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何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

1980年、ビートルズのジョン・レノンが暴漢に殺された。その報道に想いを馳せる一人の男が居た。名を三津木五郎。三津木五郎は想い出す。11年前に体験した、あの恐ろしい島での出来事を。そして忘れがたい奇妙な風貌の男・金田一耕助との出会いを。
舞台は1969年。その年、日本は異常な繁栄期にあった。高度成長、公害、ヒッピー、そして蒸発。旅をする青年・三津木五郎は、電車の中で奇妙な風貌の1人の男と出会う。男の名は金田一耕助と言った。
切符を無くした金田一は五郎と共に乗り逃げを決行。五郎は乗り逃げの常習犯として腕を上げ、又、その行動を楽しんでいたのだった。やがて2人は港に辿り着く。時同じくして周辺の崖から何者かが落下したらしい。港では崖から転落した男が瀕死の状態で何やら呟いている。

「あの島には・・・恐ろしい悪霊が取り付いている・・・あいつは・・・腰と腰がくっついた双子なんだ・・・鵺の鳴く夜は気をつけろ・・・」

謎の言葉を残し男は絶命。
金田一は越智竜平と言う男から、青木と言う男の調査の依頼を受け刑部島(おさかべじま)へ向かう途中であった。そんな時、バッタリ出くわしたのが旧友・磯川警部であった。
磯川警部もまた、他の事件で島に訪れていた。金田一は磯川警部からの願いで強引に事件に巻き込まれる事になったのだった。
巻き込まれた事件の被害者は浅井はると言う霊媒師であった。金田一は青木と言う男の調査をしに来た事を磯川に告げる。金田一は、先ほど崖から転落し絶命した男の名が青木である事を知らされ衝撃を受けるのだった。青木の残した不吉な言葉、「あの島には悪霊が住み着いている」と言う言葉の意味は果たして何か?
金田一耕助は謎の島・刑部島へと乗り込んでいく。

 

角川映画から二作目となった金田一映画の悪霊島(81)。そして誰が名付けたか、通称、鹿賀丈史版・悪霊島と呼ばれる作品。別にナントカ版と付かなくとも、他に演じたのは古谷一行と片岡鶴太郎だけなので、角川版・悪霊島の方が通りがイイ。
原作でも最後の作品であり、映画としての金田一作品もリメイクを除けば、これが最後の金田一映画である。76年の犬神家の一族を起点として始まった金田一映画の流行を角川が制作し、その最後の金田一映画を角川が請け負ったのも、今となれば不思議な縁だと思う。この作品、何故、市川崑の金田一映画として仲間入りしなかったのか今となっては謎で、東宝が作っても面白そうな気がするが、市川崑自身が金田一映画から卒業したかったのか、石坂浩二が金田一から離れたかったのかは不明。何はともあれ、角川が悪霊島を映画化したと言う事実。
この悪霊島に限らず、依頼人、又は依頼対象の人物が、かなりの確率で死亡するのは定番のようである。例えば、犬神家の一族の時も若林弁護士から依頼を受けたが、いざ出向くと依頼人が死んでいると言った具合。そして真犯人も、かなりの確率で熟女なのも御馴染み。
個人的に鹿賀・金田一は好感が持てる。彼の金田一を、もう1本ぐらい観て見たいと言う気持ちになったのは確か。面白い事に気づいたのは石坂・金田一の口癖に「しまった~」と言うセリフがよく出てくるが、この鹿賀・金田一も口癖があった。「ホントですか~」と発する場面が何度かあった。これは意識してるのか偶然なのかは不明。

 

金田一耕助を演じた俳優も二桁を超えたが、実際の所、正当な評価を受けたのは二人しかいない。その二人がドラマ版の古谷一行映画版の石坂浩二で、二人の金田一も個性がまるで違う。体育会系なのが古谷一行で、文系なのが石坂浩二と言う風になる。

私は、二人に続く第三の金田一俳優に鹿賀丈史を強く推薦したい。悪霊島の一作しか縁が無かった鹿賀丈史だが、この俳優の金田一は流行言葉で言えば<何か持ってるタイプ>で魅力がある。風貌、表情、声、喋り方、どれをとってもマイナスが無い。終盤、禍々しい洞窟で繰り広げた犯人との舌戦は見所で、ゾクッと鳥肌が立った。同じ様に感じた人も、きっと居る筈である。

所が本人自身の評価はどうだったのか?と言うと、本人曰く「あまり印象に残らない作品」と言う事らしい。後年、鹿賀丈史へのインタビューで悪霊島を語った記事によると、ひたすら身の危険を感じた作品として記憶に残ったらしく、どの辺が危険だったのかと言うと、劇中、数匹の野犬に追われるシーンがあるのだが、本当に喰い付かれそうな殺気を感じたとの事。勿論、野犬役の犬達も訓練された役者犬なので大怪我の心配は無い筈だが、下手すると死ぬと思わせるだけの迫力を感じたと言う事なのだろう。
そして圧倒的な存在感なのが巴御寮人(ともえごりょうにん)を演じる岩下志麻。制作会社や監督がどうであれ、この人を起用したのは大正解。

原作では神々しい雰囲気と美貌を放った熟女と表現されているのだが、この作品の岩下志麻は本当に美しい。清楚と美を兼ね備えた女に、もう一つの人格があったらどうなるか?そのもう一つの人格が身の毛もよだつ悪魔だとしたらどうか?岩下志麻は、この役を演じるに辺り、精神異常者の研究と勉強をしたらしい。

岩下志麻は十代の頃、芸能ではなく医学の道へ進もうとした。家柄が芸能一家なので、チョイ役のバイト気分で演劇を始めたら、いつの間にか女優の道へ行く事になった事を書籍で語っている。それだけに悪霊島の巴御寮人の役は、彼女にとって医学的実験の試みもあったのかもしれない。

古谷一行・版では山本陽子が演じ、片岡鶴太郎・版では島田陽子が演じたが、やはり岩下志麻の巴御寮人は他の追随を許さない。圧倒的な狂気と美のパワーを感じる。正にクイーン・オブ・ザ・巴御寮人と言えるのではないか。

金田一映画の絶対的イメージと言うのがあって、犬神家の一族の犬神松子は高峰三枝子、女王蜂の神尾秀子は岸恵子、八つ墓村の森美也子は小川真由美、悪霊島の巴御寮人は岩下志麻。この四人は金田一女優の四天王と言っても過言じゃないだろう。
 

角川春樹も近年の書籍で悪霊島に触れており、劇中で使ったビートルズの歌の起用は失敗だったと語っている。主題歌の「レットイットビー」と導入歌の「ゲットバック」の二曲で、一曲当たり5000万を要求された事を明かしている。

この悪霊島は長らくVHSでビデオ化もされておらず、レンタルで観ようにも観れなかった。何処かにないかと必死に探した人も居たのではないか?

DVDの時代になってようやく発売され、今もレンタル店に置いてある訳だが、DVD化されるにあたって角川はビートルズの二曲を排除した。合わせて1億円も払ってられないと言う事だ。だが、角川なりの気遣いなのか、似た風な感じの歌を代わりに入れている。自慢って訳ではないが、私は80年代にテレビ放送したビートルズ・バージョンの録画テープを持っているので、これをDVDに焼いて保存している。今となっては御宝である。

 

市川版・金田一映画の5作目・病院坂の首縊りの家(79)
明治、大正、昭和、3代に渡る歴史を持つ本條写真館。そこに一人の美しい女が現われた。彼女の依頼は兄の結婚写真を撮ってくれと言う事だった。場所は法眼病院(ほうげんびょういん)。

「法眼病院」、、、そこは昔、一人の女が謎の縊死を遂げた忌まわしい場所だった。以来、その場所は「病院坂の首縊りの家」と呼ばれるようになった。依頼に来た女は写真屋に前金を渡し、後で使いの者を寄越すと言い残し闇夜の中を去っていく。しばらく後、使いと思われる者がやってきた。その男は紋付袴を着た厳つい髭の男だった。男は自分が結婚写真の花婿である事を告げるとさっそく現地へと案内する。しかし、いざ撮影の時に写真屋は目を疑った。髭の男の隣に居る花嫁は化粧を施しているが、さっき依頼にやってきた、あの女ではないか。

怪しいと思いつつも撮影は無事に終了する。写真屋が店に戻ると電話が掛かってきた。声の主は、前金をくれた女であった。またしても写真撮影の依頼だったが妙な依頼であった。

 

「先ほどの結婚写真の場所に飾った風鈴を撮って欲しい」

 

夜中とは言え、仕事なので断る訳にも行かず、静まり返った法眼病院に向かい、例の場所へと行くと、そこで驚くべきモノを発見。髭の花婿の生首が風鈴のようにシャンデリアに吊るされていた。果たしてこの生首風鈴の意味するモノとは?金田一耕助は、この恐ろしい謎に挑んでいく。と言うのが、大まかな概要。

 

この作品、金田一作品の中ではマイナーな部類なんだろうか。余り語られない。メディアも<犬神家の一族><八つ墓村>には喰い付くけど、この作品には喰い付こうとしない。

原作を先に読んだか?映像を先に観たか?で評価が分かれる作品で、この作品をマイナーだと思ってる人の殆どが原作を読んでいない。そして原作を読めば確実に、この作品の真の評価が出る。まず、名探偵・金田一耕助が初めて敗北した事件簿なのである。事件の発端となった<生首風鈴事件>。この事件の真相が解けないまま、事件は迷宮入りしてしまう。やがて20年の月日が経過する。東京の事件を担当し、金田一とタッグを組んで事件を解決してきた等々力警部も引退し、金田一も等々力も、事件の関係者も20歳、年を取る。警察を定年退職した等々力警部は独立して事務所を構える。20年前、迷宮入りした<生首風鈴事件>。諦めきれない等々力は、共に捜査した盟友・金田一耕助とリベンジに挑む。これが原作の展開。

それで、映像版はどうだったのか?

原作は長編でスケールが大き過ぎる為、とてもじゃないが、2時間、3時間では描き切れない。マジな話、12時間くらい必要かも知れない。登場人物が20歳も歳を取ってしまう展開は映像的に困るし、途中で役者を代えない限り不可能に近い。よって、原作の展開と登場人物は大幅に変更された。後の「犬神家の一族」、「八つ墓村」のリメイクを除けば、この作品が一様、最後の市川版・金田一映画である。
物語の主役に歳を取らす事の難しさは、作家稼業をしている人なら誰でも感じている事だろうが、横溝正史は70年代中期から、そろそろ金田一耕助に別れを告げる作品を2つ書いた。その一つが75年から77年に掛けて書き上げた<病院坂の首縊りの家>で、もう一つが79年から80年に書いた<悪霊島>である。両作品とも金田一が初老化し、爺さん探偵に変化した。

横溝は自らの死期を悟ったのか、角川で悪霊島が映画化された時期に入れ替わる様に他界した。自伝小説によると、幼い頃から虚弱体質で体が弱かったらしい。原作で描かれる金田一耕助は知性を持った貧相な男であり、紛れも無く自分自身を投影させている。この経過から察するに、70年代に入って横溝は体調不良になった事が伺える。

金田一耕助の最後は日本を去ると言う形で結末を迎えている。外国へと旅立ち、何処かの地で生涯を閉じたと綴って金田一作品は幕を閉じる。金田一耕助は誰も知らない異次元へと行ってしまったのである。
 

で、肝心の映画の事を書いていこう。市川版・金田一映画では御馴染みの出演陣に加え、注目の出演者なのが草刈正雄。この作品が初めての役者デビューだったらしい。本条写真館でバイトする青年・杢太郎君(もくたろう)を演じている。実の所、原作では重要な役割を果たす人物なのだが、映画版では<お笑い担当>に変更された。名前も原作と違う。この役って今で言えば阿部寛がやっても違和感ないと思う。

あおい輝彦も犬神家に続いて二度目の出演。生首風鈴の山内敏男として登場。個人的な見方だが、髭もじゃの山田孝之を見てると、この病院坂のあおい輝彦を思い出す。写真屋に現れたニット帽の小雪を見てると、広瀬すずが、この役をやったら似合うなとか想いを馳せる。

映画版で忘れちゃいけないのが、小林昭二が演じる三之助という法眼家の使用人だろう。ラストの坂道の場面は、この映画屈指の感動場面で、むせび泣く小林昭二が本当に泣いている様に見える。貰い泣きした視聴者も多かったのではないか?

後は、池畑慎之介と元の名に改名したピーターも個性を放っている。今では地上波のCMや東京MXテレビの「五時に夢中」で明るい姿を見せるピーターだが、若い頃の彼の顔は妙に不気味で、得体の知れない魅力がある。ギターでぶん殴られて死ぬ時の表情もイイ。前回の女王蜂でも書いたが、白石加代子が又しても<回想シーンの怖いオバちゃん>として登場。代わりが務まるのは岩井志麻子しか居ないだろう。
映像しか観た事が無い人に、是非、お薦めしたい原作であり、個人的に強くリメイクを期待したい作品でもある。

 

市川版・金田一映画の四作目、女王蜂(78)
例えば、かつて自分が愛した女が自分の親友と結ばれ、その間に出来た娘を自分が育てる事になった時、人として父親として平常心でいられるかどうか。その育てた娘が成長し、昔愛した女に似てきたとしたら冷静でいられるのかどうか。横溝正史は女王蜂と言う作品を書きながら、そんな事を自問自答していたのかもしれない。或いは、それは世の男達、全てに突き付けた「あんただったら、どうする?」と言う挑戦状だったかもしれない。
横溝正史は、1950年代に連載小説として<悪魔が来たりて笛を吹く>を書いていた。後に書籍化され、映像化もされ、今も舞台で演じられるほどの人気作品な訳だが、その人気とは裏腹に、日本のミステリー小説の歴史の中でも史上群を抜いておぞましい話だと思う。横溝の悪魔が来たりて笛を吹くは、近親相姦の連鎖を生々しく描いた問題作なのである。

この女王蜂は、その近親相姦の片鱗を見せる作品であると私は思う。血の繋がらない娘を一人の女として愛そうとしてしまう父親の苦悩を描いており、その偏愛が殺人事件を引き起こす。

父親が娘を、母親が息子を異性として溺愛してしまう事を世間は許さない。近親相姦の現実は古今東西を選ばない。この日本でも60年代に実際に起きている。その事件は、酒に酔った父親が娘を夜伽(よとぎ)に使い、繰り返されたSEXによって娘は妊娠してしまう。それで産んだ子が何と4人。その内の二人は生んで間も無く死に、もう二人は今も何処かで生きている。事件の顛末は、娘が父親の寝首を掻いて殺す事で殺人事件に発展した。実際に、そんな事あんのか?と、ビックリ仰天のこの事件を切っ掛けに法の改正が行われた。それまで親殺しは死刑になるほどの重罪だったが、孕まされた娘の境遇が余りにも哀れで情状酌量の余地がある為、親子絡みの殺人も<通常の殺人事件>として扱われ、今現在に至っている。
で、市川崑監督は、この女王蜂を映像化するに辺り、かなり悩んだに違いない。なにせ原作通りやると、かなり陰湿な物語になる事は確実なので、大きな流れは変えず、それでいて人様が普通に観れるエンターテイメントを提供しなければならない。そうなった時に入れる要素と言えば<笑い>が定番になってくる。怖い話に笑いを取り込むのは市川崑の得意技なのである。それは金田一映画の一作目の犬神家の頃から一貫して貫いている信念で、作り手としての感覚的なものなのか、恐怖と笑いと言う相反する要素が実の所、非常に相性が良いって事に気付いていた。今の日本にスター的な監督が出てこないのは、まず技術重視で、こういった感覚的な部分が鍛えられていない事が一つの要因になっているからだ。
流石は市川崑監督で、この暗い話を見事な出演陣で華のある映像美作品として完成させた。高峰三枝子、仲代達矢、沖雅也、司葉子、岸恵子、市川金田一には必ず登場する坂口良子、三木のり平、大滝秀治、白石加代子。中でも一番陽の光を与えてくれるのは喜劇俳優の伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう)で、しがない初老のベテラン警官役なのだが、雰囲気、喋り方が独特で不思議な魅力を放っている。

見所の一つに白石加代子の怪演がある。事件の重要参考人として回想シーンで登場するのだが、その白石加代子が怖い。ボロ屋で瞬きせずモッタリと低い声で昔話をするシーンは子供の頃からトラウマで、同じ経験の人は意外に多いかもしれない。どうも、あの姿が作家の岩井志麻子に見えて仕方がない。そう言えば白石加代子は「病院坂の首縊りの家」でも同じ様に回想シーンで登場し、同じ様な演出で視聴者を怖がらせている。この演出は映像ならではの遊びで、市川監督の客を怖がらせようと言う悪戯心(いたずらごころ)が伺える。前にも書いたけど、本当に映像の遊びが好きなんだよな、この監督さんは。

映画・女王蜂ファンは、この人を抜きには語れない。「九十九と書いて「つくも」と読む」のセリフは有名。

まず、俳優・神山繁のロン毛が良い。彼の職業は霊能力者である。嘘か真か彼は念力で女を口説き落とす事が出来るらしい。あまりマシな使い方はしてないようだ。実は彼も、その昔に琴絵さんと言う大道寺家のマドンナに惚れていた男の一人。さすがの霊能力でも琴絵さんは落とせなかった模様。

そのリベンジとばかりに今度は琴絵の娘の智子に狙いをつける。智子を物にして欲を晴らそうと言う訳だ。茶会の席で智子に「開かずの間の秘密を教えてやるから研究所に来い」と誘い出す。まんまと智子は誘き出される。九十九は仕掛け部屋に閉じ込め智子を気絶させ「チャンス」とばかりに襲い掛かるが、何者かが天井からドスを3本投げつけ、それが背中に突き刺さり、違う意味で「イって」しまった

 

市川版・金田一映画の三作目の獄門島(77)

瀬戸内海の小島が舞台とあって同じ舞台の悪霊島(81)とダブっている。昔は獄門島と悪霊島の区別がつかなかった事があった。悪霊島の原作にも獄門島の話題がチラッと出ており実質上、兄弟作と言ってもイイんではないだろうか。なんでか判らないが、なんとか島って言うタイトルには、禍々しさと不吉さを感じて、恐怖心を自然と煽られる。横溝正史はタイトル選びが抜群に巧い。

話の内容は要するに遺産相続であり横溝お馴染みのテーマ。舞台設定を変えた<犬神家の一族>とも言える。で、今から面倒臭い事を承知で大雑把に出来る限り判り易く説明するんだけど、鬼頭(きとう)と言う島の大地主が居て、それを島では本鬼頭(ほんきとう)と呼んでいる。本鬼頭とは別に分鬼頭(わけきとう)と言う分家があり、本家の世継ぎに与三松(よさまつ)、分鬼頭に従兄弟の鬼頭一(きとうひとし)がいた。

そんな時に本家の主、鬼頭嘉右衛門(きとう かえもん)が世を去り、その遺産は息子の与三松に譲られる筈だったのだが、与三松は狂い死にした妻の小夜(さよ)の死後、頭がイカれて跡を継げる状態ではなくなった。そこで代わりの後継者に立てられたのが与三松の息子の千万太(ちまた)と分家の従兄弟、鬼頭一だった。

所が二人とも戦争に駆り出される事になる。与三松は家督を継げる状態になく、そうなると残ったのは与三松と小夜の三人の娘、月代、雪枝、花子の誰かが継がなければなくなる。先代の嘉右衛門は三人娘を異常なほど嫌い、これらに継がせたくない為に一計を案じた。それは、もし戦地から千万太が復員してきたら彼にそのまま継がせる。もし、千万太が戦死し、一が帰ったら彼に継がせる。その際に邪魔になるのがベンチ入りしている補欠の三人の娘達で、筋から言うと千万太の後は、この三人が継ぐ事になる。嘉右衛門は、この三人を俳句に見立てて殺せと遺言を残し世を去る。この辺は「犬神家の一族」の<斧、琴、菊>の設定に似ている。

今作でも市川監督お得意の首飛ばしが見られる。釣鐘を支えている棒が強風で弾け飛び、釣鐘の下の雪枝の死体の首にドカンと落下し、首が宙を舞う。このシーンは原作にはなく、正真正銘、市川監督の遊び。この監督さんは、お化け屋敷的な演出が好きなんだろうな。

 

他の作品と違うのは、この映画では金田一耕助がモテてる様に感じる

女優・大原麗子が演じる本鬼頭の早苗と言う美女が、島から出たいとの本心を金田一に訴えて「私を島から連れ出して」と、事件とは関係の無い個人的な想いを告白する場面がある。しかも早苗さんは獄門島一の器量良し。早苗さんは学級委員長の様な存在であり、本鬼頭のマドンナ的存在。女社長さんが似合うかも。

坂口良子が演じる<おしち>の家は床屋を経営しており怠け者の親父(三木のり平)の代わりに日々頑張っている。おしちと言うキャラは原作にはなく映画版のオリジナル。市川版・金田一映画では常連の坂口良子だが、どの作品でも可愛い。流行のタヌキ顔と言うタイプで、古さを感じさせない現代的な可愛さを感じる。もっと長生きして可愛い美熟女ぶりを見せて貰いたかった。私生活で色々問題を起こす娘とは似ても似つかない。

全体的に、この映画は犬神家の一族や八つ墓村の様なドロドロ感は無く爽やかな印象。この爽やかさに優雅なテーマ曲が重なって金田一映画の初心者にも観やすい映画になってると思う。

 

内容的には同年公開の獄門島(77)とよく似ている。獄門島は芭蕉の俳句に見立てて殺人が行われるのだが、この映画では民間伝承の手毬唄の唄に当て嵌められて殺人が起こっていく。殺されるのが女性3人と言うのも共通である。

この作品の主役は原作、映画共に磯川警部といっても過言ではない。いつも脇役の磯川警部も今回は堂々と主役を張っている点がポイント。磯川役に若山富三郎が演じているのは凄い。不自然さが無く、安心して観てられるのは貫禄と言った所。とゆうことは御馴染みの加藤武は出ないのか?しっかり出てきます。立花警部補役で御登場。

横溝正史にとって岡山県と言う場所は特別らしく、岡山県警と東京で二人の名物刑事を使い分けている。すなわち岡山の磯川刑事と東京の等々力警部の二人。八つ墓村、悪魔の手毬唄、悪霊島の三作が岡山が舞台で、磯川刑事が大活躍すると言った具合。

 

原作もチェックしたが、原作と映画はそんなにズレは無く、違和感は無かった。

違いは何点かあるのだが、まず仁礼の文子の死体表現が違う。原作だとブドウ酒工場の樽の側で絞殺されてるだけなのだが、映画だとブドウ酒樽の中に体を漬けられて死んでいる。その際のカメラワークが絶妙で、初めて観たらマジでビックリする。ブドウ樽の風呂にでも浸かっているかの様な死体の映像に禍々しいインパクトがあって夢に出るかもしれない。その映像を想い出して、夜、トイレに行くのが怖くなって無理やりにでも思い出し笑いを試みた人も居たかもしれない

人間関係が小難しい横溝作品の中で、この作品の殺人の動機が一番判り易いんじゃないかな。男女関係のモツレと言うか、女のサガと言うか、あえてテーマを付けると「女の独占欲」と言えるんじゃないかと。

犯人が最後の方のセリフで「酷い男と判ってても、あの人の事が好きやった」と言う言葉が印象に残った。この台詞を聞いてパッと思い出したのは、芸能界のアンジャッシュの渡部と佐々木希の二人。佐々木希の為にある様な言葉じゃないかと。こんな現代でも通じる台詞を出せた横溝正史と言う作家は、昔ながらの最新に強い人だったんじゃないかと思うね。

この映画、男よりも女が観た方が共感できるんじゃないかな。

 

悪魔の手毬唄の名物キャラは辰蔵である。犬神家では猿蔵。今作は辰蔵。猿の次は辰が来た。干支を意識してるのかなと。彼は寂れたブドウ酒工場を発展させようと頑張っている。毎日の様に自家製のブドウ酒を飲んで酔い潰れているアル酎らしい。

見所は由良の泰子が殺され磯川警部と金田一が辰蔵の所に尋ねた時で、自分の作ったぶどう酒を「飲んでみろ」と、盆の上にブドウ酒入りのガラスコップを3つ持ってくるのだが、自分が三杯とも一気に飲み干してしまう。しかも飲んだ後にポイッと何事も無かったかの様に、お盆ごと後方に投げ捨ててしまう。投げ終わった直後、バシャンと砕けた音がして細かい演出が行き届いている。その場面を観る度に、鼻で笑っている自分に気付くw