次に平野啓一郎さんの作品のどれを読もうかと各作品のあらすじを一通り読んでみたところ、一番読んでみたくなったのはこれでした。
『決壊』 平野啓一郎著 2009年
あらすじ:平凡な家庭を営む会社員・沢野良平はエリートの兄・崇を慕いつつも、些細なすれ違いからやや複雑な関係にあった。良平がバラバラ遺体として発見されると捜査の目は崇に向けられる。一方、孤独な中学生である北崎友哉は自分のホームページに同級生への殺意を書き込んだところ、「悪魔」と名乗る者が接触してきて・・・と、上巻はこのような話。
読後の感想をなかなか言葉にして言い表せませんが、何かがずっと心の中でザワザワしていて、まったく平静でいることができません。「感動」というよりは「震撼」でしょうか。
それもそのはずというか、本作は私の座右の書であるドストエフスキーの『罪と罰』を間違いなく意識して書かれているのです。
本作のネタバレを防ぐためにも『罪と罰』のほうで話の流れを書くと、主人公が自分勝手な理屈で金貸しの老婆の殺人計画を立てる、事件当日に居合わせた純真な老婆の妹をも殺害してしまう、そのせいで主人公が精神に異常をきたしていく、主人公を追い詰める刑事と対決する、シベリアへ流刑された後に一人の女性の献身によって人間性を取り戻す。
こういった要素が形を変えて、さらに犯罪小説としてのリアルさや猟奇性、現代社会の複雑さをを加えて語り直されるのです。
『罪と罰』では物語の冒頭に犯行が行われますけど、本作で事件が起こるのが上巻の終盤。しかも「犯人は誰か?」、「悪魔とは誰か?」という謎を残しながら後半へなだれ込みます。
という具合にミステリーとしての面白さを十分に機能させつつ、事件が解決した後もまだ物語は続き、犯人の生まれ育った劣悪な環境が語られて、犯罪というのは突き詰めれば「環境と遺伝」に過ぎないという理論が展開。
さらに『罪と罰』では主人公が改心したところでハッピーエンドとなっていましたけれども、本作では「犯人が更生したところで許せるのだろうか?」という被害者遺族の心情も描かれるという隙のなさ。
そういった多くの議論や問題提起をぎゅうぎゅうに詰め込みながらも、最後は「文学作品を読んだ」という満足感を得られるのですからまったく見事というほかありません。
『ある男』と『マチネの終わりに』が面白かったからというだけの軽い気持ちで読み始めましたけど、とんでもない衝撃を受けました。まさか思春期に読んだ『罪と罰』に匹敵する読書体験を、この歳になってから再び体験できるとは・・・!
とまあ個人的には 生涯ベスト級に満足だったのですが、あらすじを見て分かる通りとてもダークな領域の話なので誰にでも勧められるような作品ではありません。
登場人物が自分の哲学を何ページにも渡って滔々と一人語りする場面はドストエフスキーのファンはニヤリとさせられるものの、一般的な読者の方はきっとうんざりするだけのことでしょうね(笑)
『罪と罰』が好きな人は絶対に読むべき一冊ですが、そうでない方には『マチネの終わりに』をオススメしておきます。
というか、こんな人間の心の闇に迫った大作を書く人が『マチネの〜』のような純愛ラブストーリーも書けるというのが信じられません。
それも著者の標榜する「分人主義」の為せる業なのでしょうか。