町内の友だち
 小学2年生になると、たけっちゃんのお姉さんとその友だちとでいっしょによく遊んだ。二人とも小学5年生であるが面倒見が良く、あやとりや編み物のやり方を手取り足取り教えくれた。

 


 また、「花いちもんめ」「かごめかごめ」「ことしのぼたん」「あの子の後ろに蛇がいる」などの鬼遊び歌も教えてくれたように記憶している。

 


  町内の年上の男友だちは、ゴミ箱の上にゴザをおいて遊戯台とし、そこでベーゴマを回して競い合った。負ければ相手にとられてしまうルールであり、みんな目が真剣だった。
 メンコもビー玉もそのようなルールでとり合っていたのであり、まるで賭け事への入り口のようであった。

りょうちゃん
 私の家の隣に「りょうちゃん」という幼友だちがいた。
 私より3歳年上であるが、いっしょにチャンバラやカンケリ、鬼ごっこをして遊んでくれた。ベーゴマの回し方や柔道の技を教えて貰ったこともある。私にとっては、優しくて頼り甲斐のある兄のような存在であった。
 りょうちゃんは、お母さんと二人暮らしであったが、当時は叔父さんも同居していたので、私の家の家族構成と似たようなものであった。
 違っていたのは、チロという名の犬を飼っていたことである。雑種ではあるが、人懐っこく大人しい犬だったので、『私もこんな犬を飼ってみたい』と思った。
 このチロは後に子犬を2匹生むが、1匹はどこかに貰われて、チャッピーという子犬が残った。親子で飼われていたのであり、チャッピーがチロにまとわりつく姿は可愛くて仕方がなかった。
 

  

 

 りょうちゃんのお母さんと叔父さんは、毎日仕事のために夜遅くに帰宅していて、りょうちゃんはいつもひとりで寝ていた。それで、お母さんが、『息子が寂しくないように』と思って、チロを飼ってあげたのかも知れない。
  ある日、りょうちゃんの家に若い女の人がやって来た。叔父さんの奥さんになる人であり、いっしょに暮らすことになったのである。
 新婚であるので何かと気を使うことになるが、引っ越すまでの間だけということで居候をした訳である。
 叔父さんは相変わらず夜の遅い帰宅であったが、帰ってくるなり「りょういち、もう寝たか?」と奥さんに尋ねたそうである。その時、ネグリジェ姿の奥さんが、「もう寝てはるわ」と言って、いそいそと奥の部屋に入って行った。
 



  実はりょうちゃんは、布団には入っていたが寝たふりをしていたのである。二人の声を聞きながら、良からぬ事を想像をしていたようである。                 
 後日、りょうちゃんから直接聞いた話によるとこうだった。  
 目を閉じて耳を澄ましていたが、襖越しの隣の部屋から何やらゴソゴソと物音がしだした。暫くして、ネグリジェを脱がすような音がして、徐々に奥さんの声が聞こえてきた。
  奥さんは、「うーん、うーん」と、まるで唸るような声を出したが、叔父さんは「ハッ、ハッ、ハッ」という小さな声だけでよく聞こえなかった。    
『叔父さんが奥さんに何かをしているのだろうか』
隣の部屋に入って現場を見る訳にもいかず、じっと最後まで聞き耳を立ていたのである。
 大人の世界のことは、子どもには分からない。叔父さんたちは普通の新婚生活を送っていただけであり、子どもにとってはそれが奇異に思えて仕方がなかったのである。
  叔父さんたちは数ヶ月後に新居に引っ越すが、あの時の夫婦の営みは、りょうちゃんにとって思い出深いものになったに違いない。

肥後守
 私とりょうちゃんとの一番の思いでは、大文字山に登って秘密基地を作ったことである。準備した物は、「肥後守」と新聞紙だけであった。
  当時は、「肥後守」を大人も子どもも持っていた。鉛筆を尖らすなど、木を細工するのに使っていたのであり、不良がするような脅しの道具として持っていた訳ではない。
 


 夏の山は、木が覆い茂っていてとても涼しかった。秘密基地の周りでは、樹木に止まったセミが鳴き、カナブンも飛んでくることもあって結構面白い遊び場になっていた。
  地面には、石英を含む岩石があちこちに転がっていて、どこかに透明な水晶はないものかと目を凝らして探したものである。
  行く途中に用水路があって、採集網でメダカなどを掬ったりした。また、支流になる小さな川で、サワガニやザリガニなども捕まえた。

 

 

野壺
 大文字山の麓の近辺には農家の畑があり、近くに『野壺』もあった。柵もなく野放しであり、落ちる可能性があってヤバかった。
 

 

 

  日差しが強い真夏にその近くを通ったのだが、水分が飛んで表面がカチンカチンに固まっていた。
 何を思ったのか、りょうちゃんがそれに向かって小石を投げた。小石は、もろに跳ね返って転がった。それを見た私も同じように投げたが、びくともしなかった。
  少し意地になった二人は、小石を投げ続けた。何投目だったか、少し穴が開いてきた。更に続けていくと、次第に中身が跳ね上がるようになってきた。
 そろそろ止めようかと思った時、りょうちゃんの同級生が笑いながら近くにやって来た。そして、反対側から同じ事をやりだしたのである。
 チョイ悪の同級生は、汚物を私たちにかけようとしたのであり、りょうちゃんと私は咄嗟に電信柱に隠れた。
  同級生は更に野壺に近づいて全力で小石を投げたが、その反動で自分の顔と服に汚い滴が掛かってしまった。
 それを見たとき笑いそうになったが、何とか堪えた。誰も責められない自業自得の結末であるので、その同級生は渋い顔になって家に帰ってしまったのである。

公営プール
 りょうちゃんに、西京極にある市民プールに連れて貰ったことがある。
 最初は低学年用の浅いプールで泳いでいたのだが、りょうちゃんに大きい方のプールに来るように言われて行ってみた。
 

 

 

  そこは結構深く、大人でもまったく足がつかない所なので、泳げない人は敬遠していた。
 私はまだ水泳が苦手であり、手すりにつかまりながら水に浸かることにした。りょうちゃんは水泳を得意にしていて、私に「飛び込みの見本を見せる」と自信満々に頭からプールに飛び込んだ。
 私は、りょうちゃんがすぐに水面から出て来るものと思っていたが、5秒経っても出てこない。10秒経っても出てこない。20秒経っても出てこない。私は慌てた。ひょとして、水による事故が起こってしまったのかと。
 30秒程経過して、ようやくりょうちゃんが水面から現れた。鼻を右手で押さえていたが、よく見ると真っ赤になっていた。
「りょうちゃん、どうしたん?」
「・・・」
 りょうちゃんは、鼻を底で思い切り打ったらしく、痛さで涙顔であった。それにしても、長い潜水であった。おそらく私に失敗を悟られまいと、底でじっと我慢をしていたのだと思う。
                                     
軽音楽 
 中学を卒業したりょうちゃんは高校へは行かず、大手の会社の職業訓練校に入った。その後、晴れて正社員になるが、仕事で無理をした為に肝臓をいわしてしまった。
 元来、真面目な性格だったので、体調が悪くても手を抜かなかったことが災いしたのである。難儀している同僚のバックアップまでしていたらしく、体を壊すのは必然だった。
 それで入院を余儀なくされたが、その時に同室だった人から洋楽のギターを教わり、退院してから、私にそれを教えてくれた。
 

 

 

  今でも私の趣味が軽音楽であるのは、そのことが大きな理由になっている。

投げ玉
 この長屋には、お隣のりょうちゃん以外にいろんな学年の友だちがいた。真向かいの家には、くにちゃんという1つ年上の友だちが住んでいた。
 そのくにちゃんには高学年のお兄さんと高校生のお兄さんがいたが、年が近いこともあって、高学年のお兄さんとくにちゃんと私の3人でよく遊んだ。
  このお兄さんは大変漫画好きであり、少年サンデー、少年マガジン、少年キングを毎週のように買っていて、私にも見せてくれた。
 

  

 

  当時の週刊少年雑誌には、「伊賀の影丸」「黒い秘密兵器」「紫電改のタカ」「暗闇五段」「おそ松くん」「丸出だめ夫」「おばけのQ太郎」「エイトマン」「ワイルド7」など素晴らしい作品が掲載されていて、発売日を心待ちにしていたものである。漫画家の作風はもちろん、作品自体に魅力が溢れた秀作ばかりであった。
  小学生時代は、書物よりも漫画から世間一般の常識や知識を得ていたのであり、その影響を大きく受けていたのである。
  ある日のこと、くにちゃんと二人で家の前の床机に座って漫画を読んでいたら、あまり見かけない中学生らしき男が通りかかった。
 その中学生は何を思ったのか、くにちゃんの顔を目がけて投げ玉を撃ってきた。『バン』という爆発音がくにちゃんの頬から聞こえた。
 中学生が使ったのはパチンコ(ゴム銃)であり、くにちゃんはすぐにしゃがみ込んだ。投げ玉が顔の表面で爆発したのであるから、大きな怪我である。
 

 

 

  小学3年生の私が向かって行くことはできなかったが、その中学生の顔をしっかりと覚えた。『どこの誰かは知らんけど、このままで済ますもんか』と睨んだのである。男は、泣いているくにちゃんを尻目に素知らぬ顔で歩いて行った。
 その後、くにちゃんの家の人が帰って来たので、見たままを話した。小さい傷跡ではあるが、頬を火傷して痛々しかった。    
「一度見たことがある中学生なので、またここに来ると思う」
「もし、見かけたら知らせてや」
 4日後、同じ中学生が偶然、くにちゃんと私の前を通った。私は走ってくにちゃんの家に入って行き、一番上のお兄さんを呼んだ。
「間違いない。この男や!」
 普段は進学校に通う大人しいお兄さんであるが、かなりの剣幕でその男に詰め寄った。
「お前か!弟に怪我させたんわ!」
 中学生は最初はシラを切ったが、目撃者である私の証言と手に持っていたパチンコが動かぬ証拠になって、お兄さんから制裁を受けた。
 顔を腫らした中学生は、「もう、二度としません」と約束をして、泣きながら逃げていった訳である。

貸本屋
 リヤカーを引っ張ってやって来る貸本屋があった。
 様々な雑誌をリヤカーに乗せて、週に一度の割合で町内に来ていた。子ども向けの本はもちろん、大人向けの週刊誌やエログロ雑誌もあった。
  古びた書物の中に、田河水泡の「のらくろ」や阪本牙城の「タンクタンクロー」、山川惣治の「少年ケニヤ」や杉浦茂の「猿飛佐助」があって、少年マガジンやサンデーとは異なるタッチの漫画に触れることが出来た。
 

  

 

 当時は、「少年画報」「少年クラブ」「冒険王」「ぼくら」などの月刊誌もあったが、あまり知られていないこともあり、まったく買わなかった。たまたま貸本屋にそれらがあったので、借りて読むことが出来たのである。
 母親が借りた雑誌の中に、衝撃的な写真があったのを今でも覚えている。それは、人が死んでから白骨になるまでの様子を段階的に写し出している写真であった。
  その写真を見た時はそれを本物だと思い込んで、『こんなものを雑誌に載せても良いのだろうか。見てはいけないものを見てしまった』と、かなり動揺したのである。
 大人になってから、偶然その写真を見る機会があったのでよくよく目を凝らして見ると、紛い物の写真であった。カストリ雑誌が本物の死体を載せる筈がないが、リアルに創造した偽物の写真であることは、子どもの目では判別できなかったのである。
  もうひとつショッキングな写真を小学生の高学年の時に見たことがある。四条河原町付近のビルの壁に貼ってあったのだが、それは笑っている女の人の解剖写真であった。
 人目につくよう壁一面に大きく貼ってあって、それを市バスの中から見た時は、『こんなことが許されるのか』と、一瞬、目を疑った。家に帰ってからも、その写真が頭から離れなかった。
 これも、大人になってから分かったのであるが、死体の写真と同様に紛い物であった。女の人の首から下の体や内臓は巧妙に作られた偽物であり、それを傍らの医者たちが手術をしているという外国人が企画したパフォーマンスであった。
  この写真は、物議を醸し出したようである。希有な芸術的作品と捉えるのか、周りに不快感を与える陳腐な作品と捉えるのか、意見が分かれたのである。
 いずれにしても、『気持ちが悪い』と近所から苦情が出て、すぐに撤去されたようである。

 

UFO
 UFOとは、未確認飛行物体のことをいう。空飛ぶ円盤などもその類であるが、それが何であるのか分からない出所不明の飛行物体の総称である。
 実は、このUFOを真っ昼間に私は見たのである。何気なく空を見ていた時、くにちゃんの家の屋根の向こう側に、白や赤やオレンジに光る丸い物体が数個浮いているのを発見してしまった。                  
「何やあれは?」
「円盤とちゃうか?」
 

 

  いっしょに見ていた友だちもUFOの出現に驚いたが、数分間後に物体が雲の中に移動してすっと消えた。その動きは、飛行機、ヘリコブター、飛行船とは異なるものだった。
 この時代に、ドローンなどはない。誰かが小型のヘリコブターを飛ばしたとしても、あんなに発光しながら飛んでいるのは変である。まさに未確認飛行物体である。
 宇宙のどこかに、人類より文明が進んだ生命体がいても何ら不思議ではない。そのような生命体が、時間と空間を自由自在に操り、円盤に乗って地球にやって来たのだろうか。
 目的は、侵略ではなく人類との交流である。いきなり姿を現すとパニックになるので、そうならないための準備の段階と思われる。
 楽観的な考えと笑われそうではあるが、もしそうなら地球の未来は明るいものになる。

蛇殺し
 名前は伏せておくが、自分より1つ上の近所であまり評判が良くない小学生がいた。なぜ評判が良くないかというと、学校の成績が悪いにもかかわらず、何かにつけて思ったことをずけずけと言いたがる性格だったからである。
  喧嘩を吹っ掛ける訳でもなく、何か悪さをする訳でもないが、誰に対しても余計なことを口走るので親しい友だちがほとんどいなかった。
 町内会の日帰り旅行で、大人から失笑を買ったのを覚えている。貸し切りバスの中で、
その当時流行っていた「ワシントン広場の夜はふけて」を下品な替え歌にしてマイクで歌ったのであり、家に帰ってから「あの子と遊ぶな」と母親から言われた。
  普段は、あまり彼とは遊ばないのであるが、真っ昼間に私の家の側でいっしょに花火をして遊ぶことがあった。
 何気なくゴミ箱に目をやると、家とゴミ箱の隙間に蛇が隠れているのが見えた。それは青大将ではなく、見たこともない茶色ぽい小さな蛇だった。
 

  

 

  彼は、その蛇に花火を当て出した。花火の攻撃は凄まじく、我慢の限界であった蛇は慌てて逃げようとした。
  それを見ていた私は、家から新聞紙を持ってきて火を付けた。そして、それを蛇に被せた。
  すると、あっという間に蛇が焼け焦げて、抜け殻のようになってしまった。それは一瞬のことであり、まるで蛇の魂が天に登るような感じであった。
  私は驚いた。こんなことになるとは予想外だった。彼は、蛇の死骸を見て喜んでいた。軽くなった死骸は、別の新聞紙に包んでゴミ箱に捨てた。
  夕飯時にそのことを父親と母親に話すと、子どもの火遊びを叱られた上に、「死んだ蛇は、この家の守り神だったかも知れない」と言われた。それを聞いて、私は愕然となった。
 確かにあの時の蛇の死に方は、普通ではなかった。何か神々しい感じさえしたのであり、「守り神」を殺してしまったという後悔の念が、今も残り続けているのである。
  この後、彼とは益々距離を置くようになったが、一度、彼を怒らせたことがある。それは、彼がパーティ用のクラッカーで遊んでいた時の事である。
 

 

 

  私にもクラッカーを一本くれたのであるが、紐をいつ引っ張ろうかと迷っていた。その時、良からぬことを思い付いてしまった。
「パン」と、非常に大きな音が彼の耳元で鳴った。彼は、「あっ」と声を出し、右の耳を押さえた。そして、「何をするねん!」と、私を怒り出した。
 クラッカーの音で彼を驚かせたかっただけなのであるが、彼は凄い剣幕で追いかけてきた。
 彼の怒りの形相に恐れを成した私は、一目散に逃げるしかなかったのである。

ロバのパン屋
 年配の人なら、『ロバのおじさんチンカラリン、チンカラリンロンやって来る♪』という曲をよくご存じだと思う。
 ロバに牽かれた馬車がパンの行商にやって来る時に流れる曲であり、若い人でも一度は耳にしたことがあるに違いない。  
 軽快なリズムと共に可愛い歌声が響き、家の近辺にこの曲が流れた時は、近くまで駆け寄ったものである。
 

 

  この馬車は、京都市に本社がある蒸しパン店が製造したものであり、流れていたのは「パン売りのロバさん」という曲である。歌っているのは、当時小学生であった童謡歌手の近藤圭子さんである。
 

 

 

  馴染み深い歌ではあるが、この曲に関する一つの疑問を以前から持っていた。それは曲の最後の方で、『チョコレートパンもアンパンも、なんでもありますチンカラリン』と歌っているにも拘わらず、実際に売っていたのは蒸しパンがメインであり、『なんでもあります』ではなかったことである。
 これはどういう訳かと調べたら、元々この曲は、他府県の同業者の行商をイメージして作られたものであり、蒸しパン店のオリジナルではないことが分かった。
  同業者は様々なパンを売っていて、それを見た作詞家がそのような歌詞にしたのである。但し、馬車を牽いていたのはロバではなく、仔馬だったようであるが。
 京都の蒸しパン店は、同業者を参考にして本格的な営業に乗り出した。客を呼び込むために、採用したその曲を行商の際に流していた。
  そのアイデアは人気を呼び、全国にチェーン店を出すまでになったが、時代の流れと共に徐々に減少していった。
 最近は交通事情もあって、ロバ(仔馬)が牽く馬車はまったく見なくなった。昔と変わらぬ曲ではあるけれど、自転車が牽く馬車や軽トラでの行商になっていて、少し味気ないと思うのは私だけであろうか。
 それでもあの曲を聴くと、昔のことが思い出されて懐かしくなる。小遣いを握りしめながら、走って馬車を探したあの頃が蘇るようである。

 

床屋
 小学校を卒業するなるまで同じ床屋で散髪をしてもらったが、行くのが嫌だった。何故かというと、坊っちゃん刈りにさせられたからである。
 

 

  そこの主人と奥さんは二人とも穏和で優しかったが、母親の希望通りにバリカンで頭を刈り上げるので、いつもいい気はしなかった。

 


 

  中学生になって、さすがに坊っちゃん狩りはやめてもらった。後ろや横の刈り上げはなしで、横分けにした。
 高校生の頃は、床屋に行かずに自分で散髪をした。髪も髭も伸び放題で、不潔な感じを周りに与えたと思う。
  緩いパーマをかけたのは、社会人になってからである。友だちから聞いた腕の確かな美容院に行ったのだが、結構な値段であった。
 最近は、値段が安い床屋に行っている。もう、おしゃれより清潔感の方が優先で、あれだけ嫌がっていた刈り上げをバリカンでお願いしている。
 ちなみに、子どもの頃に行っていた床屋は、私が社会人になった頃に店を閉めた。ご主人も奥さんも高齢になり、跡を継ぐべきお子さんたちが別の仕事に就いていたからである。
 その日、かつてはお世話になった人たちが大勢集まって感謝の意を述べたようである。近年にない良い話を聞いたものである。

駄菓子屋
 子どもの頃の唯一の楽しみと言えば、駄菓子屋に行くことである。小学校の低学年の頃は、学校から帰えるとすぐに10円玉を握り締めて、今日は何を買おうかと心を躍らせた。
 店には、麩菓子、かりん糖、豆板、酢イカ、ラムネ菓子、イチゴアメ、花刺しカステラ、干しいも、ココアシガレット、金平糖、煎餅、饅頭、羊羹、最中、あんず、都こんぶ、ストローゼリー、ニッキ紙などが並んでいたが、どれもこれも製造元の表示がなく、あっても聞いたこともないメーカー名であった。

 


 

  粗悪で製造過程に問題が有りそうな物ばかりであったが、当時はそんなことも気にせずに大人も子どもも毎日のように食べていたのである。
  今では禁止されているチクロといった甘味料も使われていて、そんな物を食べ続けてよく病気にならなかったものだと、我ながら感心する。
 名の通ったカバヤのキャラメル、不二家のミルキー、明治のクリームキャラメル、森永のエンゼルパイとミルクキャラメル、グリコのビスコとキャラメル、前田のクラッカー、アルファベットビスケットなどもあるにはあったが、一日10円の小遣いでは買えなかった。 

                             

 


 明治のサイコロキャラメルは、箱にキャラメルが2個だけだったので買うことが出来たのだが、毎日同じ物を食べたくはないので、たまにしか買わなかった。

 

 

 私の家の近くにあった駄菓子屋は、夏にかき氷とアイスキャンデーを売っていた。かき氷はまだ製氷機器が普及していない時代なので、氷屋から氷を調達していた。手動のかき氷機で削り、かき氷用のガラス皿で受けていたが、あまり丁寧には洗っていなかったように思う。
 大好きな白玉と小豆が入った宇治金時は値段が高いので、安い白ミツ、黒ミツ、イチゴ、パインのどれかを注文した。
 


 

  アイスクリームやアイスキャンデーは、小豆が中に入っているミルク味のアンマックが好きでよく食べた。


 また、棒に「当たり」と書いてあればもう一本貰えるというアイスキャンデーもよく買った。大抵が「はずれ」であったが、当たった時はこれ見よがしに喜んだ。
 



 他には、ゴム風船の中で凍らせたアイスキャンデーがあったが、ゴムの臭いがしてあまり買わなかった。

ラムネ
  飲み物は、ラムネ、サイダー、冷やしアメ、ミカン水があったが、かき氷用の氷を保管するための冷蔵庫に入れてあったので結構冷たかった。
  ちなみにラムネは、英国のレモネードが訛って出来た日本だけで通用する言葉である。米国やカナダでは、レモネードは只のレモン水であって炭酸は混ざっていない。
 

 

  コーラは駄菓子屋には置いてなく、私が高学年になった頃に酒屋で売っていた。ケースに入っているコカ・コーラの瓶を見て、興味本意で一本買った。
 


 

 栓抜きが近くにあったのですぐにキャップを開けて飲んでみたが、とても不味かった。「こんな不味いもん、よう売ってるな」と私が文句を言うと、酒屋のおじさんは、「冷蔵庫で冷やしてから飲むもんや」と言い訳をした。『そういうことは、飲む前に言って欲しかったんやけど』と思った。
  日本ではコカコーラやペプシコーラが普及しているが、ローヤルクラウンコーラというのもあった。映画館の売店などでたまに見かけることがあったが、あまり知られていない。
 



 この後、プラッシー、ファンタ、ミリンダ、チェリオなどが販売された。プラッシーは、米穀店と自動販売機だけで販売されるという変わり種だった。

 

 今は、ほとんどの飲料水が自動販売機やコンビニで販売されていて、手軽に買えるものになっている。そう思うと、ジュースを買う店を探すのもその当時は一苦労だったのである。
 
当て物                                      
 駄菓子屋は、駄菓子だけでなく安いおもちゃも売っていた。メンコ、ビー玉、独楽、ベーゴマ、竹とんぼ、竹返し、おじゃみ(お手玉)、おはじき、蝋石、銀玉鉄砲、チエリング、風船笛、吹き戻し笛、紙風船、折り紙、カルタ、双六、ヨーヨー、万華鏡、将棋の駒、凧、達磨落とし、おばけ煙、蛇玉、2B弾、アメリカンクラッカーなどが並んで売られていた。

 

 


 

 さらに、私たちが「当て物」と呼んでいた「くじ引き」のようなものがあった。
 大きな厚紙の箱に縦に8列、横に8列、合計64個の小さい箱が並んでいて、自分が選んだ箱を指で押し破って中の紙を取り出すだけのものである。その紙には、何等であるかが書いてあったが、ほとんどがはずれである。
 1回10円でやれて、景品は、1等が飛行機のプラモデル、2等がヨーヨー、3等が独楽、4等が小さいチョコレート(メーカー不明)、5等がはずれの飴玉1個だった。
 ある日、駄菓子屋に寄ると、当て物の小さい箱が残り七つだけになっていた。景品の1等と2等はまだ残っている。それを見た私は考えたのである。
『七つの箱のどれかに当たりくじが入っている筈や。今、全部開ければ、必ず1等と2等の景品が貰える』
 7回分の70円は、小学2年生にとって大金である。しかし、みすみす誰かに取られてしまうより、ここは何とか工面して景品を取りたいと思った。
 10円しか持ち合わせていない私は、すぐに家に帰って豚の貯金箱から残りの60円を取り出した。再び駄菓子屋まで走って行き、七つの箱がまだ開いていないのを確かめる。
 そして、駄菓子屋のおばはんに「残りの箱を全部開ける」と言って、即座に70円を渡した。その時、おばはんは大変困ったような顔をして、「小学生がいっぺんに70円も使ったらあかん。10円だけにしとき」と言ってきた。
 しかし、私は聞く耳を持たなかった。60円を返そうとするおばはんの手を祓い除け、箱の全部を開けにかかった。
 一つ目が「はずれ」であり、二つ目も「はずれ」、三つ目も「はずれ」で、四つ目も五つ目も「はずれ」であった。
『何やこれ?残りの箱はあと二つしかないで。それらが1等と2等なんか?』
そう思いながら、六つ目と七つ目を開けてみたら、何とその二つも「はずれ」だったのである。

 

 

  呆然としておばはんの方を見たが、おばはんは知らん顔であった。当然、怒って文句を言ったが、おばはんは「しゃあないな」と言いながら、渋々2等の景品を差し出した。これで、手を打てということである。
 結局、おばはんに騙されていたのである。景品は見せかけであり、まんまと罠に嵌っていた訳である。
 この時、大人の狡さを痛感するのであるが、「はずれ」の飴玉より、2等のヨーヨーだけでもと思い、それを手にとって家に帰ってしまった。
 帰ってそのことを話したら、日頃は温厚な父親がすぐに駄菓子屋に行って、おばはんに苦情を言ったようである。同じ町内にある駄菓子屋なので揉めることはなかったが、その店の信用はなくなってしまった。

今川焼き
  今でも好きなスイーツがある。それはあんこがたっぷり入った今川焼きである。
 

 

 

 所によって太鼓饅頭、回転焼き、大判焼きと呼び名が変わるが、それらはまったく同じ物である。
 似たようなスイーツとして鯛焼きがあるが、どちらかを選ぶとしたら今川焼きの方を取る。その理由は、今川焼きには鯛焼きにはない香ばしさがあり、食べやすく安価であるからである。
 最近は今川焼を売る店が少なくなってきたが、どこかで看板を見かけるとつい買ってしまう。たくさん食べると流石に胸焼けがするので、大抵は2個しか買わない。友だちにお裾分けをする時は、白あん5個と黒あん5個と奮発する時もある。
 小学校2年生の頃、無性に食べたくなって、1キロ先にある店へと出かけた。雨が降る中、20円を握り締めて今川焼を思い浮かべながらテクテクと歩いたのである。
 ようやく店の手前まで来て「今川焼、今川焼」と心を躍らせたのだが、無情にもその店の窓が閉まっていたのを今でも覚えている。

ひとり遊び
 保育園に通っていた時期は、他の園児とはあまり遊ばなかったようである。どちらかというと、ひとり遊びが好きで、積み木を積み上げては壊すという事の繰り返しだったのである。
 また、家に帰ってからも、両親といっしょに遊んだという記憶がない。父親は、仕事が終われば麻雀をするために出かけて行ったし、母親は仕事と家事で忙しかったので、私に構ってられなかったのである。                
 この頃のお気に入りのおもちゃは、何故かしら刀剣であった。プラスチック製、木製、金属製を問わず、鉄砲より刀であったのである。 おそらく、母親といっしょに観ていた東映の時代劇の影響ではないかと思われる。早い話が、侍に憧れた訳である。
 

 

 

  鞘から刀身を抜いては構え、人を切った仕草の後に鞘に納めるということの繰り返しで、飽きることがなかった。祭りなどの夜店で買って貰うおもちゃは必ず刀剣であり、それ以外は欲しがらなかった。それほど、刀が好きであったのである。

学芸会
 今、古いアルバムにある一枚の写真を見ている。それは保育園の学芸会の写真で、私が他の園児二人といっしょに海の中の蛸を演じている場面である。
 

  

 

  演じているといっても、厚紙で作られた蛸壺の中に入って、先生の言われるままに動いていただけなのである。それでも、親たちが観ていることもあって、園児なりのひたむきさが伝わってくる写真である。
 Jポップに『全力少年』という歌があるが、あの頃の私の意識は、まさに『全力園児』であったように思う。『こうすることに何の意味があるのか』というような疑問を持つこともなく、言われたことを一所懸命にやっていたからである。
 その訳は、大人に褒められたいからではない。また、演じることが楽しかったからでもない。そうすることが当たり前だと思っていたからである。
  園児の中には、私とは正反対の性格の男の子が数人いた。素直で従順な園児ばかりではなかったのである。束縛されるのを嫌がって、練習の時から反抗的であった。先生方は、その子たちにほとほと手を焼いていたものである。
 それでも学芸会当日は、流石に誰も愚図らずに無事にやり終えることができた。結局のところ、園児のほとんどが保護者受けを狙った先生方の思惑に乗っかっていた訳ではあるが、物事の判断というのは幼い子どもではできないのであり、良かれ悪かれ、賢い大人に従うしかなかったのである。

たけっちゃん
 学芸会の時と同じように、運動会で懸命に走る私の姿が収められている写真がある。


 

  運動会当日は、保育園に広い運動場がなかったので近くにあった公園の広場で行われた。私が出たのは男女混合の借り物競争であり、3人の園児が白線で描かれた短いトラックを全力で走った。
  先にゴールをしたのは同じ町内に住む「たけっちゃん」という友だちであった。2着は私で、3着は女の子になった。
  たけっちゃんは私と同学年であるが、私よりも体が大きく運動神経が良かった。更に頭も優れていたのだが、それを自慢することもなく控えめな性格の友だちであった。
 彼には、少し年の離れたお兄さんとお姉さんがいた。その為か大変博識で、私が知らない事をよく知っていたのである。
 小学生の低学年までは、町内の中でいっしょに遊んでいたが、中学年になってからは別の友だちが出来たこともあって、疎遠になってしまった。それでも、大きな影響を受けた友だちの一人である。

四時婆
 ある日の夕方に起こった保育園での出来事である。
 年長組の女の子が、血相を変えて大広間まで走ってきた。かなり動揺した様子なので、「何があったん」と聞くと、「便所の下に人がいたんや」と、体を震わせながら言った。
 

  

 

  女の子は便所に入り便器に跨って用を足していたのであるが、済んでから真下を見ると、その穴からこちらを覗いている人の顔があったのである。
「きゃっ」と驚いて声を上げたが、よくよく見ると見知らぬ老婆であった。怖くなって、尻も拭かずに一目散にその場から逃げて来た訳である。
 その便器の下には便漕があって、複数の便器から流れる大量の糞尿が貯められるようになっていた。あまり深くはないが、底から便器の穴までは中学年の子どもが立てるくらいの高さはあった。
 女の子からその事を聞いた職員たちは、その老婆を探し回ったが見つからず、結局、警察に通報することになった。
 翌朝、園長が、「もし便所でそんな人に出会ったら逃げなさい」とみんなに注意を呼びかけていた。
  これと似たような話は、1970年代に都市伝説としてあちこちで噂されている。しかし、私が保育園に通っていたのは1950年代の末頃である。実際にあった事件であり、あの女の子の作り話ではない。
 おそらく、徘徊癖のある認知症の老婆が何の目的もなく保育園に来て、汲み取り口の蓋を勝手に開けて便漕に入り込んだのではないかと推測する。
 その当時の学校は、外からの侵入者に対する対策などまったくなく、開放的であった。「セキュリティ」という言葉もない時代であり、無防備だったのである。
 ましてや、保育園である。園長や管理用務員を除くと女ばかりであり、前代未聞の事件に保護者たちも気が気でなかったに違いない。

大捕り物
 ある朝、「今日は絶対に外に出たらあかんで!」と母親に言われた。
 まだ、夜が明けて間もない時刻であったが、雨戸を閉めたままにして、しきりに外を気にしていた。父親も出入り口の扉に内から鍵を掛けて、誰も中に入れないようにした。
 暫くして、外で『ドタドタ』と人が走る足音がした。母親は、私の小さな手を掴みながら、扉にある少しの隙間から外を見ていた。ちょっと、震えているようでもあった。
 私もそこから外を覗いてみたが、丁度一人の男と二人の男が揉み合っているところであった。男はもの凄い剣幕で抵抗したが、結局、縄で縛られてしまった。男の怒号が飛び交う中、二人の男は平然とその男を連れ去って行った。
  これは、警察官による博打うちの逮捕劇であり、それを目の当たりに見てしまったのである。
  前の日の夕方から明け方近くまで、別の町内の一室において大々的な賭博があって、大勢の客が集まった。通報によりそれを受けた警察が、事前に住民への注意を呼び掛けたのである。
 

 

 

  捕り物は秘密裏に行われたが、警官から逃げて来る男も何人かいた。その中の一人が、まさに目の前で逮捕されたのである。まるで、芝居を観ているようであった。
 これは小学校に入る前のことであるが、この年に妹が生まれ、その3年後に弟が生まれた。

同級生の女の子
 小学校の入学式を迎えたが、同じクラスにハーフの女の子がいた。色が白く可愛い顔立ちであったが、おそらく父親が米国あたりの白人だったと思われる。
  一際目立っていたその子をいつも意識したが、ある日、席替えがあって偶然その子の隣になった。嬉しい気持ちとは裏腹に、何故かその子に邪険な素振りをしてしまう。
  担任がその様子に気づいて、すぐに遠くの席に変えられてしまった。気分を害した女の子に担任が配慮した訳である。


 

 素直に喜べば良かったと後悔したが、後の祭りである。それからというもの、気を引くために、その子の家の前まで行って歌を歌った。
  曲は、私の父親が歌っていた歌謡曲と軍歌である。家の中まで聞こえるように大声で歌ったのだが、これが不味かった。特に軍歌が良くなかった。
 戦後から15年以上が経っているとはいえ、夫が敵国の人間なのであり、無神経にも程があるとその子の母親が思ったようである。
  このことは私の母親から注意されて、それ以来しなくなった。悪気のない子どもの歌であっても不快な気分にさせたのであり、今思うと、冷や汗ものである。
 それが原因なのかどうか分からないが、すぐにその子はどこかに引っ越してしまった。

 

銭湯
 家に風呂がなかったので、家族全員が近くの銭湯に行っていた。
  銭湯といえば、浴室の壁の富士山の絵を思い浮かべる人もいると思うが、関西ではそうとは限らないようである。それぞれの土地柄に因んだ、地方色豊かな風景画や人物画もあると聞いている。
 ちなみに、最初にペンキで絵を描いたのは、大正時代の東京の銭湯であるらしい。描いた人が静岡県出身だったので、富士山が選ばれたようである。その後、日本の象徴で縁起物であった富士山が、日本中の銭湯に普及することになる。
 

 

 

  私の地元である京都では、大文字山や金閣寺が描かれている銭湯もありそうであるが、富士山にしろ金閣寺にしろ、それは客たちを和ますためのものであり、経営者の嗜好だけで描かれたものではない。妖怪や幽霊が好きだからといって、グロテスクで不気味な絵を壁一杯に描く人はまずいないのである。
 それで、私が行っていた銭湯はどんな絵であったのかというと、どういう訳かまったく思い出せない。『ひょっとしたら、なかったのかも知れない』と思うほど、イメージが頭の中に出てこないのである。
 子どもにとっては壁の絵柄など関心のないことであり、それよりも友だちがいるかどうかが毎回気になっていた。もし友だちの誰かがいるとなれば、湯船に腰掛けて決まって長話をしたものである。
 内風呂があって銭湯に行ったことのない人の中には、「銭湯は、不潔だから嫌だ」と言う人がいるかも知れない。「大勢の人の性器や肛門が同じ湯舟に浸かっているのだから、不衛生である」と主張するのである。
 確かに大便をしてもあまり丁寧に拭かない人もいるに違いないから、その言い分も分かる。
 実際、脱衣場でかなりの年の爺さんが、肛門に張ってあるサロンパスを剥がすのを見たことがある。それは、大便を漏らさぬようにするためであって、そのサロンパスには黄土色のシミがついていた。
 そんな爺さんの尻が同じ湯船に浸かるのであり、入りたくないと思うのは無理もないことである。それでも銭湯は私にとって楽しい場所であり、人を引き寄せる魅力があったように思う。
 この銭湯には、友だちや近所の人以外にもいろんな人が来ていて、様々な人間模様を見せてくれた。
  湯上がりのまま、左手を腰に当てながらで美味そうにコーヒー牛乳を飲んでいるフルチンのおっさん、体重計に乗って何やらブツブツと文句を言ってる小学生、1回10円のマッサージ機にずうと居座り続ける爺さん、健さんばりに唐獅子牡丹を背中に彫った強面のやくざ、鏡を見ながら髪にたっぷりとポマードを塗っているヤンキーの兄ちゃん、水風呂で水の掛け合いをして大人に怒られる中学生など、印象に残るユニークな人たちがたくさん見れたのである。

 

 

   もちろん、悪しき事も時にはあった。石鹸を踏んで足を滑らせ後頭部を血だらけにする人、泥酔で入ってきて所構わずわめき散らす人、「わしの財布がない。お金が仰山入っている財布がないのや」と血相を変えて番台のおばさんに訴える人、サウナでの我慢が過ぎて救急車に運ばれる人など、結構、難儀な人もいたのである。
  しかしながら、いずれにしても私にとっての銭湯は、非常に有り難い場所であった。毎日行っても家計に響くような料金ではなかったし、友だちと雑談できる社交場のような役割をしていたので、『行きたくない』とは一度も思わなかったのである。
 最初は、母親に付いて行ったので女湯の方に入っていたが、その光景はほとんど記憶にない。女の裸が目の前にあったにも拘わらず、幼かった私の脳裏には焼き付かなかったのである。
  その銭湯では、他の所と同様に男女の浴室と脱衣所が隣接していたので、若い夫婦が「今、上がるぞ」「はい」などの声を壁越しに掛け合うこともしばしばあった。
  脱衣所には、幼い子どもが自由に通れる狭い戸口があって、私の父親と母親がいっしょに入った時などは、その戸口の暖簾を潜って男湯と女湯を行ったり来たりしたものである。番台のおばさんも幼児の特権であると認めていて、怒ることはしなかった。
 小学生になり、いつの日か女湯には行かなくなったが、あの戸口からチラリと見える女湯の様子に少しドキドキしたものである。もしかしたら、同級生の女の子の裸が見えるかも知れないと期待したからである。

覗き
 中学生になった頃、同級生である友だち二人が突然こんなことを言って来た。
「昨日の夜、俺らは女湯を覗いて裸を見たで。その時、同級生のメグミちゃんがいて、タオルで乳や股を拭いてたわ。お前も来たら良かったのに」
と、得意げに自慢話をしたのである。嘘か本当か半信半疑であったが、もし事実なら、あの可愛いメグミちゃんが自分の裸を彼等に見られたことになる。それは、とても残念なことであるが、正直なところ『羨ましい』とも思った。
『一体どのようにして見ることができたのか』それが気になって、二人に詳しく聞いてみた。
 彼等は、女湯の脱衣場の横にある小さな和風の庭に忍び込んだのである。そこは、池や石灯籠、植え込みがあり、風呂から上がった女性たちを和ますための空間になっていた。
 大抵の女性がその庭の方に向いて体を拭くのであり、植え込みに隠れていた彼等は真正面の裸体を見ることができた訳である。
『よくまあ、そんな大胆なことをしたもんだ』と驚いたが、同時に『夜とはいえ、よく見つからなかったな』と感心もした。
 ところが、後日、母親から聞いたのだが、実際には彼等は見つかっていたのである。その時の事を再現するとこうである。
 まず、石灯籠に隠れていたA君が若いお姉さんに気付かれて、『あそこに誰かがいるわ!』と大声で叫ばれた。『捕まってはヤバイ』と思って二人はすぐに逃げるが、運悪くB君をよく知っている近所のおばさんがそこに居合わせていたので、誰であるのかがすぐにバレてしまった。
 翌日、銭湯の経営者とそのおばさんがB君の家まで行き、B君の親に苦情を言う。その時、B君からA君の名前を聞き出して彼の家まで行き、親に苦情を述べたのである。
  呆れかえった親たちは、自分の息子に激怒して、経営者に深く謝罪する。経営者は、『二度とそのようなことをさせません』と親に確約させて、同じ町内に住む子どもの事であるからと警察沙汰にはしなかった。
  何とか穏便に済んで親たちは安堵したが、恥ずかしくて近所の人たちに顔向けできなかったに違いない。
 その後、B君はこれに懲りて不埒な行為はしなかったが、主犯格のA君の方はというと、相変わらず破廉恥極まりないことを繰り返していたようである。

薬湯
 もうひとつ、この銭湯で起こった恐ろしい事件がある。それは浴室での難儀であり、乳飲み子がやらかしたことである。
 ある父親が幼い子どもを抱きかかえて浴室に入ってきた。そして、浅い方の湯船に入ったその時である。腹の具合が悪かったのか、その子が大きい方を漏らしてしまったのである。
 排泄物はすぐに拡散して、そこの湯舟はオレンジ色に染まった。父親が洗面器でそれを何とか掬おうとするが、無駄だった。
  そこへ何も知らないお爺さんが入って来た。その湯船を見ながら、「おお、今日は薬湯か」と言って、おもむろに浸かった。
 お爺さんに「そこに入ったらあかん」と言うべきだったのだが、父親の申し訳なさそうな顔を見て、私はその場を離れてしまったのである。

水中眼鏡
  さらにもうひとつ、ここではない別の銭湯の興味深い話を同じ中学の友だちから聞いたことがある。
 その友だちは、『そこの水風呂は男湯と女湯が底の方で繋がっていて、潜って女湯の方に行くと女の恥部が見える』と、私に言ったのである。
 私が、「水中で眼を開け続けると痛くなるので、水中眼鏡をつければよい。そうすれば、よりはっきり見えるかも知れんな」とアドバイスすると、「そんなことはもう既に思い付いてやろうとしたわ。けど、水中眼鏡を持っているのを番台のおっさんに気づかれ、怪しまれて未遂になったわ」と残念そうに答えた。
 


 

  やはり、考えることは同じである。犯罪スレスレのことをしてまでも、女性の裸は見たいのである。それが可能であると知ると、中学生の血が騒ぐのは自然の摂理なのである。 ちなみに、「番台のおっさんは、女の裸を見ても何とも思わないのだろうか」という疑問を持っていたが、銭湯では裸が当たり前であって邪な気持ちにはならないようである。
  つまり、「混浴に入っている時の気分であり、裸を見ても別に興奮することはない」と言うのである。それでも男である以上、一度は座ってみたいと願ったものである。
 このように懐かしくも甘酸っぱい思い出が詰まった銭湯であるが、今では激減してしまった。内風呂が普及して利用客が減ったことや重労働で後を継ぐ人がいないなどがその理由であるが、これも時代の流れで仕方のないことなのかも知れない。
 でもまたいつか、どこかの銭湯に行って、湯舟から上がった後にパンツ一丁のままで腰に左手を当てて、毒々しい絵柄のまむしドリンクを飲んでみたいものである。


 

大怪我
『それは、単なる夢だったのか。それとも現実にあったことなのか』
 はっきりしない事が、頭の中にずうっとあった。それは、「私の頭から大量の血が流れていて、母親に抱きかかえられている」という場面である。
  時々、夢に出て来るその光景はいかにも生々しく、ひょっとすると実際にあったことではないかと思い始めた。
  私が成人してからある時、何気なくその事を母親に尋ねてみると、母親の顔の表情が少し曇った。最初は言葉を濁してはぐらかしていた母親であるが、私の怪訝そうな顔を見てようやく事実を語り出した。その内容は、こうである。
 その日、外出する用事があった母親は、幼い私を自転車に乗せて出かけた。目的地に着くと道路脇に自転車を止め、寝ていた私を置いて離れてしまったのである。
『すぐに戻るから』と判断したのであるが、思いの外、話が長引いてなかなか戻れなかった。
 そうこうしている内に目が覚めた私は、母親を見つけるために自転車の上で動いた。それが原因で

自転車が傾いて倒れ、落下した私は頭に大怪我を負った訳である。
 

 

 母親がそのことを隠していたのは、『よくまあ、そんな軽率な事をしたものだ。母親失格である』と、息子に責められるのを恐れたからである。
 刑罰であればもうとっくに時効になっているが、母親にすればトラウマになる出来事であった。
 それはともかく、我ながらそんな不思議な夢をよく見たものだと思う。転倒した自転車、血だらけの私、私を抱きかかえる母親など、どれもこれも自分以外の目で見ているシーンなのだから。

おさるのかごや
 デレビ放送は、まだ開始されていなかった。民衆の唯一の娯楽といえば、ラジオ放送だけであった。
 ニュースや歌謡曲、浪花節、漫才、落語、ドラマ、スポーツなどが放送され、心待ちにしていた人も多かった筈である。私の家にも古びたラジオがあったので、母親がよく聴いていた。
 

 

 歌謡曲だけではなく、童謡や唱歌を流してくれる歌番組もあった。私が2歳の誕生日を向かえようとしていた時、母親がその放送局にリクエストのハガキを送ってくれた。
 運良く採用されて、私の名前と誕生日が読まれその曲が流れた。曲名は「おさるのかごや」である。なぜその曲なのかは母親曰く、『その曲がラジオから流れると、私がとても喜んだから』ということであった。

 

 

 大人になった今はその曲に特別な思い入れはないが、その時は幼い私を笑顔にさせる大きな力があったようである。
 音楽とは、摩訶不思議なものである。クラッシクの名曲だけでなく、童謡や民謡でも聴いた人を感動させてくれるからである。
  昨今、巷では様々な曲が流れている。海外のポップスやジャズなどの動画も、ネットで見られるようになった。邦楽、洋楽のジャンルを問わず、その曲を聴けば、癒されたり、勇気が出たり、励まされたり、涙が出たりと感化されることも多い。
  人は、喜んでは歌い、悲しんでは歌うということを繰り返してきた。心を表現する手段としてだけでなく、まるで人生に溶け込んだ潤滑油のようであり、人にとっては切っても切れないものと言える。
  それ故に、『音楽は、人生に多大な影響を及ぼす不可欠なもの』と定義しても、過言でないように思う。

市電
 私が生まれた頃は、碁盤の目のように張り巡らされた線路の上を市電が走っていた。
 

 

  スピードはさほど出さず、ゆったりとした乗り心地で、年寄りや障害者に優しい乗り物だった。
 乗り降りは、道路より一段上がった安全地帯と呼んでいた所で行った。コンクリートで造られた平べったい簡素な駅だった。
  車内には、運転手の他に車掌もいて、切符を売ったりそれを回収したりしていた。発車時には、「次は、百万遍。銀閣寺へはそこで乗り換え」などと、駅ごとによく通る声で客に知らせていた。録音ではなく生の声であり、車掌によって少しイントネーションが異なってはいたが、それはそれで味があって良かったと思う。
  当時の市民の足は主に路面電車であったが、特定の区域にはチンチン電車、市バスやトロリーバスも運行されていて、比較的安い料金でどこにでも行けた。
 

 

  自動車は少なく、たまに路上で見かけるのはタクシーかトラックであった。道路も地道が多く、ミゼットというオート三輪車がガタゴトと車体を揺らしながら走っていた。


 

アナログの世界
 当時の庶民の暮らしぶりというのは、何をするにもアナログが主流であった。
 今では当たり前のように使われている自動炊飯器、自動洗濯機、掃除機、冷蔵庫、電子レンジ、エアコンといったものはどこの家庭にもなく、何をするにも人の手に頼っていた。
 私の家の台所の流し台も、今日のようなステンレス製ではなく、コンクリート材で造られた直方体のざらついた箱であった。その上に水道水の蛇口があったが、冬の寒い時期には水が凍って出なくなることが度々あった。
 毎日のご飯は、よれよれの割烹着を着た母親が『おくどさん』と呼んでいた『かまど』で炊いていた。魚や煮物は、『かんてき』つまり『七輪』で焼いたり煮たりした。
 

 

 どちらも、新聞紙で火をおこして薪や豆炭を燃やしたが、そこまでいくのにかなりの時間を要した。マッチで点火するだけのガスコンロを使用するのは、もう少し先である。
  砂糖、塩、醤油、味噌、七味唐辛子、海苔、鰹節といった調味料や食品は、「水屋」と呼ばれる家具に保管していた。
 

 

 

 冷蔵庫はなく、生ものはすぐに食べた。当然、冷たい物は飲めなかった。夏に唯一冷たいと感じたのは、母親の田舎で食べた井戸で冷やした西瓜だけだった。
  洗濯は、タライと洗濯板がフル稼働で使われた。特に赤ん坊を抱えている家庭は、おむつの洗濯には不可欠だった。おむつは使い捨てではなく、古くなった着物を切ってそれを何回も使用した。洗剤は石鹸が主流で、今のような優れものではなかったように思う。
 

  

 

 掃除は、家の中は座敷箒を使い、外は庭箒で掃いた。積もった埃は、はたきをかけて最後はちりとりに入れた。箒で掃除をすると部屋の中の埃が舞うので、吸引式の掃除機の出現は画期的で有り難かった。

 

    

 

 便所は、狭い裏庭の一角にあった。水洗ではなく汲み取り式であり、その空間には常に糞尿の匂いが充満していた。溜まった糞尿は、定期的にバキュームカーが来て汲み取っていたが、たまに農家の人が『たい肥に使う』と、柄杓で桶に入れて持って帰ったこともあった。

 



 用便の紙は、ロールになったトイレットペーパーはなく、落とし紙と呼ばれた低品質の紙である。それがない場合は、古新聞を手で切ってクシャクシャにしてから使用した。それでも新聞紙は固いので、肛門に傷が付かないようにゆっくりと拭いた。


 真夜中、心細い電灯を頼りに便所に行くのは勇気が必要だった。電球が切れていた時などは、暗闇の中を手探りで用を足すのであるが、お化けが出そうで本当に怖かった。
 部屋の中で時を知らせていたのは、ゼンマイ式の古い柱時計である。母親がそのネジを回していたが、よく遅れていた。時たま夜中に「ボーン、ボーン」という音が悲しげに響いくことがあったが、あまり気持ちの良いものではなかった。

 


 

  この時代、誰かと連絡を取るにもまったく手段がなく、お手上げ状態だっだ。警察や救急車を呼ぶような緊急の場合でも、公衆電話を置いている店舗に走って行くか、電話機を備えている家に何とか頼み込むという方法しかなかったのである。

 



  パソコンやスマホのような文明の利器の使用などは、考えも及ばない夢のまた夢の事であり、今と比較すると非常に不便な時代であったと思われる。
 当時の人にとってはそれが当たり前であって、不便など感じなかったに違いないが、今を知る私にとっては、もうあの時代に戻りたいとは思わない。

生涯             
  永遠に生き続ける命など、どこを探してもないのである。いつか終焉がやって来るのであり、人も例外ではない。  
 その終わり方は人それぞれであって、スタートしてからゴールに至るまでのプロセスも異なってくる。
 かなり長寿であった人、非常に短命であった人、順風満帆であった人、波瀾万丈であった人など様々である。
  生まれてから死ぬまでの間には、多種多様な事が起こる。人との出会いだけでなく、喜んだり、悲しんだりと喜怒哀楽に関わることが山盛りにある。
 また、追い風だけではなく、逆風が吹いて困難を極める事も多い。まさに『山あり谷あり』であって、決して平坦な道のりではないのである。 
  起伏の激しい人生を送った人などは、『苦境の連続を何とか持ち堪えた。我ながらよく諦めずに乗り越えられたものだ』と、感慨に耽るのかも知れない。 
  もし、このような人の生涯を物語にするとすれば、かなりの長編になると思われる。特別な出来事だけでなく、日々の取り留めのない暮らしぶりまで入れてしまうと、膨大な量になるに違いない。
  なるほど、『人生とは長い旅である』とは、よく言ったものである。臨終というゴールに辿り着くまでの旅路の様であるから。
 ところが、この『長い旅』も、無限ともいえる宇宙の空間と時間の中では微々たるものになる。 
 ご承知のように我々人類は、地球という惑星の中で生きている。地球は太陽系の中にあって、その太陽系も銀河系の中に存在する。更に銀河系は、巨大な宇宙に包括されるのであり、その広さは人知を遥かに超えるものとなる。
 

 

 宇宙の歴史についても同様である。今に至るまでには、約137億年かかったとされていて、途轍もない長さなのである。
 つまり、宇宙の規模に比べると人の一生など一瞬の出来事であり、まさに、「夢幻の如く」なのである。
 それでも、人の営みがまったく無意味で無価値なものであるとは言えない。なぜなら、「夢幻の如く」であっても、決して「夢幻」ではないからである。
  人は、仮想ではない現実の時間と空間の中で生きている。その在り方は、映画館で見るような単なる作られた映像とは根本的に違うのである。
 理論物理学においては、パラレルワールドというものが存在すると言われている。異なる二つの世界が平行に進んでいて、誰かが存在する世界と存在しない世界があり、それぞれが別々の歴史を構成しているというものである。
 それが本当だとしても、これらを映画の編集のように消去したり追加したりはできない。過ぎ去った事実は変えられないのであり、神であっても不可能なのである。
 我々は、この世界にたとえ僅かであっても痕跡を残している。それは紛れもない事実であり、否定のしようがない。
 残念ながらその痕跡は、その人の死後、人々の脳裏から徐々に消えて行く。どんなに著名な人であっても、何年か後には忘れ去られてしまうのが常である。
  固い絆で結ばれた家族や無二の親友がいるとしても、その人たちにも寿命がある。歳月が過ぎれば思い出してくれる人がいなくなるのであり、それはまるで、故人がこの世に存在してなかったかのようである。
 しかしながら、たとえそうであっても『生きていた』という事実はなくならない。名声を得ようとなかろうと、何かを成していようとなかろうと、存在していたのは確かなのである。
 だから、『人生とは何か』とその意味や価値を他人に問われれば、『人として懸命に生きることであり、その事自体がかけがえのないものである』と答えたい。
 人は、道端に転がっている石ころなどではない。自分の意志というものを持っているのであり、その思いに沿って命の限りに生きようとする生き物である。
 同じ生きるのなら、苦労なく元気なままで長生きしたいと誰もが望む。そんな願いとは裏腹に、早死にする人も結構多い。                  
 早く亡くなった人の理由は、主に病気や災難であるが、それは予測できない不確かな事といえる。
 確かに命の終点というのは、そう簡単に分かるものではない。突発的な事による急逝も起こりうるのであり、私自身もこの先、どれくらい生きられるのか検討もつかない。
 だから、『あの時、こうしておけば良かった』と、悔いが残るような生き方はしたくないと思う。まあ、死んでしまえば、そんな思いも持てないのだろうけど。
 医学の進歩に伴って、人の平均寿命が昔と比べて格段に長くなってきた。90歳を越える人も珍しくなく、これから先も伸びていくのは明らかである。
 仮に人の寿命が80才だとすると、その折り返し点は40才になる。私はそれをとっくに過ぎているが、まだまだ先が続きそうである。今のところ、命に関わる大病もせず、死への願望もないので、少なくともあと数年は生き長らえると予測する。
 

 

  それでも、楽観視するのは禁物である。なぜなら、前途にどのような災いが待ち受けているのか分からないからである。終わりが明日になる可能性もあって、油断はできないのである。
 もし私が死んだら、どうなるのだろうか。『誰か悔やんでくれる人がいるのだろうか』『少しは気にかけてくれる人がいるのだろうか』という疑念が湧いてくる。
 この世では、何の名誉も地位も富も持てなかった私である。葬られた後、すぐに忘れ去られるのに違いないが、人々の脳裏から私の存在が消えるのは、何か侘びしい気がする。
 先ほど『生きているだけでこの世に痕跡を残せる』と述べたが、やはり、このまま死んでしまうのは不本意である。せめて、自分がこの世に生きていたという証を何かの形で残して置きたいと願う。
  それは、名前が刻んであるだけの墓石などではなく、自らの手によって造り上げた物であって欲しい。そう考えて思い付いたことが、この文筆活動である。
 既に、その思いを込めた小説と随筆を書き終えてはいるが、これに私自身の自伝を付け加えて、その仕上げとしたい。
  終焉に近づいているとはいえ、この時点で人生を語るのは、「時期尚早」と言われるかも知れない。
 それでもお迎えが来る前に、いや記憶力や思考力がなくなる前に、これまでの道のりを過去に遡って記していくつもりである。
 ありきたりの取るに足らない出来事の羅列になると思うが、時には私なりの考えも織り込んでいき、読者に少しでも共感してもらえることを願っている。

 

意識 
 物心ついたのは、いつの頃であったのだろうか。自分というものを意識し出したのは、何歳の頃であったのだろうか。    
 この世に生を受けて今日に至るまでの営みは、すべて私の意識によって決められたものである。たとえ、他人に指図されることがあっても、それを拒絶するかどうかは自分自身の判断になる。
  五感においても同様で、他人の視覚、聴覚、味覚、嗅覚、聴覚を使用したことは一度もなく、これから先もない。腹痛で唸ったことも、悔しくて泣いたことも、腹が捩れるほど笑ったことも、すべて私自身のことなのであり、私以外の何ものでもないのである。
 

 

 なぜ、私だったのだろうか。なぜ、私が選ばれたのだろうか。
  人類の創世記から今までに生きていた人の延べ人数というのは、かなりの数であるに違いない。それは、単に世界の総人口ではなく、生まれては死ぬことを繰り返して来たこれまでの延べ人数なのである。日本だけでなく海外も含めると、見当もつかないくらいである。
 その無量大数ともいえる人類の総数の中から、何故、私だったのだろうか。どういう訳で、自分という意識を持っていたのが私であったのだろうか。
 どこかの農民でもなく、武士でもなく、高貴な方でもなく、ましてや、海外の大統領でもない。日本という国で生まれた、どこにでもいるような一人の男に過ぎないのである。
  しかしながら、よくよく考えてみると、暴君に虐げられる領民に生まれた訳ではなく、また、戦渦で明日をも知れぬ身で生まれた訳でもなく、そういう点では何よりの境遇であると言える。
  それが平々凡々であっても、基本的な権利と自由を保障されている世の中に生まれて来たのは、有り難いことである。
  それにしてもこの先、何年生きていけるのだろうか。1年後なのか20年後なのか神のみぞ知るが、もし私の命がそこで尽きてしまえば、その時点ですべてが終了になってしまうといえる。
  この世があったこと、家族や知人がいたこと、諸々の事があったことなど、すべてがなかった様になってしまうのである。
  もちろん、私が消えても世の中は続いていくのに違いない。それは、事故であれ、病気であれ、寿命であれ、実際に亡くなる人がいるにも関わらず世の中が続いていることから分かる。
 それでも、私にとってはどうであろうか。もう、私の意識はもうないのであり、何も認識できなくなっている状態なのである。
 つまり、この世は、自分の意識があってこそ成り立つのであり、そうでなければ「すべてが、無に等しい」ということになる。

誕生

 昭和29年の12月8日の未明に私は産声を上げた。


 

 

 私という新しい生命の誕生であるが、厳密に言うと、生命が母親の胎内に宿ったのはその日より十ヶ月程前であって、決して12月8日ではない。
 しかしながら、世間一般が認める誕生日というものは、母親の胎内から出て来た日であって、その日になる。
 あまり、縁起の良い日ではない。日本がどん底に落ちた太平洋戦争が始まった日であり、ジョン・レノンが熱狂的なファンに射殺された日である。
 それはさておき、私が生まれた時のことは母親から聞かされていた。母親の胎内から出たときは、すぐには泣かなかったらしい。心配した産婆さんが私の尻を数回叩いて、ようやく産声を上げたようである。その声を聞いた母親も、「ホッ」としたに違いない。
 実は、私が誕生する前に、もう一人、兄になるべき人がいたのであるが、残念ながら死産であった。そのこともあって、初めて我が子を抱いた母親は、安堵と喜びに満ちたと思われる。
  結局、私は長男として生まれた訳だが、もし兄が無事に生まれていたら、今とは違う人生を送っていたのかも知れない。
                                            

 一番最初に自分の脳裏に焼き付いた人の顔は、いうまでもなく母親の顔である。微笑んだ優しい顔と唇を噛みしめた怖い顔の二つになる。

 

 

 

 おそらくそれらは、赤ん坊の私に愛情を降り注いでいた時の顔と、泣き止まない私に苛立ってきつい表情になっていた時の顔であったに違いない。
 そんな幼い時の事をはっきり記憶している筈がないと言われそうであるが、実際にその記憶が残っているのは事実である。

 

おもちゃ
  もうひとつ記憶に残っているのが、天井に付けられていた「ガラガラ」である。

 

 

 その頃は、グルグル回りながら音を出すオモチャが赤ん坊をあやすツールになっていて、赤ん坊がいる家庭では必ずあったものである。
  寝返りが打てて、ハイハイをし出し、座れるようになった時は、積み木でよく遊んだ。積み上げることはできなかったが、四角や三角の木を手で触ったり、持ったりした。 
 

 

 

 小さいおもちゃのピアノもあったが、白の鍵盤をガンガンと叩くだけで、すぐに飽きてしまった。メロディを奏でられないので、単なる雑音でしかなかったからである。

 


 よちよち歩きができる頃には、手押し車で近所を散歩していた。取っ手を持って前へ歩き出すと、フロントにある三匹のひよこが代わる代わる上に出て来るのであり、それを見て喜んだのである。母親が付き添ってはいるが、室外における初めての自力の活動といえる。

 

 

生家
 私が生まれた所は、古い木造の家が連なる長屋で、その東側の一番端に位置した平屋である。屋根裏もない2部屋だけの家であったが、苔が生えている裏庭があった。
 和風のようなその庭には、木々が数本植えてあり、真ん中に石臼が置いてあった。その石臼は、正月前になると外に出されて餅つきのために使われた。
 

 

 屋根は瓦であるが、時折雨漏りをするくらい老朽化していた。どの家も台風が来ると壊れる恐れがあったので、町内のほとんどの住民が地域の小学校の講堂に避難したものである。
 顔見知りの近所のおじさんが、『建てられてから百年以上は経っている』と、子どもの私に教えてくれたことを覚えている。なので、家賃は非常に安かったようである。
  この長屋はかなり前に壊されて、私の生家もその時になくなった。今は違う建物が建っていて、そこに戻ることはもうできない。
 

両親
  まだ若かった父親が、「戦時中に軍需工場で働いていた」と言っていたのを聞いたことがある。おそらく、兵器か何かの部品を造っていたのだと思う。
 終戦になってからは、その経験を生かしてバイク店を始めようとするが、「命がなくなるような因果な商売はするな」と、親に猛反対されて諦めてしまう。この時に、大きな挫折を味わったのである。
 自分から話しかけることはなかったが、人付き合いは良い方だった。堅気の人から反社会の人まで、いろんな方面に友だちがいて顔も広かったが、本当に親しかったのは同じ町内に住む同世代の男の人であった。
 その人は、「百万円を貯める」というのが口癖だったが、その当時の百万円は大金であった。高卒初任給が6千円ほどであり、日雇いの賃金では食べていくのがやっとで、貯金できる余裕などなかったのである。
 結局、ギャンブルも酒もほとんどせずに実際に百万円を貯めたのであるが、その後、何かの病気ですぐに亡くなってしまった。

 


 母親は、地方で生まれ育った田舎娘であった。西も東も分からない状態で都会に出て来たが、当初は周りの慣習に戸惑って他人から誤解を受けることもあった。
 それでも、父親と同様に人付き合いが良かったので、何人かの友だちがすぐに出来た。
 二人がこの地に移り住んだのは、夫婦になってからである。どんな縁があっていっしょになったのかは、私が一度も聞かなかったので知らない。
 非常に若かった二人は、日銭を稼ぐために小さな商売を始める。しかし、上手くは行かず、すぐに廃業する。その後、日雇いのような仕事をして極貧を凌いだ。
 私が中学生になった頃には、父親は地方公共団体の現業職に就き、母親は介護福祉士になった。二人とも安定した職を得たとはいえ、共働きは続いた。
 両親とも感情を表に出すタイプではなかったが、口喧嘩は毎日のようにしていた。原因は、父親の麻雀好きである。夜中に帰ってくることが多く、そのことでよく揉めたのである。

 

  

 

 時には朝帰りもあって母親はそれを責めたが、父親は聞く耳を持たなかった。激しい口論の末に、ある時は母親が家を出て、ある時は父親が家を出るという何とも不安定な時期もあった。その度に、「これから二人は、夫婦でなくなるのではないか」と気を揉んだものである
  このようなトラブルは、父親が脳卒中で倒れて麻雀が出来なくなるまで続いた。病床で母親は、「バチが当たったんや。自業自得や」と、父親の看病をしながら愚痴った。
 遊びに夢中で家庭を顧みない父親であったが、時たま子煩悩なところも見せた。私が小学校の中学年の時に、嵐山まで魚釣りに連れてくれたことは今でもはっきり覚えている。釣りのノウハウを教わったのは、その時になる。
 また、釣り仲間との夜釣りに私を連れてくれて、見知らぬ大人との出会いに少しワクワクしたものである。
 その日はあいにく途中から雨になってしまい、みんなは釣りをやめて川岸にあった無人の倉庫に避難した。
 そこは酒屋の倉庫であって、ビールが入ったケースが数箱置いてあった。冷えていないにも拘わらず、大人達はそれを無断で飲んだ。魚釣りが酒盛りになった訳である。
 

 

 そのまま帰ると酒泥棒になるので、飲み終わった後でその分のお金は計算してケースの中に入れていた。あまり褒められたことではないが、お金に関しては意外に律儀な面もあった父親である。
 父親は、たまに早く家に帰ってくると、母親や私に自分の好きな歌謡曲を歌ってくれた。その曲を得意のハーモニカで奏でてくれたこともある。私が音楽好きなのは、そのことが大きいと思われる。
  また、温厚な性格だったので、私が学校のテストで悪い点を取っても叱ることはなかった。自分が無学だったからなのか、子どもの教育にはあまり関心を示さず、『読み書きがそこそこできればそれで良い』と思っていたようである。
 母親も同じで、学校の通知表を見て叱ることは一度もなかった。ほとんどの教科が5段階評価で3であったのに、『もっとがんばらなあかんで』とは言わなかったのである。
 そのような緩さがあった両親ではあるが、私にとってはそれが良かったように思う。教育熱心な親の中には、子どもに過度なプレッシャーをかけてしまって、失敗した人もいるようであるから。
  母親は、仕事と家事と子育てで毎日が忙しかった。唯一楽しみにしていたのは、映画や芝居を観ることだった。日曜日になると、幼い私を連れて映画館や芝居小屋によく行っていた。
 映画は封切り館ではなく、三本立ての安い三番館である。現代劇よりも時代劇を好み、市川右太衛門、片岡知恵蔵、大川橋蔵、中村錦之助といった銀幕のスター達が出ている東映の映画をもっぱら観ていた。

 

 

 芝居もドサ周りの旅役者がやっている大衆演劇が好きで、任侠物が多かった。芝居小屋はそんなに広くなく、役者と客との距離が短いので臨場感があった。

 

 

 時たま、出番が終わった股旅姿の役者に通路で出会ったり、演劇の最中にも拘わらず、客の野次にキレた役者が舞台上で言い返すというハプニングを見たりもした。
 今思うと、映画も芝居も私にとっては退屈なものでしかなかった。幼すぎる私にとっては内容が難しく、上演の半ばには既に寝ていたと思われる。

 

おたかさん
 ちなみに、大衆演劇でいつも役者を野次っていたのは、私の家の裏側の家に住んでいた「おたかさん」と呼ばれていたお婆さんである。
 

 

 

パフォーマンスのつもりだったのか、人を笑わそうとしただけだったのか、幼い私には分からなかったが、あまりの放言に役者から苦情が出て、その後、芝居小屋への出入りが禁止になってしまった。
  当の本人は、思ったことをずけずけと言うだけで至って悪気はなかったのであるが、周りから疎まれていたのは確かである。
  そんなおたかさんは、息子さん夫婦といっしょに暮らしていたが、その夫婦には私と同い年の娘さんがいた。活発な祖母とは違い口数が少なく大人しい女の子であったが、何かと話題になる祖母の事で肩身が狭かったに違いない。
 私の母親とおたかさんは、親子程年が離れていたにも拘わらず、家が非常に近いことや芝居好きなこともあってよく世間話をしていたものである。
 しかし、私が小学校の中学年の頃になると、いつの間にかまったく姿を見せなくなっていた。ある日、その事を母親に尋ねてみると、「もう亡くならはったわ」と悲しげに答えた。どうも重い病気で入院していたようである。
『そうやったんや。あんなに元気なお婆さんやったのに』と、少し驚いた。それと同時に、『人は、いつかは死ぬのである』ということを実感したのである。

 


 

ワクチンの効用

「兄貴、どうもあのワクチン、効かんみたいですぜ」

「何やて!」

「組の中で、ウイルスに感染したもんが出たんですわ」

「ほんまか!」

「へえ。効くもんと効かんもんとがいるようで、特に年寄りは効きにくいと聞いてます」

「そらあかんな・・」

「結局、アイツ等が作ったワクチンは、中途半端なもんやったということでんな」

「けっ、あのガキら、一回、焼き入れたらんとあかんな」

「それとこのところ、事務所の周りを怪しい男がウロウロしていて、気になって仕方おまへん」

「ひょっとしたら、サツが嗅ぎ付けたかも知れんな」

片岡は、『漏らした犯人は、おやじである』と思い始めていて、組長の甘さを悔やんだ。

『ほんまにしゃーないおやじやで。自分で自分の首を絞めよって』

金山に聞こえぬように、極めて小さな声で呟いた。

「サツが動いているいうことは、ある程度の証拠を握られている可能性があるな」

「ウイルスだけとちごて、裁判とマサや竜次の件も有りますし」

「ふーむ」

「どないしまひょ」

「よーし、こうなったら日本から離れるしかないわ」

「ええっ、どっかに逃げるんでっか?」

「そうするしかないやろ」

「どこへです?」

「そうやな・・」

 これまで、幾度かの窮地を並はずれた機転で脱してきた片岡である。例によって悪知恵を働かせて、その国の名を頭の中に浮かべた。

「今、世界で一番安全な国というたら・・」

「・・・。サ、サンランドですか?」 

「そうや」

「あそこは、これからウイルスをばら撒くのんと違いましたん?」

「事情が変わったんや。それはせえへん」

「そやけど、簡単には入れまへんで」

「儂に考えがある」

「どんな考えですのん」

「政治家や。うちとこと繋がりがある政治家を利用するんや」

「はあ・・」

「最近、裏ルートでサンランドに入っている政治家がいると聞いとる。儂らも、そんな政治家について行ったらええんや」

「なるほど」

「金山、お前もいっしょについて来い」

「よろしおますけど、私ら向こうで永住するんでっか」

「アホか。誰がそんなことするかい。ほとぼりが冷めるまでの間だけじゃ」

「やっぱり、そうですわな。それで、組長の方はどないしますのん」

「どっか、山奥の別荘にでも行って貰うしかないやろな」

「いっしょにサンランドへは行きまへんのか」

「おやじが嫌がるわ。大の飛行機嫌いやし。第一、あんなおもろないとこ、『死んでも行かん』と言うやろな」

「そうですか・・」

 

帰国

 成田空港に隣接するPCRセンターの玄関先に、数人の報道関係者が陣取っていた。その中には、新聞社のスタッフとして来ていた小宮もいた。彼等の狙いは、サンランドから日本に帰国してきた人たちを取材する事である。

 通常、このような状況では、外国人の入国が認められる事はない。しかしながら、感染者がまったくいないサンランドということで、日本人のみが特例として認可されていたのである。

 また、サンランドの方も、感染を覚悟で帰国したがる者を止めなかった。『無理に引き留めるのは、暴動の勃発に拍車をかけることになる』と判断したからである。既に外交を閉ざしている状態であったが、これも特例として許可された。

 スタッフたちは、帰国者がPCRセンターから出て来るのを今か今かと待ち構えていたが、2時間を過ぎた頃に検査を終了した5組の家族がようやく出てきた。

 小宮が素早く行動に出て、先頭を歩いていた家族にインタビューを試みた。

「報道関係の者ですが、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」

「あっ、はい。どうぞ」

家族の主人と思われる初老の男性は、マイクを向けられて少したじろいたが、快く承諾した。

「戻って来られたのは、どのような理由からなのでしょうか?」

「私たちは、サンランドが犯罪のない理想的な楽園であると信じて、家族3人で移住しました。しかし、いざ住んでみると、それは幻想に過ぎませんでした」

「どういう点が、良くなかったのでしょうか?」

「確かに犯罪が少なく安心して暮らせる国でしたが、すべてが管理的でした」

「すべてがですか」

「ええ。至る所に監視カメラが設置されていて、プライバシーが守られなかったのです」

「それは、息が詰まりますね」

「更には、国を管理する立場の者の不正が明るみになりました」

「賄賂や忖度ですね。それについては、前から噂されていましたね」

「現在、サンランドでは、そのことに対する抗議運動があちこちで起こっています。若者たちがその中心になっていますが、彼等が過激な行動に出るのは目に見えています」

「暴動の危険性があるのですね」

「はい。それで帰国を決断した訳ですが、私たちだけでなく、日本人以外の何人かが同じ様な思いで元の国に帰って行きました」

「サンランドの人口が減少傾向にあるという情報は、事実だったのですね」

「おそらく、1ヶ月前と比べると4分の1は少なくなったと思います」

「4分の1もですか。かなり多いですね」

予想もしなかった数字に小宮は驚いた。

「日本では新型ウイルスが蔓延していますが、その心配はありませんか」

「感染のリスクがあることは承知しています。それでも、家族と相談して帰国を決めました。日本に一人残していた高齢の母親の事も気になっていましたので」

「ご家族は、帰国に賛成されたのですね」

「妻は賛成しましたが、娘は嫌がりました」

「それはまた、どうしてですか。差し支えがなければ、お聞かせ願いませんか」

「詳しくは申せませんが、私たちがまだ日本にいた頃、娘が邪悪な者の毒牙にかかりそうになりました」

「ほう」

「その事で娘は傷つき、精神的に不安定になったのです」

「この国は、結構、欺瞞が多いですからね」

「それでサンランドへ移住したのですが、もう限界です」

「命あっての物種ですからね」

「娘を何とか説得して帰国を果たしましたが、娘にとっては辛い試練になります。また、混沌とした世界へと逆戻りです」

「そのお気持ちはよく分かります。私共も、日本が犯罪のない安全な国になることを心から願うばかりです」

「是非、そのようになって欲しいものです・・」

そう答えた男性は、後ろにいる娘さんに眼をやった。彼女は、どこを見るともなく俯き加減で不安げに立っていた。小宮は、彼女の首に掛かっているネームプレートを垣間見て、そこに「吉野真由美」という文字が書かれているのを確認した。

「どうも、お時間を取らせてすみませんでした。また、何かございましたら、私共にご連絡下さい」

そう言いながら自分の名刺を差し出した小宮は、すぐにその場を離れた。

 

10月14日の実験

 開発部の願いが通じたのか、この日の天気は雲一つない快晴になった。他の実施条件も

整って、いよいよ実験開始である。

 操作員が慌ただしく動き、発射までの準備が着々と進められていった。管制塔では、朴

委員長や幹部たちが、心配そうな顔でその様子を見ていた。

 午前10時30分ジャスト。核ミサイル発射のカウントダウンが始まった。

「10,9,8,7,6,5,4,3,2,1,0」

「発射!」

 

 

核弾頭を付けた大陸間弾道ミサイルは、大きな期待を背負って飛び立って行った。

「よーし、これならもう大丈夫だ!」

固唾を呑のんでいた研究員たちも、核ミサイル発射の成功に大いに喜んだ。

 

デモ

 片岡と金山は、ある有力な政治家の視察団に紛れ込んだ。その行き先は、言うまでもなくサンランドである。もちろん、視察は建前であり、実際のところは新型ウイルスからの逃避である。

 搭乗前のウイルスチェックは二人とも陰性で、すんなりと飛行機に乗り込むことができた。約6時間のフライトの末に、視察団はサンランドの空港に到着する。

 二人は、手続きを済ませた後もその団体に同行し、メイン通りにある視察団の宿舎まで送迎バスで行った。そこに着いてからは、一同から離れて自由行動を取ることにした。

 

「兄貴、こんなに上手いこと行くとは、正直思いませんでしたわ」

「先代が、あの先生らに仰山の献金を掴ましていたからな」

「政治家と女は、やっぱり金ですな」

「まあ、そういうこっちゃ」

二人は、顔を見合わせてほくそ笑んだ。

 

「金山よ、ちょっと腹が減ったな」

「そうでんな」

「この辺りに食いもん屋はあらへんのか」

「見回したところ、店らしい建物はおまへんな」

「ほんなら、その辺のもんに聞いてみい」

「ええっ。私がでっか」

「他に誰がいるねん」

「そんなん無理ですわ。日本語しかしゃべれへんのに」

「どんぐっさい奴やのうワレは」

「すんまへん」

「こうなったら、歩き回って見つけるしかないな」

「へえ」

 

 メイン通りを15分程歩いていくと、遠くに人混みがあるのが見えた。そこでは、誰も彼もが声を張り上げていて、何かを訴えているようであった。

「管理的でプライバシーのない国など、到底認められない!」

「そうだ!そうだ!」

「この国の理念はどこへ行った!裏に回れば道義に反した不正だらけじゃないか!」

「その通りだ!」

「もし、我々の主張が通らなければ、最後の手段に出るぞ!」

「おお!」

 真っ昼間からデモが行われていたのであり、近づいてみると、かなりの人数が集まっていた。

「へーえ。こんな所で、デモやってまんな」

「ほんに。若いもんが仰山いるわ」

「理想の国やいうても、国のやり方に不満を持つ者が結構いるもんですな」

「若いもんは、世間を知らんからな」

「確かにそうでんな」

「金山よ、デモの奴らを応援したれ」

「えっ、何で?」

「彼奴らは、国の方針に反抗するいわばはみ出しもんや。俺等といっしょやないかい」

「なるほど、そうでんな」

「彼奴ら、こっちを見とるわ。今や、はよやったれ」

「ほたら、やりまっさ」

 金山は、両方の掌を口に添えて、

「おーい、お前等、もっと派手にやったらんかい。俺らがついてるさかい、とことんやったれ。こんなしょうもない国なんか、いてもうたれ!」

有りったけの声を出し、親指を上に立てた。

 金山の声を聞いた若者たちは、『言っている言葉の意味は分からんが、どうやら俺たちを応援しているようだ』と思い込み、同じように親指を立てて応えた。

「彼奴ら、喜んでまんな」

「そやな」

 二人が愛想を振りまきながら、その集団に最接近した時である。彼等の様子が一変した。

「what is that?」

誰かが指で方向を示しながら、大声を発した。その言葉を聞いた誰もが、一斉に空を見上げた。

「なんや?どうしたんや?」

 二人が彼等の視線の方向に眼をやったその時、黒い飛行物体が自分たちに接近するのが見えた。

「何やあれ?こっちに向かっているぞ」

「えらいスピードで来てまっせ・・」

 

核ミサイルの操作室

『キンコン、キンコン。キンコン、キンコン』

非常事態の警告音が響いた。

「指揮官、大変です!」

「どうした?」

「ミサイルの制御が、突然、出来なくなりました!」

「なに!」

「このままでは、着弾予定地より遥か手前に落ちてしまいます!」

「手前というと、サンランド辺りか!」

「はい!」

「原因は何だ!誘導装置の不具合か!」

「装置は正常だと思うのですが・・」

「では、何だ!」

「分かりません・・」

「くっ、この大事な時に一体何が起こったというんだ!」

狼狽えた指揮官の体が、徐々に震え出した。

「まさかと思うが・・」

指揮官は、『核ミサイルが、どこかの国に乗っ取られたのではないか』と疑い始めた。

「どこに落ちるか分からんが、着弾するまでは制御を試み続けろ!」

「はい!」

 

最後の審判

 メイン通りの北西にある広場は、蜂の巣を突いた状態になった。間近に迫る危機を察した誰もが、その場を逃げようと慌てふためいた。

「兄貴!はよ逃げんとあきまへん!」

「どこへ逃げるんじゃ!」

「あの車の陰にでも!」

と、指差したその瞬間、

「ピカッ」

「ドドドド、ドーン」

 

 

 

 核ミサイルは、地上から4百メートルの上空で爆発した。その閃光と灼熱によって、合成樹脂で出来ているプレートの大半が溶けて、サンランドの中心部は海底に沈んで行った。

 

「番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします。今日の午後1時15分頃、某国の核ミサイルがサンランドに着弾した模様です」

「被爆によって、国自体が消滅した可能性があります。尚、生存者の有無は、まだ確認できておりません」

「繰り返し申し上げます。某国の核ミサイルが・・・」

 

 

※この作品は、すべてフィクションであり、架空のものです。実在する人物・地名・団体とは一切関係ありません。

 

第一回の公判

「被告人は、自分の本名、本籍、住所、職業、年令を言って下さい」

裁判官が、証言台の後ろに立っている五行法師に向かって人定質問をした。

「本名は山田郁夫、本籍は東京都港区浜松町、職業は教団の教祖、年令は五十五才」

 事前に聞かされていたので、淀みなく答えられた五行法師は、自分の弁護士に『これで良いのか』という視線を送った。弁護士は、少し頷きながら眼を閉じた。

 彼は、数々の裁判において手腕を発揮していた有能な弁護士である。この裁判が被告側に不利なことは明らかであったが、被告人から多大な額の報酬を提示されて、弁護を引き受けたのである。

「原告側は、起訴状の内容を陳述して下さい」

「はい」

 検察官が起訴状を読み上げた。傍聴席の被害者たちは、体を前に乗り出してそれを聞いた。罪状は、霊感商法による詐欺罪であり、被害者の人数と被害額の総計も記載してあった。

 検察側は、勧誘マニュアル、顧客リストなど確固たる証拠を既に握っており、この裁判は九分九厘勝てるものと自信を持っていた。それでも、五行法師は余裕のある態度で臨んだ。あくまで自分が勝利することに確信を持っていたのである。

「被告人には、黙秘権が有ります。自分に不利益になると思われることは、言わなくても結構です」

 裁判官の言葉を聞いてから、五行法師は傍聴席の顔ぶれを確かめるように見回した。原告側には中村貞吉もいたが、気にも留めることもなく、再び、裁判官の方に向き直した。

「被告側は、原告の起訴状に対する弁明を陳述しますか」

「はい」

「では、お願いします」

 一呼吸置いて、弁護士が予め用意してあった書面を朗読し始めた。その途中、被害者たちの怒号が五行法師へ飛び交い、収拾がつかない状態になった。

「お静かに願います。従わない場合は、退室をして頂きます」

裁判官のその一声で何とか収まったが、被害者の怒りは爆発寸前だった。

 第1回目の公判ということで、原告側と被告側の熱いやり取りはなく、訴状とその反論の確認だけである。双方の言い分を簡潔にまとめると、次のようになる。

 

・原告側

「何の根拠もなく、『近い将来、大病を患う。または大事故に遭う』と被害者を脅し、その対策として法外な値段の土鈴を買わせた」

 

・被告側

「土鈴は、神社仏閣で販売しているお守りやお札と同じである。それらは、『買えば御利益が得られる』と謳っているのであり、その根拠がなくとも認められている。また、法外な値段と言うが、買う買わないはあくまでも信者の任意である。教団が無理やり売りつけたのではない」

 

 被告側の高科という弁護士は、流石に百戦錬磨のベテランである。黒を白にするという狡猾さは、見事と言える。伊達に高い報酬を貰ってはいないのである。

 その後、法廷での審理は、騒然とすることなく静かに行われ、短時間で終わった。

 

被害者の会

「ゴッ、ゴホン、ゴホン」

顔色があまり良くない中村貞吉が、咳こんだ。

「中村さん、具合が悪いのですか」

「ええ。ちょっと熱があるようです」

「それなら、病院に行かれた方がいいですよ」

「はい。今晩、行くつもりです」

 2回目の公判に向けての集まりの最中であったが、意識が朦朧としていた。夕方、中村貞吉は行きつけの医院に行って診察を受けた。

「体温は、平熱より少し高い37度5分です」

「やはり、そうでしたか。実は、三日前から体がしんどくて食欲もないのです。夏風邪でしょうか」

「いやあ、只の風邪なら、こんな病状にはならないと思います」

「それなら、インフルエンザでしょうか」

「この時期ですから、それもないと思います」

「まさか、大きな病になったのでは・・」

「うーん、そうですね。今は何とも言えませんが、少し気になるところもありますので、念のために精密検査を受けられては如何でしょうか」

「精密検査ですか・・」

「はい」

 中村貞吉は、さっそく医師の紹介により大きな病院で精密検査を受けることにした。数時間をかけて綿密に行われたが、その結果は意外なものだった。

「中村さん、今のところ大きな疾患はないようですね」

医師が、中村のカルテを見ながら真顔で言った。

「そうですか」

貞吉は、『ほっ』と胸をなで下ろした。

「でも、気管支に何らかの異常があります」

「はあ・・」

「病状は軽い肺炎のようですが、これはどうも、未知のウイルスが原因である可能性があります」

「未知のウイルス・・」

「そうです。その場合は少し厄介ですね・・」

「治す薬がないのですか」

「ええ。もし新型のウイルスであれば、特効薬もワクチンもありません」

「そうですか・・」

 実際、中村貞吉は、新型のウイルスに感染していたのである。この後、病状は重症化することになる。

 

国外追放の免除

 保護観察中の3人が、10日ぶりに顔を合わせた。

「どうやら俺たちゃ、国外追放にならねぇようだぜ」

「本当か」

「ああ」

「俺たちだけじゃなく、この国からは誰も出られねえのだとさ」

「どうしてだい」

「詳しいことはよく分からねぇが、何でもウイルスの感染で世界中がどえらいことになってるらしい」

「ウイルス?」

「ああ。それが原因で、外国人がこの国に来るのも禁止になってるとのことだ」

「感染防止対策っていうやつだな」

「海外じゃ、たくさんの死人が出てるとも聞いたぜ」

「そんな非常時に、日本に戻るのは危ねえな」

「命がけだぜ」

「だから、国外追放にはならなかったのか」

「そうだ」

「じゃあ、お咎め無しということだな」

「そう甘かねえ。鑑別所行きだ」

「ちぇっ」

 それから2日後、3人は鑑別所へ送られた。

 

サンランドの表明

「現在、世界各国では新型ウイルスが蔓延し、予断を許さない状況になっています。我が国は、そのような事態になることを憂慮して、最善の対策を講じて行く所存です」

「これまでのように新たな入国者を認めるのは、住民に被害が及ぶ恐れが有ります。よって、この事態が収まるまで外交を閉鎖します」

 多くの外国人がこの言葉を聞き、落胆する。『サンランドが唯一の救い』と望みをかけていた矢先にこの表明である。失望する中、更に厳重な言葉が続く。

「サンランドでは、今のところウイルス感染者の報告はありませんが、これまでの渡航により感染者がいるかも知れません。検査を万全に行い、もし感染者がいた場合は、隔離という方法を取って感染の拡大を防ぎます」

『念には念を』という徹底ぶりである。

「感染拡大の最大の原因は、人が密になることです。残念ながら、多くの感染者を出した国のほとんどが、密になるような集会を催していました。特に、宗教的な儀式や儀礼を認めている国は、大打撃を受けています」

「サンランドでは、そのような理由で大勢の人が一カ所に集まる事はありませんが、密になるようなイベントや集会は自粛してもらいます」

 各国に向けた表明が、様々なメディアによって発信された。この内容は、英語は勿論、フランス語、ドイツ語、中国、ロシア語など主要な国の言語に翻訳されて、同時に流された。

 

感染源

「抗議しても何の釈明も謝罪もない。無責任としか言いようがなく、まったく厄介な国だあの国は。このような状況ではあるが、我々は邪悪な中国ウイルスに打ち勝って行こうではないか」

米国大統領が、演説の中で中国を痛烈に批判した。それを受けた中国側は、

「感染元が我国であるかのように言っているが、米国が意図的にウイルスをばら撒いた可能性がある。一番の元凶は、米国である」

と、負けずにやり返す。双方、売り言葉に買い言葉のような主張を繰り返し、米中の関係は、更に険悪なものとなる。

「世界中が、どえらいことになって来たな。このところ頻繁に行っている某国の核ミサイルの実験も不気味だが、この新型ウイルスの感染も脅威だ」

新聞を読みながら小宮が呟いた。

「特にイタリアやブラジルが悲惨だな。この調子だと、すぐに日本も危なくなるぞ」

吉村が、眉間に皺を寄せて言った。

「北半球で最も安全な国は、サンランドぐらいだな」

「あそこは厳しい審査があって簡単には入国できない上に、今は閉鎖しているからな」

「それでも、何人かの大富豪や政治家が、闇ルートで入国しているという噂がある」

「本当か?」

「ああ」

「あのサンランドが、そんな不正を許すのか?」

「実際の事はよく分からんが、そういう噂を耳にしている」

「ふーむ」

「確かにあの国の理念は、素晴らしく共感できるものだ。安全や平和を求める者なら、誰もが行きたがる楽園と言えるだろう」

「俺が描いていた理想の地にかなり近いからな」

「しかし、あの国の建国に当たっては、どうも裏事情があったようだ」

「どんな?」

「単刀直入に言うと、海底資源だ」

「海底資源?・・」

「ああ。サンランドの真下に位置する海底には、レアメタルやレアアースが無尽蔵にあるらしい」

「その獲得が真の目的なのか?」

「そうだ。中近東の富豪や米国の政治家が建国に協力したのは、その利権を手に入れようとしたことに他ならない」

「つまり、私腹を肥やすための協力だったということか」

「そうでなきゃ、誰が好き好んで石油を提供したり、フィクサーのような有力者に働きかけたりなんかするもんか」

「腐るほどの財を持っていても、まだ満ち足りんのだな」

「限りなき欲望なのさ」

「うーむ」

「そして最後は、積み上げた膨大な財産を一番安全な国に保管したいと望む」

「それがサンランドを造った本当の理由なのか」

「そのようだ。更にもう一つ、サンランドに関わる好ましくない情報がある」

「どんな情報だ?」

「どうも、あの国から出たがる者が、徐々に増えているらしい。特に若年層にその傾向がある」

「その訳は?」

「親は安定を望むが、子は冒険を好むということだ」

「平穏と波乱か」

「理想と現実のギャップさ」

「建国当初は、入国希望者が一気に押し寄せたのにな」

「どこに行っても監視カメラの眼があるのは、若者にとっては窮屈なんだろう」

「犯罪をさせない為の対策のとはいえ、束縛されているように感じるのかもな」

「最近では、『監視カメラをなくせ』というデモまで起こっている。その参加人数が、日増しに増えているようだ」

「内紛にならなけれなよいが」

吉村は、落胆したような低い声で呟いた。

 

「それにしても、このウイルスは一体どこから来たんだろう」

「どうも、中国の山奥らしい。『そこに生息するコウモリが感染源である』という説が有力なんだが、それが事実かどうかは今のところ分からん」

 

 

「『人の手で造られた細菌兵器ではないか』という噂もあるな」

「そういう説を唱える者もいるにはいるが、まさかな・・」

「もしそうだったとしたら、何の為にそんなものをばら撒いたんだろう」

「現在、中国の経済は急激に下降している。一時の勢いがなく、閉塞感が充満している。更に、米国との対立、香港の国家安全保護法、台湾との確執など問題が山積みになっていて、厳しい状態だ」

「それを打開する為のウイルスということか」

「まあ、考え過ぎかも知れないが、その可能性がないとは言えない」

「それが事実だったら、中国は世界中の国からバッシングされるな」

「最悪、戦争に発展するかもな」

「中国vs米国だな」

「それを契機に、第三次世界大戦が勃発か」

「はは。そこまではいかないだろうよ」

「いずれにしても、ワクチンや特効薬がないから厄介だ」

「その開発には、最短でも1年半はかかるようだからな」

「自粛による経営破綻で、首を吊る者も出て来るんじゃないか」

「テロも怖いが、ウイルスはもっと恐ろしいということだ」

 

オーバーシュート

 第二回の公判が行われる直前に、中村貞吉の病状が悪化した。すぐに集中治療室に入れられたが、自力で立ち上がれない程に衰弱してしまう。その後、意識がなくなり昏睡状態に陥った。

 死が間近に迫っていても、親類縁者が貞吉に近づくことはできない。病床の傍らには、防護服を纏った女の看護師が一人いるだけである。

 この数日間に、貞吉と同じ新型ウイルスの感染者は急激に増えた。そして、病院という病院はどこもかしこも患者で溢れかえった。

 酷く咳き込む者、息も絶え絶えで今にも倒れそうな者、重症化して集中治療室に入れらる者、その手当に院内はパニック状態になった。

『手の施しようがない』

 絶望的な声しか聞こえない危機的状況の中でも、医療従事者たちは出来る限りの治療を施し続けた。

 しかし、そんな努力の甲斐もなく、オーバーシュートが世界各国で起こってしまう。ウイルスによる死者の数が、凄まじい勢いで増えて行ったのである。

 

片岡の思惑

「段々、兄貴の思てた通りになってきましたで」

「そやな」

「そやけど、『国際見本市』とは、よう考えはりましたな」

「あの見本市は、毎年60カ国以上の企業が参加する一大イベントなんや。感染を広めるには、人が密集した所に限る」

「集まったスタッフやバイヤーなどの人数は、総勢7万人以上と聞きましたわ」

「そこで感染した者が、自国に帰ってウイルスをばら撒いてくれるんや。楽なもんやで」

「わざわざウイルスを捲きに、世界中を飛び回らんでもええんですさかい」

「今年の会場が中国の阿南市になったんも、こっちとしては幸運やった」

「日本からは近いし、顔が似てるんで実行犯が日本人とはバレにくいし、いやほんまに好都合でしたわ」

「これから先は、もっと感染が広がるやろ。儂らはそれをじっと待つだけや」

「そうなれば、ワクチンで大儲けでんな。どこもかしこも一網打尽でおます。兄貴の考えの深さには、ほんまに感心させられますわ」

「後は、サンランドだけや」

「サンランド?」

「ああ」

「あんなちっこい国なんか、ほっといてもええのんと違いますのん」

「いいや、そうはいかん。あそこだけを残しては、完全制覇にはならん」

「そらまあ、そうですけど」

「前のシャブの時のように、誰かを入国させてしまえ」

「いや、それはもう出来んようになりました。今は、入出国が全面的に禁止されていますんで」

「入れんようになったんか」

「へえ。どうしたもんですやろ」

「ふーむ。まあ、ええわ。別の方法を考えて、すぐにでも感染させたろかい」

「ワクチンを売るのは、その後ですか」

「そうや」

「早う、そうなって欲しいもんでんな」

金山は、頭の中に山と積まれた大金を思い浮かべて顔が綻んだ。

 

「そやそや、あの裁判はどうなったんや」

「原告側の主要なメンバーをウイルスに感染させたんで、今は中断してます」

「原告側が全滅したら、裁判も中止になるやろな」

「そうでんな」

 なんと、五行法師の霊感商法も片岡が仕組んだものだったのである。

「既にワクチンを打ってる儂らは安心やけど、身内の中でまだのもんがいるかも知れん。その家族や親類も含めて、しっかりと確認せいよ。特に年寄りと病気持ちは危ないんやからな」

「へい」

「もし、これから打つもんがいたら、『新型ウイルスのワクチンや』と言うてはあかんぞ」

「へえ、その点は抜かりおまへん。『この冬に流行する恐れのあるインフルエンザのワクチンや』と言いますよってに」

「うむ」

 

垂れ込み

 夜の十時を過ぎた頃である。小宮が勤める新聞社に一つの通報が入った。電話の声の主は、比較的若い女性のようであるが、名前は証さなかった。

 その通報者は少し酒に酔っていたらしく、凄い剣幕でまくし立てたが、その内容は山田組に対する恨み辛みと新型ウイルスに関する事であり、非常に驚くべきものであった。

『もし、それが事実なら放っておくことはできない。誰が相手であろうと、法的処置を執るべきだ』

そう思った小宮は、すぐに吉村と連絡を取った。吉村は地方の一公務員に過ぎないが、警視庁公安部に知り合いがいるのであり、彼の橋渡しによって公安が事件の調査と解決に動いてくれる事を期待したのである。

 

某国の核実験

「おーい、みんな、ミサイルの発射実施日が決定したぞ!」

研究室に小走りでやって来た開発部のトップが、興奮ぎみに声を発した。

「おお!」

研究員たちは、お互いの顔を見合わせて喜んだ。

「それはいつですか?」

「一週間後だ」

「そうすると、10月14日ですか?」

「そうだ」

「待ちに待った実験が、ようやくできるのですね」

「うん」

「とても嬉しいです」

「いやいや、喜ぶのはまだ早い。その日の発射の可否は天候次第であり、また、何かの事情で先送りになる可能性もあるからな」

「なるべく延期にならないように、14日に行って欲しいものです」

研究員たちは、祈るような眼でカレンダーを見つめた。

 核弾頭付大陸間弾道ミサイルの開発は、一年前から秘密裏に進められていた。極秘事項であるために公表されなかったが、二週間前に完了していたのであり、その実施日を誰もが心待ちにしていた最中であった。

「着弾地点は、どの辺りになりますか」

「サンランドと米国の西海岸の中間点になるな」

「それなら、問題ありません。飛行距離を重点に置いて改良したミサイルなので、難なく到達できると思います」

「そうなることを願う」

「はい」

「これまでの実験は、あまり芳しくない結果ばかりであった。しかし、今回はなんとか成功させて、我が同志である朴委員長に是非とも喜んでもらおうではないか」

「そうですとも」

「核を保有すれば、我が国の権威を高めることになる。他国との交渉においても優位に立つことが出来て、結果、我が国の発展に繋がる」

「おっしゃる通りです」

「この実験を批判する国もあるようだが、大抵が核保有国であり、理不尽極まりない」

「核兵器を所有していながら、『非核、非核』と言うのは馬鹿げています。『そんなに非核が大事なら、お前たちが率先してすべきだ』と言ってやりたいです」

「まったくです。奴らは我が国が列強になるのを恐れているのであって、それを邪魔するためのこじつけとしか聞こえません」

「私たちは、そのような妨害に負けることなく邁進して行きます」

「この責務を担うことに誇りを持ち、使命の遂行に全力を尽くすつもりです」

「祖国の発展の為に命を投げ捨てる覚悟は、もう既に出来ています」

「よく言った。それでこそ我が同志だ。頼もしい限りである」

「ありがとうございます!」

「朴委員長、万歳!」

「バンザーイ!」

「我が祖国、万歳!」

「バンザーイ!」

「万歳!」「万歳!」「バンザーイ!」

中華そば

 零時を過ぎた真夜中の銀座通り。週末ということもあって、バーやスナックなどの飲み屋は、ほろ酔い気分の常連客で賑わっていた。

 その通りの真ん中辺りにあるカウンターだけの小さな居酒屋から、工務員風の中年男が二人、上機嫌で出て来た。彼等はその店の常連客で、愛想の良い女将、豊富な地酒と値段の安さが気に入って、このところよく来ている。

「女将、また来るし」

「いつもいつも、おおきにどす。気を付けてお帰りやす」

「ありがとうー」

頭の天辺が少し薄くなった田村が、戯けて女将に投げキッスをした。

「えへへ。ところで、木村よ。今、何時頃やろ」

「今か。えーと」

木村が腕時計を見た。

「ほう、もうこんな時間か。ほたら帰りの電車はないな・・」

「何やったら、タクシー呼びまひょか」

二人のおぼつかない足取りを見て、女将が気を利かした。

「かまへん、かまへん。ちょっと、酔い覚ましに歩いて行くわ」

「そうどすか」

 女将の心配をよそに、二人はアーケードの中を千鳥足で歩いた。

「うぃっ、今日もよう飲んだな」

「ほんに、よう飲んだ」

「今頃、家ではお母ちゃんが恐ろしい顔で待っているやろな」 

「お前んとこは、まだ待ってるか。うちとこなんか、もうとっくに寝とるわ」

「とうとう、見捨てられてしもたな」

「まあ、そのうち仕返しをしたるし」

「どんな仕返しや」

「内緒や内緒。秘密のアッコちゃんや」

「何やそれ」

 途中、電信柱に仲良く立ちションをした後、二人は大通りに出た。そこで待機しているタクシーに一旦乗りかけたがやめた。道路から少し離れた路地に、屋台の灯りが見えたのである。

 

 

「木村、あんなとこに中華そばの屋台が出てるで」

「ほんに」

「お前、小腹が減ってるやろ。ちょっと食べていかへんか」

「そやな。絞めに丁度ええな」

「ほたら、決まりや」

 二人は、屋台の匂いに誘われるように、暖簾をかき分けた。

「おやっさん、中華そば、二人前や」

「へい」

前掛けで手を拭きながら、初老のおやじが顔を出した。

「儂等、この店は初めてなんやけど、何味や」

「鶏ガラ醤油のあっさり味です」

「そうか。丁度良かった」

「麺はどうや」

「細麺です」

「益々ええなぁ。こりゃ、ほんまもんの『中華そば』が食えるで」

「そう言うてもろたら、作り甲斐がありますわ」

おやじが、嬉しそうに支度を始めた。

「木村よ。『中華そば』と『ラーメン』の違いて、何か分かるか」

「違いてか。どっちも同じもんやろ。なあ、おやっさん」

「そうです。元々同じもんです」

「同じもんやのに、なんで違う言い方をするんやろ」

「それには、訳がある」

「どんな訳や」

「へへ。知りたいか」

田村は、勿体ぶっておやじの方を見た。

「おやっさんは、その訳、知ってるやろ」

「知ってます」

「やっぱりな」

「昔は、日本のそばと中国のそばを区別するのに、『南京そば』『支那そば』『中華そば』と言うてたんです」

おやじが、豆知識を披露した。

「そやし、当時の屋台や大衆食堂の品書きは、『ラーメン』と書かんと『中華そば』となってたな」

「何となく覚えているわ」

「『ラーメン』て言い出したのは、つい最近のことです。即席ラーメンが売り出されてからです」

「おやっさん、ものしり博士ですな」

「屋台を引っ張って、三十五年になりますんで」

「超ベテランやで」

「実際、元は同じもんですけど、昔ながらのあっさり味は『中華そば』、最近流行のこってり味は『ラーメン』と、区別する人もいてはるんです」

「へぇー」

「とすると、あんたとこは暖簾に書いてあるように『中華そば』になるな」

「はい」

「俺はやっぱり、『ラーメン』より『中華そば』がええわ」

「鳴門と支那竹が入っているやつやな」

「そうや」

「それは、両方とも入ってます」

「焼豚は」

「もちろんです」

「よっしゃー」

田村は、おやじのこだわりに好感を持った。

「そやけど、近頃、屋台もめっきり見かけんようになったな」

「そうでんな。私らと同業の人等も、廃業したり、亡くなったりと少のうなりました」

「寂しいな」

「時代の流れやな」

「大体、屋台を置ける空き地がありませんわ。駐車場になったり、ビルが建ったりと」

「商売がやりにくうなっとるんやな」

「そうなんです。ここに移って来たのもつい三日前で、以前の場所に屋台が置けんようになったからです」

「どうりで、今まで見かけんかった訳や」

 二人は、おやじと話をしながら、『中華そば』が出来るのを待った。おやじは、しっかと湯切りした麺を、湯で温めたドンブリの中に手早く入れた。仕上げに、鶏ガラ醤油の出汁を掛け、慣れた手つきで具を置いた。

「へい、お待ちー」

年季の入った木製のカウンターに、二杯の『中華そば』が置かれた。

「おお、これやこれや」

湯気と共にドンブリから出る出汁の香りが、二人の食欲をそそらせる。

 木村は、胡椒を振って割り箸を割ると、すぐに麺をすすった。田村は、麺よりもスープの方が気になり、どんぶりを両手で持ち上げて一口飲んだ。

「うまい!ほんまにうまい!」

木村が、おやじの顔を見ながら親指を立てた。

「おおきに」

おやじも、思わず顔がほころんだ。

 木村とおやじが盛り上がる一方で、田村は、少し首を傾げた。何か違和感を感じたようである。

「うーん」

「なんや、田村。どうしたんや」

「このスープやけど・・」

田村は、見かけによらず食通である。特に『中華そば』の味に関しては、煩かったのである。

「お口に合いませんか」

おやじが気になって、田村に問いかけた。

「いや、うまいことはうまいんやけど。ちょっと『えぐみ』があるような・・」

「はぁ。『えぐみ』ですか」

「スープに何か特別なもん、入れてへんか」

「いいえ、鶏ガラと醤油だけですけど」

「そうか。そやけど、この『えぐみ』は、それだけではないと思うな」

「お前、酒に酔うてるさかいそう感じるのとちゃうか」

「酔うてても、俺の舌は確かや」

田村は、真面目な顔で言った。

「おやじはん、一回スープの鍋を見てみ。何か変なもんが紛れ込んでるかも知れんで」

「蓋をしてますし、虫や鼠なんかが飛び込むことはないんですけど」

「念のために、確かめてみてみ」

「へえ」

渋々ながら、おやじはスープ鍋の蓋を開け、長い柄のレードルを不透明な鍋の底まで落とした。そして、ゆっくりとかき混ぜた。

『ガリ』

何かズッシリと重い物が、レードルの先に当たった。

『おやっ』

おやじが、突然手を止めた。

「どうした」

「底に、鶏ガラとは違う何か重たいもんがありますわ」

 鶏ガラは、良い出汁を出すために小さく三つに切ってあり、そんなに重くはない。ところが、レードルの先にあるものは、かなり重いものだった。

「掬ってみてみ」

「そうでんな」

 おやじは、それをレードルのお玉の上に何とか乗せた。そして、落ちないように慎重に掬い上げると絶句して目を剥いた。

「ひぇっ」

思わずレードルから手を離して、声を上げた。

「どうしたんや!」

「手、手首が・・」

「なんやて!」

 おやじが見たのは人の手首であった。さらにその手首には、指がまったくなかったのである。 田村と中村は、怖い物見たさでそのスープ鍋に近寄るが、おやじは、屋台から離れてしまった。

 二人は、コンロの火を止めて中を覗くが、濁っているためによく分からない。仕方がないので、鍋を傾けて出汁を外に出すことにした。

 怯えたおやじを尻目に、恐る恐る出汁を捨てていくと、それが徐々に姿を現し出した。

「ひやっ」

驚いた二人は、すぐに鍋から手を離しておやじの方へ走った。

「おやっさん、えらいこっちゃで!」

その言葉に、おやじは益々狼狽えた。

 実際、鍋には鶏ガラと混ざって二つの手首と数本の指があった。どうやら、男の手のようである。

 もう、『中華そば』どころではなかった。居酒屋で飲んだ酒と肴はもちろんのこと、胃の中のすべての物を路上にぶちまけた。

 数分後、警察が来て現場検証を行うが、問題のスープ鍋は、鑑識課に送られることになった。

 三人は、署内で事情聴取を受ける。田村と木村は、『只の客』ということですぐに帰されたが、おやじの方は、質問攻めにあった。

 おやじにしてみば、降って湧いたような災難である。『何故こんなことになったのか。訳が分からない』と、嘆くばかりであった。

 刑事たちは、落胆しているおやじを見ながらこう推測した。

『おそらく、おやじさんが用足しか何かで屋台から離れた時に、誰かがこっそりと入れたに違いない』

『いずれにしても、あの手首をスープ鍋に入れたのは一体誰なのか。その目的は、何なのか』

『手首の持ち主は、おそらく殺されていると思われるが、その被害者は誰なのか』

『また、両手首の指が全部切り取られているのは、何を意味しているのか』

『精神に異常がある者か、被害者に対してよほどの憎しみを持った者の行為としか考えられない』

 警察は、前例のない猟奇的ともいえる犯罪の捜査に乗り出した。

 

漏らした男

『この事は誰にも言うなと、あんだけ念を押したのに』

 ウイルスの計画を知っている者は、身内だけである。それも側近の限られた者である。他の子分たちには、『合成麻薬の製造をしている』と偽っていて、「離れ」に近づくことも許さなかった。

『それなのに、なぜよその組の者が知っていたのか』

片岡は、不審でならなかった。

『一体、誰が漏らしたんじゃ!』

まるで苦虫を噛み潰したような顔で、身内の中の裏切り者を詮索し出した。

 最初に呼ばれたのは、若頭補佐の幹男であった。幹男は、川岡組と揉める前までは竜次と懇意にしていたのであり、いの一番に疑いが掛かった。

「幹男よ。お前、川岡組の竜次にウイルスの事をしゃべったやろ」

「えっ。私がでっか。そんなもん、しゃべってまへんで。兄貴からきつう口止めされてたんで、誰にも言うてませんのやけど」

「ほんまやろな」

「ほんまです。それに川岡組と揉めてからは、竜次とは全然会ってませんわ」

「ほたら、誰が漏らしたんや」

「確信は持てまへんけど、達也が怪しいと思てます」

「あのアホか」

「はい」

「確か、一ヶ月ほど前に盃を返しとるな」

「そうです。突然『堅気になりたい』と言い出して、組を抜けよったんです」

「やめた理由は何や」

「何でも、実家の事情らしいです。母親が病気になったんで、『介護をする』とか言うておりました」

「ふーん。極道の癖に介護かい・・」

「元々アイツは、極道には向いていなかったんですわ。喧嘩が弱いくせに、肩で風を切って歩きたがる。それで素人と揉めても、勝った試しがおまへんのや」

「あのボンクラではな」

「まあ、口が軽い男ですし、アイツならやりかねませんわ」

「今、どこにおる」

「おそらく和歌山の実家やと思いますけど」

「お前、今すぐ達也を捕まえてここに連れてこい」

「電話で呼び出すのは、あきませんのか」

「逃げられる恐れがあるやろ」

「なるほど、そうでんな」

 

 その日の夜遅く、幹男が元舎弟であった達也を事務所に連れ来た。

「若頭、お久しぶりです」

「おお、待ってたんや」

 怪訝そうな達也の顔を見て、片岡が薄笑いを浮かべた。

「まあ、座りいな。おい、幹男、達也にコーヒーでも入れたって」

「へい」

「よう来てくれたな」

「はい。堅気になったんで、もうここには来れんと思てましたけど、『若頭がお前に会いたがっている』と幹男の兄貴から聞いたんで、取り敢えず来てみました。

「そうかそうか」

「それで、私に何か用があるんですやろか。礼金の事でしたら、まだ手元に有らへんので待ってください。働いて作りますよって・・」

「そんなことやない。実は、お前に聞きたいことがあるんや」

「何でっしゃろ」

「あの事を川岡組の竜次に漏らしたんは、お前とちゃうか」

「あの事・・。何の事です」

「隠さんでもええ。悪いようにはせえへんし、正直に言うてみい」

「そやし、何の事か見当がつきませんので、正直にと言われても・・」

「そうか。そんなら言うたろ。ウイルスの事や」

「ウイルス・・・」

「そうや」

「ああ、あの話。あれ、若頭の冗談やったんと違いますのん」

「まあ、そやな。冗談やったんやけどな・・」

「やっぱり、そうでっしゃろ」

「そやけど、そのことを竜次にしゃべってへんか」

「いいえ。竜次どころか誰にも言うてません」

「ほんまやろな」

声を押し殺して、片岡が凄んだ。その顔は極道そのものであり、まるで大魔神のような豹変ぶりである。

「ほんまです。大体、あんなことを人に言うたら、笑われるだけですし」

達也は迷惑そうに声を細めた。

『これ以上、問い詰めても無駄や。埒が開かんわ』

と思った片岡は、達也に帰ってもらうことにした。

『こんなことぐらいで、わざわざ呼ばんでも・・』

そう思いながら、達也はすぐに事務所から出た。

「幹男よ、どないなっとんねん。お前が怪しいと言うたから呼んだんやど」

「す、すんまへん」

『くそー、誰が犯人なんじゃ・・』

片岡は、頭を抱えた。

 漏らした犯人は、幹男でも達也でもなかったのだが、その二人以外にもウイルスのことを知る者は二名いた。

 一人は、常に片岡と行動を共にする側近中の側近、金山である。冷静で口が堅く、片岡に対して強い忠誠心を持っている。竜次殺害にも加わっていたが、この男が漏らしたとは考えにくい。

 そうすると、もう一人の方になるが、疑ってはならない人物であった。何故なら、山田組の組長その人だったからである。

『まさかおやじが・・』という疑念が片岡の脳裏を一瞬よぎったが、すぐに消し去った。しかしながら、真犯人は片岡の思いに反したその『まさか』だったのである。

 組長には、3週間前までミキという愛人がいた。ミキは、組長が足繁く通っていた店のキャバ嬢で、十八歳になったばかりの元ヤンである。若いが、「はくい」という言葉が似合う女であった。

 ミキがまだ愛人になる前、組長はあの手この手でものにしようとしたが、ミキはなかなか首を縦に振らなかった。

 最後の手段は、やはり金である。近々、自分の懐に莫大な金が入ることをミキに仄めかし、結構な額の報酬を支払うと約束した。

 それによって、ようやくミキが承諾したのであるが、あくまでも金銭上の契約であって、冷めた関係であった。それでも、組長は大いに喜び張り切った。もちろん、本妻には内緒である。

 その後、ラブホテルでの密会を数回重ねたが、ミキが会うことを渋りだした。その理由は、報酬が滞ったからである。「大金が手に入るのは、もうすぐやさかい」と宥めたが、ミキは納得しなかった。

「お金の話は怪しいもんや。今すぐ、現金が欲しい。貰えなければ関係を解消する」とまで言った。

『ミキを諦めたくない。だからといって、惚れている女を極道の代紋で脅すような真似はしたくない。片岡から固く口止めされているが、背に腹は代えられん』

そう思って、ウイルスのことをミキに話してしまったのである。

 ミキは、口止めされていたにも関わらず、同じ店で働く仲の良いキャバ嬢に漏らした。組長が報酬を払わない事を愚痴ったついでに、ウイルスの事もしゃべったのである。

 その仲の良いキャバ嬢というのが、竜次の愛人だった。竜次がウイルスの事を知っていたのは、そのような経緯があったからである。

川岡組の事務所

「ジリン、ジリジリジリ、ジリーン」

古い型の黒電話が鳴った。

 

 

「はい。川岡総業です」

「川岡の事務所やな」

「そうですけど」

「組長はん、居てるか」

「えーと、どちらさんですか」

「片岡というもんや」

「片岡さん・・。山田組の片岡さんですか」

「そうや」

「すんません。組長は、あいにく留守にしています。若頭なら居てますけど」

「代わってんか」

「はい」

若頭の恵太郎は、ソファに横たわってテレビを観ていた。

「兄貴、山田組の片岡さんからです」

「おお」

『多分、手打ち式の段取りの事やろ』

そう思って、恵太郎は受話器を取った。

「代わりましたけど」

「あのなぁ、実はやなぁ。さっき、組の事務所の前で、うちのおやじが撃たれたんや」

「ええっ!そりゃ、えらいことですがな」

「どこぞのガキが、チャカ三発弾いて、すぐにバイクで逃げて行きさらしたわ」

「一体どこのチンピラでっしゃろ。山田組の組長はんを狙うやなんて・・」

「身の程知らずじゃ」

「そうでんな。それで、組長はんの容態は・・」

「大事ない。こういう時やから、用心して防弾チョッキを着てたんでな」

「命に別状はおまへんかったのですね」

「ああ。腕のかすり傷だけで済んだわ」

「そら、良ろしおました。何よりです」

「ところがや。その逃げたガキというのんがやな」

「へぇ」

「お前んとこの組員やった」

「ええっ!」

「名前は、竜次とか言うらしい」

「ほんまでっか」

「ほんまじゃボケ。誰が嘘言うかい」

「なんで、竜次と分かったんです」

「おやじといっしょにおった子分の中に、顔を知ってたもんがおったんじゃ。『マスクとサングラスで顔を隠していたけど、あれは間違いなく川岡組の竜次や』と、はっきり言うとったわ」

「そ、そうですか・・」

『竜次のドアホ。俺の言いつけ守らんと、取り返しのつかんことやってしもた』

受話器を持つ恵太郎の手が震えた。

「まさか、お前んとこの組長が指図したんと違うやろな」

「滅相もありまへん。山田組との手打ちを喜んでいる組長が、そんなこと言う訳がありまへん」

「ほんまやろな」

「ほんまです。ボンクラの竜次が、後先考えんと勝手にやったことなんです。もちろん、組の方針に逆ろうたんで破門にします」

「アホンダラ、何眠たいこと言うとるねん。破門で済む話かい」

「そら、そうでんな・・」

「命は助かったとはいえ、うちのおやじが狙われたんやど。この不始末、どうつけてくれるんや」

「はぁ・・」

「『はぁ』やないやろ。なんやったら、今からカタつけたろか。お前んとこみたいなちっちゃい組、すぐに潰せるんやど」

「いやー、それだけは堪忍して下さい」

「ほたら、どうするつもりじゃ」

「そう言われても、急なことなんで・・」

「お前も極道やったら、はっきりせんかい」

「すんまへんけど、今すぐ組長に連絡取って相談しますんで、ちょっとだけ待ってもらえまへんか」

「早よせいよ。ワレ」

「はい」

「それから、竜次というガキ、捕まえたらきっちり型に嵌めるたるさかい」

「うちとこでも探しますよって、居所分かったらまた連絡させてもらいます」

「待ってるさかいな」

「はい・・」

『ガシャン』

受話器に怒りを込めたような音がして、電話が切れた。

「竜次がどうかしたんですか」

「どうもこうもあるかい。あのボケ、山田の組長を狙いよった」

「ええっ!」

「『いらんことすんなよ』とあれだけ釘刺したのに・・。ドアホが」

「竜次の気持ちも分からんことはないけど、相手が相手やさかい」

「お前、竜次の居場所知ってるやろ。どこや」

「黒門市場の近くのマンションですけど・・。たぶん、今は逃げてるやろし居るかどうか。取り敢えず電話してみますわ」

「そうしてくれ。俺はおやっさんに連絡するさかい」

 

霊感商法

「五十万円の大金を払って買ったけれど、全然腰痛が治らんじゃないか」

黄金色の土鈴を見つめながら、中村貞吉が嘆いた。

 長年の悩みの種である腰痛が、これで治ると信じたのだが、治るどころかひどくなる一方だった。歩くのもままならない日もあって、土鈴の霊験に疑問を抱き始めたのである。

 これまでに、いろんな治療法を試してみた。知り合いが勧める整体院や鍼灸院にも通ってみた。しかし、どれもこれも不本意な結果に終わっている。薬も効かず、医者にも見放され、藁をも掴む思いで『土鈴』にかけたのだが。

『俺はあの教祖に騙されたのか。最後の望みを『土鈴』に託したのに、見事に裏切られた恰好だ。こんな物、買うんじゃなかった。あの五十万円は、なけなしの金だったんだ』 

そう呟きながら、頭を抱えた。働きたい気持ちはあるが、腰痛持ちではどこも雇ってくれない。家に閉じ籠もるしかなく、暇を持て余すばかりであった。

『外に出て仕事をしたいが、どうにもできん。今日もまた、無駄に一日を過ごすことになるな。仕方がない。ラジオでも点けるか』

 肩を落とした貞吉は、古いタンスの上にあるラジオのスイッチを押した。すぐに原稿を読むアナウンサーの声がしたが、どうやらニュース番組のようである。

「今朝早く、霊感商法を行ったとして世田谷区に拠点を置く教祖が逮捕されました」

「ええっ」

「五行法師こと山田郁夫は、霊感によって病名が分かると嘯き、何の効力もない『土鈴』を高額で信者に売りつけるという詐欺によって・・・」

「あの野郎だ!」

「被害にあった人は、五百人を越すように思われます」

「やっぱりそうだったんだ。全部インチキだったんだ」

中村貞吉は、痛む腰を庇いながら、その教祖の教会へと向かった。

 

損害賠償

 五行法師の教会の前に、たくさんの人だかりができていた。七十名ほどの被害者と新聞社などの報道陣である。

「今すぐ、金返せ!」

「騙し取った五十万円を返しやがれ!」

「俺なんか四個分で、二百万円だ!」

「ドアを開けろ!」

様々な怒号が飛び交い騒然とする中、教会の事務所の方は静まりかえっていた。

 施錠されている入り口は、鍵でもない限り外からは開けられない。窓の中側もカーテンによって見えなくなっている。主要な幹部たちが逮捕されているため、中にいるのは事情を知らぬ若手のスタッフだけであった。

「ふーん。あくまで黙り通して、うやむやにするつもりだな。それならそれで、こっちにも覚悟がある」

被害者らしき初老の男が、声を上げた。

「みなさん。ここにいても埒が開かない。こうなったら被害者全員で、訴訟を起こしましょう」

「裁判所に訴えるのか」

「そうです。被害者の会を作って法廷で争えば、全額戻って来る筈です」

「おお!」

「でも、裁判となるとお金が掛かるんじゃないの」

「裁判に勝てば、その費用は軽減します。相手が詐欺師ですので、こちら側が負けることは絶対にありません」

「それなら、私も仲間に入れてくれ」

すぐ近くでそのやり取りを聞いていた中村貞吉が、声をあげた。

「是非とも」

「俺もだ」

「私もよ」

 そこに集まった被害者のほとんどが賛同して、被害者の会に参加することになった。

 

竜次の覚悟

「片岡の兄貴。竜次のガキ、今、捕まえました」

「おお、そうか!ようやった!」

「兄貴の思てた通り、女のマンションに来ましたわ」

「やっぱりな」

「三日も張り込んだ甲斐が、あったというもんです」

「ご苦労やった」

「へい」

「捕まえる時に、あのガキに騒がれて近所に気付かれてへんやろな」

「そこは上手いことやりましたから大丈夫です」

「そうか」

「宅配業者を装って中に入り、竜次が出て来たところをスタンガンで気絶させたんで、静かなもんです」

「竜次の女はどうした」

「好都合にも居てませんでしたわ」

「騒がれると、面倒なことになるからな」

「これからこのガキ、事務所に運びましょか」

「いや、ここはやめとこ。人目に付くさかい」

「ほんなら、うちとこがやってるガールズバーの地下倉庫はどうです」

「そやな。あそこなら少々大きい声出しても外には聞こえんし、そうしてくれ」

「承知しました。すぐに行きますんで」

 山田組の舎弟である金山は、竜次の両手両足を紐で縛り、口と目をガムテープで塞ってブルーシートでくるんだ。子分たちが、引越し業者のようにそれを担いで、黒い乗用車のトランクに放り込んだ。

 それから二十分後、地下倉庫に運ばれた竜次は、木製の椅子に縛り付けられ更なる暴行を受けた。抵抗するにも身動き一つできないほど雁字搦めにされていて、金山のなすがままであった。

 暫くして、煙草を銜えた片岡が倉庫の中に入ってきた。竜次の様子を見ながら、徐に口を開いた。

「この腐れ外道が。ようもうちのおやじを弾いてくれたな」

「ううっ、うう」

「なんや。何かしゃべりたいんか。ふん、口と目のガムテープを剥がしたれ」

「へい」

両方を剥がされた竜次は、腫れ上がった顔で片岡を睨み付けた。

「へっ、そっちが先にマサを殺したやろ!」

口元も腫れ上がって思うようにしゃべれない竜次であるが、懸命に声を出した。

「あのボンクラの仇討ちのつもりか」

「そうじゃ!」

「ドアホ。逆恨みすんのも、大概にせいよ」

「マサはなぁ・・。マサは俺と、義兄弟やったんや!」

「ああ、そうかい」

「あんなええ奴、なんで殺したんや!」

「あのガキが、ドローン飛ばして儂とこの組を盗撮しようとしたさかいじゃ」

「殺さんでもええやろ!」

「あんなガキのタマ取ったくらいで、うちのおやじを狙うとは、お前もよくよくアホな奴やのう」

「それだけとちゃうわ!」

「まだ、何かあるんかい」

「大ありじゃ!」

「何ぞえ」

「お前んとこの組は、世間様に顔向けできん事も平気でするようやの!」

「ほう。世間様に顔向けできん事てか」

「そうじゃ!」

「それは、どんな事や」

「堅気の人らを騙したり食い物にしたりと、阿漕なことをぎょうさんやってるやろ!」

「そんなことは、どこの組でもやっとるわ」

「いいや、お前んとこだけじゃ。しのぎのためにウイルスばら撒く組は!」

片岡は、一瞬ドキッとして眼を剥いた。

「お前そのこと、誰から聞いたんや」

「どうやら図星らしいな・・」

「隠さんと言うた方が身の為やで。誰じゃ」

「ふん。死んでも言うかい」

「そうか。ほんなら、しゃあないな」

「殺すなら、はよ殺せ!」

「言われんでも、そうしたるがな。けど、あっさり殺すんはおもろない。もっと痛い目にあわしてからや」

「けっ!」

「頭にゴミ袋、被したれ」

「へい」

 黒のゴミ袋が二重に被され、首の回りを紐で括られた。

「さあ、これから野良犬一匹、いたぶって楽しもか」

「へい」

「例のやつあるか」

「持って来てます」

「よし」

 金山から片岡に渡されたのは、長さが五十センチ程の作業用工具であった。ボルトクリッパーと呼ばれ、太いチェーンでも簡単に切れる代物である。

 

 

「ほんなら、まず、足の指からや。山田組に逆ろうたらどうなるか、思い知らせてやるわ」

「どうなとさらせ!」

ゴミ袋を被され息苦しくなっていた竜次であるが、悲しいまでに虚勢を張って怒鳴った。

 竜次の足下に、大きな盥が置かれた。流血で床が汚れるのを防ぐためである。

「これから、落とし前を付けてもらうわ。お前の足の指と手の指を一つ残らず落としていくさかい。痛かったら、遠慮なく声出しや。ほれな」

『ペキン』

『グリグリ』

「ぐっ、ギャー!」

竜次の叫び声が、地下に響き渡った。指を落とすだけでなく、その傷口をボルトクリッパーの尖った先で捏ねくり回したのだ。

「どや、白状する気になったか」

竜次は、微かに首を横に振った。

「そうか。えらい友だち思いやのう。そやけど、どこまでもつかなぁ」

「こっ、殺せ!」

「はいはい。楽になるのはまだ早いよ」

そう言いながら片岡は、憎たらしいまでの笑みを浮かべた。

「おい、お前等もやったれ」

「へい」

片岡が、金山に道具を手渡した。

『ペキン』

『グリグリ』

「ギョエー」

 激痛で気を失う度に起こされ、繰り返される残虐な行為を竜次は耐え続けた。結局、最後まで白状しなかったのだが、指をすべて切断されてから数時間後、出血多量で息絶えた。

 

テレビ討論会

「さあ、年末恒例の特番、『あくなき追跡』の時間がやって参りました」

「これから四時間半に渡って、白熱する討論会の模様を生放送でお送りしていきます」

「パチパチ、パチパチ」

打ち合わせ通りに、場内に大きな拍手が沸き起こった。

 

「司会は私、五十嵐吾郎。アシスタントを努めるのは」

「佐藤七海です」

 司会者とアシスタントの口上が済むと、モニターの映像がスタジオ内の観客に切り替わった。観客は男女合わせて五十名程いたが、全国ネットの生放送ということで、どの顔にも緊張感が漂っている。

「さて、暮れも押し詰まり、残すところ後僅かとなりました」

「あっという間の一年間でしたね」

「振り返ってみると、今年も様々な事件が起こっています」

「国内はもちろんのこと、海外においても印象に残る事件がたくさんありましたね」

「それらの事件について、コメンテーターの方々と観客のみなさんから忌憚のないご意見を伺います」

「今回も前回と同じように、コメンテーターとして各界から八名の著名人をお呼びしました」

 チーフ・ディレクターが、カメラマンにコメンテーターの顔のアップを指示する。アシスタントによって彼らが順に紹介され、名前を呼ばれた者はカメラに向かって軽く会釈をした。

「みなさん、どうぞ宜しくお願いします」

「パチパチ、パチパチ」

 再び大きな拍手が起こると同時に、特大のパネルがステージの中央に運ばれて来た。そのパネルには、青色の長方形のシールが九つ張ってあり、それぞれに今日のテーマとなる項目が隠されていた。

 

「それでは、一つ目のテーマです。それは、これです」

五十嵐によって一番目のシールが剥がされた。

「児童虐待」

「今年も、幼い命が理不尽に奪われましたね」

「親は、『言うことを聞かないから』『泣き止まないから』という理由で、自分の子どもを虐待するのですが、食べ物をまったく与えなかったり、熱湯をかけたりと酷い仕置きをしています」

「そこまですると、単なる躾では済まされませんよね」

「この件については、教育評論家の八木先生にご意見を伺いましょう」

最近メディアで引っ張りダコの八木勇が、口火を切った。

「そうですね。昔も虐待はありましたが、死に至ることはなかったです。しかし、今の親は違います。程度を考えていません」

「躾どころか、ストレスを解消するために日常的に行っている親もいましたね」

「馬鹿な親もいたもんです」

「義理の父親が、泣き止まないからと生後数ヶ月の赤ん坊を殴り殺した事件などは、本当に痛ましい事件と言えますよね」

「親自身が幼いです。まるで、後先を考えない子どものようです」

「まったく」

「赤ん坊は、何かを訴えようにもしゃべれないから泣くのです。それを苛立つからという理由で殺してしまうのは、なんとも救いようのない愚か者です」

「一体、赤ちゃんを何と思っているのでしょうかね」

「ご承知のように、子どもを育てるというのは生半可なことではありません。もし、子どもを授かりたいのなら、それなりの覚悟が必要になります」

「気に入らないからといって、ペットのように人にあげたり捨てたりは、絶対にできませんからね」

「いや、たとえ犬や猫のようなペットであっても、心ある飼い主なら、そんなことはしねぇよ」

超人気芸人で映画監督でもある西野が、ここぞとばかり参入してきた。

「俺の母親はとても厳しい人で、俺が悪さをするものなら反省するまで家に入れてくれなかった。雪がちらつく寒空でも、追い出されたことがあったな」

「それほど厳しかったのですね」

「俺が小学生の頃は、いたずらばかりしていたのでよく引っ叩かれたもんだよ。でも、それは、息子が誤った道に行かぬようにするための躾であって、決して虐待じゃなかった」

「叱るにも、愛情があった訳ですね」

「そうだよ。『お前なんか死んじまえ』と口汚く罵っても、心の底じゃ俺のことを常に心配していたな」

「それが本当の親心ですよね」

「今の俺があるのは、あの母ちゃんのお陰だよ。だから、感謝してもしきれないよ」

「お話を聞く限り、西野さんのお母さんは、まさに立派な方だったのですね」

八木が、西野のコメントに言葉を返した。

「いやー、それほどでもないけどね」

そう言いながら、西野が少し照れ笑いを浮かべた。

「確かに行き過ぎたやり方はダメだと思うけど、そこに愛情があるんならいいんじゃないかな」

オリンピックの金メダリストである柔道家の井川剛が、静かに声を発した。彼の試合は、得意技の背負い投げによる一本勝ちが多く、当時はかなり話題になったものである。現役を退いた今は、師範として若手の育成に力を注いでいる。

「その人のためを思ってゲンコツでポカリとする程度ならOK、というご意見ですね」

「そうです。ある高校の先生の話だけど、どうにもならない生徒たちを改心させるために、泣きながら手を上げたということがありましたよね」

「ラクビーの監督で、全国大会でも優勝されている方のことですね」

「ええ」

「テレビのドラマにもなりましたね」

「だから、一概に『暴力は良くない』とは、言い切れないのじゃないかな」

「でも、今はそんな時代ではありません。残念ながら、どんな暴力も許されないのです」

「いや、口で言っても分からない悪ガキどももいるんですよ。張り倒すぐらいしないと、益々つけあがりますよ」

「確かに幼い子どもは、大人のような倫理観はありません。成長しながら、『何が悪いことで、何が良いことなのか』を学んでいく段階にあります」

「でしょう」

「それでも、暴力での解決は安易な方法です。子どもが納得するまで話をするべきです」

「親だって生身の人間なんです。我慢にも限度がある」

「そうだとしても、根気強く言い聞かせるべきです」

「私には、とてもできませんね」

「これは、意見が分かれるところですね。みなさんは如何でしょうか」

司会の五十嵐が他に意見を求めたが、どのコメンテーターも躊躇してしまい、場内は静まりかえった。

 暫しの沈黙の後、助け船を出すかのように八木が切り出した。

「厳し過ぎる親もそうですが、甘すぎる親も問題です。最近は、社会的な責任を持とうとしない親が多すぎます。もっと大人になって欲しいと思います」

「そのような馬鹿な親が出て来る背景は、どのようなことが考えられますか」

「まず、教育のあり方ですね。それと、ご近所付き合いが昔に比べて希薄なことも考えられます」

「そうだよな。俺が長屋にいた頃は、近所のおばさん達が母親にアドバイスしてくれて、子育ての悩みなんかも解決できた。今は、近所付き合いがないから、それができねえんだな」

西野が再び入ってきた。

「おっしゃる通りです。私たちが子どもであった頃は、近所の大人がいっしょになって、子育てをしていました。我が子でなくても、『いけないことはいけない』と本気で叱ってくれたのです」

「今思うと貧乏だったけど、あの頃が一番良かったな」

亡くなった母親の顔を思い浮かべて、西野は表情を和らげた。それに頷きながら、五十嵐が再び八木に投げかけた。

「先ほど八木先生が、教育のあり方が問題だと述べられましたが、どのように改善すべきなのでしょうか」

「ありきたりの現実味のない道徳教育では、ダメですね。もっと、命の尊さやどのように生きていくべきかをリアルに教えるべきです」

「そうすれば、そのような倫理観が大人になってもなくならないのですね」

「はい。具体的には、実際にあった事件を事例にするのが良いと思います」

「病気や事故によって、最愛の子どもをなくした母親の話とか、過酷な環境のために生きることが困難な子どもの話とかでしょうか」

「そうです。命というものがどれ程かけ替えのないものなのか、生きるということがどれ程大変なことなのか、心に深く刻んで欲しいものです」

「確かにそうですね」

「いじめなんかもそうだよ。先生がいくら『しちゃダメです』といっても、いじめはなくならないもの。口先だけの『みんなで仲良く』なんてぇのは、結局は絵空事なんだよ」

教師批判ともとれる皮肉たっぷりの西野の言葉に、観客が頷く。

「確かに、いじめで自殺する中学生や高校生が、年々増えていますものね」

聖南大学心理学科の准教授である平林紀子が、西野に応じた。

「いじめの原因は様々で、一概にこうだとは言えませんが、共通する事があります」

「何でしょうか」

「それは、いじめている側に罪の意識がないことです」

「あったら止めるわな」

「罪の意識がないどころか、いじめることを楽しんでいるようにも思います」

「みんなで無視したり、仲間外れにしたりして、その子が落ち込む様子を見て喜んでいるんですね」

「『そこまでするか』と思うことも、平気でするよな」

「話題が『いじめの問題』に変わっていますが、このいじめも、子どもの世界だけでなく大人の世界にもありますものね」

「上司が、気に入らない部下に無理難題を押しつけることもよくある話だね」

青年実業家の灘弘二が入ってきた。彼は、若干二十五才で会社を立ち上げ、たった五年間で年商六十億にまで登りつめたというやり手の人物である。

「私も子どもの頃は、よくいじめられたものです。ですので、家に引きこもってばかりで、学校もろくに行っていないです」

「それで、よく年商六十億の社長になれましたね」

「自分でも驚いていますよ。こんなに上手く行くなんて」

「成功への道のりは、どのようなものだったのですか」

「小学生や中学生の時はずうっと鍵っ子だったんだけど、いじめで不登校になってしまい、親の本を読んだり、ネットを見たりで、世間の情報をたくさん知ることができた。今思うと、それが役に立ったね」

「そのことが、貴方の将来に大きな影響をもたらしたのですか」

「そうです」

「人間万事塞翁が馬ですね」

「あの頃は、『このまま大人になっても、普通のサラリーマンにはなれないし、なりたくもない。でも、生きていくためにはお金が必要になる。何か簡単に儲かる方法はないものか』と、毎日考えていたんだ」

「それで閃いたのは、何だったのですか」

「投資ですよ」

「株や国債などですか」

「それだけじゃなく、仮想通貨もやりました。それが思わぬ利益を生んだんです」

「仮想通貨で大損をした方もいる中で、貴方は勝ち組になった訳ですね」

「ええ。最初は損失ばかりだったけど、ある事によって大きな利益が得られたんです」

「何ですか。そのある事とは」

「いやぁ、それは企業秘密なので教えられないです」

「そんなことを言わずに、私にだけそっと教えて下さいよ」

「だめですね]

「そこを何とか」

「できません。悪しからず」

「くぅ、残念、無念です」

その言葉にドッと笑いが起こった。

「でもまあ、そこへ行き着くためには、かなりの努力をされたんでしょうね」

「いやぁ、あまり努力したとは思っていませんね。まあ、努力が三割、運が七割ってとこかな」

「へーえ、そうなんですか」

「ええっと、話が私の事になっていますが、今はいじめに関してでしょ」

「ああ、そうでした」

ばつが悪くなった五十嵐が、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「しっかりしてよ」

ニヤニヤしながら西野が言うと、場内に苦笑が漏れた。

 一呼吸置いて、再び五十嵐がコメンテーターに意見を求めようとした。すると、

「子どもは、おおっぴらにいじめをするが、大人は、隠れていじめをする」

突然、宗教家の玄老元徳が口を開いた。坊主頭で袈裟を纏った彼は、いかにも仏教系の僧侶という風貌をしていて、威厳のある声を場内に響かせた。

「幼い子はあからさまに仲間外れをし、成長するにつれて巧妙に疎外するということですか」

「そうです。さらに、いじめを受ける者は、強い者ではなく弱者です。子どもはそのことをよく分かっていて、自分より強い者は対象にしません」

「確かにそうですね」

「そしてその言葉は、『支配者ではなく、被支配者』と言い換えることができます。歴史を振り返れば、それがよく分かります」

「支配者による被支配者への理不尽な押しつけは、大きないじめと言えますものね」

「それは人の本能とも言えるもので、どんなに素晴らしい時代になっても、そのようないじめは必ず起こります」

「妬みや嫉妬と同じように、人を支配したいと思う気持ちは、なくならないのですか」

「そうです」

「では、どうすれば良いのでしょうか」

「信仰を持つことです。そうすれば、そのような煩悩に打ち勝つことができます」

「信心すれば、煩悩がなくなると言われるのですね」

「はい」

「でもさ、宗教が原因で戦争やテロが起こっていますよね」

灘弘二が即座に反論した。

「それは、一部の似非宗教家によるものです」

「そうかな。かなり位が上の正規の聖職者が企てたことだと思うんですけど」

「それは、間違いです」

畳みかけるように言われて、玄老元徳の顔が少し険しくなってきた。

「本来、宗教というものは、人が争うことを戒めるためにあるんでしょ」

「その通りです」

「でも、救世主の言葉とされる『右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい』は、まったく反故にされているじゃない」

「灘さんの言われる通りです。博愛の精神を謳いながら、他宗教を邪教と決めつけ迫害していますよね」

小説家の江田伊織が灘の後押しをした。

「いや、あれは余所の宗教のことで、我が御仏は、そんなことを許しません」

面目を保つためにきっぱりと言い切った玄老元徳であるが、心なしか眼がつり上がっているように見えた。

「本当かな。仏教界でも、過去に似たような事があったんじゃないか」

「宗派の対立だね」

「時の権力者に認めてもらうために、他の宗派を貶しまくった坊さんがいたな」

「宗教を利用して、権力を握ろうとした糞坊主もいたよ」

「同じ宗派内でも、誰がトップになるかの権力争いも起こっているし」

「最近では、政治家や財閥と結びついて夜な夜な酒池肉林三昧の生臭坊主も問題視されている」

「金欲しさに、寺の土地を勝手に売り飛ばした罰当たりな奴もいたわ」

「救済どころか、教団にとって邪魔になる人を暗殺したり、毒ガスを撒いて一般市民を犠牲にしたりする最悪の宗教団体もありましたよ」

「その教団は、確か仏教の教義を取り入れていた筈です」

「事件になった殺戮のすべてが、解脱したと吹聴する教祖の指示でしたよね」

「出家したはずなのに、これじゃ煩悩だらけじゃないか」

追い打ちをかけるような言葉が、観客のあちこちから飛んだ。

「私は、絶対にそんな事はしません!」

玄老元徳が、声を上ずらせて言い放った。自分の思惑に反して、僧の背徳を指摘される嵌めになり、かなり感情的になっていた。

「まあまあ、落ち着いて下さい」

五十嵐が右手の掌を下におろす仕草を繰り返して、動揺を隠せない彼を宥めた。

「東京の足立区で起こった教会でのテロは、まさにそうですね」

「そのテロを正当化するために、『向こうが先に仕掛けたからだ』と主張していますが」

「それをお互いに言い張っていますよね」

「結局、報復のやり合いじゃないの」

「無関係な人まで巻き込むなんて酷いですよ」

「何の罪もない子どもまでもね」

「墓の中で、開祖や救世主が泣いてるよ。『我が信者たちは、なぜ自分の教えと異なることをするのか』と」

「それもこれも、自分の信じる神が正しく、他は邪教とするからだ。歴史を振り返れば、そんな争いがたくさんあったわな」

「キリスト教とイスラム教の対立が、まさにそうだね」

「そう考えると、『宗教は争いの元』と言えますね」

「おっしゃる通りです」

「・・・」

 このやり取りにさすがの玄老元徳も、言葉に窮した。もし、ここで何かの言葉を発すれば、何倍にもなって返ってくることは火を見るより明らかであり、彼はそれを恐れたのである。場内が騒然となる中、五十嵐がそれぞれの言葉を遮るように言った。

「では、次のテーマにいきます」

「ええっ」

「もう終わり?」

「なんか中途半端だね」

観客から不満の声が漏れた。

『まだ余裕があるとはいえ、この事ばかりに時間を費やせない。消化不良の感じは否めないが、仕方がない』

五十嵐はそう思いながら、二番目のシールを強引に剥がした。

「振り込め詐欺ですね」

 

 

「特にお年寄りがターゲットにされていて、これも後を絶たちません」

「警察庁が、あれほど『騙されてはいけません』と呼びかけているのに、一向になくなりませんね」

「これまであった詐欺による被害は、かなりの額になると思います」

「これについては、元警視庁捜査二課の永井典明さんにお伺いします」

 永井は、数年前に警視庁を退職し、今現在は天下り先の『相談役』という肩書きになっている。現職時は、主に詐欺、贈収賄、脱税などの捜査に関わり、数々の難事件を解決に導いた。人脈が広く、上司や同僚、部下からの信頼も厚かったこともあって、ノンキャリアながら階級を警視まで上げた。

「オレオレ詐欺や振り込め詐欺は、確かに増え続けています。また、新手の詐欺事件も多発していて、犯人検挙に警察も大変苦労しています」

「何か良い解決策はないのでしょうか」

「刑罰を重くすることが考えられますが、それも限度があるのであまり期待はできません」

「殺人犯のような重罪にすれば、効果はあるでしょうけどね」

「それよりもまず最初に、この犯罪の実態を説明する必要があります」

「そうですね。お願いします」

「この手の犯罪は、集団で行っている場合が多いです」

「単独犯は、少ないのですか」

「はい。そして、これらグループの実行犯の後ろには、必ず大元のボスがいます」

「どのような人たちなのでしょうか」

「大抵が、暴力団の幹部です」

「ほう、暴力団ですか。意外でしたね」

「高学歴の半グレ集団なんかを思い浮かべる人もいるかも知れませんが、実際はやくざで す」

「それは、どういうことなのでしょうか」

「ご存じのように、平成四年に暴対法が施行されました」

「暴力団を撲滅するための法律ですね」

「それによって暴力団の弱体化を図ったのですが、そう上手くは行きませんでした」

「現実に、暴力団はなくなっていませんものね」

「確かに暴対法によって、みかじめ料などの取り立ては困難になりました」

「主な資金源が潰された訳ですね」

「それでも、組を存続させなければなりません。今までと同様の資金を、なんとか確保しなくてはならないのです。そこで、新手の方法を考えました」

「それが、オレオレ詐欺や振り込め詐欺ですか」

「そうです。リスクの高い賭博、麻薬、風俗だけでは不安定なので、新たな方法によって資金を増やそうとしたのです」

「やくざも必死ですね」

「反社会の人たちなので、生き残るためには手段を選びません」

「そういうところは、昔の任侠とは異なりますね」

「最早、『弱きを助け、強きを挫く』ではないのです」

「もし、犯人グループが摘発されても、ラスボスは捕まらないのですか」

「はい。雇われた者が、容易に口を割ることはないでしょうね」

「それは、自分の命が狙われる恐れがあるからですか」

「そうです。そこが、この事件の難しさと言えます」

「詐欺による被害が後を絶たないのは、そういう訳だったのですね」

「ボスは、自分の手を汚すことはしません。実行犯が捕まったとしても、自分には関わりのないことと知らぬ顔を通します。ほとぼりが冷めれば、また新たな要員を集めて犯罪を起こします」

「まるで、蜥蜴のしっぽ切りですね」

「彼等は、独り住まいのお年寄りばかりを狙っています。高齢者は、若い人より財産を持っている上に、警戒心が薄く騙されやすいですからね」

「狙われた家の情報は、どのようにして手に入れるのでしょうか」

「その方法は、比較的簡単です」

「お聞かせ願いますか」

「まず第一に、ターゲットを新興住宅ではなく、旧家が多い地域にすることです」

「お年寄りばかりの地域ですね」

「そこの家々を実際に見て歩き、大きな屋敷の持ち主の名前を表札からメモし、電話帳で住所と電話番号を調べ上げます」

「なるほど。確かに簡単ですね」

「それを基にして数を打てば、その内の誰かが引っかかります」

「引っかかった人が、長年働いて貯めた『虎の子』を犯人に持って行かれるのですね」

「そうです」

「たまったもんじゃないですね」

「詐欺の成功は、彼等にとっては手柄になります」

「罪の意識など、まったくないのですね」

「以前、捕まった犯人の一人が、『財産がどれだけあっても、あの世には持ってはいけない。生い先短い年寄りの代わりに、俺たちが使ってやるんだ』と、嘯いていましたからね」

「本当に腹が立ちますね」

「奴らは、カモを見つけて騙すことしか頭にありません。被害にあった人の気持ちなんか、これっぽちも考えていないのです」

「では、そんな被害者にならないためには、どうすればよういのでしょうか」

「そのような電話がかかってきても、簡単には信用しないことです」

「でも、認知症の一歩手前の方などは、信用してしまいますね」

「そういう方は、財産の管理を自分でせずに家族に任すことです」

「そうするしかないですよね」

「それでも、安心はできません。犯人たちは、この手が使えないと分かると、次の手で来ますから」

「この前の事件なんかは、警察官を装った詐欺でしたね」

「まさかと思うことが実際に起こります。どうしたら良いのか迷った時は、自分で判断せずに家族や友人に相談してみることです」

「そうすることが、被害に合わない一番の方法ですね」

五十嵐がそう言った時、ディレクターが五十嵐に合図を送った。

「あーではここで一旦、CMに入ります」

 その声で緊張の糸がほぐれ、観客やコメンテーターたちは一息ついた。数名の者がトイレに行き席を離れたが、それ以外はその場に留まって雑談となった。

 数分後に、討論会が再開されたが、テーマは先ほどのものではなかった。ディレクターの指示によって、最近問題になっている『あおり運転』に変えられたのである。