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何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

フジテレビの堤礼実(つつみ れいみ)

女子アナ通には、ちょっとした注目の人って事になるみたいだけど、正直、今担当してる夜のニュースを観るまで知らなかった人の方が多いんじゃないのかな?って気がする。その要因は、入社した時期がフジテレビが落ち込み始めた時期で、足並みを揃える様にフジテレビの女子アナ達もスポットライトを浴びる事が激減していたからだろう。
ざっとプロフィールに目を通すと、生まれはアメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ。此処だけ見るとバイリンガルなのかと思いきや、過ごしたのは二歳半まで。その後は日本の埼玉で過ごしたみたいだから、別に語学が堪能って訳ではなさそうだ。英語を喋ってるのも見た事が無い。顔立ちだけ見てるとハーフに見えない事も無い。特に横から見ると意外にホリの深い顔をしている。

 

 

大学在学中にフジテレビのアナウンススクールに通い、研修期間なのか2014年から2015年までBSフジの報道番組でニュース原稿を読んで、2016年に正式にフジテレビのアナウンサとして入社。この流れから察するに、大学在学中にフジテレビからは目を付けられ、その時点でファーストコンタクトがあった。入社試験も形だけで自動的に内定し、フジに入社する事が前提でアナウンス・スクールに入校し、トントン拍子で入社した。
興味深いのは、日本語検定三級、社会調査士と言う資格を持っている点で、大学在学中は心理学を専攻している。なんとなく、その全てがアナウンサーになる為の<自分なりの武器>になっていて、そうなんだとすれば、中々、用意周到なタイプとも取れる。キャラ的にはキャピっぽい感じだが、信念とブレない芯の強さは感じると言った所か。
 

2024年時点で入社8年目。競馬番組や単発の特番は置いといて、その殆どのキャリアが朝枠で、情報番組の経験値は十分だが報道の経験はゼロ。にも拘らず夜の報道番組の顔に抜擢された。抜擢の理由はズバリ、顔だろう。この器量なら異性の視聴者を引っ張り込めるだろうと言う計算を基に配置されたとしか言いようがない。落ち目の企業の最後の命綱が美女って所は、昔からの定番。
ニュースを読む時の顔が近過ぎるとか、ぶりっ子みたいに愛想を振り撒き過ぎるとか、本人も気にしている節があるが、一部メディアでは<お色気報道>と揶揄されている。殿方を癒すと言うコンセプトがある風に思えるが、女性の視聴者はどんな印象を受けているんだろうと言う素朴な興味がある。このオモテナシの要素がキャバクラ的な雰囲気を醸し出す訳だ。
個人的には、夜枠に来る前に<BSプライム>を経験してから来て欲しかったなと思う。名物司会者の反町さんとの掛け合いと、この番組ならではの緊張感を経験して貰いたかった。今後、縁が無いとも言えないが、先か後かって問題。もしくは、フリー転向か。

視聴者の当然ながらの関心事は男関係って事になる訳だが、今の所、浮いた話題は無い。

週末の金曜だけ、ショートカットが冴えた海老原優香アナが担当しているが、この人は写真週刊誌で実業家とのラブラブが撮られ、既に半同棲の通い妻みたいな書かれ方をしていたので結婚も近いのかもしれない。だが、この番組の視聴者の目的は堤礼実なので、海老原が結婚しようが、さほどのダメージは無いだろう。
 

で、堤はどうなのか?
 

大学在学中にテレビ出演の経験があり、その番組で「彼氏が居る」と発言したらしいが、その時の彼氏と続いてるのかどうかまでは不明。
メディアでもチラホラ取り上げられる位だから、自宅も知られてるだろうし、後を付けられているのも本人が感じてるだろう。本人の立場を考えれば、今が一番、チヤホヤされる時期なのも自覚している。このタイミングでスキャンダルとか週刊誌ネタになるのも嫌だなと思う訳だし、今後、パパラッチもどきの人達との心理戦は避けられないんだろうなと。心理学を専攻した位だから、その辺の立ち回りが発揮出来れば武器になるだろうね。
惜しむらくは出てきたのが遅過ぎた事で、高島彩とか中野美奈子の時代に出てきてたら面白かったかなと。景気と華があった90年代と違って、女子アナで世間を釣れる時代ではなくなったから、今だけ感はあるんだけど、可愛いから、やれるとこまで頑張れって思う。

 

どうやら世間は、水原事件を機に大谷翔平をどう語るのかに戸惑いを感じている様である。大谷自身の違法賭博への関与が晴れ、推定無罪と言う立場から<完全なる無罪>と言う結末を迎えても、アメリカでは根強く大谷関与・説が渦巻いているらしい。そんな人々の思惑は、こんな感じだ。
大谷は何かを隠している、知っている、本当の事を言ってないのではないか、世間の知らない水面下で関係者が動き、全てを有耶無耶にして終わらせようとしているのではないか、アメリカでも最高峰の弁護士を高額で雇い、取引で全てを丸め込んだのではないか、日本時間の早朝に大袈裟とも言える連邦絡みの会見が行われ、しきりに「大谷は被害者だ」と主張する辺りに作為的な何かを感じるとか、この水原事件の闇と言うか闇黒と言うか、何だかスッキリしないと言うのが世間の正直な反応なのかもしれない。
全部を要約すると、大谷翔平と言うドル箱を失いたくない為の大掛かりな工作が水面下で行われたのではないか?と言うのが、根強く残る説のようだ。この背景には、10年後に約束された1000億円の契約金の存在がポイントになっている。
死んでも使い切れないテレビゲームの様な金、やりたい放題の金、悪を呼び寄せる魅惑の金。額が規格外の為、仕事をして稼いだ金と言うよりは、降って湧いた様な泡銭みたいな捉え方をしてしまうのが世間と言うモノなのだろう。抽象的に表現するならば、もう笑うしかないと言う領域。
水原事件で失った24億円の後、大谷はハワイのリゾート地に20数億円の大豪邸を建設。懲りない男だとアメリカではヒンシュクを買い、日本では凄いと褒めつつも鼻で笑った。

ネットでは多くの人が<自分だけの大谷>を自由に書く権利を持っている。表現の自由と言えば聞こえはいいが、実際の所は自由を盾にした無責任な表現で、当然、私も無責任である。
この無責任ながらも強気な姿勢は何処から来るのか?と言えば、自分が書いた所で何かが変わる訳じゃないからと言う思惑があるからだろう。これがもし、ビジネス絡みの商業記事だとしたらどうか?内容はガラリと変わる。どう変わるかと言うと、ベッタベタの褒め記事しか書かなくなる。
大谷で儲けようとする人達は、大谷に関するネガティブなネタを嫌がる。テレビメディアを観てれば、その報道の仕方は宗教と変わらない。大谷翔平を崇め奉る会。観てて見苦しい程にはしゃぐ司会者とコメンテーター。それは水原事件の捜査中にも関わらず、「大谷さんが、そんな事をする筈がありません」と、何処かのアホが公共の電波を使って言い放った時点で、日本のジャーナリズムは崩壊した。
この日本と言う国が常々残念に思うのは、芸能とスポーツでしか希望と夢を乗せられない国で、本当の意味で夢と希望を与えている人達が普遍性に満ちた領域に居るにも関わらず、そこから探そうとしない。国民栄誉賞に選ばれる人選に白けを感じるのも、その辺から来てるのかも知れない。

プロ野球の業界ではアンチ巨人なんて言葉が有名だが、世の中にはアンチ・ヒーローと言う概念も存在する。どう言ったアンチなのかと言うと、チヤホヤされた英雄気取りが気に喰わないと言う人達の事。
個人的な意見だけど、英雄気取りが憎いと言う感情は人の精神としては正常だと思う。むしろ、人の精神の構造とは、そういうモノだろうと思うし、なんでもかんでも強いモノに味方して平伏してしまう感情の方が無理をしてないか?と問いたくなる。
その無理とは何かと言えば集団意識で、その輪に入っていないと仲間外れにされる、苛められる、嫌われてしまう、仕事を無くすかもしれない、立場を脅かされるかもしれない、最悪な展開では死に追いやられるかもしれないって所まで行きかねない。

今、アンチ・ヒーローの象徴的存在なのが大谷翔平だろう。
大谷のアンチは急増中で、アンチがどんな行動をするかと言うと、テレビでアナウンサーが「次は大谷選手です」と言った途端、チャンネルを変えるとか、話の話題が大谷になると興奮し、気付いたら周囲と口喧嘩になっていたとか、殴り合いになっていたとか、酒の席でビール瓶を握っていたとか、一種の拒絶反応を起こす。前にも書いた事があるのだが、アンチを作っているのは、一挙手一投足の如くストーカー報道をしているマスコミである。
水原事件が収束し、大谷の黒説を主張した黒派を、白派が「謝れ」と公共の電波を使って吠えるのも大人気ないし格好悪いだろう。
逆だったら白派は黒派に謝ったんだろうか?
大谷は白だ黒だと丁半博打みたいに盛り上がっていた時期は、推定無罪と言う状況下で、この時点では大谷が会見で嘘を突いて騒ぎを有耶無耶にして終わらそうとしてるんじゃないか?と言う疑いがあったのは仕方が無かったと思うよ。黒派も白派も、皆それぞれが<自分だけの仮説>を立てていた訳だし、黒派を擁護する訳じゃないけど、白派の人達も心の何処かで「大谷さんはイイ人だから悪い事をする筈が無い。だけど、もしかしたら・・・」って想いは持ってたと思うよ。こう言った想いも正常な反応だと思う。
仮説は仮説でしかないし、仮説である以上、それが間違っていたとしても恥じる事は無いし、責められる言われは無いと思うし、責める方も無駄な労力。当然、謝る必要も無いよ。

 

テレビを観ていたら、新入社員の早期退社が流行ってるんだそうだ。退社した子に事情を聴いてみると、思い通りの部署に配属されなかった。自分がやりたい仕事をやらせて貰えなかった。この二つが主な理由らしい。
48歳のオジサンである私から少し説教してあげたいのは、大人と子供の境界線って所。自分を優先するのか、他者を優先するのかって所がポイントで、自己主張が上手くいかなくて苦しんでる時は、相手の立場になって考えてみたらどうか?って事!配属された部署が気に入らないのであれば、何故、会社は自分を、その部署に配属させたのか?どうして好きな事をやらせて貰えないのか?
会社には正社員として迎え入れた責任があるし、新入社員の能力を履歴書と面接で全て把握するのは無理。その人に何が出来るか会社だって判らない訳だ。不満を持って辞めた新入社員だって、その会社を自分の意思で選んだ自己責任がある訳だから、まずは基礎から学ぼうと言う気構えを持つのが筋ってもんじゃないかなと思うんだよね。
それは例えば、テレビ局のアナウンサーだってそうで、「新入社員が報道に入れてくれなきゃ辞めます」と言われても会社は困っちゃう訳で、その人の能力が未知数な内は任せる訳にもいかないと言う事情が出て来る。だから適当に配置と言うのも会社として無責任になる。

新入社員が理解しなければいけないのは、モノには事情があるんだよと言う事と、世の中には自分と違う考えを持つ色んな人が居るんだよと言う事の二点なんだよね。この二点をゆっくりでイイから考えてみると、驚くほど視野が拡がって、こんな考え方があったんだって気付く事が出来る。
視野を広げる考え方って言うのは、自分の嫌いな奴に対しても応用出来る。この人は何故こんな事を言うのか?とか、何故こんな行動に走るのか?とか。理解に苦しむのは自分の持ってる常識が基準になってるからなんだよね。他人には他人の基準がある。世の中を知るって事は他人を知るって事でもある。自分と違う考え方をする人が世の中には一杯居るんだと言う現実を学んでいかなければならない。
今、人生で大成功を収めてる人には共通の特徴があって、成功者ほど<人を知る>と言う事が出来てる人達である事に気付く。自分が想ってる凄い人を頭に浮かべてみると「あ?そうかもしれない」って思うんじゃない?

会社勤めって言うのは意外に奥が深いもので、私が若い頃に、よく大人達から聞かされていたのは「会社は人間関係だよ」と言う一言だった。どんなに優秀でも若いと言うのは当然ながら未熟が当たり前で、短い人生しか生きていない訳だから、知らない事が多いのも当たり前。会社とは人間関係だよと意味深な事を言われても、中々理解しにくい。
昔と今と言う点でハッキリと体感、認識できるのは、SNSの普及で人間関係が希薄になった事。メールやラインと言う文字のやり取りが当たり前の日常になった今、触れ合いや付き合いと言う点で、どうしても人間関係が弱体化してしまう。そこに違和感や危機感を感じるなら、自分自身に縛りを掛けて、文字はなるべく意識的に控えて、敢えて人と会うって事をしないと永遠に解決しない問題だろう。
例えば買い物にしても、店に行って店員さんと触れ合って買うのと、通販でアッサリと買うのとでは達成感が違ってくる。男女の恋愛もメールを使って告白なんて言うのも当り前の様だが、携帯機など無かった私の学生時代からすれば、夢の様なアイテム。あったら使ってただろうなと思う。

文字のやり取りでの困りごとの一つに、相手の表情が判らないと言うのがある。当然ながら、こちらの表情も相手には伝わらない。表情が判らないまま文字の会話が続く。これになれると、社会に出て人間関係が鍛えられない。社会に出てメールのみって訳にはいかないからだ。次第に客商売が嫌になってしまう。新入社員の早期退社にも繋がってしまう。
日本の男女の童貞と処女も激増しているらしい。これも触れ合いが減っているのが原因で、メディアなんかでは「一人遊び出来る環境が増えたから」と言うのだが違うと思う。一人遊びが幾ら増えようが性欲と言う本能は変わらない。少子化問題って言うのも根本は男女関係な訳だから、国は子供を作れと言う以前に恋愛の勧めをした方が効率的だと思う。
早期退職の本当の実態は、人間関係を構築出来ない辛さから来てるんじゃないか?と、個人的には感じるんだけどね。

 

数年前、女優の新垣結衣がファンの集いか何かのイベントでファンに、こんな質問を受けた。


「SNSとかインスタとかやらないんですか?」

新垣はこう答えた。

「私生活で冴えている自分が居ないんですよね。オフの時は家でゴロゴロしてるし、ボーっとしてるし、これと言って御見せするモノが何も無いんです」

なるほど。新垣の言ってる事は判る様な気がする。自然に解釈すれば、見せれる自分は全て仕事で使っているから、私生活で見せたいモノが特に無いって事なんだろうなと。
新垣に限らず、芸能界の人気者に限って不思議とインスタやブログに手を出さない。やりそうでやらないって所だと、マツコ・デラックスなんかもそうだろう。東京MXのレギュラー番組「五時に夢中」の中で「面倒臭いし、やっても何のメリットも無い」とズバリ言い切っていたのを想い出した。
人気の無い芸能人ほどSNSを活用する傾向は確かにある。本来ならテレビ活動が主流の芸能人だが、出演オファーの無い小物ほどYouTubeに手を出す。人気取りの為なら手段を択ばずと言う心意気なのだろうが、客からすれば「何だかな?」って感じなのが正直な所か。

一般のブログやインスタにも悩みどころはある。何かやりたいけど、これと言って思い付かない。得意なモノはある事はあるけど、もっと上手い人がネットにはゴロゴロ居るから自信が無い。何か無いかなと模索するが、それでも行き止りを感じる。こんな感じの人は意外に多い。
自分の周りを見渡してみると、想像以上に<皆に見せれる何か>が無い事に気付いてしまう。次第に諦めに支配されていくと言う悪循環。そこで、取り合えず手を出してみるのが映画のレビューや読書感想文となる。たまに見かけるイラストを披露するブログなんかは、まだ独自性がある。ポエムやエッセイなんかは自分の人生の引き出しがネタになってるので、これも独自性が強い。
私が書くのも何だが、コラムと言うジャンルは意外に姑息で質が悪い。ネタは外から拾ってくるので、基本的にネタ切れって無い。ネタは無限なのである。コラムを書くと言う作業は、そのネタに対しての感想文に過ぎないので、書き手の勝負所は文体と個性に頼らざるを得ない。人気を取れるかどうかは運次第って事になる。その際、文章の上手い下手は関係なくて、読み手に好かれるか嫌われるかが大きな分かれ目になる。書き手からすれば、読み手に任すしか手段が無いのである。

私自身はブログを始めて19年になる。それ以前は個人サイトを3年ほど運営していた。個人サイトは2002年に立ち上げた。内容は趣味満載の映画レビューが主体で、後は日記みたいな内容だったが、私が立ち上げた時期は、個人サイトや掲示板が盛り上がっていた時期だった。2005年からブログに移行し、個人サイトの更新は辞めてしまった。
個人サイト作りは面倒臭い。ソフトを買ってきて勉強しないと作れないので、失敗も多かった。これに比べるとブログは画期的だった。土台が既にあるので、後は文章や画像や動画を乗っければイイ。この手軽さが魅力の一つだと言える。
 

大好きなラッツ&スターの「楽しき街角」って言う曲があって、こんな詩がある。

 

「誰でもいっこ、誰かにそっと、見せたいものがあるのさ♪」

 

実の所、このブログ。家族や友人にも教えていない。ホントにヒッソリ、コッソリやっているのである。友人が知ったら、「え?お前がブログでモノなんて書いてるの?」と驚くかもしれない。増してや家族に知られるなんて事は恥ずかしい。よって、このブログは他人向けのブログなのである。
とは言え、私のブログはコラムであると宣伝してるので、そこの信念は曲げる気は無い。コラムのブログなんだからコラムを書いていこうとなる訳だ。新年度も迎えたし、これからも宜しくと言う事で!

 

 

 

自分で書くのも何だが、このブログで大ヒットした記事で、アッチコッチでツイートされたりリンクされたり、信じ難い現象だった。二年前の記事なのだが、未だに好評頂いている。書き手として本当に有難い想いである。

先見の明って訳でもないが、この記事は例のジャニーズ事件が騒がれる前に書いたもので、狙ったものでも何でもなく、全くの偶然だった。書いた切っ掛けは作家の本橋信宏が書いた村西とおるの自伝本だった。村西とおると言う人は相当な有名人で、私が小学生の頃から知っていた名前だった。どんな人かまでは知らなかったが、何をやっている人なのかくらいは知っていた。エロの伝道師であり、思春期だった私の性欲を掻き立てるモノを作っていたエロ先生だった。本橋信宏の本を読みながら「あっ・・・そうそう・・・」と思わず声が出た。

この本の中で語られている村西とジャニーズの大喧嘩の話は非常に興味深かった。村西の喧嘩相手はジャニー喜多川ではなく、その姉のメリーだった。このメリーの動き方から察した事は、彼女はジャニーズの裏舞台を暗躍し、メディアを手玉に取り、立ち塞がる妨害者を抹殺していた事だった。村西とおるはジャニーズにとって紛れもない妨害者であった。

時が流れて山田孝之が演じた<全裸監督>がネットフリックスで評判になった頃、メリーは晩年を迎えていた訳だが、目ざとい彼女からすれば複雑な心境だったに違いない。かつて憎んだ喧嘩相手が人気を取っているのだから。