町内の友だち
小学2年生になると、たけっちゃんのお姉さんとその友だちとでいっしょによく遊んだ。二人とも小学5年生であるが面倒見が良く、あやとりや編み物のやり方を手取り足取り教えくれた。
また、「花いちもんめ」「かごめかごめ」「ことしのぼたん」「あの子の後ろに蛇がいる」などの鬼遊び歌も教えてくれたように記憶している。
町内の年上の男友だちは、ゴミ箱の上にゴザをおいて遊戯台とし、そこでベーゴマを回して競い合った。負ければ相手にとられてしまうルールであり、みんな目が真剣だった。
メンコもビー玉もそのようなルールでとり合っていたのであり、まるで賭け事への入り口のようであった。
りょうちゃん
私の家の隣に「りょうちゃん」という幼友だちがいた。
私より3歳年上であるが、いっしょにチャンバラやカンケリ、鬼ごっこをして遊んでくれた。ベーゴマの回し方や柔道の技を教えて貰ったこともある。私にとっては、優しくて頼り甲斐のある兄のような存在であった。
りょうちゃんは、お母さんと二人暮らしであったが、当時は叔父さんも同居していたので、私の家の家族構成と似たようなものであった。
違っていたのは、チロという名の犬を飼っていたことである。雑種ではあるが、人懐っこく大人しい犬だったので、『私もこんな犬を飼ってみたい』と思った。
このチロは後に子犬を2匹生むが、1匹はどこかに貰われて、チャッピーという子犬が残った。親子で飼われていたのであり、チャッピーがチロにまとわりつく姿は可愛くて仕方がなかった。
りょうちゃんのお母さんと叔父さんは、毎日仕事のために夜遅くに帰宅していて、りょうちゃんはいつもひとりで寝ていた。それで、お母さんが、『息子が寂しくないように』と思って、チロを飼ってあげたのかも知れない。
ある日、りょうちゃんの家に若い女の人がやって来た。叔父さんの奥さんになる人であり、いっしょに暮らすことになったのである。
新婚であるので何かと気を使うことになるが、引っ越すまでの間だけということで居候をした訳である。
叔父さんは相変わらず夜の遅い帰宅であったが、帰ってくるなり「りょういち、もう寝たか?」と奥さんに尋ねたそうである。その時、ネグリジェ姿の奥さんが、「もう寝てはるわ」と言って、いそいそと奥の部屋に入って行った。

実はりょうちゃんは、布団には入っていたが寝たふりをしていたのである。二人の声を聞きながら、良からぬ事を想像をしていたようである。
後日、りょうちゃんから直接聞いた話によるとこうだった。
目を閉じて耳を澄ましていたが、襖越しの隣の部屋から何やらゴソゴソと物音がしだした。暫くして、ネグリジェを脱がすような音がして、徐々に奥さんの声が聞こえてきた。
奥さんは、「うーん、うーん」と、まるで唸るような声を出したが、叔父さんは「ハッ、ハッ、ハッ」という小さな声だけでよく聞こえなかった。
『叔父さんが奥さんに何かをしているのだろうか』
隣の部屋に入って現場を見る訳にもいかず、じっと最後まで聞き耳を立ていたのである。
大人の世界のことは、子どもには分からない。叔父さんたちは普通の新婚生活を送っていただけであり、子どもにとってはそれが奇異に思えて仕方がなかったのである。
叔父さんたちは数ヶ月後に新居に引っ越すが、あの時の夫婦の営みは、りょうちゃんにとって思い出深いものになったに違いない。
肥後守
私とりょうちゃんとの一番の思いでは、大文字山に登って秘密基地を作ったことである。準備した物は、「肥後守」と新聞紙だけであった。
当時は、「肥後守」を大人も子どもも持っていた。鉛筆を尖らすなど、木を細工するのに使っていたのであり、不良がするような脅しの道具として持っていた訳ではない。
夏の山は、木が覆い茂っていてとても涼しかった。秘密基地の周りでは、樹木に止まったセミが鳴き、カナブンも飛んでくることもあって結構面白い遊び場になっていた。
地面には、石英を含む岩石があちこちに転がっていて、どこかに透明な水晶はないものかと目を凝らして探したものである。
行く途中に用水路があって、採集網でメダカなどを掬ったりした。また、支流になる小さな川で、サワガニやザリガニなども捕まえた。
野壺
大文字山の麓の近辺には農家の畑があり、近くに『野壺』もあった。柵もなく野放しであり、落ちる可能性があってヤバかった。
日差しが強い真夏にその近くを通ったのだが、水分が飛んで表面がカチンカチンに固まっていた。
何を思ったのか、りょうちゃんがそれに向かって小石を投げた。小石は、もろに跳ね返って転がった。それを見た私も同じように投げたが、びくともしなかった。
少し意地になった二人は、小石を投げ続けた。何投目だったか、少し穴が開いてきた。更に続けていくと、次第に中身が跳ね上がるようになってきた。
そろそろ止めようかと思った時、りょうちゃんの同級生が笑いながら近くにやって来た。そして、反対側から同じ事をやりだしたのである。
チョイ悪の同級生は、汚物を私たちにかけようとしたのであり、りょうちゃんと私は咄嗟に電信柱に隠れた。
同級生は更に野壺に近づいて全力で小石を投げたが、その反動で自分の顔と服に汚い滴が掛かってしまった。
それを見たとき笑いそうになったが、何とか堪えた。誰も責められない自業自得の結末であるので、その同級生は渋い顔になって家に帰ってしまったのである。
公営プール
りょうちゃんに、西京極にある市民プールに連れて貰ったことがある。
最初は低学年用の浅いプールで泳いでいたのだが、りょうちゃんに大きい方のプールに来るように言われて行ってみた。
そこは結構深く、大人でもまったく足がつかない所なので、泳げない人は敬遠していた。
私はまだ水泳が苦手であり、手すりにつかまりながら水に浸かることにした。りょうちゃんは水泳を得意にしていて、私に「飛び込みの見本を見せる」と自信満々に頭からプールに飛び込んだ。
私は、りょうちゃんがすぐに水面から出て来るものと思っていたが、5秒経っても出てこない。10秒経っても出てこない。20秒経っても出てこない。私は慌てた。ひょとして、水による事故が起こってしまったのかと。
30秒程経過して、ようやくりょうちゃんが水面から現れた。鼻を右手で押さえていたが、よく見ると真っ赤になっていた。
「りょうちゃん、どうしたん?」
「・・・」
りょうちゃんは、鼻を底で思い切り打ったらしく、痛さで涙顔であった。それにしても、長い潜水であった。おそらく私に失敗を悟られまいと、底でじっと我慢をしていたのだと思う。
軽音楽
中学を卒業したりょうちゃんは高校へは行かず、大手の会社の職業訓練校に入った。その後、晴れて正社員になるが、仕事で無理をした為に肝臓をいわしてしまった。
元来、真面目な性格だったので、体調が悪くても手を抜かなかったことが災いしたのである。難儀している同僚のバックアップまでしていたらしく、体を壊すのは必然だった。
それで入院を余儀なくされたが、その時に同室だった人から洋楽のギターを教わり、退院してから、私にそれを教えてくれた。
今でも私の趣味が軽音楽であるのは、そのことが大きな理由になっている。
投げ玉
この長屋には、お隣のりょうちゃん以外にいろんな学年の友だちがいた。真向かいの家には、くにちゃんという1つ年上の友だちが住んでいた。
そのくにちゃんには高学年のお兄さんと高校生のお兄さんがいたが、年が近いこともあって、高学年のお兄さんとくにちゃんと私の3人でよく遊んだ。
このお兄さんは大変漫画好きであり、少年サンデー、少年マガジン、少年キングを毎週のように買っていて、私にも見せてくれた。
当時の週刊少年雑誌には、「伊賀の影丸」「黒い秘密兵器」「紫電改のタカ」「暗闇五段」「おそ松くん」「丸出だめ夫」「おばけのQ太郎」「エイトマン」「ワイルド7」など素晴らしい作品が掲載されていて、発売日を心待ちにしていたものである。漫画家の作風はもちろん、作品自体に魅力が溢れた秀作ばかりであった。
小学生時代は、書物よりも漫画から世間一般の常識や知識を得ていたのであり、その影響を大きく受けていたのである。
ある日のこと、くにちゃんと二人で家の前の床机に座って漫画を読んでいたら、あまり見かけない中学生らしき男が通りかかった。
その中学生は何を思ったのか、くにちゃんの顔を目がけて投げ玉を撃ってきた。『バン』という爆発音がくにちゃんの頬から聞こえた。
中学生が使ったのはパチンコ(ゴム銃)であり、くにちゃんはすぐにしゃがみ込んだ。投げ玉が顔の表面で爆発したのであるから、大きな怪我である。
小学3年生の私が向かって行くことはできなかったが、その中学生の顔をしっかりと覚えた。『どこの誰かは知らんけど、このままで済ますもんか』と睨んだのである。男は、泣いているくにちゃんを尻目に素知らぬ顔で歩いて行った。
その後、くにちゃんの家の人が帰って来たので、見たままを話した。小さい傷跡ではあるが、頬を火傷して痛々しかった。
「一度見たことがある中学生なので、またここに来ると思う」
「もし、見かけたら知らせてや」
4日後、同じ中学生が偶然、くにちゃんと私の前を通った。私は走ってくにちゃんの家に入って行き、一番上のお兄さんを呼んだ。
「間違いない。この男や!」
普段は進学校に通う大人しいお兄さんであるが、かなりの剣幕でその男に詰め寄った。
「お前か!弟に怪我させたんわ!」
中学生は最初はシラを切ったが、目撃者である私の証言と手に持っていたパチンコが動かぬ証拠になって、お兄さんから制裁を受けた。
顔を腫らした中学生は、「もう、二度としません」と約束をして、泣きながら逃げていった訳である。
貸本屋
リヤカーを引っ張ってやって来る貸本屋があった。
様々な雑誌をリヤカーに乗せて、週に一度の割合で町内に来ていた。子ども向けの本はもちろん、大人向けの週刊誌やエログロ雑誌もあった。
古びた書物の中に、田河水泡の「のらくろ」や阪本牙城の「タンクタンクロー」、山川惣治の「少年ケニヤ」や杉浦茂の「猿飛佐助」があって、少年マガジンやサンデーとは異なるタッチの漫画に触れることが出来た。
当時は、「少年画報」「少年クラブ」「冒険王」「ぼくら」などの月刊誌もあったが、あまり知られていないこともあり、まったく買わなかった。たまたま貸本屋にそれらがあったので、借りて読むことが出来たのである。
母親が借りた雑誌の中に、衝撃的な写真があったのを今でも覚えている。それは、人が死んでから白骨になるまでの様子を段階的に写し出している写真であった。
その写真を見た時はそれを本物だと思い込んで、『こんなものを雑誌に載せても良いのだろうか。見てはいけないものを見てしまった』と、かなり動揺したのである。
大人になってから、偶然その写真を見る機会があったのでよくよく目を凝らして見ると、紛い物の写真であった。カストリ雑誌が本物の死体を載せる筈がないが、リアルに創造した偽物の写真であることは、子どもの目では判別できなかったのである。
もうひとつショッキングな写真を小学生の高学年の時に見たことがある。四条河原町付近のビルの壁に貼ってあったのだが、それは笑っている女の人の解剖写真であった。
人目につくよう壁一面に大きく貼ってあって、それを市バスの中から見た時は、『こんなことが許されるのか』と、一瞬、目を疑った。家に帰ってからも、その写真が頭から離れなかった。
これも、大人になってから分かったのであるが、死体の写真と同様に紛い物であった。女の人の首から下の体や内臓は巧妙に作られた偽物であり、それを傍らの医者たちが手術をしているという外国人が企画したパフォーマンスであった。
この写真は、物議を醸し出したようである。希有な芸術的作品と捉えるのか、周りに不快感を与える陳腐な作品と捉えるのか、意見が分かれたのである。
いずれにしても、『気持ちが悪い』と近所から苦情が出て、すぐに撤去されたようである。
UFO
UFOとは、未確認飛行物体のことをいう。空飛ぶ円盤などもその類であるが、それが何であるのか分からない出所不明の飛行物体の総称である。
実は、このUFOを真っ昼間に私は見たのである。何気なく空を見ていた時、くにちゃんの家の屋根の向こう側に、白や赤やオレンジに光る丸い物体が数個浮いているのを発見してしまった。
「何やあれは?」
「円盤とちゃうか?」
いっしょに見ていた友だちもUFOの出現に驚いたが、数分間後に物体が雲の中に移動してすっと消えた。その動きは、飛行機、ヘリコブター、飛行船とは異なるものだった。
この時代に、ドローンなどはない。誰かが小型のヘリコブターを飛ばしたとしても、あんなに発光しながら飛んでいるのは変である。まさに未確認飛行物体である。
宇宙のどこかに、人類より文明が進んだ生命体がいても何ら不思議ではない。そのような生命体が、時間と空間を自由自在に操り、円盤に乗って地球にやって来たのだろうか。
目的は、侵略ではなく人類との交流である。いきなり姿を現すとパニックになるので、そうならないための準備の段階と思われる。
楽観的な考えと笑われそうではあるが、もしそうなら地球の未来は明るいものになる。
蛇殺し
名前は伏せておくが、自分より1つ上の近所であまり評判が良くない小学生がいた。なぜ評判が良くないかというと、学校の成績が悪いにもかかわらず、何かにつけて思ったことをずけずけと言いたがる性格だったからである。
喧嘩を吹っ掛ける訳でもなく、何か悪さをする訳でもないが、誰に対しても余計なことを口走るので親しい友だちがほとんどいなかった。
町内会の日帰り旅行で、大人から失笑を買ったのを覚えている。貸し切りバスの中で、
その当時流行っていた「ワシントン広場の夜はふけて」を下品な替え歌にしてマイクで歌ったのであり、家に帰ってから「あの子と遊ぶな」と母親から言われた。
普段は、あまり彼とは遊ばないのであるが、真っ昼間に私の家の側でいっしょに花火をして遊ぶことがあった。
何気なくゴミ箱に目をやると、家とゴミ箱の隙間に蛇が隠れているのが見えた。それは青大将ではなく、見たこともない茶色ぽい小さな蛇だった。
彼は、その蛇に花火を当て出した。花火の攻撃は凄まじく、我慢の限界であった蛇は慌てて逃げようとした。
それを見ていた私は、家から新聞紙を持ってきて火を付けた。そして、それを蛇に被せた。
すると、あっという間に蛇が焼け焦げて、抜け殻のようになってしまった。それは一瞬のことであり、まるで蛇の魂が天に登るような感じであった。
私は驚いた。こんなことになるとは予想外だった。彼は、蛇の死骸を見て喜んでいた。軽くなった死骸は、別の新聞紙に包んでゴミ箱に捨てた。
夕飯時にそのことを父親と母親に話すと、子どもの火遊びを叱られた上に、「死んだ蛇は、この家の守り神だったかも知れない」と言われた。それを聞いて、私は愕然となった。
確かにあの時の蛇の死に方は、普通ではなかった。何か神々しい感じさえしたのであり、「守り神」を殺してしまったという後悔の念が、今も残り続けているのである。
この後、彼とは益々距離を置くようになったが、一度、彼を怒らせたことがある。それは、彼がパーティ用のクラッカーで遊んでいた時の事である。
私にもクラッカーを一本くれたのであるが、紐をいつ引っ張ろうかと迷っていた。その時、良からぬことを思い付いてしまった。
「パン」と、非常に大きな音が彼の耳元で鳴った。彼は、「あっ」と声を出し、右の耳を押さえた。そして、「何をするねん!」と、私を怒り出した。
クラッカーの音で彼を驚かせたかっただけなのであるが、彼は凄い剣幕で追いかけてきた。
彼の怒りの形相に恐れを成した私は、一目散に逃げるしかなかったのである。






















































































