しばらくの間、JR西日本で現在も運転されている企画列車「かにカニエクスプレス」の一派、ならびにそれ以前からの「かにシーズン列車」の運転の歴史を振りかえります。

 

今回からしばらくは、かにカニエクスプレス以前のかにシーズン列車を取り上げてゆきます。その初回は、びゅんと国鉄時代にさかのぼり、かつて播但線で運転された但馬の味覚号について触れます。この列車の当時の運行情報の入手は大変限られており、手元にある交通公社時刻表を中心に構成しております。これをご覧になられている先達の皆様において、なにか記載以外の手がかりがございましたら、コメントを通じてご教示いただけますと幸いです。

 

但馬の味覚号

播但線は播磨と但馬を結ぶルートにある路線であり、智頭急行が開業するまでは京阪神エリアから鳥取までの陰陽連絡の筆頭ルートでした。現在も兵庫県南北を最短で接続する役割を担っており、このシリーズで播但線経由のかにシーズン臨時列車をすでに、かにカニはまかぜ号かにカニ但馬号と紹介しているとおり、かにシーズン列車にはなくてはならない路線です。

 

 かにカニエクスプレスの一派を紹介しているため、民営化以降の動きと思われるかにシーズン列車の設定ですが、「かに」という固有名詞こそ列車名には付いていないが、明らかにかに目当てであろう臨時列車が1970年代中期ごろ設定されていました。

 

 但馬の味覚号と銘打った列車の運転開始は1974〜75年の冬から。この列車を紹介するついでに、そもそもなぜ兵庫県北部地域はかにで有名になったのか。その手がかりをカニという道楽(広尾克子著)に求めました。それによると、この列車の終着駅浜坂の手前に存在する香住にある温泉旅館、川本屋が1960年前半に提供をはじめた、かに料理(カニスキ)がブームの発端と見ることができるようです。その後幾多にも渡るストーリーが関係して現在に至るわけで、この重層的な歴史が「かにツーリズム」を深堀りする際の興味深い点となります。今のようにインスタグラムで一気に拡散とはいかない時代に国鉄を巻き込んだムーブメントはどのように拡大されたのかは文化史として大変興味テーマです。しかし私の趣味が鉄道である以上、この件に紙面を割けないのでご興味あれば前述の図書を手に取ってくださいw(私もこの本は手元において読み進めております)。

 

 さて、カニシーズンの臨時列車に話を戻します。この時期、財政再建をかかげる国鉄(大阪鉄道管理局)でどのような議論がなされたのか推察の域を出ませんが、但馬の味覚号の誕生は「かにツーリズム」の勃興と大阪鉄道管理局の思惑という2つの歯車ががっちり噛み合った結果に違いありません。なお冬の但馬エリアには但馬の味覚号以前からも急行但馬銀嶺号といったスキー列車が運行されており、閑散期の地方交通線で収益をあげることができる列車が存在していたのですが、スキー場へマイカーで向かう傾向が強くなっていたので、「かにとスキー」の両輪で収益向上を狙っていたと見れます。

 

 このブログにしては珍しく、一大文化史の様相となったのも、掘っても掘ってもこの列車に関する情報は運転時刻以外には特になかったからw。そのうえで絞り出した情報といえば、運転された4シーズンとも急行として設定され、キャリア前半は急行但馬号、急行但馬銀嶺号との「全区間併結」と聞き慣れない運転形態が取られます。座席の販売管理上の処置なのではと推察するのですが、趣味的観点ではどのような目的で設定されたのかが一目瞭然なのも嬉しい限りです。

 

 

  シーズンごとの運転状況

 

全シーズン共通 播但線経由

 

 列車種別と運転区間 

 運転区間は、全シーズンとも浜坂発着で設定されましたが、京阪神エリア側では最初の1974〜75年のみ始発駅が新大阪となっている点は注目です。2シーズン目からは往復とも大阪に揃ったのは、新大阪駅の容量が影響したのか、車両・要員の手配上の課題が生じたのかなど理由は特定できておりません。

運行シーズン 列車種別
1974〜75年 急行 新大阪→浜坂、浜坂→大阪 ※全車指定席
※全区間 臨時の急行但馬号、または但馬銀嶺号と併結
1975〜76年 急行 大阪〜浜坂 ※全車指定席
※全区間 臨時の急行但馬号、または但馬銀嶺号と併結
1976〜77年 急行 大阪〜浜坂 ※一部指定席あり
1977〜78年 急行 大阪〜浜坂 ※一部指定席あり

 

 

 往復の始発・終着駅発時刻と所要時間

 運転スケジュールは12月から3月の週末に運転されており、往路(京阪神エリア発)は土曜日、復路(浜坂発)は日曜日ときれいに揃っています。その運転ダイヤは現在かにシーズン臨時列車に共通する往路朝出発し現地で食事と宿泊後、翌日朝出発で帰路につく見事なテンプレ的旅程。この時代、土曜日は今のように休みではなかった時代ですので、土曜日運転の但馬の味覚号の利用客は、会社の慰安旅行のなど業務の一環(親睦を深める)で使っていたのかもしれませんね。

運行シーズン 始発・終着駅発時刻と所要時間
1974〜75年

新大阪発10:08 → 浜坂着15:05(4:57)●

12月は但馬50号(下り)、1月は但馬銀嶺2号と全区間併結

 

浜坂発9:55 → 大阪着15:00(5:05)★

12月は但馬50号(上り)、1月は但馬銀嶺1号と全区間併結

1975〜76年

大阪発10:12 → 浜坂15:08(4:56)●

12月は但馬52号、1月以降は但馬銀嶺2号と全区間併結

 

浜坂発9:56 → 大阪15:17(5:21)★

12月は但馬51号、1月以降は但馬銀嶺1号と全区間併結

1976〜77年

大阪発10:12 → 浜坂14:54(4:42)●

浜坂発9:56 → 大阪15:17(5:21)★

1977〜78年

大阪発10:12 → 浜坂14:42(4:30)●

浜坂発9:56 → 大阪15:17(5:21)★

●:土曜日運転、★:日曜日運転
※運転日によって発車、到着時刻が変更されているケースがありますが、ここでは代表的なダイヤを掲載しました。

 

ちなみに、1974〜75年から2シーズン行われた増発の急行但馬号と、急行但馬銀嶺号の特徴として播但線内の停車駅が上り、下りで異なっている点が挙げられます。私自身の備忘兼ねて明記しておきます。

1974〜75年

新大阪発 但馬50号(下り)、但馬銀嶺2号 ともに播但線内無停車

浜坂発 但馬50号(上り)、但馬銀嶺1号 ともに新井、生野、寺前、福崎

1975〜76年

大阪発 但馬52号(下り) 福崎、寺前、生野、新井

    但馬銀嶺2号  播但線内無停車

浜坂発 但馬51号(上り) 新井、生野、寺前、福崎

    但馬銀嶺1号  播但線内無停車

 

 

 使用車両・編成

 運用についた車両については、本当に推察の域を出ませんが、かにカニはまかぜ号のように特急型キハ181系が使用されたことは考えにくく、当時の国鉄の「台所事情」を踏まえれば、急行但馬号をはじめとした急行列車に汎用使用されていたキハ58、28系だったとするのが妥当と考えます。

運行シーズン 使用車両
1974〜75年 不明 ※急行但馬号との併結のためキハ58系車両と推察
1975〜76年 不明 ※急行但馬号との併結のためキハ58系車両と推察
1976〜77年 不明 ※急行但馬号と共通運用でキハ58系車両と推察
1977〜78年 不明 ※急行但馬号と共通運用でキハ58系車両と推察

 

 

本日は、以上です。

 

参考ページ:はまかぜ(列車)(Wikipedia)、兵庫おでかけプラス

参考資料:交通公社の時刻表(各年)、カニという道楽〜ズワイガニと日本人の物語〜 広尾克子著 西日本出版社