一つ歳をとりました。
6時31分に産まれたそうです、私。
自分自身が歳をとることが、
当たり前ではないということを、
生涯で一番実感した一年間でした。
90年以上生きた同居の亡き祖母との暮らしの中で、
病気や病院には縁なく、私も80〜90代まで生きるのかなぁ…と、漠然と思っていましたが、
この年齢で突然、平滑筋肉腫に罹患したことで、生と死、命を深く考えさせられた一年でした。
一年前の3月は、腹部超音波検査で腫瘍が見つかり、
その後、造影CT、MRI、PET-CT、生検…と、病院通いの只中で誕生日を迎え、
「今年が最後なのかもしれない」
というショックと恐れを胸に秘めながら、子ども達と誕生日を祝いました。
iPhoneに保存された写真を見ると、
昨年3月から以前は、私の写真は全くありません。
写りたくない、写らない、いらない、断る、
いつも私が写す係、だったので一枚も無いのですが、
昨年3月を境に、急に私と子どもが一緒にうつる写真が増えています。
子ども達がいつかアルバムを見返す時、
母親の写真が一枚も無いのはかわいそう…と、
「母と子の写真を沢山残しておこう」
と、腫瘍が見つかった昨年3月を境に、私が強く死を意識したのが、iPhoneのアルバムを見返すと分かります。
今年は、あえて病気を意識せず、
良い一年にしようね〜…と普通に祝おうかな?
看病疲れや予定沢山の今日、色々考えると、私自身の心がもたなさそうなので(^-^;
用事の合間に、「ケーキ、おいしいね~」と、
ささやかに祝う予定です。
病気にならなければ、見返そうと思わなかった幼少期のアルバムを、
誕生日前夜、数年ぶりに手にとり、
子どもが寝静まった深夜、一人で見返しています。
生後5日目の私。
この頃は、これから生きる中で、あんなこと、こんなことに出会うって、何も知らなかったよね。
これから生きる中で、あの人、この人、沢山の人に出会うこと、何も知らなかったよね。
そして、自分が肉腫の病気になるなんて、
肉腫っていうか病がこの世にあるなんて、
産まれてこの歳になるまで、何も知らなかったよね。
私が産まれる前から、産まれてからもずっと、
肉腫と対峙し、肉腫と闘い、
肉腫と共存し、肉腫にたずさわり、
これから先も、肉腫に向き合おうとしている人達が、
希少だけど影ながら沢山いらっしゃるということ、
何も…何も知らなかったよね。
肉腫の病気にはなりたくなかったけど、
肉腫っていう病気がこの世にあるという事実を、この一年、知れて良かった。
肉腫という病が、私自身や周囲の誰もが首を傾げる希少がんであるということ、
そして、認知度や治療法や有効な薬の開発など…様々なことが、まだまだこれからの病であるということを、
ショックと未来への期待と共に、知れて良かった。
私と同様、肉腫を知らなかった身近な人達にも、そんな肉腫のことを知ってもらえて良かった。
肉腫という病気を知ったから出会えた沢山の人達に、
この一年、出会えて良かった。
肉腫の病になったことで、再会が出来た旧友達も何人かいる…再び出会えて良かった。
肉腫の病になったこの一年で出会ったことを、
これからの一年も、大切にして行きたい。
ますます、ゆっくりあたためて、
大切にして行きたい。
これから一年も、地上の人達と声掛け合い、支え合い、助け合い、
天上の人達の愛の眼差しと優しさを、いつも感じながら、
いつか私も、大空から家族や大切な人達を見守れる存在になれるよう、
今日から一年も、懸命に生き切ります。
生き抜きます。
一歩、一歩、後戻りしながら、進みながら、
共に。
一緒に。
いつも、本当にありがとうございます。
今日から一年も、どうぞよろしくお願いします。
21日の満月(望月)二日前の、十三夜の月
(夜)
いいね、ありがとうございます🙇♂️🙏
子ども達とささやかなお祝いをしました。
インフルの子を預け、ケーキは私一人で買いに行きました。
「さぁ、歌おうか」
の、ハッピーバースデ〜♪の音頭も私が取りました。
プレゼントは少し前に、子ども達がお小遣いを出し合って、財布とコップを買ってくれました。
お年玉、使わせちゃったな…。
今日一日、
この一年間に出会った方々、お世話になった方々を思い出していました。
「ありがとう」の日です。
出会った人、支えてくれた人、
私より少し先に天へ見送った方々への、
「ありがとう」の日です。
今日の空。
昨年の誕生日前後に平滑筋肉腫に罹患するまで、
「誕生日に怖いこと、辛いことが起こらないで!
誕生日なんて、別にどうでもいいのに…。
何も起こらず、3月20日が早く過ぎ去ってくれたらそれでいい…」
と、何年間も祝う気になれませんでした。
1995年3月20日 地下鉄サリン事件
2003年3月20日 イラク戦争勃発
2005年3月20日 西方沖地震発生
自分の生まれた日に、大きな事件や災害や戦争が起こる…
誰かにとって決して忘れることのできない悲しみと怒りと苦しみの日なる…
私自身にとっても、誕生日は祝いの日ではなく、心痛む追悼の日となりました。
ですが、昨年、悪性腫瘍が見つかった直後に誕生日を迎えた時、
「今年が最後かも…家族で祝いたい!」
と心から思いました。
多分、生まれて初めて、「祝おう」と自ら思いました。
私を産んでくれた親にとって、
子どもの誕生日が悲しみと苦しみと悲劇の日、追悼の日になってほしくない…
私の子どもにとっても、
ママ自身が生まれた日を否定したり、悲しんだり、早く過ぎ去ってほしい日と思っていると、
感じさせたくない…
あと何度、一緒に迎えられるか分からない誕生日を、
一緒に喜んで、一緒に祝う日にしようと思いました。
だから、自分の身体に腫瘍が見つかった昨年から、また誕生日を祝うことにしました。
私も東京在住時の5年間、東京メトロを利用していました。
ニュース速報で知ったと思いますが、朝の通勤通学時の満員電車で…
そして、その後の一連の様々な事…衝撃過ぎる事件でした。
イラク戦争では、2003年3月20日から戦争終結宣言が出されるまでの約8年8ヵ月の間に、
民間人を含む数十万人の命が奪われたと言われています。
また、3月20日に他県で西方沖地震の速報を聞いた時の衝撃は、その日の記憶が曖昧なほどショックを受けました。
心の痛みや追悼の想いは、決して消えることはありません。
事件も、戦争も、災害も、大切な人の命日も…
忘れてはいけない日、決して忘れられない日です。
と同時に、365日どんな日でも、
誕生や、創造や、喜びや、幸せが生まれた日でもあります。
皆さんお一人お一人の、大切な、かけがえのない、生まれた日を想います。
生まれて来てくれて、ありがとうございます。
出逢って下さり、ありがとうございます。
これからも、
今日一日、今日一日、
共に、一緒に、歩んで行きましょう。
今夜一晩が守られ、支えられます様に。
開花直前…?
2019年3月20日、今日の桜の蕾です🌸