『イギリス人の雇い主のためにつくるときでも、インドの料理人は挽きたての香辛料を、調理のそれぞれの段階でいれていく原則は守りつづけただろう。アングロ・インディアンが最初にインドのレシピを集めて祖国に持ち帰ったときは、彼らもこの原則にしたがっていた。18世紀のイギリスでは、ネイボッブたちはコリアンダーやクミン、カルダモンの趣旨やシナモンの樹皮を地元の薬種屋で購入していた。イギリスの料理本にカレーが最初に登場したころは、カレー粉に関する記載がなかった。』
貴重すぎる記録!!!!!
ですが、18世紀とはザックリした記述だなぁ。。。と思い、
日本語版Wikipediaでネイボッブを調べてみると以下の情報が。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%96
『ネイボッブ(nabob)は、イギリスのインド成金。イギリス東インド会社統治下のインドで巨富を築き、本国に帰還した者の中でも、特にインド風生活に染まりきった者を指した。ベンガル地方のムスリム太守の称号であるナワーブ (nawab) に由来する。』
『ネイボッブが生まれたのは主として18世紀中葉から19世紀初頭までの期間である。』
さらに英語版WikipediaでNabob(ネイボッブ)を調べてみると、
以下の内容が書かれていました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Nabob
『ヨーロッパにおける「ネイボッブ(nabob)」とは、インドやインド亜大陸の外国で裕福になった人物たちのことで、かなりの権力と影響力を持ってヨーロッパに戻ってきた。イングランドでは、この名前は東インド会社で働き財産を手に入れた男性に適用され、帰国時に富を使い、議会で議席を購入した。』
『問題は、これらの個人(ネイボッブ、その代理人、賄賂を受けた者)が、その富と影響力を使って議会を腐敗させるということでした。1772年のインドおよびイギリスの管理不備による東インド会社の財務崩壊は、東インド会社の活動と従業員に対するイギリス国民の怒りを呼び起こしました。』
では、イギリスにネイボッブがいつから現れたのか??
結論から言うと、よくわからなかったです。。。
というのもネイボッブとはもともと「インドの地方官」の意味。
1750年代あたりまでは本来の意味で使われ、
1760年代からインド成金を指すようになっていったんだとか。
※長文ですが日本語でネイボッブを詳しく追いかけている貴重なページはこちら→http://www.pu-kumamoto.ac.jp/~tosho/file/pdf/kb/15/1502.pdf
ネイボッブと呼ばれる以前の
インドで財を成して帰国したインド成金は
一体、いつからイギリスにいたのか??
ここがわかれば、もっと具体的な年数に近づけたんだけどなー。。
とはいえ、
今回のエントリーでスパイシーさんが言いたいのは
イギリスには、
インドで財を成し帰国したインド成金がいた!!という事実!!!
おそらく、そのインド成金のみなさんが
かつて住んでいたインドでの食事を懐かしみ、
インドのカレーをイギリスで再現していったのだろう、と。
今回のエントリーのきっかけである
冒頭の記事の最後は、このようにまとめられていました。
『分かっているのは、英国のカレーがインドから伝わったのは18世紀のいつかであるということ。しかし、誰がどのような形で、カレーを作るためのスパイスなどの材料をインドから英国に初めて持ち込んだのか。日本のカレーの“源流の源流”には謎が残されている。』
“18世紀のいつか”、とありますが、
もしかすると、それは、それ以前(17世紀?)からかもしれなく、
イギリスのインド進出によって生まれた
アングロインディアンやインド成金の存在により、
ゆるやかに伝わっていったのではないかと。
そして、ネイボッブ人口の増大によりカレーを欲する人も増え
徐々にメジャーな食べ物になっていったのではないかと
スパイシーさんは考えるのですが、いかがでしょう。
ま、少なくてもイギリスに伝えたのは
ウォーレン・ヘイスティングではない!!というのは
断言しても良いと思いますね!!!!!
さて、一部の人しか興味がないトピックについて
長々と書いてみましたが(笑)
ネットや書籍で引用されているカレーの歴史に関する情報って、
改めて調べなおしてみると、
「実は少し違っていた・・」ってことも、まだまだありそうですね。
時間を見つけて、
いろいろ調べてみたいと思いまーーす。
スパイシ~~♪♪♪
スパイシー丸山へのお問い合わせ、出演、お仕事のご依頼はこちらまで。
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http://lifemagazine.yahoo.co.jp/articles/53
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