日本の内科クリニックは何故、心療内科を薦めたがらないのか? | 何でもアル牢屋

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個人的な見解だけど、内科と心療内科は仲が悪いんじゃないか?と言う気がする。
過去、数回ほど心療内科に通った事がある。三十代前半の頃、訳の分からない心臓の動悸と唐突な呼吸困難が繰り返し起こり、同時に強い不安に襲われる症状が一カ月ほど続いた。怖くなって内科に飛び込んで心肺の検査をしたのだが、おかしな数値は出てこない。だけども症状だけは残っている。この時点で内科には二つの選択肢がある。

1:大病院を紹介して、より詳しい検査を進める。

2:器質的に問題が無い事を前提に心因性を示唆して心療内科の受診を進める。


私の経験則から書かせて貰うと、殆どの内科クリニックは心療内科への受診を薦めてこない。これに関して内科の観点からすれば、クリニックでの検査結果が全てではないし、隠れた病があるかもしれないから詳しく検査した方がイイとなるんだけど、問題なのは<今、困っている症状に対して何の施しもしてくれない>と言う点。そこで私は内科クリニックの先生に言った事がある。

「何か薬とか頂けないんですか?」

こう聞いたら、こんな答えが返ってきた。

「原因が何か判らないんだから薬の出しようがないでしょ?」

検査の重要性は判るが、私の場合、器質的に問題が無く、動悸と呼吸困難と強い不安と言う材料がある訳だし、この時点で心因性を疑わなければいけない筈だと思うのだが、それをしない。

そもそも心療内科の歴史は浅く、心療内科が創設される以前はザックリと<精神科>しか無かった。そこで頻繁に扱われた病気は<ノイローゼ>と言われる症状で、今では<欝病(うつびょう)>と変えられた。昭和の時代から自律神経失調症と言う古典的な症状もあって、平成になってから<不安神経症><パニック障害>と言う診断名も頻繁に世間に知られる様になった。現在は不安神経症と言う診断名は使われず、精神医学で<不安障害>と言う診断名が正式に使われている。要するに繰り返すから障害になる訳だ。
医療業界ってインテリ&マウント気質なので、心療内科の様な歴史の浅い科目は下っ端扱いされて肩身が狭いのが実情なのかもしれない。だから気位の高い内科は、心療内科への受診を積極的に薦めたがらないのではないか?

それで困るのは患者の方で、症状は寝ても覚めても治らない。それでいて検査には振り回されると言う悪循環な訳で救われ様が無い。私の場合、結局、大病院へ行かされ、一カ月にも及ぶ検査をさせられた。結果報告には更に時間を要する。もう待ってられない私は思い切って大病院に電話した。

「症状が辛いんですけど、何とかならないんですか?」

すると、こう返ってきた。

「心療内科へ行った方が良いんじゃないでしょうか?」

この段階でようやく心療内科への示唆が出て来た。

私はすぐに最寄りの心療内科クリニックへ電話し、予約を取り、診察に漕ぎ着けた。事の事情を話すと「軽度のパニック障害ですね」と診断された。症状に適した抗不安薬を処方され、それを飲み続けると日に日に良くなって改善していった。この経過を辿るまで随分遠回りをした様な気分に陥った。と同時に内科への不信感も湧いてきた。
元を正せば、医療の基本は内科である。今現在ある多くの科目は内科から枝分かれして、より詳しい専門的な治療が出来る様に創設されていった。それ自体は良い事だ。だが内科は、もう少し総合的に頑張るべきであると思う。体調不良が必ずしも器質的な要因ではなく、心因から来る事もあると言う事実を、もう少し受け止める姿勢を持って頂きたい。私自身、検査は重要だと思うし、その検査結果から、どう診断を導き出すかが医師の腕の見せ所な訳だから。

嫌な言葉だが、医者の当たり外れなんて言葉がある。こんな中傷が出て来るのは、残念ながら粗末な診断をする医者が何処かに居たから出てきてしまう。検査の結果、よく判らんから大病院へ行ってこいと言うのであれば、最初から大病院へ行けばイイだけの事だし、何の為のクリニックなのか判らないではないか。それでいて大病院は、いきなりこっちに来ないで先にクリニックで診て貰ってこいと言う。いきなり来て診ない訳ではないが、余分に診察料を頂くと言うやり方をしている。
私が訴えたいのは、柔軟な連携を医療現場はすべきだと言う事で、検査を理由に患者を振り回してはならない。心臓や肺の不調を訴えて、いきなり心療内科へ飛び込む患者はまず居ない。まず専門の科へ飛び込むのが常識だし、そこで異常が無いのならば、行くか行かないかは別にして、速やかに心療への道標を作っておくべきだと私は思う。特に内科と心療内科は良いタッグパートナーとして積極的な連携をすべきである。そう願って止まない今日この頃。