邦楽

   日本国内に限られていて、外国ではほとんど知られていない曲になる。そういう意味では、名曲とは言い難いのであるが、自分にとっては忘れられない曲ばかりである。

   その頃に流行って口ずさんでいた曲は、今でもはっきり覚えている。たまにテレビなどで流れると、とても懐かしく思う。

   ジャンルは、演歌もあれば、ニューミュージック(既に死語であるが)もある。また、フォーク、ロック、パンク、ホップス、ジャズ、シャンソンに属する曲もある。

   まさに多種多様であるが、いちいち分類するのは面倒だし、どのジャンルになるのか断定できない曲もあるので、日本でヒットした歌曲として紹介したい。 

 

テレビの主題歌

   幼児期は、童謡よりもテレビ映画の主題歌を必死で覚えていた。特に悪と闘う英雄に憧れて、友だちといっしょによく歌ったものである。

 

「月光仮面」「風小僧」「赤胴鈴之助」「変幻三日月丸」「ピカ助捕物帳」「鉄腕アトム」「少年ジェット」「まぼろし探偵」「七色仮面」「豹の目」「矢車剣之助」「鉄人28号」「笛吹童子」「怪傑ハリマオ」「ナショナル・キッド」「8823海底人」「白馬童子」「アラーの使者」「少年探偵団」「竜巻小天狗」「紅孔雀」

 

   これらは、週刊誌に連載されていた漫画の実写版がほとんどである。同タイトルのアニメ版の登場は数年後になる。アニメ版の主題歌で覚えたのは、「鉄腕アトム」「鉄人28号」ぐらいだと思う。

 

「名犬ラッシー」「ララミー牧場」「ライフルマン」「怪傑ゾロ」「三ばか大将」「じゃじゃ馬億万長者」「ミスター・エド」「コンバット」

 

   外国のテレビ映画もよく見ていた。もちろん、これらの主題歌は洋楽であるが、日本語版だったので、半分邦楽になる。だから、覚えるのにそんなに苦労しなかった。

   かなり早くから放映されていたアニメの「ポパイ」の主題歌は、完全に英語であったので、冒頭の短いフレーズしか覚えていない。

 

みんなのうた

   小学校低学年の頃は、NHKの「みんなのうた」を毎日楽しみにして、その時間になるとテレビの前でよく歌ったものである。曲のイメージで作られたアニメーションも斬新で面白かった。

 

「手のひらを太陽に」             宮城まり子

   どちらかというと外国の曲に日本の歌詞をつけたものが多かったが、日本の有名な作曲家のオリジナルもあった。生きることへの賛歌であるこの曲の作詞は、幼児向け人気アニメの作者である。

 

昭和歌謡

   戦前、戦時中、戦後に流行った曲の数々である。今でこそ懐メロと呼ばれているが、当時は流行歌だったのである。

  歌謡好きの父親が、幼い私の前でそのような曲をよくハーモニカで演奏したり、歌ったりしていた。たまに、母親も家事をしながら歌っていたのを覚えている。

  ひょっとすると、私が音楽を趣味にしているのは、このようなことに所以するのかも知れない。

  馴染み深いメロディの曲がほとんどであるが、その中でも特に印象に残った曲を挙げてみた。

 

「赤城の子守歌」          東海林太郎

「旅笠道中」            東海林太郎

「二人は若い」           ディック・ミネ

「麦と兵隊」            東海林太郎

「大利根月夜」           田端義夫

「妻恋道中」                                 上原敏

「流転」                                       上原敏

「裏町人生」            上原敏&結城道子

「人生の並木道」            ディック・ミネ

「勘太郎月夜唄」            小畑 実&藤原 亮子

「蘇州夜曲」              李香蘭

「リンゴの唄」                              並木路子&霧島昇

「かえり船」              田端義夫

「星の流れに」           菊池章子

「湯の町エレジー」             近江俊郎

「君待てども」                               平野愛子

「憧れのハワイ航路」         岡晴夫

「買い物ブギ」            笠置シヅ子

「越後獅子の唄」           美空ひばり

「上海帰りのリル」          津村謙

「お富さん」             春日八郎

「月がとっても青いから」       菅原都々子

「弁天小僧」             三浦洸一

「この世の花」                               島倉千代子

「若いお巡りさん」                         曽根史郎

「愛ちゃんは嫁に」                         鈴木三重子

「どうせ拾った恋だもの」      コロンビア・ローズ

「東京のバスガール」        コロンビア・ローズ

「船方さんよ」           三波春夫

「夕焼けとんび」          三橋美智也

「おーい、中村君」         若原一郎

「王将」              村田秀雄

 

学園物

   小学校中学年になって、学園物の曲が流行った。その当時の担任が、それらの曲の歌詞を配ってくれて、意味も分からずみんなで歌ったことを覚えている。

   音楽の時間に教科書以外の曲を歌ったのは、その時が初めてであったに違いない。しかし、小学校中学年で舟木一夫の「学園広場」は、少し無理があったように思う。

 

「学園広場」            舟木一夫

「女学生」             安達明

「美しい十代」               三田明

 

若大将シリーズ

  毎年、正月になると友だちと怪獣映画を観に行った。同時上映は、若大将シリーズであった。いつの間にか怪獣より若大将のファンになっていて、劇中で歌う若大将の曲を覚えたいと強く思ったのである。

 

「夜空の星」               加山雄三

「君といつまでも」            加山雄三

「旅人よ」                  加山雄三

「蒼い星くず」                                  加山雄三

「夜空を仰いで」                               加山雄三

「ブラック・サンド・ビーチ」       加山雄三・ウィズ・ランチャーズ

 

グループ・サウンドブーム

   その後、すぐにグループ・サウンドブームが来る。

 

「いつまでもいつまでも」      ザ・サベージ

「この手のひらに愛を」       ザ・サベージ

「バラ色の雲」             ヴィレッジ・シンガーズ

「亜麻色の髪の乙女」          ヴィレッジ・シンガーズ

「想い出の渚」             ザ・ワイルドワンズ

「白い珊瑚礁」             ズーニーブー

「小さなスナック」           パープルシャドウズ

「長い髪の少女」            ザ・ゴールデン・カップス

「愛する君に」             ザ・ゴールデン・カップス

「スワンの涙」             オックス

「エメラルドの伝説」          ザ・テンプターズ

「純愛」                ザ・テンプターズ

「好きさ好きさ好きさ」       ザ・カーナビーツ

「恋をしようよジェニー」        ザ・カーナビーツ

「君だけに愛を」          ザ・タイガース

「花の首飾り」           ザ・タイガース

「君に会いたい」          ザ・ジャガーズ

「キサナドゥーの伝説」       ザ・ジャガーズ

「運命」              寺内タケシとバニーズ

「風が泣いている」           ザ・スパイダース

「夕陽が泣いている」        ザ・スパイダース

「花・太陽・雨」            PYG

 

フォーク

  中学生になると、グループ・サウンドは下火になり、フォークブームが起こる。フォークギターが欲しくてアルバイトを始めるが、安物でも結構値段が高く、結局は諦めることになる。

  その代わり、二つ上の友だちから、ボロボロのエレキギターを非常に安い値段で買う。

 

「若者たち」            ブロー・サイド・フォー

「星に祈りを」             ブロー・サイド・フォー

「バラが咲いた」                              マイク・真木

「白い色は恋人の色」         ベッツィ&クリス

「イムジン河」                フォーククルセイダーズ

「悲しくてやりきれない」                   フォーククルセイダーズ

「あの素晴らしい愛をもう一度」          フォーククルセイダーズ

「翼をください」            赤い鳥

「忘れていた朝」            赤い鳥

「遠い世界に」             五つの赤い風船

「サルビアの花」                               もとまろ

「家をつくるなら」             加藤和彦

「風と落ち葉と旅人と」         チューインガム

「僕の旅は小さな叫び」         吉田拓郎

「いちご白書をもう一度」        ビリー・バンバン

「さよならをするために」          ビリー・バンバン

「愛と風のように」           BUZZ

「気楽に行こう」            マイク真木

「どうにかなるさ」           かまやつひろし

「我が良き友よ」            かまやつひろし

「シンシア」              かまやつひろし&吉田拓郎

「プカプカ」              西岡恭蔵

「春夏秋冬」              泉谷しげる

 

Jポップ

   高校生になってから、友だちの影響で洋楽を聴き出した。歌謡曲も聴いていたが、ポップス調がほとんどであった。

 

「空に星があるように」        荒木一郎

「グッバイ・マイ・ラブ」       アン・ルイス  

「涙の河」              マギーミネンコ

「地下鉄にのって」          猫

「夢で逢えたら」                                吉田美奈子

「街の灯り」               堺正章

「時代」                 中島みゆき

 

Jロック

  高校の三年生になって軽音楽部を作り、バンドをやり始める。クラスの友だちは受験に本腰を入れているのに、自分はバンドのことしか頭になく、結局、卒業を向かえるまで続ける。当然、大学受験に失敗する。

   懲りずにバンドを続けていたので、再び受験に失敗する。周囲の眼もあり、かなり褪せる。真面目に受験を考えて、図書館で勉強したり、喫茶店で粘ったりすることになる。

   その時期に、ジャズ喫茶でモダンジャズを聴き出すが、ロックとは異なるテクニックや理論はかなり難しく、自分にとっては縁遠いジャンルであった。

   シンプルなアメリカン&ブリティッシュロックに傾倒して、ついでにJロックもレパートリーに入れる。

 

「たどりついたらいつも雨ふり」    ザ・モップス

「魔法の黄色い靴」                             チューリップ

「心の旅」                                         チューリップ

「愛を止めないで」                             オフコース

「さよなら」              オフコース

「ルイジアンナ」            キャロル

「ファンキー・モンキー・ベイビー」     キャロル

「風をあつめて」              はっぴいえんど

 

有線放送

   大学に入って、益々バンド漬けになる。邦楽にはまったく興味がなかったが、有線放送のアルバイトをしたので、たくさんの邦楽を聴いた。

 

「大阪へ出て来てから」        上田正樹とサウス・トゥ・サウス

「バット・ジャンキー・ブルース」   上田正樹とサウス・トゥ・サウス

「ディキシー・フィーバー」      久保田麻琴と夕焼け楽団

「星くず」                久保田麻琴と夕焼け楽団

「あの日にかえりたい」          荒井由実

「やさしさに包まれたなら」      荒井由実

「卒業写真」               荒井由実

「中央フリーウェイ」         荒井由実

「時間よ止まれ」             矢沢永吉

「白いページの中に」           柴田まゆみ

「真夜中のドア」             松原みき

「異邦人」              久保田早紀

「飛んでイスタンブール」         庄野真代

「どうぞこのまま」          丸山圭子

「東京」                 マイペース

「路地裏の少年」             浜田省吾

「風を感じて」              浜田省吾

「タイムマシーンにお願い」        サディスティック・ミカ・バンド

「勝手にシンドバッド」          サザンオールスターズ

「いとしのエリー」            サザンオールスターズ

「時間よ止まれ」             矢沢永吉

「酒と涙と男と女」              河島英五

「ブルー・ラグーン」         高中正義

 

カラオケ

   大学を卒業して社会人となり、バンドをやめる。仕事だけに専念しようとするが、音楽への未練も残る。バンドの代わりにカラオケを歌い、気を紛らわす。得意な洋楽を歌うと周りから白い目で見られそうなので、邦楽だけにした。

「メリージェーン」          つのだひろ

「出航」               寺尾聰

「ルビーの指輪」           寺尾聰

「シャドウ・シティ」                         寺尾聰

「クリスマス・イブ」         山下達郎

「ガラス越しに消えた夏」         鈴木雅之

「そして僕は途方に暮れる」        大沢誉志幸

「悲しい色やね」             上田正樹

「ランナウェイ」             シャネルズ

「め組の女」               ラッツ&スター

「ロンリーチャップリン」                   鈴木聖美&鈴木雅之

「翼の折れたエンジェル」       中村あゆみ

「ff」                 ハウンド・ドッグ

「マイレボリューション」                   渡辺美里

「輝きながら・・・」                         徳永英明 

「風のエオリア」             徳永英明 

「夢を信じて」            徳永英明 

「オリビアを聴きながら」       杏里

「マイピュアレディ」                         尾崎亜美

「春の予感」                                     尾崎亜美

「戻っておいで私の時間」                   竹内まりや

「ダウンタウン」                epo

「スローなブギにしてくれ」          南佳孝

「モンロー・ウォーク」              南佳孝

「朝日のあたる道」            オリジナル・ラヴ

「接吻」                     オリジナル・ラヴ

「君は天然色」                大瀧詠一

「イージューライダー」          奥田民生

「スティル・フォー・ユアー・ラヴ」    ルーマニア・モンテ・ビデオ

「出逢った頃のように」        エブリー・リトル・シング

「リンダリンダ」           ブルーハーツ

「1000のバイオリン」       ブルーハーツ

「戦場のメリー・クリスマス」             坂本龍一

「ザ・ラスト・エンペラー」        坂本龍一

「クロニック・ラヴ」         中谷美紀

「シャングリラ」           電気グルーヴ

「それが答えだ!」          ウルフルズ

「明日、春が来たら」           松たか子

「カブトムシ」            aiko

「ボーイフレンド」          aiko

「あなたのキスを数えましょう」    小柳ゆき

「会いたい」             沢田知可子

「ピース・オブ・マイ・ウィッシュ」    今井美樹

「夢をあきらめないで」        岡村孝子

「セロリ」                スマップ

「1/2」                                       川本真琴

「渚にまつわるエトセトラ」      パフィー

「ゆずれない願い」                           田村直美

「何も言えなくて・・・夏」                   J-WALK

「悲しみジョニー」          UA

「強く儚い者たち」           Cocco

「樹海の糸」            Cocco

「シークレット・オブ・マイ・ハート」倉木麻衣

「オートマチック」           宇多田ヒカル

「サマーヌード」          真心ブラザーズ

「ナット・スティル・オーバー」     矢井田瞳

「桜」                 河口恭吾

「ストーリー」             アイ

「エンドレス・ストーリー」       伊藤由奈

「アイ・ビリーブ」         絢香

「三日月」             絢香

「かざぐるま」           一青窈

「ハナミズキ」           一青窈

「全力少年」            スキマスイッチ

「ボクノート」           スキマスイッチ

「粉雪」              レミオロメン

「三月九日」            レミオロメン

「ザ・パーフェクト・ビジョン」         ミンミ

「シャナナ」            ミンミ

「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」       サンボ・マスター

「色彩のブルース」           エゴ・ラッピン

「くちばしにチェリー」         エゴ・ラッピン

「情熱大陸」              葉加瀬太郎

「地上の星」              中島みゆき

「神々の詩」              姫神

「チュー・チュー・トレイン」      EXILE

 

  以上が好んで聴いていた曲の数々である。当時、それらを聴いて感動したり、癒されたり、影響を受けたりしたものである。

  おそらく、これら以外の忘れ去った曲もあるように思う。それでも、自分の記憶と音楽メディア、ネットや資料を活用して、「これは外せない」という曲をなんとか書き留められた。

   特に思い入れの強い曲については注釈を入れたが、それらの曲を聴くと今でも胸が熱くなってくる。

 

音楽について

   人は、いつの時代においても音楽と共に生きてきた。喜んでは歌い、悲しんでは歌うということを繰り返してきたのである。

   遥か遠い昔においても、今ほどではないにしろ、生活の中には何某かの音楽があったはずである。人が集まる所では、共に語り、笑い、歌い合った。そしていつしか場を盛り上げるために、楽器を用いるようになってきた。

   楽器といっても、木や石、骨などを叩くだけの原始的なものである。それらは、主に儀式や礼拝といったアニミズムに使用された。演奏は極めて簡単で、その旋律は非常に単純なものであったに違いない。

   しかし、そのような演奏を繰り返すことによって、音楽がより民衆に浸透していったのであり、それは、とても意味のあることのように思う。

   古代においては、竪琴や角笛が用いられ、異なる音高が出せるようになる。それらは、手を加えられて鍵盤楽器や木管楽器へと進化していく。同時に、曲の形成に関する法則らしきものも出来上がってくる。

   歌唱においても、「教会旋法」なるものができる。その後、長い年月を経て、それを基にした楽典が完成する。

   今日に残る楽曲のほとんどが、この楽典に従って作り出されたのであり、もし楽典がなければ、今に残る名曲も存在しなかったと言える。

   久しく口伝で残ってきた曲でさえ、今日では楽譜になって誰もが演奏できるようになったのである。楽典に携わって並々ならぬ努力をされた人々に、改めて敬意を表する。

 

楽典

   楽典を少しばかり紐解いて、曲の構成を説明してみることにする。

  曲というのは、いくつかの旋律によって出来ているが、旋律は音名の組み合わせによって出来ている。

  音名は、C、C♯、D、E♭、E、F、F♯、G、G♯、A、B♭、Bの合計十二種類あり、その中から選ばれて組み合わされる。(※民族音楽やブルースにおいては、半音の半分の音も演奏されることもある)

   同じ音名でも、オクターブ上、オクターブ下、更には長さも変わるので、その組み合わせの数は無限である。無限の組み合わせの中から、時たま優れた旋律が現れる。時には、「よくもまあ、こんな素晴らしいメロディが浮かんできたものだ」と感心させられるものもある。

   物ができる例えで、「仏像というのは、木片を削って造られるように思われているが、実はそうではなく、仏様は元々木片の中に居られて、仏師はそこから仏様を取り出す作業をしているだけである」という言い方をすることがある。

   曲作りも同じように、「元々存在していた一つの曲を無限にある組み合わせの中から取り出す作業である」と言えるのではないだろうか。

   これまで紹介してきた曲も、そのようにして出来上がったものばかりだと思う。これからもそのような曲を期待するのであるが、後になるほど、その作業は困難になってくるに違いない。

   いくら無限にあるとはいえ、名曲だけを取り出すとなると、いつかは出し尽くして行き詰まってしまうことになる。出来上がった曲が、過去に作られた曲とどこか似ているということも起こってくるのである。

   世の中には、聴くに値しない曲も存在する。そんな駄作は、すぐに消え去る。消えては現れ、現れては消えるということを目まぐるしく繰り返すだけである。

   しかし、名曲は残る。たとえ時が過ぎて忘れ去られたとしても、またいつの日か人の心を揺さぶる。光沢を失った宝石が輝きを取り戻すように、再び蘇ってくるのである。

 

あとがき

   ある友人から、こんな話を聞いた。

「小学生の頃である。学校では下校時間になると、決まってドボルザークの『遠き山に日は落ちて』が流れた。運動場にいる人たちは、直ちに遊びを止めて帰り支度をするが、自分はこの曲を聴くと、何かしら涙が出た」

   実は、同じ小学校であった私自身もその友人ほどではないが、何か物悲しくなったのを覚えている。

  何故だか理由は分からない。たぶん、夕暮れ前という情景とその曲が持つ感傷的なメロディがマッチして人の心を動かしたのだと思う。音楽には、そのような力があるのである。

   雲一つ無い晴天の日、バイクでドライブをする。風も爽やかで気分も良い。ハンドルをキープながら軽快に走ると鼻歌も出る。そのメロディは、ロックかもしれない。ポップスかもしれない。クラッシックの大音楽家の交響曲かもしれない。

   いずれにしても、私の脳はそのメロディを要求した。口から出すことによって、自分の気持ちを表すように命令したのである。

   遠くで祭囃子が聞こえる。イベント会場でバンドの演奏が始まる。球場で観客が応援歌を熱唱している。駅の広場でストリートミュージシャンが熱気を帯びたライブをしている。

   このような多くの音楽に包まれて、自然に高揚している自分の気持ちに気づく。

ロック

   ロックを分類すると、ハードロック、ヘビーメタリック、プログレッシブロック、ブルースロック、サイケデリックロック、ブラスロック、グラムロック、パンクロック、フォークロック、カントリーロック、オルタナティブロック、スワンプロックなどに分けられる。

  さらに、出身国や地域性からアメリカンロック、ブリティッシュロック、ラテンロック、サザンロック、ウエストコーストサウンド、リバプールサウンドなどと呼ばれることもある。

   ロックは、このようなジャンルのどれかになるのであるが、曲を聴いただけで、「この曲はこのジャンルである」とは簡単に判断できない。静かなバラードであっても、バリバリのヘビメタバンドの曲であったり、軽快なロックンロールであっても、元はスローテンポのゴスペルの曲であったりと、アレンジによってどんな風にも変わるからである。

  ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスは、アメリカ人のジミと二人のイギリス人で編成されていて、イギリスでメジャーデビューして世界的に売れた。このバンドの様に、アメリカンなのかブリティッシュなのか、判断が難しいグループも結構ある。

   どこの国のどのジャンルのロックということを正確に調べるのは面倒であり、関心もあまりない。それより、曲そのものに興味があったので、あれこれ細かく分類するよりも、単にロックという括りで紹介したい。 

  紹介する曲のほとんどが、自分が若かりし頃に何としても演奏したいと憧れたものばかりである。

 

「ワイルドで行こう」    ステッペンウルフ

   映画「イージーライダー」の冒頭で使われていた。ステッペンウルフというカナダのバンドの曲で、初めて聴いたときは衝撃的であった。ドラムで始まるイントロは、今聴いても体が震えるような感動を覚える。

   TVのCMでも何回か使われているが、映像のイメージと曲の持つインパクトが上手くマッチしてアピール度が高い。この曲の持つパワーは本当に凄い。

 

「イエスタディ」    ビートルズ

   イギリスを代表するロックグループと言えばビートルズである。ジョンとポールのコンビは、「レット・イット・ビー」「ヘイジュード」「アンド・アイ・ラブ・ハー」など斬新な曲をたくさん生み出した。

   数あるヒット曲の中でも、特に「イエスタディ」に思い入れがある。多くの歌手にカバーされていて、ロックと言うよりスタンダードジャズと言った方が相応しいのかも知れない。

 

「ゲット・バック」     ビートルズ

   自分が趣味でバンドをしていた頃に、コピーした曲である。映画「レット・イット・ビー」の中で、四人がビルの屋上でこの曲を演奏するシーンがあったが、当時、自分もどこかの屋上でボリュームをフルにして演奏したいと本気で思ったものである。

  もし、実際にそんなことをしていたら、間違いなく警察のお世話になっていたに違いない。カリスマ的なビートルズだから許されたのであり、素人の演奏などただの騒音に過ぎなく、只々近所迷惑なだけなのである。

   身の程知らずではあったが、憧れによる衝動というのはどうしようもなく、その時の熱い想いが今となっては懐かしく思う。

 

「悪魔を憐れむ歌」    ローリング・ストーンズ

   ビートルズと同様に、ストーンズもイギリスを代表するロックグループである。ミックとキースのコンビも、「テル・ミー」「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」「サティスファクション」「ダイスを転がせ」「ブラウン・シュガー」など人を魅了する曲をたくさん作った。

   どの曲も「俺たちゃ不良だぜ」という臭いをプンプンさせていて、その罠にはまらずにいられないのである。その代表的な曲がこの曲である。

 

「ホンキートンク・ウーマン」    ローリング・ストーンズ

   ストーンズは、スタジオよりライブで本領を発揮するグループであった。名盤「ラブ・ユー・ライブ」では、オープニング曲「ホンキートンク・ウーマン」のドラムのイントロを聴くだけでストーンズの世界に引き込まれていく。

   その独特の雰囲気の中、熱狂的なファンが興奮のあまり、喧嘩や傷害などのトラブルを引き起こすことも度々あったようである。

 

「サンシャイン・ラブ」                  クリーム

「ホワイト・ルーム」                     クリーム

「ハーティン・ソーバッド」             ジョニー・ウィンター

「紫のけむり」                              ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンス

「リトル・ウイング」                     ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンス

「見張り塔からずっと」                  ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンス

「ジャニスの祈り」                        ジャニス・ジョプリン

「クライ・ベイビー」                     ジャニス・ジョプリン

「いとしのレイラ」                        エリック・クラプトン

「ハイウェイ・スター」                   ディープ・パープル

「スモーク・オン・ザ・ウォーター」                  ディープ・パープル

「スウィート・スウィート・サレンダー」                   ジェフ・ベック

「哀しみの恋人達」             ジェフ・ベック

「プラウド・メアリー」           クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

「トラヴェリン・バンド」        クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」                クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

「光りある限り」                            クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル 

「雨を見たかい」              クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

「ロール・オーヴァー・べートーヴェン」               マウンテン

「インサイド・ルッキング・アウト                    グランド・ファンク・レイルロード

「ブラック・マジック・ウーマン」     サンタナ

「僕のリズムを聞いとくれ」              サンタナ

「君に捧げるサンバ」           サンタナ

「哀愁のヨーロッパ」             サンタナ

「スピニング・ホイール」           ブラッド・スウェット&ティアーズ

「追跡」                   チェイス

「長い夜」                シカゴ

「クエスチョンズ6768」                  シカゴ

「サタデイ・イン・ザ・パーク」        シカゴ

「貴方を愛しつづけて」                    レッド・ツェッペリン

「ゴナ・リーヴ・ユー」          レッド・ツェッペリン

「天国への階段」               レッド・ツェッペリン

「ナット・ロッカー」           エマーソン・レイク&パーマ

「21世紀の精神異常者」           キング・クリムゾン

「ゲット・イット・オン」         T・レックス

「20センチュリー・ボーイ」         T・レックス

「ラヴィング・ユー・ベイビー」        キッス

「ライツ・アウト」             UFO

「アトランタの暑い日」                    オールマン・ブラザーズ・バンド

「エリザベス・リードの追憶」           オールマン・ブラザーズ・バンド

「ストーミー・マンデイ」                 オールマン・ブラザーズ・バンド

「マウンテン・ジャム」                    オールマン・ブラザーズ・バンド

「ジェシカ」                                   オールマン・ブラザーズ・バンド

「テイク・イット・イージー」            イーグルス

「呪われた夜」             イーグルス

「ホテル・カリフォルニア」               イーグルス

「言いだせなくて」           イーグルス

「希望の炎」            ドゥービー・ブラザーズ

「ロング・トレイン・ランニン」         ドゥービー・ブラザーズ

「フリー・バード」              レイナード・スキナード

「ザ・ウェイト」           ザ・バンド

「アイ・シャル・ビー・リリースト」    ザ・バンド

「レイト・フォー・ザ・スカイ」    ジャクソン・ブラウン

「ゴー・ホーム・ガール」       ライ・クーダー

「ミスター・ボー・ジャングルス」     ニッティ・グリティ・ダートバンド

「ソング・フォー・ユー」       レオン・ラッセル

「マスカレード」           レオン・ラッセル

「青い眼のジュディ」         クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング

「サザンマン」            クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング

「ヘルプレス」            クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング

「カウガール・イン・ザ・サンド」   ニール・ヤング

「孤独の旅路」              ニール・ヤング

 

   以上である。これらの曲は、今でも好んで聴いている。

 

   この他、今ではあまり聴くことはなくなったが、当時、ラジオでかかるのを心待ちにしていた曲を挙げていく。中には、ロックというよりクラッシックやポップスのような曲もある。

 

「ロック・アラウンド・ロック」   ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ

「ブルー・スウェード・シューズ」      カール・パーキンス

「ジェニ・ジェニ」           リトル・リチャード

「のっぽのサリー」           リトル・リチャード

「イッツ・ソー・イージー」               バディ・ホリー

「ハウンド・ドッグ」          エルビス・プレスリー

「監獄ロック」             エルビス・プレスリー

「ラブミー・テンダー」           エルビス・プレスリー

「ミスター・タンブリンマン」    バーズ

「朝日のあたる家」           アニマルズ

「悲しき願い」           アニマルズ

「ユー・リアリー・ガット・ミー」    キンクス

「バス・ストップ」          ホリーズ

「ビコーズ」             ディブ・クラーク・ファイブ

「恋の特効薬」            サーチャーズ

「サマー・イン・ザ・シティ」     ラヴィン・スプーンフル

「ハートに火をつけて」          ドアーズ

「今日を生きよう」          グラス・ルーツ

「好きさ好きさ好きさ」                ゾンビーズ

「オーケイ!」              デイブ・ディー・グループ

「キサナドゥーの伝説」          デイブ・ディー・グループ

「孤独の太陽」            ウォーカー・ブラザース

「あなただけを」             ジェファーソン・エアプレイン 

「青い影」              プロコル・ハルム

「モンキーズのテーマ」          モンキーズ

「デイドリーム・ビリーバー」       モンキーズ

「サーフィンUSA」             ビーチ・ボーイズ

「グッド・バイブレーション」     ビーチ・ボーイズ

「キャン・ザ・キャン」        スージー・クアトロ

「悲しき鉄道員」           ショッキング・ブルー

「ヴィーナス」              ショッキング・ブルー

「吹けよ風,呼べよ嵐」            ピンクフロイド

「マイ・スウィート・ロード」     ジョージ・ハリスン

「ブラザー・ルイ」          ストーリーズ

「ウィ・ウィル・ロック・ユー」    クィーン

「ドリーム・オン」            エアロ・スミス

「ボクは恋なんかしていない」       10CC

「ボーン・トゥ・ザ・USA」       ブルース・スプリングスティーン

 

   ロックは、情熱である。この年になっても、聴くと若かった頃の情熱を蘇らせてくれる。気が付けば自然に体がリズムを刻んでいる。このような曲にたくさん巡り合えて本当に良かったと思う。

 

ポップス

  特に六十年代から七十年代にかけてのポップスは、よく聴いた。幼少期でほとんど興味がなかった五十年代も、その後のリバイバルで好きになった曲もある。

   今では、あまり耳にしなくなったが、その当時は、ラジオやレコードで何回も聴いたものである。

 

「上を向いて歩こう」          坂本九

   メイド・イン・ジャパンで世界に通用する曲といえば、この曲しかない。歌謡曲というより日本のポップスといった方が相応しいと思われるが、ジャンルはどうあれ名曲中の名曲といえるのではないか。

   作詞は永六輔である。失恋をテーマにして、それを乗り越えようとする気持ちを詞に表した。そのため、何かの原因で落ち込んでいる人を励ますときによく歌われる。

  作曲は中村八大である。詞の持つイメージとは逆の、明るいメロディである。途中、短調に転調するところもあって、心情の変化が感じられる。ジャズピアニストである八大氏のセンスがとても光る曲である。

   世界中でヒットしたが、特にアメリカでは「スキヤキ」という題でビルボード一位になった。坂本九は、急遽渡米して熱烈な歓迎を受け、有名なテレビ番組にも出演している。

   当時、坂本九の歌い方に批判的であった永六輔も、思わぬ大ヒットで彼を認めざる得なくなった話は有名である。その後、国内外のたくさんの歌手にカバーされた。

 

「月影のなぎさ」           アンソニー・パーキンス

「雨に歩けば」            ジョニー・レイ

「シー・オブ・ラヴ」           フィル・フィリップス

「バイ・バイ・ラブ」           エヴァリー・ブラザース

「シュガータウンは恋の町」        ナンシー・シナトラ

「バン・バン」                                 ナンシー・シナトラ

「レモンのキッス」            ナンシー・シナトラ

「恋のダウンタウン」           ペトゥラ・クラーク

「ジョニー・エンジェル」                  シェリー・フェブレー

「悲しき片想い」                              ヘレン・シャピロ

「子供じゃないの」                           ヘレン・シャピロ

「フーズ・ソリー・ナウ」                  コニー・フランシス

「大人になりたい」                           コニー・フランシス

「バケーション」                              コニー・フランシス

「可愛いベイビー」                           コニー・フランシス

「カラーに口紅」                              コニー・フランシス

「ボーイ・ハント」                           コニー・フランシス

「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」    リトル・ペギー・マーチ

「涙のバースデイ・パーティ」            レスリー・ゴーア

「恋の売り込み」                             エディ・ボッジス

「この胸のときめきを」                    ダスティ・スプリングフィールド

「二人だけのデート」           ダスティ・スプリングフィールド

「見つめあう恋」                             ハーマンズ・ハーミッツ

「ポエトリー」            ジョニー・ティロットソン

「ヤング・ワン」           クリフ・リチャード

「サマー・ホリデイ」         クリフ・リチャード

「帰らぬ少年兵」           コリーン・ラベット

「ケ・セラ・セラ」          メリー・ホプキン

「悲しき天使」              メリー・ホプキン

「悲しき街角」              デル・シャノン

「恋の片道切符」                             ニール・セダカ

「おお!キャロル」                          ニール・セダカ

「カレンダー・ガール」                    ニール・セダカ

「悲しき慕情」                                ニール・セダカ

「すてきな16才」                            ニール・セダカ

「シェリー」             ザ・フォー・シーズンズ

「花のサンフランシスコ」       スコット・マッケンジー

「夢のカリフォルニア」        ママス・アンド・パパス

「悲しき雨音」            カスケーズ

「西暦2525年」          ゼーガ&エヴァンス

「サイモン・セッズ」         1910フルーツガム・カンパニー

「ワイト・イズ・ワイト」      ミッシェル・デルペッシュ

「ふたりのシーズン」        ゾンビーズ

「愛なき世界」           ピーター&ゴードン

「ウーマン・ウーマン」         ゲイリー・パケットとユニオン・ギャップ

「よくあることさ」         トム・ジョーンズ

「ラスト・ワルツ」         エンゲルベルト・フンパーティング

「ミスター・ボー・ジャングルス」  ニッティ・グリティ・ダートバンド

「クラックリン・ロージー」     ニール・ダイアモンド

「スィート・キャロライン」     ニール・ダイアモンド

「イエス・イッツ・ミー」      エルトン・ジョン

「僕の歌は君の歌」         エルトン・ジョン

「ドゥ・イット・アゲイン」     スティーリー・ダン

「喜びの世界」           スリー・ドッグ・ナイト

「オールド・ファンションド・ラブ・ソング」             スリー・ドッグ・ナイト

「嘆きのインディアン」       マーク・リンゼイとレイダース

「ローズ・ガーデン」        リン・アンダーソン

「霧の中の二人」            マッシュマッカーン

「ミスター・マンデイ」       オリジナル・キャスト

「ハロー・リヴァプール」      カプリコーン

「デイ・アフター・デイ」      バッドフィンガー

「夜明けのヒッチハイク」        ヴァニティ・フェア

「しあわせの朝」            ヴァニティ・フェア

「悲しきジプシー」           シェール

「魔法」                ルー・クリスティ

「イージー・カム、イージー・ゴー」 ボビー・シャーマン

「ノックは三回」            ドーン

「幸せの黄色いリボン」         ドーン

「スカイ・ハイ」            ジグソー

「悲しき初恋」           パートリッジ・ファミリー

「サタディ・ナイト」        ベイ・シティ・ローラーズ

「カリフォルニアの青い空」       アルバート・ハモンド

「落葉のコンチェルト」       アルバート・ハモンド

「君の友達」            キャロル・キング

「イッツ・トゥ・レイト」        キャロル・キング

「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウ」               キャロル・キング

「ナチュラル・ウーマン」      キャロル・キング

「君の友達」              ジェームズ・テーラー

「ボックスNo10」            ジム・クロウチ

「ウィズアウト・ユー」         ニルソン 

「サインはピース」           オーシャン

「心の扉をあけよう」          メラニー

「恋のほのお」           エジソン・ライトハウス

「涙のハプニング」         エジソン・ライトハウス

「恋のかけひき」            ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズ

「片思いと僕」             ロボ

「イエロー・リバー」          クリスティー

「小さな願い」               ディオンヌ・ワーウィック

「恋よ、さよなら」         ディオンヌ・ワーウィック

「愛を求めて」             ジャッキー・デシャノン

「愛するハーモニー」          ニュー・シーカーズ

「うつろな愛」             カーリー・サイモン

「恋するデビー」            デビー・ブーン

「雨にぬれた朝」              キャット・スティーヴンス

「アメリカンモーニング」          ランディ・ヴァンウォーマー

「雨に微笑みを」            ニール・セダカ

「アメリカン・パイ」        ドン・マクリーン

「溢れる愛」              ニコレット・ラーソン

「オン・アンド・オン」         スティーヴン・ビショップ

「HE」                  トゥディズ・ピープル

「ブラック・サンド」          カラパナ

「ジュリエット」            カラパナ

 

MTV

「サーフサイド・フリーウェイ」      ヴェイパー・トレイルズ

   この曲は、小林克也が司会する番組「ベストヒット・イン・USA」のオープニングに使われていた曲である。軽快なイントロは、明るいカリフォルニアサウンドへ引き込んでいき、ぐいぐいとテンションが高まっていくのである。

 

「ピンク・ハウス」           ジョン・クーガー

「金色の髪の少女」           アメリカ

「プッティング・オン・ザ・リッツ」   タコ

「ダウン・アンダー」            メン・アット・ワーク

「君は完璧さ」               カルチャークラブ

「シャープ・ドレスト・マン」        ZZトップ

「恋はあせらず」            フィル・コリンズ

「ロンリー・ハート」                             イエス

「アイ・ウォナ・ノウ」         フォリナー

「見つめていたい」             ポリス

「ミスターロボット」          スティクス

「あなたを夢見て」           ダン・ハートマン

「ルール・ザ・ワールド」                       ティアーズ・フォー・フィアーズ

「シーズ・オブ・ラヴ」                          ティアーズ・フォー・フィアーズ

「アワ・ファイバリット・ショップ」        スタイル・カウンシル

「ザ・リドル」                                      ニック・カーショウ

「キリエ」                                            Mr.ミスター

「ドライブ」                ザ・カーズ

「フェン・ダブズ・クライ」         プリンス

「悲しきサルタン」                                ダイア・ストレイツ

「マネー・フォー・ナッシング」            ダイア・ストレイツ

「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー」                 シンニード・オコーナー

「終りなき旅」              U2

「アイ・オブ・タイガー」         サバイバー

「思い出に抱かれて」           ティファニー

「インナ・ビッグ・カントリー」      ビッグ・カントリー

「情熱物語」               ドナ・サマー

「君の瞳に恋してる」           ボーイズ・タウン・ギャング

「ザ・ローズ」             ベット・ミドラー

「フロム・ア・ディスタンス」                  ベット・ミドラー

「涙のフィーリング」            レオ・スピードワゴン

「セーラ」                 スターシップ

「グロリア」                ローラ・ブラニガン

「イフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウ」                   シンプリーレッド

「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」      ミスター・ビッグ

「スムース・オペレーター」         シャーデー

「ビッグ・ラブ」            フリート・ウッド・マック

「シャッタード・ドリームス」        ジョニー・ヘイト・ジャズ

「エモーション」            マライア・キャリー

「ラブ・パワー」            ディオンヌ・ワーウィック

「I.G.Y.」              ドナルド・ファーゲン

「ビリーブ」              シェール

 

レゲエ

「ハーダー・ゼイ・カム」                        ジミー・クリフ

「ユー・キャン・ゲット・イット」            ジミー・クリフ

「メニー・リバース・トウ・クロス」     ジミー・クリフ

「バビロン川のほとりで」          ジミー・クリフ

「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」ジミー・クリフ

「ウォーマン・ノークライ」       ボブ・マーレイ

 

ラテン

「マンボNo5」                   ペレス・プラード楽団

   ラテン系の音楽は、歌や踊りはもちろん、演奏も情熱的である。インストル・メンタルのこの曲は、日本でも根強い人気があり、魅了される人も多い。

 

「テキーラ」                チャンプス

「ベサメ・ムーチョ」          トリオ・ロス・パンチョス

「キサス・キサス・キサス」       トリオ・ロス・パンチョス

「ラ・クンバルシータ」         トリオ・ロス・パンチョス

「チコチコ」                                         ゼキーニャ・ジ・アブレウ

「ラ・バンバ」             リッチー・ヴァレンス

 

「マシュ・ケ・ナダ」              セルジオ・メンデス

サンバやボサノヴァをラテンとは認めていない人もいるようである。理由は、スペイン語とポルトガル語の違いらしいが、その辺りの事は、はっきり言ってよく分からないし、調べたいとも思わない。異論もあるが、ここではラテンの曲として扱うことにする

一九六〇年代にジョルジ・ベンが作って自ら演奏し、それをセルジオ・メンデスがカバーしてブラジルで大ヒットする。世界中にサンバブームを起こすきっかけとなった曲である。

 

「イパネマの娘」                   アストラッド・ジルベルト&スタン・ゲッツ

  ボサノヴァと言えば、この曲を思い浮かべてしまう。ボサノヴァの祖、アントニオ・カルロス・ジョビンの作品である。多くのアーティストが取り上げていて、日本では、小野リサがカバーしている。

 

「サマー・サンバ」            ワルター・ワンダレイ

 

「コンドルは飛んでいく」          サイモン&ガーファンクル

  サイモン&ガーファンクルによって世界的に知られるようになったこの曲は、アンデス地方のフォルクローレの代表的な曲である。ケーナ、チャランゴ、ギターで演奏される。日本では、合奏曲として小学校の音楽の教科書に載っていた。

 

シャンソン

「パリの空の下」             ジュリエット・グレコ

  映画「パリの空の下にセーヌ川は流れる」の主題歌である。作曲は、ユベール・ジローで、作詞はジャン・ドレジャックになる。フランスのシャンソンの代表的な曲である。

 

「セ・シ・ボン」             アーサ・キッド

「すてきな王子様」            フランス・ギャル

「アイドルを探せ」            シルヴィー・バルタン

「あなたのとりこ」            シルヴィー・バルタン

「悲しみの兵士」             シルヴィー・バルタン 

「恋はみずいろ」             ヴィッキー

「シェリーに口づけ」           ミッシェル・ポルナレフ

 

カンツォーネ

「花のささやき」             ウイルマ・ゴイク

   ウイルマ・ゴイクは、ジリオラ・チンクェッティやボビー・ソロと共に、日本のカンツォーネ・ブームに貢献した歌手である。清らかな少女のような歌声で人気があった。

   この曲は、一九六六年のサン・レモ音楽祭の入賞曲である。サン・レモ音楽祭には、日本の歌手も何人かエントリーしていたようである。

 

「愛の花咲く時」              アンナ・イデンティチ

「ほほにかかる涙」             ボビー・ソロ

「カーザ・ビアンカ」            マリーザ・ザンニア

「燕のように」               ジリオラ・チンクェッティ

「雨」                   ジリオラ・チンクェッティ

 

ジャズ

「スターダスト」              ウィリー・ネルソン

   ホギー・カーマイケルの作曲で、後にミッシェル・バリッシュが歌詞を付けた。星空を見つめ、しみじみと昔の恋人の想いにふけるという内容である。

   ウィリー・ネルソンのさり気ない歌い方に共感する。ナット・キング・コールを始め、たくさんの歌手がカバーしてヒットした。日本でもバラエティ番組のエンディングで歌われて、馴染みがある。

 

「枯葉」                ナット・キング・コール

「モナ・リサ」               ナット・キング・コール

「この素晴らしい世界」           ルイ・アームストロング

「ハロー・ドーリー」          ルイ・アームストロング

「霧のサンフランシスコ」          トニー・ベネット

「マック・ザ・ナイフ」         ボビー・ダーリン

「夜のストレンジャー」         フランク・シナトラ

「ミスター・ボージャングルス」     サミー・ディビスJr

「ビギン・ザ・ビギン」         フリオ・イグレシアス

「センチメンタル・ジャーニー」     ドリス・ディ

「虹の彼方に」              ジュディ・ガーランド

「ムーン・リバー」            パティ・ペイジ

「テネシー・ワルツ」           パティ・ペイジ

「フライ・ミー・ツゥ・ザ・ムーン」    ジュディ・ロンドン

「バートランドの子守歌」         クリス・コナー

「青いカナリヤ」             ダイナ・ショア

「奇妙な果実」                                       ビリー・ホリデイ

「ギルティ」                                          ビリー・ホリデイ

「恋人よ我に帰れ」            ダイナ・ワシントン

「縁は異なもの」             ダイナ・ワシントン

「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」             ヘレン・メリル

「エンド・オブ・ザ・ワールド」      スキーター・ディビス

「ラヴァース・コンチェルト」       サラ・ヴォーン

「サイド・バイ・サイド」           ブレンダ・リー

「家へおいでよ」             ローズマリー・クルーニー

「マンボ・イタリアーノ」         ローズマリー・クルーニー

「テイク・ファイブ」           ディヴ・ブルーベック・Q

「A列車で行こう」            デューク・エリントン

「シング・シング・シング」        ベニー・グッドマン

「メモリー・オブ・ユー」         ベニー・グッドマン

「ムーンライト・セレナーデ」         グレン・ミラー楽団

「イン・ザ・ムード」           グレン・ミラー楽団

「茶色の小瓶」              グレン・ミラー楽団

「アメリカン・パトロール」        グレン・ミラー楽団

「クレオパトラの夢」           バド・パウエル

「オン・ザ・サニーサイド・オブ・ストリート」                    ソニー・ロリンズ

「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」       セロニアス・モンク

「ザ・マン・アイ・ラヴ」                         マイルス・デイビス

「マイ・フェイヴァリット・シングス」        ジョン・コルトレーン

「ケルン・コンサート・パートⅡC」     キース・ジャレット

「ワルツ・フォー・デビュー」        ビル・エヴァンス

「イスラエル」               ビル・エヴァンス

「マスカレード」              ジョージ・ベンソン

「フル・ハウス」                ウェス・モンゴメリー

「アランフェス協奏曲」           ジム・ホール

 

フュージョン

「摩天楼」                デオダード

  ベースのイントロで始まるこの曲は、非常に躍動的である。効果的なホーンセクションをバックボーンにして、シンセやギターなどのソロがスリリングに展開されていく。体も心もこの曲の魅力にぐいぐい引き込まれていくのである。

 

「ラプソディー・イン・ブルー」       デオダード

「マイ・ママ・トールド・ミー・ソー」    クルセイダーズ

「内に秘めた炎」                                     マハヴィシュヌ・オーケストラ

「ロック・イット」             ハービー・ハンコック

「リターン・トゥ・フォーエバー」      チック・コリア

 

インストル・メンタル

「ウォーク・ドント・ラン」         ザ・ベンチャーズ

「10番街の殺人」             ザ・ベンチャーズ

「パイプ・ライン」             ザ・ベンチャーズ

「ダイアモンド・ヘッド」          ザ・ベンチャーズ

   エレキギターの魅力を存分にアピールしたのが、ベンチャーズである。その当時、「テケテケテケ」の響きに憧れ、ギターに取り憑かれた若者も多かったはず。

  日本では歌謡界にも楽曲を提供して、それが結構売れた。かなりのメンバーチェンジを繰り返しているが、日本公演を毎年のように行っている。

 

「哀愁のカレリア」            ザ・フィーネイズ

「さすらいのギター」             ザ・サウンズ

「太陽の彼方に」               アストロノウツ

 

映画音楽

「タラのテーマ」             マックス・スタイナー

  世界的ベストセラーであるマーガレット・ミッチェルの原作を、デヴィド・セルズニックが莫大な製作費や宣伝費をかけて映画化した「風と共に去りぬ」のサウンドトラックである。映画音楽の古典と言われるほど、有名な曲である。

  アメリカ南部を舞台にした広大なドラマのイメージに合うのは、この曲以外は考えられない。それ程の素晴らしいシンフォニーであり、アカデミー作曲賞の候補にもなる。

 

「ドレミの歌」                     リチャード・ロジャース

   本来は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」で使われたミュージカル曲である。劇中では、主役のジュリー・アンドリュースが歌っている。

   日本では、小学校の音楽で唱歌として習い、広く愛唱されてきた。ペギー葉山が歌うバージョンが有名である。

 

「エーデル・ワイス」                  リチャード・ロジャース

「ジェルソミナのテーマ」                ニーノ・ロータ

「ララのテーマ」                    モーリス・ジャレー

「第三の男」                      アントン・カラス

「夜霧のしのび逢い」                  ジョーヴァン・ヴェッター

「鉄道員」                       カルロ・ルスティケリ

「ひまわり」                      ヘンリー・マンシーニ

「太陽はひとりぼっち」                         ジョバンニ・フスコ

「白い恋人たち」                    フランシス・レイ

「夏の日の恋」                     マックス・タイナー

「シェルブールの雨傘」                 ミシェル・ルグラン

「幸せはパリで」                    バート・バカラック

「マイ・フェア・レディ」                フレデリック・ロウ

「トゥナイト」                     レナード・バーンスタイン

「ボタンとリボン」                   ダイナ・ショア

「OK牧場の決闘」                   フランキー・レイン

「真昼の決闘」                     テックス・リッター

「荒野の七人」                     アル・カイオラ

 

「荒野の決闘」                     パーシー・モントローズ

   映画の中で使われている「いとしのクレメンタイン」は、亡くなった恋人を愛しむという内容の歌詞である。日本では、元の歌詞とは全く異なる「雪山賛歌」として知られている。

 

「帰らざる河」                     マリリン・モンロー

「ソー・イン・ラブ」                    コール・ポーター

「夕陽のガンマン」                   エンニオ・モリコーネ楽団

「史上最大の作戦」                   ポール・アンカ

「大脱走マーチ」                    エルマー・バーンスタイン

「戦場に架ける橋」                   ミッチ・ミラーとその楽団

「黄色いリボン」                    ジョニー・ハート楽団

「テキサスの黄色いバラ」                  ミッチ・ミラー合唱団

「七人の侍~侍のテーマ」                              早坂文雄

「ゴジラ」                                                   伊福部昭

「エデンの東」                      レナード・ローゼンマン

「ムーン・リバー」                    ヘンリー・マンシーニ

「ある愛の歌」                                             フランシス・レイ

「ゴッドファーザーの愛のテーマ」             ニーノ・ロータ

「007のテーマ」                    ジョン・バリー

「ロシアより愛をこめて」                 マット・モンロー

「ゴールドフィンガー」                  シャーリー・バッシー

「小さな恋のメロディ」                  ビージーズ

「うわさの男」                      ハリー・ニルソン

「雨にぬれても」                     B.J.トーマス

「ロッキーのテーマ」                   ビル・コンティ

 

テレビ

   昔から、スポーツも映画もテレビで観ることが多かった。私としては、テレビがない生活は考えられないので、番外編として取り上げたい。

  娯楽がそんなになかった時代である。テレビが我が家に入ってからは、家族みんながテレビの前にくぎ付けになった。

  チャンバラものやヒーローものは、子どもだけでなく大人も楽しめた。歌謡番組も毎週観ていて、流行歌をよく覚えたものである。CMの曲も鼻歌で歌っていた。

   開局当初は生放送であり、本番中に今では考えられないような失敗もあったらしい。私もリアルタイムで観たことがある。

  生放送での大失敗。それは、喜劇役者の茶川一郎が主演である時代劇コメディの舞台であった。

   若くて清楚な武家の娘が、大久保彦左衛門に似た祖父に連れられて小走りで登場してきたが、中央近くで躓いてこけた。その拍子に鬘が抜ける。周りの役者は唖然としたが、観客は大笑いである。コントではなく正真正銘のハプニングが大爆笑になった訳である。

   女優は、動揺しながらも何とか鬘を頭に戻したが、後の祭りである。いや、喜劇であったからまだ救われた。シリアスな劇なら致命的であり、その女優を引退に追い込むほどの取り返しのつかない不始末であった。

    喜劇役者にとっての舞台の成功とは、打ち合わせ通りに劇が進み、ネタや仕込みによって笑いを取ることである。決して、思いもよらないミスで客を沸かすことではない。おそらく、彼女は楽屋でこっぴどく叱られたに違いない。

 

日本の番組

「チロリン村とくるみの木」        1956年 NHK

「お笑い三人組」         1956年 NHK

「月光仮面」                            1958年 KRテレビ

「遊星王子」                            1958年 日本テレビ

「風小僧」            1958年 毎日放送

「やりくりアパート」       1958年 大阪テレビ

「赤胴鈴之助」          1958年 大阪テレビ

「変幻三日月丸」         1959年 フジ゙テレビ

「ピカ助捕物帳」                      1959年 関西テレビ

「鉄腕アトム」         1959年 毎日放送

「少年ジェット」        1959年 フジ゙テレビ   

「まぼろし探偵」          1959年 KRテレビ

「七色仮面」            1959年 NET

「豹の眼」             1959年 ラジオ東京テレビ  

「矢車剣之助」           1959年 日本テレビ

「崑ちゃんのとんま天狗」    1959年 よみうりテレビ

「番頭はんと丁稚どん」     1959年 毎日放送

「ホームラン教室」       1959年 NHK

「鉄人28号」         1960年 日本テレビ

「笛吹童子」          1960年 NET

「怪傑ハリマオ」        1960年 日本テレビ

「ナショナル・キッド」     1960年 NET

「海底人8823」       1960年 フジ゙テレビ

「アラーの使者」        1960年 NET

「白馬童子」          1960年 NET

「少年探偵団」           1960年 フジ゙テレビ

「竜巻小天狗」         1960年 フジ゙テレビ

「琴姫七変化」         1960年 読売テレビ

「 一心茶助」               1960年 関西テレビ

「怪獣マリンコング」        1960年 フジ゙テレビ

「少年ケニア」         1961年 NET

「恐怖のミイラ」          1961年 日本テレビ

「紅孔雀」               1961年 NET

「三太物語」            1961年 フジ゙テレビ

「みんなのうた」                  1961年 NHK

「てなもんや三度笠」      1962年 朝日放送

「隠密剣士」          1962年 TBSテレビ

「エイトマン」         1963年 TBS

「ひょっこりひょうたん島」   1964年 NHK

「ウルトラQ」         1964年 TBS

 

   テレビの中のヒーローに憧れ、その恰好をしてよく遊んだものである。

   夜店で買ってもらったお面をつけて、首に風呂敷を巻き、空を飛んだ。箸を口に銜えて両手で印を結び、体を消した。悪役の友だちを、おもちゃの刀で容赦なく切りまくった。

  勧善懲悪の世界は、子どもにとって非常に分かりやすいものだった。愛犬を引き連れ、スクーターに跨って颯爽と走る少年の姿は、まさに正義の味方そのものである。

  しかしその後、その英雄が撮影所で盗みを働いたという事件を聞いて、がっかりすることになる。

 

海外の番組

「スパーマン」          1953年 KRテレビ

「アニーよ 銃をとれ」        1957年 KRテレビ

「名犬ラッシー」         1957年 TBS

「ヒッチコック劇場」       1957年 日本テレビ

「ローン・レンジャー」      1958年 TBS

「パパは何でも知っている」        1958年 日本テレビ

「ローハイド」          1959年 NET

「ポパイ」                               1959年 KRテレビ

「世にも不思議な物語」              1959年 日本テレビ

「ボナンザ」                            1960年 日本テレビ

「ララミー牧場」         1960年 NET 

「ライフルマン」         1960年 TBS

「ミステリーゾーン」       1960年 日本テレビ

「サンセット77」                      1960年 KRテレビ

「怪傑ゾロ」           1961年 NTV

「アイ・ラブ・ルーシー」     1961年 フジ゙テレビ 

「ルート66」                            1961年 フジ゙テレビ

「三ばか大将」            1963年 日本テレビ

「ハワイアン・アイ」                 1963年 TBS

「じゃじゃ馬百万長者」      1962年 NTV

「ミスター・エド」        1962年 フジ゙テレビ

「コンバット!」         1962年 TBS

「アウターリミッツ」       1964年 NET

「トム&ジェリー」        1964年 TBS

「バットマン」          1966年 フジ゙テレビ 

「奥さまは魔女」         1966年 TBS

「ターザン」                             1967年 NET

「鬼警部アイアンサイド」           1969年 TBS

「刑事コロンボ」                       1972年 NHK

 

   これらはすべて吹き替え版であり、日本の声優が担当した。希に、本物の俳優が来日することがあったが、インタビューで発したその声に違和感を持ったのは私だけであろうか。

  ジャンルは、超人物、西部劇、ホームドラマ、ミステリー、サスペンス、コメディなど様々であったが、それらによって日本とは全く異なる外国の文化を知ることになる。

 

1.靴を履いたまま部屋に入る。

2.畳はなく、フローリングに絨毯である。

3.暖炉がある。

4.テーブルについて椅子に座り、スプーンとフォークで食事をする。

5.コーヒーをやたらに飲む。

6.パンやドーナツをよく食べる。

7.バスタブに浸かるよりシャワーを浴びる。

8.ベッドで寝る。

9.人目憚らずにキッスをする。

 

   観ていた当時は、奇異に感じたこともあったが、非常に羨ましく思ったこともある。それは、広い庭付きの邸宅で暮らす家族の様子である。そこでは、「ラッシー」と呼ばれる名犬がいて、我が家でもあのような賢い犬を飼って欲しいと心底願ったのである。

 

名曲

   この世には、星の数ほどたくさんの曲が存在する。その中に、名曲と呼ぶにふさわしい曲がある。

   もちろん、その基準は人それぞれであり、一概に「これがそうである」とは断言できない。

   多くの人が認める曲であっても、それを否定する人もいるのであり、中にはかなりマニアックな曲を名曲とする人もいるに違いない。

   それでも敢えて、私なりに選んでみた。何を名曲とするかの基準は、考えた結果、下記のようにした。

 

1 たくさんの人が知っている

  それだけ、浸透している。

2 流行ではなく、長く人々の心に残って今でも演奏される(歌われる)

   普遍的な魅力がある。

3 自然に口から出てしまう

   誰もが親しみを感じている。

4 感動を与えてくれる

   心に訴えかけるものが大きい。

5 元気づけてくれる

   プラスの影響力を持っていて、落ち込んだ時でも、聴くと勇気が湧く。

 

  以上であるが、このような曲こそが名曲と呼ぶのにふさわしい曲であると思う。他にも、

 

・ いつ聴いても新鮮である

・ 聴くと当時のことが頭に浮かんでくる

・ 完成度が高い

・ こんな歌詞やメロディを作詞家や作曲家がよく作ったものである

・ 歌い手と曲のイメージがぴったりしている

・ ビルボードなどのヒットチャートで上位だった

・ たくさん売れた

 

  なども基準にした。特に「いつ聴いても新鮮」なのは、常に感動を与えてくれて、ビタミン剤をくれたように体が生き生きしてくる。そういう曲をどんどん挙げていきたいと思う。

  世界中のあらゆる国とあらゆるジャンルの中からこのような名曲を選ぶのであるが、知らない国や知らない領域の聴いたことのない曲を述べる訳にはいかないので、実際に聴いた曲の中からの選曲となる。

  無形文化財に指定されている日本の浄瑠璃や義太夫などの楽曲は、その道に携わる方やファンにとっては名曲になるに違いない。俗曲といわれる端唄、小唄においても同様である。

  しかし、限られた国や領域の中でしか広まっていない曲を含めてしまうと手に負えなくなるので、世界的に普及した楽曲に制限したいと思う。

   クラッシックはあまり馴染みがなく、民族音楽や地方の民謡となるとほとんど知らない。どちらかというと軽音楽を好んで聴いていたので、それらが中心になると思う。

  これはまあ、どちらかというと「独断と偏見の名曲選」ということになる。

 

国歌

  たくさんの人が知っている曲では、国歌が思い浮かぶかもしれないが、国歌は除外する。それは、国歌が名曲などの引き合いに出すべきものではないように思うからである。

  国歌は、国を象徴するものである。もし、国歌のどれかを名曲に選ばなかったら、その国民や国家に対して大変失礼なことになり、激怒されるであろう。

  もちろん、国歌も人の手で作られたものに違いないが、作られたり決められたりした意義が他とはまったく異なるので別格としたい。

 個人的に好きな国歌はある。例えば、アメリカ合衆国の「星条旗」やフランスの「マルセイユの歌」である。日本の「君が代」は、雅楽の旋律が使われていることもあって何か神々しい感じがする。

 

クラッシック

「交響曲第九番」 ベートーベン

   歓喜あふれるシラーの詩とベートーベンの卓越した旋律による「合唱」が、名曲中の名曲と思われる。

   日本では、小学校の音楽の教科書に「喜びの歌」として取り上げられている。毎年、大晦日に演奏されるのが恒例である。

  また、世界中のたくさんの映画やドラマにも使われていて、非常に馴染みの深い曲といえる。

   ちなみに、私自身も若い頃にオーケストラに合わせて「合唱」を歌った経験がある。動機は、少し好意を持っていた女友だちからの誘いである。「良かったら、『第九の夕べ』に出てみませんか」と言われて、1日考えた末に承諾したのである。

   当時は、軽音楽が好きでよく歌っていたが、クラッシックにはまったく興味がなく、縁のないジャンルであった。まさか、自分がクラッシックを歌うなんて想像もしなかった。

   今から考えると、身の程知らずの決断であった。クラッシックとなると勝手が違う。声の出し方の基本も知らずに、よく挑んだものである。

  タクトは著名な方であり、それ故に「音程を外して迷惑をかけてはならない」という危惧が頭から離れなかった。本番前に、「しっかり声を出しなさい」という注意を再三受けていたが、案の定、ステージでは萎縮して不本意な歌唱になってしまった。

  それでも、当日はもちろんのこと、長い期間の練習も今となっては良い思い出になっている。「合唱」がどこかで流れる度に、その当時を思い出す。

 

行進曲

「星条旗よ永遠なれ!」 スーザ

   世界三大行進曲というのがあるが、その一つである。映画のBGMに使われたこともあって、本家のアメリカ合衆国はもちろん、たくさんの国で耳にする。

  本来は、軍隊の為のマーチであるが、カーニバルなどのブラスバンドによる行進曲として演奏されている。

 

童謡・唱歌

「きらきら星」 フランス

  世界的に愛唱されている童謡と言えば、この曲を思い浮かべてしまう。元は、18世紀末のフランスで流行したシャンソンで、その後、英語の訳詞が付き世界中に広まったのである。

  モーツァルトもこの曲を基にした変奏曲を書いている。日本でも、小学校低学年の音楽の教科書に載っていて、よく知られている曲である。

  童謡や唱歌は、元はその国の民謡であることが多い。さらにそのルーツが、違う国の民謡である場合もある。

  歴史の浅いアメリカ合衆国では、アメリカ民謡から作られたと言われていた童謡が、さらに突き詰めていくと実はイギリスの古い民謡であったということもある。

 

賛美歌

「きよしこの夜」

   厳密に言うと、クリスマスの日に歌われるキャロルである。キリストの誕生に関する賛美歌の一種であり、前日のイヴでもメディアでよく流れる。

  それぞれの国の言語に訳され、世界中で歌われていて、イスラム圏の国や仏教国でも知られている。日本でも、キリスト教を信じる、信じないに関わらず、クリスマスパーティなどでよく歌われる。

 

民謡

「ほたるの光」 スコットランド

   元は、作曲者不明のスコットランド民謡であって、原題は「オールド・ラング・サイン」という。歌詞の内容は、旧友との再会を喜び合うというものである。

   世界中に広まったが、日本では、明治時代に今の歌詞が付けられ普及した。主に1、2番が歌われるが、3番、4番もある。

  かつては、「別れの曲といえば『ほたるの光』である」とされるほど、卒業式や離任式などで定番として使われていたのであるが、今日では、スーパーやパチンコ店などで閉店を知らせる曲として使われることが多い。

  ちなみに「仰げば尊し」も、「ソング・フォー・ザ・クローズ・オブ・スクール」という米国の曲が元になっているらしい。「ほたるの光」と同様に、明治時代に日本語の歌詞が付けられ、学校で歌われたということである。

 

フォーク

「風に吹かれて」 ボブ・ディラン

  言わずとしれたアメリカ合衆国を代表するフォークシンガー、ボブ・ディランの曲である。単純なコード進行に覚えやすいメロディなので、この年代が青春期であった人なら誰もが口ずさんだと思う。

  内容はメッセージ色が強く、単なるフォークソングではない。ボブ・ディランが亡くなっても、歌い継がれていくのは間違いないだろう。いつまでも残って欲しい名曲中の名曲である。

 

カントリー&ウエスタン

「ジャンバラヤ」 ハンク・ウィリアムス

  ハンク・ウィリアムスの作品の中でも特に人気があり、カントリーを代表する曲と言われる。カーペンターズやジョン・フォガティなどたくさんのアーティストにカバーされている。

   ハンク・ウィリアムスのメジャーデビューは25歳のときであるが、その4年後の29歳のときには既に亡くなっている。短い音楽活動ではあったが、カントリー・ミュージックの基礎を築いたとも言われ、その貢献度は大きい。

  南部の黒人音楽の影響を受けたその楽曲は、多くの人から共感を得ている。非凡な才能で4年間を駆け抜けた、天才的なミュージシャンであった。

 

ブルーグラス

「ホギー・マウンテン・ブレーク・ダウン」  フラット&スクラッグス

  アーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」のテーマとして使われた有名な曲である。作曲者はアール・スクラッグスで、ブルーグラスファンでこの曲を知らない者はいないと言われるほど有名である。

   特にアール・スクラッグスのスリーフィンガーによるバンジョーの奏法は、スクラッグス・ロールと呼ばれ、ブルーグラスを目指す人にとっては、その演奏が憧れの的になっている。

 

ゴスペル

「アメージング・グレース」 マヘリア・ジャクソン 

   元々は、アイルランドかスコットランドの民謡を基にした賛美歌であるが、ジョン・ニュートンという黒人の売買でもうけた商人が作詞をした。それまでの黒人に対する扱い方を悔い改めて出来たといわれている。

  世界中のたくさんの人がカバーしているが、ゴスペルとしては、先駆者であるマヘリア・ジャクソンの曲が有名である。

 

ブルース

「スィート・ホーム・シカゴ」 ロバート・ジョンソン 

   1930年代のことである。アメリカ大陸をアコースティック・ギター1本で渡り歩いた男がいた。黒人のロバート・ジョンソンである。

   彼は、行く先々の酒場でブルースの弾き語りをして、聴衆から喝采を浴びた。そのギターテクニックは「十字路で悪魔に魂を売り渡して身につけた」(クロスロード伝説)と噂されるほど凄いものであったらしい。

   27歳で早死にするが、その後に出てくるブルースギタリストやロックミュージシャンにも大きな影響を与えている。

 

ソウル

「ドック・オブ・ザ・ベイ」 オーティス・レディング

   オーティス・レディングほど「情熱」という言葉が似合う歌い手はいない。アップテンポの曲はもちろん、スローバラードにおいてもその熱意がひしひしと伝わってくる。まさに「ソウルの王」と言われる所以である。

   成功のきっかけとなった彼の逸話は有名である。しかし、その偶然がなかったとしても、いつかは世に出ていたに違いない。それほど、歌に対する彼の熱意と歌唱力はずば抜けていたのである。

  数あるヒット曲の中で異例なのが、「ドック・オブ・ザ・ベイ」である。行き場のない虚無の心情を淡々と歌い上げていて、まるでこの後のオーティス自身のことを暗示しているように感じられてくる。聴く者の魂を内に秘めて揺さぶる名曲である。

   これからさらに活躍できる脂の乗り切った時に、飛行機事故で亡くなってしまうが、彼の死を誰もが惜しんだのは言うまでもない。

  短い生涯ではあるが、彗星のように輝いて燃焼したソウルシンガーであった。

 

ディスコ

「ザッツ・ザ・ウェイ」 KC&サンシャインバンド

   KC&サンシャインバンドは、70年代の後半に起こるディスコブームの火付け役となったバンドである。白人と黒人の混成で、ダンスミュージックには欠かせない乗りの良いビートと歯切れのよいホーンセクションを特徴としている。明るく爽快なイメージによりマイアミ・サウンドと呼ばれていた。

   数あるヒット曲の中でも「ザッツ・ザ・ウェイ」は、ファンク・チューンを強くアピールする代表的な曲である。当時、ディスコやラジオでよくリクエストされていて、メロディアスなリフレインは、ダンスに心地よく陶酔させてくれた。

 

ロック

「ジョニー・B・グッド」 チャック・ベリー

  チャック・ベリーが作って、自ら演奏し歌った曲である。曲自体は、3コードのみで出来ているロックンロールであるが、シンプルな故に感情がストレートに伝わってくる。ロックグループであれば、必ず1度は演奏する曲である。

   チャック・ベリーの出現は、後に出てくる有名なロックグループ達に大きな影響を与えた。ギターテクニックはもちろん、パフォーマンスまでも真似るアーティストがたくさんいたのである。ロック界で今尚、尊敬されている一人である。

 

ポップス

「恋のダウンタウン」 ペトゥラ・クラーク

  50年代から60年代にかけてのポップスは名曲が多い。その中でもペトゥラ・クラークが歌ったこの曲を選びたい。日本でもたくさんの人にカバーされ歌われているが、山下達郎、epoなどのアーティスト達にもオマージュされている。

 

MTV

「ウィ・アー・ザ・ワールド」 USA・FOR・AFRICA

  MTVは、音楽のジャンルではない。80年代から90年代にかけて、ロック・ポップス界の推進にかなりの影響力があった音楽専門チャンネルである。

   ラジオでは得られないビジュアルな面で聴視者に強くアピールしたのであり、その貢献度は大きい。私自身も、毎週のように観ていて特に思い入れがあるので、取り上げることにした。

   イギリスのボブ・ゲルドフが提案したバンド・エイドに触発されて、アメリカ合衆国でもアフリカの飢餓や困窮を救うことを目的にUSA・フォー・アフリカが結成される。

  ハリー・ベラフォンテが音頭をとり、クインシー・ジョーンズがプロデュースする。世界を代表するアーティスト45人が参加するが、ドキュメンタリーのメイキング・ビデオによってその様子が公開される。曲は、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作である。

   参加メンバーを見れば、そうとうたる顔ぶれである。アフリカの救済という大儀名分があっても、そこはパフォーマンスが優先してしまうアーティストばかりであり、レコーディング時にそれぞれが「我」を出さずによく協調できたものだと思う。クインシー・ジョーンズの手腕に拍手を送りたい。

 

レゲエ

「アイ・ショット・ザ・シェリフ」 ボブ・マーリー

   エリック・クラプトンがカバーして大ヒットするが、オリジナルであるボブ・マーリーの同曲も脚光を浴びる。そのことが、ジャマイカ音楽が世界的に注目されるきっかけとなった。

  レゲエが世界中に広まり、音楽のみならずラスタファリアンの思想、トレッドロックスヘアー、大麻の使用など、良くも悪くも若者たちに支持されることになる。

 

ラテン

「ラ・マラゲーニャ」 ロバート・ロドリゲス

「マラガの女を褒めちぎって求愛する」というラテンならではの情熱的な曲である。ロバート・ロドリゲス版がなかなか良い。映画「キル・ビル」のエンディングに使われていたが、キャストの紹介のシーンとこの曲がマッチしてとても印象的であった。

 

シャンソン

「愛の賛歌」 エディット・ピアフ

   ピアフ自身の作詞である。当時、不倫関係にあったプロボクサーに対する気持ちを詞にした。「私はもう貴方なしでは生きていけない。何があっても、この愛が終わることはない」という内容である。

   その矢先、愛する人が飛行機事故で亡くなってしまう。絶望の中で、哀しみを堪えてピアフは歌う。意地らしく懸命に歌うピアフの姿に、その気持ちを察した多く人が心打たれたのである。

  同曲は、ブレンダ・リーなどたくさんの歌手にカバーされているが、ピアフの歌声が一番胸に迫るものがある。

 

カンツォーネ

「砂に消えた涙」 ミーナ

  クレモナ生まれで、その情熱的な歌唱力と美貌によりにトップ歌手になる。ヒット曲に恵まれ、イタリアンポップス界のトップスターであった。

  代表曲の「月影のナポリ」はもちろん、本国ではさほど売れなかった「砂に消えた涙」も、日本ではかなりヒットした。彼女のヒット曲をカバーした日本の歌手も大変多い。

 

ジャズ

「ラヴ」 ナット・キング・コール

  スイング・ジャズ時代の末頃、ナット・キング・コールのトリオは大きな人気を得るが、そのスタイルを多くのジャズマンが取り入れるというトリオの先駆け的な存在となる。

  ナット・キング・コール自身も卓越したピアノテクニックと魅力あるボイスでテレビに出演して、より大衆的な歌手となる。「ジャズからポピュラーへ移った」との批判もあったが、彼の歌った曲の多くがスタンダードの定番と評された。

   1964年に歌った「ラヴ」が彼の最大のヒットとなる。その翌年、ヘビースモーカーであった彼は、肺ガンの為に46才の若さで死去する。

 

フュージョン

「ツァラトゥストラはこう語った」 デオダード

   1970年代の終わり、ジャズ、ロック、クラッシクを融合させた音楽が登場する。シンセサイザーを中心とした電気楽器によるコンテンポラリー・ジャズで、それをクロスオーバーと呼んだ。さらに、他のジャンルの音楽を取り込み、フュージョンと呼ばれるようになる。

  マイルス・ディビスが先駆けであり、ハービー・ハンコック、チック・コリアが続き、その後、ウェザー・リポート、デオダード、ボブ・ジェームスなどのグループが出てくる。

   リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」をアレンジしたこの曲は、オリジナルのようなインパクトはないが、身構えなくても聴けるという気軽さがある。聴いている内に、知らない間に曲の世界に引き込まれているのである。

 

インストル・メンタル

「春がいっぱい」 ザ・シャドウズ

   クリフ・リチャードのバックバンドとしてドリフターズという名のバンドが結成される。アメリカの本家からクレームがあって、ザ・シャドウズに改名する。その後、独立して主にインストル・メンタルの曲を演奏し、「アパッチ」などのヒット曲をだす。

   1967年に出された「春がいっぱい」もヒットして、日本のギタリストもカバーしている。曲のイメージは、タイトルどおり「春がいっぱい」である。

 

映画音楽

「禁じられた遊び」 ナルシソ・イエペス

   ルネ・クレマン監督のフランス映画「禁じられた遊び」に使われた曲である。映画製作の予算が足りなくなり、サウンドトラックがオーケストラではなく、ナルシソ・イエペスのギター演奏になったという逸話がある。そのことがかえって、反戦という映画のテーマにマッチして世界的に有名になった。

  原題は、スペイン民謡の「ロマンス」であり、物悲しい旋律はとても印象深い。私自身も、中学生のときにこの曲をよく練習したものである。

 

  以上が名曲中の名曲と思われる曲である。異論もあるだろうが、何度も言うように自分ならこの曲を選ぶという独断と偏見の名曲選なのでこの様になった。

 

様々な名曲

  上記以外の、私が好んで聴いていた曲や素晴らしいと思う曲の紹介をする。世界的に知られている名曲はもちろん、限られた人だけが知っているマニアックな曲もある。

  どちらかと言うと、こちらの方を知って欲しいと思っている。それは、同じようにそれらを好んで聴いていた人がいるのではないかという期待からである。

  もしそうであるなら、その人と私の感性は同じであると言える。さらに、そのことで私に親しみを持ってくれて、仲間意識さえ感じてくれるように思えるのである。これも各ジャンル別に挙げていくとしよう。

 

クラッシック

   クラッシックは、一般的に古典的音楽と呼ばれている。中世から始まる西洋の音楽を意味し、特に17世紀から以降の西洋においては、後世に影響を与える著名な音楽家がたくさん出現して卓越した作品が作られた。

  当時の優れた音楽家から生み出だされた作品の多くは、非常に完成度が高く、その作品から音楽家の非凡な才能を感じとることができる。

  現在でも演奏されているのは、そのような理由からなのであるが、300年以上も昔の曲が廃れずに今尚受け継がれているというのは、とても凄いことのように思われる。我々の生活に浸透している曲も結構多い。

 

「プレリュ-ド第1番」※     js バッハ

  この曲は、「バクダット・カフェ」という映画の中で使われていた。黒人の青年が、紙で作った鍵盤でピアノの練習をしていたのであるが、その曲が「プレリュ-ド」であった。その時に初めて、それがバッハの曲であることを知った。

 

   これ以外にも、音楽室の後ろの掲示板に画像が貼ってあるような有名な作曲家の代表的な曲を並べてみた。

「小フーガト短調」                         js バッハ

「トッカータとフーガニ短調」          js バッハ

「無伴奏チェロ組曲第1番」             js バッハ

「G線上のアリア」         js バッハ

「メヌエット・ト長調」                   クリスティアン・ペツォールト

「四季」                ヴィヴァルディ

「驚愕」                ハイドン

「調子の良い鍛冶屋」                      ヘンデル

「美しき青きドナウ」        ヨハン・シュトラウス

「トロイメライ」            シューマン

「運命」                ベートーベン

「悲愴」              ベートーベン

「田園」                ベートーベン

「月光」              ベートーベン

「エリーゼのために」        ベートーベン

 

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク           ※モーツアルト

 ベートーベンと並んで名曲が多いのは、モーツアルトである。「魔笛」「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」などの歌劇も有名であるが、よく耳にするのがセレナーデ第13番の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」である。子どもから大人まで知っている名曲であり、私が好きな曲のひとつである。

「トルコ行進曲」           モーツアルト

「交響楽第25番ト短調」               モーツアルト

「交響楽第40番1楽章」               モーツアルト

「ピアノ・ソナタ第15番1楽章ハ長調」     モーツアルト

「ラクリ・モサ」           モーツアルト

「ます」                                       シューベルト

「野ばら」                                    シューベルト

「魔王」                                       シューベルト

「軍隊行進曲」                              シューベルト

「未完成交響曲」                           シューベルト

「アヴェマリア」                           シューベルト

「魔弾の射手」             ウェーバー

「軽騎兵」                                    スッペ

「剣の舞」                                    ハチャトゥリアン

「金と銀」                                    レハール

「別れの曲」                                 ショパン

「ノクターン」                ショパン

「子犬のワルツ」                           ショパン

「軍隊ポロネーズ」                        ショパン

「ハンガリー狂詩曲」          リスト

「ラ・カンパネラ」                        リスト

「愛の夢」               リスト

「結婚行進曲」           メンデルスゾーン

「ヴァイオリン協奏曲第1楽章」     メンデルスゾーン

「ピアノコンチェルト1番」     チャイコフスキー

「白鳥の湖」                                 チャイコフスキー

「新世界交響曲」           ドボルザーク

「アルルの女」                              ビゼー

「ウイリアム・テル序曲」        ロッシーニ

「木星」                  ホルスト

「モルダウ」                                 スメタナ

「白鳥」                 サンサーンス

「ハンガリー舞曲第五番」               ブラームス

「ワルキュレーの騎行」                  ワグナー

「タンホイザー」                           ワグナー

「ペールギュント」                        グリーク

「月の光」                ドビュッシー

「ツィゴイネルワイゼン」               サラサーテ

「革命」             ショスタコビッチ

「ツァラトゥストラはこう語った」   リヒャルト・シュトラウス

「アイーダ」             ヴェルディ

「椿姫」               ヴェルディ

「カルメン」           ビゼー

「威風堂々」             エルガー

「波濤を越えて」           ローサス

「モンタギュー家とキャピュレット家」             プロコフィエフ

「乙女の祈り」            バダジェフスカ

「ジムノペティ」             サティ

「アダージェット」          マーラー

 

 これらの有名な曲は、演奏会はもちろん様々なメディアで流されていて、クラッシックファンでなくても耳にすることが多い。

   庶民派の私としては、「クラッシックは、上流階級の音楽である」という思いもあって、積極的に聴くことはほとんどないが、耳にすると心に響くような名曲がたくさんある。中には、オルゴールの定番になっている曲もある。

  再度断っておくが、上記に挙げなかった曲や音楽家は、ただ単に私が知らないか思い出せなかっただけであって、名曲や名音楽家であることを否定している訳ではない。あくまでも私的な曲選であるので悪しからず。

 

行進曲

「旧友」             タイケ

「軍艦行進曲」※           瀬戸口藤吉

 

   世界三大行進曲というのは、第二次世界大戦において米、独、日が使用した行進曲の中で、それぞれがベストと思われる曲を選んで決められたようである。

  日本の「軍艦行進曲」もそのような経緯があって選ばれた。世界的に知られているのかどうかは疑問であるが、とにかく調子の良い曲で聞くと元気がでた。かなり昔に、パチンコ店でよく聞いたものである。

  他に日本の行進曲では、古関裕而の「東京オリンピックマーチ」「スポーツショー行進曲」が印象に残っている。

 

「双頭の鷲の旗の下に」               ワグナー

「ワシントン・ポスト」               スーザ

「士官候補生」                           スーザ

「美中の美」            スーザ

「国民の象徴」           バグレー

「ボギー大佐」          *アルフォード

「クシコス・ポスト」         *ネッケ       

「トランペット吹きの休日」      *アンダーソン 

「天国と地獄」            *オッフェンバッハ     

「見よ、勇者は帰りぬ」        *ヘンデル     

 

   *の5曲は、日本の運動会でよく聞いた曲である。並足曲であったり、駆け足曲であったり、スローの曲であったりとそれぞれテンポは異なるが、一昔前までは、定番であった。

   映画「戦場に架ける橋」のテーマ曲である「クワイ河マーチ」は、「ボギー大佐」を原曲としている。音楽の教科書にも、合奏曲として記載されていた。

   オッフェンバッハの「天国と地獄」は、「地獄のオルフェ」というオペレッタの序曲の一部である。1858年のパリで初演された。今では、フレンチカンカンのBGMとして有名である。

   運動会の閉会式において、受賞時に流れる「見よ、勇者は帰りぬ」はヘンデルの曲であるが、そのことはあまり知られてないようである。

 

童謡・唱歌

「オールド・マクドナルド・ハダ・ファーム」※    アメリカ合衆国

  日本では「ゆかいな牧場」で知られていて、小学校の低学年で童謡として習う。本来は、アメリカ合衆国の民謡である。

  内容は、農場で飼われている牛や豚などがあちこちで啼いている様子を表すだけのものであるが、単純なメロディの繰り返しなので覚えやすいのと、かけ声のところを歌うと元気が出るので人気がある。

 

「メリーさんの羊」         イギリス

「ロンドン橋」           イギリス

「思い出」             イギリス

「森のくまさん」            アメリカ合衆国

「大きな栗の木の下で」         アメリカ合衆国

「大きな古時計」            アメリカ合衆国

「アルプス一万尺」           アメリカ合衆国

「線路は続くよどこまでも」               アメリカ合衆国

「冬の星座」            アメリカ合衆国

 

「ドナドナ」※                アメリカ合衆国

   短調のメロディと物悲しい歌詞が好きで、若い時によく歌った。ベラルーシ生まれのユダヤ系アメリカ人とウクライナ生まれのユダヤ系アメリカ人によって作られた曲であり、イディッシュの歌と呼ばれる。

   他の童謡と同様に、純粋なアメリカ童謡とは言い難いが、アメリカ人が作ったのであるからアメリカ産とした。

 

「クラリネットこわしちゃった」    フランス

「おお、牧場はみどり」          チェコ・スロバキア(当時)

「森の水車」               日本

 

「むすんでひらいて」※        フランス

   日本で普及した「むすんでひらいて」の原曲は、フランス人のジャン=ジャック・ルソーが作曲した。

   最初にオペラのパントマイム劇として用いられたが、後にラブソングになる。さらに「ルソーの夢」という変奏曲になり、イギリス、フランス、ドイツでも人気がでた。

   イギリスでは「グリーンヴィル」という賛美歌になり、アメリカでは、「ゴー・テル・アント・ローディ」という民謡になる。

  日本では、賛美歌として伝わり、「見渡せば」という題で唱歌になるが広まらず、軍歌調の歌詞に変えた「戦闘歌」が普及する。同じメロディで韓国では「植松」という唱歌、中国では「尚武之精神」という軍歌が作られている。

  唱歌の「むすんでひらいて」は、戦後の1947年に小学校の音楽の教科書に初めて登場する。以来、今日まで童謡、唱歌として定着するが、今日では保育園や幼稚園で手遊び歌として歌われることが多い。

 

「ちょうちょう」※           ドイツ

  日本で「ちょうちょう」として普及した童謡は、ドイツから合衆国に渡り、合衆国から日本に持ち帰ったと言われている。そのメロディに訳詞を付けたところ、その覚えやすさから国内に広まったのである。

  このように日本の童謡・唱歌には、日本語の訳詞を付けられた外国の曲が意外に多い。それにしても、「森のくまさん」と「大きな栗の木の下で」が日本の曲でないのには驚いた。てっきり、日本のオリジナル曲だと思っていたからである。違和感のない訳詞に、改めて感心してしまう。

 

賛美歌

「アヴェ・マリア」                             シューベルト

「アヴェ・マリア」          グノー 

 

「もろびとこぞりて」※        ローウェル・メーソン

  原詞は、「joy to the world, the load is come!」(喜びなさい。神は再び来ました。)である。クリスマス・ソングの定番となった最もポピュラーな曲といえる。

  子どもの頃に教会へ行っていた時期があって、そこで「もろびとこぞりて」という日本語版を教えてもらった。文語調なので歌詞の意味は全くわからなかったが、メロディに親しみを感じたので声高らかに歌ったのを覚えている。

 

民謡

「リバブリック讃歌」※         アメリカ合衆国

   日本では、「おたまじゃくしはかえるの子」「ごんべさんの赤ちゃん」「友だち讃歌」と題名と歌詞を変えて歌われている。

  合衆国の南北戦争の頃に歌われた曲である。北軍の軍歌として普及した。元は、ウイリアム・ステッフという人によって作られた黒人霊歌であったが、奴隷制の反対活動をして処刑されたジョン・ブラウンを讃える詞に置き換わり、さらにジュリア・ウォード・ハウによって北軍兵士を讃える歌詞に改められた。

    南北戦争では、たくさんの戦死者が出たが、その戦争により奴隷解放に向かうことになる。その一端を担った歌であったと言える。

 

「雪山賛歌」                アメリカ合衆国

「旅愁」                  アメリカ合衆国

「峠の我が家」               アメリカ合衆国

「赤い河の谷間」              アメリカ合衆国

「駅馬車」                 アメリカ合衆国

「オクラハマ・ミキサー」          アメリカ合衆国

 

「おお!スザンナ!」※           アメリカ合衆国

  その昔、アメリカではミンストレルショーというのが流行った。そこでは、顔を黒く塗った白人が黒人に化けて、踊りや寸劇、演奏がされた。そのショーの中で使われた音楽をミンストレル歌曲といった。

   フォスターは、そのような歌曲をたくさん作った。有名なところでは、「ケンタッキーの我が家」「スワニー河」(故郷の人々)「静かに眠れ」「オールド・ブラック・ジョー」「草競馬」「金髪のジェニー」などである。

  このことから、フォスターの曲は民謡ではなく歌曲と言うべきなのであるが、どの曲にも「古きアメリカの懐かしい故郷の香り」を感じてしまうので、比較的新しい民謡として扱っても許されるのではないだろうか。

   ヘンリー・クレイ・ワークが作った「大きな古時計」にも同じことが言える。本来は童謡であるが、今では子どもから大人までが歌っている。流行廃りではなく、歌い継がれていく民謡になりつつあると言える。

   こちらも、日本の音楽の教科書に記載されていて、馴染みがある。日本のポップス界でも取り上げられて、ヒットしている。

 

「アロハ・オエ」                                  アメリカ合衆国(ハワイ)

「グリーン・スリーブス」                      イングランド

「埴生の宿」              イングランド

「スカボローフェア」          イングランド

 

「故郷の空」※                スコットランド

  日本では、明治時代に唱歌として登場するが、原曲の「故郷を思う気持ち」とは異なる歌詞が付けられた。元はスコットランド民謡で、「ライ麦畑で出逢うとき」とう題名である。

   その後、原曲に近い歌詞が付けられ「誰かが誰かと」という題名になる。昭和になって「誰かさんと誰かさん」になり、流行する。

 

「おお牧場は緑」               チェコスロバキア

「森へ行きましょう」             ポーランド

「ダニー・ボーイ」            アイルランド

「ローレライ」              ドイツ

「オー・ソレ・ミオ」                            イタリア

「サンタ・ルチア」             イタリア

 

「フニクリ・フニクラ」※           イタリア

   イタリアの「フニクリ・フニクラ」は、昔からある民謡ではなく、登山鉄道会社のコマーシャル用の比較的新しい曲で、後に幻想曲に取り入れられて有名になった。日本では「鬼のパンツ」という替え歌になって知られている。

 

「アヴィニョンの橋の上で」            フランス

「マルセリーノの歌」             スペイン

「ポーリシュカ・ポーレ」         ロシア

「コロブチカ」              ロシア

 

「カチューシャ」※            ロシア

「トロイカ」※                ロシア

   ロシア民謡と言われている「カチューシャ」や「トロイカ」も、そんなに古い曲ではない。だから、民謡と言うよりロシア歌曲と言った方が適切なのかも知れない。それでも、それらの曲を聴くとロシアを連想させるのであり、ロシアを代表する曲と言える。

 

フォーク

「500マイルも離れて」※        ヘディ・ウエスト

  所謂、昔から歌い継がれている民謡を元に作ったトラディショナル・フォークと呼ばれるものである。カレッジ・フォークと言われる場合もある。

  合衆国の大恐慌時代、仕事を求めて故郷を離れる人々がたくさんいた。汽車に乗り込んで恋人や家族と離ればなれになり、戻ってこれないという哀しみやこれからどうなるのかという不安を歌ったのがこの曲である。

  ヘディ・ウエストが最初に取り上げたが、その後、たくさんの人にカバーされた。中でも、ピーター・ポール&マリーが有名である。

   フォークとは、元来、民謡を意味している。1940年代に民謡をアレンジした曲を歌うグループがたくさん登場し、そのグループたちの曲がヒットする。以後、それらをフォーク・ソングと呼ぶようになる。アコースティック主体で、反戦をテーマにした曲が多い。

   その後、ボブ・ディランやニール・ヤングなどが電気楽器を取り入れ、フォーク・ロックというジャンルも生まれる。

 

「わが祖国」               ウディ・ガスリー

「トム・ドゥーリー」         キングストン・トリオ

「花はどこへ行った」           キングストン・トリオ

「グリーン・フィールズ」                     ブラザーズ・フォア

「七つの水仙」                ブラザーズ・フォア

「グリーン・グリーン」          ニュー・クリスティ・ミンストレルズ

「悲惨な戦争」                ピーター・ポール&マリー

「虹と共に消えた恋」           ピーター・ポール&マリー

「パフ」                 ピーター・ポール&マリー

「スカボロ・フェアー」          サイモン&ガーファンクル

「サウンド・オブ・サイレンス」            サイモン&ガーファンクル

「明日に架ける橋」                              サイモン&ガーファンクル

「青春の影と光」                                ジョニ・ミッチェル

「サークル・ゲーム」           ジョニ・ミッチェル

 

カントリー&ウエスタン

「ローハイド」※             フランキー・レイン

   テレビ映画「ローハイド」は、1870年代のアメリカ西部の牛を運ぶカウボーイたちの話である。日本の茶の間でも人気があった。世界的にまだ無名であったクリント・イーストウッドが出演している。ちなみにタイトルのローは「生の」であり、ハイドは、「皮」を意味する。つまり、「ローハイド」は牛を扱うためのムチを指す。

  その主題歌は、カウボーイたちの苦労を歌っていて、まさにカントリー&ウエスタンそのものである。映画「ブルース・ブラザーズ」でも使われ、リバイバルヒットした。

 

「コットン・フィールド」※       クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

  殺人事件や未遂事件を起こして服役を繰り返したレッド・ベリーの作品である。元々はフォークの曲であるが、クリーデンスはフォーク・ロック風にアレンジしてアルバムに入れた。

   この曲の他、レッド・ベリーが服役中に作ったといわれる「ミッドナイト・スペシャル」もクリーデンスがカバーしている。

 

「ハロー・メリー・ルー」         リッキー・ネルソン

「ゴースト・ライダー」          スタン・ジョーンズ

「北風」                   テキサス・ビル・ストレングス

 

ブルーグラス

「バラード・オブ・ジェド・クランペット」※    フラット&スクラッグス

  ブルーグラスは、ビル・モンローと彼が率いるブルーグラス・ボーイズによって普及したと言っても過言でない。先駆者として彼の貢献度は高く、多くのファンからブルーグラスの父として尊敬されているのである。

   ブルーグラス・ボーイズには、レスター・フラットとアール・スクラッグスも在籍していた。後に2人は、このバンドを離れて「ホギー・マウンテン・ブレーク・ダウン」を世に出す。

  この「バラード・オブ・ジェド・クランペット」も、フラット&スクラッグスのコンビによるものである。コメディのテレビ映画に使われて、日本でも「じゃじゃ馬億万長者」のテーマ曲としてヒットした。

 

ゴスペル

「誰も私の苦しみを知らない」※     作者不詳

   黒人が奴隷として虐げられていた時代のゴスペルソングである。

「どうにもならない私の苦悩を誰も知らない。神様だけが知っているのでしょう。いつか、神様によってこの苦難から救われる日が来るのを信じたい」

切実な願い、逃れられない現実、信仰心だけが支えなのである。

 

「オー・ハッピー・ディ」           エドウィン・シンガーズ

 

ブルース

「スィート・ホーム・シカゴ」※      マジック・サム

  元はロバート・ジョンソンの曲であるが、マジック・サムのカバーによって広く知られるようになった。特にイントロの部分は有名で、他のアーティストたちもよく取り入れている。

   爆発的にヒットした映画「ブルース・ブラザーズ」においてもこの曲が使われていて、主役がステージで「次はマジック・サムの曲を演奏する」と観衆に言うシーンがある。ブルース・ブラザーズはもちろん、エリック・クラプトン&バディ・ガイなどの多くのブルースマンにカバーされている。

 

「アイ・ジャスト・ワンツ・リトル・ビット」          マジック・サム

「ザ・スリル・イズ・ゴーン」        B・B・キング

「サムバディ・ローン・ミー・ア・ダイム」          フェントン・ロビンソン

「ブーム・ブーム・アウト・ゴーズ・ザ・ライツ」             リトル・ウォルター

「アイル・プレイ・ザ・ブルース・フォー・ユー」                アルバート・キング

「フーチー・クーチー・マン」        マディ・ウォーター

 

ソウル

「スダンド・バイ・ミー」※        ベン・E・キング

 この曲が大ヒットしたのは言うまでもないが、後にジョン・レノンがカバーして話題になった。1980年には同名のタイトルの映画にも使われた。

 

「イカした彼」              シフォンズ

「ラストダンスは私に」          ザ・ドリフターズ

「渚のボードウォーク」                          ザ・ドリフターズ

「オンリー・ユー」                                ザ・プラターズ

「煙が目にしみる」                                ザ・プラターズ

「我が心のジョージア」           レイ・チャールズ

「ホワッド・アイ・セイ」          レイ・チャールズ

「アンチェイン・マイ・ハート」       レイ・チャールズ

「ダンス天国」               ウィルソン・ピケット

「サニー」                                            ボビー・ヘブ

「ベイビー・イッツ・ユー」        シレルズ

「男が女を愛する時」             パーシー・スレッジ

「ジェニ・ジェニ」             リトル・リチャード

「のっぽのサリー」             リトル・リチャード

「ホールド・オン」             サム&デイブ

「ソー・マッチ・イン・ラブ」        ザ・タイムズ

「夜汽車よ!ジョージアへ」             グラディス・ナイト&ピップス

「ソウルトレインのテーマ」         MFSB&スリーディグリーズ

「パパ・ワズ・ザ・ローリングストーン」             テンプテーションズ

「マイ・ガール」              テンプテーションズ

「ゲット・レディ」             テンプテーションズ

「リーチ・アウト」             フォー・トップス

「ララは愛の言葉」             デルフォニックス

「ホワッツ・ゴーイン・オン」        マーヴイン・ゲイ

「涙のクラウン」              スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ

「ロック・ユア・ベイビー」         ジョージ・マックレー

「リング・マイ・ベル」           アニタ・ワード

「ディスコ・レディ」              ジョニー・テイラー

「荒野のならず者」             ザ・スリー・ディグリーズ

「天使のささやき」             ザ・スリー・ディグリーズ

「輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン」               フィフス・ディメンション 

「ビートでジャンプ」           フィフス・ディメンション

「星空のふたり」             マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニア

「グルーヴィン」              ザ・ヤング・ラスカルズ

「永遠の人に捧げる歌」             コモドアーズ

「イージー」                 ライオネル・リッチー

「愛がすべて」              スタイリスティックス

「迷信」                 スティービー・ワンダー

「ユア・ザ・サンシャイン」        スティービー・ワンダー

「リビイング・イン・アメリカ」      ジェームズ・ブラウン

「シンク」                アレサ・フランクリン

「プラウド・メアリー」          アイク&ティナ・ターナー

「この恋どうしよう」           イブリン・シャンペン・キング

 

ディスコ

「ダンス・トウ・ザ・ミュージック」※   スライ&ファミリーストーン

「アイ・ウォント・トウ・テイク・ユー・ハイヤー」※ スライ&ファミリーストーン

  ファンク・ロックの先駆けとなるグループである。聴衆と一体になったウッドストックでの演奏が、とても印象深い。躍動的なリズムによって、魔法のように自然と体が動いてくるのである。

 

「アイ・キャント・ハヴ・ユー」           イヴォンヌ・エリマン

「ステイン・アライヴ」          ビージーズ

「恋のナイト・フィーバー」        ビージーズ

「愛はきらめきの中に」        ビージーズ

「ブギー・ワンダーランド」      アース・ウインド&ファイアー

「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」       エモーションズ

 

今までに観た主な洋画

「モロッコ」                              1930年 パラマウント      ジョセフ・F・スタンバーグ

「西部戦線異状なし」                  1930年 ユニバーサル      ルイス・マイルストン

「キング・コング」                     1933年 RKO      メリアン・C・クーパー

「或る夜の出来事」                     1934年 コロンビア       フランク・キャプラ

「風と共に去りぬ」                     1939年 MGM      ビクター・フレミング 

「怒りの葡萄」             1940年 20C・Fox        ジョン・フォード

「市民ケーン」           1941年 ATG           オーソン・ウェルズ

「サカブランカ」          1943年 ワーナー         マイケル・カーチス

「誰がために鐘は鳴る」       1943年 パラマウント         サム・ウッド

「天井桟敷の人々」       1944年 東和           マルセル・カルネ

「自転車泥棒」                           1948年 松竹               ビットリオ・デ・シーカ

「第三の男」                              1949年 東和               キャロル・リード

「サンセット大通り」                  1950年 パラマウント       ビリー・ワイルダー

「イヴの総て」                           1950年 20C・Fox         ジョセフ・L・マンキーウィッツ

「欲望という名の電車」        1951年 ワーナー         エリア・カザン

「巴里のアメリカ人」       1951年 MGM              ヴィンセント・ミネリ

「禁じられた遊び」          1952年 東和           ルネ・クレマン

「ライムライト」           1952年 ユナイト         チャールズ・チャップリン

「シェーン」             1953年 パラマウント        ジョージ・スティーブンス

「ローマの休日」               1953年 パラマウント      ウィリアム・ワイラー

「地上より永遠に」          1953年 コロンビア           フレッド・ジンネマン

「道」              1954年 NCC      フェデリコ・フェリーニ

「スタア誕生」              1955年 ワーナー         ジョージ・キューカー

「理由なき反抗」           1955年 ワーナー           ニコラス・レイ

「居酒屋」              1956年 東和       ルネ・クレマン

「鉄道員」              1956年 NCC         ピエトロ・ジェルミ

「十戒」               1957年 パラマウント         セシル・B・デミル

「OK牧場の決斗」        1957年 パラマウント         ジョン・スタージェス

「悲しみよこんにちは」      1957年 コロンビア            オットー・プレミンジャー

「吸血鬼ドラキュラ」                   1958年 東和       テレンス・フィッシャー

「ベン・ハー」              1959年 MGM              ウィリアム・ワイラー

「大人は判ってくれない」     1959年 東和         フランソワ・トリフォー

「処女の泉」           1960年 昭映           イングマール・ベルイマン

「サイコ」            1960年 パラマウント          アルフレッド・ヒッチコック

「太陽がいっぱい」        1960年 新外映        ルネ・クレマン

「ウエスト・サイド物語」     1961年 ユナイト         ロバート・ワイズ

「ロリータ」           1962年 MGM             スタンリー・キューブリック

「アラビアのロレンス」      1962年 コロンビア          デビット・リーン

「007/ドクター・ノオ」    1962年 ユナイト         テレンス・ヤング

「大脱走」            1962年 ユナイト           ジョン・スタージェス

「何がジェーンに起こったか?」  1962年 ワーナー         ロバート・アルドリッチ

「101匹わんちゃん大行進」   1962年 ブエナビスタ       ウォルフガング・ライザーマン

「シェルブールの雨傘」      1964年 東和               ジャック・ドミー

「マイ・フェア・レディ」     1964年 ワーナー         ジョージ・キューカー

「サウンド・オブ・ミュージック」 1965年 20C・Fox    ロバート・ワイズ

「シンシナティ・キッド」     1965年 MGM       ノーマン・ジェイソン

「夕陽のガンマン」                      1965年 スユナイト        セルジオ・レオーネ

「男と女」                                  1966年 ユナイト         クロード・ルルーシュ

「ワイルド・エンジェル」      1966年 AIP        ロジャー・コーマン

「俺たちに明日はない」       1967年 ワーナー         アーサー・ペン

「欲望」              1967年 MGM      ミケランジェロ・アントニオーニ

「世にも怪奇な物語」          1967年 ヘラルド        ヴァディム,マル,フェリーニ

「夜の大走査線」          1967年 ユナイテッド A        ノーマン・ジェイソン

「2001年宇宙の旅」       1968年 MGM       スタンリー・キューブリック

「猿の惑星」            1968年 20C・Fox      フランクリン・J・シャフナー

「ブリット」              1968年 ワーナー          ピーター・イエーツ

「ワイルド・バンチ」                    1969年 ワーナー          サム・ペキンパー

「明日に向かって撃て」                 1969年 20C・Fox      ジョージ・ロイ・ヒル

「真夜中のカーボーイ」         1969年 ユナイト               ジョン・シュレンジャー

「if」                1969年  パラマウント          リンゼイ・アンダーソン

「ローズマリーの赤ちゃん」         1969年 パラマウント       ロマン・ポランスキー

「イージーライダー」                    1970年 コロンビア          デニス・ホッパー

「ウッド・ストック」                    1970年 ワーナー         マイケル・ウォドリー

「パットン戦車軍団」          1970年  20C・Fox         F・J・シャフナー

「M★A★S★H」              1970年 20C・Fox      ロバート・アルトマン

「ひまわり」              1970年 ブエナビスタ        ビットリオ・デ・シーカ

「ベニスに死す」            1971年 ワーナー            ルキノ・ヴィスコンティ

「ダーティハリー」                       1971年 ワーナー          ドン・シーゲル

「フレンチ・コネクション」       1971年 20C・Fox      ウイリアム・フリードキン

「時計じかけのオレンジ」              1971年 ワーナー               スタンリー・キューブリック

「バニシング・ポイント」              1971年 20C・Fox      リチャード・C・サラフィアン

「ジョニーは戦場に行った」     1971年 東宝         ドルトン・トランボ

「ラストショー」                      1971年 コロンビア        ピーター・ボグダノヴィッチ

「ゴッドファーザー」            1972年 パラマウント          フランシス・F ・コッポラ

「キャバレー」               1972年 20C・Fox     ボブ・フォッシー

「燃えよドラゴン」             1973年 ワーナー               ロバート・クローズ

「エクソシスト」            1973年 ワーナー               ウィリアム・フリードキン

「アメリカン・グラフティ」         1973年 CIC                ジョージ・ルーカス

「ディア・ハンター」          1973年 ユナイト             マイケル・チミノ

「追憶」              1973年 コロンビア        シドニー・ポラック

「シーザス・クライスト・スーパースター」        1973年 ユニバーサル      ノーマン・ジェイソン

「ゴッドファーザー2」       1974年 パラマウント          フランシス・F・コッポラ

「ファントム・オブ・パラダイス」  1974年 20C・Fox     ブライアン・デ・パルマ

「悪魔のいけにえ」         1974年 ヘラルド        トビー・フーパー

「アリスの恋」           1974年 ワーナー         マーティン・スコセッシ

「チャイナタウン」         1975年 パラマウント       ロマン・ポランスキー  

「ジョーズ」            1975年 CIC        スティーブン・スピルバーク

「トミー」               1975年 東和           ケン・ラッセル

「ナッシュビル」              1975年 パラマウント           ロバート・アルトマン

「ロッキー・ホラーショー」         1975年 20C・Fox      ジム・シャーマン

「タクシー・ドライバー」        1976年 コロンビア            マーティン・スコセッシ

「ロッキー」            1976年 ユナイト               ジョン・G・アヴィルドゼン

「オーメン」            1976年 20C・Fox      リチャード・ドナー

「未知との遭遇」              1977年 コロンビア         スティーブン・スピルバーク

「サタデー・ナイト・フィーバー」  1977年 パラマウント           ジョン・バダム

「スター・ウォーズ」          1977年 20C・Fox        ジョージ・ルーカス

「ビッグ・ウェンズデイ」      1978年 ワーナー            ジョン・ミリアス

「地獄の黙示録」              1979年 ヘラルド            フランシス・F ・コッポラ

「ヘアー」             1979年 ユナイト          ミロス・フォアマン

「エイリアン」           1979年 20C・Fox      リドリー・スコット

「ブリキの太鼓」                          1979年 フランス MOVIE     フォルカー・シュレンドルフ

「シャイニング」            1980年 ワーナー                スタンリー・キューブリック

「13日の金曜日」           1980年 ワーナー                ショーン・Sカニンガム

「ブルース・ブラザース」              1981年 ユニバーサル         ジョン・ランディス

「ブレード・ランナー」                 1982年 ワーナー                リドリー・スコット

「ポルター・ガイスト」       1982年 MGM           トビー・フーパー

「遊星からの物体 X」            1982年 ユニバーサル          ジョン・カーペンター

「ガープの世界」                          1982年 ワーナー          ジョージ・ロイ・ヒル

「アマデウス」                             1984年 松竹                ミロス・フォアマン

「ターミネーター」             1984年 ワーナー                ジェームズ・キャメロン

「ビバリーヒルズ・コップ」         1984年 パラマウント          マーティン・ブレスト

「コーラス・ライン」        1985年 松竹                 リチャード・アッテンボロー

「クロコダイル・ダンディ」     1986年  20C・Fox         ピーター・フェイマン

「エルム街の悪夢」           1986年  ヘラルド           ウェス・クレイブン

「バクダット・カフェ」         1987年 KUZUI             パーシー・アドロン

「ラスト・エンペラー」       1987年 松竹                  ベルナルド・ベルトルッチ

「プレデター」             1987年 20C・Fox          ジョン・マクティアナン

「プラトーン」             1987年 ワーナー            オリバー・ストーン

「バットマン」               1987年 ワーナー            ティム・バートン

「エンゼル・ハート」            1987年 東和                  アラン・パーカー

「ビートル・ジュース」           1988年 ワーナー            ティム・バートン

「フィールド・オブ・ドリーム」     1989年 ユニバーサル         フィル・アルデン・ロビンソン

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」1989年 UPI             ロバート・ゼメキス

「羊たちの沈黙」                          1991年 ワーナー            ジョナサン・デミ

「ザ・プレイヤー」             1992年 大映             ロバート・アルトマン

「氷の微笑」              1992年 ヘラルド                 ポール・バーホーベン

「レザボア・ドッグス」                 1992年 ミラマックス            クエンティン・タランティーノ

「トゥルーロマンス」                    1993年 ワーナー             トニー・スコット

「ホット・ショット2」       1993年 20C・Fox           ジム・エイブラハムズ

「パルプ・フィクション」        1994年 ミラマックス               クエンティン・タランティーノ

「マスク」             1994年 ギャガ           チャールズ・ラッセル

「セブン」             1995年 ニュー・ライン・C           デヴィッド・フィンチャー

「フォレスト・ガンプ」                 1995年 UIP            ロバート・ゼメキス

「ブギー・ナイツ」                       1997年 ギャガ                ポール・トーマス・アンダーソン

「メン・イン・ブラック」      1997年 コロンビア            バリー・ソネンフェルド

「17歳のカルテ」           1999年 ソニー P                 ジェームズ・マンゴールド

「マトリックス」                          1999年 ワーナー             ラナ・ウォシャウスキー

「シックス・センス」                    1999年 東和             M・ナイト・シャマラン

「ヴィドック」                             2001年 アスミック A              ピトフ

「ゴースト・ワールド」           2001年 ユナイテッド A           テリー・ツワイゴフ

「ボーリング・フォー・コロンバイン」           2003年 ギャガ            マイケル・ムーア

「キル・ビル」           2003年 ミラマックス               クエンティン・タランティーノ

「キル・ビル2」            2004年 ミラマックス               クエンティン・タランティーノ

「シン・シティ」          2005年 ミラマックス           ロバート・ロドリゲス

「ダ・ビンチ・コード」                 2006年 ソニー P           ロン・ハワード

「ヘアー・スプレー」                    2007年 ギャガ           アダム・シャンクマン

「ウォッチメン」          2009年 ワーナー             ザック・スナイダー

「チェンジリング」                       2009年 東和                  クリント・イーストウッド

「キック・アス」          2010年 ミラマックス               マシュー・ヴォーン

「ラブリーボーン」         2010年 パラマウント          ピーター・ジャクソン

「ブラック・スワン」        2010年 20C・Fox           ダーレン・アロノフスキー

「ドラゴン・タトゥーの女」           2011年 MGM          デヴィッド・フィンチャー

 

洋画のベスト10

下記の映画は、特に思い入れが深い作品である。

「2001年宇宙の旅」         スタンリー・キューブリック

「イージーライダー」          デニス・ホッパー

「ウッドストック」         マイケル・ウォドリー

「燃えよドラゴン」         ロバート・クローズ

「エクソシスト」          ウィリアム・フリードキン

「タクシー・ドライバー」      マーティン・スコセッシ

「悪魔のいけにえ」         トビー・フーパー

「地獄の黙示録」            フランシス・F・コッポラ 

「ブルース・ブラザース」      ジョン・ランディス

「パルプ・フィクション」      クエンティン・タランティーノ

 

   私が生まれて間もない頃の作品の中には、「十戒」や「ベン・ハー」のような莫大な費用と時間をかけた大作と呼ばれるものがたくさんあった。

   後に、その吹き替え版をテレビで観ることになるが、私自身がまだ幼いこともあって、内容を理解するには至らなかった。また、映画館で観るような臨場感はテレビでは味わえないので、面白さが半減することもあった。

  映画館で観るようになるのは、高校生の頃からである。その時のシネマスコープとサラウンド呼ばれる大画面と大音響には驚かされた。臨場感が半端ではないのである。映画はやはり、映画館で大勢の観客に混じって観るのがベストであるに違いない。

   黎明期から今までに作られた映画は、相当な数になる。恋愛、戦争、サスペンス、ホラー、ミュージカルなどジャンルは様々であるが、良い作品というのは、共通する部分があるように思う。

   それは、観ている自分がその映像に同化するということである。時間が経つのを忘れて、終わった時に観て良かったと思わせる作品である。途中であくびが出るような作品は、論外なのである。

   インパクトが強烈な映画。ハラハラドキドキの映画。余韻が残る映画。どのような映画であっても、もう一度観たいと思う作品は、名作であるに違いない。

  しかし、最近は、昔のフランス映画やイタリア映画の名作を観なくなってきた。「天井桟敷の人々」「自転車泥棒」「道」などは、映画史上に残る名作ではあるが、観れば気持ちが滅入ってしまうので、どうしても避けてしまうのである。

  本来なら、ベスト10内に入れるべきではあるが、気楽なものを優先させたために、アメリカ映画に偏ってしまった。ファンの方には、お許しを願う。

  選んだ映画については、誰もが認める作品であるが、私自身にかなりの影響を与えたものが多い。

「2001年宇宙の旅」は、宇宙の謎、生命の起源、文明の進化をテーマにした完成度の高い作品である。答えは謎のままであり、観た者のそれぞれの解釈に任せるという傑作である。

   ストーリーの展開はもちろんであるが、映像の素晴らしさは、他に追従を許さない。「人類は、これからどこに行くのか」という問題提起をしてくれた最初の映画になる。

「イージーライダー」「ウッドストック」「ブルース・ブラザース」の3つは、洋楽に関してより興味を持たせた。また、「自由とは何か」を考えさせるきっかけになった映画でもある。

「燃えよドラゴン」は、当時格闘技を習っていたこともあり、公開になるとすぐに観に行った。主演のブルース・リーのスピードと技は、予告編で期待した以上に驚愕的であった。いっしょに観ていた友だちなどは、思わず感嘆の声を出したものである。

   リアル感が溢れていて、その後に作られたオーバーアクションの嘘臭いカンフー映画とは全く異なっていた。それは、彼がジークンドーという武術の達人であって、技が演技ではなく本物だったからである。

   特にヌンチャクのシーンは鮮烈で、欲しくなってわざわざ武道具店に行って購入したくらいに憧れたものである。

  他の5つの作品も、信仰、欺瞞、殺戮、反戦、暴力というそれぞれのテーマに沿ってしっかりと表現されていて、「珠玉」と呼ぶに相応しい作品ばかりである。

 

B級映画

  B級映画とは、元来、短期間に低予算で作られたアメリカ映画のことを指す。邦画にも、添え物映画、B面映画と呼ばれた同じ様な作品があり、少しばかりマイナーな世界になる。

   ジャンル別にすると、文芸物というより、ホラー、カルト、スプラッター、エログロのような際物扱いされる作品が多い。中には目も覆いたくなるようなゲテモノ趣味もあって、観なければ良かったと思わせるものもある。

   洋画であれ、邦画であれ、取るに足らないものが多いが、たまにマニアにとっては掘り出し物になる作品もある。

   ここでは、B級扱いされがちな映画であっても、何かしら印象に残る作品を取り上げたい。

 

邦画

「憲兵とバラバラ死美人」    1957年 新東宝   大蔵貢

「花嫁吸血鬼」             1960年 新東宝   並木鏡太郎

「黒い雪」             1965年 日活    武智鉄二

「胎児が密猟する時」                 1966年 若松 P      若松孝二

「犯された白衣」                       1967年 若松 P      若松孝二

「初恋・地獄篇」         1968年 ATG     羽仁進

「書を捨てよ町へ出よう」           1971年  ATG      寺山修司

「無常」             1971年 ATG     実相寺昭雄

「曼荼羅」            1971年 ATG         実相寺昭雄

「田園に死す」          1974年 ATG       寺山修司

「未亡人下宿/初濡らし」           1980年 日活     山本晋也

「アギ・鬼神の怒り」       1984年 ホッチポッチ     早川光

「ゆきゆきて、神軍」       1987年 疾走 P       原一男

「追悼のざわめき」        1988年 欲望 P      松井良彦

「鉄男」             1989年 海獣 C    塚本晋也

「魂のアソコ」                          2003年 ジーコ T      ジーコ内山

「タナカヒロシのすべて」     2005年 ファントム F     田中誠

 

  新東宝の映画は、不気味な作品が多かった。特に「憲兵とバラバラ死美人」は、サスペンス物でありながら、ホラーの要素もあって脳裏に焼き付いた。

「書を捨てよ町へ出よう」と「田園に死す」の2つは、当時の「前衛」「アングラ」という世界を象徴する映画である。映像や展開は、それまでにないシュールなものであった。

「未亡人下宿」シリーズは、今観ても笑ってしまう。単なるピンク映画ではなく、パロディ有り、エログロナンセンス盛りだくさんのはちゃめちゃコメディなのである。

   インディーズ作品は、制作費が少ないため、ゲリラ的なロケを余儀なくされている。人件費を浮かすために、ボランティアを使うこともある。

   中には、「ど素人がビデオカメラで撮ったのではないのか」と疑うものもあるが、風変わりな味のある作品も結構ある。

 

洋画

「エル・トポ」                            1969年 日活      アレハンドロ・ホドロスキー

「カンタベリー物語」           1972年 ユナイト      ピエル・P・パゾリーニ

「鮮血の美学」          1972年 Rogue・P  ウェス・クレイヴン

「ピンクフラミンゴ」                   1972年 東映      ジョン・ウォーターズ

「ホーリー・マウンテン」             1973年 日活      アレハンドロ・ホドロスキー

「4匹の蝿」           1973年 CIC         ダリオ・アルジェント

「ソドムの市」                            1975年 ユナイト        ピエル・P・パゾリーニ

「サスペリア」                1977年 東和        ダリオ・アルジェント

「ファンタズム」               1979年 東和        ドン・コスカレリ

「インフェルノ」               1980年 20C・Fox    ダリオ・アルジェント

「ゾンゲリア」                1981年 ヘラルド       ゲイリー・A・シャーマン

「人生狂騒曲」              1982年 ユニバーサル        テリー・ジョーンズ

「死霊のはらわた」                      1983年 ヘラルド             サム・ライミ

「デモンズ」                               1985年 東和        ランベルト・バーバ

「フェノミナ」                            1985年 ジョイパック      ダリオ・アルジェント

「戦慄の絆」                               1988年 マントルクリニック    デビッド・クローネンバーグ

「ヘル・レイザー」                      1987年 東映        クライブ・バーカー

「キューブ」             1988年 ポニーキャニオン       ヴィンチェンゾ・ナタリ

「サンタ・サングレ」                 1989年 ケイブルホーク        アレハンドロ・ホドロスキー

「スクリーム」              1997年 アスミック A          ウェス・クレイヴン

「8mm」            1999年 コロンビア        ジョエル・シュマッカー

「フロム・ヘル」         2002年 20C・Fox       アルバート&アレン・ヒューズ

「バイオハザード」        2002年 アミューズ P       ポール・W・S・アンダーソン

「ワンダー・ランド」                   2003年  ライオンズ G         ジェームズ・コックス

「ソウ」             2004年 アスミック A      ジェームズ・ワン

「ナチュラル・ボーン・キラーズ」 2005年 ワーナー              オリバー・ストーン

「ブラック・ダリア」                   2006年 東和             ブライアン・デ・パルマ

「グエムル」           2006年 角川ヘラルド      ポン・ジュノ

「ホステル」           2006年 ソニー P            イーライ・ロス

「ゾディアック」         2007年 ワーナー       デヴィッド・フィンチャー

「ヒルズ・ハブ・アイズ」     2007年 Fox・S・P    サーチライト アレクサンドル・アジャ

「ミスト」            2008年 MGM      フランク・ダラボン

「スペル」            2009年 ギャガ      サム・ライミ

 

「怖い物見たさ」「覗いて見たさ」という言葉があるが、まさに、人間の心理を突いた映画であると言える。

  今から観ると、カメラワークや展開の仕方など、技術的に気になる作品も多いが、「観客に何かを訴えたい」「観客を何としても驚かせたい」という製作者の熱い想いが感じられる作品なのである。

   小学生の頃、還暦を過ぎた祖父を見て、「いつかは自分も、このように年老いて行くのだろうなあ」と思ったことがある。しかしそうであっても、「それは遥か遠くの未来のことだ」と楽観視していた。

  ところがどうであろうか。いつの間にか、その歳になっていた。この世に生まれて、六十年以上が過ぎたのである。

  振り返ってみると、いろんなことがあった。喜んだこと、笑ったこと、驚いたこと、緊張したことなど、数え挙げるときりがない。

  もちろん、良いことばかりではない。怒ったこと、悲しんだこと、泣いたこと、悔やんだことなど悪いこともたくさんあった。

   それでも、「それらすべてによって、自分の人生が形成されているのだ」としみじみ思う。

 

・ 「珠玉

   最近は、歳のせいか思い出せないことも増えてきた。際限なくインプットし続けた事象というのは、時間が過ぎると輪郭がぼやけて行くようである。

   年々、頭が惚けて消え去る記憶が増えていく中で、いつまで経っても残り続ける記憶がある。それは、それによって心躍り、大きな影響を受けたものである。

  大げさに表現すると、「その出会いによって、この時代に生きていて良かった」と感じさせる「珠玉」と言えるものである。それらは、今尚、色褪せずに宝石のような輝きを放っている。

  もし、生きるだけで精一杯の大昔であれば、そのような感動は味わえなかったに違いない。この時代に生きたからこそ知り得たのであり、その幸運にとても感謝する。

   しかし、「珠玉」といっても、様々である。万人に認められているものもあれば、そうでないものもある。

   つまり、ある人にとってはそうであっても、他の人にとってはそうではないものもあり、人によってそれぞれ異なるのである。

   ここでは、私にとっての「珠玉」を選んでいきたい。古びた宝箱の中に乱雑に詰め込まれた記憶をすべて取り出して、「これぞ」と思うものをいくつか挙げていくつもりである。その中には、誰かと共通するものもあるはずである。

   もし、その中のどれかに共感して頂ける人がいたなら、この作業が自分にとって意義のあるものになったと嬉しく思う。

  ジャンルについては、スポーツ、書物、映画、音楽に絞ったが、ページ数の制限もあるので、それらのすべてを詳細に取り上げるのは不可能である。重点的に説明するのは四つの中のどれかになるが、考えた結果、音楽を選ぶことにした。その理由は、こうである。

   書物や映画は、よほど優れた作品でない限り、繰り返し読んだり観たりすることはない。例えば、太宰治の「人間失格」を何回も読み直したという人や、ルネ・クレマンの「居酒屋」を何回も観直したという人は、そうはいないはずである。何回も繰り返すには、それなりの思いと環境が必要になるからである。

  また、スポーツも然りである。オリンピックで自国がメダルを取れば、それこそ感涙ものであるが、時が過ぎるとその感動も薄れていく。リアルタイムであってこそ意味があるのであり、たまにその年代のトピックスで記録動画を見ることはあっても、普段はほとんど見ないように思う。

   その点からすると音楽は、常に身近にあって繰り返しよく聞く。よく歌う。よく演奏する。テレビやラジオをつければ、何某かの音楽が耳に入る。好きな曲であれば、鼻歌も出て心が和む。

  一年を通しての儀式や行事においても、必ずと言ってよいほど音楽が必要とされる。節句に関わる歌曲、祭りや催し物の音曲、地方に伝わる民謡や子守唄、冠婚葬祭など、聞く機会はかなり多いのである。

   楽しい時にさらにその気持ちを高揚してくれる音楽。苦しい時に「大丈夫だよ」と励ましてくれる音楽。安らぎを必要とする時に心を癒してくれる音楽。それらは、人が生きる上で欠かすことができないものとなっている。

  そういうことで、音楽をより詳しく取り上げることにするが、前の三つもそれなりに紹介していきたい。

 

スポーツ

一  相撲

   相撲に関しては、小学生の頃によく観ていた。大好きな力士が優勝をする度に喜んだが、今は誰も応援していないし、観戦することもない。

 

「大鵬VS柏戸」    1961年 九月場所

  三者の優勝決定戦で、平幕の明武谷、大関の柏戸の両者に対戦して大鵬が勝つ。その甲斐あって、生涯のライバルである柏戸と共に横綱に昇進する。

「巨人、大鵬、卵焼き」とはよく言ったものである。当時は、ほとんどの子どもがその三つを好んでいたのであり、私もご多分に漏れずそうであった。

  大鵬は、子どもの頃は非常に貧しかったようである。家計を助けるために納豆を売り歩いていた話は有名である。まさに、立身出世の典型的な人である。

  懐が深くて非常に安定した取り口、優勝回数の多さ、謙虚さ、端正な顔もあって、誰からも好かれる力士になった。

「世紀の大誤審」となった取組については、行司を責めずに誤審を招いた自分が悪いと語った。大横綱と呼ぶに値する真の横綱といえる。

 

二  野球

   毎年、プロ野球の贔屓チームを応援していて、テレビの前で一喜一憂している。

   熱烈なファンではないので、負けても頭から湯気が出ることはないが、機嫌が悪い状態は翌日になっても続く。

   つまり、その日が良い日であるか否かは、昨日のゲームの勝敗によって決まるのであり、土壇場で逆転サヨナラ勝ちをするものなら、新聞はもちろん、すべてのスポーツニュースを観て喜びに浸る。

   この五十五年間、様々な試合を観てきた。ノーヒット・ノーランや完全試合もあった。優勝が決定する最後の試合で勝った時などは、それこそ狂喜乱舞に近い状態になって、「人生最良の日だ」と同じファンの友だちと喜んだものである。

 

「巨人VS阪神」    1973年 甲子園 

   勝ったほうがリーグ優勝をする最終試合で、巨人が阪神に圧勝する。

   試合終了後、怒った阪神ファンがグラウンドになだれ込み、暴挙にでる。危険を察した巨人の選手たちが一目散に避難したので、監督の胴上げはできなかった。

   阪神にとっては、悲願であった優勝。それを信じていたのに、目の前での惨敗である。完膚なきまでに叩きのめされた阪神ファンの悔しい気持ちは分かるが、これはスポーツの試合なのである。暴言ならまだしも、暴動に走ったのは頂けない。相手側の歓喜に水を差そうとしたのは明らかである。

   しかしながら、やり場のない憂さをそこまでして晴らそうとした阪神ファンの並々ならぬ熱い想いが見えたように思う。

 

三  ボクシング

  ボクシングは、野球以上に熱が入った。今までにたくさんのタイトル戦を観てきたが、特に印象に残っているのが豪快なノックアウト・シーンである。

 

「藤猛VSサンドロ・ロポポロ」    1967年 蔵前国技館

   藤猛は、ハワイ出身の日系三世であり、米国人である。顔は東洋人であっても、日本語はあまり話せない。

   戦績は、彼のハンマー・パンチと呼ばれる固い拳とデンプシー・ロールという必殺技によって、KO勝ちが七割を超えていた。

   リングサイドの観客は、常に藤のKO勝ちを期待した。藤もそれに応えるかのように、攻めの姿勢を崩さなかった。それ故にディフェンスが甘くなり、強引に責めていってはカウンターを喰うことも度々あった。

   勝つときはKO、負ける時もKOという、丁半博奕のような白黒はっきりした結果は、ハラハラドキドキものであった。

  ロポポロとのタイトルマッチの時、第一ラウンドは藤のパンチがほとんど当たらず、チャンピオンの上手さだけが目立った。解説者も挑戦者の不利をコメントして、先行きが不安に思えた。

  第二ラウンドが始まってもチャンピオンが有利であったが、途中、藤の強引に放ったパンチが彼の顔面を捉える。たまらず、チャンピオンがダウン。十カウントまでにかろうじて立ち上がった彼に、藤は渾身の力でパンチを浴びせる。逃げ惑うチャンピオンに尚も追い打ちをかけ、三度目のダウンによってレフリーが止める。試合終了である。

  タイトルマッチでの鮮烈な勝ち方は、日本のファンを鷲づかみにした。その後のインタビューで発した片言の日本語も、親近感を覚えるものであった。

  この他、世界フライ級チャンピオンであった大場政夫のチャチャイ・チオノイ戦も、非常に印象深いものであった。

   大場は、初回にパンチを受けてダウンし、右足首を捻挫する。なんとか立ち上がったものの、しばらくは足を引きずりながら戦うという重いハンデを背負った。

   それを粘り強く耐え忍び、徐々にペースを掴んで、最終ラウンドでは逆転のKOで勝利する。

   まさに、不屈の精神で逆境をはね返したという壮絶なファイトであった。ちなみに、この試合の二十三日後、大場は交通事故により二十三歳でその生涯を閉じている。

   海外のプロボクシングについては、高校生の頃から興味を持ち出したが、その中で一番驚いたのは、やはりこれである。

 

「モハメド・アリVSジョージ・フォアマン」    1974年 キンシャサ

  フォアマン有利の予想を覆して、アリがノックアウトで勝った試合である。

   フォアマンのパンチは、まるで丸太で叩くような破壊力がある。それをアリは、亀のようにガードを固めて耐え、最後はスタミナの切れたフォアマンに逆転のパンチを繰り出し、勝利したのである。

  試合が終わった時、予想外の結果に場内は騒然としたが、私自身も身震いが止まらなかった。

 

四  バスケットボール

   録画放送ではあるが、米プロバスケットボールのNBAを好んで観ていた。

   マジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダンの試合は必ず観戦したが、彼らの超人的なプレーには毎回驚かされた。特にオリンピックでのドリームチームは話題になり、胸が踊ったものである。

 

「アメリカVSクロアチア」    1992年 決勝 バルセロナ 

   クロアチアも強豪であるが、相手がオールスターの米チームであるから勝敗はほぼ決まっている。それより、マジックやジョーダン、ラリー・バードがどのようなプレーを見せてくれるのか期待したのである。

  攻守の切り替えの早さはもちろんのこと、トリッキーなパス、ダンクシュート、パワープレーは見応えがあった。これぞプロのバスケットボールチームと呼べる内容であり、試合というより、まるでショーのようであった。

 

五  サッカー

   プロ化で人気が上がって、競技人口も増えてきた。それでも、男子の方は、W杯の予選通過で大喜びするくらいであるから、まだまだランクは高くない。

   女子の方は、W杯やオリンピックにおいて良い結果を出しているので、実力があると認められている。

 

「日本VSアメリカ」    2011年 女子W杯ドイツ大会・決勝  

  それまで、アメリカチームに勝ったことのない日本チームであったが、延長、PK戦の末、勝利する。

  体格、パワー共にアメリカに劣る日本が、スピードとテクニックで対抗した。始終押され気味であったが、澤の活躍もあってPK戦に持ち込んだ。

  負け寸前で引き分けに持ち込めた日本にとって、失うものは何もない。一方、アメリカには、「これまで負けたことのない相手である。絶対落とすわけにはいかない」というプレッシャーがあったと思われる。

  順調に成功を重ねる日本。逆に失敗の多いアメリカ。勝利が決まった瞬間、日本チームは人目を憚らず喜びを爆発させた。極度の緊張感から解き放された素晴らしい笑顔に、日本国民は沸き返った。

 

書物

  文字を読めるのは、幸せなことである。もし義務教育がなかった時代やそれが行き届いていない国に生まれていたなら、先人が書き記した物を読むことはできない。たとえそれが目の前にあったとしても、まさに「猫に小判」状態になる。

  そのような境遇でないことを有難く思うが、ただ単に知恵や教訓を得るだけでなく、大きな衝撃や感動を受けたことにも感謝したい。

  著名な作家の小説や随筆は、読み手に作品独自の世界に入り込ませ、数々の喜怒哀楽をもたらした。また感銘も与えてくれた。その中には、「人はどう生きるべきか」を教えてくれた作品もある。

 

書架にある主な文庫本

   小学生時代に、図書室で読んだ本の題名はほとんど覚えていない。おそらく、印象に残らなかったので忘れ去ってしまったと思われる。

   ただ唯一記憶にあるのが、江戸川乱歩の「青銅の魔人」である。乱歩独特の雰囲気が、小学生の私にはすこぶる気持ちが悪かったのである。

   高学年の時、肋膜炎になって入院したことがある。同室の読書好きの中学生から、「高校殺人事件」という小説を薦められて借りた。サスペンス物であって、それなりに面白いのであるが、小学生にとっては言葉が難し過ぎた。それでも、なんとか読み終えたが、消化不良の感があった。

   当時は、作家の名前など全く知らなかったし関心もなかった。大人になってから、その筆者が松本清張であると知って驚くことになる。

 

「頭の体操」                        多湖輝

   その中学生は、様々な本を読んでいた。パズルもあって、私にその問題を出してきた。奇想天外で大変面白いので、後日、同じものを家族に買ってもらい読み返した。

 

「人間失格」        太宰治

「羅生門」           芥川龍之介

「伊豆の踊子」                   川端康成

「こゝろ」                           夏目漱石

「破戒」                              島崎藤村

「痴人の愛」        谷崎潤一郎

   日本の文学作品を読み始めたのは、高校生になってからである。主に太宰治、芥川龍之介などの文庫本を買って、家で寝転んで読んでいた。

 

「ぐうたら生活入門」             遠藤周作

「楡家の人々」                      北杜夫

「きまぐれロボット」             星新一

  この頃は、同級生の薦めにより、遠藤周作の作品もよく読んだ。映画化された「沈黙」や芥川賞受賞の「白い手」というような重いテーマを持った作品より、気楽な狐狸庵物が好きであった。

 

「ノストラダムスの大予言」             五島勉

  一九九九年になると人類が滅亡するという大予言なのであるが、見事にはずれた。その当時は、滅亡の尤もらしい根拠を読んでドキドキしたものである。

 

「ソフィーの世界」               ヨースタイン・ゴルデル

   洋書については、原書を読むのがかなり面倒なので、翻訳されたものしか読んでいない。哲学入門書のようなこの著書は、少し回りくどい感があり、途中で読む意欲をなくさせた。

 

「羊男のクリスマス」             村上春樹

   ある日、近所の書店で、佐々木マキのイラストが表紙になっている文庫本を見つけた。気になって手に取ると、筆者は村上春樹であった。

   内容は、日本的な純文学とは異なり、子ども向けのようなメルヘンぽい不思議な話であった。以後、「ノールウェイの森」など、村上春樹の作品を読み出す。

 

「哀愁の町に霧が降るのだ」    椎名誠

「窓ぎわのトットちゃん」       黒柳徹子

「ろくべえまってろよ」          灰谷健次郎

「パンドラの選択」                景山民夫

「ペンギニストは眠らない」    糸井重里

「ピアニストに御用心」          山下洋輔

「『ガロ』編集長」                長井勝一

   テレビのCMなどで顔がよく知られていた椎名誠にも興味を持った。肩の凝らない作品が多く、スポーツマンで、アウトドア派で、ビール派であることに何かしら好感が持てた。

 

「甲賀忍法帖」                       山田風太郎

  敬愛する中島らもが、「好きな作家の一人」と述べていたので読んでみた。発想が奇想天外であり、まさに「面白い」の一言である。映画、コミック、スロットになっていて、若い人たちにもよく知られている。

 

「真剣師・小池重明」               団鬼六

   賭け将棋の世界に実在した伝説的な人の話。プロの棋士を何人も平手で負かして、周囲を驚かせる。「プロ殺し」と異名をとるほどの実力がありながら、自身の素行の悪さが災いして破滅に向かう。

 

「岸和田少年愚連隊」              中場利一

   深夜に放送していた井筒和幸監督の映画を観て、「原作を読んでみたい」と思った。原作者は中場利一で、地元を舞台にした自伝のような内容は、主人公の想いがストレートに表現されていて、とても親近感が持てた。

   どの作品にも、現実の中から出たコントのような笑いがあって、その面白さにはまってしまったのである。

 

「蹴りたい背中」                    綿矢りさ

   綿矢りさは、同じ高校の後輩ということでデビューから気になっていた。芥川賞を受賞したこの作品を最初に読んだ。異性に対する女の子の歯がゆい思いを今風に表現した秀作である。

 

「人生の目的」                       五木寛之

   五木寛之の作品は、私が持つ疑問に対して何かヒントになるかも知れないという期待から読んでみた。宗教的な見地から述べられているが、「なるほど」と納得できる部分がたくさんあった。

 

「ガラダの豚」                        中島らも

   中島らもは、好きなことや必要なことに関しては、徹底して調べるタイプの人であるに違いない。「専門家でもない限り、これを知る人は誰もいない」と思わせることを本当によく知っていたのである。

   私生活は、アル中になったり薬中になったりと退廃的且つブラックな匂いが漂うが、実際はかなりの自由人であり楽天家である。作家以外にもバンドや俳優をやっていて、この人の行動力には常に感心させられた。

   彼の文庫本はほとんど持っていて、時間があれば必ず読んでいる。笑いのセンスは独特であり、テレビやラジオのトークでも誰もが腹を抱えて笑ってしまう人である。大好きな作家ではあるが、不慮の事故で亡くなってしまった。本当に残念でならない。

 

   以上が、私が読んで良かったと思う書物である。私自身は読書家ではないので、本好きの方からすると物足りないに違いない。

   もちろん、上記以外にも様々な本を読んでいるが、思い入れがある本はかなり少ない。講義のテキストになる哲学書やエッセイにも目を通したが、読んで「面白い」と感じた本は、ほとんどない。

 

漫画

   想像力を養うのであれば、文字だけの書物が良いのに決まっている。しかし、子どもにとっては、直接眼に訴えるもの方が分かりやすい。

   たとえば、幼少の頃に見た絵本である。童話の定番である「桃太郎」「浦島太郎」「金太郎」「一寸法師」「こぶとり爺さん」「花咲か爺」「うさぎと亀」「赤ずきん」「シンデレラ」「白雪姫」「マッチ売りの少女」「三匹の子豚」などは、この先、どんなに齢を重ねようと話の内容や場面を忘れることはないだろう。

   また、淡い記憶ではあるが、紙芝居にもその刺激的な絵に魅了されたという思い出がある。紙芝居屋が売る安いアイスキャンデーを食べながら、目を輝かせて「黄金バット」などを見ていたのである。

   漫画も然りである。小学生の頃は、文学的な書物より漫画を好んで見ていた。

   その当時は、少年サンデー、少年マガジン、少年キングの週刊誌と少年ブック、ぼくらの月刊誌があり、面白さを競っていた。近所の友だちのお兄さんが週刊誌の三つを買っていたので、借りてよく読んだ。

   リヤカーに積んで移動する貸本屋もあった。そこには、阪本牙城の「タンクタンクロー」や杉浦茂の「少年児雷也」があったように思う。

   赤塚不二夫の「おそ松くん」に始まり、水木しげるの「墓場の鬼太郎」、一峰大二の「黒い秘密兵器」、横山光輝の「伊賀の影丸」、川崎のぼるの「巨人の星」、ちばてつやの「あしたのジョー」などを毎週心待ちにしたものである。今となっては、懐かしい作品の数々である。

   月刊漫画「ガロ」を目にしたのは、大学生の時だった。書店で偶然見つけたのであるが、ページを開いて驚いた。ほとんどの作品が、素人のように下手なのである。

   白土三平、佐々木マキ、やまだ紫、ひさうちみちおなどは、「さすがにプロである」と思わせるテクニックがあったが、デビューしたばかりの新人たちの作品は、メジャーな雑誌にはとても載せられない代物であった。それでも、それぞれに個性が感じられ、何かしら心を動かされたのである。

「ガロ」に作品を掲載した作家の中で、特に印象に残ったのは次の人たちである。

   つげ義春、林静一、鈴木翁二、安部慎一、古川益三、永島慎二、川崎ゆきお、杉浦日向子、花輪和一、丸尾末広、山野一、蛭子能収

   テーマについては、人の性、不条理さ、エログロ、バイオレンスなど様々であるが、余韻の残る作品が多かった。泉谷しげるの漫画も、見かけによらず繊細なタッチで面白かった。

   この雑誌には、漫画以外に荒木経惟の写真もあった。被写体の外面だけでなく、はらわたをも映し出すような表現は、単純に「卑猥」という言葉では片づけられない独特の世界に引き込んだ。

   毎回、「どのような作品が載るのか」という期待を持って買い続けた「ガロ」ではあるが、青林堂の方針が変わったこともあって読むのを止めた。それでも数年間のバックナンバーが、今も捨てられずに書架に残っている。

 

   書架にある漫画作品

「フーターくん」                   藤子不二雄

「ストップにいちゃん」          関矢ひさし

「カムイ伝」                         白土三平

「漫画家残酷物語」      永島慎二

「ねじ式」                           つげ義春

「佐々木マキ作品集」            佐々木マキ

「地獄に堕ちた教師ども」      蛭子能収

「鳴呼!!花の応援団」         どおくまん

「できんボーイ」                  田村信

「バイトくん」                     いしいひさいち

「三国志」                          横山光輝

「まんが大王」                    喜国雅彦

「男の生活」                       中崎タツヤ

「哭きの竜」                       能修純一

 

映画

  母親が映画好きだったので、幼い私を映画館によく連れて行った。三番館で東映の時代劇を観たのだが、中でも忍術物の「自来也」「笛吹童子」やアニメの「少年猿飛佐助」「西遊記」などを喜んでいたようである。

   小学校の低学年になると、夏休み中に昔の映画がテレビで放送されていたので、友だちと毎日のように観ていた。その中には、名だたる監督の作品もあった。

  高学年や中学生の頃は、毎年正月に年上の友だちに連れられて映画館に行った。怪獣と若大将シリーズがお決まりのパターンであった。

  自分で映画館に行くようになったのは、高校生になってからである。その頃の映画には、「ニューシネマ」と呼ばれる作品があって、それらの多くが、今尚、印象に残っている。後年、もう一度観たいと思った作品は、ビデオをレンタルすることになる。

  幼い頃に観た映画の中には、途中で眠ってしまうような退屈なものもあったが、晩年になって再び観ると、「なんと素晴らしい作品であるか」と称賛できる映画もいくつかある。

  作品の良さを理解するには、ある程度の年齢とそれ相当の人生経験が必要になるということである。

 

  今までに観た主な邦画

「丹下左膳余話・百萬両の壺」          1935年 日活   山中貞雄

「人情紙風船」                               1937年 東宝   山中貞雄

「安摩と女」                                  1938年 松竹   清水宏  

「鴛鴦歌合戦」                               1939年 日活   マキノ正博

「無法松の一生」                            1943年 大映   稲垣浩

「長屋紳士録」                               1947年 松竹   小津安二郎

「王将」                                        1948年 大映   伊藤大輔

「銭形平次捕物控・平次八百八町」     1949年 新東宝    佐伯清

「青い山脈」                                  1949年 東宝   今井正

「羅生門」                                     1950年 大映   黒沢明

「カルメン故郷に帰る」                   1951年 松竹     木下恵介

「めし」              1951年 東宝     成瀬巳喜男

「生きる」                                    1952年 東宝       黒沢明

「西鶴一代女」           1952年 東宝   溝口健二 

「雨月物語」                                 1953年 大映    溝口健二

「東京物語」                                 1953年 松竹    小津安二郎

「プーサン」                                 1953年 東宝    市川崑

「にごりえ」            1953年 松竹    今井正

「二十四の瞳」                               1954年 松竹   木下恵介

「七人の侍」              1954年 東宝    黒沢明

「ゴジラ」                                     1954年 東宝   本多猪四郎

「笛吹童子」               1954年 東映   萩原遼

「夫婦善哉」             1955年 東宝   豊田四郎

「浮雲」               1955年 東宝     成瀬巳喜男

「わが町」                                     1956年 日活     川島雄三

「赤線地帯」               1956年 大映     溝口健二

「ビルマの竪琴」             1956年 日活     市川崑 

「幕末太陽伝」              1957年 日活     川島雄三

「嵐を呼ぶ男」                               1957年 日活   井上梅次

「炎上」                                        1958年 大映         市川崑

「巨人と玩具」                               1958年 大映         増村保造

「隠し砦の三悪人」                         1958年 東宝         黒沢明

「野火」                                        1959年 大映         市川崑 

「東海道四谷怪談」                          1959年 新東宝     中川信夫

「少年猿飛佐助」                             1959年 東映        藪下泰司

「西遊記」                                      1960年 東映        藪下泰司

「渡り鳥いつまた帰る」                    1960年 日活        斎藤武市

「地獄」                                         1960年 新東宝     中川信夫

「ぼんち」                                      1960年 大映        市川崑

「大江山酒天童子」                          1960年 大映        田中徳三

「青春残酷物語」                             1960年 松竹        大島渚

「用心棒」                                      1961年 東宝        黒沢明

「悪名」                                         1961年 大映        田中徳三

「豚と軍艦」                                   1961年 日活        今村昌平

「赤穂浪士」                                   1961年 東映        松田定次

「私は嘘は申しません」                    1961年 新東宝     斎藤寅次郎

「椿三十郎」              1962年 東宝       黒沢明

「雁の寺」                                      1962年 日活       川島雄三

「忍びの者」                                   1962年 大映        山本薩夫

「キューポラのある街」         1962年 日活       浦山桐郎

「わんわん忠臣蔵」                           1963年 東映       白川大作

「江分利満氏の優雅な生活」               1963年 東宝       岡本喜八

「マタンゴ」                                    1963年 東宝      本多猪四郎

「日本昆虫記」            1963年 日活      今村昌平

「砂の女」              1964年 東宝      勅使河原宏

「飢餓海峡」             1964年 東映      内田吐夢

「眠狂四郎女妖剣」                            1964年 大映      池広一夫

「座頭市地獄旅」           1965年 大映      三隅 研次

「東京オリンピック」                         1965年 東宝      市川崑

「赤ひげ                                          1965年 東宝       黒沢明

「けんかえれじい」                            1966年 日活      鈴木清順

「東京流れ者」                                 1966年 日活       鈴木清順

「人類学入門・エロ事師たちより」       1966年 日活      今村昌平

「エレキの若大将」                            1965年 東宝      岩内克己

「大怪獣ガメラ」                               1965年 大映      湯浅憲明 

「大魔神」                                        1966年 大映      安田公義

「肉弾」                                           1967年 ATG      岡本喜八

「極道坊主」                                     1968年 東映      佐伯清

「男はつらいよ」                               1969年 松竹      山田洋次

「橋のない川」                                  1969年 大映      今井正

「儀式」                                           1971年 ATG      大島渚

「仁義なき戦い」                               1973年 東映      深作欣二

「竜馬暗殺」                                     1974年 ATG      黒木和雄

「ある映画監督の生涯」                      1975年 ATG      新藤兼人

「犬神家の一族」                               1976年 東宝      市川崑

「愛のコリーダ」                               1976年 東和      大島渚

「HOUSE ハウス」                        1977年 東宝      大林宣彦

「殺人遊戯」                                     1978年 東映C    村上透

「十九歳の地図」                               1979年 P群狼    柳町光男

「野獣死すべし」                               1980年 東映      村上透

「狂い咲きサンダーロード」                 1980年 東映C   石井聰亙

「ツィゴイネルワイゼン」                   1980年 シネマP      鈴木清順

「陽炎座」                                        1981年 ヘラルド    鈴木清順

「北斎漫画」                                     1981年 松竹      新藤兼人

「魔界転生」                                     1981年 東映      深作欣二

「泥の河」                                        1981年 東映C    小栗康平

「家族ゲーム」                                  1983年 ATG      森田芳光

「麻雀放浪記」                                  1984年 東映      和田誠

「お葬式」                                        1984年 ATG      伊丹十三

「ドレミファ娘の血が騒ぐ」                1985年 D・C   黒沢清

「マルサの女」                                  1987年 東宝      伊丹十三

「帝都物語」                                     1988年 東宝      実相寺昭雄

「どついたるねん」                            1989年 M・G      阪本順治

「キッチン」                                     1989年 松竹      森田芳光

「浪人街」                                        1990年 松竹      黒木和雄

「ゼイラム」                                     1991年 バンダイ   雨宮慶太

「無能の人」                                     1991年 松竹      竹中直人

「王手」                                           1991年 M・G      阪本順治

「ゲンセンカン主人」                         1993年  シネセゾン    石井輝男

「マークスの山」                               1995年 松竹      崔洋一

「岸和田少年愚連隊」                         1996年 松竹      井筒和幸

「ビリケン」                                     1996年 シネカノン    阪本順治

「スワロウティル」                            1996年 ヘラルド    岩井俊二

「新世紀エヴァンゲリオン」                1997年 東映      庵野秀明

「SFサムライ・フィクション」     1998年 シネカノン    中野裕之

「ねじ式」                                      1998年 B・E      石井輝男

「おもちゃ」                                     1999年 東映      深作欣二

「バトル・ロワイヤル」                       2000年 東映     深作欣二

「ケイゾク」                                      2000年 東宝     堤幸彦

「トリック劇場版」                             2002年 東宝     堤幸彦

「ジョゼと虎と魚たち」                       2003年 アスミックA  犬童一心

「黄泉がえり」                                   2003年 東宝     塩田明彦

「スウィングガール」                          2004年 東宝     矢口史靖

「寝ずの番」                                      2006年 角川     マキノ雅彦

「亀は意外と速く泳ぐ」                       2006年  ウィルコ      三木聡

「デス・ノート」                                2006年 ワーナー     金子修介

「嫌われ松子の一生」                          2006年  東宝      中島哲也

「蟲師」                                            2007年 ショウゲート   大友克洋

「どろろ」                                         2007年 東宝     塩田明彦   

「舞妓 haaaan!!!」                2007年 東宝     水田伸生

「20世紀少年」                                  2008年 東宝     堤幸彦

「交響詩篇エウレカセブン」                 2009年 東京T   京田知己

「シン・ゴジラ」                                2016年 東宝     庵野秀明

 

  邦画でベスト10を挙げると、私的にはこのようになる。

「七人の侍」                             黒沢明

「丹下左膳余話・百萬両の壺」     山中貞雄

「王将」                                   伊藤大輔

「東京物語」                             小津安二郎

「東海道四谷怪談」                    中川信夫  

「ある映画監督の生涯」              新藤兼人     

「ドレミファ娘の血が騒ぐ」        黒沢清  

「王手」                                   阪本順治

「岸和田少年愚連隊」                 井筒和幸

「亀は意外と速く泳ぐ」              三木聡

 

「七人の侍」については、誰もが認める作品であり、説明は不要であると思う。長編でありながら、時間を感じさせない映像の魅力は類を見ない。

   莫大な製作費と長い撮影期間で作られたが、単にそれだけでは、このような作品は生まれない。妥協を一切許さない監督とそれに応えることができた俳優の演技が、このような「珠玉」を完成させたのであり、何度見ても「素晴らしい」という言葉が口から出てしまう。

   もちろん、低予算でも秀作はたくさんある。その代表が「丹下左膳余話・百萬両の壺」と「東海道四谷怪談」である。この二つも繰り返しよく観たが、監督の非凡なるセンスが発揮された作品である。

「一体、何が真実で、何が偽りなのか」

 

    近頃、よくメディアなどで、『気がつけば騙されていた』という嘆きの声を耳にする。詐欺紛いの卑劣な犯罪が日常茶飯事に起こっており、後を絶たないのである。

   被害者は、怒りの矛先をどこにも向けられず、後悔の念に駆られた言葉も虚しく痛々しい。

   このような話を聞く度に憂鬱な気持ちになるが、犯人のほくそ笑む顔が目に浮かぶようで、憤りさえ覚えてくる。

『狡猾な狩人は、手薬煉を引いて待っている。巧妙に罠を仕掛けて、獲物がかかるのをじっと待っている』

   巷では、人を惑わすような言葉が雑多に飛び交うのであり、真に受けると奈落の底に陥ってしまう危険性も潜んでいる。

   いや、それは非合法的なことだけではない。合法的であっても、「そんな事が法治国家で許されるのか」と問いたくなるような悪行が罷り通っているのであり、油断できない状況は、紛れもない事実である。

   不可解で首を傾げたくなる行為は、この先増えることはあってもなくなることはないだろう。残念ながら、『この社会は、人を欺く嘘偽りで満ちている』と、言わざるを得ないのである。

   それにしても、『真実』というのはどこにあるのだろう。複雑に絡む沢山の嘘に隠れて見えなくなっているとはいえ、どこかにあるはずである。

   それを自力で探ろうとするが、強固な壁が立ち塞がって最後は諦めてしまうのが常である。それでも、物事の本質を知りたい。なんとしても掴みたいのである。

   もし、叶うなら、そのすべてを誰かに伝えていきたい。ただ、それだけのことである。

                    

   人生において、晩年期に入った。まさか、自分がこんな年になるとは思ってもみなかった。

   周りをみると、知人の何人かが先に逝っている。まだまだ人生を楽しめる世代なのに早すぎる。『人の運命とは、分からぬものだ』とつくづく思う。

   いや、それは他人事ではない。自分自身にも突発的に何かが起こるかも知れない。病気もありうるし、事故も起こりうる。『明日は我が身』という思いが嫌でもよぎる。  

   もし、自分にお迎えが来たなら、周りはどう思ってくれるのだろうか。その訃報を聞いて、悔やんでくれる人がいるのだろうか。誰もいなかったとしたら、なんとも情けない終焉である。もっとも、死んでいるのでそんな意識はないのであるが。     

 

   実社会において、何の功績も地位も成し得なかった自分である。家族、親類、友人、知人、同僚を除いて、自分を知っている人はいないのであり、さらに自分が死んだ後は、親しい友人でさえも忘れ去ってしまうに違いない。

   人の記憶の中から自分の名前が消え去ってしまうのは、寂しいことである。自分の生涯がまるでなかったかのように思われるのは、虚しい限りである。

『死後にせめて十年間、いや五年間でもよい。自分が生きた痕跡を示すような証が欲しい』と、切に願った。

   そして、思いついた。生きている間に、いや思考能力がまだ衰えぬ内に、ずうっと抱いていた数々の疑問やその答えを自分なりに記して、それを生きた証として残して置こうと。

  そのことによって、自分という存在を知ってもらえるかも知れない。自分の考えを認めてもらえるかも知れない。そのような期待感が、執筆が進むに連れて高まってきたのである。    

   本文においては、自分の思いを飾り気なくストレートにぶつけるつもりである。ペダンチックになって、専門的な知識を開かしたり小難しい言葉を並べたりと自己満足に浸るつもりは毛頭ない。もっとも、そんな知識は持ち合わせていないので、そんな風には成りようがないが。

 

   テーマに関しては、七つの疑問と一つの思い出を取り上げることにした。

 

一 「人はなんのために生きているのか」

二 「宗教とは何か」

三 「悪と善」

四 「平等と不平等」

五 「どんな世の中がいいのか」

六 「色即是空とは」

七 「この世の終わり」

八 「記憶の宝箱」

 

   この中には、「今更、何故」と思われる項目もあるが、敢えてそういうものにも焦点を当ててみた。

 それは、社会通念として常識とされていても、私にとっては納得できないこともあり、『再検証が必要ではないか』と感じたからである。

   テーマの本質にはできる限り迫りたいと思う。消化不良の中途半端な答えは、極力避けていきたい。

   たとえ解決できなくとも、そのプロセスの中で何かのヒントが得られることを願うのであり、そのことによってたくさんの方々に共感や異論を持っていただけるものと信じる。

   賛否両論いずれにしても、読者にとっても自分にとっても有意義な内容になれば幸いである。

 

 

 

   この問いの意味は、「人がこの世に生を受けた理由とは、何であるのか」ということに他ならない。

   別の言い方をすると、「人は、何のために生きているのか」であり、現在生きている人たちは勿論のこと、過去に生きていた人たち、これから生まれてくる人たちに共通の疑問なのである。

   人類は、『生まれては死に、死んでは生まれる』ということを数限りなく繰り返してきた。その営みは、一体何のために行われているのか。

   また、人類だけでなく、すべての生物が何のために存在しているのか。さらには、地球や銀河系を含む大宇宙が何のためにあるのか。その疑問に対する答えを知りたいと思ったのである。

                                                             

・ 人の存在理由  

  過去に多くの哲学者や宗教家がこのテーマに挑み、模索してきたのであるが、その結果として出された答えは非常に難解で、専門家でさえ理解に苦しむものであった。

  それまで肯定していたものを突然否定したり、明らかに矛盾することを平然と述べたりと到底素人の手には負えない代物ばかりなのである。中には、「それを見つけるために生きている」と逆説的なものもある。まさに十人十色の論説である。

  もちろん、私自身、それらのすべてを読破した訳ではない。正直なところ、読んだ文献はほんの僅かであり、中にはその一部分しか目を通していないものもある。

  当初は「できるだけたくさん」と思っていたが、読んでいるうちに段々と意欲が薄らいできた。専門的な用語やどの様にでもとれる言い回しなど、凡人にとっては理解し難いものばかりで、途中でさじを投げざるを得なかったのである。

   そういうことから、「答えは自分なりに考えて出すしかない」と思い立った。それにはまず、末端である地球の人類の存在理由よりも、一番根本的になる宇宙の存在理由の方が先決であると考えた。

 

・ 宇宙の存在理由

  例えば、突然視力が悪くなったとしよう。その原因は、栄養素不足、眼の酷使、老化などと考えて、それなりの薬を服用する。しかし、本当の原因は、糖尿病である。いくらそのような薬を投与しても治るはずが無く、糖尿病の治療をしなければ視力が元にもどるどころか、益々悪くなるのである。

  つまり、根本的なことが分からないままで、末端のことを「ああだこうだ」と理屈をこねても無駄になるということである。

  だから、まずは宇宙の存在理由である。「何か」のために宇宙が存在するのであれば、その「何か」とは何であるかである。

  はっきり言って、全く分からない。見当もつかない。大体、宇宙自体が何であるのか分からないのに、存在理由など分かるはずがない。こんな大きなテーマは、どうも凡人の思考能力の範囲を超えているようである。

 

・ 大宇宙

  宇宙が誕生する前は、どんな状態かというと、全くの「無」であったらしい。そこには、空間も、時間も、質量も何もないのである。

何もない「無」からどのようにして「有」になったのかは謎であるが、とにかく、約百三十七億年前に宇宙は誕生したようである。

   宇宙は、無限ともいえる空間を持ち、永遠ともいえる時間の経過の中で存在している。その有様は、絶えず変化し続けているのであり、森羅万象、同じ状態のままで存在できたものは何一つ無い。

  宇宙では、新しく生まれる星があれば、死んでいく星もある。その誕生・消滅が際限なく繰り返されていて、これからも永遠に続くのである。

   このような宇宙が、何のために存在するのか。宇宙に摂理(法則)というものがあるならば、それは一体どのようなものなのか。その答えがわからなければ、人類の存在理由を含めたあらゆる疑問は解決できない。

   しかし、今までに何人もの学者が挑んで解けなかった難問である。ど素人の私に分かるはずがない。どうあがいてもその答えを掴めそうもなく、半ば諦めの境地になる。あれこれ分からないまま考えているうちに、ある疑惑が脳裏に浮かんだ。

  何かというと、「この先どのように探求しようと、宇宙の存在理由は永遠に解明されないのではないか」ということである。なぜかというと、こうである。

 

・ 理由の理由

  宇宙ができる前から、摂理があったと仮定しよう。その摂理を理解することに人類が近づいているとしよう。そして、ついにはその摂理を理解する時が来たとしよう。そこで宇宙の存在理由が明らかになったとしても、今度はその理由の理由が求められるのではないだろうか。

  例えば、物質の構成である。

「物質は、いろいろな元素によってできている。その元素は、電子と原子核からなり、原子核は陽子と中性子で構成される。さらに陽子と中性子は、クォークという物質からできていて、最終的にはそのクォークも何か小さなものからできていると考えられる」

   このように究極的に物質の構成を突き詰めて行くと、最後は、もうそれ以上分けることができない物質ということになる。科学的に言えば、素粒子というものになり、そこまで解明するとそれで終わりになる。

   しかしである。本当にそれで終わりなのであろうか。さらに科学が進歩して、それ以上の分析が可能に成ったとき、その時点で素粒子といわれていたものが何かに分けられることもあり得るのではないか。

   つまり、素粒子であったものが素粒子でなくなり、新たに分析されたものが素粒子と呼ばれることになるかも知れないのである。

  実際、そのようなことが過去にあった。これが最終であると発表したものが、実はそうではなかったのである。これでは、いつまでたっても最終的な答えを得ることができないことになる。

   宇宙の存在理由も、同じことが言える。仮に宇宙が「何か」のために存在していると分かったとしても、今度はその「何か」が、「他の何か」のために存在する可能性もあるのである。

   そう考えると、たとえ理由が分かったとしても新たな理由が求められることになり、きりがないことになる。

  このように、存在するとしても永遠に掴めそうもない答えを追い求めるのは、「果たして意味のあることなのか」と、疑問に思えてきた。

 

・ 存在理由の必要性              

   目的は、曖昧であるより明確であった方が良い。進むべき方向がはっきり分かり、今、何をすべきかが明白になるからである。

  宇宙の存在理由もそれと同じように、我々人類が進むべき方向を明確に示してくれるに違いないと信じたのである。

  ところがよくよく考えてみると、人類にとってそんなに重要でないように思えてきた。

   人は、空気と水、栄養素がないと生きられない。それらが人にとって不可欠な物質であり、化学的に何であるかも分かっている。

  しかし、そんなことが分かっていない時代でも、人は生きてきた。本能的にそれらを摂取することによって、生き永らえてきたのである。

   宇宙の存在理由についても同様である。それを知らずに生きてきたのであり、これからも知らないままで繁栄していくに違いない。

   このように考えると、「宇宙の存在理由がどうしても必要である」とは思えなくなるのである。

 

・ 手がかり

   根本的な宇宙の存在理由は、諦めた。無理である。そうすると人類の存在理由も諦めなくてはならないが、宇宙の存在理由が分からなくても、何か手がかりによってその答えが得られないだろうか。

                                

・ 人類の役割                                 

   激しく動き回る働き蜂は、巣を作ったり、卵の世話をしたり、蜜を運んだり、外敵と戦ったりと休むことがない。

   また、数少ない雄蜂は、繁殖のために女王蜂と交尾をする。女王蜂は、それに応えて数多くの卵を産む。

   働き蜂、雄蜂、女王蜂にそれぞれの役割があって、その役割は同種の繁栄に繋がっているのである。

  人類も、蜂の世界のように何か役割を担っているのではないか。もしそうなら、それは、宇宙全体に対しての役割に違いない。その役割こそが、人類の存在理由になるのではないかと考えたのである。

 

・ 井の中の蛙

   大宇宙の果てしない空間のどこかに、地球に似た星があって、同じような生物がいても不思議ではない。

   しかし、時間も永遠と言える長さであるから、人類と異星人が同時期に重なる確率はかなり低くなる。

   それでもまったくありえないことではないので、ひょっとしたら存在しているのかも知れない。

   もし人類の歴史が、そのような生命体に対して影響を及ぼすようになれば、それが人類の存在理由になるのではないか。そのことによって、宇宙全体に変化をもたらすのではないかと考えたのである。

   しかしである。仮に銀河系の遥か彼方に異星人が存在するとしても、人類がその生物に対して何らかの影響を与えられるのだろうか。

  否である。地球がその星とあまりにもかけ離れすぎているために、人類やその環境がどのように変化しても、それは地球の中だけでの変化であり、異星人にとっては全く別世界での事となるからである。

  つまり、「井の中の蛙」状態である。井戸の中では、蛙がどのように成長し変化してもそれは井戸の中だけのことであって、外の世界には何の影響もない。人類の歴史も、繁栄しようが衰退しようが、所詮、地球上だけのことなのである。

  この先、かなり高性能な宇宙船が作られて、惑星から惑星へと移動が簡単にできても、それは太陽系だけのことであり、太陽系以外の生物には全く影響がない。

   また、光と同じ速さの乗り物が発明され、瞬時に銀河系を飛び回れるようになったとしても、それは銀河系だけのことであり、他の銀河系には全く影響がない。

   人類が宇宙を包括できるくらいの影響力を持つには、一体どれくらいの年月が必要になるのであろうか。おそらく、そうなるまでに人類は滅びているに違いない。

  このようなことから、「人類の歴史は、宇宙全体に対して何の影響もないし、何の意味も持たない」と断言せざるを得ない。つまり、今の段階では宇宙に対する役割がないので、人類の存在理由が認められないのである。

  新たな手がかりを見つけられないまま、人類の存在理由も諦めるしかないのかと思案に暮れる。

                                                       

・ 発想の転換               

  我々人類は、あらゆる物質についてその本質を探究して、解明するまで手を休めなかった。

   また、何か事象が起こるとその原因や理由を求めてきた。その答えを得ることによって、今日あるすべての科学が確立されたことは否めない。そのような探求心があってこそ、科学は進歩していくのである。

   しかしそうであっても、すべての事象に理由を求めるのはどうであろうか。事象によっては、原因はあっても理由はない場合もあるはずである。そう考えると、「宇宙や人類の存在理由など元々ないのかも知れない」と思えてきた。

 

・ 夢幻の如く

 「形あるものは、いつか壊れる。永遠に変わらずに存在するものなどない」

   人類の存在も例外ではない。マヤやインカが消滅したように、地球自体が何かの影響を受けて、突然跡形もなく消え去ってしまうことは充分ありうる。いや、地球だけでなく、太陽系、銀河系、宇宙そのものが消滅することだって考えられる。

   もしそうなれば、地球の存在や地球での人類の歴史が最初からなかったかのようになってしまうに違いない。まさに「夢幻の如く」であり、非常に虚しい思いがする。

                   

・ 本物の世界

  しかしである。たとえそれが「夢幻の如く」であっても、決して「夢幻」ではない。どんなに虚無的であっても、私たちは今現在、宇宙の中で生きている。地球の歴史を形成する一員となって生きている。

  それらすべてが一瞬にしてなくなったとしても、人の命の営みは確かにあったのであり、私たちが存在していたという事実を消すことはできないのである。

   宇宙全体から見た人類は、取るに足らない非常にちっぽけな存在である。その歴史は、無限に近い空間と永遠と呼べる時間の中で存在する極小事象の一つに過ぎない。

  まして個人一人一人になると無に等しいものとなる。その存在は、まるで大砂漠の中の砂の一粒のようであり、大海の中に落とした一滴の血液のようでもある。探し出したり検出したりすることは、全く不可能になる。

   それでも、である。このように取るに足らない存在であっても、存在しているということは、紛れもない事実である。大砂漠の中であっても、その一粒はどこかにあるのであり、大海の中でその成分が紛れて検出できない状態であっても、血液は、間違いなく落ちたのである。

   我々は、確かに存在している。この広大な宇宙の中で。

  我々は、確かに認識している。バーチャルでない本物の世界を。宇宙を。地球を。人類を。自分自身を。

  たとえ宇宙を貫く摂理がどのようなものであっても、それらすべての存在を否定することはできないのである。

  その存在理由は、我々の認識を超えた摂理の中にあるのではなく、極めて単純なところにあると考えられる。

 

・ 神の存在

   古来、人は神によって造られたと信じられていた。いや、人だけでなく、あらゆる生物もその環境も、すべて神によるものと言われていた。

   もしそれが本当だとしたら、神は何のためにそれらを造ったのか。宇宙や人類を造ることに何の意味があったのか。その答えを未だに探し出せないままである。

   一体、神は、このような人の歴史を傍観して何を思っているのか。これまでにあった数え切れない悲劇や喜劇を見て、どう思っているのか。

   まさか、人の動向を見世物でも見るかのように、興味本位で見ている訳ではあるまい。水槽の中の金魚や籠の中の小鳥のように、ペットとして飼っている訳ではあるまい。家畜の牛や馬のように、その時の気分でアメを与えたり、ムチを打ったりしている訳ではあるまい。

  もしそうだとしたら、そんな神は、神ではない。たとえ神であっても、人類にとって必要な存在ではない。いや、不要な存在どころか、消えてなくなって欲しいくらい厄介な存在である。

  くい止められない自然災害を起こし、たくさんの犠牲者を出すのは、神であっても許されることではない。他人の為に献身的に尽くしている人たちが、いとも簡単に殺されるのを傍観しているというのも許されることではない。

  本当に人類のことを思うなら、壮絶な悲劇を起こしたり、傍観したりしないはずである。菩薩のような尊い命や罪の無い無垢な命が失われることに、黙ってはいられないはずである。

  ところが、現実は違った。人々が「神も仏もない」と嘆かざる得ないことがたくさん起こった。目も覆いたくなる惨劇が今尚続いているのであり、神はそのことに手を差し伸べるどころか何もしないのである。

   神は、はるか昔の人類受難の時期に、何者かによって創造されたものである。人々は、存在を認めることによってその絶対性を発揮してくれると信じた。

   しかしながら、神には、その実体も根拠もない。それが神の業であるという証明すらできない。それでも人々は崇めた。何故崇めたのか。それは、そうするしか手立てがなかったからである。

  人は、自分の力ではどうすることもできない問題に直面した時、只々神に祈った。願いを一心に請うた。つまり、「神頼み」なのである。

 

・ 神の意志

   神は、宇宙の摂理であるとする説がある。「我々が理解しえない摂理を例えて表したものが、神である」とするのである。

  それが本当なら、神は意志を持たないことになる。摂理は、意志をもたない。その法則に従って展開するだけである。人類の意識によって、その方向性が変わることは絶対にないのである。

   つまり、人類の意識とは関係なく宇宙の歴史は進んでいくのであり、我々がどのように神を信じようと崇めようと、それは全く意味のないことになる。

  人類の歴史は、人類の意識の積み重ねによってできた。決して神が人類を操って造らせたものではない。

   結局、神というのは、人によって創り上げられた産物であり、想像上の概念に過ぎないといえる。

  だから、実際には存在しない。神が存在しないのであるから、人は神によって造られたのではないと断言できる。

   では、神が造ったのではないのなら、人は、いや、この世に存在するすべての生命は、どのようにしてできたのだろうか。

 

・ 生命の起源

  遠い昔、広大な宇宙ができ、銀河系ができ、太陽系ができ、そして地球ができた。宇宙ができた原因は、今の科学の段階では明確には解明されていないが、地球に関しては、ほぼ明らかになっている。

  その地球において、気の遠くなるような時間の経過の中で有機体が発生する。さらに生命ができるための条件が偶然にそろい、有機体を基にした一つの原始的な生命体が誕生する。 

 

・ 誕生と死滅

   原始的な生命体が海の中で成長し、誕生と死滅を繰り返す。どの生命体も永遠には生きられないので、細胞分裂をして新たな生命体を作り出す。その一方で、旧の生命体は死ぬ。

   そのことを繰り返しながら次第に進化して、甲殻類、次いで魚類が誕生する。それらは、受精によって卵を孵化させる方法を取る。これは、細胞分裂とその結合によって生命を作り出す新たな手段といえる。

  さらに進化して両生類やは虫類が誕生し、ほ乳類も生まれる。そして、人類が誕生する。

   ほ乳類の中の一つである人類は、親が子を作り、その子も親となって子を作ってきた。それは人類だけではなく、地球上の全ての生物が、同じ行為を繰り返してきたのである。

                                                           

・ 生命

   生命あるものは、本能的に生きようとする。空気や水、養分を体の中に入れて、できるだけ長い時間を生きようとする。

   また、生命あるものは、自らその命を絶とうとはしない。怪我や病気になっても、治癒力で治そうと努力する。  

  人の中には、精神的に病んで自らの命を絶とうとする者もいるが、その時でさえ、精神と肉体の葛藤がある。たとえ、精神が死を選んでも、肉体は本能的に死への抵抗をする。死に向かいながらも死に至ってない肉体は、まだ蘇生しようとするのである。

   そのように生命を維持する力とは強固なものであるが、残念ながら 生命の時間には限りがあって、いつかは終わる。

   だから、子孫を作り生命を継続していく。自らが死んでも、子に命を引き継がせていくのである。これは、生命あるものの根本的な真理といえる。

 

・ 種の存続

  人類を含むほ乳類は、生まれた子を外敵から守り、自立するまで育てる。

  鳥類も同じである。親鳥は産んだ卵を温め見守る。雛鳥が孵った後も、自力で飛び立てるまで餌を与え続けるのである。

  魚類は、その稚魚が外敵に狙われやすいことから数多くの卵を産み、その絶対数を減らさないようにしている。中には、産んだ卵を外敵からしっかり守り、懸命に育てる種もある。

   蜜蜂の世界においては、働き蜂は働き蜂の、雄蜂は雄蜂の、女王蜂は女王蜂の役割がある。働き蜂は、巣を作り、蜜を運び、時には外敵と戦う。雄蜂は、女王蜂と交尾する。交尾の後は、すぐに死んでしまうようである。

   女王蜂は、雌蜂である働き蜂の中から選ばれる。選ばれた女王蜂は、特別な扱いを受け、産卵に耐えられる体になっていく。そして、雄蜂と交尾をして多くの卵を産む。

   このように種によって方法は異なるが、どれにも共通する点は、同種が絶えないようにしていることである。

 

・ 同種との共存

  すべての動物の遺伝子の中に、「種の存続」の意識と同時に、「同種との共存」の意識もインプットされている。

  同種であるなら、食べることもないし殺すこともない。テリトリーやメスの奪い合いで争うことがあっても、殺すまでには至らない。

   それは「種の存続」のための「同種との共存」という意識による抑制である。同種であれば、その生存を無条件に了解できるのである。

  ライオンも、共食いをしない。肉食動物であるのに同種の肉は食べない。やはり、「同種との共存」の意識が根底にあるからである。

  他の動物も同様である。人も人を食べることは、よほどの状況でない限りありえない。潜在する意識がそうさせないからである。

  それぞれ、誰から教えてもらった訳でもないのにそのことを守ってこられたのは、「種の存続」と「同種との共存」の意識が遺伝子にインプットされ続けたからである。その意識が消えることがなかったから、「生命の継続」が可能になったのである。

 

・ 生命の継続

  妊婦の子宮の中には、すでに新しい生命が宿っている。その胎児は、子宮の中で育っていき、やがて誕生する。

  しかし、その胎児は何かをするために、また誰かになるために生まれてくるのではない。その子が成長して社会的な何かをしたとか、誰それになったとかいうのは結果であり、実際は生命の継続のために生まれてくるのである。

   そもそも、胎児は、自分の意志で誕生するのではない。また、上記のような意識を持って生まれてくる訳でもない。生まれてから数年間は、自我の意識すらないのであり、誕生は親の意志によるのである。

   世襲制で生まれてくる皇子などは、国王になるために生まれてきたように思えるが、本当はそうではない。なぜなら、皇子は国王になれる一番の候補にすぎず、「その子が必ず王位を継承する」とは言えないからである。

   病気で早死にすることもあるだろうし、適性の理由から後から生まれた弟の方が継ぐとか、クーデターで父親が国王でなくなったとか不確かなのである。

   国王も自分の生命が永遠でないことを知っている。死を迎えれば王位を失うのであるから、その地位を他人より自分の子に継承させたいと願うのは当然のことである。

   それには、まず自分の血を引く子どもを誕生させなければならない。つまり、「誕生とは、根本的には生命を継続させる行為の結果である」と言える。

   このように考えると、人が生まれてきた理由は、「生命の継続」ということになる。そして、人が生きる目的は、「生きることそのもの」ということになる。

   まるで居直りのような結論であるが、追い続けてもいつまでたっても掴めない真理より、簡潔で分かりやすい結論と自負する。

   我々は、我々が知り得ない何か大きな理由の為に生まれてきたのではない。敢えて言うなら、「生命の継続」の為に生まれてきたのであり、その生命を引き継いだからこそ生きているのである。つまり、「生命があるから生きている」これしかないのである。

   そのことは、過去や現在、さらに未来においても変わることのない普遍的な摂理であると断言できる。

 

・ もう一つの理由

  人類を含むあらゆる生物は、「生命の継続」の為に誕生しているのであり、例外は見当たらない。動物も植物も両性の交配によって子孫を残し、「生命の継続」を実現している。そのことが、あらゆる生物の根本的な存在理由になっている。

  ところが、人類に関しては、それだけが生きている理由ではなくなってきた。

 

・ 弱肉強食の世界                  

  自然界において、同種に対しては「共存」という意識が優先しても、他種に対しては敵対した。時には、食うか食われるかの修羅場で対峙することもあった。

   草原を走る獣も、大空を飛ぶ鳥も、大海を泳ぐ魚も、そのような自然界の中で生きてきたのである。

   人も同様である。厳しい弱肉強食の世界の中で生き永らえてきた。外敵から身を守りながら、血眼になって自分の糧を捜し続けたのである。

 

・ 弱肉強食のシステム

   最初に地球上に現れた生命体は、他種がいなかったこともあり、栄養素になる有機物を直接体に取り入れたと思われる。

   その後、原始的な生命体は進化していき、様々な種ができる。それぞれが、絶えていかないように独自の方法で生命を継続していく。他種を糧として取り込むこともその一つになる。

  このことは、長い年月の中でシステム化された。いわゆる食物連鎖である。より強い物がより弱い物の生命を奪う。そうすることで弱肉強食という世界が出来上がってきたのである。

  人も他の生命をもらって生きている。人という種族の永遠の存続を本能として、弱肉強食のシステムに従って生き続けている。困窮時であっても工夫を凝らし、絶滅することなく今日に至っている訳である。

 

・ 霊長類

   人類が誕生した時代においては、人が何かの餌食になるという危険性があった。いつ自分が襲われるかも知れないという不安が常に付きまとい、油断ができない状態だったのである。

  人には、トラのような牙も、シカのような足も、トビのような翼もない。それでも、なんとか生き延びることができた。何故できたのか。それは、人が他の生物にはない知恵と道具を手に入れたからである。

   そのことによって、人類はすべてを支配できる立場となった。他の生物を糧にするのはもちろん、さらにはその飼育や栽培ができるまでになった。

   もう、外敵に襲われることはない。たとえ襲われても対処できる。つまり、「弱肉強食の恐怖」から脱することができたのである。

 

・ 別の恐怖

   しかし、である。その安堵も束の間、「別の恐怖」が待っていた。同じ種である人類の中における「弱肉強食の恐怖」である。

   本来、同種であれば「種の存続」と「同種との共存」のために助け合わなくてはならない。間違っても、殺し合ってはいけないのである。

  それにも関わらず、これまでに人類は、「弱肉強食の惨劇」を繰り返した。支配欲、利権の獲得、思想・宗教・民族・人種の違いを起因とした争いが、数知れずあったのである。

   この地球上で、同種が殺し合いをするのは人類だけである。そんな事実を眼にすると、「人類には、種の存続と同種との共存という意識がないのか」という疑念さえ起こってくる。

 

・ 社会のシステム

   文明が発展する前は、人にとって毎日が死と隣り合わせの生活であった。外敵も多く、個々では弱小なので常に群れをなした。その小さな集団が結合し、さらに大きな集団ができる。

   それがやがて村や国になり、原始共産制のようなシステムができあがる。その頃には、火と言語を使い、様々な道具を所有していた。

 

・ 道具     

  少しでも多くの獲物を得て安定した生活をしたいという願いから、狩猟のための道具や生活に関わる便利な道具が発明された。

   そのような道具は、石器、骨器、木器、土器からさらには青銅器、鉄器と変遷し、確実に生活を豊かにしていった。

   さらに、外敵と戦うための武器もたくさん作られた。武器を上手に使える者の中には、その集団内の指導者になることもあった。

   狩猟や戦いにおいては、たくさんの獲物を取ったり敵を倒したりすることが誉れとされ、誰もがそのことを認めるようになっていた。

 

・ 新たな意識

   道具を使い出してから、長い年月が経った。村や国では、身分制や階級制が確立し始め、貨幣も普及してくる。そのことで社会の仕組みが複雑になってくると、それに伴った新たな意識も生まれる。

   その意識とは、「物を手に入れる」「富を求める」「能力を発揮する」「地位を確立する」「人の頂点に立つ」「人を支配する」などである。

昔と比べてはるかに生活が楽になり、生きることにさほど苦労しなくなった。そのような状況の中では、生きることそのものより、自分の欲望を如何に実現するかの方を優先させたのである。

   また、そのような欲望を満たすだけでなく、増え続ける新たな誘惑にも関心を持つようになっていった。

   

・ 物質主義

   人は、様々な物質を求め、それに影響される。目に見える物はもちろん、目に見えない物にもである。

   生きることそのものよりも、物質の方に価値を置く。そのような生き方は物質主義と言われ、批判の声もある。しかし、それは仕方のないことである。

  どのような人でも、周りの物質と無関係に生きることなどできない。まして、物質社会においては、無欲を目指す世捨て人でさえ物質に頼るのであるから、当然の事と言える。

   たとえ生きるための糧が充分であっても、それで満足しないのが人の性である。目にするすべての物を求め出す。それを可能にする貨幣を手に入れようとする。この傾向は、文明が進めば進むほど如実に表れてくる。

 

・ 文明の利器

  二十一世紀に入った今日では文明が飛躍的に進み、半世紀前では考えもつかない便利な道具が発明された。これらは、時代の中で陶太され、現在では「文明の利器」と呼ばれるまでになった。

   文明の利器は、必要に駆られて発明されたものばかりである。仕事や生活の中での便利さを追究し、開発に試行錯誤を繰り返して誕生できたのである。その完成品は、長い苦労の末の結晶とも言える。

  それらの多くは、生活の中に深く浸透し、不可欠で当たり前の様な存在になっている。社会のシステムに大きな影響を及ぼすことになるが、このような文明の利器を思いつくまま挙げてみた。

 

建物 家屋、アパート、マンション、ビルディング

水道 上水道、下水道、浄水場、下水処理場

家具 ベッド、椅子、テーブル、タンス、クローゼット

台所 流し台、コンロ、オーブン

洗面 鏡、歯磨き、歯ブラシ

浴室 バスタブ、シャワー、石けん、シャンプー、タオル

便所 便座、トイレットペーパー

照明 電球、蛍光灯、ネオン、ハロゲン、懐中電灯

飲食 食器、箸、包丁、フォーク、ナイフ、スプーン、フライパン、鍋、やかん   

家電 冷蔵庫、掃除機、洗濯機、乾燥機、電子レンジ、炊飯器、湯沸かし器、

   扇風機、換気扇、ポット、トースター、ドライヤー、シェーバー、

   ミシン、エアコン、ストーブ、

着火 マッチ、ライター、着火剤

容器 陶磁器、瓶、缶、ペットボトル   

衣服  セーター、スカート、ズボン、ジャケット、スーツ、マフラー

        下着、靴下、手袋、帽子、水着

雨具 傘、カッパ、長靴

交通 自転車、バイク、自動車、電車、地下鉄、バス、飛行機、ヘリ、船、

   リニア、道路、標識、信号機 、陸橋 、橋

燃料 ガソリン、灯油、天然ガス、石炭、木炭

発電 原子力、水力、火力、風力

媒体 電話、パソコン、ネット、ラジオ、テレビ、新聞、電線、電柱、衛星

映像 DVD、DVDプレーヤー、DVDレコーダー

音楽 CD、CDプレーヤー、MD、デジタルオーディオプレーヤー、ステレオ、

   楽器

書籍 言語、文字、記号、本、雑誌

文具 ペン、鉛筆、ノート、ハサミ

計量 時計、物さし、分度器、三角定規、コンパス、秤

郵便 はがき、ポスト

電源 コンセント、ソケット、乾電池、バッテリー、ソーラー、

医療 薬、手術器具、検査器具、病院    

補助 眼鏡、コンタクト、補聴器、車いす、松葉杖

事務 コピー機、FAX、シュレッター

建築 木材、モルタル、コンクリート、鉄筋、アスベスト、ガラス、樹脂

兵器 刀、弓、槍、鉄砲、火薬、爆弾、ミサイル、核兵器

貨幣 硬貨、紙幣

諸他 電卓、電子手帳、靴、鞄、殺虫剤、洗剤、化繊、各種カード

         エレベーター、エスカレーター、ビニル、ラップ、プラスティック

 

   以上である。これら以外にもまだまだあるが、きりがないのでとりあえず主要なものだけを並べてみた。この中には、無くなると忽ち困ることになるものもある。

                                      

・ マッチ棒

   普段、何気なく使っている水道や電気に有り難みを感じることはない。大地震のような災害が起こり、それらが使えなくなれば、改めてその存在の大切さを認識するだろう。

   人はそんな状況にでもならない限り、ものの有り難さに気づかないものである。また、たとえそのことに気づいても、すぐに忘れてしまうようである。

   実際、これらの利器がなくなって、自分自身で同じものを作ろうとしても無理である。今ではほとんど使われなくなったマッチ棒でさえ、容易にはできない。金属製の機械類などは、なおさら不可能である。

  このようにすべての文明の利器が、私たちが知る以上にたくさんの人の知恵と労力によってできていることを改めて感じさせられるのである。

 

・ 無人島

   文明の利器のない暮らしは、厳しい。それも生半可な厳しさではない。生死に直結している厳しさである。

   希に都会の文明に囲まれた生活を望まずに、過疎の村などで厳しい自給自足の生活に身を置く人がいるが、そんな人たちでも、困ったときはいつでも文明のある場所に戻れるという安心感がある。戻れる文明がない太古の時代に生きた人たちの緊迫した意識とは、かなり違うのである。

   本当に生きることだけを目的とする生き方を望み、文明に頼らない生活をしたいのなら、どこか無人島にでも行くしかない。文明に関わるすべての物を捨てて、原始人のような生き方をしなければならない。

  その日その日を生き延びるために、糧を求めて探し回る。怪我や病気になっても薬などなく、自力で治すしかない。かなりのリスクを覚悟しなくはならない。

   そんな生き方は、文明のぬるま湯にどっぷり浸かっている私には到底できないことである。

  発展途上国の一部原住民がそのような生き方をしているらしいが、そこにもいずれ文明の波が押し寄せて、我々と同じような生活になっていくに違いない。 複雑な柵に縛られ、様々な誘惑に翻弄され、文明の利器に頼りながら生きるのは明らかである。

 

・ プラスα   

  人類の黎明期においては、生きることが非常に困難な時代であった。生きるために狩猟や採集を行ったが、その苦労は、並大抵のことではなかったと想像できる。

  獲物を手に入れてそれを糧としても、保存がきかないので食べ切った。食べ切ればまた猟に出る。獲物が捕れない日もある。不可欠な水の確保も容易ではない。そんな不安定な生活であったから、苦労の末にそれができたときは、至上の喜びになったに違いない。

   今日においても、身の周りでそれを見ることができる。軒先の蜘蛛は、巣を張って獲物が掛かるのを我慢強く待つ。浅瀬に立つ鷺は、注意深く小魚を狙う。草原の野牛は、新たな餌場を求めて方々に移動する。それはすべて、生きるためである。

   遥かなる昔、人も厳しい生活条件の中、自然災害にも遭わず、肉食獣に襲われず、病気にもならず、一日を無事に生きることが、この上ない喜びに感じられたはずである。それは、ただ純粋に生きることだけを目的とした生き方であったといえる。

   しかし、文明の進歩と社会の新たなシステムによって、ただ単に生きるだけでは、喜びを感じられなくなってきた。大昔のように、文明の利器に頼ることなく、生きることだけを目的とした生き方はできなくなった。

   我々人類は、もう文明のない時代には後戻りできないのである。太古の時代のような苦労もなく、すでに衣食住が足りている生活の中では、ただ単に生きるのではなく、プラスαが必要になってきた。

  そのプラスαとは、何か。それは、それによって生きていることに喜びが感じられることである。つまり「生き甲斐」である。 

                         

・ 生き甲斐

   地球上に様々な生物が存在するが、そのほとんどが生き延びるためだけに生きている。人に近いチンパンジー、オランウータンでさえも同様である。生き甲斐を持って生きているのは、今のところ人類だけなのである。

   人は、常に生き甲斐を求めている。ただ単に「食べては寝る」だけの繰り返しは、虚しいのである。だから、自分にあった生き甲斐を捜そうとする。

  それは、自分が選んだ仕事かも知れない。子育てかも知れない。好きな趣味かも知れない。見果てぬ野望の実現かも知れない。いずれにしても、そのことで生きていることに張りが持てるのである。 

  生き甲斐は、簡単には見つからない。いろんなことを模索したり経験したりして、その中で見つかる場合もある。無理矢理何かを見つけて生き甲斐にしようとすることもある。

 

・ 仕事が生き甲斐

   農業を営む人には、定年がない。いくら老齢であっても、体が動く限り働き続けられるのである。もう七十才は超えていると思われる方が背中を曲げながら畑仕事に精を出しているのは、よく見かける風景である。

   農家の人にとって、病虫害、風水害、干ばつなどを危惧しながら作物を思うように収穫できたことは、至上の喜びになるに違いない。

   つまり、一喜一憂できるものが趣味ではなく仕事そのものであって、それが「生き甲斐」になるのである。

  やり甲斐のある生業といえるが、土地に縛られて自由に行動できないという理由から、若い人には敬遠される傾向にある。

  それでも、最近では、定年後に家庭菜園などのちょっとした農業をする人が増えているらしい。中には、農家から畑を借りる程の本格的な人もいる。素人ながらも、育てたり収穫したりすることが、その人の生き甲斐になっているのである。

  芸術家にも定年がない。芸術家も、生涯において生き甲斐を持ち続けられる人たちである。彼らは、富や地位よりも自分が納得できる作品を作り上げることに精力を尽くす。どちらかというと、高い収入を得ることよりも作品に対する想いが勝っていて、打算的な生き方を望む人は少ないように思う。

  しかしながら、世の中に認められるまでの道のりは長い。その途上で、生活に困窮したり、自分の才能のなさに失望したりして、夢を諦めるのはよくあることである。

   著名な芸術家の中には、死後にその作品が認められた人もたくさんいる。その人にとって、自分の才能が世の中に認められないまま死を迎えたことは、悔いの残る人生だったかもしれない。

   それでも、自分の夢を追いかけるという気持ちを生涯諦めずに持ち続けることができたのである。その夢が、その人にとっての生き甲斐になったと言える。

  それは、芸術界のみならず、他の分野においても同じである。多種多様の選択肢が存在して、どれも魅力的であったり、どれも絶望的であったりする。自分がやりたいことやできそうなことを模索し、どれを選ぶべきか悩み決断する。

  決断したら、それに向かって努力する。そこで、自分がやりたいこととできることが一致すれば問題はない。そうでない場合は、惨めな生涯を送ることもある。

  しかし、たとえ結果がどうであろうと、死ぬまで夢中になって何かに取り組めたのである。その選択を非難することは誰もできないのではないか。

 

・ 趣味が生き甲斐 

   以前程ではなくなったが、日本での野球熱はかなり高い。高校野球や大学野球、社会人野球やプロ野球にしても、その応援にかける意気込みは、本場米国を凌いでいるように思える。

   日本のプロ野球界に、贔屓する球団のために熱烈な応援をして有名になった人がいる。「判官贔屓」ということで、当時は弱小であった球団の応援を思い立ち、死ぬまでその球団の応援団長を務めた人である。

   彼は、まず応援の仕方を工夫する。誰もが知っている曲を替え歌にして応援歌を作り、それを定着させる。応援のための用具も自ら考えて作る。製作費用を最小限に抑えるために、身の回りにあるフライパン、傘、工事用コーンなどを代用した。浮いた分をチケット代に回し、できる限り球場に足を運ぼうとしたのである。

   その熱の入れ方が尋常でなかったので、家業の仕事には身が入らなかったようだったが、家族の協力もあって、負け続けるチームを諦めずに応援し続けることができた。

  そして、「万年最下位のお荷物球団」と言われていたチームが、ついにリーグ優勝を達成する瞬間を目にすることになる。彼は監督や選手から感謝され、彼らの計らいで優勝セレモニーにも特別に参加することができた。誰からも「本当にご苦労さんでした」と労いの声がかかる。彼の努力が報われたのである。

   同じ年、チームは日本一にもなり、彼の喜びは頂点に達した。その時、彼は歓喜のあまり人目を憚らず号泣した。その気持ちは、他のチームを応援する人たちにも分かりすぎるほど分かった。

   その後も、応援を続けて、チームやファンと共に一喜一憂する。七十歳を過ぎてもその熱い思いを変えずにいた彼は、その無理がたたって体調を崩してしまい、帰らぬ人となる。まさに、野球の応援に命をかけた生涯であった。

「たかが野球の応援じゃないか。もっと建設的なことに貢献したなら褒められるが、そんなものに命をかけたって」と首をかしげる人がいるかも知れない。

  確かに野球の応援など、どうでもいいようなことである。「ただの自己満足の世界」と責められても仕方がない。

  しかし、そうであっても、そこに熱い思いを持つことができたのである。苦労の末、一途に持ち続けた願いが叶ったのである。こんな素晴らしいことはない。

  そういう意味で、彼は充実した人生を送ったのであり、彼の生き方が羨ましく思えてならないのである。

                                   

・ 第二の目的

  老い先短い老人の姿を見るのは、何かしら不安を感じるものである。逆に、生まれて間もない赤子を見るのは何か安堵感がある。たとえ他人の子どもであっても、自然に心が和んでくる。

   それは、単なる「可愛さ」からだけでなく、「種の存続」によって誕生した同種の命に対する喜びからではないだろうか。

  遠い昔から世界中のどこの国においても、「婚姻し、子を作ること」は祝い事であった。それは、課せられた責務の成就に対する同種からの祝福である。

   逆に、いつまでたっても結婚せずに子をもうけないのは、周りから白い目で見られる。特に、自分の親からは、「身を固めて早く孫を見せてくれ」などと叱られるのである。それは、世間体もあるが、おそらくどの親にも「種の存続」の意識が潜在的にあるからである。                     

  生命が誕生して以来、子孫を絶えないようにすることは一貫して行われたのであり、これからも続けられる。

  しかし、人口が膨れあがった今、子作りの重要性は薄らいできた。あまりの人口の増加に、一家族一子と制限する国もあったくらいである。

  そんな状況から、「結婚できるのにしない」「子を作れるのに作らない」という生き方もでてきた。

   少し前までは、「一生独身でいる」「結婚しても子を作らない」というのは世間から奇異の目で見られていたが、そのような生き方も次第に認められ、第一の目的である子孫を残すことは、義務ではなく任意になってきたのである。

  そういう人たちにとって第二の目的は、非常に重要なものとなる。すでに子育てを終えた人にとっても同じである。ひたむきに生きるために、たくさんある選択肢の中から自分に合った目的を探すことになる。その目的によって生き甲斐が生まれ、日々満足した生活が送れるのである。

 

・ 目的

  生き甲斐になるものは、人それぞれである。生涯を通して何かを追究するような建設的なものもあれば、他人から見れば全くつまらないものもある。

   いずれにしても、それがその人にとっての生きていることのもう一つの理由になるのであり、その生き甲斐を得る為に何かの目的を持つ。

   先ほどの応援団長を例にすると、彼の生き甲斐は、「贔屓のチームを応援すること」であり、その目的は、「チームが試合に勝つこと」になる。

  目的は、人によって異なる。また、その時々においても変わる。例えば学問であったり、スポーツであったり、芸術であったり、仕事であったり、趣味であったり、子育てであったり、ボランティアであったり、社会的地位であったり、富であったり、恋愛であったり、様々なことにおいてその向上や習熟、遂行や達成を目的とする。

  そして、その目的の実現に働きかけることが生き甲斐となって、生きることに張りが持てるのである。そこには、何かに向かって脇目もふらず一心不乱に取り組む気持ちがある。決して自分を振り返ったり、「自分は何のためにこんなことをしているのか」なんて考えたりしないのである。

「今、まさに競技が始まろうとする中、スタートラインに並ぶ競技者は、目の前のレースに集中していて、良い結果を出すことしか頭にない。『この競技に参加することに、何の意味があるのだろう?』なんて思わないのである」

   人が生きるということは、そういう気持ちが含まれる。何かに対して没頭できること。何かに対して夢中でいられること。その心境で生きていくことが、理想なのである。つまり、そのことがその人にとっての「生きている意味」になる。

   文明が発達する以前の人類は、他の生物と同様に「ただ生き延びること」だけがそのレースの目的だった。しかし、今は違う。本来の目的とは異なる別の目的をレースにしだしたのである。

 

・ 三つの目的   

   目的の種類を大きく分けると、三つになる。目の前の目的、将来の目的、生涯の目的である。それぞれ、その目的に向かうことから目標と言い換えることもできる。

  人は何かに興味を持つと、それを上達したり極めたりしようする。それが学問であっても遊びであっても、スポーツであっても芸術であっても、その知識や技術を習得するために努力をする。

   つまり、それが目の前の目的である。幼少期、友達が自転車に乗っているのを見て、自分もできるように練習することなどがそうである。

   興味が高じて、将来それに関わる職業に就きたいと思うことがある。実際、そういう気持ちを貫いて、自分が望む職業に就いた人もいる。漫画家や音楽家などがそうである。

  また、興味はなくても、自分の将来のことを思ってそれに努力している人もいる。その達成には、かなりの試練が伴う場合もあるが、それでも、その目標に向かってがんばっていく。国家試験に合格した弁護士などが挙げられる。このように何かの職業に就くことが、将来の目的になる。

  しかし、自分が望む職業に運良く就けたとしても、全員が成功者になるとは限らない。成功する人は一握りである。だから、その一握りになることを目指す。そして、その為の努力をする。それが、生涯の目的である。小さな店から始めて、チェーン店まで出せるようになったハンバーガー店の創始者などがその例である。

 

・ 夢

  例えば、将来、音楽家になりたいと望んでいる少年がいるとしよう。ピアノを弾くことが好きで、その非凡な才能を周囲の人からよく褒められている。書籍やメディアで見たり聞いたりした有名な音楽家を知り、その音楽家の作品に憧れ、自分もその世界で成功することを夢みているのである。

「まず、音楽関係の学校に入る。そこで技術を学び素質を開花させ、自分の感性のままに演奏する。その演奏がコンクールで入選し、知名度を上げていく。独奏会を催して、世界中から注目を浴びる。晩年は巨匠と呼ばれ、その出演料は非常に高額になる」

彼は、このような見果てぬ夢を抱き、その夢に近づくように努力するのである。

  もし、その構想が最後まで実現できたならば、その生涯の目的を達成したことになるが、その途上で諦めたなら、他の目的を捜すことになる。

 

・ 職業

   仕事は、生きていく上で一番重要である。趣味が生き甲斐である人にとっても、生活の糧を得るためには必ずしなければならないのである。

   大昔は、職業というカテゴリーはなかった。シンプルに狩猟や採集を行ったが、それが糧を得るための重要な仕事であった。      

  今は、他種多様の仕事があり、それで生計を立てている人の職業が定義されている。

  通常、職業を決めるとき、大抵の人は社会的に地位が高く高収入である職種を望む。人が嫌がるような仕事や重労働で危険度の高い職業は、できれば避けたいと願うものである。そのためには、高学歴でなければならず、それなりの努力をする。

   芸術家を目指す人は、あまり社会的地位や財産には執着しないようである。それよりも「自分の才能を反映した作品で評価を得たい」という思いの方が強い。芸術学校に通い技術を学んで、自分が納得できる作品になるよう努力をする。 

  スポーツ界に身を置く人たちも、競技で記録を出したり活躍したりして観衆にアピールしたいという思いを持っている。末は世間に注目され、高い契約金でプロになることを望む。その実現化には、日々血の出るような並々ならぬ努力をして、激しい競争に勝ち抜かなければならないのである。

 

・ 挫折

  しかし、そのように努力をしたとしても、自分が望む職業に必ず就けるとは限らない。むしろ、そうでない場合の方が多い。現実はそう甘くない。夢と現実との葛藤である。

  もし、途中で挫折した場合は、また新たな職業を探す。とにかくどこかの世界に身を置くのである。それが不本意な場所であっても、生きていく為には仕方がないのである。

 

・ 野心

   生涯の目的の中には、野心を伴う場合が多い。その野心とは、いわゆる社会的な地位、名声、富を得ることである。

 

一  組織の中でトップになる。

     自分の思うままに組織を動かせる権力を握り、支配する立場になる。

二  得意なジャンルにおいて、多くの人に賞賛される。

    自分の功績が認められ、それが自分の勲章となる。また、周りがそれを誉め称える。

三  巨額な富を手に入れる。

    自分が欲しいと思う物を手に入れるための最大の手段である。

 

   この三つが主要な野心であり、成功者はこのいずれかを持っていることが多い。もちろん、「地位や名声、富などいらない。生きていけりゃそれでいい」という思いの人もいる。

   しかしながら、実際、世の中を動かしているのは右記のような目的意識を持った人たちである。

 

・ 仲間も敵

   そのような野心を持つと、当然、似たようなライバルに出くわす。競争相手がいる中で自分が成功するか否かは、「競争に勝つか負けるか」に関わってくる。つまり、敵対する相手を負かさなければならないのである。

  自由競争で勝つためには、策略、陰謀、陥れなど、あらゆる手段を使うことになる。時には仲間を裏切ることもある。負けそうなときは、逆転するために「悪」にも手を染める。成功と引き替えに、悪魔に魂を渡すことも惜しまなくなるのである。

 

・ 理念の範囲

   悪魔に魂を売り渡すと、悲劇が起こる。立身出世や富を得るという欲望のために、他人を犠牲にしてしまう。そのような欲望による支配や殺戮は、数えられないほどあった。

   人は元来、「争ったり殺し合ったりするのは、理念に反する」という思いを持っている。我々の意識の根底に「種の存続」と「同種との共存」があって、その意識に背く行為は抑制すべきであると感じるからである。

   それでも、他人を陥れたり犠牲にしたりしている。目的達成のための自己中心的な悪行が後を絶たない。

   なぜ、このような行いが出てくるのか。それは、「自分は自分であり、他人は他人である」という意識が大きな要因のように思える。

  その意識は、かなり複雑化した社会のシステムによって増幅し、量産されてきた。「油断すると奈落の底に落とされる」という危機感は、「落とされる前に相手を落としてしまえ」という無限の悪循環を産んだのである。

「自分の目的のために悪の道を歩く。自分さえよければ他はどうなっても良い」

   このような考えを持つ輩は、いつの時代にもいる。彼らの反社会的な行為によって、常に弱者が犠牲になるのである。そんなことが罷り通る世の中が、決して良い社会であるはずがない。生き甲斐を持つのも、そのための目的を持つのも、理念の範囲内で持つべきなのである。

   この先、欲望と理念の葛藤は永遠に続く。どちらか一方に傾くのであるなら、理念の方であって欲しいと私自身は願う。

                   

・ 生きる気力

  大昔と比べて、確かに暮らしは楽になった。それでも、実生活において支障がまったくなくなった訳ではない。人それぞれに、それなりの苦労や不安があり、それを跳ね返そうと奮闘している。つまり、その気力が生きる活力となっているように思うのである。

  そう考えると、「今を生きる」「今日を生きる」「明日を生きる」という思いは、今の人より昔の人の方が強かったに違いない。様々な困難や試練が、生き延びることへの執着心を逆に強めたように思うからである。

   若い頃は、希望に溢れていた。自分の将来の輪郭が漠然とした中で、不安より期待の方が大きかった。それが生きることへのモチベーションとなったのである。

   しかし、寿命の折り返し点を過ぎて久しくなったとき、良くも悪くも歴然となったこの先のことを思うと、生きる気力が徐々に薄れていくようである。退屈さのあまり、生きることが面倒臭く思える日もあるくらいである。

   それでも生きなければならない。リセットが効かない大切な命だから、勝手に終わらすことはできない。お迎えが来るまで、なんとか生き続けなければならないのである。

 

・ どう生きるのか

   定年を迎えて、会社を辞める。今日から何もすることがない。行くところもない。ぼんやりとして、時間が経つのをただ待っているだけである。それはまるで、魂の抜け殻のようである。

  これでは、生きる張りがない。生きている値打ちもない。だから、何か新しい目的を捜す。生き甲斐に繋がる目的を見つけようとする。

   それは、別の仕事であったり、趣味であったり、孫の世話であったり、ボランティアであったりする。ひょっとしたら、挫折によって一時あきらめていたことかもしれない。

   もはや生活に困ることはなくなった。だから、本格的に絵画や陶芸、園芸などをやりだす。将棋・囲碁のようなサークルに入って、同じ仲間と楽しく過ごすのもよい。もっと刺激的なギャンブルに走るのはどうか。どれもこれも気楽な趣味の世界であるが、それによって生きることに張りが感じられるのである。 

   気がつけば、人生というレースが終盤に入っていた。スタート地点は遥かに遠のいて、残り僅かな道のりになっている。それでも、この先にあるはずのゴールがどの地点なのか、まったく見当もつかない。

 

・ 一度しかない人生

  我々人類は、無限といえる空間と永遠といえる時間の中でこの世界に誕生した。絶えることなく命を繋いできた結果、今日に至るのである。

  私自身の頭の中に、「石器時代や中世などではなく、なぜこの時代に生まれたのか」という疑問があるが、おそらくそれは、数え切れない偶然の重なりによるのであり、まるで奇跡のようでもある。

   それも、石ころのように「自然がなすがままに」ではなく、自分の意志を持つ存在であるのは、何かしら意義のあることと思えてならない。

   生まれ出た時の頭の中は、誰もが真っ白である。親から命を授かってはいても、意識は引き継いでいないのであり、まったく別の存在になっている。つまり、「個」の状態なのである。

「個」は、生まれて死ぬまでにその過程においてドラマを作っている。ただ単に「食べては寝て、起きては食べる」ということを繰り返しているのではない。それぞれがそれぞれの思いを持って、人生というドラマの主人公になっているのである。

  もちろん、納得のいくドラマばかりでない。不本意なドラマも多い。たとえそうだとしても、その人にとっては、かけがえのないドラマになっているはずである。

   しかし、どんなドラマにも終わりがある。人は永遠には生きられない。時は無情に過ぎていき、嫌でもその終わりに近づいて行く。だからこそ、貴重な時間を無駄に費やしたくないと思う。

  人生は、その人限りである。自分にとっては、たった一度しかない人生である。同じ生きるのなら、有意義に生きたい。臨終時に、「不本意な人生であった」と嘆くのではなく、「波風はあったが、充実した人生であった」と微笑むことができれば良いのである。 

  もし叶うなら、目にするすべてのものが眩しく見えたあの頃の自分に戻りたい。願わくは、疲れも知らず一心不乱に遊んだ子どもの頃のように、何かに夢中になりたい。

  しかし、それはもう、遠い昔のことになってしまった。それでも、せめて生命に終わりが来るまでは、生きる意欲を失わずにいたい。

   時には笑い、時には怒り、時には喜び、時には哀しむというような、順風満帆というより山あり谷ありの波瀾万丈な生涯を送ることができれば幸いなのである。     

                                                

あとがき

・ フロントガラスの虫  

   ある日、車を運転していた時の事である。交差点で信号待ちをしていたのであるが、どこからか小さな虫が飛んできて、フロントガラスに止まった。少し驚いたが、視線を暫くその虫に向けていた。そして、ふと思った。

「こんな名も知らない小さな虫でも、懸命に生きている。車に踏み潰されたり、野鳥に食われたりするかもしれない危険な状況で、何とか生き延びようとしている」

「一体この虫は、過酷な世界の中で何のために生きているのだろうか。生きていることに何か意味があるのだろうか」

「いや、それは虫だけではない。鳥や獣、木々や草花、目に見えない微生物までも同じであり、地球上に存在するすべての生き物に問われるテーマである」

「人も、何か理由があって生きているのだろうか」

「すべての命はどこから来て、どこへ行くのか」

という疑問が、瞬時に思い浮かんできたのである。

   実をいうとこの疑問は、かなり以前の青年期の頃から抱いていたのであり、当時はその答えを見つけられずに歯がゆい思いをしていた。そのことで虚無的な感情に襲われもしたが、しだいに他のことに追われていつしか忘れ去っていた。

  それを思い出させてくれたのが、フロントガラスの虫なのである。この出来事をきっかけとして、再びその疑問について考えてみようと思い立った訳である。

 

・ 明日の天気

  世の中を見渡せば、戦争や飢餓という過酷な状況に置かれている人がたくさんいる。そんな人たちがいるのに、声高々に「人が生きる意味」などを問えば、「何を呑気な」とか「腹の足しにもならんことを」とお叱りの声が聞こえそうである。

  確かにこんな事を考えるのは、私自身がぬるま湯にどっぷり浸かっているからかも知れない。大抵の人にとっては、「人は何のために生きているのか」なんてどうでもいいことであって、「明日の天気」の方がよほど重要であるに違いない。

  もちろん、かく言う私も「人が生きる意味」を四六時中考えていた訳ではない。普段は、「今日の夕飯」や「明日の天気」の方が気になっていたのである。

  それでも、いつしか時間にゆとりができたときに、この答えをなんとか見つけてやろうと心に決めていた。

 

・ 生きる目的

「裕福であろうと貧困であろうと、どのような状況にあっても、人にはこのテーマがついて回る。逃れようがないのであるから、いっそ明らかにして納得のいく生き方をすべきである」

そう思って、答えを模索し出したのである。 

   そんな折に、著名な作家の「生きる目的」という著書を眼にした。その題名の通り、私と同じテーマを取り上げられていて大いに興味を持った。

  その中では、「人が生きる目的などない。生きることこそが目的である」と断言されていて、さらに、「生きる目的を探し出すことが目的である」とも述べられていた。ある面、私と共通するところもあって嬉しく思った。

  まさに我が意を得たりであるが、その一方で、「我々人類は、ただ闇雲に生きていくだけで良いのだろうか。生きている意味を知って、生きることへの目的意識を持った方が良いのではないのか」という疑問も持った。

   そして、そのような疑問を抱いて出した答えが、右記に述べたことである。

「あらゆる生物に共通するように、人にも種の存続が大前提にある。だから、子孫を残すことが第一の目的になる」

「また、第一の目的だけではなく、生き甲斐になる第二の目的が必要になる」

   この結論は、これから先も変わることはないと確信する。過去も現在も、人はこのことを前提として生きてきたのであり、未来も同様である。

   実際、日常においては、「生命の継続」を意識しながら生きている人などまずいない。「生きるために生きている」いう意識も尚更である。

   また、たとえ意識したとしても、日々の仕事や生活に追われていて、いつしか忘れ去ってしまうのが常である。ほとんどの人が、「腹が減るから食物を食べる。喉が渇くから水を飲む。欲しいから子どもを作る」といった生理的な欲求に従って生きているに過ぎない。

  それでも、その二つの意識が脳裏からなくなることはない。隠れ潜んでいるだけであり、遺伝子にはしっかりと刻まれている。そのことによって、生き延びるための手段を選び、本能的に子孫を作ろうとしているのである。

  これは、紛れもない事実である。どのように時代が変わろうとも、どのように社会が変わろうとも、人はそのことを根本に生きていくのである。

  この答えにたどり着くまでには、まさに五里霧中、紆余曲折というような悪戦苦闘の連続であった。

   かなり長い時間を費やしたが、どうにか自分なりに納得できる答えを出せたのではないだろうか。

・ 宗教は一体、何のためにあるのか

 「信仰は、人間にとって本当に必要なものなのか」

 「人が生きるにおいて、どのような役割をなすのか」

 「神や仏は、存在するのか」

 「あの世はあるのか」

このような疑問について、私なりに考えてみたのである。

 

・ 多種多様の宗教

   一口に宗教と言っても様々である。紀元前から続く古い宗教もあれば、昨日今日に発足した新興宗教もある。また、世界的に普及して今尚地域に根付いている信仰がある一方で、栄華を極めた後に急速に衰退した信仰もあり、まさに多種多様といえる。

   世界を見渡して、宗教が存在しない国はない。欧米、中近東、東南アジア諸国はもちろん、アフリカ大陸の発展途上国でさえ、呪術的な何某かの宗教が存在する。

  宗教を認めない共産主義国や社会主義国においても、宗教的な行事だけは未だに残っていて、最近では、国家の統制下において活動が認可された団体もある。

                                       

・ 宗教の起源

  元来、宗教は、アニミズムのような自然崇拝から始まったようである。遠い昔、太陽や海など人類に恵みをもたらす大いなる自然に、人々はいつしか感謝の意を表すようになった。

    しかし、それを無視するがごとく度々襲ってくる自然災害に対しては、民衆は成す術を持たず、只々、慄くばかりであった。

  科学がまだ進展していない時代である。その脅威と被害は、今と比べようのないくらい大きなものであったに違いない。その仕打ちに耐えかねた誰かが、このようなことを言い出した。

 「山には山の精霊が、海には海の精霊が宿るのであり、豪雨、干ばつ、地震、噴火、雷、台風、竜巻、津波などが起こるのは、すべて精霊の怒りによるものである」

  科学的な根拠も分からず、その言葉を信じるしかない民衆は、自分たちの無事を精霊に祈った。さらに精霊を祀って、信仰の対象にしたのである。神が誕生した瞬間である。

  以降、神に対しては常に畏敬の念を込めて接し、シャーマンによって伝えられた神の意向には、絶対的に服従した。時には神の怒りを鎮めるために、非人道的な生け贄なども捧げられた。

 

・ 全能の神

   それぞれの地域で異なる神が祀られるが、いつしか、それらの神々を束ねる大元の神が造られる。この世界と人類を創造した神、所謂「全能の神」である。

   その全能の神から言葉を授かり、民衆に伝える者が現れる。預言者と呼ばれるこの者は、「神の言葉は絶対であり、それに逆らう者は天罰が下る」と言う。

   実際に神から授かった言葉かどうかは証明のしようがないが、「神はこうしろと命じられた」と聞かされた民衆はその通りに従った。自然崇拝とは異なる新たな宗教が出現したのである。

 

・ 仏陀

  当時、小さな王国の皇子であったその人は、人間の四苦である「生老病死」を目の当たりにして、「人とは何か。この世とは何か」という疑問を持ち始める。

   その答えを求めて出家するが、既存の宗教ではそれを得ることができず、自力で解き明かそうとする。

   各地を放浪して命を削るような厳しい修行の末に、ようやく悟りを得てそれを広めていく。

   彼の死後、その教義は多くの弟子達によって経典としてまとめられ、仏門に入った者にとっては不可欠なものとなる。

 

・ 救世主

  争いが絶えない殺伐とした世相の中、突如、「博愛」を説く者が現れた。その者は、独自の理念と教義を展開し、民衆に支持される。

  ところが、その存在に危機感を持った時の権力者に捕らえられ処刑されてしまう。死後復活して、さらに四十日後に昇天する。民衆にとって、カリスマ的な存在から永遠の神となる。

  その後、弟子達によってその理念と教義が福音として広められ、世界中に普及する。

 

・ 多神教と一神教

   複数の神を崇める信仰を多神教と言い、一つだけの神を崇める信仰を一神教と言う。

   多神教での神々にはそれぞれに役割があり、ほぼ同格に位置する。日本の神道やインドのヒンズー教などがその代表である。

   一方、神は一つであるとする一神教の代表は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などである。その神は、唯一絶対的な存在として位置づけられている。

  イスラムなどの一神教の国では、日々の生活において信仰が一番重要な位置を占める。国民の大半が神への畏敬の念を持ち、その教義に従い行動する。自分が信じる神が絶対なのであり、異教の神を認めることはあり得ない。

   日本では、信仰を持つか否かは任意であり、どの宗教団体に属するかも自由である。普段信心していない者も、祭りや結婚式は神道、葬儀は仏教、クリスマスはキリスト教とその作法に従って振る舞う。他国から見ると非常に不可解な国民性になるようである。

 

・ 三大宗教

   現在、世界三大宗教と言われているのは、キリスト教、イスラム教、仏教である。それぞれに異なる部派や宗派があり、異端とされる宗派や新興宗教を含めるとかなりの数になる。今のところ世界的に見て、キリスト教系の信者が一番多いと言われる。

 

・ キリスト教

   紀元一世紀の初期に現れたユダヤ人のイエスが創始者になる。元来は、ユダヤ教から派生した一神教といわれる。

   以前より普及していたユダヤ教はユダヤ人だけの民族宗教であったが、イエスは全人類の救済を目的とした。イエスの信者は、ユダヤ人のみならず全世界にその教義を広めた。

  その目的を達成するために、「すべての人が博愛の精神を持たなくてはならない」と説いて回る。たとえ敵同士であっても、憎んだり殺し合ったりしてはいけないのである。

  キリスト教においては、三位一体という教義が根幹をなす。「神には、同一の本質を持ちつつも互いに混同し得ない区別された三つの位格、父なる神(ヤハウェ)と子なる神(イエス)と聖霊なる神がある」とする。

  アダムとイヴの堕罪以降、子孫である全ての人間は生まれながらにして原罪を背負うが、神にして人であるイエスの死はこれを贖い、「イエスを信じる者は、罪の赦しを得て永遠の生命に入る」という。

 

・ イスラム教

   キリスト教が確立した後、イスラム教も起こる。イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教と同様のアブラハム系譜に連なる唯一神教である。

   信仰の対象になる神は、アッラー(神という意味)と呼ばれているが、先の宗教と同じヤハウェであるとする説もある。

   預言者のムハンマドにもたらされた聖典の教えを信じて、それに従う。コーランと呼ばれるこの聖典は、旧約聖書を基にして作られたともいわれている。

  その教義の根幹は、偶像崇拝を排除し、神への奉仕と信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじることである。

   イスラム教徒は一般にムスリムと呼ばれるが、それは「神に帰依する者」を意味する。六信(神、天使、啓典、使徒、来世、定命)と五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)がすべての教徒に義務として課せられる。

 

・ 仏教

  仏教は、紀元前五世紀頃のインドにおいて始まる。

   当時、カースト制の最上位に司祭階級バラモンが君臨していたが、その教えに疑問を抱いた釈迦は、苦しむ民衆を救済すべく出家する。苦行の末に自ら悟り、「慈悲」を理念とした教義を展開する。

   仏教の根本的な教義は、「慈悲の心を持って人の為に尽くす」である。そのような人は、菩薩と呼ばれる。その菩薩になるためには、人間の中にある煩悩をなくすことが必要であると説く。

   日本へは、中国、朝鮮を経由して伝来したが、現在は、同じ仏教でも異なる宗派が混在している状態である。

   東南アジア諸国においては、仏教国と他宗教国に分かれていて、発祥地であるインドでは、ヒンズー教(前バラモン教)が主流になり仏教は衰退した。

 

・ 共通点

  これら三つの宗教の信仰の対象となるべき神や仏は異なる。もちろん、教義も異なる。しかし、共通することがある。それは、「人として、どう生きるべきか」を教義の中に入れていることである。

  単に神や仏を信仰することだけではなく、人間が幸福に生きるための指針ともいえる教律が述べられている。「慈悲」「博愛」と言葉はそれぞれ違っていても、人類の意識の根底にある「人は、同種の人とは争わずに共存していくこと」を理念としているのである。

   それは、「種の存続」を可能にするための「他人との共存」のあり方であり、人類本来の生き方を普遍的な摂理として明確に示すものと言える。

   世界に普及した信仰の最大の要因は、民衆がその理念に強く共感できたということに他ならない。

 

・ 道徳と宗教

   道徳においても「人として、どう生きるべきか」が説かれている。つまり、宗教と同じ役割を持つといえる。

   そのことから、「道徳さえ守れば、宗教などいらない」という意見も存在する。実際、信仰を持たない人の大半が、この考え方である。

  しかし、「宗教と道徳は違う」という意見もある。「道徳は人格形成を目的とし、宗教は人がどう生きるかを示す指針である」とするのである。

   具体的にいうと、善悪を認識させることが道徳で、神や仏の教えに従って生きなさいと示唆するのが宗教であるらしい。

                                   

・ 法律と道徳と宗教

   混沌とした時代、他人を犠牲にしてまで生き延びようとする輩は、略奪、殺人などの悪行を繰り返した。

   あまりの世情の乱れに庶民は怯えるばかりであり、耐えかねた時の権力者は、犯罪者を罰するための法律を作りそれを執行する。その甲斐あって、犯罪は減少する。つまり、法律が悪の抑制になった訳である。

  しかし、法律は万能ではない。抜け穴もある。罰されることなく合法的に人を泣かすこともできる。

   道徳や宗教は、それを許さないのである。「法律で罰せられるから悪行をするな」ではなくて、「人として悪行はすべきではない」とするのである。それが道徳や宗教の本質である。

 

・ 不安

  近年、科学は様々な分野において飛躍的な進歩を遂げた。それによって、未知であった法則が急速に解き明かされる事となる。

   物事が科学的に説明されると、根拠のないことに疑いを持ち始める。これまで神や仏の意向とされてきたことに耳を傾けなくなってくる。もはや人類は、神や仏に頼ることなく自らの手で問題を解決できるようになってきたのである。

   にもかかわらず、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒のような神や仏を信仰する人々が世界中にたくさんいるのは何故か。

   どんなに科学が発展しても、すべての事象が明らかになることはない。様々な事象が解析されても、また新たな未知なる事象がでてくる。その出現は、永遠に続くことになる。

   たとえば、病気についてである。今は特効薬により死に至る人がほとんどいない結核も、昔は不治の病であった。当時、結核になった人は、毎日を不安な気持ちで過ごし、それこそ神や仏に祈りたい心境であった違いない。

  現在、不治の病とされる癌やエイズも、おそらく近いうちに治療法が見つかることであろう。そうなれば、今、深刻に悩む患者さんたちに大きな希望を与えるはずである。

  医学の進歩により、難病が次第に克服される。大昔のように「病=死」にはならない。誰もが安心して暮らせる世の中になってきた訳である。

  それでも、病気による死への恐怖心はなくならない。何故なら、新たな不治の病が出現する可能性があるからである。

   仮に新たな難病にかかり、余命一週間と宣告されたなら、その人は平静を保っていられるであろうか。尋常ならぬ死の恐怖心が、強烈に襲うに違いない。

   それは、病気だけのことではない。人がこの世界で生きて行く限り、様々な問題が身に降りかかるのであり、自分の力ではどうにもならないときもある。

   どのような人でも、「生きることへの不安」「老いへの不安」「死への不安」は付きまとってくるはずである。

   この先、どんなに素晴らしい社会や時代になっても、老若男女を問わず何某かの不安を持つものなのである。

   人が生きて行くというのは、簡単な事ではない。自分が望んだものとは異なるものを強いられることもある。その日の糧の獲得だけでなく、様々な問題が身に降りかかってくるのである。

   人はどんなに平穏であっても、何某かの不安を持つ。その不安を払拭するために努力する。人生とは、「不安との戦い」なのである。

 

・ 祈り

  長い人生を考えたとき、その道のりには山もあれば谷もある。すべてにおいて順風満帆とはいかない。不慮の事故、不治の病、災害などに遭遇することも充分有り得る。    

   もし、自分ではどうすることもできない状況になった場合、人はどうするのだろうか。

   只々、祈るのである。祈るしか方法がないのである。それは、神に対してかも知れないし、仏に対してかも知れない。あるいは、何か漠然とした摂理に対してかも知れない。

 

・ 老婆の祈り

  私が中学生であった頃の話である。

   早朝、登校の途中、一人の老婆が小さな祠の前に立っているのを見た。両手を合わせて神妙な態度で拝んでいたが、中の地蔵菩薩に向かって何か呟くような言葉を発した。

   おそらく「南無阿弥陀仏」の念仏であったと思われる。あの年令から察すると、周りの知人の大半が逝ってしまっているに違いない。

 「自分ももうすぐお迎えが来る。そうなれば、地獄より極楽に行きたい。そのためには、仏にすがるしかない」

こう考えて、一心不乱に手を合わせていたのであろう。しかしそれは、「仏に対する畏敬の念というより、自分の願いを叶えたいがためではないのか」と、少し軽蔑の目で見たのを覚えている。

  四十数年後、私自身があの老婆の年令に近づいた今では、彼女の気持ちが分かるような気がする。

   遅かれ早かれ、誰にでも「死」は訪れる。死後の世界は誰もが未知であり、非常に不安なものである。その不安は、齢を重ねるごとに大きくなっていく。

  特に終末が近づいた老婆にとっては、そのことが切実に感じられたのであり、その恐怖心をぬぐうには、仏に祈るしかなかった。つまり、信仰だけが安息になり得る唯一の方法だったのである。

 

・ 釈迦の教え

  釈迦は、「生・老・病・死」についてこう語った。

「悲しいかな。『思うように生きられない。老いがくる。病気になる。死が直面する 』というのは、誰にも避けられないことである。どんなに幸福な人でも、どんなに若い人でも、どんなに元気な人でも、どんなに長く生きている人でも、いつかはそうでなくなる。その事を考えて、不安にならない人はいないのである」

   釈迦が誕生した時代は、医療と呼べるものがほとんどなかった。だから、病気が死に至る大きな要因になった。そんな時代に生きた人々には、常に不安な気持ちが付きまとったと思われる。

   医療が進歩した現在でも、不治の病に冒された人たちは日々生きた心地がしないに違いない。藁にもすがりたい気持ちで、治療法が見つかるのを待ち望んでいるはずである。

   老いについても同様である。たとえ、今が若くて元気で、箸が転んでも笑ってしまうような幸福の絶頂期にあるとしても、それはいつまでも続かない。必ず終わりが来る。時間は容赦なく過ぎていくのであり、いつしか皺だらけの自分に気づく。

   そして、最後には「死」という人生のゴールに到着する。それは、誰もが向かうことであり、止めることはできない。どんな時代に生きようと、どんな所にいようとである。 

  そう考えると、死への不安が脳裏からなくなることはない。人は、そのような暗雲に覆われた時、憂鬱を和らげてくれるものを求める。その一つが、信仰なのである。

 

・ 魂の救済

   この世には、様々な災いが存在する。自然災害以外に人的災害もある。

  例えば、支配と被支配である。支配される者は、支配する者に翻弄され、無理難題を課せられる。生きていくのがボーダーラインの過酷な時もある。嘆くばかりの窮地に立たされると、生きる意欲さえなくなってくる。

   そのような厳しい状況においては、信仰が生きることへの意欲を奮い立たせてくれる。希望を捨てさせないという役割をなす。

 「どんな苦しいときでも、仏が貴方を見守ってくれる。たとえ不本意な臨終を迎えようとも、仏が貴方を認めてくれる」

 「現世では辛いことばかりであっても、今をかんばって生き抜けば、彼岸に行ける」

信者は、その言葉を心の支えにして、常に善行を心がけようとするのである。

   これは、仏教に限らず、キリスト教、イスラム教などの他の宗教にも言えることである。

   自分ではどうにもできない困難。その重圧で精神的に潰されそうになるくらいの苦悩。その解決法をどうしても得られない時に、「魂の救済」として宗教は存在するのである。

  実際、世相が殺伐としている時代では、宗教によって慰められる人が増えるようである。また、安定した時代においても、様々な精神的な苦痛から「魂の救済」を求める人が必ず出てくる。

   信仰は、そのような人たちにとって、心の拠り所となる。信仰によって苦難を乗り越えられた者にとっては、信仰こそが自分の生きる目的であるという意識が強くなっていく。

 

・ 孤独

   人を阻害する問題の一つに、「孤独」ということがある。たとえ集団の中にいても、孤立を余儀なくされる人が結構いる。そんな人にとっても、信仰は大きな意味を持つ。

   同じ信仰によって繋がれば、仲間意識や連帯感が湧いてくる。自分はもはや一人ではないという安心感も生まれる。「信仰こそが自分の存在を認めてくれる唯一の場所」になる訳である。

  このように、払拭できない不安や危機感をもったとき、人は何かに頼るのであり、心の支えを求めるものである。

   窮地であっても、諦めない強い気持ちで最後まで立ち向かえる人はそれでいい。信仰に頼らず、自力で困難を乗り越えられる人は、宗教など必要ないと思う。

   しかしながら、世の中はそんな気持ちの強い人ばかりではない。精神的にもろい人も結構いる。いや、強靱な精神力の持ち主でさえ、時として不安になるのだから、まして普通の人なら尚更である。

  様々な苦悩を持つ人たちに、確かな安息をもたらしてくれるもの。それが信仰であり宗教なのである。

 

・ 方便

   人が死んだ後に行くべきところは、大きく分けて天国か地獄になるという。

  天国では、自他の区別がなく、何の苦労も苦痛もない平和な世界であるらしい。逆に地獄は、血の池、針の山、釜ゆでなどの恐ろしい責め苦が絶え間なく続く恐ろしい世界であると聞く。ダンテの神曲に出てくる阿鼻叫喚の地獄も同様である。

   しかし、そのような天国や地獄が本当にあるのだろうか。幽体離脱で横たわっている自分の体を見た人はいても、死後、地獄や天国に行って再び生き返ったという人は、未だかつていない。なのに、天国や地獄が実際にあるかのように語られる。何故そのような世界が語られるのか。

   仏教には、輪廻転生という思想がある。

「人は、死んでも再び生を受ける。それは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界のいずれかにおいてであり、どれになるのかは前世の業による。これを六道輪廻といい、命あるものはこれを際限なく繰り返しているのである」

   これが本当なら、転生した者の中には、人界で悪行をして畜生界に落ち、その後、また人界で生まれ変わった者もいるはずである。

  ところが、「自分の前世は、馬であった」と語る人や「自分は、元は人であった」とアピールする馬を私は今までに見たことがない。これは、前世の記憶はなくなり命だけが引き継がれるということなのであろうか。

  たとえそうだとしても、これでは本当に生まれ変わりなのかどうか証明のしようがない。証明のしようのないことを敢えて語る。それは何故なのか。

  確固たる法律がなかった時代や確立しても抑制力を持たない厳しい時代では、悪行が後を絶たなかった。「悪行をして何が悪い」と居直る輩には、「慈悲の心」や「博愛の精神」を説いても馬の耳に念仏であったに違いない。

   そこで、何としても悪行に歯止めをかけたいという願いから、あの世や輪廻転生の思想が用いられたのである。      

「人は死ぬと、それで終わりではない。あの世があって、天国か地獄に行くことになる。どちらに行くかは、現世での自分の業次第である」

   極悪非道な行為が憚る中で、それを哀れと感じた僧や神父が、「人として行ってはならないことへの戒め」として語ったのである。 

   現世での悪行や善行は、死んでも消えずに残り、死後に反映される。もちろん悪行をすれば地獄行きで、善行をすれば天国行きになる。「死んだら終わり」と考えていた者にとっては、その言葉の効力は大きい。

「あの世など糞食らえ」と居直る者は仕方がないが、大抵の者は地獄に行かないよう自分の業に気をつけるものである。

   つまり、「天国か地獄か。人か畜生か」この言葉は、人に善行を心がけさせるための方便として使われた訳である。

  今では、そのような意図であの世や輪廻転生が語られることは少なくなった。どちらかと言うと、道徳や法律がその役割を担っていると言える。

  物事すべてが科学的に捉えられている時代においては、証明できないことを無闇に公言するのは合理的でないとされ、胡散臭い絵空事と非難されてしまう。

   しかし、そうとでも言わざるを得ない時代があって、それが悪行を思いとどまらせる唯一の方法であったとしたら、大いに有意義な方便だったと言えるのではないだろうか。

 

・ 信仰の役割

   ある日本の著名な作家が、次のような例え話で信仰について述べられた。

「重い荷物を背負った旅人が、山の夜道を歩いている。周りは暗くてはっきり見えない。ひとつ間違えば谷底に落ちてしまうが、今更、後戻りもできない。足取りも重く、手探りで進んでいく。『自分は、この道を無事に進んでいけるのだろうか』そんな不安な気持ちを抱きながら歩いていると、遠くの方に一つの灯りが見えた。『民家の灯りに違いない』ほっとした旅人はさっきまでとは違い、しっかりとした足取りで進んでいくのである」

「民家の灯りによって、実際に重い荷物が軽くなったり、長い道のりが短くなったりした訳ではない。しかしながら、旅人の気持ちに確かな変化をもたらした。それが足取りに表れたのである。『一つの灯りが旅人を勇気づけたこと』それはまさに、信仰の役割である」

  大変分かりやすい話である。確かに、神や仏に祈ることによって試練がなくなる訳ではない。現実に、信仰によって不治の病が治ったり、巨額の負債が消滅したりすることなど有り得ないことである。

   しかし、人は感情を持つ生き物である。気持ちの有り方で苦痛も増減する。信仰とは本来、そのように苦悩を緩和する役割を持つのである。

 

・ もう一つの役割

   作家であり尼僧でもある著名な方が、講話の中でこのようなことを述べられた。

「人は、自分の心をコントロールできないものである。できないから仏様にお願いするのである。それが信仰の役割である」

  煩悩をなくすことは大変難しいことである。生理的な要求を含めた多くの欲望を払拭することは、並大抵のことではない。厳しい修行を積んで悟りを得た高僧でも、煩悩を完全になくすのは難しい。なぜなら、その高僧も人間だからである。

  人は、環境によって意識が変わる。飢餓に襲われれば餓鬼になり、修羅の世界に入れば、邪鬼にもなるのである。それを仏に帰依することで克服するのが、仏教の根本であるとするのである。            

 

・ 宗教の問題点

   宗教の役割を私なりに述べたが、宗教が持つ問題点も述べなければならない。

   宗教の問題点を羅列すると各種宗教団体から批判を受けるのは必至であるが、それを覚悟で挙げることにする。

 

・ 万物の創造

  宗教家に言わせると、宇宙の万物を造ったのは神であるらしい。「生物のみならず、有機物、無機物のすべてを」である。

   地球上の生物に限って言えば、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、昆虫、微生物などの動物や多種多様の植物に至るまで、総数が百五十万種以上になるものを造ったことになる。

  神はこれらを何のために造ったのか。さらには、人類にも危害を及ぼす細菌やウイルスまで造ったのは、どんな意味が込められているのか。そう考えると、神の意志というものがまったく理解できなくなるのである。

 

・ 宿業

  悲劇的な結末で人生を終えた人に対して、「前世での行いが悪かったからである」と言う人がいる。輪廻転生については、悪行を抑止する方便として使われるのは仕方がないとしても、そのような言葉には同意しかねるのである。

   現世で何の罪もない者が、不幸を被る。たとえば、生まれたばかりの嬰児が病気や交通事故などで命を落とす。その子に落ち度は何一つない。なのに、このような悲劇が起こってしまう。両親は嘆く。「うちの子が、何故こんな目に遭わなければならないのか」と。

   今、生存しているすべてのものが、大昔に誕生した生命を祖にしているのは事実である。親から子へ、子から孫へ、さらには孫の子へと脈々と続き、その過程で進化と変異を繰り返してきた。その意味では、確かに命を引き継いできたといえる。

   しかしながら、いくら命や遺伝子を引き継いでいるといっても、その時々に存在するのは個としてであり、まったく別のものである。悪人であったときの意識を引き継いでいるならまだしも、頭脳も新たにリセットされた一人の人間として誕生したのであり、決して同一人物ではない。

   なのに、悪人から何代も後の誰かがその報いを受けるのである。まるで、時代を超えた連座制のようで、理不尽極まりない。関係のある者は不問で、関係のない者に罪を償わせるというのは一体どのような道理なのであろうか。悪の報いは、その当事者が受ければよいのであり、不公平としか言いようがない。

  このように、理屈に合わない宿業ではあるが、一部の宗教家はそれが仏の本意であるという。仏がそんな意識を持つであろうか。私には、「神も仏もない」と嘆く者に対する言い訳としか聞こえないのである。  

  仏が、「前世が今世の運命を決定している。不幸なのは前世の報いであって仕方がない」というのであれば、今世でどんなことをしても運命には逆らえず、結果、「善行であっても悪行であっても、とどのつまり同じである」とする気持ちさえ起こってくる。これでは、仏が望む平穏どころか混沌へ向かうことになってしまう。

  今世の不幸の原因は、前世の行いなどではない。偶然と必然が作用した現象によるものである。それを糸も簡単に「前世」という言葉で片づけるのは如何なものか。

   この「前世」という言葉が最初に使われたとき、その動機は「宿業」を語るためではなく、おそらく、次のような気持ちからであったに違いない。

  落ち度のない者が悲惨な目に遭うのは、辛いことである。その近親者にとっては、諦めきれずに傷心を引きずってしまうことになる。それを見ていた周りの者は、「死んだ人には何の罪もないのであり、この試練は、前世の宿業のせいである」と慰めた。つまり、同情の気持ちからだったのである。

   しかし、慰めの言葉をかけるのであれば、敢えて「前世の宿業」などではなく「悪い偶然が重なったのであり、我々にはどうすることもできなかった」と言った方が良かったように思う。

 

・ 神や仏の加護

   人は、自分の力ではどうすることもできないことに直面したとき、神や仏に救いを求めるものである。

   戦国時代、これから戦場に向かうひとりの武将が、対面する敵に打ち勝つことを仏に祈った。一方で、相手の武将も同じ事を同じ仏に祈っていた。偶然、二人が出くわし、殺し合いになった。

   結果、最初の武将が切られて死んでしまう。その後、生き残った武将も他の武将に殺されてしまう。

   何が言いたいのかもうお分かりだと思う。もし、仏の加護があるのなら、二人は死なずに無事に帰れたのである。実際はそうならなかった。つまり、いくら祈っても仏の加護などないということである。

   そのことは、当時の武将の誰もが分かっていたはずである。それでも祈らずいられなかったのは、命のかかったせっぱ詰まった事態であったからである。

   現在においても、人は似たようなことをしている。戦国時代のような命のやりとりではないにしろ、日常の中で、交通安全、合格、安産、健康、勝利などを神や仏に祈って加護を求めている。

   しかし、お守りやお札をどんなに買っても、交通事故に遭う人は遭うし、病気になる人はなる。全員が祈願通りにはならないのである。それでも、神や仏に祈る。なぜか。

   人は、目的や目標の達成のためにできる限りの努力をする。その達成において、努力しても自分の力ではどうすることもできないこともある。つまり、運も作用するのである。

   だから、普段信心していなくても、神や仏の力によってなんとか願いを叶えてもらおうとするのである。

   加護や御利益を求めてする信心。それは、神や仏に対する心からの畏敬の念からではなく、自分自身の利益のためにするのである。もし、神や仏に加護や御利益がないと分かると、信心しなくなるに違いない。

  そのような信者も信者であるが、それに乗じて神や仏の力を過剰にアピールする宗教家も如何なものであろうか。

 

・ 神の過ち

   世界各国、津々浦々、多様に存在する神々ではあるが、そのすべてに共通して言われることがある。それは、「神は絶対的であり、すべての真理を把握している」ということである。それ故に、神の審判は常に正しいものとされている。

   しかし、時として、間違いを犯す。自分を否定する者に対しては、怒り狂って厳しい審判を下すとするが、自分を信じる者に対しても、危機が迫っているのに見知らぬ顔でいることがよくある。

   また、罪深い輩に対しては、その残虐な行為を平然と許して、逆に罪のない命を見殺しにしたり、消えかかる幼い命に手を差し伸べずにいたりするのである。

   さらには、自尊心や嫉妬心が強く、その身勝手さから理不尽な行為も平気で行う神もいる。「非常に人間臭い神」と言える。

   いや、これではまるで人と同じであり、もはや神とは認め難い。断じて、神と呼ぶべきでない。

 

・ 神の教義

   科学がまだ進歩していない時代、神からもたらされたとする教義も絶対的であった。もし、それに反する理論を唱えようものなら、その者は厳罰を受けることになったのである。

   自分たちが信じる教義とは異なるという理由で、真実を伝えようとした者を処罰する。神の名の下で、無実の者を迫害する。神はこんなことを本当に許すのであろうか。

 

・ 神や仏の存在

   神や仏に祈るだけでは、問題は解決されない。祈って解決できるものなら、誰もがそうするのであり、そんな事はあり得ないのである。それは、歴史が如実に物語っている。

  そのような事例が世界中にあるが、日本においては、「島原の乱」や「一向一揆」などが挙げられる。

   信者たちは、理不尽な支配者の要求に対し、強い信仰心で抵抗した。武力で来る敵に対して慣れない武器を持って立ち向かったのである。

  激闘の末、矢尽き刀折れても尚、自分たちの神や仏を信じた。しかしその祈りも虚しく、全員が処刑されてしまう。

   もし神や仏が本当にいるのなら、信者たちを見捨てるはずがない。自分を崇める者を見殺しにするはずがない。現実は違った。信者たちの思いとは真逆の、悲惨な結末になったのである。

   結局、神や仏は、この世に存在しないのである。存在しない神や仏にいくら祈っても無駄である。所詮、「神や仏とは、人が考えて造り出したものにすぎない」ということになる。

 

・ 伝道師

   信仰に導くのは神父や僧侶である。彼らは、様々な知識や知恵を持っている。特に教育制度が確立していない時代では、庶民にとっては博学の人であり、唯一頼れる存在だったに違いない。

   誰もが「神父や僧侶が言うことに間違いはない」と信じ切っていた。たとえ信者が知識人であっても、彼岸の世界のことは未知である。彼らは、神や仏の代弁者であり、彼らの言葉は、神や仏の真意である。だから、彼らの指し示す方向に従うことが、大願成就への近道であると考えたのである。

   しかし、伝道師も人間である。神や仏ではない。弟子、孫弟子、その孫弟子の弟子とねずみ算的に増え続けるたくさんの弟子の中には、不心得者もいる。その中には、「開祖より自分の教えこそ本懐である」とそのアピールに余念のない輩もいる。「師の心、弟子知らず」である。

   僕というべき側近の中には、「自分の信じる開祖こそが絶対的であり、他は抹殺すべきである」と公言する者もいる。「教団を大きくしたい。教義を普及させたい」という焦りは、悪行へと向かわせる。悪質極まりない手段を平気で使い、異教徒の殺戮も奨励するのである。

  開祖の釈迦やイエスは、自分の地位や名誉、財産など欲していなかった。少なくとも、民衆の救済だけを考えていた。ところがその理念に反して、私利私欲のために宗教を利用する者が出て来たのである。

  このような悪徳宗教家が現れるのは、世の常である。宗教を利用して富と権力を手に入れ、この世を思うが儘に支配しようと企む輩は、後を絶たない。

   夜毎巷を徘徊し、酒池肉林の限りを行って戒律を犯す生臭坊主。生娘の信者を言葉巧みに騙し、欲望のまま毒牙にかける不埒な神父。こんな輩が聖職者であるとは、言語道断である。

 それこそ地獄界に放り込んで、のたうち回るような苦痛を味わわせなければ憤りが収まるものではない。

 

・ 懺悔

   いくら道徳教育が行き届いても、いくら宗教が普及しても、残念ながら犯罪は起こる。欲望が勝れば、道徳も宗教も無力となってしまうからである。

   今、敵対するグループの何人かを殺してきたマフィアが教会に入って、神父の前で懺悔している。彼は、「殺人は罪深い」と知りつつ犯罪に手を染めたことを悔いているのである。

   神父は、「神は、貴方の懺悔によってその罪を許したもう」と言う。彼は、しおらしく頷く。

   彼の犯罪は、空腹に耐えかねて仕方なくパンを盗んだという類のものではない。人としての尊厳を失うぐらいに罵倒され、怒りで相手を殴り殺したという類のものでもない。利権争いから、自分の組織に対立する同業者を情け容赦なく何人も殺したという極めて自己中心的な犯罪なのである。

   神は、それを懺悔したからといって本当に許すのか。身勝手な理由で犯した罪であるにも関わらず、赦免するのか。

   大体、大罪を犯しながら、それを神に許して貰おうなんて虫が良すぎる。心底、反省しているなら罰を受け、やくざ家業をやめて真っ当な職業に就くべきである。

   現実には、そうする人は希であり、懺悔をしても改心せず、さらなる悪行を繰り返していく輩がほとんどである。

 

・ 正教と邪教

  宗教団体は数多あるが、いずれの団体においても、「こちらが唯一正しいのであり、他は邪教である」と主張する。

   さらに、「我々の神(仏)は絶対的であり、信仰によって必ずや信者を良い方向に導いてくれるであろう」とも言う。

   もちろん、その信仰によって救われる者もいれば、災いを被る者もいる。歴史的に見て、どちらかというと安息より殺戮の原因を作ったという印象が強いのは私だけであろうか。

 

・ 宗教戦争

   過去には、宗教の対立によって戦争まで起こるという事実があった。異なる宗教間だけでなく、同じ宗派内でも内紛が勃発してたくさんの血が流された。原因は、先に述べた通りである。

  いずれにしてもこのような事態は、宗教の本来の在り方から遠く離れているのであり、「残念ながら、宗教は争いを作る原因であり、人類に仇なす悪の根源である」と言わざるを得ないのである。

   キリスト教は、「博愛」を説く宗教である。「汝の敵を愛せよ」が主な教義であるにも関わらず、異教徒を認めなかった。それどころか、軍まで遠征して弾圧したのである。

   その命令を出したのは、神ではない。聖職者や権力者という「人」である。結局、彼らは、教義を守ることより普及させることを優先させた訳である。

  異なるが故に対立する熾烈な争いは、今尚続いている。宗教と無関係な人まで巻沿いを食って、その尊い命がなくなることもある。なんとかならないものか。

 

・ 国教

   国家が保護したり支援したりする宗教を国教という。時代や国によってまちまちであるが、仏教、キリスト教、イスラム教などが国教になっている。日本では、大日本帝国の時代に神道がそのような扱いを受けた。

   何故に、国家が宗教を保護する必要があったのか。それは、宗教が民衆を統制する手段に適していたからである。つまり、利用するためである。

   支配層が真に神に委ねたとか仏に帰依したとかではなく、自分の権力を守るために宗教を取り入れた訳である。権力者の中には、国家の安全を願って真に帰依した者もいるだろうが、大抵は、権力の維持のためである。

   キリスト教は、その最たるものといえる。当初は、国家から迫害を受けるほど疎まれていたのであるが、民衆に広く普及したため、一転して国教に指定されてしまった。

   指定した権力者については言うまでもないが、それを受け入れた宗教家たちも同類である。

自分たちの信じる宗教が、国によって守られるのは願ったり叶ったりではあるが、そのために権力者に媚びへつらって、宗教の本来の役割をないがしろにするのは如何なものであろうか。

   権力者と宗教家の間に「保護と見返り」という癒着が生じたことは、明らかである。嘆かわしいことであり、イエスは天からそれを見て、どのように思ったのだろうか。

                                       

・ エセ宗教団体                   

   家庭に事情のある子どもたちを引き取り、親身になって面倒を見る。昔からそのような福祉活動をされている宗教団体には、本当に頭が下がる思いがする。親代わりとなって子どもたちと向き合うシスターや僧侶の姿は、まさに神や仏のように見えてくる。

   ところがその一方で、それとは真逆の団体が存在しているのも否定できない。

  宗教も利用された過去がある。いや、現在においても神や仏の名のもとで利用されている。表では「信者の幸福」を謳いながら、その裏では「富と権力の獲得を目指し、信者を思いのままに動かす」とする宗教団体が蔓延っているのである。

  最近、そのようなエセ宗教団体に関わる事件が、よく報道される。詐欺紛いの手口で信者の全財産を巻き上げてしまう教祖、世界制覇を目指し、果ては大量殺人を引き起こす恐ろしい集団など、とても宗教団体とは思えないような事件を引き起こしている。

  害を被るのは信者である。何かにつけて多額のお布施を要求されるが、「これも神や仏の意向であるから」と言われて出すはめになる。教祖や幹部に騙し取られていることに気付いたときはすでに遅く、後の祭りである。大半の人が泣き寝入りで終わっている。

   このように宗教が関わるトラブルは後を絶たず、結果、身を委ねた信者を救済するどころか逆に苦しめることになっているのである。

 

・ 「宗教は阿片」

  カール・マルクスは、「宗教は阿片である」と言った。宗教を否定する代表的な意見である。共産主義国や社会主義国が宗教を認めない理由の一つになっている。

  その意味は、「宗教は痛みを緩和するモルヒネであり、痛みの原因を究明したり解決する手立てを考えたりさせないものである」とする。「現状を嘆くのではなく、その試練を受け入れなさいとするのは、痛みの原因を作る側の味方になってしまう」というのである。

「問題の解決の方法は、神や仏に頼るのではなく、ねばり強く現実的に考えて見つけるべきである。時には、そのための闘争も仕方がないのである」

  確かにその通りである。事実、そのような考えを持った先人達によって、様々な分野が改善され進展したことは否めない。どのような状況でも諦めずに立ち向かって行くという強靱な意志が、そのことを可能にすると言える。

 

・ キリスト教の問題点

  主要な教義の一つである「汝の敵を愛せよ」というのは、本当に可能なのか。

   この言葉が意味するのは、「相手に対する憎しみを捨てれば、その人も自分のことを憎まなくなる」である。

「共存」という根本的な摂理からすると、「立場が異なっても同じ人間であるから、お互いに認め合い、敵対せずに仲良くしましょう」ということになる。

  だから、たとえ自分に危害を加えようとする悪人であっても、その人を許さなければならないのである。

  どのような悪人でも、生まれたときから悪人である人などいない。たとえ平気で人を殺すような輩でも、犯罪に至る某かの理由があったのであり、まったく同じ人間なのである。

  それ故に、「どのような人でも真摯に向き合えば、必ず人間らしさを取り戻し、悔い改めるであろう」とする。

   なるほど、その理念は共感できる。しかしながら、問題はそれが可能かどうかである。

  敵といっても様々である。商売敵、同じ目的を持つライバル、考え方が異なる人、敵兵など、それぞれ意味合いが異なってくる。

  この中で唯一認められるのは、同じ目的を持つライバルである。それも、人による。卑劣な手段で相手を出し抜くようなライバルであるなら、絶対に好きにはなれない。もし、そんな相手に寛容な誠意を見せても、お人好しの馬鹿な奴と笑われるだけである。

   また、自分の商売を邪魔するような商売敵とも仲良くはなれない。商売敵によって自分の商売が成り立たなくなれば、生活が苦しくなってしまうからである。

  さらに、自分の考えが唯一正しいと主張する輩も嫌いである。そんな輩は、常に攻撃的かつ感情的であり、生理的に受け入れられない。

   命のやり取りの相手になる敵兵は、できれば仲良くしたいものである。ところが、戦場では相手に銃を向けなければ自分がやられてしまうのであり、必然的に殺し合うことになる。仲良くするなんてあり得ないのである。

   このように考えると、「汝の敵を愛せよ」というのは不可能であると言わざるを得ないことになる。人の本性から考えても、到底無理な話なのである。

  確かに「敵も同胞である」という理念は分かる。それでも、理想はあくまで理想であって、現実とは違うのである。

   もし、争いのない平和な世界を目指すのなら、「敵を愛する」ことよりも、「お互いが敵にならない」ことの方が近づけるように思うのであるが、如何なものであろうか。

 

・ 仏教の問題点

   釈迦は、人の本性を理解した。苦悩は、その本性から起因するものであると考えた。

   そして、人が仏になるには、欲望や嫉妬などの煩悩を一切取り払うしかないと悟る。そうすることで、様々な争いがなくなると信じたのである。

  すべての人に欲望や嫉妬がなければ、その衝突はない。衝突による争いは、起こらないのである。確かにその通りである。

  しかしである。すべての人に煩悩がなくせるであろうか。人の本性に関わる煩悩のすべてをである。無理である。絶対に不可能である。

   いや、仮にできたとしても、そのような人ばかりの世界が本当に楽しい世界と呼べるだろうか。

   煩悩がまったくない世界。人が生きている気配がしない世界。それはただ単に存在するだけであって、無機質のまるで髑髏が転がる世界のようである。

   人が誰かに対して憎悪や嫉妬を持つのは良くない。しかしそれは、人であるなら当然のことであって、仕方がないのである。その方が、人間らしい生き方といえる。

   逆に、感動も懺悔もない生き方というのは、どうかと思う。喜んだり、笑ったり、悲しんだり、泣いたりすることのない人の集まりというのは、想像するだけで「ぞっ」とする。

  仏教でいう極楽浄土とは、そのような世界になるらしいが、なんと味気ない世界であることか。

   釈迦は、事実、そのように悟ったのだろうか。もしそうだとしたら、釈迦は大きな思い違いをしたことになる。

  いやいや、そうとは思いたくない。すべてを悟った釈尊が、そんな思い違いをするとは思えない。

   おそらく弟子達が、釈迦の本懐を間違って解釈し、不可能な世界をあたかも実現できる理想の世界と教義に取り入れたのではないだろうか。

   悟りを得た釈迦は、それまでの厳しい自戒をやめて普通の人間らしい生き方を選んだ。そのことからして、釈迦の本意は、

「人に煩悩が起こるのは避けられないことである。しかし、過剰な煩悩は争いの元になる。それは理性によって抑えるべきであり、その理性は修行によって作れる」

と、いうことではないだろうか。

 

・ 私利私欲の手段

  過去に宗教絡みの事件が、どれ程たくさんあったことか。純粋な人ほどマインドコントロールされやすいのであり、気がつけば犯罪の片棒を担いでいたという人も多い。 

  狡猾なエセ宗教家は、窮地にある人の心の隙間をついてくる。それにつけ込んで利用しようとする。

   騙されてはいけない。彼らが発する「慈悲」や「博愛」という言葉は、私利私欲を実現ための手段にすぎないのであり、本意ではない。

  惑わされた信者は、盲目的になる。狂信的になる。その結果、自分の信じる神や仏が絶対であると思い込んでしまう。それは争いの元であり、結局、開祖の思いとは真逆の方向に進んでしまうことになる。

   そうならないように、自分が信じる宗教が本物であるか否かを見極めて欲しい。自分を見失うことなく、冷静な判断をしてもらいたい。

「信仰によって苦悩が緩和される。生きる勇気が湧いてくる。生きる道を教えられる」

それこそが、宗教に求められる真の役割ではないか。

  もし、そのような役割を持つなら、その宗教を認めてもよい。信者は、それを心の拠り所にして敬虔な気持ちで信仰することである。

  残念ながら、そのような宗教とは正反対の宗教がこの世には存在する。見かけ倒しの押し売りのような宗教団体が、まるで雨後の筍のように乱立している。

   ネズミ講のように信者をたくさん増やして、莫大な資金を集める宗教団体。信仰を富や権力を築くための道具にする宗教家。そんな輩が唱える宗教など、民衆のための宗教であるはずがない。

 

・ 諸宗教における共通の問題点

   どの宗教団体も、更なる普及を目指す。信者獲得に余念がなく、「信じれば、仏(神)から必ず功徳を受ける」と言葉巧みに勧誘する。入信者も、自分の団体がどこよりも拡大していくことを次第に望み出す。

   狂信的な信者は、教義に明らかな矛盾点があっても黙認する。それを指摘しても無視する。

 

   以前、私が所属する(名前だけであるが)団体の幹部の人に、こんな質問をぶつけてみた。

問い 「信心すれば、自分の運命を良い方向に変えられると言うが、震災で犠牲になっ

   た方の中には熱心な信者もいた筈である。決して良い運命とは言えない」

答え 「人生の善し悪しは、長さではない」

問い 「過去に、法に背く幹部もいた。結局、信仰してもしなくても同じではないか」

答え 「犯罪は教義に背くことになる。たとえ幹部でも破門になる」

問い 「この宗教が真に正しい宗教であるなら、いつかは全世界のすべての人が、

   この宗教を信じることになるのか」

答え 「それは不可能である。布教を邪魔する輩が必ず出てくるので、無理である」

問い 「イスラム教を信じる者に、イスラム教は邪教であると言うと争いになるの

   ではないか」

答え 「キリスト教徒に同じ事をいっても、争いになるだろう」

問い 「それでは、いつまでたっても宗教上の争いはなくならないのではないか」

答え 「なくすように努めなければならない」

問い 「・・・」

   一体、どのように努めるのか。争いの火種があるというのに、どのようにしてなくすのか。明確な回答が得られそうもなかったので、それ以上質問はしなかった。

 どんな宗教にも、問題点や矛盾点はある。どれが真に正しい宗教なのかは、簡単に判断できるものではない。

 それにも関わらず、各宗教団体が、「こちらこそ正教である」と強固に主張すれば、その衝突は必然的に起こる。まるで宗教団体の存在自体が、争いの火種のようである。

  信者の中には、他宗教の正当性など聞く耳を持たず、「この宗教が、いかに自分に御利益をもたらしてくれるのか」という利害だけで信心する者もいるに違いない。

 敵対する他宗教の信者の人生などは、どうでも良いのである。ひょっとしたら、自分の宗教の正当性を証明するために、災いを被れと思っているのかも知れない。嘆かわしいことである。

 

・ 平等

  もう一つ、気になることがある。それは、「誰もが神の下に平等である」という言葉である。

   教義に平等を説く宗教団体は多い。誰彼分け隔てなく公平に接することが、神や仏の真意とするからである。

  実際は、どうだろうか。異なる宗派の信者に対しては、かなり毛嫌いしているのではないだろうか。不平等な扱いどころか、敵対心むき出しで攻撃する団体もいるのであり、かなり矛盾を感じる。宗教に寛大な日本においても、そのことは例外ではない。

   実際、それに関わる体験をしたことがある。

   仕事で観光ガイドをしていた時である。地方から来た修学旅行生の一人が、神社の前で「鳥居をくぐれない」と言いだした。

   その訳を聞いてみたら、「家が仏教なので」と答えた。どうやら、出発する前に親から言われていたようである。          

   当然、他宗教に関連する様々な行事にも参加できないのであり、クリスマスであっても、サンタやツリー、ケーキなどは認められてはいない。正月でも、神社には参拝できないのである。

   政治活動も、その宗教団体が支持する政治家を否応なく応援するが、そこに、人物の評価や政策で判断されることはほとんどない。「団体が推す政治家は、絶対間違いないから必ず投票しなさい」と言われるのである。

  これでは、「団体に所属する政治家なら誰でも良いのではないか。団体が目指すものは、政治的影響力を持つことではないのか」という疑惑すら出てくる。

   ここに、AとBの音楽家がいるとしよう。実力は、Aの方が勝っている。Bはある宗教団体の信者であるが、実力はそこそこである。その団体は、AとBのどちらを評価するのか。それは、言うまでもないことである。

   人は、贔屓するものである。身内や仲間、考えが一致する同志に対しては、贔屓目に見てしまうのであり、応援もする。

   しかし、教義の中に公平、公正を謳っている宗教の信者が、あからさまな贔屓をするのはどうかと思う。異なる宗教や宗派であっても、その信者は人間なのである。人格さえ否定的するような態度で敵視するのは、間違っている。

   さらに、教祖的な立場の者の言動を「絶対に正しい。すばらしい」と褒め称えるのも頂けない。人である以上、誰にでも間違いはあり、時には凡庸な面をさらけ出すこともある。

   それを神や仏でもあるまいし、すべてを認め崇めるというのは馬鹿げているし、納得できるものではない。

   挙句には、黒を白と言い出しかねないのであり、結果、「狂信的=盲目的」と非難されることになるのである。

 

・ 無神論者      

  私自身は、無神論者なので神や仏の存在を認めていない。絶対的な神や仏などこの世に存在しないのであり、存在するのは、自然界の法則とそれによって作られた物質だけだと信じている。もちろん、人類もその中に含まれている。

  よって、神や仏を崇拝する宗教には努めて入ろうとは思わない。宗教家の「神や仏を信じれば、人類に仇なす難事がすべてなくなる」という言葉は、信者を増やすための詭弁であると考えている。もしそれが本当なら、とっくの昔に地球は平和な楽園の地になっているはずだからである。

   しかし、このような無神論者であっても、時としていないはずの神や仏に頼ろうとしたことがある。

   事実、夜半に自宅近くの民家が凄まじい勢いで燃え上がるのを見たときは、「火の手がこちらに及ばないように」と祈った。

   また、知人の子どもが水の事故に遭った時は、神社に行ってその子の命の無事を祈ったこともある。

   さらに、そのような切羽詰まった状況だけでなく、後悔の念で自爆自棄になりかけた時も、何かにすがろうとした。

   もちろん、それは信心からではなく、「単に誰かに救いを求めたい」という咄嗟の意識によるものである。おそらく、悲惨な事故現場で「Oh my God !」と叫ぶ外国人と同じ心境であったに違いない。

   どんなに意志が強い人であっても、どうにもならない窮地に陥れば、弱い面を出すものである。

   日毎に得も言われぬ不安が襲う。不眠が続き、体を動かすのも辛い。鬱的な気分が増して、目の前の景色がすべて灰色に見える日もある。

  そんな時こそ、救いの手を差し伸べて欲しいのである。人の弱みに付け込んで心の隙間に入り込む邪悪な手ではなく、真に慈悲や博愛に溢れた救いの手をである。

   その手立てによって、鬱や孤独感が緩和され、以前と同じ景色が見えるようになる。さらに、生きていくことに一縷の光明が見えてくる。

   つまり、宗教の真の役割とは、そういうことなのである。

   そのような役割を担う宗教団体であるなら、その存在を認めよう。また、その教義を全面的に肯定しよう。もし、身近にいる誰かが苦しんでいれば、そこへの入信を勧めだろう。

   それでも、私は無神論者であることに変わりはないが。

 

・ 宗教の未来     

   この先、宗教はどうなるのであろうか。千年後、二千年後になっても存在するのであろうか。

  遠い昔の古代インドでは、台風、雷、山火事、大雨、干ばつのような自然災害は、風神や雷神、火の神や水の神といった神々の仕業と思われていた。現在では、そのように考える人はほとんどいないと思われる。

   近い将来、自然崇拝は、儀式だけは残っても、文明の普及によって消えていくに違いない。その一方で、自然を守るという環境保護の意識は、高まっていくと思われる。

   これからは、神や仏の存在が疑問視されて、それを崇める信者は少なくなるのかも知れない。イエスや釈迦などは、独自の教えを広めた歴史的な人物という意味合いが濃くなっていくのである。

   もちろん、新たな宗教も出てくるだろうが、ほとんどが一時的であって、すぐに終わってしまうに違いない。

 

・ 結論

  私自身は、宗教はなくなって欲しいと願う。

   それは、どんなに素晴らしい信仰であっても、それを利用する宗教家が必ず出てくるからである。

   宗教団体の幹部は、悩める民衆の救済ではなく利権を目指す。権力の拡大を最優先にする。目的達成のためには手段を選ばず、信者を利用する。 

   観光地になって拝観料を取るくらいならまだしも、高額なお布施を信者に要求するような団体など「百害あって一利無し」である。 

  実際、胡散臭い団体が多すぎる。利害関係による内輪揉めの末、分裂した宗派、訳の分からない教義を振り回して周辺の住民に迷惑をかける新興宗教、自分こそが救世主であるとうそぶく教祖など、存在自体に疑問符がつく団体が乱立しているのである。

   これは、純粋な信仰に対する背徳行為であり、到底認められるものではない。布教活動の停止はもちろんのこと、団体そのものも消えて欲しいと思う。

  宗教は元来、災いを祓い、恵みをもたらすために始まったのである。時代の移り変わりと共に、原始宗教から新たな信仰が起こり、その教義や教律は、幸福や天国に導いてくれる指針であると人々は信じた。

   現在でも、そのように信じる人がいる。宗教に頼っている人が、たくさんいる。そんな人たちに、「自分の宗教を今すぐ捨てなさい」などと言えるものではない。

   信者にとっては、教義こそが道徳であり正義なのである。それ故に、彼らから信仰を奪ってしまうのは、耐え難い苦痛を与えることになる。強要すれば、それこそ争いが起きてしまうだろう。

   では、どうすればよいのか。

   できれば、国、民族、地域によって異なる宗教を一つにまとめたいものであるが、現段階では無理である。同じ宗派でも分裂するのであるから、統一は残念ながら不可能である。

   それでも、その違いによって争うのではなく、「同じように人類の救済を目指している」という意識を持って、折り合いをつけて欲しいと願う。

   今のところ「同胞である」のは、建前だけでもよい。それだけでも、宗教間の争いが少なくなるはずである。

  将来、多くの人が宗教の矛盾点に気づき始めたなら、宗教の必要性は薄らいでくるに違いない。その時までに信仰に変わるものを用意しておいて、それを普及させることである。

 

・ 新たな倫理観

   数ある宗教の教義の中には、人類にとって良いものもある。それらを抜粋し、新たな倫理とする。つまり、「博愛」や「慈悲」などの既存の教義をまとめて、「人として、どう生きるべきか」を道徳に取り入れるのである。

   内容は、全人類が「同類としての共存」という意識を共有できるものであり、決して特定の神や仏を崇めたり、絶対的であると狂信したりするようなものではない。当然、科学的に根拠のない慣習や差別的なものは含まない。

   形状は、例えるならプロテスタントの聖書のようなものになる。但し、誰が読んでも分かるような手短で簡易な文にする。どうとでもとれる言い回しや、時代にそぐわない例え話は遠慮してもらう。

   もし、このような道徳教育が普及すれば、争いは激減するに違いない。自国という意識ではなく、同類という意識によってすべてが運営されるからである。

   この他、宗教本来の役割である「不安や悩みに対してのサポート」も必要になる。先に、「どんなに良い社会になっても、悩みや不安はなくならない」と述べたが、人はそれぞれに様々な問題を抱えるものである。特に、災いを被っている人は深刻になる。

   そのような悩みや不安を相談できるカウンセラーが必要であり、いつでも利用できるようにしなければならない。それも中途半端なカウンセラーではなく、育成されたスペシャリストが現場に赴くのである。それで、自殺する者や反社会に走る者が激減するはずである。

   新たな倫理感と適切なサポート。それを世界中に普及させれば、宗教は必要でなくなる。限られた宗教の信者だけでなく、全人類を救うことになる。

   人は、誰もが争いのない平和な世界を望む。誰もが様々な苦悩から解放されたいと願う。悲劇が襲ってくるのは、もうたくさんなのである。

   もし、それを真に目指すのであれば、現実的で誰もが納得できる手立てが必要になってくる。絵空事ではまったく意味がないからである。

   同時に、私たち自身の意識も問われてくる。それは、「神や仏が見ているから悪行をしない。天国や極楽に行きたいから善行を心がける」ではなく、根本的な摂理である「同胞として共存する」という意識を持つことである。

   我々は、常にそれを実践しなければならないのであり、そうすることが、不可能を可能にする唯一の方法であるように思う。

   理想の実現には、かなりの年月がかかるに違いない。なぜなら、そこへ向かう道には、とてつもなく大きな壁が立ちふさがっているからである。

   それでも、あきらめずによじ登らなければならない。世界中が同じ方向に向かうように努めなければならないのである。

「一体、何が悪で、何が善なのか」

 

・ 悪と善の定義

   おそらく、道徳の時間だったと思う。「常日頃、何事にも良心を持って行わなければならない。決して悪事はすべからず」と教わったように記憶している。

   ここでいう良心とは、どんな心なのか。さらに、悪とはどんな行いを指すのか。はたまた、その心の状態は如何にあるのか。

 

・ 罪悪感

   何か後ろめたい気持ちになるときがある。例えば、嘘をついたときである。

   友達と会う約束をしたが、その後、「体の調子が悪くなったから」と言って、約束を反故にしてしまう。

   本当の理由は、「体の調子」などではない。悪友から、遊びの誘いが来たためである。どうしてもそちらの方に行きたいので、断る理由を作った訳である。

   結果、友だちへの裏切になって、少し心が痛むことになる。先方に本当のことが知れると、「先に約束したのに」と非難されて、信用がなくなるに違いない。

   中学生の時に、興味本位で父親の煙草を吸った。煙草に火を付けるときは、ちょっとどきどきした。

   吸ってみると、「なんだこんなまずいもの」と思ったが、少し大人になった気がした。それと同時に、「親にばれるのではないか」と心配にもなった。

   飲酒運転の罰則がそんなに厳しくなかった頃、自家用車で誰かの祝賀会に行ったことがある。

   そこで麦酒を勧められて、コップ一杯分だけを飲んだのであるが、「まあ、この程度なら」と思いながらも、交通ルールを破っているという少しの罪悪感もあった。

   しかし、この場合は罪悪感より、「検問に出くわさないように」という思いの方が強かったが。

   まあ、どれもこれも大したことではないが、悪行は悪行である。本当なら先約を優先して後からの誘いを断り、成人するまで煙草は吸わず、交通ルールはしっかり守らなければならないのである。

   でも、そんな律儀で実直な人は、周りを見てそうはいない。

 

・ 悪行の質

   この世には、そんな取るに足らない悪行より、もっと大きな悪行が存在する。日常茶飯事に起こっていて、数え挙げるときりがない。

   中には、悪行に対する罪悪感の欠片もない者もいる。それどころか、それを生き甲斐とする者もいるのであり、驚くばかりある。

   オレオレ詐欺や振込詐欺などは、どれだけ上手く相手を騙せるかであり、金の詐取に成功すると「してやったり」と、ほくそ笑んだりするのである。被害者がどんなに困ろうとお構いなしである。

   麻薬の売人も、手っ取り早く商品を売ることかしか考えていない。中毒になった客が、どうなろうと知ったことではないのである。

   さらに自分の客が、麻薬による幻覚で無差別殺人を起こしても、自分にはまったく関わりがないことと平然としている。

   誘拐殺人犯も極悪人である。大金をせしめるために幼い子どもを誘拐した挙げ句、顔を見られたからと口封じのために命まで奪う。

   もしこんな奴らが捕まったら、「騙される方が悪い」と居直るとか、「つい出来心で」とか、「殺す気はなかったが、仕方なく殺してしまった」とか自分の罪を最小限にするための言い訳をするに違いない。

   まったく悪いことをしたという気持ちは微塵もなく、これからも同じような悪行を繰り返すかも知れない。

    積極的に他人を踏み台や犠牲にする輩は、常に次の獲物を狙っている。迂闊に気を許すと被害を蒙るのであり、油断も隙もあったものではない。

   世の中にこのような輩がいる一方で、仕方なく悪に手を染めてしまった人もいる。

  発展途上で社会保障制度が整っていない国は、まだまだたくさんある。そのような国の多くの人々が、その日の生活もままならないという状況に苦しんでいる。

   極度の貧困のために幼い我が子に食べ物も与えられず、ついには他人のものに手を出してしまった母親は、誘拐殺人犯と同様の悪人と呼べるのだろうか。

   たとえ悪人であっても、先に述べた者たちと比べれば、かなり悪行の質が違うように思うのであるが。

 

・ 無意識の悪行

  小学生の頃、同じクラスの友達が、日曜日に家族で遊園地に出かけて楽しかったことを聞こえよがしに話していた。

当然、私の耳にも入ってきて、家族で遊びに行くことがほとんどなかった自分としては、羨ましいのを通り越して悪意をもったのを覚えている。まあ一言でいうと、友達を妬んだ訳である。

   友達としては、楽しかったことを誰かに聞いてもらいたかっただけであり、決して悪意はない。

   しかし、その自慢話で周りの誰かが傷ついたのであり、思いの外、些細な事ではあるが悪行になっていたのである。

  実際、そういうことが結構ある。何かに成功したことを他人に言い触らしたり、自分の容姿を自慢したりすると、周りの中で決まって傷つく人が出てくる。

  当人としては、人を傷つけようとしたのではなく、嬉しい気持ちを誰かに伝えようとしただけなのであるが、結果的に悪行になってしまったのである。無意識の悪行である。

  同様に、車で人を轢いて怪我をさせたとか、死に至らしめたとかというのも無意識の悪行ではないか。

  人を轢こうと思って運転する人など誰もいない。対人はもちろん、対物も当たらないようにと注意しながら運転する。

   ところが、本人の不注意やタイミングの悪さ、自然の作用などが原因で事故は起こってしまう。過失という言葉があるが、まさに予想しなかった悪行である。悪意がなくても、悪行はあるのである。

 

・ 偶然と必然

   ある道路の歩道で、観光客らしき数人のご婦人たちが立ち話をしていた。これからタクシーに乗るか、バスを利用するかという相談である。

  数秒後、タクシーに決まるが、すぐに空車のタクシーが目の前に迫って来くるのが見えた。ご婦人の一人がすかさず手を挙げる。それに気づいた運転手が、すぐに進路変更をして歩道沿いに車を止めようとした。

   ところが、その左斜め後ろをバイクが走っていて、タクシーに接触する。

   果たして誰が悪いのか。婦人たちにとっては、今、タクシーを止めるとバイクが追突するなんて思ってもいない。バイクのライダーも、まさか目の前のタクシーが、急な進路変更をするなんて予想もしていない。とすると、後ろを確認しなかったタクシーが全面的に悪くなるのか。

   実は、タクシーの運転手は、追突される前に後ろをルームミラーで見ていたのである。が、運悪くバイクがルームミラーの死角に入っていたため、見落としてしまった。

「ご婦人たちからあまり離れると、後ろを走る他社のタクシーにとられてしまう可能性がある。早く横付けしたい」と焦った運転手は、サイドミラーで横の安全確認をしっかりしないまま急な進路変更をした訳である。

一 ご婦人がタクシーの間近で手を挙げた。

二 バイクがタクシーの左斜め後ろを走っていた。

三 そのバイクがタクシーのルームミラーの死角に入っていた。

四 タクシーの運転手が焦って急な進路変更をした。

  つまり、このような偶然が重なって、必然的に事故が起こったのである。直接的に事故の原因を作ったのは、タクシーの運転手である。間接的にはご婦人とバイクになる。

  あえていうなら、ご婦人は今ここで手を挙げれば、斜め後ろのバイクがタクシーに衝突する可能性があるという懸念を持つべきだったのである。しかし、そんなことまで気が回らない。

  バイクのライダーもタクシーが急な進路変更をするかもしれないと予想して、スピードを落とすべきだったのである。急いでいたので、タクシーの横をすり抜けようとしていた矢先であった。

   この時、バイクは転倒したが、ライダーは軽傷で済んだ。幸いにも事なきを得たのだが、場合によっては、命に関わる事故になることもある。

  車で意図的に怪我をさせたり、死亡させたりする人はいない。誰もが無事に運転することを願っている。しかし、そんな思いがあっても人に危害を加えた場合、結果的には悪行になるのである。

  交通事故だけではない。このような悪行になる危険性は、あらゆるところに隠れ潜んでいる。悪行を生み出すシステムが、人の意識と関係なく世の中に存在しているということである。

                                        

・ 善意の悪行

   険しい登山道を歩いていたら、遭難して行き倒れなっている人を発見する。持っている水と食料を与えたところ、さらに具合が悪くなってしまった。急な食事の摂取が原因である。

   その後、救急隊に助けられ一命は取り留めるが、素人の不適切な処置を叱られる。

   このように、行ったことがその意識とは逆の結果になることもある。人に良かれと思ってしたことがかえって仇となり、多大な迷惑をかけてしまったり、取り返しのつかないことになったりする場合もあるのである。

  善意から行われたにもかかわらず、結果的にはマイナスに作用したのであるが、これは、どう判断すればよいのだろうか。無知が、善意で行ったことを悪行にしてしまったのか。

 

・ 正義の悪行

   行為が悪行であるのに、それが正義であると思っている者もいる。宗教の違いから起こるテロや民族紛争などは、まさにそれである。

「こちらが信じる神が真の神であり、それ以外は邪教(悪)である」

「そちらが先に我々の民族性を否定したのであって、その報復である」

ということをお互いに主張する。それがエスカレートして大きな争いに発展していく。

  現在においても、テロによる犠牲者は絶えないのであり、これからも関連した惨事がなくなることはない。実行したテロリストたちの言い分はこうである。

「我々は正しい。この行いは、本当の悪は誰で、本当の正義とは何なのかを全世界の人々に気づかせるのである」

   このようなテロリストたちに、「それは悪行になるからやめなさい」といっても聞く耳をもたない。彼らは、「このテロは、正義の為の聖戦である」と主張し、自分たちこそが本当の正義であると信じているからである。

  もちろん、テロを遂行するにはそれなりの理由がある。関係のない人たちを巻き添えにしたり、まだ年端の行かない幼い命を奪ったりするというのは、余程の理由に違いない。

  しかし、その殺戮によって数多くの犠牲者が出て、結果的にそれが悪行になったことは事実である。だから、正義感を持って行ったことでも悪行はあるのである。

 

・ 命より正義                            

   どんな些細な悪行をも拒んで、正義を貫こうとした人の話である。

  終戦後の日本では、物資がなく食料も不足していた。配給だけでは生活できないので、ほとんどの人が合法的でない闇市で食料を手に入れた。

  ところが、それを良しとしない裁判官がいて、配給だけで食料を賄おうとした。結果、その裁判官は栄養失調で死んでしまう。裁判官という立場と凝り固まった正義感が、自らの死を招くことになった訳である。

   当時、この裁判官に対して「立派である」という賞賛の声(少数)と「馬鹿である」という否定的な声(多数)があがった。

   つまり「法を犯すくらいなら死んだ方がまし」と「生きるためには法に背くことも仕方がない」の賛否両論になったのである。 

  法にも悪法がある。すべての法が正しいとは限らない。闇市を取り締まる法律が悪法になるのかどうかは意見が分かれるところであるが、「たとえ悪法であっても従うべきであり、破ることは悪になる」とするのは、如何なものであろうか。

   もし、当時の国民すべてが、この裁判官のように配給だけで暮らしていたら、どれくらいの数の餓死者が出ていただろう。乳飲み子から老人、さらに病人まで、かなりの数になっていたに違いない。

  現実的に不可能な建前だけの法律を律儀に守らねばならないとするのは、ナンセンスである。まして、「死に至るような法律を厳守することなど、馬鹿者のすること」と言われても仕方がないのである。

   しかしながら、その裁判官の並々ならぬ正義感には敬服する。このような強靱な意志を持つ人は、決して賄賂や権力に屈しないに違いない。凡人には到底できないことである。私利私欲ばかりを追いかける輩と比べると、「月とすっぽん」である。

  たとえ死に向かうことになっても自分の正義を貫いたのは、ある意味、尊敬に値する人と言えるのかも知れない。

 

・ 人間万事塞翁が馬                

   人の運命とは分からぬものである。予期せぬ幸運によって、豪華で贅沢な暮らしになったり、突然の災難によって、転がる石のようにどん底に落ちたりすることがあるからである。

  幸運を授かった者は喜び、災難を受けた者は嘆く。「授かるなら幸運であって、災難は遠慮したい」と誰もが思うのであるが、必ずしも幸運が幸福をもたらすとは言えないし、災難が不幸をもたらすとも言えない。

  宝くじに当たって億万長者になった者が、強盗に入られて命を亡くしたり、火災によって何もかも失った者が、どん底から這い上がる努力をして大富豪の名士になったりすることもある。幸運が不幸に、災難が幸福へと導いたのである。

  人の悪行も同じことがいえる。人にもたらした悪行が、結果的に善行になることもある。希なことではあるが、実際にある。

  何かにつけていじめの対象になった。失敗を手酷く罵られた。「責任を取れ!」とも言われた。

しかし、そのような仕打ちを受けたり罵声を浴びせられたりした者が、少々の困難にびくともしない不屈の精神を宿すことになる。また普段からの精進もあり、成功者になる。

   陥れるために企てたことが、逆に良い影響を与えてしまったのである。これなどは、悪行が善行に変化したといえる。但し、企てた者の悪意は、変わってはいないが。

  このようなことから、何が悪で何が善なのかは、すぐには判断できないことになる。

 

・ 悪とは

  ある論説の中で、「悪とは、人間にとって否定的と評価される対象、行為、事態をさし、肯定的な価値としての善の対をなすもの」と定義されていた。抽象的な表現ではあるが、一応納得できる定義づけである。

  この中の「人間にとって否定的なもの」とは何か。それは、広義に言うと人類の繁栄をさまたげる行為であり、狭義に言うと個人に災いをなす行為である。

  以前に述べたが、人は他の種と同様に、「種の存続」と「同種との共存」が意識の根底にある。だから、その意識に反する行為が、否定的なものになる。

  そして、「人間にとって」ということから、我々人間社会においては、悪を被る対象が「人」と限定されるのである。

   具体的に言うと、人の物を盗ったり、怪我をさせたり、命を奪ったりである。また、自由を束縛したり差別したりすることも同様である。

   さらには、人を陥れたり、誹謗・中傷したりと人の気持ちを害することも悪行になる。

  残念ながら歴史的に見て、このような悪行が起こらなかった時代はないのであり、その総数は無限である。

   悲しいかな、「人間の本質とは悪ではないか」と思える程の惨劇がたくさんあったのは言うまでもない。

 

・ 善とは    

  逆に、善とは、「種の存続」と「同種との共存」という意識がある行為になる。

   我々は、難儀で困っている人を黙って観ていることはできない。他人であっても、死にかけたり、病んだり、窮地に追いこまれたりした人には、救いの手を差し出したくなるものである。

  確かに、今自殺しようとしている人が目の前にいれば、引き留めるに違いないし、公園の片隅に生まれたての嬰児が捨てられていれば、拾い上げるであろう。

  それは、失われてしまう生命に哀れさを感じると共に、同胞であるという仲間意識が強く働くからである。

   つまり、このような意識から行われることこそが、善になるのである。

   実際、日常生活の中で善を実行するのはなかなか容易ではない。切羽詰まった状況下でない限り、できるものではない。

   たとえ仲間意識があっても、自分を犠牲にしてまで他人のことに気をかけられる人はほんの一握りであり、神や仏のような人は、そういるものではないのである。

 

・ 性説

  昔、中国では、孟子、荀子、告子といった思想家たちによって「人の本性とはこうである」という性説が唱えられた。

  それらを大雑把に分けると、人の本性は「善である」「悪である」「そのどちらでもない」の三通りになる。果たしてどれが正しいのかは、もうお分かりだと思う。

  大体、悪や善という概念が、これまで述べてきたように非常に定義しにくいものであり、さらに人の性格も釈迦やキリスト、皇帝ネロやヒットラーなど人によって個人差があるので、「すべての人はこうである」とは簡単には断言できないのである。

  しかし、このようには言えるのではないか。

「人は、命あるものに対しては基本的に善である。特に同類に対しては、そうである」

  瀕死で苦しむ人が自分の側にいると、「何とか助けてあげたい」という思いを持つし、時には、自分を犠牲にしてまで窮地に立つ人を救済することもある。

   それは、すべての人の遺伝子の中に、「種の存続」と「同種との共存」が組み込まれていて、人類としての仲間意識が出てくるからである。

  ところが、そのような意識が根底にあるにもかかわらず、それとは逆の行為も数々ある。

   それは、人という同類の中での争いである。本来なら、助け合わなくてはならない同胞による殺し合いである。

  今までに、たくさんの暴挙や殺戮が行われてきた。その原因は様々であるが、人が人を殺すということは、いつの時代でもどこの国においても漏れなくあった。

   人は、時として同胞を助ける「善」にもなれば、同胞に仇なす「悪」にもなる。このように考えると、人の本性というのは、性善説や性悪説のように善と悪のどちらか一方に定義されるのではなく、「様々な条件や環境の中で、善にも悪にもなりうる性」と言った方が正しいように思われるのである。

 

・ 無益な殺生

  昔、近所に住んでいた年配の方が、「釣った魚は捨てるより、食べてあげる方が供養になる」と言われたのを思い出した。「せっかく奪った命であるから、どうせならその魚を生きるための糧にした方が魚も納得するだろう」という思いである。

  仏教において、「無益な殺生をしてはいけない」という言葉がよく使われる。これは、人に限らず命あるものをむやみやたらと殺すのは良くないという戒めである。

  確かに幼い子どもが、面白半分に虫の足を引きちぎったり体を踏みつぶしたりするのは、見ていてあまり気持ちの良いものではない。虫にも命がある。その命を奪うことは命の尊厳に反する行為であり、「可哀想なことをするな」と叱られても仕方がない。

  しかし、この無益という言葉の裏返しを考えると、有益であれば許されることになる。もちろんこの有益とは、人類にとってである。

  実際、我々人類は、いろんな生き物の命を奪って生き長らえてきた。それは、そうするしか生き延びる術がなかったからである。

  猟師が猟銃で獲物を撃つのは、生活のためであるから許される。しかし、猟師でない者が余興として遊戯的に獲物を狙うのは、命を弄んでいることになり許されない。

  つまり、「生きる術としての悪は仕方がないが、それ以外の悪は、避けるべきである」ということである。それは、糧になる種へのせめてもの配慮なのである。

 

・ 他種への悪

   遥か遠い昔、この地球上に原始的な生命体が誕生する。その後、長い年月を経て、生命体が環境の変化や突然変異などで他種に分かれる。それぞれが進化の道を辿るのである。

  このように考えると、「この地球上の生物のルーツはすべて同じであって、同胞である」と言えるのではないだろうか。

  人には元は同じ生命体であったよしみから、他の生物との共存も薄く組み込まれているようである。蝶や草花に対して、無闇に殺生したり、枯らしたりしないことからそのことがわかる。

  ところが一方で、その意識とは逆の行動も起こしている。地球上のたくさんの生物の命を奪っているのである。

  大人しい牛や豚を見て、理由もなく殺意を抱いたり殺したりする人はいない。しかし、直接手を下さなくても、誰かが殺した牛や豚を食用肉として食べているのは事実である。

   元は同じ地球の生命体であっても、人は生きるために他の生物を犠牲にしていて、それを誰もが認めている。

   果たして、それを悪と呼べるのかどうか疑問であるが、もし悪とするなら、すべての人が悪人ということになる。

   しかしながら、たとえ悪人になるとしても他に生きる道はなく、今のところ、嫌でもそれをせざるを得ないのである。

  ボタン鍋の材料として捕獲され、今まさに殺されようとしている猪にとって、人類は悪になるに違いない。家畜として飼われている牛、豚、鶏にとっても同様である。

   これら動物に、人間と同じような意識はないのかも知れないが、まさか自分が人の糧になるとは思ってはいないだろう。

   もし知性を備えて話せたら、「私は人に食われるために生まれてきたのではない」と文句を言うことだろう。

   漁師の網や釣り人の針に掛かった魚にしても、自分を殺す行為は悪である。生活のためであろうが遊びのためであろうがそんなことに関係なく、自分や仲間の命を奪うものは、すべて敵になるはずである。

「有象無象の魚の命など、大したことではない」と思うのは、人間側の勝手な言い分であり、その魚にとってはリセットの効かない命であるから、奪われたくないのは当然である。

   ところが、その魚も自分の糧としてプランクトンや小魚を食べているから、プランクトンや小魚にとっては、その魚が悪になってしまう。そう考えると、この世で悪でないものは、ほとんどいないことになる。

   あらゆる生物は、食物連鎖によって存在している。それは、自然界において生命を維持することの厳しさであり、摂理である。

だから、これから何かの糧になるべく命が絶たれるものは、自分も他の生命を頂いていたという事実により、諦めてもらうしかない。

   とはいえ、命あるものにとっては、やはりその命を奪われたくないものである。自分や仲間が殺されることに対する反感は、絶対にあるはずである。

  最近、そのことに関わるこんな映像を見た。それは、水牛の子がライオンに襲われ、今まさに餌食になろうとしているシーンである。

   その最中、危険を感じながらも水牛の親たちが果敢にライオンに向かっていき、その子を助け出したのである。

  それを見終わったとき、ほっとした。水牛の子が食われなかったことはもちろん、水牛の親たちに「種の存続」と「同種の共存」の意識が根底にあったことにである。

  この場合、ライオンが悪役になってしまうが、そこには悪とか善とかという概念はない。ただ単に、本能に従って行動しただけである。

   生き延びるためには、水牛の子であろうと何であろうと、獲物になりうるものすべてを狙わなければならない。狩りの失敗は、自らの死に繋がる。ライオンにとっては、せっかくの糧を手に入れられなかったのは残念であったに違いない。

   しかし、水牛の親たちにとっては、自分の子を救い出せたことは悪から守れたことになったのではないだろうか。

 

・ 同胞

  元を正せば、人類も鶏も魚も同じ生命体から進化していったいわば同胞である。そういう意味からすると、元同胞の命を奪うのは、悪である。

  ところが、我々人類、いや全ての生き物は、この悪をしなければ生きていけない。自然界において生命を維持するためには、このような弱肉強食は必然的であり、いくら元同胞といっても、生きるためには犠牲にするしかないのである。

  理想を言えば、すべての生物が殺し合わずに共存できればいいのであるが、そんなことは不可能である。

   大体、野放しの凶暴な肉食獣といっしょに仲良く生活することなどできないのであり、見るのも嫌なゴキブリ、人間の生き血を吸ってそのついでに病原菌を運ぶ蚊、人類を滅ぼす危険性のあるウイルスなどとも共存したくはない。「肉食獣は、人がいない所で生きていればいいし、ゴキブリや蚊、ウイルスは駆除されればいい」という思いしかないのである。

  しかし、時として他の生物に対して同胞であるという気持ちになることもある。特に人と共に生存してきた身近な生き物に対しては、よくあることである。

  車に轢かれて死んでいる猫や犬を見て「可哀想に」と呟くことや、瀕死の子猫を道端で拾ってきた幼い子どもが、「家で飼って欲しい」と泣いて親にせがむのは、その表れではないだろうか。

  我々には、「種は違っても、生命という同じものを持つ同胞である」という意識が、潜在的にあるようである。

 

・ 人より犬

  元は同胞ということから、むやみに生き物を殺生するのはよくない。しかし、生き物を殺したからといって、人が罰せられるのはナンセンスである。

   誰かが飼っているペットや農家の家畜を理由もなく殺してしまうのは良くないが、悪さをした野良犬を懲らしめたからといって、人が処罰されるのは行き過ぎである。

  誰のことを言っているのかもうお気づきだと思うが、江戸時代の将軍徳川綱吉である。仏教を過度に帰依した為、悪法の「生類憐れみの令」を出した張本人である。

  確かに、生き物をむやみに殺すのは頂けない。しかし、人に危害をくわえる畜生は、それなりに懲らしめる必要があり、場合によっては駆除も仕方がないのである。 

   ところが、それが罪になる。重い処罰を受ける。人も生き物である。人がそういう理由で処罰されるのは、「生き物を大切にする」ということと矛盾する。まさに悪法である。 

   当時は、お上からのお達しということで従うしかなかったが、迷惑を被った庶民も多かったようである。

                              

・ 掟破り

   我々は、法律や条令などの「きまり」の下で生きている。もし、この世から「きまり」というものがなくなれば、どうなるのだろうか。

  おそらく、犯罪が蔓延り、混沌とした状態の中で生きることになるのではないか。

   例えば、交通ルールである。車が発明されてまだ数台しか走っていない頃では、規則などまったく必要でなかった。

   ところが、台数が増えて車社会になると、交通事故が頻繁に起こり、犠牲者がたくさん出ることになる。

   そこで、事故を防ぐための道路交通法が考え出された訳であるが、もし、誰もがそれを守らなければ、多数の死傷者が出るのは必至である。

  世の中のルールもそれと同じであり、守らなければ否応なく争いが起こる。

   遠い昔、理性より本能が勝っていた時代では、人は只々、生き伸びるためだけに行動していた。それ故に、同種族でありながら糧の取り合いによる諍いも度々起こった。

   黎明期においては、集団で暮らしていくための最小限の掟ができ上がる。同時に、アニミズムにおける禁忌事項なども作られ、タブーを犯せば処罰を受けることになる。その中には、死に至るような重い取り決めもあった。

   内容は、部族の長にとってかなり都合の良いものであったと思われるが、兎に角その掟を破ることが悪になったのである。

   部族の平穏はそれで守られたが、異なる部族間の争いはなくならなかった。原因は、狩り場の縄張りや河川の利権などである。その勝ち負けが生死に直結するので、まさに命がけの修羅場になった。

   そのような修羅の状態を避けるために秩序が求められ、共通のきまりが作られたのであるが、相互の協定が守られないことも多々あった。

当時からそのような「掟破り」は罪悪とされたが、現在でも、法律や条令などを破るのは悪になる。そして、悪を行った者は、刑法によって裁かれ、罪を受けることになる。

   その軽重は、「世界中のどこでも同じ」ではなくて、国や州によって若干の違いがある。

 

・ 法律の違い

   喫煙が認められるのは日本では二十歳からであり、二十未満の人が喫煙するのは法律違反になる。だから、未成年が吸えば若干の罪悪感が伴うはずである。

   十八歳以上からできる国では、十八歳の人が煙草を吸っても法律違反にはならないので、罪悪感を持つことはない。

同じことをしても、法律を破るかどうかで悪になったりならなかったりするということである。

   公然わいせつ罪も同様である。発展途上である国の中には、裸同然で生活している村もある。その村民にとっての裸は当たり前のことで、それに関する法律もなく罪にはならない。

   しかし、ほとんどの先進国では、裸は罪になる。プライベートな所ではなく、公然の面前で全裸になれば猥褻物陳列罪になる。

   劇場やヌーディスト村という特殊なエリアは除いて、普通の公の場所であれば間違いなく警察に捕まる。必要もないのに裸になるのは、意図的に猥褻行為をしたと認められ、罪になってしまうのである。

   日本には、温泉や銭湯がある。そこでは、みんな裸になる。他人同士が、それぞれの裸を見せることになる。それでも公然わいせつ罪にはならない。それは何故か。日本の法律が認めているからである。

  銭湯は、家に風呂がない者にとっては不可欠な所である。そこでは、体を洗うためにみんな裸になる。それは、日本の昔からの習慣であり、何の違和感もない。

   そこで同性同士が性器を露出しても、生理的な発情は起こらないとして猥褻にはならないのである。

   日本の温泉では、混浴を認めている所もあれば認めていない所もある。欧米諸国でも、大勢が浴槽に浸かる場合に、男女共素っ裸になる地域もあれば、水着のようなものを着用している地域もある。地域によって異なるのである。

  牛肉が材料であるハンバーガーは、世界各国で食べられているが、インドでは、あまり食べられていない。もし食べると、周りから白い目で見られてしまうようである。それは、「牛は神の使いである」とするヒンドゥー教の教義が、エリア内の習慣に反映されているからである。

   マリワナの使用は日本では認められていないが、オランダでは認められている。売春も認可されているらしい。カジノも、モナコやラスベガスでは認められている。

  一夫多妻は、中近東では認めている国が多い。日本でも、昔、天皇や将軍、大名に側室が許されたが、今は法律上、認められていない。

   このように、国によって法律の規準がまちまちになっているのが現状である。

   なぜ、規準が異なるのか。それは、その国の風土、普及している慣習、宗教的な教義、法律を制定した人々の考え方などに違いがあるからである。

   その結果、あちらの国では禁止されていることがこちらの国では許可されていて、公然と悪行が行えるという何とも釈然としないことが起こってくる。

  様々な法律がある中で、「どの国の法律が正しいのか」という判断は非常に難しい。どの国も「自国の法律が一番正しい」と主張するだろうし、正面切って否定すれば揉め事も起こりかねない。

   只共通するのは、どのような国であってもその法律を破ることが悪になってしまうということである。

   結局、国によって悪の規準が違うということは、悪とは何であるかという定義づけを容易にさせないようにしていると思える。

   この先、このような異なったきまりが、いずれは同じ方向に改められていくのを望むばかりである。

                                                        

・ 悪法も法 

「男女平等」と言われて久しいが、女性の参政権が認められたのは最近である。それまでは、女性にとって差別的な法律が存在していた。

   当時、女性の政治参加は「女だてらに」と言われ、「不謹慎極まりないもの」と捉えられていた。

   本来、人権を守るための法律が、そのような社会通念もあって、女性の差別を認めるという悪法を容認していた訳である。

  現在では、もしそんな法律を認める人がいれば、人権団体などから批判され、世論から袋叩きに遭うことになるだろう。

   世界的に見て、女性の権利が保障されていく傾向は強まった。それは、女性解放を訴えた先人たちの努力の賜物といえる。

   しかしながら、女性にとって不公平な法律が存在する国はまだまだある。中近東などのイスラム圏の国に多く見られるが、その国にとっては、その法律が正当なのである。

   もし、その国でその法律が悪法だと主張すれば、裁判にかけられるのは避けられない。

 

・ 立場

   異なる宗教や民族の争いは、お互いに自分たちの正当性を主張して、譲らないことから起こる。

   一方が「正」と言い切ると、他方が自動的に「邪」になってしまい、立場によって「正」になったり「邪」なったりする訳である。

   イスラム教においては他教との対立、キリスト教においては旧教と新教の対立、仏教においては異なる宗派の対立など数え上げるときりがない。

  民族間の争いについても長い歴史があり、未だに解決していない。その衝突は、あちこちで起こり、一触即発の状態になっている。

   また、過去には先進国による植民地政策という問題もあった。先進諸国は、「統一」という大義名分を掲げその正当性を主張するが、実際は優位な立場の国が、弱い立場の国を強制的に取り込むという不当なものであった。隷属的な繋がりは、その国の文化や民族性を否定するものとなる。   

   日本も、第二次世界大戦の最中に似たようなことを行った。解放するという名目をもって、西欧に支配されていた東南アジア諸国を統一国にしようと企てたのである。

  結果的には、諸国が独立をする手助けになったのであるが、韓国や中国を始めとして、日本の傘下にしようとした事は明白である。

   もし、日本が太平洋戦争に勝利していたなら、統一国すべてに日本語の使用など日本文化の強制を行ったかもしれない。

  当時、日本が参戦するにあたって国民を納得させる為に、「正義」という言葉を使った。逆に敵対する米国と英国に対しては、「鬼畜」と呼んだ。

   それ故に、国民の大半は、この戦争が悪と闘うための戦であると疑わなかったのである。

   本当は、どちらが正義でどちらが悪だったのかは、短絡的に決められないが、日本側に不利であることは間違いない。

   侵略やユダヤ人の大量虐殺の指令を出した独裁者ヒットラーは、悪人であると誰もが認める人物である。

  しかし、百パーセントの人が悪人と思っている訳ではない。ヒットラーを英雄視している者もいる。ネオナチに属する者たちは、そのような歴史的な事実があったにもかかわらず、ヒットラーの正当性を主張する。

  もし、総統の悪口を言おうものなら、どんな目に遭わされるか分からない。それほど、彼らはヒットラーに陶酔しているのである。

  このように、「正義感で行われることは、必ず正義になる」とは言えないのであり、正義も悪もその人の立場によって変わるということである。

              

・ 価値観

  三十一年前に起きた、テロによる航空機爆破事件のことである。

  次のオリンピックの開催地になっていた国の航空機が、飛行中に突然爆発した。乗客や乗組員は、全員死亡してしまう。爆発の原因は航空機の欠陥などではなく、何者かによって爆破されたのである。

   当局の捜査によって二人の犯人が捕まる。一人はすぐに自殺するが、もう一人は拘束され自供する。

  取り調べの結果、テロは敵対する国の仕業であると判断された。テロの目的は、諸外国がテロを恐れて参加を諦め、オリンピックそのものを失敗に終わらすことであった。

   元来、オリンピックは、国を代表する優れたアスリートたちがフェアに競うスポーツの祭典である。アスリートたちにとっては、それこそ夢の舞台であり、表彰台に上がることになれば、至上の名誉となる。

   また、国民にとっても大きな喜びと活気が与えられることになり、世界中の誰もが望む、非常に価値のある大きなイベントといえるのである。

  近年、そのような意義からオリンピック開催において、「スポーツと政治は無関係であり、各国間の確執や異なる主義主張、国家体制を乗り越えて参加される事を望む」と言われてきた。

  しかし、実際はそうではない。政治が反映されているのである。東側で初めて開催されたとき、政治的な理由で西側がボイコットをしているし、競技が行われている最中、政治的な報復として選手村でのテロ事件も起こっている。

  この航空機爆破事件も同様である。当時、テロを企てた国の首脳にとって、オリンピックのスポーツなどはどうでもよかったのである。その意義や人命より、国家の面目の方が大事だった訳である。

   その実行犯にとっても、人命を尊重することより、テロという卑劣な任務を遂行することの方が重かったようである。ノーマルな人の感覚とは、全く異なるのである。 

  両国間に確執があるのは、周知の事である。そうであっても、人の命がこんなに軽んじられる非道な行為は許せるものではない。「どうしてそこまでするのか」と、嘆かざるを得ない。

   価値観は立場によって変わるのであり、決して同じではないという最たる例である。

 

・ 英雄

   幕末の頃の話である。

   倒幕運動を取り締まるために結成された新撰組が、勤王の志士たちを襲撃するという事件があった。所謂池田屋騒動であり、その事件は、今なお数多くの小説や映画の題材になっている。

  その扱いは、新撰組に焦点があたっているものであれば新撰組を英雄視し、志士たちに焦点があたっているものであれば志士たちの悲劇としている。

  先に「正義は立場によって変わる」と述べたが、異なる立場であっても、新撰組や志士たちは、それぞれに「自分が信じる大義が、真の正義である」と思っていたに違いない。  

   しかしながら、正義は一つだけである。相反する二つの正義が存在するのは、道理に合わない。本当は「どちらか一方が正義であり、もしくは、両方が悪である」と考えられるのである。

  彼らの行ったことは、実際どうなのか。歴史的に見て、本当に意味のあることだったのか。その疑問を検証したいと思い立ったのである。

   まず、新撰組である。当時の京都においては、「天誅」と称して勤王方によって幕府の要人が暗殺される事件が頻繁に起こった。

   それを阻止すべく街の警備についたのが新撰組であり、そのためには、血で血を洗う殺戮も容赦なく行われた。

   彼らの主立った役目は、反体制を唱える者やそれを実行する者を取り締まることであり、その大義は幕藩体制を守ることにある。

  武士に特権が与えられている身分制度は、今では認められない制度である。「人は法の下に平等である」という精神に反する。その体制を維持する側は、当然悪になる。その悪に加担していた新撰組であるから、やはり悪になるのである。

   もし、新撰組の殺戮がなければもっと早く維新が行われていたかも知れないし、新撰組の活躍によって幕藩体制が維持されていれば、不平等な身分制度がさらに続いていたかも知れない。

   勤王の志士については、どうか。志士の大義は、主権を天皇にすることである。そのために倒幕を実行し、封建制度を廃止させた。さらには、進んだ外国の文化を取り入れて、先進国と同様のレベルにまで引き上げた。

  そういう意味では、日本の文化の推進に大きな貢献をしたと言える。しかしその一方で、戦争への道筋を作ったことも否めない。

  維新以降、日本は強国に支配されないように富国強兵の政策をとる。天皇の名の下で軍国化が進められ、強国と同等の軍備を持ち植民地まで作るようになる。

   日本の侵略を正当化した結果、日清、日露戦争が起こり、さらに第一次世界大戦、第二次世界大戦への参戦に至る。

  戦争が起こるたびに、「天皇は現神であり、絶対的な権限を持つ。天皇陛下の為に死ぬことは、国の為に死ぬことである」と国民に言い聞かせてきた。そしてその結果、数多の兵隊や民間人の命が亡くなったのである。

  現在では、憲法において「何人も平等であり、主権は国民である」とされている。そうすると新撰組も勤王の志士も、その理念とは異なる方向に向かって働いたことになる。

  つまり、新撰組も勤王の志士も歴史的に見ると、負の要素が大きいのであり、両者ともとても正義のために尽力したとは言い難いのである。 

 

・ 歴史的な意味

「歴史は、螺旋を描いて進んでいる」と言われる。常に前進しているが、遅くなったり遠回りしたりと順風満帆とはいかないようである。

  また、負のエリアに入り込むときもある。しかしそれは、陽のエリアに入るためのステップであり、マイナスの状態も進捗の一つの段階として捉えられている。

   例えば、戦争が起こり、人がたくさん死んでいく時代は、負のエリアに入ったと言える。その戦争の終結によって文明が発達し、より平和な世界が訪れる時代は、陽のエリアに入ったと言える。歴史は、その負と陽のエリアに入ることを繰り返し、前進しているのである。

   過去があるから今がある。そう考えると、負の要素が大きいとはいえ新撰組や勤王の志士の功績は、歴史的に意味のあることだったのかも知れない。

  しかしそうであっても、その功績の影で多くの人が犠牲になったり、苦しんだりしたことは明らかであり、やはり、手放しで褒め称える訳にはいかない。

   新撰組は情け無用の殺人集団であり、勤王の志士は戦争への道案内人と非難されても仕方がないのである。

  ところが、そのような事実があるにも関わらず、彼らは歴史的英雄として国民から慕われている。全国各地に碑まで造られている。それは何故か。

  人は、様々な「しがらみ」の中で生きている。その「しがらみ」のために、優柔不断に生きていく人がほとんどである。その一方で、命がけで自分の意志を貫こうとする人たちもいる。

   結果的にそれが悪行であったとしても、命を顧みず自分の信じた正義を最後まで貫いた人物に、人々は敬意を払う。その頑なな思いに共感し、憧れもする。その生き様は、「信念」という二文字で語られることになる。 

 

・ 歴史上の人物

  著名な歴史上の人物には、そのような人が多い。アレクサンダー大王、カエサル、ナポレオンなどがよい例である。

   人々は、その人物の熱い思いや人となりに魅力を感じるのであり、まさに英雄と呼ぶのである。

   歴史を振り返ると、このような広大な野望を持った人たち以外にも、英雄は存在する。

   昔の西欧の有名な物理学者の逸話

   彼は、先人が唱えた地動説を学者の立場から支持していた。教会から改めるよう要求されても、自分の信じた学説を変えようとしなかった。そのため裁判にかけられ、処罰を受けることとなる。

  その時、彼は、後世に残る言葉を呟く。「それでも地球が動いている」と。彼とは、言うまでもなく、ガリレオ・ガリレイである。

   今では地動説が正しいことは、子どもでも知っている。 しかし、当時の教会の教義は絶対的に正しく、それに背くのは異端とされ、罪人になったのである。正しいことが悪と判断された非常に悔しい瞬間である。

  このような理不尽が、過去に幾度繰り返されたことか。科学の発展を阻止する行為が何度行われたことか。絶対的とされる権威によって、進むべき道が閉ざされたことは数知れない。

   逆境の中、自分の信じたことを最後まで主張するのは非常に難しいことである。迫害を受け、場合によっては処刑台に立たされる可能性もあるからである。

   それでも彼は、自分の信念を貫いた。大きな権威に立ち向かうことになっても、矛盾した既存の教義を正そうとした。その覚悟は、学者としての責任であり、誇りでもあったのである。

  いつの時代にも、どこの国にも英雄は存在する。その中には、自分の野望を実現すべく冷徹な行為をした者もいれば、私利私欲ではなく人の為に尽くそうとした者もいる。

  それぞれ思いや立場が違っていても、その英雄たちに共通することは、自分の信じたものを貫き通して命がけで闘ったことである。

  そこには、危険を顧みず自ら虎穴に入ろうとする心意気が感じられる。小市民が小さな幸せを固持するために反動的になるのとは、百八十度違うのである。

  だからこそ、人々に忘れ去られることもなく語り継がれ、今尚その名が讃えられているのである。

 

・ 宗教上の悪

「自殺は、悪である」とする宗教は多い。

「死は、神の定めによって決められるのであり、自らの命を絶つことは、神の定めに反することになる」

そのような教義から、自殺者は死後、天国には行けないようである。

 自殺する者は、生きていることが苦しいから自殺するのである。その苦しみの原因となるものが、この先取り除くことができないと判断したからするのである。そのような衝動から、今、自らの命を絶とうとする人がいたなら、

「早まってはいけない。何があったのかは知らないが、命を粗末にしてはいけない。できたら訳を話してくれないか。ひょっとしたら、解決策があるかも知れない」

と、死ぬのを止める呼びかけを誰もがするだろう。そして、その解決法をいっしょになって考えたりもするのである。

   しかし、実際にはどうにもならず、時が解決してくれるのを待つだけの場合も結構多い。

 

・ 安楽死

  病気による壮絶な痛みや苦しみから、本人やその家族が安楽死を望む場合がある。

   しかしながら、ほとんどの国はそれを認めていない。それは、一度死んでしまうと生き返れないからである。

「苦しみながらも生きていれば、いつか特効薬や治療法が発見され、元の健康体に戻れるかも知れない。その可能性は、零パーセントではない」

という言い分である。

   人の命を人の手で絶ってしまうのは、確かに忍びないことである。できれば自然に死が訪れることを誰もが望む。

  しかし、当の本人にしてみれば、治る見込みのないまま、地獄のような苦しみを毎日味わいながら生きていたいとは思わない。その家族も、尋常でない苦痛で七倒八転する姿を見てはいられないのである。

「早く楽になりたい」「早く楽にしてあげたい」と思うのは、正直な気持ちである。本人が切実に望めば、許可してもいいのではないだろうか。

   もし自分が医師で、死ぬのを待つだけの壮絶な痛みでもがき苦しむ人が目の前にいたならどうするだろうか。何を望むだろうか。「天命を全うすべきだ」として、そのまま何もせずにいるだろうか。「痛み止めの薬は、死を早めるから」と投与しないだろうか。

   日本の近世では、切腹という処罰があった。大罪を犯した武士に命じられたのであるが、自ら腹を切るだけではなかなか死ねないので、すぐに介錯人が首をはねたのである。

  これなどは、一種の安楽死と言えるのではないか。死に向かいながら長時間苦しむのは、当人にとっては望まぬことであり、周りの者もそのような光景を見たくはないに違いない。

   今日では、封建時代のような「切腹」「介錯」という刑罰はないが、死刑の判決を受けた大罪人が、その執行において長時間苦しみ死ぬような方法はとらない。それは、死に直面した者へのせめてもの配慮である。

「いや、病人と犯罪者では、命の重さが違う」という意見があるかも知れない。それでも、長く生きられないという点では、同じである。

「人生は、長さではない。中身である」という言葉があるように、苦しみながら一秒でも長く生きることに意義があるとは思えない。安らかな臨終を迎える方が、より良い選択であると思える。

   現在、安楽死や尊厳死を認めている国は非常に少ない。法律で禁止している国がほとんどである。カトリック系信者の多い国では、宗教的な理由から強固に反対するが、どのような事情があっても、それに手を貸した者は法的に処罰を受けてしまう。

   尊い命であるから、安易な解決策は良くないという思いも分かる。しかし、もし私がそのような立場になったなら、絶対安楽死を望む。

   これから先、この問題は多くの国で論議されるに違いない。法律を改めるべきか否かは、多くの国民の声によって決定してもらいたいと願う。

 

・ 中絶

   強姦された女性が妊娠して中絶を望んでも、カトリックでは許されない。つまり、強姦した者が悪人であっても、生まれてくる嬰児には罪がないからその命を尊重すべきであるという考えである。

  しかし、強姦された女性にとってこの妊娠は、犯人の生理的な欲望による暴行の結果であり、全く望んでいなかった妊娠なのである。

   強引に自分を辱めて失意のどん底に貶めた輩の子どもなど欲しくもないし、妊娠にいたる過程が最初から間違っているのにそれを認めるというのは、絶対に我慢できないのである。

  もし、妊娠によって犯人が夫になるなら、嫌がる相手を強姦して無理矢理婚姻関係を結ぶ者が出てくるだろうし、まさにやったもの勝ちになってしまう。

   その子どもが成長して、自分が強姦によって生まれてきたことを知ったとき、どれほどのショックを受けるだろうか。

   さらに、妊娠した女性が未成年で、子を育てる能力がないのであれば、生まれてくる子どもの行く末が心配になる。もちろん、犯人が育てることはあり得ないし、逃げ回るのは見えている。

  そんな子どもは、国が育てればいいという意見もあるが、両親の愛情を知らずに育っていくのは、不憫のような気がする。誰にも望まれずに生まれるというのは、生きていく上で辛いものがあるのではないか。

「過程がどうであっても、折角授かった命であるから育てるべきである」というのは、当事者の気持ちを考えていない意見である。第三者だから言える言葉なのである。

  当事者にとって強姦されたことは、精神的にかなりの苦痛であり、辛いものであるはずである。

  もし、自分の娘がそんな目にあって妊娠したとしたら、そんな風に言えるであろうか。犯人を許せるであろうか。

   女性の誰もが、自分が認めた男性と結ばれたいのであり、その事を周りのみんなから祝福されたいのである。望まない結果としての子どもは、授かりたくはないのである。

  子どもは、夫婦が望んだ上で授けられるべきものである。少なくとも母親に望まれて誕生すべきものである。そうでなければ産むべきでない。

   どの時点になるかは問題ではあるが、ある程度早期であれば中絶が認められてもよいのではないだろうか。

                                          

・ 輸血

  ある子どもが、交通事故にあう。瀕死の状態で病院に運ばれ、医師はすぐに輸血の準備をする。

   しかし、駆けつけた親がそれを拒む。「このままでは、子どもが死んでしまう」という医者の説得にも、首を縦に振らないのである。

   その子の親は、輸血が禁止されている宗教団体の信者だった。その宗教の教義では、輸血は悪行であって認めることは許されず、「たとえ死ぬことになっても、それは神の定めたことだから受け入れる」として、最後まで拒否したのである。

   その団体の別の信者は、こう説明する。

「輸血することより、輸血のために生きた人から血を抜くことが忌まわしい行為になる。忌まわしい行為から得た血を体に入れることは、教義に反する」

   では、人の体から血を抜くことがなぜ忌まわしいのか。

   その昔、災いが起こると、それは神の怒りによるものとした宗教があった。その怒りをおさめるために、人の生け贄や生き血を捧げたのである。

   一方で、そんな生け贄を邪悪とした教義の宗教もあり、今もその教義を守ろうとしている訳である。

   結核は、昔は不治の病として恐れられていた。しかし、今では薬ができて、結核で死ぬ人はほとんどいなくなった。

   もしこれまでに結核で死んだ人たちが、神の定めでなくなったのであれば、薬によって生き長らえた人たちは、神の定めに反することになる。

   結核の薬は認めて輸血は認めないのは、矛盾している。輸血も生き長らえるための手段であり、薬や手術と同じである。

   宗教の教義が作られたのは、まだ医学が発展していない時代である。人の治癒力を超えた病気や怪我などに対しては、治療することもできず神や仏にすがるしかなかった。たとえ死に至っても、神や仏が定めたことと諦めたのである。

  しかし、医学が発達した現在では、多様な病気や怪我に対してそれなりの手立てが打てる。虫歯になれば、それを治すための方法が確立されていて、誰もがその処置を受けている。

  増してや、命に関わることである。そんな時代の考え方を今に当てはめるのは、どうなのであろうか。そんな教義に義理立てする必要は、まったくないと思うのであるが。

                

・ 生け贄

   自然災害や飢饉が連続して起こったとき、その原因が神の怒りであるとして、鎮めるための生け贄を捧げた村があった。

  巫女による神のお告げから、幼い少女に白羽の矢がたった。両親は、泣く泣くそれに従った。子どもの命と引き替えに村人全員が生き長らえるなら、「そうするしかない」と思ったのである。

   その当時は、「誰かを生け贄にすれば、神の怒りが鎮まる」と本気で信じていたようである。

  大体、災害の原因が「神の怒り」であって、その怒りを生け贄によって鎮められるという根拠はまったくない。

   しかし、災難を解決する手立てがない状況では、絶対的である神のお告げに従うしか方法がなかったのである。

  本当は、どの両親も半信半疑で、自分の娘に白羽の矢が立たないようにと祈っていたに違いない。自分の子どもを差し出した両親は、村の為に尽くした善人として扱われる。

   このようなことをした村は希ではあるが、実際にあった。それも遥か昔のことではない。ほんの少し前まで続いていたのである。

   考えられないことであるが、神の名の下で非人道的なことが行われていたのは事実である。

   現在では、人を差し出す代わりにお供え物を出している。漁村であれば、「時化が続かないように」と海の神に酒や魚などを供えるのである。普段でも、大漁や海難事故除けを祈願して儀式を行う。

  空や大地、海や山、太陽や月が何であるのか解明されている今日でさえ、そのようなアニミズムは続いているのであり、解明されていない時代であれば、尚更信心深くなる。「神が啓示することに従えば、間違いはない」と思うのも無理はない。

   しかしそうであっても、神が「人の命と引き替えに」という取引をするのであろうか。年端の行かない子の命を欲しがるのであろうか。そう考えれば、胡散臭い巫女のお告げなど信じてはいけなかったのである。

  すべての原始宗教を否定している訳ではないが、このような誤った行為をする宗教は、改めなければならない。

   自然災害は、神の仕業ではない。存在する物質の物理的作用がもたらすものであって、人やその他の生物にとっては、大抵が災いになるのである。

  自然を大切にするのは、良いことである。海や川を汚したくないと誰もが思う。しかし、その自然に神が宿っていて、その神に対して過剰の畏敬の念を持つというのは、間違った方向に行く可能性があるように思う。

 

・ 宗教上の善

   毎年、年始になると有名な神社や寺の賽銭箱は、金銭でいっぱいになる。参拝に来た沢山の人が、家内安全や商売繁盛などを願って小銭を投げ入れるのであるが、神様や仏様は、いかほど出せばその願いを聞いてくれるのであろうか。

  元々、お賽銭とは、願い事を叶えてくれたお礼として神や仏に差し出す物であった。京都のある有名な総本宮には、祈願者のお礼としての鳥居がたくさんあって、その習わしがよく分かる。

   それが、いつの間にか、願い事を叶えてもらうための掛け金になってしまった。本来の意味を知らない多くの参拝者は、掛け金として金銭を投げ入れているのである。

   お布施の方は、掛け金ではなくお礼が社会通念であるが、場合によっては掛け金になることもある。先に金額を提示して、それに見合う法事をしてもらうのである。

   いずれにしても、「一体いくら出せば神や仏に納得してもらえるのか」という疑問が起こる。「お気持ちだけで結構です」と言われても、その相場がわからないのであり、端金では「神や仏を侮辱しているのか」と思われそうである。

   たくさん出せば良い御利益が得られるような雰囲気でもあり、庶民としては懐具合と相談しなくてはならない。

   しかし、本当に高額なお供え物をすれば、神や仏から大きな御利益を受けられるのであろうか。お布施の額によって、その人の徳が決まってくるのであろうか。

  もしそうだとしたら、神や仏は、金品で沙汰を決めることになる。まさに、「地獄の沙汰も金しだい」である。

   最終的には、集まった金品が、実体のない神や仏にいくことはない。神や仏に仕える神官や僧侶の懐にいくのである。それが宗教上の善になっているというのは、如何なものであろうか。

 

・ 悪行の数々

  絶対に許せないという悪人が、過去にも現在にもたくさんいる。「よくまあ平気で、そんなことができるものだ」とあきれるくらいの悪行をしている。

   中には、「本当に人としての心があるのか」と憤りさえ覚える鬼畜もいる。そのような輩の悪行の数々を挙げていくことにする。

 

・ 死の商人

   殺人犯やテロリストは、悪人である。人命を奪う恐ろしい極悪人といえるが、その行為にいたるには、何某かの理由がある。

   がまんできないくらい侮辱されたとか、自国の利益しか考えない大国に対する抵抗であるとか様々な理由が考えられる。

   しかし、そんな理由もなく、「自分さえよければ他人はどうなろうと知ったことではない」という人非人がいる。その人非人とは、死の商人である。

   戦争を奨励して、戦争をする国にその武器を売りつける。それで莫大な利益を得て、自分たちは安全な所で贅沢三昧をして暮らしているのである。

   日本にも、朝鮮動乱によって莫大な利益を得た財閥があるらしいが、太平洋戦争時の教訓が生かされることなく、同じ過ちを繰り返しているのである。 

  このような極悪人は、戦争によって何人死のうが、建物がどれくらい破壊されようが一向にお構いなしである。派手にドンパチして双方のミサイルがなくなり、また買ってくれるのを望んでいるだけである。

  こういう奴らは一度、銃弾が飛び交う最前線に送って、死の恐怖と悲惨さを嫌と言うほど味合わせてやりたいと思うのであるが。

 

・ 兵器輸出国

   国全体が死の商人である場合もある。これから戦争を始める国に兵器を売りつける国である。平和を唱える国でありながら、一方では戦争を煽るようなことをする。

  軍事産業によって自国が富むのを期待しているのであるが、日本も過去に他国の戦争につけ込むような商売をしている。

  当時、経済的な危機に直面していたとはいえ、それを「人がたくさん死ぬ戦で乗り越える」というのは頂けない。

  いかなる場合でも、戦争を奨励する国ではなくて、間に入って戦争を阻止する国であって欲しいと願うのである。

 

・ 戦争

   殺伐とした砂漠の中、小学生ぐらいの子どもが銃を持って立っている。大人の兵士に混じって、虚ろな目をして遠くを眺めている。そんな映像を見ると、何ともやりきれない思いがする。

   居並ぶ兵士の中にも、心の中では「戦争はしたくない」と願う者がいるに違いない。人の命を奪うことに平気でいられる人ばかりではないはずである。

   しかし、戦場では、そんな気持ちもふっとんでしまう。たとえ敬虔なキリスト教徒や仏教徒であっても、一旦戦場に出向けば、敵兵に銃を向ける。「殺さなければ、自分が殺される」そういう状況によって、何のためらいもなく敵兵を殺していくのである。

   慣れてしまうと、人を殺すという罪悪感が消えていく。中には、殺すことに快感すら覚える者もいる。正常な精神が完全に麻痺しているのである。そういう人間を作り出すのが戦争なのである。

   日本も、大きな戦争を経験した国である。銃や大砲、爆弾によってたくさんの人が死に、たくさんの物が破壊された。

   私自身は、戦争を経験していない世代ではあるが、戦争の悲惨さを訴える資料を目にすると、「戦争は、絶対にしてはならない悪行である」と痛感する。

  たくさんの老若男女を一瞬で遺体にする戦争。自然物や建造物、文化遺産を根こそぎ灰にしてしまう戦争。常に死の恐怖で心が休まらない戦争。たとえ命が無事であっても空しさだけが残る戦争。

   その惨状を見て、日本はもちろん、世界中の人々が反戦を訴えるのであるが、それでも無くならない。何故なのか。

 

・ 戦争の原因

   戦争が起こる原因は、様々である。利権が絡む侵略行為、民族性の違い、人種の違い、宗教の違い、主義主張の違いなどであるが、それが複雑に絡む場合もある。

 

・ 侵略

  侵略戦争は、過去にたくさんあった。もちろん仕掛けた国に非があるのは言うまでもない。

    しかし、それを受けて立った国はどうなのか。つまり、応戦しなければたくさんの血が流れなかったのではないかという疑問である。       

  侵略の目的は、国益の為に領土や資源、労働力を手に入れることである。植民化した国の民族性を否定し、文化を壊していく。さらに、自国の言語や文化を強要する。

  強要された人たちにとっては、それは屈辱であり、許すことができない。自国のアイデンティティを守るために、結果、自分や家族が死ぬことになっても抵抗する。我慢して相手の言いなりに生きるより、死の覚悟を持って戦う道を選んだ訳である。

   第三者的な国から見れば、「無益な戦争などしなくてもいいのに」であるが、当事者にとっては、その戦いが「正義のための戦い」になるのである。

 

・ 民族性

   自分の民族を貶されて平静でいられる人はいない。自分も貶されることになるのであり、場合によっては貶した人に対して激しい悪意を持つこともある。

   民族間の争いは、自らの民族の優越性を主張し、他民族を貶すことから始まる。発端は一対一であっても周りを巻き込み、さらには国全体までに拡大していくのである。

   地域が隣接すればするほど頻繁に起こりやすく、どちらの民族も「先に仕掛けたのは向こう側である」と主張する。

 

・ 宗教

   宗教の違いが原因になる戦争は、今尚起こっている。過去を振り返ってみて、戦争に関わらなかった宗教は皆無と言ってよい。

  キリスト教に関しては、聖地回復のために十字軍による異教徒への弾圧があった。

   また、教会主導のもとで「魔女狩り」と呼ばれた徒党による虐殺行為もあった。根拠もなく「魔女である」と密告された者が、火あぶりの刑になったのである。

   その犠牲者の中には、誰かに陥れられた人もいたようである。これなどは、宗教を利用した卑劣な悪行と断言できる。

  さらには、新旧の教会の対立による争いもあった。「カトリックとプロテスタントのどちらが正教であるのか」という判断は容易にはできないが、分が悪いのは、権威主義と非難されている側であるように思う。

  イスラム教は、戒律を重んじる宗教である。それを破ると我々が想像する以上の重い罰が科せられる。また、その神に仇なす者には、厳しい沙汰が下る。

   紀元前に書かれたハムラビ法典の中に、「目には目」「毒には毒を」という言葉がある。「罪を犯した者には、それ相当の罰を与えなければならない」という意味であるが、イスラム教においてもそれが反映されているようである。

   たとえ犯した行為に理由があっても、情状酌量は許されない。もしイスラムに敵対すれば徹底した報復が行なわれるのであり、一部の過激派に至っては、テロも平然と行う。

  イスラム圏内の紛争もある。同じイスラムの教義を持ちながら、利害のために反目するのである。傍からすると内輪揉めに見えるが、時には血を血で洗うこともある。

  そのような緊迫した事態であっても、片方が新たに異教国と対立した場合には、もう一方に、「アラーの名のもとに団結しよう」と、矛先を異教国に向けるよう呼びかけるときもある。

  釈迦が開祖である仏教界においても同様である。元は同じ宗派であるのに主導権争いのため分裂してしまい、今では異なる宗派となって存在する団体がほとんどである。

   また、同じ宗派内でも、誰をトップにするかで意見が分かれて対立し、双方が暴挙にでるような激化した事件もあった。

   その事件では、死傷者まで出て軍隊が出動する騒ぎになったが、「慈悲」を説いて人命を重んじる宗教団体が、それとは逆の行いをした訳である。

  これら宗教に関わる争いの直接の原因は、宗教家同士の反目である。互いに他を邪教と非難して、啀み合った挙げ句の果てに、流血の争いに至るのである。

   醜い骨肉の争いの末に、誰かが主導権を握り、神のように崇められる。そのトップが、博愛や慈悲を第一としているのならよいが、私利私欲の固まりのような者では頂けない。

   権力を傘にして、何事も鶴の一声で決める。収賄や汚職といった教義に反する事を平然とし、政治に大きな影響を及ぼす。庶民に無理難題を躊躇なく押しつけるのは必然である。

  元来、宗教というのは、人類の博愛や慈悲を信条とするものである。困窮する庶民に手を差し伸べたり導いたりすべきものなのである。

これでは、宗教を利用して庶民を苦しめているとしか言いようがない。宗教が政治的な権力を持とうとすると、ろくなことがないようである。

 

・ 主義主張

   朝鮮戦争、ベトナム戦争の記憶はまだ新しい。それぞれ、一つの国が異なる主義主張のために二つに分かれて戦ったのであるが、元々同じ母国であった人間を敵として殺すというのは、どのような気持ちであったのだろう。

   親類縁者が敵味方に分かれ、兵士の中には、やりきれない思いで戦場に行った者も多かったはずである。

  ベトナムは終戦後、一つの国に戻ったが、朝鮮は、未だに南北に分かれている。国境の三十八度線では兵士が銃を持って監視していて、一触即発の状態なのである。

  資本主義と共産主義、自由主義と共同体主義。人類にとって、どちらの方が理想的な体制といえるのか。かなり難しいテーマであり、簡単には決められない。

   明らかなのは、双方に長所と短所があるということである。資本主義国の自由競争による弊害、共産主義国の表現の自由への弾圧など、それぞれに大きな問題が山積する。

  国の成り立ちには、その国の歴史的な経過と社会的な背景がある。資本主義国も共産主義国も、そこに至るまでに何らかの理由があったのであり、今の状態を安易に否定できるものではない。

   たとえば、某大国である。その成り立ちは波乱に満ちていて、共産主義国にならざるを得なかった事情も少しは理解できる。

   大国であるが故に頻繁に起こる内乱、それに付け込む他国の侵略行為など、それらを止めるためには国を強固に統一しなければならず、それを可能にする体制が共産主義だった訳である。

   反対勢力を容赦なく粛清し、他国から「まるで独裁国家である」と批判されてもその確立を目指した。

   当時は、搾取で成り立つ資本家本位の社会体制ではなく、労働者の目線に立った社会体制を選んだことは、それなりに意義があったのかも知れない。

   しかしながら、人の「真の幸福」を考えたとき、その体制が本当にそれをもたらすのかどうかは疑問である。

   完璧でないとはいえ、人の本能に則しているのは、資本主義体制の方だと思うのであるが如何なものか。

 

・ 戦争の火種

   戦争というのは、その火種がある以上はなくならない。たとえ火種がなくなっても、新たな火種ができて、新たな戦争が始まることになる。

  そう考えると、戦争は永遠になくならないことになってしまう。残念なことではあるが、過去を振り返るとそう言わざるを得ない。

  しかし、たとえそうであっても、なんとかして火種を消したい。消せないまでも極力小さくしたい。新たな火種ができたとしても、それ以上大きくならないようにしたい。

   人が人を殺し合う戦争など認めないのであり、誰もが平和で安全に暮らせることを願っているのは言うまでもない。

   ところが、そういう思いを持っていても、今、どこかで起こっている戦争をすぐに止めることはできないのである。

   自分を含めたほとんどの人が、戦争のニュースを目にしても、「気の毒には思うが、他国の争いなので自分とは関わりないこと」という意識しか持たない。結局、他人事なのである。

   いや、たとえ反戦の活動をしても、実際にはどうすることもできず、空しさだけが残ってしまうのが落ちである。情けないが、事実である

 

・ 独裁者

  歴史的に見て、独裁者はたくさんいる。

  古代ローマのカエサル、ローマ皇帝ネロ、ローマ皇帝ガイウス、フランスのナポレオン、ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニ、旧ソ連のスターリン、カンボジアのポル・ポト、ルーマニアのチャウシェスク、ウガンダのアミン、フィリピンのマルコス、イラクのフセインなどが周知である。

   上記の中には、悪名を世界中に知らしめた者もいる。何故、そうなったのか。それは、その独裁ぶりに原因がある。

   政治においての絶対的な権限はもちろん、自分の気に入らぬ者や考えに反対する者に対する弾圧を徹底的に遂行する。そのやり方が、極めて非人道的だったのである。

  ヒットラーのユダヤ人大虐殺は、その最たる例と言える。反ユダヤ主義によって、ユダヤ民族の壊滅を企み実行に及んだ。人道主義を唱える人々は、その残虐な行為と共にその独裁者の名を決して忘れないようにと敢えて口に出すのである。

   独裁者であっても、自分の考えを押し通すことで大衆が幸せになれるという確信があるならまだ許せる。私利私欲ではなくて、本当に国家や国民の為に尽力する独裁者であればその者を認めても良い。

   他民族を犠牲にしたり、他国を攻撃したりすることなく、その国全体が実際に良い方向に進んでいるのなら、誰もがその独裁を認めるであろう。

  しかし、そのような独裁者は、ほとんどいない。最初は、国家や国民の為だったのかも知れない。次第にその思いが薄れて行き、最後は自分の欲望や地位の確保のために暴政に陥ってしまうのが常である。     

  独裁者は、大衆に自分をカリスマとして崇めることを強要する。そして、崇拝する者には温情を与え、刃向かう者には、容赦なく地獄行きの沙汰を下すのである。

   ルーマニアのチャウシェスクは、反対勢力には武力で抑圧した。貧困で苦しむ国民を尻目に、自分は巨大な宮殿を建ててそこに住み、贅沢三昧の暮らしをしたのである。

   その独裁に反抗したクーデターによって即時に処刑を受け、生涯を閉じる。国民の生活を改善しないで私利私欲に走る大統領など誰も望まないのであり、当然の報いである。

   毛沢東の文化大革命においても、そのような独裁がみられた。名目は、それまでの封建的文化や資本主義文化の批判とその一掃であるが、実際は、中国共産党指導部内の暴力的行為を伴った権力闘争であったと言われている。

   敵対する勢力を失脚させて、自らが主導権を握るための画策であり、幾人もの政治家や学者が糾弾され犠牲者となった。その数は数千万人に及ぶようである。

   朝鮮民主主義人民共和国の体制は、独裁政治ではなく専制政治という。次の指導者が世襲によって決まるという、まるで皇帝や大名のような引き継ぎ方である。

  現在の最高指導者である金正恩が、どのような人物なのかはまだ分からない。国民にとって良い指導者であるかどうかはかなり疑わしいが、仮にそうだとしても次の後継者もそうであるとは限らない。

   世襲制にするのは権力闘争を避けるためなのかも知れないが、無能で国を滅ぼすような後継者になる可能性もあり、リスクが高いと思われる。

   指導者になれる資格のある者なら誰がなっても良いのに、一族に限る。世襲に拘るその中に、「一族の名誉」と「独裁」という文字が見え隠れしてならない。

   トルコ共和国のアタテュルクは、 後世でも称えられる大統領であったと聞く。肯定的に評価されている唯一の独裁者である。

  実際にどのような人物であったか知らないが、常に国民を思い、国民の為の政治を心がけていた人物に違いない。最後まで自分の思いを貫いた偉人といえる大統領である。

  このような人の存在は、極めて希である。上に立つ者の中には、取り巻きによって人格が変わってしまう者も多い。最初は国民の為の政治をしていても、最後は暴走してしまうという皇帝ネロのような独裁者もいる。

   独裁者も人間である。どんなに意志が強靱な者でも、周りの甘い誘惑や裏切りによって精神が破綻してしまうことだってある。

   結局、独裁というのは、その者の意向によってすべてが決められ、支配されることになる。最後は独裁者の都合の良いものだけが望まれて、その他は排除されるのである。結果、多くの犠牲者が出てしまうのである。

   意向が不合理であっても、誰もその暴虐を止めることができないのであり、まさに恐怖政治と言える。      

 

・ 非人道的行為         

   漢の呂后、唐の則天武后、清の西太后の三人は、中国の三大悪女と言われている。

  彼女たちは、皇帝の后となる為に、策略によって自分のライバル達を蹴落としたことで有名である。そのライバルの中には、両手、両足を切断され壺づけになった者もいるらしい。見せしめのために、惨たらしい姿のまま生かされたのである。 

   罪を犯した者が、磔のような刑罰を受けるというならまだ分かる。刑法に従って刑罰が執行されたのであり、合法的である。そうではなく、自分の宿敵を策略によって倒した上、無残な姿にしてそれを見て喜ぶというのは、どうもいただけない。

   何故そこまで冷血になる必要があるのか。何故そこまで残虐になるのか。自分に敵対すればこのような姿になるという周りの者への脅しだけでは、こんな残虐なことはできない。

   生まれ持った性質からか。幾度もくぐった修羅場からできた性格からか。長年の積もり積もった恨みや嫉妬からか。

  いずれにしても尋常でないその仕打ちは、非人道的行為と非難されても仕方がない。

  世の中に自分の敵となる者は、十人いると言われる。たとえその敵と争うことになっても、ルールに則した争いであるべきである。

   勝負では、勝つこともあれば負けることもある。もし勝っても、完全に負けた相手に追い打ちをかけることはしたくないものである。いかなる場合でも、人の道から外れた行動は避けたいものである。

 

・ 人身売買                                 

   十七世紀後半頃、アメリカ合衆国では、アフリカから連れて来られた黒人が奴隷として売買された。

   奴隷達は人としての扱いを受けず、過酷な労働をさせられる。厳しい差別や酷い仕打ちを受けることになるのである。

  日本でも、寒村の娘たちが身売り同然で遊郭で働かされた事実がある。娘たちは、不本意ながらも家のためにそれを承諾したのであるが、生涯、凄惨な日々を過ごした者もいると思われる。

「このような人身売買は、非人道的である」という声が次第に上がり、世界的に非難され、法律で禁止されることになる。

   しかし、実際は未だに人身売買が行われている。特にターゲットになっているのは、子どもである。その方法は、売り手(親)と買い手の双方の合意によるものもあれば、仲介者が誘拐によって手に入れたものを買い手に売りつけるものもある。

  親が知らぬ間に自分を売ったと知った子どもは、どれだけのショックを受けるのだろう。自分を守ってくれるはずの肉親が、自分を見捨てたのである。すべての人間に対し、計り知れない不信感を持ったに違いない。 

  人は、売ったり買ったりできるものではない。それは、人間の尊厳を踏みにじる行為である。

  しかし、今でもそのような売買が行われているのは事実である。買われた人は、商品として扱われ、所有者の意のままに従わなければならないのである。それは、まさに人権の侵害といえる。

 

・ 臓器売買                                                          

   正規に臓器移植をしてもらうためには、ドナー登録をしている人の死を待たなければならない。

   順番待ちの人は多く、いつ提供されるのかはほとんど分からない。早くしないと手遅れになる場合もある。それに目を付けたのが臓器売買である。

   ブローカーの中には、誘拐だけでなく、「裕福な家庭に里子として預けてあげる」と親を巧みに騙して子どもを手に入れる輩もいる。目的は、子どもの臓器であり、それを高額で売ることである。

   臓器を取られた子どもたちは、ほとんど殺されていると聞く。当然、臓器を買う方にはそんなことは知らされていない。

   大金を得るために、幼気な子どもの命を平気で奪うという極悪人。一握りの倫理観も持たず、人間性の欠片もないのであり、絶対に許せない行為である。

   非常に残念なことであるが、このような闇取引が存在しているのは事実である。これ以上犠牲者を出さないように、なんとか対策を考えて欲しいものである。                            

 

・ 猟奇殺人

   連続殺人事件は、過去に何度かあった。犯人が捕まらず、未解決のままの事件もある。その犯行の中には、動機がまったく不明なものもある。

  動機がない殺人事件。一体、何のための殺人なのか。それはただ単に、「快楽」を求めるためである。人を殺すことで快楽が得られるという普通では考えられない理由なのである。

  なぜ、殺人によって快楽が得られるのか。思うにそれは、獣を狩る猟と同じような感覚ではないだろうか。

   本来、猟というのは糧を得るための行為ではあるが、食料にする以外に、ゲームとしても昔からよく行われている。猟の大会では、射止めた獲物の数を競うこともあった。

  しかし、その対象となるのは兎や鹿などであって、決して人間ではない。間違っても人間を標的にすることはない。

  ところが、それを平然と犯す殺人鬼がいて、奴らは捕まるまでそれを続ける。そして、その度に犠牲者が増えていくのである。

   こんな極悪人は、捕まえたらすぐに極刑にすべきである。処罰から逃げるための「精神異常」という言い訳など認めてはならない。釈放すれば、また巧妙な手口で人を毒牙にかけるに違いないからである。

 

・ 無差別殺人

   逮捕された犯人は、こう語る。

「殺す相手は、誰でもよかった。」

「以前からの鬱積が犯行の動機だ」

  こんな言葉を聞いた被害者の家族は、悔やんでも悔やみきれないに違いない。殺された本人も、たまたま居合わせたためにこんなことになるとは、夢にも思わなかっただろう。

  アメリカではコロンバイン高校銃乱射事件、日本では秋葉原通り魔事件がよく知られているが、特に幼気な小学生を執拗に追いかけ回して殺傷した池田小学校での事件は、非常に痛ましい思いがする。

   自分の置かれた劣悪な環境、親からの抑圧、クラスメートのいじめ、孤立などで世を恨み自爆自棄になるのは分からないではないが、何の関係もない、何の落ち度もない、何の罪もない者を犠牲にするのは非常に憤りを感じる。

   自分の鬱積した気持ちの解消のために、関係のない人々に矛先を向けるべきではない。自分の境遇をアピールするために、誰かを犠牲にすべきではない。そんなことは言うまでもないが、それが分からずに大罪を犯してしまう。

   それはまるで、駄々をこねてわめき散らす幼い子どものようである。自分の思う通りにならないと、周りの迷惑も考えずに感情のままに悪態をつく悪童のようである。

  そんな輩には誰も同情しないのであり、それどころか暴露した稚拙さに対し嫌悪さえも起こる。

  同じ犠牲にするのなら、世の中に良からぬ災いをもたらす者や偽善者を対象にすればまだ納得もできた。

  そうしないで弱い者を狙ったのは、反対に自分がやられるのを恐れたからである。典型的な自己中心型の人間といえる。

   こんな奴らは、また出現する。運が悪ければ、自分自身や家族が犠牲者になる可能性だってあり、油断がならないのである。

   用心することなく安心して暮らせる世の中になるのは、まったくいつのことになるのやら。

        

・ 保険金殺人

  保険金目当てに家族を殺すという事件が世界中で起きている。

日本でも、母親が実の娘を保険金目当てに毒殺しようとした事件があった。元看護婦の母親は、病院で娘を看病するふりをして食事に毒を盛っていた。それに娘が気づき、犯罪が発覚したのである。

   母親の犯行の動機はこうだった。その当時、母親には愛人がいた。その愛人が自分から離れないようにするためには金が必要であった。それで娘を殺して保険金を手に入れようとしたのである。

  自分の欲望のために実の娘を殺そうとするとは、なんという母親であろうか。娘は、一番信頼すべき母親に殺されると分かったとき、どのような気持ちになったのであろうか。

   この事件は未遂で終わったが、親が保険金を得るために実の子を計画的に殺した事件は、過去に幾度もあった。すべて、自分の欲望のためである。なんと嘆かわしいことか。世も末である。

                  

・ 独善

   自分だけが絶対に正しい思う人ほど厄介である。

  今から四十年程前に、浅間山荘事件というのがあった。連合赤軍と言われる極左翼の活動家たちが起こした衝撃的な事件である。

   指名手配になっていたグループの数人が、人質を捕って山荘に立て籠る。彼らとその居場所を知った機動隊との攻防がリアルタイムに放送され、国民がテレビの前に釘付になった。

  犯人たちの逮捕後、事件の全容が明らかになる。グループに内ゲバがあって、その中には、目も背けたくなるような陰湿で悲惨な殺人が含まれていた。

  犯行にはリーダー格の男女二人が関わっていたが、特に女の方が指図をしたと言われている。その女が殺人を指図した理由は、考えられないようなことであった。

   思想に違いが生じたからではない。単に、「自分の意に添わない」「世俗的である」「目立つ」「自分より容姿が良い」ということに対する悪意や嫉妬からである。そんな理由で、自分の気に入らない者を「総括」という名の下に暴行したり、殺したりという私刑を繰り返したのである。

   リーダー達は、自分の示す方向や方法が絶対であり、それ以外は認めないということを強固に主張した。そして、そのような独善が、自分の気に入らない者は即処刑するといった独裁者のような暴走を引き起こすことになったのである。

   殺された者の中には身重の妊婦もいたが、彼女を殺害した後で、嬰児を引き出して放置するという残虐な行為にまで及んでいだ。

  指図されて殺害に加わった者やそれを見ていた者は、「総括」に対して内心は肯定的でなかったようである。しかし、逆らえば自分も同様になる恐れがあり、その絶対的な命令に従うしかなかった訳である。

  元は、「世直し」という同じ考えを持つ集団であったはずである。中には、「世界に革命を起こす」という純粋な志を持って挑んだ若者もいたに違いない。

   そんな思いを持つ集団の指導者たる立場の者が、私怨によって仲間を殺すという「理想の実現」とは全くかけ離れた惨劇を起こしてしまったのである。

   その後、彼らはその惨劇を「革命を遂行するための試練だ」と弁明する。反省はまったくないのである。数年後、一人は獄中で自殺し、もう一人は、延命の為か自己批判をしだす。

  結局このような事件が起きたため、世間から「革命と叫ぶ輩の真意は、単なる自己満足の為のパフォーマンスである」と言われてしまうことになる。独善が悲劇を作った悪い事例である。

 

・ 洗脳

   一九九五年、東京の地下鉄で毒ガスが発生し、たくさんの利用客が犠牲になった。

   原因を調査した結果、毒ガスはサリンという化学兵器であることが判明する。この事件は、戦後で最大級の無差別テロ行為となり、全世界に衝撃を与えた。

   警察は、すでに犯人の目星をつけていて、ある宗教団体の強制捜査を実施する。結果、事件との関与が明白になり、毒ガスを仕掛けた幹部たちを逮捕する。

  警察の取り調べの中で、毒ガスを製造した者や事件当日の実行犯が判明する。さらに、以前に起こった弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、公証人役場事務長拉致監禁致死事件などが、彼らの手によって行われていたことも明らかになっていく。

 

「弁護士一家殺害事件」

   一九八九年に、ある宗教団体の問題に取り組んでいた弁護士とその家族が忽然と失踪した事件である。

   当時、弁護士は、ある女性から相談を受けていた。その相談とは、彼女の息子が出家信者であり、教団から脱会させたいということであった。

   それをきっかにして、彼は、一九八九年の五月から教団の反社会性を追及し批判するのである。

   教団の教祖は、弁護士の活動が翌年の総選挙の出馬や今後の教団の発展の障害となると考え、信徒に彼の殺害を命じる。その命によって、弁護士一家は自宅で殺害され、それぞれ山中や林道に埋められる。

 

「松本サリン事件」 

  一般市民に対して、初めて化学兵器が使用されたテロ事件である。

  一九九四年、長野県松本市の住宅街において、何者かが猛毒のサリンを散布する。その結果、死者八人・重軽傷者六百六十人を出すこととなる。

  当時、松本市に右記の教団の支部があったが、その立ち退きを周辺住民が求めていた。裁判が行われ教団側の敗訴が濃厚になるが、教祖は状況を打開するために裁判を担当する判事の殺害を信徒に指示した。

   これを受けた信徒が、長野地方裁判所松本支部官舎に隣接する住宅街にサリンを散布したのである。

   当初、警察のずさんな捜査やマスコミの報道によって、無実の人が犯人扱いされてしまう。

  しかし、その後「教団が真犯人である」という怪文書が出回ったり、目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件の捜査で教団幹部が自供したりしたこともあり、教団の仕業である事が判明する。

 

「目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件」

   一九九五年、教団が、当時目黒公証人役場事務長だった男性職員を拉致・監禁し、死亡させた事件である。

   この被害者には妹がいて、教団に入信していた。彼女は教団に数千万円の布施をしていたが、さらに彼女が所有する「目黒公証人役場」の土地・建物を布施するように強要されたため、教団から逃げ出し兄に匿まわれたのである。

   教団幹部らは、妹の居所を知るために兄を拉致し、教団施設の中に連れ込む。結局、兄から居所を聞くことはできなかったが、そのまま解放すると教団にとって都合が悪いと判断した教祖の指示により、麻酔薬を過剰投与して死亡させてしまう。

 

・ 最悪の教団

   この教団の前身は、ヨーガの道場であった。ヨーガは原始仏教における悟りを開くための修行の一つであり、そのこともあって道場主は、道場を宗教団体に変えてしまう。

   自らが教祖になり、「あらゆる宗教・神秘思想を包含する真理を追求していく」ということを表向きにした。

   仏教の教義の主な趣旨は、「悩める衆生の救済」である。それにも関わらずその教祖は、勢力を拡大するために本来の目的に反することも平然と行った。

   普及の妨げとなる者は全て抹殺しようとしたのであり、その実行犯は、幹部的な立場にあった信者たちであった。

   信者の中には、その手段に疑問を持った者もいたはずである。普及のためとはいえ、罪もない人々を殺して良いものかと。

   しかし、彼らにとって教祖は絶対的な存在であり、教祖の言うことはすべて正しいと洗脳されていた。だから、そんな疑念を問うことよりも服従することを選んだのである。

   この教団の信者たちをインタビューすると、意外なまでも素直で真面目であるという。普段は温和で良識のある人たちばかりで、高学歴の人も結構いるのである。

   解決できない問題に直面したとき、自分を導いてくれる指導者を求めたり、絶対的なものを求めたりする傾向があるのは、優柔不断な人たちよりこういう人たちなのかも知れない。

   上からの言葉に何の疑問も持たずに従い、それが偽物であろうと、その結末が最悪になろうと、いったん信じてしまうとどこまでもついて行こうとする。そんな人ほど騙されやすいということなのだろうか。

   結局、犯行に関連した幹部たちの自白から、すべては教祖の指示であったことが判明するが、教祖は、「幹部たちが勝手にやった」と弁明する。

   このとき、彼らは教祖をどのように思ったのであろうか。今まで信じ切っていた教祖が、責任を自分たちに押しつけたことに対してである。

   仮に幹部たちが勝手にやったとしても、その団体の長としての責任は重いものになる。自分の指導の甘さと不徳を反省して、すべての責任をとらなくてはならない。

   にもかかわらず、自分ひとりなんとか逃げようとしているのである。こんな奴は、教祖でもなんでもない。ただのペテン師であり、極悪人である。

   現在、世界に存在する宗教は、キリスト教系・イスラム教系・仏教系など数え切れないほどある。それぞれの団体において、分裂したり枝分かれしたりして、教義も異なっている。

 新旧含めて様々な宗教団体を十把一絡げにはできないが、どの宗教においても果たすべき本来の役割がある。

「宗教とは何か」については先に述べたが、「宗教は、どうあるべきか」を考えると、この教団が行った殺戮は、それとは真逆の行為であることは言うまでもない。

   私利私欲のために宗教を利用する。独裁者のような教祖が世界制覇を目論み、果ては、罪のない人々を犠牲にする。言語道断である。

   おそらく開祖の釈迦は、このような輩の暴挙を見て嘆いているに違いない。いや、烈火ごとく怒っているかも知れない、

   人非人ともいえる極悪非道な輩に騙されぬように、何が本当で何が嘘なのかを判断できる眼を誰もが持たねばならないと真に思う。

 

・ エセ宗教家

   世間を惑わした宗教団体は、上記の教団以外にもたくさんある。

   宗教団体は、あの手この手で信者を増やし、その信者から「お布施」などと称して金銭をまきあげる。中には、マルチ商法のような詐欺紛いのことをして信者を増やす教団もある。

   教祖は、まず自分がこの世の救世主であるようなことをいう。そして、その証拠としていろいろな超常現象を見せる。

信者のプライベートな事を言い当てる。予言をして、それを的中させる。病人の患部を祈祷するだけで治す。果ては、空中浮遊までして見せる。

   もちろん、これらのすべてがトリックである。信者の情報を集めたり、さくらを使ったり、手品同様の仕掛けなどによってそれを可能にしているのである。

   信者は、教祖に超能力があると信じ込む。教祖の言うことのすべてを鵜呑みにしてしまう。教祖は言う。

「近い将来、貴方に大きな災いが来る。その災いは、間違いなく癌である。その災いを払うためには、この霊験あらたかな壺を買って家に置くしかない」

  言われた信者は、法外な値段にも関わらずその壺を買うことになる。まさに霊感商法である。

   エセ宗教家は、このような方法で莫大な利益を得て、さらに組織の拡大を目論むのである。

 

・ 自己開発セミナー                                

   名ばかりのインチキセミナーも、結構多いようである。

   まず、ガイダンスを開き、参加者に実際に成功を収めたという者(さくら)の体験談を聞かせて会を信用させる。

   入会を希望した者にはさらに功利心を煽り、様々な名目を作って高額の登録料や参加料を払わせるように洗脳していく。

   騙されたことに気がついたときには、かなりの金額を取られている人も多い。被害者の中には、そのショックで二度と立ち上がれないくらい精神的に落ち込む者もいるようである。

  当然、その団体や幹部は被害者から訴えられるが、逮捕されても反省することはない。罠にかかった人たちが、この先どうなろうと知ったことではないのであり、失った現金が被害者に全額戻ってくることはまずない。

   人の弱みや欲を利用して、金儲けをしようとする輩は後を絶たない。彼らは、これまでの方程式が使えないとなると新手を考えてくる。金儲けになると天才的な考えが浮かぶようである。                                  

  悪魔は、我々の油断を狙っている。ちょっとした隙間でも強引に入り込んでくる。

   窮地に陥り、「藁にもすがりたい」状況であっても、甘い言葉に誘われて罠にかかってしまうことのないように注意しなければならないのである。

 

・ 少年犯罪

  その犯罪の重大性によって、未成年であるにも関わらず被告に極刑を求める世論が起こった忌まわしい事件がある。

 

「永山則夫連続射殺事件」

  昭和四十三年に、東京、京都、函館、名古屋に渡って起こった未成年者による連続射殺事件である。

  アメリカ海軍基地で、何者かにピストルと実弾が盗まれる。そのピストルによって、四人の犠牲者が出る。殺害されたのは、ホテルのガードマン、神社の警備員、タクシー運転手である。

   いずれも金銭目的による殺害であるが、死に至るまで執拗に撃つという残忍な事件であった。

  その後、犯人の身元が分かり実名で指名手配されるが、犯人は十九歳の未成年であった。

   捜査により翌年に逮捕されて、取り調べを受ける。彼は、犯行の動機が社会への復讐であると息巻いた。

   当時は、両親の育児放棄、極貧の家庭環境、未就学などから、彼に対する同情の声もあったが、それらが殺人を起こす決定的な原因とは断定できないとされた。

   さらに、殺害された被害者の数、殺害方法の執拗性、残虐性、動機などから死刑の判決が出て、二十八年後に執行される。

  以後、未成年による殺人事件に関しては、この判例を参考にすることが多くなった。

 

・ 二つの悲惨な事件

   昭和六十三年と六十四年に、二つの悲惨な殺人事件が日本で起こっている。

「名古屋・アベック殺人事件」と「女子高生・ドラム缶詰殺人事件」である。いずれも主犯格が未成年であり、その殺害の手口が非常に残忍であったことが印象に残っている。

 

「名古屋・アベック殺人事件」

   夜中、公園で車中デートの男女が、突然二台の車に前後を挟まれる。車から出てきた男女六人の不良グループに、二人は襲われる。不良グループは、日頃から、恐喝、暴走行為、シンナー吸引などをしている札付きだった。

   男性は車から引きずり出され、暴行され金銭を奪われる。女性も暴行され、四人にレイプされる。その後、被害者二人はグループに拉致される。

  翌日になって、処置に困ったグループが二人を殺害することを決める。そして、その日の深夜に決行される。

  目隠しされた男性が首にロープを巻き付けられ、綱引きのように左右に分かれて絞められる。男性は、命乞いをするが無視され、じわじわと時間をかけて殺される。

   その間、男性が殺されたことを知った女性は、海に身を投げて自殺をしようと試みるが捕まってできず、裸にされて男性と同じ方法で殺される。

   その時、主犯格のAとBは、「早く殺して。死んで恋人のもとに行きたい」と願う女性の気持ちに反して、時間をかけて鼻歌交じりで綱引きをする。

   その後、二人の遺体は、山林に埋められる。

 

「女子高生・ドラム缶コンクリート詰殺人事件」

  夕方、自転車でアルバイトから帰る途中の女子高生が、見知らぬ男Bに蹴られて転倒する。通りがかった別の男Aが「大丈夫ですか。送りましょう」と声をかけるが、途中から態度が急変して「俺はやくざだ。逃げたら殺す」と脅し、グルであるBの家に無理矢理連れ込む。

  そこで、仲間二人が加わり、四人で女子高生に乱暴する。輪姦したあと、殴る蹴る、タバコの火を押し付けるなどの暴行を繰り返し監禁する。この間、この家のBの両親は、女子高生に気づいていたが、Bの暴行を恐れて何もしなかった。

   主犯格のAらは、女子高生が「家に帰して欲しい」と哀願しても聞き入れず、さらに暴行を繰り返す。時には、女子高生に食事やトイレを満足にさせないこともあった。(小便を飲ませたり、大便やゴキブリを食べさせたりしたこともあったようである)そんなことが一ヶ月以上も続く。

  ある日、Aがギャンブルに負けてその腹いせから女子高生を暴行する。憂さ晴らしの暴行は止まらず、ついに女子高生は死亡する。Aらは、盗んできたドラム缶に女子高生の遺体を入れセメントを流し込む。翌日、公園にドラム缶を捨てる。

 

・ 残忍性                                               

   この二つの事件に共通することは、殺人を平気で犯す残忍性である。ゲームでもするかのように楽しんで人の命を奪っている。まったく人の命を何だと思っているのか。

   自分が面白ければなんでもいい。人が泣こうが死のうが関係ない。いや、むしろ泣き叫ぶ姿や死ぬ間際の苦しむ様子を見て喜んでいる。残忍極まりなく、「こいつ等には、人の心のかけらもない」と憤りが込み上げるのである。

   一体何が原因で、このような残忍性を持つようになったのか。単に、「生まれ持った性質」では済まされないように思う。

   全員の身の上を調査すると、似たような家庭環境だったことが分かった。もし、それが原因なら、このように育てた親の責任は重大である。

  しかし、親の責任だけではない。彼らのほとんどが未成年とはいえ、分別がつく年令である。普通なら、「これだけはしてはいけない」という抑制の意識があるはずなのにそれがなかった訳であり、彼ら自身の責任も大きいのである。

  逮捕後の彼らに、罪の意識はまったくない。反省どころか平然とした態度であったようである。特にアベック殺人事件の主犯であるAは、逮捕されても「少年だから死刑は受けない」とうそぶいている。実際、一審ではAに死刑の判決がでたものの、その後、少年であることによって無期懲役になってしまう。

  この結果、被害者やその家族だけが苦しみ、罰せられるべき加害者が保護されるというなんとも理不尽なことになってしまった。また、被害者の遺族に対する加害者達からの謝罪と賠償は、ほとんど無いという。

   現在、彼等の一部は既に仮出所して社会に復帰している。また同じような犯罪を起こさないことを願うばかりである。

 

・ 止まらない少年犯罪

   上記の事件と同様の少年による残虐な殺人事件が、さらに二つある。

 

「市川一家四人殺人事件」

  平成四年、千葉県で当時十九歳の少年に一家四人が殺害される。

  事件前、少年は、フィリピン人のホステスと性的関係を持ったことで、暴力団関係者から二百万円を要求されていた。工面に困った少年は、その数日前に交通事故を装って強姦した女子高校生の家に強盗目的で押し入る。

   最初に、女子高校生の祖母から金銭を奪い絞殺する。その後、帰宅した女子高校生を監禁する。さらに帰宅した母親を包丁で刺殺する。再び女子高校生を強姦するが、その最中に帰宅した父親も同様に殺害し、預金通帳を奪う。

   翌日の朝に、女子高校生の妹四歳を同じく包丁で刺殺する。通報により警察が駆けつける。少年は、女子高生に包丁を持たせて被害者を装うが、逮捕される。

  残虐な犯罪をしたにも関わらずその少年には、逮捕された後もその裁判においても、全く反省した態度が見られなかった。

   少年の父親は、事業の失敗やギャンブルで多額の負債を抱え、暴力団からの借金返済に迫られる毎日だった。それが原因で両親が離婚し、少年は、親の愛情を受けることない孤独な生活を送った。成長するにつれて凶暴になり、暴行事件や強姦事件を繰り返していた。

   地裁で、「少年の恵まれない環境は情状酌量の余地はあるが、犯行の計画性や残虐性は死刑に値する」と判決が言い渡された。

 

「光市母子殺害事件」

  平成十一年、当時十八歳の少年が、排水検査を装って強姦目的で社宅アパートに押し入る。居間に侵入した少年は、女性を強姦しようとしたが抵抗されたために、首を締めて殺害する。その傍らで泣いている十一カ月の乳児も殺意をもって床にたたきつけ失神させる。

   少年は、殺害した女性から漏出した排泄物をふき取って屍姦するが、乳児が再び泣き叫び這って母の死体に近寄ろうとしたので,ひもで首を絞めて殺害する。

   その後、冷静に指紋をふき取り,女性の遺体と天袋に入れた娘の遺体を押入れに隠し、居間にあった財布を盗んで逃走する。

   少年は、盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり、友達の家に寄ったりしていたが、事件から四日後に逮捕される。

   この事件が報道されて、「こんな残虐な行為は、未成年であっても死刑にすべきである」という世論が多数あったが、判決は無期懲役であった。

  判決を下した裁判長に非難の声が挙がる。彼は、過去の判例に従って無難に済まそうとしたようである。自分の経歴に汚点と成りうる「未成年者に死刑」という判決を下したくなかったのである。

  さらに少年側の弁護士たちも問題になった。彼らは死刑廃止論者であり、それを盾に少年を擁護した。そして、このような少年の弁明も聞き入れた。

「強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという気持ちで抱きついた」

「乳児を殺そうとしたのではなく、泣き止ますために首に紐を蝶々結びしただけ」

  果たして、こんなことが弁明として認められるのであろうか。

  強姦目的でないのなら、排水検査を装う必要はない。「優しくしてもらいたい」という気持ちであるのなら、殺しはしない。抵抗されて逆上して殺したのであれば、屍姦はしない。乳児が泣き止むぐらいに首に紐を強く結べば、窒息死するのは誰でも分かる。乳児の泣き声で誰かに気づかれないように殺したのは明白である。さらに、冷静に指紋を拭き取っていることからして、衝動的に犯したのでないことが分かる。

   無期懲役が決まったとき、少年は拘置所で知り合った友人に手紙を送っている。その内容は、こうである。

「(裁判に)勝った。生まれ育った環境によって逃げられた。今の世の中は、最後に悪が笑う。強姦しようとしたことは生理的要求であり、責められることではない。死刑を求める被害者の夫は、マスメディアに出過ぎであり、気にくわない。」

  罪の意識など全く感じられない。それどころか、犯行の正当性を主張し、被害者の夫を非難しているのである。何という奴であろうか。

  愛する妻や子を惨たらしく殺された夫が、その犯人を死刑にして欲しいと願うのは当然である。犯人の欲望のために何の落ち度もない家族を殺された夫の心情は、とても分かる。もし、自分がその夫なら同じことを望むに違いない。

   少年は、そんな被害者の家族の気持ちなど全く顧みないし、自分が助かることしか考えていないのである。助かるためには、荒唐無稽なことも平気で言う。

「殺害後に屍姦したのは、そうすると生き返ると思ったから」

「押入れに入れたのは、ドラエモンが生き返らせてくれると思ったから」

  犯行当時の自分の精神が未成熟であったことのアピールである。情状酌量を狙いとするのがはっきり分かる。自分のしたことは棚に上げて、なんとか処罰から逃れようとする狡さが見えてならない。

   池田小学校の児童殺害事件の犯人も、当初同じように精神異常を装って罪を逃れようとしたが、最後は居直って「俺をすぐに死刑にしろ」と訴えた。その点では、まだ潔いように思える。

  その後、最高裁は、検察側の上告を受け高裁の判決を破棄し、審理を差し戻す。高裁は、弁護側主張を全面的に退け、被告に死刑の判決を下す。

 

・ 弁護士

   あまりにも大きな犯罪を起こし、世間の風当たりが強い被告の場合は、その弁護を断る弁護士もいると聞く。しかし、被告に弁護士がつかないと裁判ができないので、誰かが引き受けることになる。

   上記の事件もそうであるが、過去の凶悪事件の被告についた弁護士というのは、どのような気持ちでその弁護を引き受けているのであろうか。

  罪相当の罰を受けるべき被告を助けるなど、被害者やその家族のことを考えれば普通はできないことである。それにもかかわらず、弁護する。「被害者の家族が嘆こうと悲しもうと、自分とは一切関係ない」と割り切っているのだろうか。

   過失や怨恨で人を殺した場合、本人がそのことを本当に後悔したり、動機に情状酌量の余地があったりするのなら弁護も許せよう。検察や弁護士によって犯罪に至るまでの事実が明らかにされ、被告は犯した罪に相当する罰を受け入れればいいのである。

   ところが、素直に自分の罪を認めない被告たちなのである。さらには、「何が悪い」と居直る輩なのである。自分の欲望のために人を平気で殺し、捕まっても反省もせず、それでいて罰を逃れようとする極悪人の弁護である。

弁護によって、そいつらが無罪になったり、軽減したりすることに何か罪悪感を持たないのだろうか。道義的に間違っているし、理不尽である。「それが仕事であるから」と言ってしまえばそれまでであるが、実際、因果な生業だと思えてならない。

   もし、同じような二つの事件が起こり、一つ目は被告側に、二つ目では原告側についたとしたら、全く正反対のことを言うだろう。被告につく裁判では原告の不当性を主張し、原告側につく裁判では被告の不当性を主張するのである。その矛盾点を指摘したら、「立場が違うから当然である」と一蹴されてしまうに違いない。

   弁護士が目指すものは一体何か。本当なら重刑であるべき犯罪者を軽刑にするという手腕なのか。あの弁護士に頼めば何とかなるという実績作りなのか。

   すべてがそうだとは言わないが、中には原告や被告の印象を悪くするために、事実を誇張したりねつ造したりする弁護士もいると聞く。

   さらには、被告が有罪になる決定的な証拠をつかんでも公表せずに隠して、何としても無罪を勝ち取ろうとする正義感の一欠片もない弁護士もいるらしい。

  このような悪徳弁護士は、勝利した瞬間、落胆したり傷ついたりする人たちを尻目に、これ見よがしにガッツポーズをするのである。自分の評価を上げるために、「何が何でも勝つ」「勝つためには手段を選ばない」という勝利至上主義に陥っているように思えてならない。

   弁護士も生きるための生業であることは分かる。ライバルとの熾烈な競争の中で、信頼を得て生き残らなければならない厳しさも分かる。自分の依頼人の要望に少しでも応えたいという気持ちも分かる。時には自己アピールも必要となるだろう。

   しかしそうであっても、公正かつ誠実な裁判を目指す法廷においては、社会正義の実現を使命として自分の役割を果たすことが第一と考えなければならないのである。

   それは、法律に疎い被告や原告の代弁者になり、真実を明らかにして裁判官が正当な判決を下す手助けをすることである。決して、黒を白にしたり、白を黒にしたりすることではないはずである。

                 

・ 訴訟の国

   米国は、訴訟の国といわれる。何かにつけて訴えられて、賠償金を取られるようである。 

   あるバーガー店での話である。コーヒーをこぼして火傷をしたという理由で、その店が訴えられた。

   こぼしたのは客本人であるが、「火傷するくらい熱いコーヒーを出した店に責任がある」と原告は主張する。被告である店側は、「暖かいコーヒーを出すための工夫であり、責任はこぼした本人である」と言い返す。

   この両方の言い分からすると、分が悪いのは原告側と思えるが、判決は意外にも、原告側の主張を認める内容になった。

   裁判はまさに戦いである。訴えた方、訴えられた方は、勝つためにあらゆる手段を使う。その訴訟に関してスペシャリスト的な弁護士を複数雇うこともある。高額な弁護料など惜しまない。勝てば天国、負ければ地獄になるからである。

  そんな法廷で、社会正義を口にすれば笑われてしまうだろう。勝利至上主義を批判すれば、逆に「それがなぜ悪い」と言われてしまうのが落ちである。

   勝つことしか頭にない彼らには、安っぽい人道主義など通用しないのであり、同情を求めても無駄である。しかし、それで良いのだろうか。

 

・ 誤解

  子どもの頃、母親の財布からお金を抜き取ったとして、母親に叱られたことがある。身に覚えのないことなので否定したが、母親はそれを認めず、尚も責めたてた。

   ところが、その最中、父親が帰ってきて、「犯人は自分である」と母親に告げた。「どうしても買いたい物があったが手持ちがなかったので、その財布から抜いた」と言い訳をした。

   その時、母親は私に謝るどころか、「普段の行いが悪いから疑われるんだ」と叱った。誤解は解けたが、なんともやるせない気持ちになったものである。

  しかし、この程度のものならまだ許せる範囲である。世の中には、大きな迷惑を蒙ったり、罪を負わせられたりする誤解もあって非常に厄介である。現実に、そのような被害者がたくさんいて、気の毒に思う。

   人生が破滅に向かうような誤解など受けたくもないし、誰もがそのようなはめにならないようにと願うのである。

 

・ 冤罪

  再審が行われ、最高裁から無罪の判決がでた。死刑と言われた初審から、二十年も経ってからのことである。

   被告を応援する団体の全員が、この時を待ち望んでいたように喜んだ。当然、被告自身も笑顔を見せた。しかしながら、その喜びは、芯からの喜びではない。

   確かに無実は実証された。刑罰を執行されない安堵感はある。それでも、空白の二十年は戻ってこない。

   有罪になってから、必死に無実を訴え続けた二十年間。死刑執行の恐怖で一時も気持ちが休まることがなかった二十年間。汚名を着せられ、家族や親類、友人たちにも迷惑がかかった二十年間。その間、両親は、自分の無罪を知ることなく逝ってしまっている。

  人生は、一度きりである。その一度きりの人生が、冤罪によって奈落へと落とされたのである。無実の罪によって自由のない牢獄に押し込められ、落胆のまま生きてきたのである。自分をこのような目に遭わせた者たちへの恨みというより、無駄に二十年間を失ったことの悔しさが込み上げるのである。

   戦後の日本における冤罪や冤罪の疑いのある事件は数々あるが、その中でも帝銀事件、松川事件、三鷹事件、八海事件、狭山事件、甲山事件、足利事件などが有名である。

   いずれにおいても犠牲者が出て、真犯人は逮捕された人ではなく、他にいる可能性が大きいとされる。

  冤罪事件の中には、服役後に真犯人が自白した事件や、死刑が執行された後に真犯人が名乗り出た事件もある。悔やんでも悔やみ切れない結末である。

   このような冤罪が、今までにどれくらいあったのかを調べてみたが、殺人以外の事件も含めると、毎年のように起こっているようである。

  最近では、電車内での痴漢行為の冤罪事件があった。逮捕された人は、一貫して無実を訴えたが、目撃者がいたために信用されなかった。

  ところが、警察が調査するうちに、被害者と目撃者がグルであり、この事件そのものが示談金目当ての狂言であったことが分かる。

   結局、無実が証明されて釈放となるが、もし、犯人のままであれば、社会的信用を失うのはもちろんのこと、職場から解雇を受け、家族や友人からも見放されることになっていたのではないか。それはまさに、「人生の転落」を強いられた人災である。

   世の中には、このような恐ろしい罠が潜んでいる。うかうかしていると、取り返しのつかないことにもなる。まったく油断ができないのである。

  誤った証拠が出るなど、偶然が左右してこのような憂き目に遭うのは不運であるが、誰かに陥れられて無実の罪で処刑されるというのは、死んでも死にきれないに違いない。

   仕掛けられた罠以外に、冤罪を生む大きな要因がもう一つある。それは、警察の姿勢である。

  面目を保つために、「何が何でも犯人を捕まえてみせる」と意気込むのは許されるとしても、虚偽の自白をさせたり、思い悩んで自殺させたりするような過剰な取り調べは、止めて欲しいものである。

   昔の事件の中には、自白させるために拷問も行った。また、無理矢理犯人に仕立てるために警察官が証拠を捏造したこともあったと聞く。

   指紋、血液、DNAなどで真犯人を割り出すことができる現代でも冤罪があるのだから、科学的な検証ができない時代においては、相当数あったはずである。

   もちろん、「天地神明に誓って潔白であり、絶対に無実である」と冤罪を訴え続けた被疑者が、実際に犯人であったというケースもある。自分の本性を隠して言葉巧みに人を騙し、罪を逃れようとする輩もいるのである。

  しかし、本当に無実であった場合、真犯人にされるというのは非常に口惜しいものである。大きな不安感と絶望感によって気が休まる間もないのであり、子どもが親に誤解を訴えるのとは訳が違うのである。

   身に覚えのない罪を負わされ、必死に潔白を訴えても誰にも信じてもらえない。自分の人生が、自分の意思とは異なる悪い方向へ変えられてしまう。

   そんな人の恨みというのは、計り知れないものがある。もし、そういう人たちの恨みを寄せ集めることができたら、そのパワーによって、富士山の大噴火を起こせるのかも知れない。

   罪は、犯した者が負うべきである。潔白な人が、負うものではない。隠されていても真実は一つである。

   その真実を明らかにして、冤罪という悲劇が二度と起こらないようにと願う。

 

・ 推定無罪

   司法の原則は、「疑わしきは、罰せず」である。

   確固たる証拠がない場合は、どのような被疑者もすべて無罪になるのである。それは、冤罪を作らないための方針であり、そのこと自体は間違っていない。

   確かに本当にやったかどうかは、神でもないかぎり分からない。陥れによる冤罪もある。予断と偏見によって、無実の人に冤罪を背負わしてはならないのはその通りである。

   しかしである。明らかに罪を犯している者をそのまま無罪にするのは、非常に悔しい気がする。百人中百人が「そいつが犯人である」と思う被疑者が、証拠不十分で無罪になってしまうのは、まったく納得がいかないのである。

  こういう奴らは、平然と「私はやっていません」と主張し、罪を逃れるために有能弁護士を雇い、あの手この手で無罪にこぎ着けていく。中には、精神異常者に成りすます者もいると聞く。

   そして、無罪に決まったとき、原告やその弁護団に「そら見たことか」と蔑むような目で嘲笑するのである。自分が行ったことはそっちのけで、まったく反省の気持ちなど微塵もなく、勝ち誇るのである。

   実際、米国で妻殺しの容疑者が、動機、アリバイ、証拠、逃走などでかなり不利な状況でありながら、有能な弁護士の手腕によって無罪になった例もある。

   その容疑者が、有名なスポーツ選手であったことで世界中が注目したのであるが、人種問題を盾にした弁護によって無罪になった。

   日本では、「ロス疑惑」といわれる保険金目当ての妻殺し疑惑事件が有名である。動機、アリバイ、未遂事件の共犯者の証言、前妻の消息、普段の言動などですべて容疑者が企てたことと世間では確信を持ったが、これも証拠不十分で無罪になった。限りなく黒に近いグレーが、白になったのである。    

   もう一つ、日本で起きた冤罪に関する有名な事件がある。「首都圏女性連続殺人事件」といわれ、被害者は十人にも及んだ。被害者のほとんどが若い女性で、強姦されたうえに殺害されたが、中には焼殺された者もいる。

   捜査の中、一人の容疑者が逮捕された。その男は、取り調べによって容疑を認めるがすぐに覆し、「自分は絶対無実である」と叫ぶ。

  さらに獄中から、自分の無実を訴える手紙を人権団体に出し続ける。その甲斐あって、文化人や弁護士、宗教関係者たちが「救援会」を結成する。世論が動き、結果、殺人については証拠不十分で無罪となってしまう。

   無罪釈放となった男は、メディアからインタビューを受けた際に、「自分の潔白が証明されて本当によかった。自分のような冤罪事件が二度と起こらないことを望む」と述べる。支援者たちも「冤罪事件が解決した。不当な警察や検察から勝利を勝ち取った」と喜んだ。

   ところが、出所から五年後、首なし殺人事件と少女殺人未遂事件が起きる。両事件ともその男が関わっていたことがわかり、逮捕されてしまう。さらに、その男の家から動かぬ証拠(被害者の生首)が出てきて万事休すになるのである。

   支援をしていた人たちが、そのことを知らされて大変なショックを受けたことは言うまでもない。その落胆は計り知れないものであり、面目も丸つぶれになった。

   支援者たちの「あの男の『自分は絶対無実である』という叫びは、一体何だったのであろうか」という声が聞こえてきそうである。

   結局、子羊の仮面をつけた狼に騙されたのである。無実を信じて真摯に救おうとした人たちを男が利用したという訳である。

   ちなみに、以前の事件もその男の仕業であるとの疑惑が再び起こるが、判決が既に出ているので後の祭りであった。

   もし先述の事件がなければ、その男は「冤罪のヒーロー」として大手を振って暮らしていただろう。たくさんの人を殺しておきながら、国からもらった大金でのうのうと遊んでいたに違いない。

   結果、「悪人を裁く法が、悪人を守ってしまう」という、なんとも理不尽な現象になるのである。

  悪人は、あの手この手で罪を逃れようとする。同情を得るために、一世一代の芝居もする。「人は見かけによらない」という言葉があるが、見かけで騙されてはいけないというまさに顕著な例である。

  また、このような同情だけでなく、権力や財力、はたまた人脈を使う者もいる。自分の罪を素直に認めずに、力づくによって刑罰を逃れようとする者たちである。

  刑法に反する談合や汚職が明らかになっても、蜥蜴の尻尾切りのように身代わりを立てる。事件の中心人物でありながら、「自分には関わりがない」と素知らぬ顔で平然としているのは、財閥や政治家に多い。

  世の中には、保身のための様々な駆け引きがある。いずれにおいても、真実が握りつぶされ嘘が罷り通るのであり、とても残念でならない。

   こんなことが蔓延る社会だから、フィクションのドラマに登場する闇の仕置人でもいてくれたらと心底思う。法で裁けないのだから、誰かが裏で制裁を加えてくれることを願うのは私だけであろうか。