わたしの夫は、生活雑音が大きい。
ということは、何度か書いているのだけれど。
その音を聞くのが、聞かされるのが、とにかく嫌だった。
おならやげっぷ、咀嚼のくちゃくちゃ、舌打ち、などなど、、、。
音そのもの、その音自体、不快というのもあるけれど。
なんかね、音で責められているように感じていたのだ。
だって、おならやげっぷって、人前でするものじゃないでしょ。
(↑わたしのルール)
それをあえてするっていうのは、わたしのことをバカにしてるってことでしょ。
(↑わたしの解釈)
食事のときに音を立てるのはマナー違反でしょ。
(↑わたしのルール)
なのに、平気でくちゃくちゃ食べるのは、わたしのことなんてどうでもいいと思ってるってことでしょ。
(↑わたしの解釈)
舌打ちって、ムカついたり、腹が立つときにするものでしょ。
(↑わたしのルール)
それをことあるごとに何度もするっていうのは、わたしに対してイラついているってことでしょ。
(↑わたしの解釈)
この音問題については、何度か注意してもらうように言ったこともあるのだが、逆ギレされた。
それでますます、わたしのなかで夫に対する溝ができた。
でもね、気づいたの。
夫は、そういう音に関して、まったく無頓着なひとなんだと。
無頓着だからこそ、音を立てていること自体、無意識なんだと。
舌打ちも、単なる癖だから、無自覚。
それが、加齢とともに、ますます無頓着に無意識に無自覚になってきたってことなのだ。
そう。
わたしは関係なかった。
夫の生活雑音に、わたしは関係なかったのだ。
いま考えると、とてつもなく当たり前のことなのだけれど。
ちょっと前までは、夫の立てる音に、バカにされているような、責められているような、ひじょうに嫌な気分をその都度、味わっていた。
自分で勝手にそういった妄想を作り出していたのね。
その証拠に、わたしがあえて同じように音を立てても、無頓着な夫は、まったく動じないし、気にもしない。
逆に言えば、そういったことでは響きもしないし、伝わりもしない。
夫。
図太いヤツだね![]()
夫の生活雑音に対しての「なんで?」が消えた。