1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、62回目は、マリー・キュリー号を取り上げます。

EC Marie Curie

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

マリー・スクウォドフスカ・キュリー(1867年〜1934年)、ポーランド出身の物理学者、化学者。ノーベル化学賞受賞者

 

1992年5月31日夏ダイヤ改正で、D 264/265 パリ東駅〜シュトゥットガルトに代わって登場したユーロシティ EC 68/69 マリー・キュリー号。EC 68は朝にシュトゥットガルト発6:12→パリ着12:09、対向列車はパリ発17:19→シュトゥットガルト着23:38。途中停車駅はナンシー、ルネヴィル(EC 69のみ)、サールブール、サヴェルヌ、ストラスブール、ケール、バーデン・バーデン、カールスルーエ、プフォルツハイム。

 

2組のユーロシティ列車 マリー・キュリー号モーリス・ラヴェル号は、効率的な車両使用を可能にするため、共通運用された。パリ着12:09のシュトゥットガルト発のEC 68 マリー・キュリー号は、パリ東駅で「ホーム上折返し」した後、13:57にEC 67 モーリス・ラヴェル号としてミュンヘン方面へ向けてフランスの首都を出発する。翌日、ミュンヘン発の同名のEC 66はパリ東駅着16:20で、再びホーム上での折り返し作業後、EC 69 マリー・キュリー号としてシュトゥットガルトに向けて出発した。1993/94年ダイヤでは、ミュンヘンで一晩停泊した後、この編成はラッシュアワー時間帯のEC 811 エリアス・ホル号でも使用され、ウルムまで回送後、早朝にミュンヘンに戻る。ユーロシティ マリー・キュリー号モーリス・ラヴェル号に必要な2編成の客車は、パリのホームで洗浄され、直接供給されるのだ。

 

特にDSGやミトローパの食堂車スタッフにとって、これらのツアーはかなりの負担であり、それに応じて不人気である。とはいえ、列車を頻繁に利用する "常連客 "や、フレンドリーなDSG/ミトローパのスタッフのおかげで、列車のレストランにはいつも心地よい、ほとんど馴染みのある雰囲気があったことを、著者たちは懐かしく思い出す。ここでの旅は楽しかった!

 

残念ながら、EC マリー・キュリー号1996年ダイヤ改正に間に合わなかった。不思議なことに、午後にモーリス・ラヴェル号としてパリに到着する編成は、2002年までSNCF国内輸送で一時的に使用されていた(パリ発19:48→ストラスブール着0:02 急行1609列車)。反対方向では、DB客車は翌朝、急行1602列車 ストラスブール発7:56→パリ着11:55、そのままホーム上でEC 67 モーリス・ラヴェル号にバトンタッチする。少なくともDBは、シュトゥットガルト〜ストラスブール間のインターレギオを代替接続便として運行した。そして最後に: 少なくとも朝のR 1602 ストラスブール〜パリ東駅は、1998年までフランスの時刻表紙面にマリー・キュリー号として掲載され続ける!

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1993年夏ダイヤ 

1等・2等のコンパートメント車(一部荷物スペースとの合造車あり)、1等・2等オープン座席車、1等と食堂車合造車、ストラスブールで増解結。フランス(コラーユ)とドイツの車両。

 

今回は以上です。

 

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)