一応、見通しが立った。

といっても、わたしはなにもしていないのだが。

 

だって、関わりたくないんだもの。

どうしても気持ち的に関われない。

 

 

小さいころから、父のことを好きでいたくて、一生懸命に頑張ってきたけど、そのたびに振りほどかれ、心無い言葉でわたしを傷つけ、共感のひとかけらも見せなかった父。

 

その父との、本当の意味でのお別れの見通しが、やっと立った。

 

認知症を発症し、わたしのことは早々に認識できなくなった父。

父の記憶からわたしという存在が消えたのを知ったとき、わたしは心の底から安堵し解放された。

 

父のことは、まだ父の記憶に残る母と弟に任せた。

 

そして、ついに父が入院することになったとのこと。

圧迫骨折かなにかで、しばらく入院。

そのあとは自宅に戻らずグループホームに入所し、そこで「看取り」までお願いすることになったと、報告を受けた。

 

本来ならば、入院した場合、また母が世話をしに病院へ通うところなのだが、このコロナ禍のおかげで、面会不可。

病院側に任せっきり。

もちろん、わたしが顔を出す必要もない。

 

そして、ケアマネさんのアドバイスもあり、そのままグループホームへ、となったとのこと。

 

 

さて、ここで、母の心持ちは、、、と訊いてみたら、

「正直、ほっとした」と。

 

どんどん父の理不尽さが増していき、一生懸命に尽くしても暴言を吐かれ、やるせなさが限界になっていたと。

そして、

「もうね、何度も消えてしまいたいって思うほどだった」と。

 

そうかそうか、母もそんなことを思ったか。

やっと思ったか。

 

わたしは小さいときからずっと、消えたいって思ってたんだよ。

実家にいるとき、あまりの気持ちの通じなさに耐えきれなくて、ずっとずっと消えたいって思ってたんだよ。

 

わたしがポロっと、

「消えたい」

っていったとき、母は鼻で笑ったけれど。

母も同じ思いを味わったか。

 

同じ思いを味わったなら、母を許せると思った。

 

そして父には、このまま、わたしと関わることなくフェードアウトしてくれることを望む。

 

「おとうさん、死んじゃヤダ!」

って泣いてすがる姿に憧れはあるが、わたしにはできない。

 

ひとりの時間が必要だ。

いまは1日のうちで数時間、ひとりの時間が取れているので、比較的、落ち着いて過ごせている。

 

 

でも、考えてみれば、なかなかひとりの時間というのは持てないもので。

 

小中高のときは、基本的に学校と家の往復で、学校に行けば先生やクラスメイトがいて、家に帰れば家族がいて。

 

これって、幸せなことだと言うひともいるだろう。

 

でも、わたしにはひとりの時間が必要なんだ。

先生、クラスメイト、家族、、、それらの「ごちゃごちゃ」「がちゃがちゃ」がなだれ込んできて、消化しきれない。

 

それぞれに対応しなきゃ、と思うと、テンパってしまって、

(あわわ、あわわ、、、)

な状態になる。

 

そして、怒られる。

 

「ふつうにしてればいいのよ。ふつうで」

とよく言われたが、そのふつうがなにを意味しているのかがわからない。

 

でも、わたしにはわたしの「ふつう」があるから、じゃあ、それでやってみようと、わたしのふつうでやったら、また怒られる。

 

ふつうということについての感覚のズレは、いまも強くある。

 

 

だから、気を遣って、気を遣って、そのひとに合わせるように努力して頑張って過ごしているから、ほとほと疲れる。

 

 

ありのままの自分。

そのままの自分。

好きなことを好きだと言える自分。

嫌いなことからは離れたい自分。

愛想笑いをしない自分。

素直でピュアな自分。

 

そんな自分自身と会うためには、ひとりの時間が必要なのだ。

 

かまってほしいときもあることはあるが、だいたいにおいて、そっと放っていて欲しい。

 

でも、こういうのを「わがまま」と言うらしい。

 

わたしの、

「自分で何とかしなきゃ」

というクセ、思い込みは、やっぱり幼少期からのものなんだろうな。

 

ひとを頼ってはいけない。

ひとに甘えてはいけない。

ひとに迷惑をかけてはいけない。

 

わたしの父の大原則。

 

 

でもね、いまなら、わかる。

ひとはそんなふうには生きられない。

 

だって、

ひとは関わり合って、コミュニケーションをとって、持ちつ持たれつ、補い合って、やさしく暮らす。

それが人間なんだもの。

 

そしてわたしは、そういう世界が好きなんだもの。

 

関わり合って、労わり合って、やさしく暮らしたい。

 

 

でも、わたし、やっぱり、自分で何とかしなきゃ。

って思っちゃう。

 

 

 

よっぽどのことでなければ、医者にも行けない、頼れない。

しんどくても我慢して、何とか自力で治そうとする。

そして、こじらす。

大丈夫なふりを装い、そして、何も言わない。

 

やだねぇ。

 

これも、親からの呪いだねえ。

 

「自立心を育てたかった」

なんてあのひとたちは言っていたけど、まったくの逆効果だよね。

 

 

親に、頼ることも、甘えることもできなかった子は、

ひとに頼ることも甘えることもできなくなるんだよ。

だって、頼るとか甘えるって、信頼なんだもの。

親に対して、信頼がないんだもの。

 

 

そしてね、頼ることも甘えることもできなかったからこそ、妙に依存しちゃうんだよね。

そこに信頼などなくても、刹那的に、さ。

 

 

困ったときは、助けて!って言っていいんだよ。

わからないときは、教えて!って言っていいんだよ。

 

でね、ひとに甘えててもいいんだよ。

 

だって、あなたはピュアだもの。

ひとを騙そうとか、そんなことを考えてるわけじゃないもの。

 

愛される存在なんだよ。

 

ホントはね、みんながそうなんだよ。