今日(2023年9月14日)、阪神タイガースがセリーグ優勝しました。


おめでとうございます!
最後に投げた岩崎投手の姿が往年の山本和行投手とダブって見えたのは私だけでしょうか。
山本和行投手で一番印象に残っているシーンは1976年6月8日 後楽園球場で巨人の末次選手に逆転満塁サヨナラホームランを打たれた劇的なシーンです。
まあ負けた試合のことは忘れてしまいたいものですけど、、、。

 

1985年の優勝は掛布、バース、岡田のクリーンアップで打って打って打って勝チームでしたね。
ちょうど私が就職してバブルのど真ん中の東京原宿で阪神の優勝を経験しました。

今年もこれからは皆さんにいいことが起こりますように。
 

久しぶりにブログを更新。
生存確認の感がありますが、一応元気に仕事もやっています。
それなりに忙しい毎日ですが、このままでいいのかなという迷いもあります。
人生を選べる立場にはないのですが、(ないように感じさせられているのか?)
あと何年生きていくのかを考える歳にもなりました。

これからは少しづつでも生きている証を記していきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

「介護福祉士」は国家資格です。
国家資格は国家試験に合格して初めて貰えるものだと思っていました。
しかし、その資格者の人材が少ない場合、国家の権力で与えることができるのですね。
簡単に言いますと「介護の専門学校で2年学ぶと、卒業後5年間は介護福祉士資格とみなされる」のです。
皆さんご存じでしたか?
そのいきさつをみてみましょう。

2020年1月20日、厚生労働省は自民党労政労働部会の中で、2022年度から完全義務化(つまり必ず受験し合格しないと介護福祉士の資格をあげませんということ)をすると発表していた介護福祉士の国家試験について、経過措置を延長すること(つまり今のままにしますということ)を決定しました。

今回の経過措置の5年間延長(2026年度卒業生まで)は、養成校に通う外国人留学生が急増したことを考慮したものです。現状では留学生にとって国試のハードルは非常に高いので、このまま義務化を断行すれば、多くの貴重な人材を母国へ帰したり養成校の経営が大打撃を受けたりする結果を招くとして、関係団体などから再考を求める声があがっていました。

介護福祉士の質を向上させることを目的として2017年に打ち出され、「養成校の卒業後5年間は介護福祉士資格とみなされる」という経過措置が認められていました。

この経過措置は、2022年度に撤廃され、試験が義務付けられるようになる予定でしたが、試験の義務化により資格取得が難しくなると、現在増えつつある介護関係の外国人留学生にとって悪影響という意見が続出したらしいです。

今回の決定に至ったのは、国家試験の義務化が人材確保の足かせとなりうるためと考えられています。

今回のコロナ禍により、技能実習生が帰国できなくなり、仕方なく在留資格変更することとなったケースもあります。

今回、「資格」というものは四角四面で運用されるものではないことを知りました。

日本介護福祉士会の石本会長は、経過措置期間の延長だけでは抜本的な解決にならないとしたうえで、「資格に本質的な価値を位置付けなければ、新たな介護人材の確保も介護人材の定着も図れない」と声明を発表しました。

人材の確保の必要性とともに、質の向上もまた必要であるという意見が多く出ています。

 

水島新司さんの「野球狂の詩」をご存知の世代ならば、説明は必要ないと思います。
ショーマン 千藤光はまさに新庄剛志を彷彿とさせるキャラクターですね。
千藤光の方が先だから、新庄がインスパイアされたのか?

とまれ、両名とも強烈な記憶に残る選手であることは間違いない。

 

その新庄が岩田鉄五郎を目指して(?)、またプロ野球界に復帰するとのこと。
すごい!すごすぎる。
トライアウトに受かるか受からないかはこの際、どうでもいい。
そのチャレンジする姿勢に心打たれる。

さすが、新庄、宇宙人!
また、勇気を与えてもらった気がする。

 

ありがとう!新庄!

 

野球狂の詩 選手名鑑

https://www.ne.jp/asahi/krk/kct/mz/mz_kyo.htm

 

私は今、サラリーマンをやっていますが、
自宅にてテレワークを行っています。
特に問題なく、日々つつがなく進んいます。

今までしゃかりきになって満員電車にゆられて会社に行かなくても、
大丈夫だったのではないですか?

 

これからの働き方が大きく変わることを望みます。

 

日本は元々、農業国でした。
それが明治以降、大正、昭和とへて
近代化路線を走り続けることにより、
第2次産業、第3次産業へ多くの若い労働力が移りました。

地方から都会へ。
分散型社会から都市過密社会へシフトしました。

今回、緊急事態宣言が解除されない都府県は都市過密社会です。

 

アフターコロナの社会の基本的な社会の在り方は、
過密から分散社会。
2次3次産業から1次産業への回帰。
核家族から大家族へ。

そんなキーワードが頭に浮かびます。

 

介護の問題も医療の発達で寿命が延びたことが大きな原因かもしれませんが、

核家族になったことで、家族の絆、支えあいが失われたことも大きな原因だったのではないでしょうか。


働き方、ライフスタイルの大きな転換点が目の前にあるような、
とにかく、満員電車や狭いところで多くの人間が集まるようなことは
今後、避けられていくような気もしますし、

社会や個人のニーズに必要のないものは売れなくなっていくでしょうし、

存在自体もあり得ない、残ってもいけなくなってくると思います。


都会にいなくても十分に満足できる安心社会への大きなターニングポイントのとば口に
私たちは存在しているのです。

 

そんな気がします。



 

2011年3月に発生した東日本大震災時に、
東北から支援要請があり、
行くこととなりました。
結果として5年間、山形県米沢市を中心として

被災者支援活動を行うこととなりました。


もしあの時に定職に就いており、
やらねばならない仕事があれば、
そんなに長期間東北にはいなかったと思います。

全てはタイミングの問題だと思うのです。
その時に「風が吹いているのか 川が流れているか」
がなければ、つまり行くことが必然であれば、状況がそれを許してくれるのだと思います。

 

今回の新型コロナウイルスの全世界を巻き込んでの騒動はきっと大きな意味があるのだとおもっています。

 

このパンデミックの後の世界がどのようになっていくのか?
まだまだ見えていないのですが、きっと良い方向に社会が進んでいくことを信じ、
今を大切に過ごしていきたいと思っています。

 

だから人生は面白い。
 

今年の1月にこのような状況になると思った人は果たして何人にいたことでしょうか。
これからの4か月後はどのような社会になっているのでしょうか?
全く予想もできない状況にこの社会は突入しています。
テレンス・マッケンナのタイムウエーブ・ゼロ理論がまさに今、
その究極の形で実現しているような気がしています。
さて、このようなパンデミックの後、カオスの後、チャンスが生まれるような気がします。
世界が大きく変わるのはこのコロナで一瞬で変わることを我々は経験しました。

これからどんな社会になっていくのか楽しみです。
さて明日はどんなことがあるのでしょうか。

 

想えば、このブログは2018年10月以降、更新されませんでしたね。
この間もいろいろなことがありましたが、
ブログを書こうという気にならなかったのです。
あまり、自分のことを発信したくなかったというのが正直な気持ちでした。

いずれこの期間のことを書く時期がくるのかもしれませんが、
これからまた少しづつ、再開していきたいと思います。

もともと日記ですから、自分の備忘録のつもりで初めた訳です。
気楽に続けていけば良いのではないかと思います。

 

何故、今日からから再開したのかと問われますと、
東京新聞に田中秀征さん(元経済企画庁長官)の言葉をみつけたからです。
昔から聞いていた言葉ですが、

以下引用です。

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言葉は人間にとって、大事なものですが、政治家や官僚にはとりわけ重要です。
私は、官僚の言葉は人の頭に届け、
政治家の言葉は人の心に届けるものと思っています。

だから、官僚の言葉は理解されればそれですむのですが、
政治家の言葉は人が共鳴し、協力のために立ち上がるものでなければなりません。

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まさに正鵠をついた言葉だと思います。

新型コロナウイルスが引き金となって大きく社会が転換する時が来たのかと思います。
その時に政治家はどんな言葉を発するのか、
時代の証人として、しっかりと心に留めていきたいと思います。