ひとりの時間が必要だ。

いまは1日のうちで数時間、ひとりの時間が取れているので、比較的、落ち着いて過ごせている。

 

 

でも、考えてみれば、なかなかひとりの時間というのは持てないもので。

 

小中高のときは、基本的に学校と家の往復で、学校に行けば先生やクラスメイトがいて、家に帰れば家族がいて。

 

これって、幸せなことだと言うひともいるだろう。

 

でも、わたしにはひとりの時間が必要なんだ。

先生、クラスメイト、家族、、、それらの「ごちゃごちゃ」「がちゃがちゃ」がなだれ込んできて、消化しきれない。

 

それぞれに対応しなきゃ、と思うと、テンパってしまって、

(あわわ、あわわ、、、)

な状態になる。

 

そして、怒られる。

 

「ふつうにしてればいいのよ。ふつうで」

とよく言われたが、そのふつうがなにを意味しているのかがわからない。

 

でも、わたしにはわたしの「ふつう」があるから、じゃあ、それでやってみようと、わたしのふつうでやったら、また怒られる。

 

ふつうということについての感覚のズレは、いまも強くある。

 

 

だから、気を遣って、気を遣って、そのひとに合わせるように努力して頑張って過ごしているから、ほとほと疲れる。

 

 

ありのままの自分。

そのままの自分。

好きなことを好きだと言える自分。

嫌いなことからは離れたい自分。

愛想笑いをしない自分。

素直でピュアな自分。

 

そんな自分自身と会うためには、ひとりの時間が必要なのだ。

 

かまってほしいときもあることはあるが、だいたいにおいて、そっと放っていて欲しい。

 

でも、こういうのを「わがまま」と言うらしい。

 

わたしの、

「自分で何とかしなきゃ」

というクセ、思い込みは、やっぱり幼少期からのものなんだろうな。

 

ひとを頼ってはいけない。

ひとに甘えてはいけない。

ひとに迷惑をかけてはいけない。

 

わたしの父の大原則。

 

 

でもね、いまなら、わかる。

ひとはそんなふうには生きられない。

 

だって、

ひとは関わり合って、コミュニケーションをとって、持ちつ持たれつ、補い合って、やさしく暮らす。

それが人間なんだもの。

 

そしてわたしは、そういう世界が好きなんだもの。

 

関わり合って、労わり合って、やさしく暮らしたい。

 

 

でも、わたし、やっぱり、自分で何とかしなきゃ。

って思っちゃう。

 

 

 

よっぽどのことでなければ、医者にも行けない、頼れない。

しんどくても我慢して、何とか自力で治そうとする。

そして、こじらす。

大丈夫なふりを装い、そして、何も言わない。

 

やだねぇ。

 

これも、親からの呪いだねえ。

 

「自立心を育てたかった」

なんてあのひとたちは言っていたけど、まったくの逆効果だよね。

 

 

親に、頼ることも、甘えることもできなかった子は、

ひとに頼ることも甘えることもできなくなるんだよ。

だって、頼るとか甘えるって、信頼なんだもの。

親に対して、信頼がないんだもの。

 

 

そしてね、頼ることも甘えることもできなかったからこそ、妙に依存しちゃうんだよね。

そこに信頼などなくても、刹那的に、さ。

 

 

困ったときは、助けて!って言っていいんだよ。

わからないときは、教えて!って言っていいんだよ。

 

でね、ひとに甘えててもいいんだよ。

 

だって、あなたはピュアだもの。

ひとを騙そうとか、そんなことを考えてるわけじゃないもの。

 

愛される存在なんだよ。

 

ホントはね、みんながそうなんだよ。

 

今年に入って、夫に、わたしの思うことを話した。

それは「家族」のカタチについて。

 

でも、無理だった。

夫には不可能なことだった。

わかってはいたんだけど、、、最後の最後にもう一度だけ、もしかしたら、と、話してみたんだけどな。

 

 

わたし、自分の実家では、温かみも共感も安心感も味わえなかったから、だからこそ、笑いあえる家族というのに強い憧れがあったんだよね。

 

 

夫と「夫婦」のときは、まだよかった。

毎日、それなりにおもしろおかしく暮らしていたし、うちの家によく友達が遊びに来て、飲んで食べてしゃべってしていた。

仲の良い夫婦、だったように思う。

 

でも、こどもが生まれ、夫婦から「家族」になってから、夫とかみ合わないことが増えた。

そして、夫は「家庭」から目を背けるため「仕事」へ逃げ込んだ。

 

仕事を理由に、夫の帰宅時間がどんどん遅くなっていき、わたしは赤ん坊とふたり、社会から隔離された部屋に取り残されたような気持ちになった。

 

 

わたしは、夫に「おとうさん」になって欲しかった。

娘の話をしっかり聴き、共感し、安心感を与えてくれる「おとうさん」の姿を、見たかった。

 

それは、わたしが渇望して、けっきょく実の父から得られなかった「憧れの父親像」でもある。

 

でも、夫も無理だった。

わたしの思うような「おとうさん」にはなれなかった。

 

夫としては楽しいひとだったけど、おとうさんには向かないみたい。

 

こどものほうを向いているわたしと、どんどんかみ合わなくなっていったのは、当然のことか。

 

 

だけど、まあ、わたしの実父に比べれば、ずいぶんマシである。

実父は、わたしを脅し、不安を煽るだけだったから。

 

あれこれかかわらないだけ、ホント、マシ。

 

夫は、いまも家にはほとんど寝に帰るだけだけれど、生活費はきちんと入れてくれるし、こどもの教育費も出してくれる。

 

カネは出すけど、クチは出さない。

 

言い換えれば、

カネは出しているんだから、それ以上のことを望むな。

ということでもある。

 

 

わたし、おカネを出してもらっているんだから、仲良くしないといけないって思ってたんだよね。

仲良くしなければ、見捨てられる、とも思ってた。

 

だから、仲良し家族が一番で、それが平和だと思ってたんだけど。

 

夫を見ていて、

「カネは出すから、あれこれ求めないで」

というタイプもいるんだと。

 

夫は離婚するつもりなどないらしい。

 

「金銭的なことはなんとかするから、オレのことは放っておいて」

それが本音らしい。

 

 

 

なのでわたしも、もう割り切ることにした。

 

夫はもちろん、家事など一切しないけれど、それでじゅうぶん。

地域とのかかわりも、一切しないけれど、それでじゅうぶん。

 

きちんとお金を入れてくれるのであれば、

好きなことをやればいい。

好きなようにやればいい。

 

わたしが夫に対してあれこれ言わないのと同じように、夫も私に対してあれこれ言わないし、こどもに対してもあれこれ言わないから、これでじゅうぶん。

 

 

これって、わたし、さみしいのだろうか。

だけど、更年期もあってか、正直いま、夫のことは苦手である。

 

 

放っておいてほしい夫と、夫とかかわりたくないわたし。

 

それはそれで、うまくいっているのかもしれない。

 

 

うん。

やっぱり、これでじゅうぶん。

いまで、じゅうぶん。

 

 

あ。

ちなみに、夫は決して悪人ではない。

真面目でさえある。