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幸せの散歩道

2009年生体膵腎同時移植手術をして、普通の人と変わらない!と言われるまで元気に楽しい毎日を送れるようになりました(^-^)旅行等好きなことを好きなように楽しめるなんて本当に幸せ!散歩道を歩く中での出来事等を綴っていきます。

病気になって約20年。辛いこと悲しいこと沢山あった。

今もそれで苦しめられるけれど・・・


でも、病気が全部悪いことをもたらして、私を不幸にしているかと考えると

そうでもない気がする。


私は病気を持っていてもとても幸せなときはたくさんあった。

病気を隠していたために病気の人でないと思われていたと思う。

<ちょっと体の弱い人なのか?くらい?には思われていたかも>


(私はみんなに「。○○ちゃんになりたい、変わりたい」

言われたことが何度かある。


それを一番いわれた時期が大学を卒業して就職できずにバイトをしていたころだった。

趣味の海外旅行に年に何度かいって、友達がいて、信頼できる人がいた。


就職できなかったのは病気を理由で内定を辞退してくれと言われたのが本当のとこなのだが

字分で好きで就職しないと言っていたし、みんなもそう思っていた。

結婚も病気のことが障害となって理解をえることはできず相手の親の大反対を受けた。

本当の私の姿を知らないからきっとそういったんだろう。

本当の姿を知ったらそんな言葉は聴くことはなかっただろう。


自分を羨ましいと思ってみている人がいるということは自分で病気の事を隠して

健康な人と思ってもらえるようにしていたからなのだが、

裏では色んなものを抱えていてすごく苦しい思いでいた。

それでも頑張って普通の健常な人を演じていた。


とても疲れることだが自分は健常者なんだと思えたし、人から羨ましいと

いわれることに変な優越感みたいなものを感じていた。


周りに嘘ばかりの自分をつくって何やっているんだろう・・・。

度々そう思ったりもしていた。


今はとてもじゃないが人に隠せるほど体力はないし、人と関わることもなく家にいることが多い。


新しく出会う人には病気の事は隠さないでいる。

隠さなくなった。

隠したところで隠しきれないから。


病気のことを人に言えなかったのは病気を認めたくない、受け容れない気持ちが多分にあったから。

病気になったばかりのころ友達との関係が原因で悩んでいたことが認めれなくなった大きなことだと思う。

病気になって弱い人の立場や人の繊細な気持ちがわかるようになった。


他人が言った何気ない一言がとても人を傷付けることがある。

例えは医者が患者に言う言葉。

これには何度かもひどい事言うな・・・と思う場面に遭遇したことがある。

私自身も深く傷つけられたことがある。


同じ内容のことを言うにしても言い方があると思う。

医者だけでない。

看護師が家族のいる前といない所ではすごい態度が違った現場も何度かみたことがある。

はじめてみた時は本当に驚いた。


特養やいろんな施設で虐待の問題が最近言われているが

隠れているだけで実際には数え切れないほどあるのだろう。


勿論中には心から人のために働き、人の心のことをよく考えてくれる立派な医療関係も大勢いるだろう。

でも、ドラマに出てくるようにあんなに頻繁にはいない。

実際、ほとんど見たことはない。


医療従事者は学問だけじゃなくて、もっと患者に対する心のケアも勉強するようにしないといけないと思う。


患者の立場に立った医療。

これはいつか実現するのだろうか。


でも医療関係者から見てみたら、我侭極まりない患者がいることも事実で頭に来ることも

場合によっては怒れることも一杯あるだろう。

難しいことだがそれでも少しでも良い人間関係が築けられるように努力をしなければいけないのではないか。


今はただ仕事としてこなしているだけという感じの人が多すぎると思う。

損得勘定ではなくて、お仕事だからではなくて、心からの助けを・・・本当に優しく笑顔で接することが出来たら

サービスをするほうもされるほうもも幸せを感じられるようになるのではないか

言うは簡単、行なうは難しだが・・・。


医療関係者と患者は信頼関係だ第一。

それが無いと良い方向の治療が出来ない場合も多い。


すぐに治る病気の薬をもらいに行くだけとか、たまに1度いくだけとかの

医者に縁遠く健康な人はどちらでもいいことかもしれないが

どうしても医者にいかなければならない人や医療従事者の助けが無いと生活していけない私みたいな人には

は切実問題だ。

自分にあった相性の良い医者に巡り会うためには一体どうしたらいいのだろうか。


私は今まで近くの大学病院に通っていて医者を選ぶということはなかった。

、そこの眼科医は普段から愛想もなく言葉も少なく、私が何か悪いことをしたのかな・・・と思うくらいだった。

嫌われていると思っていたが、度は通い続けた。


でも、ある一言でもう限界が来て医者を変えようと決心した。

それが医者選び病院選びの最初だった。


最近PCで沢山情報が得られるので、PCにたよりっぱなしである。

PCがない子供の頃は知るすべもなくどうしようも無かった。

でも、今は良い時代になり、今は自分からアクションが以前よりは出来る環境だ。


先日の移植の先生との出会いもそんなことから始まった。

私には数少ない出会い。

大切にしていきたい。

この前精神的にきつくてたまらないからそのサポートをして欲しい・・・と内科医に言った。

けれど、結局何の解決の無いまま他のことで話すことが多くて終わってしまった。


これからは必要な人には体だけでなく心のケアも十分に考えてくれる、

人の痛みがわかる医者をもっともっと養成していかないとダメだと思う。


そのようになっていく事を心から願う。

この週末は珍しく心が落ち着いている。

胸が一杯で苦しくて食べ物も食べられなかったり、

どうしようもなくイライラしたり、頭がこんがらがってしまうという事が無かった。

こんな週末は何ヶ月ぶりだろうか。


先日ある病院の移植外科の先生に直接ご丁寧な電話をいただけたこと

それに私がずっと出合いたいと思っていた移植の体験者をご紹介してくださったことが

私の心をこんなに軽くしているのか。


今は希望を少し持てている。

今週はどうなるかわからないけれど、私にとって良い道が開けるといい。


しかし、心に少しでも希望の光を持って前へ向こうという気分になれるということは

それだけでなんて素敵な、素晴らしいことなんだろうか。


特に何もない一日だけれど、こうして心が落ち着いて一日を過ごせるということがとても幸せに感じる。


この前電話を下さった先生が電話を切る間際に「希望は捨てないで」といってくださったことが

本当に嬉しくて、助けの手を差し伸べられた感じだった。

日本ではまだ移植はドナー不足が深刻で、移植法が施行されてからも

それほど行われるようになったわけではない。

ほんの少しずつ行われている。


日本で臓器移植が増えないのは宗教的なものとかがあったり、

日本人の考え方があまりあわないからと聞いたことがある。

実際の理由はわからない。


世界では日本とは比べられないほどドナーが多くて、

毎日移植手術が行われている。

やっぱり昔から根付いている、宗教的なものからの考え方が違うのか。

それにしても桁が全く違うな。


生体からの膵島腎臓同時移植も私の選択肢の中のひとつにあるが

もしこれが行われたなら世界でも2番目?になるらしい。


何故外国では生体はやらないのかときいたら

ドナーが多いから生体まではやらなくてもいいとの答えだった。

よく考えたらすぐにわかることだが・・・。


日本では子供が移植を受けられずによく募金を募り海外へ渡るニュースを聞く。

大人は日本で一応は移植は出来るが

<実際は数が全然行われていないけれど>

海外渡航して移植手術を受けたというニュースは聞いた事が無い。

いるとは思うのだが、一体どれくらいの人がいるんだろうか。


私は1度アメリカで手術を受けれるのかと移植の主治医であった<今は違うけど>先生に聞いたことがある。

が、アメリカで移植を受ける手助けは出来ない、してはいけないことになっているといわれた。


成人は海外で移植してはダメと言うような法律でもあるのだろうか。

だから手助けは一切出来ないといったのか。

ただ面倒くさいからそういっただけなのかもしれないが・・・。


子供が良くて大人はだめなんて変な感じがする。

まぁ・・・本当かどうか確かめたわけではないから不明だが。

今度1調べてみよう。


もし海外で移植を希望した場合、協力してくれる医者はいるのだろうか。

今度1度始めてかかる移植の先生に聞いてみたいいと思っている。


医者をはじめスタッフの協力なしでは海外でも移植はとても無理だろう。

言葉だって話せないし・・・病院の連携とか受け入れ態勢とかも患者自身では絶対無理。


保険がきかないから費用が莫大にかかることもあるんだろうけれど

滞在費や諸費用にもお金がたくさんかかるだろうから途方も無い金額だろうな。

そういうことが海外への移植のネックになっているのかもしれない。


でも、海外で受けれるなら受けたいなとちょっぴり思う気持ちがある。

現実味がなくて、ただちょっと浮かんだだけのことなのだが

日本で待っていてもいつ順番がくるかわからないのを待っているなら海外へ・・・

と考えている人だってきっといると思う。


が、やはり金銭的な面を初め色んな面でネックがあるんだろうなぁ。


世の中はお盆休みで長期休暇が取れている人が多いらしい。

うちの弟も一週間ほど会社は休みだ。

でも妹はお盆休みなんて関係なく働いているからそういう人も勿論いるだろ。


私もお盆休みは全く関係が無い。いつもと変わらない毎日。

病院はお盆休みなんてないから来週も6回病院へ行かなければならない。

お盆休みだけではなく年末・年始も関係ない、同じ毎日の繰り返し。


海外旅行に行きたい。

海が綺麗なところとか、後はハイジの世界。

昔からの夢だ。


今はもういけないから。。。PCでビジュアル旅行。

私に出来る精一杯だけれど、写真があっても小さいと目が悪い私には悲しいかなよくわからない。


文字は見えるけれど、色が見分けにくく細かいところがわからない。

何故文字は眼鏡をかければ見えるのに写真はと言うか色は見分けがよく出来ないんだろう。

拡大できるものや大きな写真は見えるので有り難いなーとは思けれど。


見られる写真があるのだからそれだけでも幸せな事。

感謝しなくては。

一週間の病院通いはやっと終わった。


普通の人が仕事にを行くのと同じで、私は毎日どこかを受診するのが日課だ。

月水金の透析病院は欠かすことが出来ない。

透析は拘束時間も長いし、受けるととしんどいし、苦痛なことが多い。

透析患者の中でも実に元気な人もいるのだが・・・私は正反対。

元気な人のほうが多い気がする。

透析との相性が悪いのかしら。

体力的なものなのかしら。

わかんない。


今週は火曜日・と金曜日には麻酔科、木曜日には内分泌内科を受診した。


もっとひどいときはこれに心療内科と歯科口腔外科と眼科が加わる。

移植関係の病院も2箇所受診している。

病院をはしごすることは度々ある。

それだけで疲れるんだよなー。


飲み屋のはしごは一度もしたこと無いが、こんな変な病院のはしごは何度もある。

1つずつでも受診科を減らしていきたい。

前はもっと少なかったんだから・・・。


やっと週末。

何処の病院へ行かなくても良い終末。


家のなかにいて特別何をするわけでもないけれど。

家族と過ごす時間が増えるし、心が少し落ち着く感じ。

臓器移植が日本でも認められることになったとき、

私は大学生でバイトもしていて、時々体がしんどいことも勿論あったけれど、

第一の趣味であった旅行も国内は勿論大好きな海外へも出かけることが出来た。

合併症もなくて、臓器移植なんて他人事であり無縁の世界にいた。


臓器移植ができるようになったということはテレビニュースで聞いた。

母と2人で見ていたテレビから流れてきた。


脳死と言うものがどういうものか全くわかっていなかったので、

いわゆる植物状態にある人も「脳死」とばかり思っていた。


テレビで植物状態の人が何年後かに奇跡的に意識を取り戻したとの番組を何度か観たし、

「家族なら脳死を死と認められないよねー 。

 臓器提供は一体どういう風な考えで家族は決断するんだろうね。

 ドナーカードを所持していた本人の最後の願いと思って尊重するってことなのかなー。」

等と話したことを覚えている。


後に自身が深く考えるようになる問題であるとは知らずに。。。


今、私は膵腎臓器移植の待機者で臓器移植を待っている一人だ。

臓器移植に関して当事者となった。

今の私の臓器移植に対する考えは複雑なものとなっている。


元気になれるならもう1度元気になりたい。

それには移植しか道は無い。

今の状態から抜け出せて、助け出してもらえる方法は移植の道しかない。


,だからと言って・・・脳死の人から臓器をもらって・・・自分が健康になっていいんだろうか・・・。

そこまでして、元気になって健康を手に入れて、私はそれほどの価値がある人間なのか・・・。

移植を待機している事実がある一方で深く悩む自分がいる。


移植が出来るというニュースを聞いた時と全然違う立場に立たざされている今、

自分の中で臓器移植に対する考え方は違うものとなっている。

立場が変われば意見は全然変わってきてしまうと言う事をまた体験している。


移植のことにかかわらず、今までも自分に起きた様々な体験の中でこういう事は何回かあった。

当事者として考えるのと外から、,他人事の様に考えるのとでは全然違ってきてしまう。

まさに自分の立場になると・・・だ。


主観的に考えたり、客観的に考えたり、色々な方向から考えると頭が混乱して

本当にどうしていいの川からない。

いくら考えても迷いは消えるうことはない。


私には出来るかどうかまだはっきりはしないが、父親からの生体移植の可能性もある。

有難い事に父親はドナーになる気満々なのだが・・・

しかし、健康な人の臓器をもらうことは健康の幸せを有難さを身にしみて感じている私がそんなことをして

、もし私の為に父が健康を失ったら・・・。

そう考えると躊躇してしまう。

それに私一人の父ではないのだ。


脳死者からの移植にしても生体移植にしてもいくら考えても悩まずにはいられない。

答えは出すことが出来ない。。


臓器移植を待っている私と同じ立場の人は膵腎同時移植だけでも現在120名ほどいる。

その人たちは一体どうな思いで待っているのだろうか。

一度話を聞いてみたいな・・・


でも、その立場にいる人を知らない。

聞く術は無い。


自分でしっかり考えなきゃいけない。

世の中にはたくさんの病気の人がいる。

病気が治る人もいれば治らない人もいる。

一生治らない病気の人もたくさんいる。

死に直面して闘っている人もいる。


一言で病気持ちだといっても実に色んな人がいる。


この世の中にはどれくらい病気で悩み苦しんでいる人がいるのだろう。

私の周りには全くといっていいほどいない。

友人はみんな元気いっぱいで可愛い赤ちゃんがいて温かい家庭を築いている。


私がたまたま病気の人と出会うチャンスが無かっただけなのか。

ずっと病気を隠していたということも大きな一因だろう。

自業自得か。


でも、私と違って、私より苦しんでいるような人が前向きに明るく生きている。

そんな火が沢山いる。

重い苦しみを抱えているだろうに、人に元気を与えている人もいる。

とても尊敬している。


私のようにどうにも出来なくて暗闇の中で苦しんでいる人も勿論いるだろう。

私はそこから抜け出したい。

どうしたらこの壁を乗り越えて明るく前向きに生きれるのか?

知っている人がいたら教えて欲しい。

暗闇の底から這い上がった人にその体験を聞いてみたい。


気の持ちようだとか言われてしまうけれど、

今はそういうレベルで解決できないから悩んでいる。

どうしても壁が高すぎて乗り越えられなくなってしまった。

でも、今日は比較的心が落ち着いている。

精神的に安定している。

そのせいなのか胃の方もいつもほど悪い感じではない。


昨日のある先生からの電話が、先生がご紹介くださった移植経験者の方とも

お電話でお話が出来てメールも早速下さった。

それが私の小さい希望となったのかもしれない。


真っ暗闇だった私の中の小さな小さな光。

これは半歩でも前進したことになるのかな・・・?


この先一体私はどういう道を選んで歩んでいくのだろう。

一ヵ月後、二ヵ月後・・・近い先が全く予想つかない。


でも久しぶりに前向きになれそうな気分が少し出てきた。


電話を下さった先生が最後に言ってくれた「希望を捨てないで」と。

同じ言葉は何度も聞いたけれど、昨日の言葉は何故か私の心には心強く響いた。

昨日先生にご紹介いただけた膵腎同時移植者の方からメールが早速届いていた。


昨日電話で少しお話したのだが、自分と同じ病気症状を体験してきた方だけに

身をもって理解していただけるのか本当に嬉しい。


家が近いということもわかって、早速来週の木曜日にお会いすることとなった。


人との出会い・・・こうして人と会ってお話をするなんて何ヶ月ぶりだろうか。

お昼過ぎに自宅まで来ていただけるという。

とっても嬉しい、本当に楽しみだ。


最近はこんなに気分がうきうきしたことなんて無かった。

いつも沈んだ気分で心が苦しくて苦しくてたまらなかった。


仲間になれるかもしれない人との出会い。

その人をご紹介くださった先生との出会い。

私にとっての光になってくれるかもしれない。

今、私の光としてうっすらと見えている気分なのだ。

本当にこんなに嬉しい気分は久しぶりだ。

最近には無かったいい出来事・・・期待していいのかも。


この先どういう道に進むか全くわからないけれど

膵島移植はやめておいたほうがいいという反対意見と言うか

膵腎同時移植のほうがいいという意見が聞けたことは私にとっては新鮮だった。

今まで膵島側からのお話しか聞けなかったから。


やっぱりどんなことでも両方の意見を聞いて、自分でよく考えて結果を出さなければ

後で後悔してしまうと思うし、最善だと思う方法が自分で選べない。

違った意見もしっかり聞くことは大切だ。


膵島移植のほうの話も現在は止まっているような状態だし、

登録申請は出来ていないために時間はたっぷりある。

家族や先生たちとよく話しあって決めたいと思う。


でも今回のことで一歩前に踏み出せた気がした。

ちょっとは前向きになれた気がした。

精神的に随分と楽になった。


この調子でもっと上を向いていけるように一歩ずつ歩いていけるようにがんばらなきゃ。


それが今の私のお仕事なかも。

きっと。

先日、先生にメールを出してから初めてのお電話を頂いた。


直接お話できたことで、知らなかったこと、理解できていなかったこと、膵島移植に関する意見等

様々な意見が聞けて本当に良かった。


私が疑っていたレシピエントの候補は登録施設によって何かあるんじゃないか・・・?

という失礼?な質問にもきちんと答えてくださった。

これはちゃんと公平にされているとか。


術後のサポートレベルが慣れている病院と不慣れれな病院では全く違うらしい。

全国の13ある登録施設は同じようなものかと思っていたけれど

それは私は無知だっただけで全然違うものだということがわかった。

やっぱり実績のある病院はそれだけ技術も高いものがあるといえるんだな。


術後のことを考えるとその差は歴然としているらしく、勿論少しでも良いサービスを希望している。

今私が登録している病院では・・・不安だらけだ。

そんな技術が見られる欠片も無い。

実際は違うのかもしれないが私にはそうにしか見えなかった。

近々変えようと思う。


後、大きかったことは膵島移植はやめたほうがいいといわれたこと。

私は今まで膵島移植の側しか話を聞いていなかったが

やっぱり同時移植の先生側の話もきいてみたいと思っていた。

それが今日やっと実現した。


実際に膵腎同時移植を受けられた女性を紹介くださって、早速だけれど来週会うことになった。

人とあうことなんて久しぶりだし、とても楽しみ。

こんなに楽しみを覚えることなんていつのことだっただろう・・・



私の移植の道はどう進むのか全くわからなくなった。

でも最善な方法方法をゆっくりと見つけていかなければ。

支えてくれている家族のため、そして自分のために。


膵島移植に傾いていた私だけれど、膵腎同時移植のほうに傾いてしまった。

ちょっとした事でどちらにも転んでしまう私。

でも、それだけ迷っている証拠だよね。


でも違う意見を聞けてよかった。

それに移植体験者との出会いも私が切望していたもの。

来週が待ち遠しいよ。

最近は体調が悪いせいかいつも鬱な気分になってしまう。

一日のうちでも心の重さは酷く重かったり、比較的楽になったりして

浮き沈みが大きい。


心は何処にあるのか全くわからないけれど、重苦しいときは

胸の辺りが本当に重くて頭の中がごちゃごちゃになって、すごくに不安定になる。

時には突然泣いてしまったりすることもある。


心に思っていることを全部吐き出せる人に巡り会えたら・・・

とても気分が楽になるだろう。

でも出会いの機会がほとんど無い今、私の外とのつながりはPCの窓だけ。

前は全くすることはなかったけれど、あるHPに足跡を残したり、

少しでも悩みを共有している人なのではないかと思う人にはついメールを出してしまう。

今はそうすることでしか人と出会う機会は全く無い。


そんな中、昨日ある病院のHPをみつけ少しでも何かの情報を教えてもらえるかも

知れない、もしかしたら何か移植についていい情報が聞けるかもしれないと思って

思い切ってメールを出してみた。


正直、あまり良い返事は期待してなかった。


しかし、自分でも思っていなかった返信がすぐに着ていた。

すぐに返事がもらえるとは全く思っていなかったのに、迅速に対応をしてくださり、

メールだけでなく私の質問した事にはご親切に電話で説明をしてくださるという。


んなにご親切な内容のメールがもらえるとは全く思っていなかったので

わらを掴むような気持ちでいる私には本当に有難い嬉しいメールだった。


今日は透析日で夜は透析があって電話に出ることが出来ない事と

透析以外の曜日なら出られるのでよろしく御願いしますと

早速返信メールを書いた。


一体どういう先生なんだろう・・・?

どんなことを聞かせていただけるのだろうか。

何かひとつでも私の道が開けることが聞けたらと期待してしまう。


私はこういうことがあると必ず期待せずにはいられなくなってしう。

今度こそ苦しみから逃れられる道が見つけられるかもってどうしても期待をしてしまう。


それがいけないのだろうか・・・期待を裏切られたような結果になることが多い。


医療関係者は何かあったらなんでも言ってねという人が多いが、

それを信じて何でも打ち明けようと悩みを話すとだいたい

「そうだねぇ」とか「辛いよねぇ」で終わってしまう。

「頑張って」ばかり言われることもある。


自分なりに頑張っているつもりで、それでも苦しくてどうしようもなくて

この人になら悩みを言ってもいいかもと思える人に言っても・・・


相手もどうやって答えたらいいのかわからないのだろうし、

きっと言う言葉が見つからないのだろうけれど、結局は私が悩みを話しても

一人相撲みたいな感じで終わってしまうことがほとんどだ。


抱えている悩みや苦しみははやはり自分でどうにかしなければしょうがないのかもしれない。

自分でどうにもならないからと他人に少しでも楽になるヒントをもらいたいと思う。

でも、この他力本願な様な気持ちが間違っているのだろうか。


そのうちに悩みを話しても「またか」」と言う感じで受け取られるようになるのか

話を真剣に聞いてくれるとは感じれなくなってくる。

私も話しても仕方がないんだな・・・と諦めてしまうことが多い。


この世の中に本当に心までケアをしてくれる医者や医療スタッフはいるのだろうか?

私が出会っていないだけなのだろうか。

心から信頼できる医師に出会っている人々は

どのようにしてそういう医者に出会えたのだろうか。教えてもらいたい。


あまりにも苦しい日々か続いてくると死んだら楽になるのかな・・・なんて考えてしまう。


死ぬときは苦しいのだろうか?

痛いのだろうか?

市を何度も考えた事はある。


が、

こんな私をとても大切に思ってくれている両親のことを思うと死ねないし、

実行する勇気も私にはない。

こんなことは勇気とは言わないか。


でも今は近々かかってくる一本の電話に何か力をもらえるといいと思っている。

結果はどうなるのかな。