当事者になってみて | 幸せの散歩道

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2009年生体膵腎同時移植手術をして、普通の人と変わらない!と言われるまで元気に楽しい毎日を送れるようになりました(^-^)旅行等好きなことを好きなように楽しめるなんて本当に幸せ!散歩道を歩く中での出来事等を綴っていきます。

臓器移植が日本でも認められることになったとき、

私は大学生でバイトもしていて、時々体がしんどいことも勿論あったけれど、

第一の趣味であった旅行も国内は勿論大好きな海外へも出かけることが出来た。

合併症もなくて、臓器移植なんて他人事であり無縁の世界にいた。


臓器移植ができるようになったということはテレビニュースで聞いた。

母と2人で見ていたテレビから流れてきた。


脳死と言うものがどういうものか全くわかっていなかったので、

いわゆる植物状態にある人も「脳死」とばかり思っていた。


テレビで植物状態の人が何年後かに奇跡的に意識を取り戻したとの番組を何度か観たし、

「家族なら脳死を死と認められないよねー 。

 臓器提供は一体どういう風な考えで家族は決断するんだろうね。

 ドナーカードを所持していた本人の最後の願いと思って尊重するってことなのかなー。」

等と話したことを覚えている。


後に自身が深く考えるようになる問題であるとは知らずに。。。


今、私は膵腎臓器移植の待機者で臓器移植を待っている一人だ。

臓器移植に関して当事者となった。

今の私の臓器移植に対する考えは複雑なものとなっている。


元気になれるならもう1度元気になりたい。

それには移植しか道は無い。

今の状態から抜け出せて、助け出してもらえる方法は移植の道しかない。


,だからと言って・・・脳死の人から臓器をもらって・・・自分が健康になっていいんだろうか・・・。

そこまでして、元気になって健康を手に入れて、私はそれほどの価値がある人間なのか・・・。

移植を待機している事実がある一方で深く悩む自分がいる。


移植が出来るというニュースを聞いた時と全然違う立場に立たざされている今、

自分の中で臓器移植に対する考え方は違うものとなっている。

立場が変われば意見は全然変わってきてしまうと言う事をまた体験している。


移植のことにかかわらず、今までも自分に起きた様々な体験の中でこういう事は何回かあった。

当事者として考えるのと外から、,他人事の様に考えるのとでは全然違ってきてしまう。

まさに自分の立場になると・・・だ。


主観的に考えたり、客観的に考えたり、色々な方向から考えると頭が混乱して

本当にどうしていいの川からない。

いくら考えても迷いは消えるうことはない。


私には出来るかどうかまだはっきりはしないが、父親からの生体移植の可能性もある。

有難い事に父親はドナーになる気満々なのだが・・・

しかし、健康な人の臓器をもらうことは健康の幸せを有難さを身にしみて感じている私がそんなことをして

、もし私の為に父が健康を失ったら・・・。

そう考えると躊躇してしまう。

それに私一人の父ではないのだ。


脳死者からの移植にしても生体移植にしてもいくら考えても悩まずにはいられない。

答えは出すことが出来ない。。


臓器移植を待っている私と同じ立場の人は膵腎同時移植だけでも現在120名ほどいる。

その人たちは一体どうな思いで待っているのだろうか。

一度話を聞いてみたいな・・・


でも、その立場にいる人を知らない。

聞く術は無い。


自分でしっかり考えなきゃいけない。