子供の情景 BUDDHA COLLAPSED OUT OF SHAME | まろんぱんのあれ

子供の情景 BUDDHA COLLAPSED OUT OF SHAME

監督ハナ・マフマルバフ
音楽トリブ・カーン・シャヒディ
脚本:マルズィエ・メシュキニ
字幕翻訳: 杉山 緑
主演:ニクバクト・ノルーズ(バクタイ)、アッバス・アリジョメ(アッバス)/etc


ストーリー

 2001年3月、タリバンによる大仏破壊から物語りは始まります。その周辺の岩山には点々と洞窟があります。そこには貧しい人々が暮らしているのです。そこに住むバクタイはまだ字の読めない幼い少女。隣に住んでいるアッバスは学校に通っている幼い男の子。彼は学校の教科書を読んでいます。教科書を見せてもらっても読めないバクタイは彼に読んでもらいます。「ある男が木の下でぐっすり眠っていた。するとクルミが落ちてきて頭にコツン。飛び起きた男はホッとした。クルミでよかったよ。もしカボチャなら即死だ。」そして彼女は大変興味を覚え、自分も学校へ行ってこの物語をもっと知りたいと思うようになりました。しかし学校へ行くのには最低でもノートとペンが必要です。しかしバクタイにはありません。学校へいくための小さな旅が始まるのです。


まろんぱんのあれ-子供の情景

 ここ で簡単なものだけでちゃんとした観想を書いて無かったのでエクスチェンジしておきます。


 この映画はイラン人の映画監督家族の中で生まれ育ったハナ・マフマルバフの作品です。アフガニスタンの状況などを子供も用いた比喩的に表現した作品だと思います。なので、これが現実のアフガニスタンの子供達と思わないほうが良いのかもしれません。作品の中で大事なキーは、ノート。そしてそれはアフガニスタンの文化を比喩したものだそうです。その比喩を考えながら見るとまた違った感じで見えてくるかもしれません。比喩を考えて見ないと、理解などが低いとどうしても、ただの残酷なはじめのお使い系に思われるかもしれません。また、タリバンごっこをする少年達も出てきますが、その辺りの演出も耐え難いものになるかもしれません。一見ほのぼのちっくに思われるかもしれませんが、アフガニスタンの暴力の歴史をベースし皮肉などをこめているためなのです。例えば、物語の中で何度でも出てくる、「ある男が木の下でぐっすり~」などはまさにそうです。ソ連、タリバンそしてアメリカに攻め入られますが、我慢することにより自分を慰めていること示した物語だそうです。要はどんなに攻められてもまだ生きているからいいよね。という。。。基本的に武器や暴力などはでてきませんが、とても悲しい状況が多々含まれております。難しいのがこういった比喩の表現や内容が、平和ボケしている私達日本人には、正直ちょっとわかり辛いところ。そのため子供にここまで残酷な。。って思われてしまう可能性が高い作品になってしまったのだと思います。


 この作品の原題は「BUDDHA COLLAPSED OUT OF SHAME」は、それは、父親モフセン・マフバルハフの以下のエッセイを引用したそうです「あの石仏が破壊されたのを、あれは破壊されたのではなく、石造自身が己の道徳的感化の無力さに恥ずかしくなって自ら倒れたのだ。」という意味だそうです。うーーん。原題の方が断然物語全体を表してよかったです。子供の情景などとつけるから変に勘違いさせてしまうのではないでしょうか。


 そして一番印象の深い台詞「自由になりたいなら死ぬんだ!」この台詞にこの物語がすべてかかっているんではないでしょうか。そしてこの台詞により作品全体がしまった感じなりました。それまで結構私はボケーとしていましたから。この台詞を理解しようとしてやっと全体的な比喩に気づいたきっかけでした。なんだかんだで、若い凄い監督なんだなってこの台詞で気づかされた次第です。


 余談ですが、アフガニスタンとは、パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人、トルクメン人などの多民族国家です。民族的には、私達と同じモンゴル系なのです。そのため、子供達を見ているととても日本人に似ているなと思ってしまいます。