ベジタリアン、肉を食べる。 | Wind Walker

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ネイティブアメリカンフルート奏者、Mark Akixaの日常と非日常

何度か演奏会を開いてくれた沼津の牛山精肉店さんが「コロナで大変でしょう」とお肉を送ってくれました。

 

私は自称ベジタリアンですが、ありがたく頂きましたよ。

 

「え、ベジタリアンなのに肉を食べたの?」と思った方もいるかもしれませんが、食べないから捨てるなんてことをしたら、それこそ生命に対する冒涜でしょう。

 

 

私が日常的に肉を食べるべきでないと思う理由は、「感謝の念が薄くなるから」なのです。

 

私は肉食そのものに反対しているわけではなく、感謝さえすれば何を食べたって良いと本当は思っているのですよ。

 

 

ただどうでしょう。自分が食べられる牛や豚になったと仮定して、「そこまで感謝してくれるなら食べられてもいいかなラブラブ」と思えるほどの感謝の念を果たして人間は毎日捧げてくれているでしょうか?

 

 

「感謝をすれば何を食べても良い」と言う人はコトのほか多いですが、どうも口先で言っているだけにしか私には思えないのですよ。食前に「いただきます」と口走る程度の感謝で牛や豚や鶏、そして魚介類の皆さんが本当に納得してくれるのかと。

 

私は人よりも飽きっぽい性格なので、毎食ごとに深い感謝を捧げられる自信がまったく持てません。なので、「肉をたまにしか食べない」という結論に至りました。

 

 

年に数回程度なら、食卓に上った肉を見たときに自分が他者の生命を犠牲にして生きている自覚も湧き上りますし、「自分にそこまでして生きる権利や価値が本当にあるのだろうか?」という内省もその都度起こります。シラスやチリメンジャコなどを食べた日には、もう出家でもしなければ許されないんじゃないかと怯えるほどです。

 

 

感謝というのはただ単に「犠牲になってくれてありがとう」と思うことだけではなくて、これらの生命を生み出した地球、あるいは宇宙に対して自分がプラスになる生き方をしようという決意を新たにすることではないでしょうか。

 

 

 

 

結局なにが言いたかったかというと、牛山精肉店のお肉は悶絶するほど美味しかったです。