中華そば

 零時を過ぎた真夜中の銀座通り。週末ということもあって、バーやスナックなどの飲み屋は、ほろ酔い気分の常連客で賑わっていた。

 その通りの真ん中辺りにあるカウンターだけの小さな居酒屋から、工務員風の中年男が二人、上機嫌で出て来た。彼等はその店の常連客で、愛想の良い女将、豊富な地酒と値段の安さが気に入って、このところよく来ている。

「女将、また来るし」

「いつもいつも、おおきにどす。気を付けてお帰りやす」

「ありがとうー」

頭の天辺が少し薄くなった田村が、戯けて女将に投げキッスをした。

「えへへ。ところで、木村よ。今、何時頃やろ」

「今か。えーと」

木村が腕時計を見た。

「ほう、もうこんな時間か。ほたら帰りの電車はないな・・」

「何やったら、タクシー呼びまひょか」

二人のおぼつかない足取りを見て、女将が気を利かした。

「かまへん、かまへん。ちょっと、酔い覚ましに歩いて行くわ」

「そうどすか」

 女将の心配をよそに、二人はアーケードの中を千鳥足で歩いた。

「うぃっ、今日もよう飲んだな」

「ほんに、よう飲んだ」

「今頃、家ではお母ちゃんが恐ろしい顔で待っているやろな」 

「お前んとこは、まだ待ってるか。うちとこなんか、もうとっくに寝とるわ」

「とうとう、見捨てられてしもたな」

「まあ、そのうち仕返しをしたるし」

「どんな仕返しや」

「内緒や内緒。秘密のアッコちゃんや」

「何やそれ」

 途中、電信柱に仲良く立ちションをした後、二人は大通りに出た。そこで待機しているタクシーに一旦乗りかけたがやめた。道路から少し離れた路地に、屋台の灯りが見えたのである。

 

 

「木村、あんなとこに中華そばの屋台が出てるで」

「ほんに」

「お前、小腹が減ってるやろ。ちょっと食べていかへんか」

「そやな。絞めに丁度ええな」

「ほたら、決まりや」

 二人は、屋台の匂いに誘われるように、暖簾をかき分けた。

「おやっさん、中華そば、二人前や」

「へい」

前掛けで手を拭きながら、初老のおやじが顔を出した。

「儂等、この店は初めてなんやけど、何味や」

「鶏ガラ醤油のあっさり味です」

「そうか。丁度良かった」

「麺はどうや」

「細麺です」

「益々ええなぁ。こりゃ、ほんまもんの『中華そば』が食えるで」

「そう言うてもろたら、作り甲斐がありますわ」

おやじが、嬉しそうに支度を始めた。

「木村よ。『中華そば』と『ラーメン』の違いて、何か分かるか」

「違いてか。どっちも同じもんやろ。なあ、おやっさん」

「そうです。元々同じもんです」

「同じもんやのに、なんで違う言い方をするんやろ」

「それには、訳がある」

「どんな訳や」

「へへ。知りたいか」

田村は、勿体ぶっておやじの方を見た。

「おやっさんは、その訳、知ってるやろ」

「知ってます」

「やっぱりな」

「昔は、日本のそばと中国のそばを区別するのに、『南京そば』『支那そば』『中華そば』と言うてたんです」

おやじが、豆知識を披露した。

「そやし、当時の屋台や大衆食堂の品書きは、『ラーメン』と書かんと『中華そば』となってたな」

「何となく覚えているわ」

「『ラーメン』て言い出したのは、つい最近のことです。即席ラーメンが売り出されてからです」

「おやっさん、ものしり博士ですな」

「屋台を引っ張って、三十五年になりますんで」

「超ベテランやで」

「実際、元は同じもんですけど、昔ながらのあっさり味は『中華そば』、最近流行のこってり味は『ラーメン』と、区別する人もいてはるんです」

「へぇー」

「とすると、あんたとこは暖簾に書いてあるように『中華そば』になるな」

「はい」

「俺はやっぱり、『ラーメン』より『中華そば』がええわ」

「鳴門と支那竹が入っているやつやな」

「そうや」

「それは、両方とも入ってます」

「焼豚は」

「もちろんです」

「よっしゃー」

田村は、おやじのこだわりに好感を持った。

「そやけど、近頃、屋台もめっきり見かけんようになったな」

「そうでんな。私らと同業の人等も、廃業したり、亡くなったりと少のうなりました」

「寂しいな」

「時代の流れやな」

「大体、屋台を置ける空き地がありませんわ。駐車場になったり、ビルが建ったりと」

「商売がやりにくうなっとるんやな」

「そうなんです。ここに移って来たのもつい三日前で、以前の場所に屋台が置けんようになったからです」

「どうりで、今まで見かけんかった訳や」

 二人は、おやじと話をしながら、『中華そば』が出来るのを待った。おやじは、しっかと湯切りした麺を、湯で温めたドンブリの中に手早く入れた。仕上げに、鶏ガラ醤油の出汁を掛け、慣れた手つきで具を置いた。

「へい、お待ちー」

年季の入った木製のカウンターに、二杯の『中華そば』が置かれた。

「おお、これやこれや」

湯気と共にドンブリから出る出汁の香りが、二人の食欲をそそらせる。

 木村は、胡椒を振って割り箸を割ると、すぐに麺をすすった。田村は、麺よりもスープの方が気になり、どんぶりを両手で持ち上げて一口飲んだ。

「うまい!ほんまにうまい!」

木村が、おやじの顔を見ながら親指を立てた。

「おおきに」

おやじも、思わず顔がほころんだ。

 木村とおやじが盛り上がる一方で、田村は、少し首を傾げた。何か違和感を感じたようである。

「うーん」

「なんや、田村。どうしたんや」

「このスープやけど・・」

田村は、見かけによらず食通である。特に『中華そば』の味に関しては、煩かったのである。

「お口に合いませんか」

おやじが気になって、田村に問いかけた。

「いや、うまいことはうまいんやけど。ちょっと『えぐみ』があるような・・」

「はぁ。『えぐみ』ですか」

「スープに何か特別なもん、入れてへんか」

「いいえ、鶏ガラと醤油だけですけど」

「そうか。そやけど、この『えぐみ』は、それだけではないと思うな」

「お前、酒に酔うてるさかいそう感じるのとちゃうか」

「酔うてても、俺の舌は確かや」

田村は、真面目な顔で言った。

「おやじはん、一回スープの鍋を見てみ。何か変なもんが紛れ込んでるかも知れんで」

「蓋をしてますし、虫や鼠なんかが飛び込むことはないんですけど」

「念のために、確かめてみてみ」

「へえ」

渋々ながら、おやじはスープ鍋の蓋を開け、長い柄のレードルを不透明な鍋の底まで落とした。そして、ゆっくりとかき混ぜた。

『ガリ』

何かズッシリと重い物が、レードルの先に当たった。

『おやっ』

おやじが、突然手を止めた。

「どうした」

「底に、鶏ガラとは違う何か重たいもんがありますわ」

 鶏ガラは、良い出汁を出すために小さく三つに切ってあり、そんなに重くはない。ところが、レードルの先にあるものは、かなり重いものだった。

「掬ってみてみ」

「そうでんな」

 おやじは、それをレードルのお玉の上に何とか乗せた。そして、落ちないように慎重に掬い上げると絶句して目を剥いた。

「ひぇっ」

思わずレードルから手を離して、声を上げた。

「どうしたんや!」

「手、手首が・・」

「なんやて!」

 おやじが見たのは人の手首であった。さらにその手首には、指がまったくなかったのである。 田村と中村は、怖い物見たさでそのスープ鍋に近寄るが、おやじは、屋台から離れてしまった。

 二人は、コンロの火を止めて中を覗くが、濁っているためによく分からない。仕方がないので、鍋を傾けて出汁を外に出すことにした。

 怯えたおやじを尻目に、恐る恐る出汁を捨てていくと、それが徐々に姿を現し出した。

「ひやっ」

驚いた二人は、すぐに鍋から手を離しておやじの方へ走った。

「おやっさん、えらいこっちゃで!」

その言葉に、おやじは益々狼狽えた。

 実際、鍋には鶏ガラと混ざって二つの手首と数本の指があった。どうやら、男の手のようである。

 もう、『中華そば』どころではなかった。居酒屋で飲んだ酒と肴はもちろんのこと、胃の中のすべての物を路上にぶちまけた。

 数分後、警察が来て現場検証を行うが、問題のスープ鍋は、鑑識課に送られることになった。

 三人は、署内で事情聴取を受ける。田村と木村は、『只の客』ということですぐに帰されたが、おやじの方は、質問攻めにあった。

 おやじにしてみば、降って湧いたような災難である。『何故こんなことになったのか。訳が分からない』と、嘆くばかりであった。

 刑事たちは、落胆しているおやじを見ながらこう推測した。

『おそらく、おやじさんが用足しか何かで屋台から離れた時に、誰かがこっそりと入れたに違いない』

『いずれにしても、あの手首をスープ鍋に入れたのは一体誰なのか。その目的は、何なのか』

『手首の持ち主は、おそらく殺されていると思われるが、その被害者は誰なのか』

『また、両手首の指が全部切り取られているのは、何を意味しているのか』

『精神に異常がある者か、被害者に対してよほどの憎しみを持った者の行為としか考えられない』

 警察は、前例のない猟奇的ともいえる犯罪の捜査に乗り出した。

 

漏らした男

『この事は誰にも言うなと、あんだけ念を押したのに』

 ウイルスの計画を知っている者は、身内だけである。それも側近の限られた者である。他の子分たちには、『合成麻薬の製造をしている』と偽っていて、「離れ」に近づくことも許さなかった。

『それなのに、なぜよその組の者が知っていたのか』

片岡は、不審でならなかった。

『一体、誰が漏らしたんじゃ!』

まるで苦虫を噛み潰したような顔で、身内の中の裏切り者を詮索し出した。

 最初に呼ばれたのは、若頭補佐の幹男であった。幹男は、川岡組と揉める前までは竜次と懇意にしていたのであり、いの一番に疑いが掛かった。

「幹男よ。お前、川岡組の竜次にウイルスの事をしゃべったやろ」

「えっ。私がでっか。そんなもん、しゃべってまへんで。兄貴からきつう口止めされてたんで、誰にも言うてませんのやけど」

「ほんまやろな」

「ほんまです。それに川岡組と揉めてからは、竜次とは全然会ってませんわ」

「ほたら、誰が漏らしたんや」

「確信は持てまへんけど、達也が怪しいと思てます」

「あのアホか」

「はい」

「確か、一ヶ月ほど前に盃を返しとるな」

「そうです。突然『堅気になりたい』と言い出して、組を抜けよったんです」

「やめた理由は何や」

「何でも、実家の事情らしいです。母親が病気になったんで、『介護をする』とか言うておりました」

「ふーん。極道の癖に介護かい・・」

「元々アイツは、極道には向いていなかったんですわ。喧嘩が弱いくせに、肩で風を切って歩きたがる。それで素人と揉めても、勝った試しがおまへんのや」

「あのボンクラではな」

「まあ、口が軽い男ですし、アイツならやりかねませんわ」

「今、どこにおる」

「おそらく和歌山の実家やと思いますけど」

「お前、今すぐ達也を捕まえてここに連れてこい」

「電話で呼び出すのは、あきませんのか」

「逃げられる恐れがあるやろ」

「なるほど、そうでんな」

 

 その日の夜遅く、幹男が元舎弟であった達也を事務所に連れ来た。

「若頭、お久しぶりです」

「おお、待ってたんや」

 怪訝そうな達也の顔を見て、片岡が薄笑いを浮かべた。

「まあ、座りいな。おい、幹男、達也にコーヒーでも入れたって」

「へい」

「よう来てくれたな」

「はい。堅気になったんで、もうここには来れんと思てましたけど、『若頭がお前に会いたがっている』と幹男の兄貴から聞いたんで、取り敢えず来てみました。

「そうかそうか」

「それで、私に何か用があるんですやろか。礼金の事でしたら、まだ手元に有らへんので待ってください。働いて作りますよって・・」

「そんなことやない。実は、お前に聞きたいことがあるんや」

「何でっしゃろ」

「あの事を川岡組の竜次に漏らしたんは、お前とちゃうか」

「あの事・・。何の事です」

「隠さんでもええ。悪いようにはせえへんし、正直に言うてみい」

「そやし、何の事か見当がつきませんので、正直にと言われても・・」

「そうか。そんなら言うたろ。ウイルスの事や」

「ウイルス・・・」

「そうや」

「ああ、あの話。あれ、若頭の冗談やったんと違いますのん」

「まあ、そやな。冗談やったんやけどな・・」

「やっぱり、そうでっしゃろ」

「そやけど、そのことを竜次にしゃべってへんか」

「いいえ。竜次どころか誰にも言うてません」

「ほんまやろな」

声を押し殺して、片岡が凄んだ。その顔は極道そのものであり、まるで大魔神のような豹変ぶりである。

「ほんまです。大体、あんなことを人に言うたら、笑われるだけですし」

達也は迷惑そうに声を細めた。

『これ以上、問い詰めても無駄や。埒が開かんわ』

と思った片岡は、達也に帰ってもらうことにした。

『こんなことぐらいで、わざわざ呼ばんでも・・』

そう思いながら、達也はすぐに事務所から出た。

「幹男よ、どないなっとんねん。お前が怪しいと言うたから呼んだんやど」

「す、すんまへん」

『くそー、誰が犯人なんじゃ・・』

片岡は、頭を抱えた。

 漏らした犯人は、幹男でも達也でもなかったのだが、その二人以外にもウイルスのことを知る者は二名いた。

 一人は、常に片岡と行動を共にする側近中の側近、金山である。冷静で口が堅く、片岡に対して強い忠誠心を持っている。竜次殺害にも加わっていたが、この男が漏らしたとは考えにくい。

 そうすると、もう一人の方になるが、疑ってはならない人物であった。何故なら、山田組の組長その人だったからである。

『まさかおやじが・・』という疑念が片岡の脳裏を一瞬よぎったが、すぐに消し去った。しかしながら、真犯人は片岡の思いに反したその『まさか』だったのである。

 組長には、3週間前までミキという愛人がいた。ミキは、組長が足繁く通っていた店のキャバ嬢で、十八歳になったばかりの元ヤンである。若いが、「はくい」という言葉が似合う女であった。

 ミキがまだ愛人になる前、組長はあの手この手でものにしようとしたが、ミキはなかなか首を縦に振らなかった。

 最後の手段は、やはり金である。近々、自分の懐に莫大な金が入ることをミキに仄めかし、結構な額の報酬を支払うと約束した。

 それによって、ようやくミキが承諾したのであるが、あくまでも金銭上の契約であって、冷めた関係であった。それでも、組長は大いに喜び張り切った。もちろん、本妻には内緒である。

 その後、ラブホテルでの密会を数回重ねたが、ミキが会うことを渋りだした。その理由は、報酬が滞ったからである。「大金が手に入るのは、もうすぐやさかい」と宥めたが、ミキは納得しなかった。

「お金の話は怪しいもんや。今すぐ、現金が欲しい。貰えなければ関係を解消する」とまで言った。

『ミキを諦めたくない。だからといって、惚れている女を極道の代紋で脅すような真似はしたくない。片岡から固く口止めされているが、背に腹は代えられん』

そう思って、ウイルスのことをミキに話してしまったのである。

 ミキは、口止めされていたにも関わらず、同じ店で働く仲の良いキャバ嬢に漏らした。組長が報酬を払わない事を愚痴ったついでに、ウイルスの事もしゃべったのである。

 その仲の良いキャバ嬢というのが、竜次の愛人だった。竜次がウイルスの事を知っていたのは、そのような経緯があったからである。