ひとりの時間が必要だ。

いまは1日のうちで数時間、ひとりの時間が取れているので、比較的、落ち着いて過ごせている。

 

 

でも、考えてみれば、なかなかひとりの時間というのは持てないもので。

 

小中高のときは、基本的に学校と家の往復で、学校に行けば先生やクラスメイトがいて、家に帰れば家族がいて。

 

これって、幸せなことだと言うひともいるだろう。

 

でも、わたしにはひとりの時間が必要なんだ。

先生、クラスメイト、家族、、、それらの「ごちゃごちゃ」「がちゃがちゃ」がなだれ込んできて、消化しきれない。

 

それぞれに対応しなきゃ、と思うと、テンパってしまって、

(あわわ、あわわ、、、)

な状態になる。

 

そして、怒られる。

 

「ふつうにしてればいいのよ。ふつうで」

とよく言われたが、そのふつうがなにを意味しているのかがわからない。

 

でも、わたしにはわたしの「ふつう」があるから、じゃあ、それでやってみようと、わたしのふつうでやったら、また怒られる。

 

ふつうということについての感覚のズレは、いまも強くある。

 

 

だから、気を遣って、気を遣って、そのひとに合わせるように努力して頑張って過ごしているから、ほとほと疲れる。

 

 

ありのままの自分。

そのままの自分。

好きなことを好きだと言える自分。

嫌いなことからは離れたい自分。

愛想笑いをしない自分。

素直でピュアな自分。

 

そんな自分自身と会うためには、ひとりの時間が必要なのだ。

 

かまってほしいときもあることはあるが、だいたいにおいて、そっと放っていて欲しい。

 

でも、こういうのを「わがまま」と言うらしい。