今年に入って、夫に、わたしの思うことを話した。

それは「家族」のカタチについて。

 

でも、無理だった。

夫には不可能なことだった。

わかってはいたんだけど、、、最後の最後にもう一度だけ、もしかしたら、と、話してみたんだけどな。

 

 

わたし、自分の実家では、温かみも共感も安心感も味わえなかったから、だからこそ、笑いあえる家族というのに強い憧れがあったんだよね。

 

 

夫と「夫婦」のときは、まだよかった。

毎日、それなりにおもしろおかしく暮らしていたし、うちの家によく友達が遊びに来て、飲んで食べてしゃべってしていた。

仲の良い夫婦、だったように思う。

 

でも、こどもが生まれ、夫婦から「家族」になってから、夫とかみ合わないことが増えた。

そして、夫は「家庭」から目を背けるため「仕事」へ逃げ込んだ。

 

仕事を理由に、夫の帰宅時間がどんどん遅くなっていき、わたしは赤ん坊とふたり、社会から隔離された部屋に取り残されたような気持ちになった。

 

 

わたしは、夫に「おとうさん」になって欲しかった。

娘の話をしっかり聴き、共感し、安心感を与えてくれる「おとうさん」の姿を、見たかった。

 

それは、わたしが渇望して、けっきょく実の父から得られなかった「憧れの父親像」でもある。

 

でも、夫も無理だった。

わたしの思うような「おとうさん」にはなれなかった。

 

夫としては楽しいひとだったけど、おとうさんには向かないみたい。

 

こどものほうを向いているわたしと、どんどんかみ合わなくなっていったのは、当然のことか。

 

 

だけど、まあ、わたしの実父に比べれば、ずいぶんマシである。

実父は、わたしを脅し、不安を煽るだけだったから。

 

あれこれかかわらないだけ、ホント、マシ。

 

夫は、いまも家にはほとんど寝に帰るだけだけれど、生活費はきちんと入れてくれるし、こどもの教育費も出してくれる。

 

カネは出すけど、クチは出さない。

 

言い換えれば、

カネは出しているんだから、それ以上のことを望むな。

ということでもある。

 

 

わたし、おカネを出してもらっているんだから、仲良くしないといけないって思ってたんだよね。

仲良くしなければ、見捨てられる、とも思ってた。

 

だから、仲良し家族が一番で、それが平和だと思ってたんだけど。

 

夫を見ていて、

「カネは出すから、あれこれ求めないで」

というタイプもいるんだと。

 

夫は離婚するつもりなどないらしい。

 

「金銭的なことはなんとかするから、オレのことは放っておいて」

それが本音らしい。

 

 

 

なのでわたしも、もう割り切ることにした。

 

夫はもちろん、家事など一切しないけれど、それでじゅうぶん。

地域とのかかわりも、一切しないけれど、それでじゅうぶん。

 

きちんとお金を入れてくれるのであれば、

好きなことをやればいい。

好きなようにやればいい。

 

わたしが夫に対してあれこれ言わないのと同じように、夫も私に対してあれこれ言わないし、こどもに対してもあれこれ言わないから、これでじゅうぶん。

 

 

これって、わたし、さみしいのだろうか。

だけど、更年期もあってか、正直いま、夫のことは苦手である。

 

 

放っておいてほしい夫と、夫とかかわりたくないわたし。

 

それはそれで、うまくいっているのかもしれない。

 

 

うん。

やっぱり、これでじゅうぶん。

いまで、じゅうぶん。

 

 

あ。

ちなみに、夫は決して悪人ではない。

真面目でさえある。

 

時間って、ホントあっという間に経つもので。

新年が明けた、、、と思っていたら、もう新年度が始まった。

 

なんだかんだとスケジュールが埋まっている。

予定のない日は、睡眠がその空白を埋めている。

眠くなれば、昼寝もするし、夕寝もする。

それで夜も眠れるのだから、たいしたもんだ。

 

つねになにかしら(睡眠含め)やっているものだから、おかげさまで退屈からはほど遠い日々。

 

なんとなく、割り切れたのかもしれない。

ある意味、諦めがついたのかもしれない。

 

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少し前のことだが、、、。

大切なひとから、しょうもない冗談を言われた。

あきらかに冗談だとわかるもの。だけど、そこにはからかいが入っていて、わたしにとっては苦手なもの。

 

それまでは、とてもいい感じで会話が弾んでいたのだけれど。

その“からかい発言”を受けた途端、わたしの全身が一瞬にして冷たくなった。

血が冷え、心が凍った。

これは比喩ではなく、体感として得たものだ。

 

そして、その手の冗談をそのひとから聞くのは3回目だった。

 

前回も、前々回も、わたしは笑って流した。

 

もしこんなことで怒ったら、おとなげないと思われてしまう。

冗談の通じない面白くないやつだと思われてしまう。

おとなげなくて面白くないやつは、嫌われる。

 

 

嫌われるのは恐い。

相手の機嫌が悪くなるのも恐い。

そのため、笑って受け流すというオトナな対応をしてきた。

 

だから相手方は、わたしに対して、この手の冗談やからかいくらいなら平気なんだと認識していただろうと思われる。

実際、平気なひとにとっては、とるに足らないくらいのものかもしれない。

 

だけど。

わたしは嫌なんだ。

基本的に、からかわれるのが大っ嫌いなんだ。

 

これは、わたしの母親が、わたしをからかってばかりいたことに由来するように思う。

わたしにとってからかいは、コミュニケーションの潤滑油にはならず、亀裂でしかない。

 

でも、、、。

そういうことを知らなければ、わからないよね。

 

なので、勇気を出して、からかわれるのが苦手なことを、まっすぐに話した。

そのことを受け取ってもらえなければ、もう関係性が切れてもいいやと思った。

だって、これからもことあるごとにからかわれては、わたしの心がもたない。

それに、そのひとのことを好きでいたいからこそ、話した。

 

途中で涙があふれてきたけど、それでも話した。

そういえば、こういうことをひとに話したのは初めてかもしれない。

 

取り繕って、笑顔で誤魔化してきたから。

自分の気持ちを、自分の心を、見ないようにしてきたから。

 

 

で、結果。

そのひとはちゃんと受け止めてくれた。

というか、もともと私がそういうタイプだということに気づいていた節もあるのだけれど。

関係性が切れるどころか、グンと良くなった。

思いやりと優しさが増した。

 

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ということがあって、わたしも腹をくくることができた。

 

嫌なことは嫌だと言う。

ちゃんと言う。

 

相手の気を悪くするんじゃないか、傷つけるんじゃないかと心配し、自分の本音を隠すことは、相手のことも信用せず、そのうえ、自分の気を悪くし、自分を傷つけること。

 

それがすとんと腑に落ちて。

 

よし。

嫌なことは、嫌だとちゃんと言おう。

嬉しいことも、嬉しいってちゃんと言おう。

 

そう思うようになったら、交友関係に変化が起きた。

 

 

 

わたしのことを、むかしからチクチクねちねちかまってくるひとが、わたしの目の前から消えた。

見事にすっと消えた。

 

そして、とあることで10年くらい前に交流が途絶えたママ友から、

「ずっと気になってたの。あのときはゴメンね」

という連絡が入った。

 

ほかにも、あまり親しくなりきれなかったひとと、新たに信頼関係が築けたり。

 

ちょっかいかけてきそうなひとが、離れて行ったり。

 

 

なんだか、おもしろい。

 

視界がクリアになっていっている。

 

年明け早々、親が出てくる夢を見た。

父と母、そろって登場。

 

その夢の中で、わたしはあのひとたちと対決していた。

 

へらへら笑って取り合わない両親に、

「わたしがどんな気持ちこれまで過ごしてきたか、この本にいろいろ詳しく書いてあるわ!これを読んだら多少なりともわたしの気持ちは理解できるはず。ううん、でも、あなたたちは理解しようとなんてこれっぽっちも思っていないから、きっと読もうともしないし、読んだところで他人事でしょ。自分たちがしてきたことを正しいとしか思ってないんだから」

 

と、この本を親(特に母親)に向けて突き出していた。

 

 

 

 

そして、今朝がた、またあのひとたちが出てくる夢を見た。

 

今回の夢は、父や母からの悪意に押しつぶされそうになって、必死に逃げまどっているわたし。

 

夢の中で、

「助けて!」

と、外に向かって叫ぶのだけれど、息が詰まって声にならない。

 

「助けて!」

「助けて!」

「助けて!」

 

何度も何度も、外の世界に向かって助けを呼ぼうとするのだけれど、、、、。

 

苦しさに、目が覚めた。

 

 

 

痴漢や暴漢にあったときは、まず大声で助けを呼びなさい。

と言われるけれど。

 

本当の恐怖の中では、息が詰まって、喉が締め付けられて、声にならないものだというのを体感した。夢の中でだけど。

 

 

親に助けを求めるのではなく、親から逃れるために、外の世界に助けを求めるわたし。

 

誰か!わたしをここから連れ出して!

 

そうなんだよね。

ずっとそう願っていた。

 

 

 

 

 

こんなにリアリティのある親に関する夢を見たのは初めてかも。