1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、66回目は、トランザルピン号を取り上げます。

EC Transalpin

 

 

(この写真が参考文献に掲載されているわけではありません)

 

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

トランザルピン・・オーストリアとスイスを直結する鉄道線を指す

 

19世紀末からオーストリアとスイスを結ぶ鉄道の必要性がますます高まっていた。それに対応すべく1884年5月に、全長10.25km、海抜1,303mのアールベルクトンネルが開通した。第二次世界大戦後に2国間を毎日接続するのは、アールベルク・オリエント急行だけとなっており、所要時間は13時間以上となっており、ウィーン〜チューリッヒ間のより速達の列車の必要性がますます高まっていった。

 

しかし、ÖBBとSBBは、ヨーロッパ国際列車(TEE)を解決策とせず、2等車を連結した列車を採用した。こうして1958年6月1日から、ウィーン西駅~チューリッヒ中央駅間にZW- TS 12/TS 13-ZW トランザルピン号が誕生し、1962年からはバーゼルSBB駅まで延長運転された。トランザルピン号の運行ルートはすべて電化され、かつブッフスでも方向転換が必要なため(ただし、ザルツブルグ中央駅では方向転換を省略するためザルツブルグ・アイゲン駅に停車)、両国鉄は電動車、2両の中間車、小型厨房付き制御客車で構成されるトランザルピン用向けに特別改造されたシメリング・グラーツ・パウカー社製ÖBB-4130型電車を採用した。これでウィーン〜チューリッヒ間の所要時間を約2時間短縮することができた。

 

1965年5月30日以降、技術的、能力的限界に達していた4130型電車のトランザルピン号での運行を終了し、新型の4010型電車に置き換えた。その後20年間、ÖBBの「スター列車」として活躍したが、1977年5月22日施行の夏ダイヤで、機関車牽引の列車に置き換えられた。なお、この時点で魅力的なオレンジ色のエアコン付UIC-Z1の食堂車と1等座席車は、現時点ではまだ入手できておらず、ÖBBは、Am203型とAvmz111型の1等車とラインゴルト62型WRmh131食堂車をドイツ連邦鉄道(DB)から数週間の期間限定でレンタルしている。なお、ラインゴルト型コブ付食堂車にとって、トランザルピン号での運行が最後の定期運行となる。

 

青、ベージュと青、ベージュと赤の配色のDB客車と、すでにエアコン完備のオレンジ色のUIC-Z1客車による2等客車というカラフルな編成に加えて、ÖBB-1042型電気機関車とSBB-Re 4/4 II型電気機関車によって、トランザルピン号に華を添えている。1977年夏から、機関車牽引の「新」トランザルピン号にはEx462/463という列車番号が与えられ、1982年5月23日からはIC 462/463となり、最終的に1987年5月31日からはユーロシティ EC62/63となった。EC63の客車はまだ完全にオレンジ色で統一されている(しかし、それも長くは続かない:1987年のÖBB創立記念年 - キーワードは「オーストリアの鉄道150周年」:新しいグレー/ブラッドオレンジのカラーリングが初めて長距離客車に採用され、最初の塗り替え車両が間もなくトランザルピン号で見られるようになる)。SBB-Re 4/4 II型電気機関車牽引で バーゼルSBB駅発8:27で旅が始まる。アーラウ経由で最初の停車駅チューリッヒ中央駅着9:23。同型ながら別のRe 4/4 II型電気機関車に機関車交換後方向転換して、同駅発9:34で旅を続ける。ザルガンス、ブッフス(10:45着/10:53発、ÖBB-1044型電気機関車に機関車交換と方向転換)、フェルトキルヒ(アールベルク西側勾配を越えるプッシュプル機関車がすでに待機している)、ブルーデンツ、そしてインスブルック中央駅へと旅は続く。チロル地方中心地、インスブルック中央駅では、グラーツとクラーゲンフルト行客車が切り離され、インスブルック〜ウィーン間の客車が連結される。わずか11分後の13:35にインスブルックを出発、EC63はクーフシュタイン、「ドイチェス・エック」と呼ばれる回廊区間、ザルツブルク中央駅、リンツ中央駅を経由し、終点ウィーン西駅着19:00。こうして、885kmのルートを10時間33分、表定速度84km/hで走破する。これは、対向列車EC62にも適用され、同列車はマリア・テレジア号のちょうど2時間後、EC 64 フランツ・シューベルト号のちょうど2時間前となる9:00にウィーン西駅を発車する。

 

前述のユーロシティに加え、トランザルピン号はÖBBが提供する3つの客車編成も運行している:

・バーゼル〜グラーツ(1・2等合造車1両、2等車1両)→Ex 162/163 ダッハシュタイン号(シュヴァルツァッハ - ザンクト - ヴァイト、ビショフスホーフェン、ゼルツタール経由) 

・バーゼル〜クラーゲンフルト(1・2等合造車1両、2等車2両)発着の162/163出入国(上記参照)、およびシュヴァルツァッハ=ザンクト・ヴァイト駅でEC 20/21に乗り換え。

・インスブルック〜ウィーン(1・2等合造車2両とDDm客車2〜4両)。

 

これにより、トランザルピン号は1980年代、少なくともこのルートにおいて唯一の自動車輸送を担ったユーロシティとなった。

 

1991年6月2日夏ダイヤで、トランザルピン号はユーロシティ時代で最初の変更が発生する。 EC162/163という新しい列車番号が与えられ、途中で併解結する3つの編成がなくなり、大幅に加速された。EC162はウィーン西駅の発車時間が35分繰り下げられたものの、バーゼルSBB駅の到着時間は変わらなかった。逆方向のEC163はバーゼル発8:27に変更なく、終着のウィーンには従来より30分早い、18:30到着。ザルツブルグ中央駅での停車時間は両方向ともわずか3分に短縮され、同時にザンクト・ペルテン、ヴェルグル、イェンバッハ、エッツタール、ランデック、ザンクト・アントン・アム・アールベルク、ランゲン・アム・アールベルクという途中停車駅が追加された。トランザルピン号の所要時間は9時間58分(EC163)、10時間03分(EC162)に短縮され、表定速度はそれぞれ89km/hと88km/hに向上した。2年後の1993年5月23日からは、SBBは食堂車(EW IV型の「ケータリングWRm」)と真新しい1等展望車もトランザルピン号に導入し、今日まで繁忙期にも使用されている。1993年夏ダイヤから、EC162は従来より2分遅れでバーゼルSBB駅に到着、EC163は2分早く出発する。

 

1996年6月1日以降、所要時間は再び大幅に延びている: EC162はウィーン西駅への到着が1 5分ほど早くなり、EC163はそれに呼応するようにウィーン西駅への到着時刻が遅くなった。この主な理由は、1991年に大成功を収めた「新オーストロタクト」(NAT91)が(かなり唐突に)終了したためだ。1996年夏ダイヤから実施された新サービス・コンセプトの抜本的(削減)措置のひとつが、従来のNAT路線「IC 1」(ウィーン~ブレゲンツ間の2時間等間隔運行)の廃止である。その結果、オーストリア・スイス間のユーロシティ列車は、チューリッヒ/ブレゲンツ~インスブルック~ウィーンの2時間等間隔ダイヤに統合されてしまう。所要時間は、EC162(表定速度86km/h)が10時間15分、EC163が10時間20分と延びてしまい、その後のダイヤ改正でもさらに悪化、2000年代末には10時間23分、10時間30分(EC162:ウィーン発9:15→バーゼル19:38着/EC163:バーゼル発8:20→ウィーン着18:50)と、ほぼ1980年代の水準に戻ってしまう。

 

翌年以降の所要時間の変遷には、ある種のヨーヨー効果が見られる。2002年12月15日以降、状況はEC162は10時間07分(ウィーン発9:30→バーゼル着19:37)、EC163は10時間15分(バーゼル発8:20→ウィーン着18:35)と再び改善したが、2004年12月12日からは、さらに数分の所要時間増加が発生。EC162はバーゼル到着時刻が従来より11分遅い19:48となり、EC 163は6分早い8:14にバーゼルを出発するため、所要時間はそれぞれ10時間18分と10時間21分に延びた。2007年12月9日以降、EC162はさらに10分短縮(ウィーン発9:40→バーゼル着19:48)、EC163は7分短縮(バーゼル発8:14→ウィーン着18:28)される。その1年後、さらにそれぞれ1分と4分の短縮が実現する。とはいえ、この形態のトランザルピン号はなくなることはわかっていた。 最後のダイヤでは、1990年代初頭から使用されていたSBB食堂車が再びÖBB車両に置き換えられ、小規模ダイヤ修正直前の2010年6月12日をもってEC  162/163はウィーン〜バーゼル間での運行を終え、翌日以降は、愛称なしのÖBBレイルジェット(RJ 162/163)に置き換えられる。

 

伝統的なトランザルピン号の思い出は何だろう。確かに、前述のSBB展望車、運用参画した鉄道会社の車両で構成されたカラフルな編成、ピーク日には最大16両編成の列車が運行され、特にアールベルク線の勾配では、牽引機やプッシュプル機関車に多くのものを要求した。オーストリアの区間でÖBB-1016/1116型電気機関車による重連牽引が行われたのも、後年のトランザルピン号の特徴である。最後に、特別なパラドックスも指摘しなければならない: 2007年夏には、「レイルジェット」試験設計のÖBBタウルス機関車3両がÖBBの長距離定期列車の運行に集中配車され、新型車両に慣れ親しんでもらうとともに、新型「レイルジェット」に対する好奇心を喚起させた。当然ながら、この間はトランザルピン号の先頭として使用されたい。

 

それから3年半後の2013年12月15日、ユーロシティ トランザルピン号が、チューリッヒ中央駅〜グラーツ中央駅を結ぶ列車としてまったく予期せぬ形で突然時刻表に登場した。ÖBB編成とSBB1等客車1両を連結したEC163は、SBB-420型電気機関車(元Re 4/4)の牽引でチューリッヒ中央駅発8:40、ザルガンス経由でブッフス駅着9:48。11分間の停車中に、2両のÖBB-1116型電気機関車が列車の後方に連結され、列車はフェルトキルヒ、ブルーデンツ、ランゲン・アム・アールベルク、ザンクト・アントン・アム・アールベルク、ランデック、ザムス、イムスト・ピッツタール、エッツタールを経由してインスブルック中央駅に到着し、2両のうち前方1両の1116型電気機関車は切り離される。残り1両の1116型電気機関車とともに、EC 163はイェンバッハ、ヴェルグルを経由して旅を続ける。1969年までヴェルグルからザルツブルグまでギーゼラ線を走っていたのだ。さらに、キルヒベルク・イン・チロル、キッツビュール、ザンクト・ヨハン・イン・チロル、ツェル・アム・ゼー、ザールフェルデン、シュヴァルツァッハ・シュタット・ヴァイト、ザンクト・ヨハン・イム・ポンガウ、ビショフスホーフェン、ラドシュタット、シュラドミング、シュタイナッハ・イルドニング、リーゼン・ゼルツタール着16:40。進行方向を再び変えなければならないゼルツタールでは、8分間の停車中、1016型電気機関車が編成の両端に連結され、(ザンクト・ミヒャエルとレオーベンに途中停車して)18:40にグラーツ中央駅に到着する。

 

チューリッヒからグラーツまでの723キロを9時間34分で結んだが、表定速度76km/hという比較的低速な速度は、アルプス越え区間と27の途中停車駅という特徴を考慮すれば、まったく許容範囲内であり、トランザルピン号で毎日見られる多くのヨーロッパ圏外からの観光客を妨げるものではなさそうだ。統計によると、対向列車EC164はグラーツ発9:45で、終着チューリッヒ中央駅着19:20。ユーロシティ トランザルピン号の時刻表は、2019年時点ダイヤでも最新に更新されており、ヨーロッパ鉄道線路での魅力的な旅を楽しめる。2014年12月14日以降、SBB展望車(現在は新しいデザイン)が編成に戻った。1990年代最盛期と同様、繁忙期には展望車が2両連結で トランザルピン号に登場。この偉大なるユーロシティのサクセスストーリーが続きますように!トランサルピン万歳!。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1987年夏ダイヤ 

1等コンパートメント車、2等コンパートメント車、1等・2等合造コンパートメント車、食堂車、ザルツブルグで増解結。オーストリアの車両のみ。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)