永覚寺
「尊師、この世では、なぜ悪行が後を絶たないのでしょうか」
瞑想を終えたばかりの義心が、卒然と住職の慧隆禅師に問いかけた。
義心は、剃髪の跡も青々しい若き僧侶である。仏門に入って日が浅く、読経などの勤行はまだおぼつかないが、世情については人並み以上に関心を持っているのである。
「今朝見た新聞に、外国で起きたテロの記事がありました。かなりの人が亡くなったようです」
「また起こったのじゃな・・」
「このような惨劇が終わらないのは、どうしてでしょうか」
「私も義心と同じ思いです。どのような時代でも、罪のない人々が殺されています。これからもこのようなことが、続いて行くのでしょうか」
義心より2つ年上で、同じ時期に入門した惠淳も同調した。
「義心、惠淳よ。その問いの答えを得るには、まず、人の『本性』を知らねばならぬ」
「本性・・ですか」
「そうじゃ。そもそも、人とは何であるのか。お前たちにそれが分かるか」
「・・・」
その問いに2人は顔を見合わすが、答えを出せないまま固まってしまった。
「何なのでしょうか」
「ミミズやオケラと同じじゃよ」

「尊師、それは、単なる生き物という意味ですか?」
「そうじゃ。ただの生物ということじゃ」
「はあ」
「では、すべての生物に共通する事とは何か」
「・・・」
まるで禅問答のような慧隆の投げ掛けに2人は暫く考えたが、答えが何なのか見当すらつかなかった。
「分からんか。それはじゃな。命があるということじゃ」
「命ですか・・」
「生物が生物であり得るのは、命があってこそじゃ。命が尽きれば、そうでなくなる」
「それはそうですね」
「それでは、命あるものは常に何をしようとしているのか」
「常にですか・・・」
「うーん。何でしょう?」
「生きようとしているのじゃ。生き延びようとしているのじゃ」
「確かに・・」
「誕生してから、すぐに死に向かおうとするものはいない。生きるのに必要な物質を求めて、見つければそれを体に取り入れる。それによって、1秒でも長く生きようとする。それが、命を持つ物の摂理である」
「なるほど・・」
「この『生き伸びる』ということは、決して楽なことではない。糧が見つからないだけでなく、外敵に襲われて自分が餌食になる場合もあるのでな」
「命がなくなる危険性が潜んでいるのですね。自然界ではよく見られることです」
「いいや、自然界だけではない。人間の世界にもそれはある」
「人が殺し合うことですか」
「そうじゃ」
「尊師、私たちが知りたいのは、その理由です」
「お前たちは、ネコ同士が殺し合うのを見たことがあるか」
「いいえ」
「同類は、基本的に殺し合わない。ネコがネズミを襲うことはあっても、ネコがネコを襲うことはない。縄張り争いはしても、決して殺して食べることはしないのじゃ」

「同じ種という意識が、潜在的にあるからですね」
「人も、かつてはそうだった。同類の繁栄を意識の根幹としていた」
「他の生物のように、同類と共に生きるという思いが強かったのですね」
「ところが、文明が発達するにつれて、『利害』というものが人類に仇をなした」
「損得ですね」
「人は、ただひとりで生きているのではない。常に複数いるのであり、利害の対立は必然的である」
「争うのは、その対立が原因なのですか」
「そうじゃ。昔は、治水の取り合いで村々が争ったこともある」
「土地の取り合いもありましたね」
「その最たるものが、国の取り合いじゃ」
「つまり、戦争ですね」
「国で内紛が起こるのも、それが原因ですか?」
「ああ。表立っては主義主張、思想、理念の対立が原因になっているが、大抵は利害が絡んでいる」
「そうすると、この世で起こる争いのすべては、利害の対立から生じている訳ですか」
「すべてがそうだとは言えぬが、個人、村、国、民族、宗教などの争いは、その原因によることが多いな。争うだけで済めば良いが、血が流される場合も結構多い」
「国を挙げての戦争になれば、必ず多くの命がなくなりますね」
「戦争に勝つには、敵をたくさん殺さねばならぬ。単なる殴り合いや取っ組み合いでは、それは難しい。そこで使われ出した物があるが、何なのか分かるな」
「武器ですね」
「棍棒、鉈、刀剣、槍などがそうじゃが、もっと簡単に相手を殺せる飛び道具も作られた」
「さらには、爆弾も開発されましたね」
「相手より強力な武器を持って勝とうとした結果じゃな」
「対立の激化が、不幸を招くことになったのですね」
「日本でも、利害の対立から他国と戦争になり、たくさんの命がなくなった」
「最後は、核兵器が使われたのでしたね。もう二度と、戦争をしてはいけませんよね」
「誰もがそう願うのだが、中には戦争をして欲しいと思う者もおる」
「そんな人がこの世にいるのですか?」
「他人の対立を横目に見ながら、武器を売りつける輩だ」
「死の商人ですね」

「彼らは、財を得るために対立を煽る。戦争をけしかける。売れた武器によって、幾千万人が死ぬことになってもお構いなしだ」
「大切な人の命が、『儲けるための消耗品』とでも思っているのでしょうか」
「戦争の中には、彼らによって仕組まれたものもあるかも知れませんね」
「おそらく、あるだろうな」
「まったく、不埒な輩ですね」
「人非人と呼ぶべきです!」
そう言い放った2人の顔に、明らかな憎悪が見て取れた。
「有名な喜劇役者が作った昔の映画に、こんな場面がある」
「はあ・・」
「子どもが、どこかの家の窓ガラスに小石を投げて割る。家主が外に出て犯人を捜すが、すでに逃げていない。そこへ、ガラス屋が通る」
「はは・・。子どもが、グルだったのですね」
「その通り。貧困のためにそのような生業をせざるを得なかったのだが、捨て子を育てるという訳もあって、まだ許せる所行と言える」
「死の商人は、そうではないですよね」
「たんなる営利目的であり、売るためには手段を選ばん」
「卑劣極まりないですね」
「それは、死の商人だけでない。世の中には、そのように仕組まれた陰謀が渦巻いているのじゃ」
「陰謀が複雑すぎて、一体何が事実で、何が事実でないのか分からなくなります」
「この世には、思いもよらない争いがたくさん起こっている。仏門に身を置く儂がこんなことを言うのは憚れるが、異なる宗教間の争いもあった」
「宗教戦争ですね」
「『自分の信じる宗教が絶対に正しい。他は邪教だ』という思いを持てば持つほど、争いは起こる」
「キリスト教とイスラム教の対立が、その顕著な例ですね」
「仏教界でも、違う宗派が争って死者さえ出している」
「それは、仏の教えに背く行為ですよね」
「釈尊は、争いなど望んではいなかった。釈尊が唱えたのは『慈悲』であり、目指したのは『魂の救済』である。同様に、イエスも『博愛』を唱えて、『相愛協力』を目指したはずじゃ」
「そうですね」
「ところが、いずれの後継者も、教祖の思いとは異なる方へと向かってしまった」
「普及させるために、他を排除しようとしたのですね」
「信者が増えれば、お布施も増える。国教になれば、国家から支援を受けられ、権力も持てる」
「教団のトップが、政に影響力をもたらすこともありましたね」
「その目的のために、救済より普及が最優先になってしまった。そして、その競争が対立を生じさせる原因となった訳じゃ」
「嘆かわしいことですね」
「これは、宗教だけではない。利害の対立による争いは、あらゆる所で起こっている」
「できれば、それらすべてを今すぐやめさせたいものです」
「私もそう願います。でも、それはできないのでしょうね」
「いいや、できる。このような争いは、『同類』『共存』という意識を高めていけば、なくしていける」
「本当ですか・・」
「無論、一朝一夕で成せることではない。それには、全人類の絶え間ない努力が必要となる。今はまだ分からぬが、きっとその方法を見つけるに違いない」
「そうなることを切に祈ります」
「私もです」
慧隆の言葉で、若い2人の表情は幾分明るくなったが、逆に慧隆の方は、翳りで覆われたような眼になった。
少し間をおいた後、禅師は、おもむろに低い声で話を続けた。
「問題なのは、人の本能じゃ」
「本能・・ですか?」
「どんな生き物にも、それぞれに本能がある。それは、生死や繁殖に関わることであって、至って単純なものである。ところが、人の本能はそれだけではない」
「繁雑なのですね」
「人であれば必ず持つのであり、他の生物には見られないものだ。それが人の本性を形成しているといってもよいな」
「尊師、それは一体、どのようなものなのでしょうか」
「仏教では、それを『煩悩』と呼んでいる。それが原因で災いになる場合も多い」
「以前、講話の中で話されていましたよね」
「私も覚えています」
「この煩悩は、全部で百八つあるとされるが、その一つに『欲』がある」
「確か、執着してはいけないものでした」
「例えば、『金を得たい』『物を手に入れたい』『頂点に立ちたい』『有名になりたい』という気持ちじゃ」
「金欲、物欲、支配欲、名声欲ですね」

「人が成長するにつれて、その意識がはっきりしてくる」
「幼い子でもありますものね」
「お前たちも、これまでに何かで一番になりたいと思ったことがあるか」
「はい。私は、得意なスポーツで一番になりたいと思いました」
「私も、芸術の世界において上を目指したことがあります」
「人は、必ずそのような望みを持つものだ。程度の違いはあっても、大抵の者が持つ。当然の事だ」
「健全な競争心と向上心ですね」
「しかしながら、その意識を過剰に持つと、邪悪な行為に及ぶこともある。非常に強い思いを持つ者がいると、同じような者と決まって争いを起こす」
「欲と欲のぶつかり合いですね。勝つか負けるかの争いになりますね」
「時には、生きるか死ぬかの争いになることもあります」
「人の歴史というのは、そのような争いの歴史でもあるのじゃ。過去を振り返ると、どこの国にもそれが当てはまる」
「今でも、身勝手な欲望によって無益な争いが起っています」
「心ない輩によって、善良な市民が被害を受けています」
「儂がお前たちに『欲を断ち切れ』と教えるのは、そんな輩になって欲しくないからである。分かっておるな」
「はい」
一呼吸して、慧隆は話を続けた。
「このような『欲』もそうじゃが、それ以上に厄介な『煩悩』がある」
「何ですか」
「それは、人を羨んだり、妬んだりすることである」
「『妬み』や『嫉妬』ですね」
「人は、他人を妬む。嫉妬する。もし、誰かと比べられて自分が劣っていたら、その相手に対して敵意を持つこともある」
「私も経験があります」
「敵意を持つだけならまだ良いが、その人に危害を加えようとする輩もいる。結果、悲惨な事件になってしまうのじゃ」
「三角関係が拗れて、目も当てられない程の醜い修羅場になった事件もありましたね」
「知らぬ間に人に恨まれて、命を奪われることもありました」
「私怨による殺人は、どのような時代にもある。他人事でなく、我々にも起こり得ることじゃ」
「私たちもそうならないように気を付けなければなりませんね」
「この他に、自分を自慢したり、卑下したりもすることもそうじゃ」
「『優越感』や『劣等感』ですね」
「たとえば、暴走族である」
「他人の迷惑顧みず、徒党を組んで派手にやりますよね」

「彼らは、何のために暴走行為をしていると思う」
「日頃の欲求不満の解消でしょうか?」
「それもあるが、主な理由は自己主張のためじゃ」
「自己主張ですか」
「奴らは、『平気で交通ルールを破るのが、格好良い』と思っておる」
「これ見よがしにするのは、民衆へのアピールですね」
「そうじゃ。『俺は、お前たちのような小心者ではない。警察なんか怖くない』という虚勢じゃな」
「そうすることで、優越感が持てるのですね」
「ああ」
「彼らも、廃墟になった無人の村では、暴走行為などしませんよね」
「そんな所でしても張り合いがないからな。奴らは、暴走行為を民衆に見て欲しいのじゃ。警察に追いかけて欲しいのじゃ」
「見方を変えれば、警察がその手伝いをしていることになりますね」
「結果的には奴らの思惑通りになっているが、警察も被害者を出さないためには、放って置くことができない」
「無視すれば、もっと過激な行動に出るでしょうしね」
「人は、自分に取り柄がないと、反社会的な行為によって優越感を持とうとする。もし、学力や運動で優れていたら、そんな馬鹿な真似はしないだろう」
「将来のことを考えて、自分にとって不利益になることは避けるでしょうね」
「結局、劣等感からの衝動ですよね」
「それは、暴走族だけではない。急ぐ用もないのに、必要以上のスピードを出して喜ぶ輩もそうだ」
「街中でよく見かけますが、かなり危ないですよね」
「普通に走っている車を追い抜いて、何が嬉しいのでしょうか。自慢にもならないのに」
「本当にスピードのスリルが好きなら、レーサーにでもなってサーキット場でそれを味わえば良い」
「なのに、そうしませんよね」
「レーサーになるには、生半可でない覚悟と厳しい鍛錬が必要となる。奴らは、そうするのが嫌なのである」
「自己満足のために、安易な方法を取るのですね」
「最近問題になっているネット上での中傷・誹謗もそうじゃ」
「誰が書いたか特定できないから、言いたい放題です」
「言いっ放しで、相手のことなどまったく考えていません。やり方が卑怯です」
「奴らも、他人を貶して優越感に浸っている訳じゃ」
「上から目線は、劣等感の裏返しですよね」
「奴らのみならず、自分の言葉に責任を持たない奴は、悪人と言っても過言でないわ」
「責任を持たないどころか、他人に擦り付ける人たちもいますね」
「私の知り合いの中にも、そんな人がいます」
「自分可愛さに、他人のせいにする輩は、どこにでもいるもんじゃ」
「そうですね」
「尊師、劣等感という点では、暴力団もそうですか?」
「やくざか・・」

「任侠道を謳いながら、脅しや力ずくで物事を成すというのは、どうも・・」
「『仁義を重んじる』とか口では立派なことを言っていますが、所詮、社会の嫌われ者です。彼らは、やくざに成るべくしてこの世に生まれてきた根っからの悪党ですよ」
「惠淳よ、やくざも人の子じゃ。生まれた時からやくざである者などいるものではない」
「それはそうですけど・・」
「儂は、二人のやくざ者をよく知っている」
「はあ」
「一人は、中学時代の同級生だ。この前、何十年ぶりかに出会ったが、組の幹部になっていた」
「幹部ですか・・」
「奴は、普通の家庭に育ち、学校の成績もごく普通だった。口数の少ない大人しい中学生であったが、『悪いことは悪い』と言えるほど芯はしっかりしていた」
「そんな人が、なんで暴力団に・・」
「奴が変わったのは、高校に入ってからだ。元々、人に指図されるのが嫌いな性格だったが、それが原因で喧嘩をするようになってきた」
「見た目が大人しいと、傍からあれこれ指図されますからね」
「しかし、喧嘩になると、負けん気の強さと体格の良さもあって負けなかった」
「強かったのですね」
「ある日、2学年上の不良グループの番長に突然喧嘩を売られた」
「勝ったのですか?」
「いや、コテンパンにやられたそうだ。おまけに、持っていた金を全部とられてしまったらしい。それは、友達から単車を買うために小遣いをコツコツ貯めてた金だった」
「可哀そうに。不良に目を付けられていたのですね」
「その番長は、倒れている奴に向ってこう言った。『このことを誰にも言うな。言えばお前だけでなく、お前の家族も不幸な目に遭うぞ』とな」
「脅したのですね」
「結局、警察には届けなかったのですか」
「ああ」
「番長は、その日、彼が大金を持っていることをなぜ知っていたんでしょう」
「おそらく、番長に喝上げされた級友の誰かが、奴を売ったんだろうな」
「つまり、喧嘩は意図的な企みだったのですね」
「単車は、必ず買うという約束で、2日前に友達から手に入れていた。後は、貯金をおろして渡す手はずだった。しかし、それが出来なくなってしまった」
「単車を返さなければなりませんね」
「そこで、奴は考えた。なんとか金を工面しなければと」
「それで、良からぬ事をしだした訳ですか?」
「そうじゃ。それ以来、誰彼なく手当たり次第に喧嘩をふっかけ、負けた相手から金を巻き上げた」
「悪いパターンですね」
「調子に乗った奴は、こう思った。『この世は、力のあるものだけが思う通りになるのだ』と」
「はあ・・」
「奴が不良グループの仲間入りをするのは、自然の成り行きだった。半年後、気が付けば番長に次ぐ猛者になっていた。それまでに、両親が何度か説得したようだが、聞き入れることはなかった」
「彼は、高校を卒業したのですか?」
「いいや。卒業どころか、少年院に送られたわ」
「傷害と恐喝ですね」
「少年院から出てきても、何をすることもなく数日間ブラブラしていた。その時に、奴のことを知っていた地元のやくざが、組に入ることを薦めた訳じゃ」
「なるほど」
「もう一人の方は?」
「そいつは、今はやくざをやめておる」
「改心されたのですね」
「片親だけの非常に貧しい家庭に育ったが、それを僻むこともなく常に明るく振る舞っていた」
「健気ですね」
「中学を卒業した後、高校には行かず、料亭の見習いとして働いた」
「家庭の事情を彼なりに考えたのですね」
「ところが、入ってから数ヶ月たった頃、事件が起こった」
「何が起こったんですか?」
「先輩格の板前が、自分のしくじりをそいつに押し付けたのじゃ」
「自己保身のためですね」
「その板前は、日頃から何かにつけて奴を馬鹿にしていた。『こんな事も知らんのか』と、奴が無学であることを度々罵倒した」
「嫌な先輩ですね」
「時には、『親の顔が見たいわ』と奴の母親を貶すこともあった。奴は、そんな仕打ちを我慢強く耐え続けた」
「自分が徒弟であることを弁えたのですね」
「たとえ、上の者が『黒を白』と言っても、それに従う世界であることは奴も承知していた。しかし、度が過ぎた」
「どうなったのですか」
「最初は、奴も冷静に話をしようとした。ところが、逆に『生意気だ』と罵られ、殴られてしまった」
「なんと横暴な」
「もう我慢の限界だった。その時運悪く、奴の目の前に包丁があった」
「殺したのですか?」
「いいや、殺しはしなかったが、瀕死の重傷を負わした」
「そうすると、やはり鑑別所行きですか」
「ああ」
「模範的な態度だったので早く出られたが、どこも雇ってくれはしなかった。働く気はあったのじゃがな」
「世間は、一度間違いをすると冷たいものですよね」
「確かにな。その後は、さっきの奴と同じじゃよ」
「そうですか・・」
「だから、奴等の場合は、『劣等感』というより『怒り』が原因になる。やくざになる理由も、人それぞれに違うということじゃな」
「その方は、なぜやめられたのですか」
「結局、任侠の世界でありながら、人を泣かして生きることに嫌気がさしたということだ」
「やくざも縦社会ですものね」
「そうじゃな・・」
「ところで、その方は今、何をされているのですか?」
「奴か・・」
と言いながら、慧隆禅師は目を閉じた。そして、袈裟の胸の部分を右手で掴み、グイとはだけて見せた。
「あっ」
2人は、目を皿のようにして驚いた。はだけた所から、彫り物らしき絵柄が見えたのである。
「実はな。奴は儂じゃよ」
「尊師・・」
「まあ、びっくりするのも無理はない。これも、若気の至りという事じゃな」
「・・・」
「どうした。儂が怖くなったか?」
「い、いいえ、そんなことはありません。正直なところ驚きましたが・・」
「この彫り物は、今となっては自分の愚かさの証になっている。肌から消すことはできぬが、背に負った代紋は、跡形もなく消し去るように努力しているつもりじゃ」
「はい。それは、尊師の普段のお人柄から感じられます」
「私もです。これまでに、尊師が威圧的な言動になるのを一度も見たことがありません」
「寺に入るのを許された時、『ならず者のような真似は、金輪際すまい』と自分に誓ったからな」
「おそらく尊師が出家されるにあたって、尋常でない波風があったと思います。それでも、それらを跳ね除けて、想いを貫ぬかれたのですね」
「いや、それは儂ひとりの力だけではない。なき先代の尽力がなければ、今の儂はなかっただろう」
「先代のご住職も立派な方だったのですね」
「常に親身に接してくれて、『苦境を乗り越える唯一の道は、御仏に仕えることだ』と諭して頂いた」
「そうでしたか」
「周りを見回すと、信じられる者が誰一人といない。裏切り行為は日常茶飯事であり、『こんな殺伐とした世界では到底生きては行けぬ。これからどうすればよいのか』と思案に暮れていたのだが、仏の加護によって自分を取り戻すことができたのじゃ」
「尊師、私たちも同じです。自分の力だけではどうにもならないと思ってこの寺に来ました」
「そうか。儂も最初は、自分の為だけであった。しかし、修行をして行くうちに、『己を高めて、悩める衆生を救いたい』という願いが強くなってきた」
「それは、まさに尊師が問われている『慈悲の心』ですね」
「仏によって救われた我が身じゃ。今は、そのご恩を返す時である。それには、仏のご意志に応えなければならん」
「尊師、仏のご意志とは、どのような事なのですか」
「それは、人が人として誠実に生きていけるような世の中に変えていくことに他ならん。それが我々僧侶の唯一の使命であり、我が身を投げ打ってでも成し遂げたいと願う」
「尊師、やっぱり貴方は、本当の意味で尊師と呼ぶに相応しい人です。益々素晴らしい方と思えてなりません」
「私も同じ思いです。過去がどうであっても、私たちにとって最も信頼できる師であることに変わりはありません。厳しい苦難に遭いながらも、このように立派なご住職になられたのですから」
「そうか。そのように思ってくれれば、儂も出家した甲斐があったというものだ」
そう言って禅師は、はだけた袈裟をきちんと整えた。その顔は、先ほどより幾分穏やかになっていた。
「尊師、他愛もないことですが、私の叔父が会うたびに、『自分の若い頃はこうだった。こんなことをして人に褒められた。少しはお前も私を見習え』と言ってきます。これも、煩悩なのでしょうか?」
「そうじゃな。それはお前への励ましなどではなく、単なる自慢話じゃ。少しならまだ可愛げがあるが、あまりに諄いと嫌味になる。聞いている者は、堪ったものではない」
「段々腹が立ってきますよね」
「実際のところ、このような自慢が災いの元になることも多い。本人は、素直に喜んでいるつもりであろうが、傍にとっては癇に障ることになるのでな。結果、さっきのような妬みや嫉妬を引き起こすことになる」
「自分が不合格になったオーディションで、合格した人が人目を憚らず燥ぐ姿には、憎しみさえも感じるでしょうね」
「人は、何かにつけて自慢をしたがるものじゃ。他人より自分が優れていればな」
「身体能力、容姿、学歴、地位、財などですね」
「それらを褒められれば、どんなに泰然自若に振る舞おうと、顔に出さぬだけで腹の中では優越感に浸っておるわ」
「理知的な人であれば、その場の空気を読んで自重しますが、感情的な人であれば、もろストレートに出しますよね」
「儂が小学生の頃である。同級生が『日曜日に家族で遊園地に出かけて楽しかった』と周りに言いふらしおった」
「余程、嬉しかったのでしょうね」
「それを耳にした儂は、奴にこう言ったのじゃ。『それがどうした』とな」
「癪に障ったのですね」
「儂の家は非常に貧しかったので、遊園地に行くことなどなかった。羨ましいだけでなく、それを自慢する同級生に対して腹を立てた訳じゃ」
「幼心に傷ついたということですか」
「昨今、問題になっている教育現場の『いじめ』も、このような自慢から起こることがある」
「何気ない一言が、いじめを受ける原因になってしまうのですね」
「いじめる側に問題があるのは言うまでもない。しかし、感受性が強い時期であるから、ちょっとしたことでも気に障るのじゃな」
「無神経な言動と思われて、周りから疎まれるのですね」
「そうじゃな。分別盛りであるはずのお前の叔父さんも、そういう意味では『まだまだ未熟』と言わざるを得ないな」
「まるで子どものようですね」
「しかし、お前も年を取れば、その叔父さんのようになるのかも知れんぞ」
「はは・・」
慧隆は、さらに話を続けた。
「最後にもう一つ、どうにもならない『煩悩』がある」
「まだあるのですか」
「ああ」
「何でしょうか?」
「贔屓じゃ・・」
「・・贔屓ですか」
「お前たちも、オリンピックを見て応援したことはあるだろう」
「はい。あります」

「競技中、どこの国が勝っても良いと思ったか。それとも、日本を応援したか」
「それはやはり、母国を応援しました」
「そうだろう。それが正直な気持ちである」
「格闘技などの競技では公平な判定を望みますが、どうしても自国の選手を贔屓目に見てしまいます」
「『審判は、どうしてあれを有効に取らないのか。明らかに優勢だったのに、なぜ敗者にしたのか』などと、応援する側に偏って判定してしまいますね」
「公正であるべき審判の方も、やはり人間なので多少の肩入れがあるのかもな」
「そういう意味では、過去にあった『世紀の誤審』や『疑惑の判定』というのも、贔屓が要因なのかも知れませんね」
「身内が関わるようなことを客観的に捉えるのは、大変難しい事と言える。感情が優先してしまうからな」
「子どもの運動会で、母親が必死で我が子を応援するのがそうですね」
「勝ち負けで、一喜一憂しますものね」
「懸命に応援するのはよいが、それも程々じゃ」
「度が過ぎた応援は、見苦しいですからね」
「儂が出家する前のことであるが、こういうのがあった」
「尊師がまだお若い頃のことですね」
「プロ野球好きの兄貴分に誘われて、球場で試合の観戦をしたのだが、観客の応援の仕方が少し気になったのじゃ」
「はあ・・」
「ファンは、自分が応援するチームの選手に対しては好意的である。反対に、他のチームの選手に対しては厳しい言葉を浴びせる」
「ぼろ糞に貶しますよね」
「時には、子どもに聞かせたくない汚い言葉も飛び交います」
「ある年、応援していたチームの選手がトレードによって他のチームに移った。彼に対するファンの意識は、それで一転した」
「手のひらを返したように、その選手を貶したのですね」
「つまり、選手の立場が変わって、ファンの意識も変わった訳じゃ」
「現金な人たちですよね」
「まったく」
「スポーツのようにあからさまではないにしろ、日常生活においてもそれはある。特に自分自身や家族、親類縁者、親しい友人に対しては、赤の他人とは異なる意識を持つ」
「確かに身内であれば、特別扱いしますものね」
「それは、宗教、政党、企業などにおいても同様である。自分と所属が同じであるか異なるかによって意識が大きく違ってくる。民族、国家となれば、尚更である」
「自分と何らかの繋がりがあると、どうしてもそうなるのですね」
「そのような繋がりを作るために、裏工作をする輩もおる」
「企業の政治家への賄賂がそうですね」
「名目は献金であっても、明らかに賄賂じゃ」
「それによって、便宜を図ってもらうのですからね」
「人は贔屓をするものだ。意識してもしなくても、自然にそのような気持ちになる」
「そうですね・・」
「場合によっては、過度な贔屓が破滅的な生き方を招くこともある」
「そんな人生を送った人もいるでしょうね」
「身内の恥を晒すことになるが、儂の妹がそのようになりかけた」
「尊師には、妹さんがおられたのですか」
「儂の妹は、儂と一緒で育ちも見た目も良くない女でなぁ。若い頃は内気で無口だったこともあって、女友達すらいなかった」
「おとなしい方だったのですね」
「そんな妹に言い寄ってくる男が出て来た。兄である儂がやくざ者であることを知っていたにも関わらずな」
「妹さんは、大変嬉しく思ったでしょうね」
「儂も自分のことのように喜んだ。ところがそいつは、とんでもない食わせ者だった。ろくに仕事をしない上に、『飲む打つ買う』の3拍子揃った最低の男だった」
「まるで極道のような男ですね」
と、義心が言った後でハッと気付くが、慧隆禅師は気にも留めずに話を続けた。
「心配になった儂が、妹に何度も男と別れるように言ったのだが、まったく聞こうとはしなかった」
「心の隙間を狙われたのでしょうか」
「妹は、その男に貢いだ。貯めていた金を全部その男に渡した」
「気を許してしまったということですね」
「さらに、男のために一日中働いた。非合法の風俗店で、ほとんど寝ずに働いた。ついには、その過労によって、ある日突然倒れてしまった」
「かなり無理をされたのですね」
「それでも男は、妹に無心を繰り返した。シャブ欲しさにな」
「最悪ですね」
「男にとっては、妹など自分に貢いでくれる金蔓でしかなかった。ところが、妹にとっては、自分のことを初めて構ってくれた男であり、大切な存在であった」
「そんな仕打ちを受けても、まだその男を信じていたのですか」
「体を弱らせた妹は、もう以前のように働くことができなくなった。しかし、男のために金を工面したい。その思いから、とうとう他人の物に手を出してしまうのじゃ」
「かけがえのない愛情も、時には人を盲目にさせるのですね」
「好きな男のためなら悪人にもなる。度を越えた贔屓は、善人を悪人にするという顕著な例じゃな」
「尊師、その後の妹さんは・・」
「儂と同じじゃ。刑期を終えてからは改心して、福祉関係の仕事に就いた。それを今も続けている」
「そうですか。良かった。男の方は・・」
「儂が鉄槌を下す前に自ら墓穴を掘り、廃人になって死んだわ」
「まさに天罰ですね」
「贔屓による弊害は多い。贔屓も少しばかりなら許せるが、それが高じてしまうと差別にもなる」
「人権に関わることに発展するのですね」
「近年、『誰もが平等であり、公平に接しなければならない』と言われているが、裏を返せば、実際に差別があったからである」
「それは、人種差別や民族差別のことでしょうか」
「そうじゃ。事実、多くの白人が、有色人種に対して上から目線になっていた」
「人権が守られないどころか、奴隷として扱われた人たちもいましたね」
「『自分の民族は、他の民族より優秀である。自分の国は、他の国より格が上である』そのような意識を持つと、決まって差別に繋がる」
「昔は、それが酷かったのですね」
「今でこそ法律によって人権が守られているが、当時は差別によって酷い扱いを受けた人がたくさんいたのじゃ」
「日本においても、そんな差別がありましたね」
「在日や同和問題がそうじゃな」
「この他にも、様々な差別があると思います」
「少し前に、女性に対する差別がありましたね」
「選挙権がないとか労働条件が悪いとかじゃな。男尊女卑の時代ではそれが当たり前だった」
「他に、障害者に対する差別もあります」
「『障害者は、障害があるから健常者とは違う』という意識じゃな」
「思いやりの心ではなく、見下げた気持ちですよね」
「そんな奴は、自分が事故か病気か何かでそうならないと、気がつかんのだろうな」
「後天的な障害もそうですが、先天的に障害がある人は、本当に気の毒に思います」
「同じような思いを持っていても、異なる行動を余儀なくされるのですから」
「その通りじゃ。この社会を自力で生きて行くには非常に困難な人もいるのであり、そのように考えると、『人は平等ではなく、不平等である』と言わざるを得ない」
「そうですね・・」
「そもそも、人はそれぞれに先天的なものや生まれた環境が異なっている。障害がない人とある人、裕福な家庭と極貧の家庭など、決して同じように生まれたのではない」
「確かにそうですね」
「言うまでもないが、人は五体満足であることを望んでも、障害があるのを望みはしない。極貧の家庭に生まれた人も、願わくは裕福な家庭に生まれたかったと思うに違いない」
「誰もがそう思いますよね」
「それでも、現実は容赦をしない。そのような立場にある人は、その事実を受け入れるしかないのである」
「厳しいですよね」
「勿論、障害があっても、それを克服しようと努力している人もいる」
「スポーツや芸術面で活躍した人もたくさんいますよね」
「しかしながら、生まれながらに全盲である人は、どのように努力しようと車両の運転はできないのである」
「自分や他人の命を危険に晒すことになりますからね」
「つまり、憲法や法律において『人は平等である』と謳われていても、『人は皆、平等に扱われる権利がある』ということであって、『人は、すべてにおいて同じである』ということではないのである」
「なるほど・・」
「尊師が『不平等』と言われるのは、そういう意味だったのですね」
「もし神や仏がいるならば、『なぜこのような不平等さを人類に背負わすのか』と問いたくなるわ」
「宗教家の中には、『前世の行いが悪かったからだ』と言う人がいますが・・」
「それは、人を納得させるための方便である。たとえ生まれ変わりがあるとしても、来世で業を背負わしてはならん。天罰は、罪を犯したその者に与えればよいのである」
「そうですよね。まるで連座のようではいけないですよね」
「とにかく、この世は不平等なことばかりである。身体能力だけでなく、階級、貧富の格差も出てきて、それによる差別もある」
「不平等なことが差別へ、また、差別が不平等さを生み出すという悪循環ですね」
「今日では、表立った差別は少なくなったが、水面下ではまだまだ根強く残っている」
「差別が隠れているだけなのですね」
「その通り。このような差別意識は、一旦なくなってもまた現れる。人に煩悩がある限り、差別の対象が変わるだけで、それは必ず起こる」
「尊師、そう考えると、人は煩悩によって悪行を繰り返すことになります」
「人が生きている以上、煩悩を生じさせる要因はなくならない。煩悩という悪の種が尽きないから、必ず繰り返す」
「すると、人の争いもずっと続くのですか?」
「そうじゃ。この先どのような社会体制になっても争い続ける」
「それは、未来永劫にですか?」
「残念ながら、そう言わざるを得ないな」
「なんとも虚しい限りですね・・」
「我々は、人類が誕生したばかりの時代にはもう戻れない。複雑に多様化したこの世界で生き続けるしかない」
「確かにそうですね・・」
「数多の誘惑が飛び交っている世界で、煩悩を断ち切るのは容易なことではない」
「断ち切るどころか、煩悩にまみれた人たちも結構います」
「政治家などは、その最たるものじゃ」
「はは・・。まさにそうです。野心家ばかりですものね」
「反対に、自分の身を投げうってまで人や国のために尽くした政治家は、ごく僅かじゃな」
「政治家ではありませんが、ナイチンゲールやマザーテレサなどは、本当に稀な存在と言えますね」
「博愛や慈悲に満ちた人たちではあるが、彼女等とて、生理的な欲求には負けてしまうであろう」
「断ち切ると、生死に関わりますからね」
「それでも、自分の事は後回しにして、人のために尽くそうとしたのじゃ」
「まるで菩薩のような人たちですね」
「偉人の中の偉人と言えますね」

「そのような人はさておき、気になるのは、他人を犠牲にしてまで自分の欲望を満たそうとする輩の存在じゃ」
「欲深く、自己中心的な人ですね」
「悪行をするために生まれてきたのではないかと思ってしまいます」
「世の中には、そんな輩がなんと多いことか」
「それが、『人の本性』なのでしょうか?」
「いいや、違う。そうではない」
「では、何なのでしょう?」
「お前たちは、昔の中国の思想である『性善説』と『性悪説』を知っているか」
「はい。はっきりとは覚えていませんが、何かの授業で習った記憶があります」

「前者は、『人は生まれた時点では善で、大人になるにつれて悪になる』という考え方であり、後者はその逆である。お前たちは、どちらが正しいと思う」
「そうですね。私はどちらかというと、『性悪説』の方だと思います」
「惠淳は?」
「私は逆で、『性善説』を取りたいです」
「尊師、どちらが正しいのですか?」
「そのどちらも正しくない」
「えっ・・・」
「お前たちに再び問う。『悪』とは何なのか。『善』とは一体何であるのか」
「・・・」
「それが分かっていないと、『人の本性』を理解することはできぬ」
「はあ・・」
「軒下の蜘蛛は、糸を張り巡らせて獲物がかかるのをじっと待つ。その蜘蛛には、善悪の意識などまったくない。ところが、蝶にとっては、蜘蛛は悪になる」
「網にかかれば、蜘蛛の餌食になるのですからね」
「人も同じだ。誰もが他の生命を犠牲にしている。もし、それを悪行とするならば、全人類が悪人となる」
「そうなりますね」
「でも、生きるためには、そうするしかないのでは・・」
「そうじゃ。それが命を持つ物の摂理である」
「はい・・」
「しかし、他の命を犠牲にするのは仕方がないとしても、同類を犠牲するのは断じてならぬ」
「それが、悪なのですね」
「そうじゃ」
「そもそも、生まれたての赤ん坊というのは、子猫と同じで善悪の意識など全くない」
「確かに」
「ただ単に、糧を取って排泄するだけであり、生きることに懸命な生き物と言える」
「そうですね」
「成長すると、自我の意識が芽生える。そして、様々な事象を経験して、それまでなかった煩悩が生じてくる」
「周りの状況が、煩悩を生み出すのですね」
「人は生まれて死ぬまでに、その『煩悩』によって悪に走ることもあれば、逆に『同類の意識』によって人助けをすることもある」
「悪と善が同居しているのですね」
「つまり、『人の本性』というのは、『状況によって悪にも善にもなりうるもの』と言うべきなのである」
「なるほど・・」
「人が悪になるのは、簡単である。逆に善になるのは、簡単ではない」
「この世を見れば、そう言わざる得ないですね」
「誰もが自分の思う通りに生きたいと望むからな」
「できれば苦より楽を選びたいですよね」
「人は目的を持たない限り、自分に厳しい試練を課す事はしないのでしょうか」
「いや、目的を持っても、安易な方法や非合法な方法で達成しようとする輩もたくさんおる。そんな奴らにとって、道徳観や倫理観などは無力になる」
「只の綺麗事に過ぎないとでも思っているのですね」
「そうじゃろな」
「無力にならないように、教育の現場でもっと道徳を教えるべきではないですか」
「現在において、煩悩を抑制しているのは道徳ではない。いくら道徳観を浸透させても、煩悩は出てくる」
「では、何が抑制しているのですか?」
「それは、法律や刑罰じゃ。不本意ではあるが、それに頼っているのは事実である」
「悪が蔓延らないのは、刑罰があるからですか」
「そうじゃ。もし、刑罰がなければ、やりたい放題の世の中になっているはずじゃ」
「力のある者だけが生き残れる弱肉強食の世界ですね」
「今は、そのような社会を認めない国がほとんどであるが、合法的に悪行をするズル賢い奴もいて、真によい社会とは言えない」
「見た目は善人でも、正体は悪党という輩が蔓延っていますものね」
「そんな輩は、あの手この手で煩悩を満たしていく。また、煩悩を満たしたとしても、新た煩悩を持ち出す」
「煩悩には、限りがないのですね」
「果ては、並みのことでは満足しなくなる」
「麻薬患者が、より強い薬を求めるのと同じですね」
「それは、まさに無間地獄である。ある意味、苦痛じゃな。生きること自体が苦痛であるが、煩悩はさらにそれを大きくする」
「まるで破滅へ導く魔物のようですね」
「このように百害あって一利無しの煩悩じゃが、人であるならば誰もが持つことになる。非常に厄介なものなのじゃ」
「結局、人は、『煩悩』と常に向き合わなければならないのですね」
「そうじゃ。『煩悩滅却』という言葉は、そのためにある。裏を返せば、『人は必ず煩悩を持つのであり、それに心を惑わされてはならない』ということである。それは、どのような時代になろうと変わるものではない」
「・・・」
「仮に今、すべての人に煩悩がなくなり、この世が極楽浄土のようになっても、その状態は続かない。なぜなら、人はいつか死ぬのであり、後から生まれてくる子どもたちが、煩悩を持たないとは限らないからじゃ」
「すべての人が、仏のような境地になるのは不可能なのですね」
「そうじゃな。たとえ、悪人が一人だけになったとしても、その者がその者以外の人たちに禍をもたらすのは明らかである」
「・・・」
2人は、『人の本性』とは何であるのかを知ることはできたが、何か割り切れない心境になっていた。さらに、追い打ちを掛けるように禅師の言葉が続く。
「悪が生まれる要因は、もう一つある」
「何でしょう?」
「人の持って生まれた性質というのは、それぞれ異なるということじゃ」
「人は皆同じではないということですね」
「感情的になりやすい者がいれば、そうでない者もいる。当然、感情的な人間ほどよく争いを起こす」
「大人になっても理性より感情が勝ってしまう人は、反社会に走ったり犯罪に手を染めたりすると非常に危険ですよね」
「そのような輩の中には、矛先を妬む相手ではなく関係のない人たちに向ける馬鹿者もいる。だから、自分に関わりがなくとも用心が必要となる」
「すべての人が安心して暮らせる社会など、あり得ないということですか」
「ああ。まかり間違えば、平和な楽園が修羅の地獄になるのだからな」
「恐ろしい限りです」
「尊師、もし、人が耐え難い苦しみを持つことになれば、それを乗り越えるためにどうすれば良いのでしょうか」
「苦痛や苦悩は、誰もが持つものである。たとえ富める者であっても美しい者であっても、その人なりに持つものじゃ」
「苦痛や苦悩がまったく無いという人などいないのですね」
「また、それを自ら克服できる者がいれば、できない者もいる」
「意思の強い人ばかりではないですものね」
「つまり、誰もが『凡夫』や『迷える子羊』であって、常に『救い』を求めているのじゃ」
「私たちも同じです」
「宗教は、そのために存在するのであり、キリスト教もイスラム教も目的は皆同じじゃよ。儂が仏に帰依するのも、『その教えによって衆生を救いたい』という思いによる」
「分かります」
「並みの苦痛や苦悩なら、時が解決してくれるはずじゃ」
「いつしか、和らいだり消滅したりすることを信じるだけですね」
「しかし、どうしても解決できない問題が生じた場合、人はどうするのか」
「・・・」
「たとえば、自分が不治の病になった時である。また、自分の大切な家族が危篤になり、医者にも見放された時である。その時、人は、何に頼ろうとするのか」
「・・・」
「神や仏でしょうか・・」
「正解。行き着くところ、最後は神仏にすがるしかないのじゃ」
「誰もが絶体絶命の窮地になれば、確かに祈りますよね」
「たとえ無神論者であっても、無意識に手を合わせる。それが何か漠然としたものであっても、そうすることが心の支えになるのじゃ」
「普段から信心している者なら、尚更ですね」
「自分の信じる神や仏に向かって、懸命に祈るであろうな」
「私たちも、そのような時には、御仏の加護を祈ると思います」
「しかし、只祈るだけでは仏には届かん。雑念のない純粋な気持ちでなくてはならん」
「私益を考えてはいけないのですね」
「そうだ」
「神社や寺の中であれば、その祈りが届きやすいのでしょうね」
「いいや、それはない」
「御神体や御本尊が目の前にあってもですか?」
「ああ。神社や寺に、神や仏の実体と呼べるものは存在していない。神像や仏像は、所詮、人が作った物に過ぎず、偶像である」

「神や仏が宿っているのではないのですか」
「そうであって欲しいが、それをどうやって証明するのじゃ」
「うーん・・」
「できないであろう。もし、本当に宿っているのなら、火災などで焼けるはずがない。盗まれて、どこかで売買されることもない。だから、真の本尊であるかどうかは、大変疑わしいと言えるのじゃ」
「それはそうですけど・・」
「毎日欠かさず仏前で手を合わせている尊師が、そのようにおっしゃるのは意外です」
「お前たちは、『仏像が、すべてを超越した絶対的な存在である』とでも思っているのか」
「・・・」
「そんな仏像など、どこを探しても見つからんだろう。もし、『これがそうである。ご利益があるので、崇めて金品を奉納せよ』と断言する坊主がいたら、そいつは紛れもなく売僧である。営利目的だけのエセ宗教家じゃ」
「はあ」
「では、『そのような疑わしい仏像が、なぜ寺に置かれているのか』と疑問に思うじゃろ」
「はい」
「なぜですか」
「それは、見えない物よりも見えている物の方が、信仰の対象にしやすいからじゃ」
「はあ・・」
「儂が仏像に手を合わせる理由は、2つある。その1つは、それを作り上げた人への敬意である」
「敬意ですか・・」
「ほとんどの仏像は、作者の願いが籠っている。その願いとは、亡くなった人の菩提だけでなく、『民衆の救済』である場合が多い」
「そうですね。薬師如来や阿弥陀如来などは、民衆を救済するという願いから作られたのでしたね」
「つまり、仏像はその願いの象徴であって、儂とて、それを無下に踏みにじるような行為はしたくない」
「それは、分かります」
「そして、もう1つの理由は、所謂、懺悔じゃ」
「はあ・・」
「仏像を前にすると、鏡に映し出されるかのように、自分の姿が頭の中に浮かんでくる。もし、悔い改めることがあれば、それを仏が叱ってくれるように思えてならんのじゃ」
「なるほど、仏前ではそれが自然にできるということですか」
「気持ちが落ち込んでいても、懺悔によって少しは安らぎが持てる。その安らぎによって、一縷の望みが見えてくる時もある」
「一筋の光ですね」
「仏の教えは、その光を鮮明に浮かび上がらす。『人はどうあるべきか』を常に提示してくれる」
「争いのない世界に導くのは、その教えなのですね」
「そうじゃ。それが御仏の真の志ということじゃ」
慧隆禅師の真摯な想いが伝わり、いつしか2人の眼は、吹っ切れたように清々しくなっていた。
「お前たちが言うように、この世では、戦争、テロのような殺戮が幾度となく繰り返されている。その終わりは、未だに見えない」
「悲惨な報道を聞くたびに、『いつになれば争いのない平和な社会になるのか』と、腹立たしくなります」
「この他にも、偽装殺人、誘拐殺人のような悪行もあり、このままでは、人が信じられない世の中になってしまうと懸念します」
「金欲しさに、尊い人の命を躊躇なく奪っているのだからな」
「さらに、放火、窃盗、恐喝、詐欺、盗撮、強姦、暴走、麻薬などの事件が日常茶飯事に起こっていて、どうにもこうにもきりがありません」
「そんな悪行が日常的にあると、『正直に生きるのが馬鹿らしい』と思う人が増えてくるのではないでしょうか」
「確かに悪が蔓延る社会では、普通に生きるのが難しくなるじゃろな」
「だから、益々反社会的な輩が出てくるのでしょうね」
「やくざのような輩がな」
禅師が苦笑いをしながら言った。
「いえいえ、そんな人たちもある意味、社会の犠牲者だと思います。何らかの理由で、真っ当な生き方を諦めるしかなかったのですから」
「つまり、その理由を作った張本人が、一番の元凶になるということじゃな」
「世の中には、何が何でも自分の思う通りにしないと気が済まない人がいます」
「表向きは良識人であっても、裏では卑劣な行為をしている輩もいます」
「反社会に向かう大本の要因というのは、このような輩の存在が大きいだろうな」
「どうにかならないのでしょうか」
「お前たちは、この地球上にいる人間が、どれくらいの数になるのか知っているか」
「えーと」
「おそらく、70億以上ではないでしょうか」
「そのような数多の人が、この世に生きているのじゃ。その中に我儘で不誠実な輩がいるとしても、何ら不思議なことではない」
「・・・」
「この世では、様々な人間が、様々な状況の中で、様々な思いを持って生きている。老いも若きも男も女もな」
「はい・・」
「そして、その誰もが『自分の存在を認めてもらいたい』と願っている」
「確かにそうですね・・」
「また、何かにつけて他人より抜きん出ようとしたがる」
「富や栄達ですね」
「他人より優れていれば調子に乗るし、劣っていれば落ち込む」
「人の性というものでしょうね・・」
「それに伴う嫉妬、劣等感、孤独感は、人を奈落に落とす」
「際限のない疎外感に襲われて、禁断の領域に入ってしまうこともあるでしょうね」
「煩悩と煩悩との衝突は数知れず。悪が出てくる条件は嫌でも揃うのであり、神や仏でもない限り、それを止めることはできないのじゃ」
「・・・」
「実際、人に禍をもたらすのは、悪意からの悪行だけではない。善意から生じた悪行や偶発的な悪行もある」
「自然災害が原因で起きた悪行もありますものね・・・」
「つまり、それらすべての悪行をなくすというのは到底無理な話であり、どうにもならないことじゃ」
「・・そうですね」
「しかし、である」
慧隆の声が一際強くなった。その声に、義心、惠淳は、まっすぐに目を向けた。そして、禅師の次の言葉を待った。
「なくすのは不可能であっても、大事に至らぬようにするのは不可能ではない!」
「おお!」「おお!」
感嘆した2人の声が、ほとんど同時に重なった。
「そのためには、仏の教えを守り、日々実践するしかないのじゃ」
「はい!」「はい!」
「遠い昔、ろくに文字の読み書きができぬ人たちにとって、僧侶は何でも教えてくれる良き指導者であった」
「学校の先生のような存在だったのですね」
「博学で親身であり、民衆はもちろんのこと、村や国のために貢献した僧もたくさんいたのじゃ」
「行基上人や良寛和尚のような方々ですね」
「今日では、そのような役割はなくなった。しかしながら、唯一、昔から変わらぬ役割が残っておる」
「はい」
「それは、一体何か。それは、悩める衆生を救済することに他ならぬ」
「それが、僧侶としての普遍的な役割なのですね」
「そうじゃ。そのためには、先ず我々自身が手本となって民衆に示すことじゃ」
「はい!」
「たとえ、それが徒労に終わろうともな。そう思わぬか、義心、惠淳よ」
「まったくおっしゃる通りだと思います。真っ直ぐな尊師のお気持ちが切々と伝わり、私の心に強く響きました」
「私もです」
「おお、そうか!」
「今は若輩ですが、これから修行を積んで、僧侶として少しでも社会に役立てるよう努めていきたいです」
「うん、うん」
「尊師の教えに従い、争いのない平和な世界を築くことに微力ながらも貢献できればと思います」
「そうじゃな。それが仏の道というものじゃな」