いきなりですが

私って障害を持ちながら

生活しています。

心理学を学ぶ前から

身体も不自由で

心も不自由のまま

ストレスを抱えながら

生きてきたのですが

私のことを少し詳しく

話そうと思ってますニコニコ

お時間がある方は

読んでみてねラブラブ

 

 

昔書いた記事がこちら▼になるので

サクッと読みたい方はこちらへどうぞ。

 

 

 

 

私は20歳の時に脳内出血を起こし

身体不自由になりました。

身体だけではなく

脳内出血なので

脳にダメージがあります。

 

 

不自由だけど歩けて

たまにおかしいけど喋れて

一生懸命生きてる私を

周りの人は「普通の人」だと

思ってくれてる。

 

 

障害を気にする事なく

「私」を見てくれてるのは

すごく嬉しい。

「嬉しい」という表現も

前提が「私は違う」という事だから

あれなんだけど(苦笑)

 

 

それでも

身体の障害でもあるから

隠したくても隠せないし

露骨に距離を置かれる人だって

実際いるから

露骨に悲しい接し方をする人に対し

「相手にするな」

「気にするな」

ということを言ってくれるのは

嬉しいとかありがとうとか

言葉だけじゃなく

深く感謝を感じる。

視線で距離を置かれるのも

こちとら辛いもんなので(泣)

 

 

体の不自由さもあるのと同時に

言葉も不自由がある。

言語障害という

脳の手術の中では割と

酷い出血だったみたいで

言語中枢も傷ついてると

執刀医に言われた。

 

 

 

 

つまりは

術後すぐは「失語症」と言われる

状態だったんだよね。

何か喋っても伝わらない。

そして

喋ってる自分でも

「あ、伝わってない」

というのが分かってる。

でも

それをわかるまで伝えようと

努力しても

不思議なことに

ますます分からなくなってしまう。

術直後はひどかったわ〜。

ホントに言葉が伝わらない。

今まで普通に伝わってたのに

伝わらなくなった衝撃は

凄まじかったです(汗)

 

 

おかげで

言語のリハビリは

血を吐くほど

練習した(比喩的な表現ね)

 

 

実際私は

通常より低めな滑舌っぷりで

大きな脳手術をしたから

高次脳機能障害という後遺症も

軽度ではあるけど持ち合わしてるし

言葉で表現するのが

とても苦手で

生きてく上で

言葉として伝える・喋る

というのは必須。

だけど苦手でね。

 

 

「私」をさほど知らない人は

麻痺と言語の後遺症は

至る所で現れてることを

理解できてない人の対応には

たくさん傷付きながら生きてるし

でも、言語障害だからこそ

伝えなくちゃいけない部分も

抜ける事も多いし

なんだかんだ言って

「お互い様」なんだから

支え合い・助け合いが

必要なんだなと思うよ。

 

 

泣いてもイイ

傷ついてもイイ

悲しくなってもイイ

辛くなってもイイ

 

 

って言ってみたけど

やっぱり辛い気持ちは

あまり感じたくない(泣)

でも

こんな自分だから

そばにいてくれる人もいるし

助けてくれる人もいるし

手を差し伸べてくれる人も

いるんだな

って

改めて思うのですよ。

 

 

それでも私と遊んでくれて

一緒に楽しむ人たちがいる事が

一緒に話せる人たちがいる事が

この上なく嬉しいんだなラブラブ

 

 

本当に本当に

ありがとう、と思ってる照れ

 

 

 

 

高次脳機能障害は

内傷・外傷どちらにおいても

後遺症として持つ可能性が

高いんだと思う。

 

 

「見えない障害」として

よく言われるのが

高次脳機能障害。

一見、身体的な障害は

一切ないように見えるけど

接していくとだんだん分かる。

 

 

言動・行動がある日突然

疑問を持つほどおかしくなり

脳の診察で調べてみたら

脳梗塞の痕跡があった、とかね。

いつまでも健康、って

思いたいけど思えない時も

いつかきっとあって

 

 

そんな時は

まず、「自分を知る」っていう事が

大切になるよ。

それは障害を持ってる人も

持ってない人も一緒。

 

 

自分ができる事と

できない事を明確にしておけば

大丈夫。

私の場合は

・早く行動できない(走る事も含む)

・地べた(床)に座りくいし立上がりにくい

・荷物など抱えるなど、両手作業ができない

・頻繁に足(股関節)が痛くなる

など

負担を感じる身体的な事

は代表的にコレ↑だし

後メンタル的には

・不安と焦り

が一番心労です。

これがMAXになると

うまくいかなくなる(汗)

 

 

だから

高次脳機能障害での批判を

言われたり読んだりするのが

辛いので

聞かない・見ない様にしてる。

言ってる人・書いてる人の

真意は計り知れないので。

 

 

「普通になりたい」って

完全に人と比べて自分を見てる。

これも私だけじゃなく

みんなそう。

 

 

今でも

「自分の特質」を出す事が

出来たり出来なかったり

行ったり来たりしてる。

弱さを見せるのは勇気がいる。

でも

隠すことなく出す様にしている。

 

 

「こんな事もできないなんて」

「できない私は馬鹿にされる」

「人が離れるのがイヤだ」

って

「出来るように」頑張ってた。

「出来ない自分」を隠してた。

 

 

頑張ってできた事もあるし

頑張ったけど出来なかった

事もある。

さらに頑張って無理して

身体壊した事もある。

 

 

でも、出来るようになった事で

今後の生活に活かせる様に

なってきた事もある。

無理して頑張ってきた事でも

要所要所で「自分の知識」として

使えば良いと思えばいいんだよ。

 

 

頑張って無理してる自分を

「基本ベース」に置くと

昔と同じになる。

体を壊すことの繰り返し。

 

 

昔の記事で

こんなこと書いてるの。

 

他人からの価値観や

自分自身の価値観は

他人を見て、他人に合わせたボール。

色眼鏡・思い込み・決めつけなど、

色んなモンくっ付いてるボールは、

私は、投げなくてイイし

受け取らなくてイイ。

投げてしまったボールは

誰かが受け取らないと、

本人に返ってくるだけ。

思い込んでる他人に

思い込んでる自分自身に、

返ってくるだけなんです。

 

 

出来ないのがダメなんじゃないんだ。

出来なくてもイイんだ。

出来ないのを自分で否定して

必死に出来る様に

1人で頑張らなくてもイイんです。

 

 

「障害」って

当たり前な事が出来なくて

「なんでそれくらい出来ないの」

と言う態度や言動や表情で

障害を持ってる人に

「負い目」に感じる

(ケースバイケースですが)

 

 

「多様性」が広がる世界で

マイジャッジが沢山あると

考え方の転換が多く出来る人と

出来ない人の差は歴然。

変えない・変われないを

ずっと続けてる人は

生きづらくなる。

 

 

・マイルール

・マイジャッジ

・べき・ねば

など

そこらへんを書いてる書込みを

ちょこっとピックアップしたYO。

お時間あるときにでも

読んでくだされ音譜

 

 

 

 

 

そんな

ありのままの自分を

まるっと受け止め

自分らい生き方を

見つけていこうラブラブ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好き」を大切にしよう。

あなたの「好き」は

最高の宝物だから。

 

 

いつもありがとう

みっぺでした🌻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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