『タオ・コード』 | Wind Walker

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タオ・コード―老子の暗号が語り出す 性の五次元領域から迸る秘密の力 (5次元文庫)

 

『タオ・コード 老子の暗号が語り出す』 千賀一生著 2009年

 

 

著者がまだ学生だった頃(執筆の27年前)に雲南省の山奥に文明社会から隔絶された村に辿り着いた。そこは老子の母親の故郷であり、M老人という人物から著者は『老子』には表向きの意味とはまた別の、「性」についての秘儀が暗号化して隠されていることを教わった・・・という、めちゃくちゃ胡散臭い本(笑)。

 

 

現代社会では「性」というものは卑猥なものとしてタブー視されているが、それは我々のセックスが表面的なものに過ぎないからだ。その奥には万物と一体となる至福の世界が秘められているのだ、という内容。

 

それだけ聞くとおそらく多くの人がそれほど拒絶反応なく受け入れられる話だと思いますが、そのことが有名な『老子』に暗号で隠されている・・・というのが面白いところでもあり、良識ある人が眉をひそめるしかない部分でもあるのです。

 

なんでそんな設定にしたのかなと思いますが、世界的なベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』にインスパイアされてしまったのでしょう。とはいえ、こじつけ具合はわりと面白かったです。

 

Taoを表す文字はご存知の通り「道」という漢字ですが、本来は「擣」と書き、「突く」という意味で男性器のこと。「徳」は本来は「竇」という字で「まるい穴」を意味する女性器の隠語。

 

つまり「道徳」という言葉は本当は男女の交わりを意味している、という解釈が個人的には一番秀逸に思いました。

 

 

さて、この本は『老子』の字義的な解釈だけでなく、その本質を体得した村人たちの美しい姿も描写されるのですが、それがまるで桃源郷というか、嘘まるだしというか、欠点がなさすぎて実在感をまるで感じない点は『アナスタシア』を彷彿とさせました。

 

私のような疑り深い人間からすればこれが本当の話だと信じるに足る理由は一つもなかったのですけど、Amazonレビューを見たら意外と皆さん真に受けていらっしゃるのですね。

 

 

 

 

 

架空の先住民に著者自身の理想やメッセージを語らせるのは『パパラギ』と同じ手口ですし、隔絶された社会にいるはずのM老人がなぜか現代文明に妙に詳しい点もパパラギの酋長そっくりです。

 

性が抑圧されたのは「支配者によって民衆の意識が歪ませられたから」という主張ですが、アマゾンの未開部族であるヤノマミで奔放な男女関係が我々の社会と同じかあるいはそれ以上にいざこざを生んでいたことを思い出すと、それも著者の妄想にすぎないことが察せられます。

 

 

ではなぜ著者がこんな架空の村や老人を創作しなければならなかったといえば、このような反論の余地がありすぎる言説を唱えれば当然反論が押し寄せ、ボコボコに叩かれるであろうことを危惧したからなのでしょう。

 

そのときに「いや、これは私が考えたことではなくて『老子』に書かれたことだから」とか「解釈はM老人に聞いたことを書いたまで」という逃げ道を確保するためとしか思えません。

 

 

 

・・・気がつけばめちゃくちゃ貶していましたが(笑)、内容自体は面白いのですよ。

 

チベット仏教でも性的結合した仏の姿が描かれますし、陰陽というコンセプト自体が真逆の性質を持つ二者が一体化したシンボルですし。

 

性が「聖」なるものという認識そのものには異論はございません。