上岡龍太郎と言う人は、私の様な関東人にとっては余り馴染みのない人で、同じく関西大阪の雄・やしきたかじん氏と同類と言うイメージでしかない。関東人にとっては、顔と名前は知ってても名声や活躍は存じ上げないと言う人が多いかもしれない。関西の天才が必ずしも関東で天才扱いされる決りはない。全国区と言うよりは大阪と言う局地的な英雄だったのが上岡龍太郎と言う人だったと思う。
上岡龍太郎は、ある種の予知者だった。その予知とは、自分の芸風が間違いなく受けなくなる事と、近い将来、芸能とテレビは駄目な方向へと向かっていくだろうと言う事だった。引退と言うよりは隠居に近い。2000年と言う時代を振り返ってみると、演出や表現に様々な規制が掛かって芸能人たちの活動が狭まっていった事に気付く。
上岡龍太郎は自分の芸風に毒がある事を知っている人だった。その毒は、これから先、受け入れられる事は無いだろうという、ある種の直感と予知だった。予知者は大抵のケースで引退と言う手段を取る。戦国時代にも似た様な例は見られる。天下取りに大活躍した功労者が、ある時期を境に厄介者扱いされ、殺される羽目になる。今時、日本の芸能界でそんな事は起きないと思うが、上岡龍太郎と言う人が紛れもない芸能界の功労者である事は事実。
だが、その芸風ゆえに厄介者扱いされだしたとしたらどうか?
メディアは自分達の状況が拙くなると、すぐに手の平を返す。上岡龍太郎は、そんな気配を何処かで感じたのかもしれない。そもそも芸能界はヤクザな世界であり、嘘と騙しで金を叩き出す商売。綺麗ごとを言ってる奴から真っ先に消える。目の前の仕事を人様に「どうぞ」と譲ってしまう御人好しも引き摺り下ろされる。芸能とは何か?それは嘘を売る商売だと言った人が居た。芸能の根本が嘘なんだとすると、その嘘にムキになって「ああだ、こうだ」と得意げに評論する連中は何なのか?
人を騙す事に躊躇がある人は芸能界に入ってはいけない。躊躇がある事が正常なのであり、境界線を越えて馬鹿が出来るって事が、どれだけ特殊なのかを世間は意外に知ろうとしない。
引退後は徹底して一般人を貫いた。コネを使う事もなく、自腹で銭を払って劇場や会場に足を運んだと言う。昭和が最も栄え、平成にピークと衰退を迎え、令和になって、いよいよテレビと芸能は坂から転げ落ち始めた。上岡龍太郎の眼力には何が見えていたんだろうか。何も言わず、上岡龍太郎は黙って、この世とオサラバした。何も語らない事が彼の最後の意地だったかもしれない。