1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、60回目は、モーツァルトを取り上げます。

 

EC Mozart

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)、ザルツブルクの音楽家、ウィーン古典派の作曲家。

 

1756年にザルツブルクで生まれた世界的に有名な作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの名前は、第二次世界大戦後、ミュンヘンとウィーン間のアメリカ占領軍専用夜行列車(US Duty train 639/640)に初めて冠された。1954年5月23日夏ダイヤから、ドイツ連邦鉄道(以下、DB)がモーツァルト号と命名したF 39/40が、ストラスブールとザルツブルクを初めて接続。まだ創設されて日の浅いDBにとって、モーツァルト号は威信をかけたものであったが、パリとウィーンを連続した鉄道で結ぶという努力は、ÖBB(オーストリア鉄道)とSNCF(フランス国鉄)の否定的な態度により、当初は失敗に終わった。

 

複数のフランス鉄道資料によると、最初の数ヶ月間はET-11形電車(※ブログ筆者補足:車両製造当時はDR、のちのDBの車両)が使用され、ストラスブール〜ケール間はSNCF-230F形(元ALのP8)蒸気機関車 が、ケール〜ミュールアッカー間はDB-39形蒸気機関車が牽引したとされている。いずれにせよ、DBは遅くとも1954年9月以降、WRB4üとB4üの青色の特急用車両2種を提供している。列車はストラスブール発13:18、ザルツブルク着21:05で運転された(反対方向はザルツブルク発10:45~ストラスブール着18:09)。ただし、ストラスブールでは、パリ東駅発着の急行1/4列車(8:00発、23:35着)と接続が良い。

 

1956年6月3日、夏ダイヤに最初の変更が加えられた。三等級制見直しに伴い、モーツァルト号は1等車のみの列車となった。パリ行は、D 221/38 ウィーン西駅〜ザルツブルク間の併結列車がモーツァルト号に移され、ウィーン→ストラスブール間の直通運転が実現した。その結果D 221列車はウィーン発6:10(DB時刻表では正式にはモーツァルト号)、ストラスブール着18:15、同駅発18:25(パリ着23:45)。逆方向のF 39はストラスブール発13:20で、終着駅はザルツブルク着21:16となり、ウィーンへは直通運転されなかった。

 

1958年6月1日からの夏ダイヤでは、F 39はミュンヘン中央駅発着のみとなった。ÖBBが短距離便や直通車両を嫌った背景には、フランスとの旅客をめぐるDBとÖBBの相互競争があった。パリ〜ウィーン間の旅客は、ストラスブール〜ミュンヘン経由か、バーゼル〜チューリッヒ〜フェルトキルヒ〜インスブルック経由(バーゼルとチューリッヒで乗り換え)のいずれかを選択した。1958年チューリッヒ〜インスブルック〜ウィーンを直通のトランザルピン号導入後、モーツァルト号が運行されることで、ÖBBが威信をかけたパリ発着の新列車の乗客が奪われることになる。ストラスブールやミュンヘンを経由することによる所要時間の優位性や、乗り換えなしの移動の点で、モーツァルト号が有利であることは明らかであった。しかし、運賃収入という点では、ÖBBにとって、ザルツブルグ〜ウィーン間を通過するモーツァルト号よりも、トランザルピン号の方が当然有利である。

 

とはいえ、1961年5月28日からはまた進展があった: パリ~ストラスブール間の全線電化が完了する1年前、SNCFのDEV-Inox型客車が急行1/4列車に併結されるかたちで、パリ~ミュンヘン間(F 39)とザルツブルク~パリ間(F 40)を直通するようになった。1962年夏ダイヤから、2等車が連結されるようになる。SNCF客車はパリ発8:00で、ストラスブール着12:15。方向転換後、F 39はストラスブール発12:31、ザルツブルク着19:42。逆方向のF  40はザルツブルク発11:25→ストラスブール18:37着/18:55発→パリ東駅着23:06。ドイツでは、モーツァルト号はこのように1年間はF列車として2等車として運行されたが、1963年まではF列車の地位を失い、急行列車D 39/40となったためのは、F列車であったことが時代錯誤だといえよう。

(ブログ筆者補足:F列車(F-zug)はかつてドイツ国鉄が設けていた列車種別であり、遠距離急行列車が直訳ながら、実質は特急列車と言える存在)

 

そしてモーツァルト号の登場から10年となる1964年5月31日からは、トランザルピン号の大成功もあり、パリ・ウィーン間の直通客車も連結されるようになった。同時に、D 40のみ初めて夏期限定でミュンヘン〜ポルト・ボウ間を運行され、1980年代まで維持された。

 

その後の数年間、列車の編成と時刻表はわずかな変化しかなかった。パリからストラスブールに到着するSNCF客車(DEV-Inox型客車のA8u1両 と B10u1両、1968年からはUIC-Y型客車)は、ストラスブールでは1等車・食堂車合造車ARmzと数両の2等コンパートメント車BmからなるDB客車編成よって残りの旅程が補完される。フランスで1971年に実施された大規模なダイヤ改正の結果、列車番号はD 264/265に変更された。この時期、ストラスブールとパリを結ぶSNCF国内TEE列車クレベール号スタニスラフ号が導入されたが、同時にモーツァルト号がTEEに格上げされることはなかった。所要時間も数分の範囲でしか変わらない。

 

最高速度が160km/hに引き上げられ、フランス区間での所要時間が若干短縮されたことと、1977年5月22日以降、パリ~ウィーン間の車両がSNCFコラーユ型車両に、ストラスブール~ウィーン間の車両がÖBBからUIC-Z型車両(俗称「ユーロフィマ型」)に切り替わったことを除けば、1970年代に入ってもほとんど変化はなかった。

1978/79年冬ダイヤから、ストラスブール〜シュトゥットガルト間をDB-181.2型複圧式電気機関車が牽引し、ストラスブール〜ケール間のBB-20200型SNCF機関車に取って代わった。D 265のウィーン行編成は、急行101列車の直通客車としてパリ東駅発7:45→ウィーン西駅着22:45とし、以下の客車を搭載している:

 

・1 B10tu SNCFコラーユ客車 93号車 パリ→ウィーン (R 101 パリ→ストラスブールに併結).

・1 A9u SNCFユーロフィマ客車 94号車 パリ→ウィーン(R101 パリ→ストラスブールに併結)。

・1 Amoz ÖBBユーロフィマ客車 95号車(ストラスブール→ウィーン)

・5 Bmoz ÖBBユーロフィマ客車 96~100号車(ストラスブール→ウィーン)

 

上記以外に、ÖBBの2等客車が平日に個別に運行されている。さらに、DB WRbumz(「クイックピック型食堂車」)がケール発着で美食家の乗客のために多少なりとも運行され、反対方向ではDB ABm/Bmで構成されるミュンヘン→ポルト・ボウ間の短い編成が併結された。

 

1983年5月29日以降、モーツァルト号はついに全ルートで264/265列車という統一された列車番号になった。 1985年夏ダイヤでは、D 265はパリ東駅発7:52→ウィーン西駅着22:00(逆方向:ウィーン西駅発8:00→パリ東駅着23:01)。しかしながら、1989年までSNCFコラーユ客車3両(A9u 1両、B11u 1両、B10tu 1両)しか全区間走破していなかったことは注目に値する。この編成は、ストラスブール〜パリ間で数両のコラーユ型客車で補強されていた。ストラスブール〜ウィーン間では、SNCF客車にDBのARm1等・食堂車合造車、ÖBBのZ型客車 Amoz1両とBmoz5両が加わる。

 

1989年5月28日、この列車はユーロシティの認定を受け、1989年夏ダイヤからEC 68/69という新しい列車番号になり、それぞれ18分(EC 68)、10分(EC 69)分速達化された(パリ発7:52→ウィーン着21:20、ウィーン発8:38→パリ着22:10)。現在、フランスとオーストリアの首都を結ぶ定期列車は、Avmz(DB)2両、ARmz(DB)1両、Bmoz(ÖBB)2両で構成されている。パリ~ストラスブール間のみ3両のSNCF客車(A9u、B11u、B10tu)が、ストラスブール〜ウィーン間ではÖBBのBmoz6両が増結された。ちなみに、DBとÖBBの客車で構成される編成は、パリ東駅で折り返し(対向列車)ではなく、EC 57 ゲーテ号 パリ〜フランクフルト号(EC56とは逆方向)に移される。

 

1991年6月2日からの夏ダイヤでは、列車番号がEC 64/65に変更され、さらに所要時間が短縮された(パリ発7:52→ウィーン着21:05、ウィーン発9:00→パリ着22:10)。これにより、この列車は史上最短の所要時間を達成した。気密装置、電気空気圧ブレーキ装置、非常ブレーキオーバーライド装置を備えたÖBBの新型客車Z1型客車に車両を完全に改造したことで、ファイインゲン・アン・デア・エンツ発着区間ではDB高速新線のマンハイム~シュトゥットガルト間を走行し、アウグスブルク~ミュンヘン間では最高時速200キロの線路速度を利用することができるようになった。

 

パリ〜ザルツブルク間(パリ発17:53、対向はザルツブルク発12:09)の所要時間は双方とも10時間01分。ストラスブール(11:56発、18:07着)とザルツブルク間のモーツァルト号の所要時間は5時間57〜58分。1954年(所要時間東行き7時間47分、西行き7時間24分)と比較すると、最高で1時間半弱の短縮となる。ケールでの国境検問の廃止、同一電気機関車による牽引、高速区間ファイインゲン・アン・デア・エンツ〜シュトゥットガルト経由、アウグスブルク〜ミュンヘン間の最高速度200km/hを考慮すれば、むしろ扱いやすい時間短縮である。1991年(?)から2001年までの10年間、モーツァルト号はパリ~グラーツ間編成(EC 116としてグラーツ発7:57、EC 117としてグラーツ着22:05)を運行した。

 

度重なる増発により、1995年夏ダイヤから1年間に限って、EC 64/65のストラスブール〜シュトゥットガルト間を181.2型複式電気機関車重連牽引で運行する必要があり、機関車同士は「SNCF側」で連結しなければならかった。つまり、DBパレットを搭載したパンタグラフはそれぞれ外側にあり、そのため互いにできるだけ離れている。これにより、DB線内では最高速度160km/hが可能になる。SNCFパレットを搭載したパンタグラフが近接するしているため、SNCF線内の最高速度が100km/hと低くなっているが、全長8kmのストラスブール~ケール区間ではそれ以上の速度は出せないため、問題はない。

(ブログ筆者備忘:機関車同士をSNCF側で連結しなければならなかったという理由が、おそらく集電に関連する事由と思いますが、明確な理由がわかりませんでした)

 

もちろん、すべての機械が常に自動的に「正しい位置」にあるわけではないので、シュトゥットガルトでは定期的に迂回運転が必要になる。モーツァルト号の他に、ユーロシティ列車 マリー・キュリー号も、運用都合から重連牽引の栄誉に輝いている。残念なことに、この複雑な手続きは1年後に再び廃止され、編成も減車される...。この時期の機関車には3種類の塗装(スチールブルー、オーシャンブルー/ベージュ、オリエンタルレッド)があるため、写真家や鉄道ファンを喜ばせる9種類の美しい編成が可能である。

 

2002年12月ダイヤ改正で、パリ〜ウィーン直通のモーツァルト号に死刑宣告が下された。フランクフルト〜ケルン間の高速新線開通に伴うDBによるダイヤ再編成の過程で、DBはÖBBとSNCFの強い意向に反して、この列車の運行継続を全面的に拒否したのである。意外なことに、2008年12月まで、モーツァルト号の名称はÖBB車両で編成されたミュンヘン〜ウィーン間のユーロシティ(EC 68/69として)に使用されていたが、その後、ミュンヘン発着のÖBBレイルジェットが導入されたため、この列車名は過去帳入りとなった。不思議なことに、フランスの時刻表紙面や情報システムでも、2003年の時刻表でDB客車編成のユーロシティ EC 64/65 ミュンヘン〜パリ〜ミュンヘン間を、2002年12月以降数年間モーツァルト号として公式に掲載している。それだけではありません:モーツァルト号(「フランス」列車と「オーストリア」列車)はどちらも、ミュンヘンでの乗り換え時間がわずか11分か12分で、相互に無駄のない時刻表接続を提供しています。それでもなお、フランスとオーストリアの首都間の全距離を列車でカバーしたい場合は、EC 65 パリ発6:43で13時間22分後の20:05にEC 69でウィーンに到着することができる。対向列車の場合:EC 68でウィーン発8:00、EC 64でパリ着21:12(所要時間:13時間12分)。

 

これらの路線の起案者は、モーツァルト号を様々な区間で(残念ながら全ルートで)しばしば喜んで利用したことを認めている。特に1990年代の極めて快適なÖBB車両と、食堂車での高級スープ、ウィンナー・シュニッツェル、ザッハトルテなどのオーストリア料理は、最後まで旅の文化と楽しみに大きく貢献した。今日、TGVやICEのプレミアム列車で乗客に提供されているものとは、なんと対照的なことだろう!

 

しかし待ってほしい。それでも、少なくともモーツァルト号という列車名にとっては、報告すべき「幸せな結末」がある: 2014年12月14日より、グラーツ中央駅とプラハ本駅を結ぶレイルジェット RJ 372/373(ČD編成/ÖBB編成)はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト号の名を冠することになった。誰が想像できただろうか...!

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1991〜92年冬ダイヤ 

1等・2等のコンパートメント車、2等オープン座席車、食堂車、ザルツブルクで増解結。オーストリアの車両のみ。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)