Marc のぷーたろー日記 -49ページ目

「カラオケ行こ!」('24)

 

和山やまさんの同名コミックを原作とし、歌が上手くなりたいヤクザと彼から歌唱指導を頼まれた合唱部の中学生の交流を描いたコメディ映画です。主演は綾野剛さん、齋藤潤さん、共演は芳根京子さん、橋本じゅんさん、北村一輝さん、加藤雅也さん、やべきょうすけさん、吉永秀平さん他。

 

Wikipedia「カラオケ行こ!」

 

さほど期待していたわけではなかったのですが、予想以上に楽しめる青春映画でした (^^)v

 

ただ、主人公の少年の成長、とまでは言えないまでも、「変化」のあり方や描き方として「本当にこれでいいの?」という疑問もなきにしもあらず。そこは青春映画らしい分かりやすいクリシェを敢えて避けたってことなんでしょうし、別に悪くはないんですけど、ちょっと生煮え感のような、すっきりしないものがあったりもします (^^;;;

「ゼンネ・ダンサー」('11)

 

2008年にトルコで実際に起きた、同性愛者であるとの理由で大学生の男性が実の父親に射殺された事件から着想を得た作品で、殺された大学生の友人らが脚本・監督を務め、それまでタブーとされていたトルコにおける性的少数者に対する差別の実態を描いたドラマ映画です。主演はケレム・ジャン、ジョヴァンニ・アルヴァネ、エルカン・アヴジュ、共演はルチュハン・チャルシュクル、ティルベ・サラン、ウナル・シルヴェル他。

 

Wikipedia「ゼンネ・ダンサー」

 

タイトルからすると、「ゼンネ」と呼ばれる、日本の「女形」のようなトルコの伝統文化で、そのゼンネのダンサー(男性のベリーダンサー)である人物が物語の中心になっているのかと思いきや、あくまで主人公の1人。

 

また、そのダンサーの友人で、実際の事件で殺された青年も主人公の1人という位置付け。

 

さらに、その青年の恋人になるドイツ人報道写真家の中年男性が加わり、3人が物語の主人公という形。

 

その構成に最初は戸惑いましたが、この映画が実際の事件を再現することを目的としているのではなく、トルコにおける性的少数者に対する差別の実態を描くことが目的と気付いてからは納得。

 

イスラム教国としては比較的世俗的なトルコですが、それでも同性愛者に対する差別は根強くあり、中でも徴兵制度における差別の実態にはビックリ。

 

同性愛者は「精神疾患」と見なされて兵役を免除されるものの、同性愛者であることを証明するためには同性との性行為を撮った写真を提出しなければならず、もし写真を提出しなければ、もっと酷い辱めを受けることに。しかし、同性愛者であることを隠して兵役についたとしても、その後になって同性愛者であることがバレた場合に軍隊内でどんな仕打ちを受けることになるかは想像に難くなく、いずれにせよ、同性愛者の人権は全く守られていない状況なわけです。

 

さらに深刻なことに、兵役を済ませる、または公式に免除されない限り、パスポートを交付してもらえないので、正規ルートで国外に出ることもできないのです。

 

ところで、青年の恋人は現代のドイツ人なので「同性愛者であることを両親にカミングアウトすべき、両親なら受け入れて当然」と主張するのは理解できますが、それを保守的なイスラム教徒の両親を持つ青年に言うのはかなり無神経で残酷だし、それが悲劇に繋がったのはあまりに悲惨…。また、この恋人のアドバイスに従って警察にストーカー被害を訴えたのも、この悲劇に繋がる大きな原因の1つになっていますし。彼は映画独自の架空の人物で、現代の西洋的価値観でトルコの状況を安易に語って欲しくないとの作り手側の主張なのでしょうけど、それにしても彼を恋人に設定したのはあまりに残酷…。架空の人物とは言え、かつて自分の浅はかな判断でアフガニスタンの子供たちを死なせてしまった罪悪感とトラウマを抱えて生きて来た写真家が、同様に浅はかな判断で、今度は恋人を死なせてしまったわけですから…。

 

ちなみに、実際の事件で青年を殺害した父親は指名手配されたものの逃亡中で、しかも警察は真剣に逮捕する気はなく、野放し状態とのこと。もう絶句するしかありません…。

 

事件から16年が経ち、この映画がトルコで上映されてから10年以上が過ぎ、今は状況が変わっているのかもしれませんが、こういう酷い事件が今も世界のどこかで起きているのかと思うと本当に悲しいです…。

「リュミエール!」('16)

 

19世紀末に映写式の映画装置「シネマトグラフ」を発明し、「映画の父」と呼ばれたリュミエール兄弟が製作した作品群から108本の短編を厳選して解説を付けた映像集です。

 

Wikipedia「リュミエール!」

 

当時の映像作品は、単なる記録映画、もしくは、どんな撮影技法が可能かを検証するための実験映像でしかないという先入観があったのですが、それらが全て単なる思い込みでしかなかったことがよく分かりました。

 

長くても50秒程度ととても短い作品なので、物語を綴った劇映画ではありませんが、後のサイレント映画のコメディのようなショートコントもあれば、「動く写真」「動く絵画」として映像美を極めた作品も。

 

特に後者の中には、構図の美しさだけでなく、撮される動きにはっきりと意図された「演出」がある作品も多く、これらが後の映画に与えた影響の大きさを見ることができます。

 

観る前は退屈しちゃいそうだなと思っていたのですが、監督自らのナレーションによる解説がとても分かりやすいおかげもあり、全く飽きることなく、のめり込んで観ることができました。

 

映画好きなら一見の価値は間違いなくあります。

「ヌードの映画史〜黎明期から現代へ〜」('20)

 

ハリウッドを中心とする世界の映画史を、俳優のヌードに注目して振り返った、異色のドキュメンタリー映画です。出演はジョー・ダンテ、リンダ・ブレア、マルコム・マクダウェル、パム・グリアー、ピーター・ボグダノヴィッチ、マーサ・クーリッジ、ショーン・ヤング他。

 

一般的に「ヌード=女性」のイメージがあるので、この映画で取り上げられているヌードも多くは女優のヌードですが、それだけでなく、男優のヌードについてもかなりしっかりと言及しており、その上で、男優がヌードを見せることと女優がヌードを見せることの違いをしっかり説明しています。

 

が、どれも映画好きなら知っていて当たり前の話ばかりで、特に目新しいものはなく。

 

それでも、これだけの内容を整理してまとめているだけでも、充分に価値のある映画ではあります。特にヨーロッパに比べて米国では性的表現への規制が非常に強かったことを具体的な例を挙げて分かりやすく説明しているのはグッド!

 

ところで、この映画の中で最も印象に残っているのは、イギリス映画「恋する女たち」('69) の米国での上映の話。

 

主演男優2人による「全裸レスリング」は、映画史における男優のヌードを語る上で欠かすことのできない有名なシーンですが、米国での初上映の際にはそのシーンが大幅にカットされたのだそうです。そして、残されたのは2人が組み合い始めるシーンと疲れ果てて息が上がった2人が全裸のまま横に並んでるシーン。結果として、知らずに観た人には、2人がレスリングをしたのではなく、性行為をしたようにしか見えず、性的表現と見なして検閲したことによって、かえって卑猥になってしまったわけです (^^)

 

自由の国を標榜しながら、人工妊娠中絶の問題など、実際には古臭い宗教的な価値観に基づいたバカバカしい規制を今も続けようとしている米国の保守的な一面の愚かしさを示す事例として、今後も語り継ぎたいエピソードではあります。

「コントラクト・キラー」('90)

 

プロの殺し屋(コントラクト・キラー)に自分を殺すよう依頼したものの、気が変わって殺し屋から逃げることになった男を描いたブラックコメディです。主演はジャン=ピエール・レオ、共演はマージ・クラーク、ケネス・コリー、セルジュ・レジアニ、ジョー・ストラマー他。

 

Wikipedia「コントラクト・キラー」

 

アキ・カウリスマキ監督らしい、すっとぼけたコメディで、主演のジャン=ピエール・レオの、一見無表情だけれど、微妙な表情の付け方が絶妙で、彼の演技だけで笑えるのはグッド!

 

ただ、意図的に現実味をなくした不条理劇というか大人向けの童話のような世界観は好みが分かれるでしょうし、いつもながら80分程度と尺は短いのに、それでも「長いなぁ…」と思ってしまう程度には自分にはハマらず。オチも凡庸にしか見えませんでしたし。

 

ただ、アキ・カウリスマキ監督作品が人気なのは、こういうテンポやノリが好きな人が多いからなんでしょうね。

「セルロイド・クローゼット」('95)

 

ハリウッドの映画における性的少数者に関する描写を関係者たちの証言を通して検証したドキュメンタリー映画です。出演はトム・ハンクス、ウーピー・ゴールドバーグ、トニー・カーティス、スーザン・サランドン、ゴア・ヴィダル、ジョン・シュレシンジャー、シャーリー・マクレーンほか。

 

Wikipedia「セルロイド・クローゼット」

 

随分前に観て以来、久しぶりに観てみたのですが、改めて歴史的価値の高い映画だと確認。紹介されている映画の関係者がまだ存命で、その本人のインタビュー映像が添えられているんですから。この映画が公開されてから30年近くが経ち、既に亡くなっている方が多いことに、時の流れを感じます。

 

また、1990年代から2020年代までの、この30年ほどの間でも性的少数者の描き方は大きく変わってきており、このドキュメンタリー映画の続編として、その変化を振り返って分析するような映画も観たいなと思いました。

「私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター」('22)

 

長年にわたって憎み合っていた著名な舞台女優の姉と詩人の弟の2人が、年老いた両親の不慮の事故をきっかけに久々に再会したことで繰り広げられる家族ドラマです。主演はマリオン・コティヤール、メルヴィル・プポー、共演はゴルシフテ・ファラハニ、パトリック・ティムシット、バンジャマン・シクスー他。

 

家族間の愛憎は、第三者が理解することは極めて難しく、日々のささいな積み重ねの結果である場合は、当の本人ですら、本当の原因はわかっていないことも少なくないはず。この映画では、そういった「わからない」ことをわからないまま描いているのは真摯だと思います。

 

小説や映画などのフィクションでこのような題材を扱う場合は、第三者から見てもわかりやすい「決定的な原因」が設定されていることが多いと思うのですが、それは確かにドラマティックではありますが、作り物感がしちゃうのは事実。

 

とにかく、フィクションでありがちな「わかりやすさ」を一切排除し、おそらく当の姉弟ですら、もはやわけがわからなくなっている状態をそのままわけのわからないものとして描いています。

 

そういったところは確かに「新鮮」でしたが、映画として面白いかと言われると甚だ疑問。

 

とんでもなく面倒臭い姉弟に周囲が振り回されるさまを延々と見せられるのは苦痛でしかないですし、弟の妻が、常に夫に味方するのは理解できますが、必要以上に義姉に憎悪を向けるのもダウン

 

理解はできますが、苦痛なだけの映画でした。

「恋する女たち」('69)

 

D・H・ローレンスの同名小説を原作とし、1920年のイギリスの炭鉱町を舞台に4人の対照的な男女の愛と性を描いた、ケン・ラッセル監督による恋愛ドラマ映画です。主演はアラン・ベイツ、オリヴァー・リード、グレンダ・ジャクソン、ジェニー・リンデン、共演はエレノア・ブロン、ヴラデク・シェイバル、アラン・ウェッブ、キャサリン・ウィルマー他。

 

Wikipedia「恋する女たち (1969年の映画)」

 

原作は未読ですが、後に「チャタレイ夫人の恋人」を書いたD・H・ローレンスの作品だけあって、愛と性の描き方がかなり赤裸々。出版当時はセンセーショナルだったであろうことが容易に想像できます。それをケン・ラッセル監督が「アバンギャルド」に映像化した作品で、いい意味でとても「変」。

 

男性主人公2人による「全裸レスリング」が、あまりに強烈で有名なので、他の「変」なシーンが霞んじゃっていますが、ロシアバレエ風の奇妙なダンス、牛の群れの前で狂ったように踊り出すヒロインなど、ところどころに挟み込まれる「変」なシーンがとにかく印象的。

 

ところで、「恋する女たち」というタイトルではありますが、その「女たち」である姉妹よりも、彼女たちの恋の相手となる親友同士の男性2人が物語の中心。

 

悲観的なことばかり言うエキセントリックなルパートは、本当は陽気でかなり楽天的。実際に身近にいたら厄介ですが、物語の登場人物としては魅力的なキャラクターで、原作者D・H・ローレンス本人の人物像がかなり反映されているように見えます。演じるアラン・ベイツの見た目はローレンスにかなり似ていますし。

 

一方、ルパートの親友で町一番の金持ちの跡取り息子ジェラルドの複雑なキャラクターは実に興味深い。演じるオリヴァー・リードは原作の「金髪で冷たい印象で北欧系」というイメージとはかけ離れていますが、ジェラルドの「普通の恋愛観を持ったクールで上品な御曹司」と「女性不審のガサツで屈折した男」 という極端な二面性を、持ち味である野生味をうまく活かして表現していてグッド!

 

また、2組のカップルはどう考えても相手が逆の方がうまく行くはずなのに、そうならないのは自分とは異なるタイプの相手を求めてしまう人間の性(さが)なのかなと思わされたり。

 

ちなみに、登場人物たちの語り合いが非常に観念的なので、分かりにくいところもあるのですが、冷静に考えてみると、実は大したことは言っていないので、そこはあまり気にしなくていいのかなと思います (^^)

「映画はアリスから始まった」('18)

 

映画史上最初の女性監督として活躍したアリス・ギイの功績と、彼女の謎と波乱に満ちた映画人生に迫ったドキュメンタリー映画です。ナレーターはジョディ・フォスター。

 

Wikipedia「アリス・ギイ」

 

彼女の名前は聞いたことがありましたが、彼女自身については本当に全く知らなかったので、とても観応えがありました。

 

単に彼女の功績を紹介するだけでなく、彼女の存在が映画史から事実上「抹消」された経緯や、彼女の死後になって、ようやく正当な評価を得られるようになった経緯も紹介しているのはとても重要。

 

ただ、彼女の良い面ばかりを強調し、彼女の不遇は全て彼女が「女性であるから」として、単なる女性差別の問題に帰着させているのは気になります。本当にそれだけの理由なんでしょうか? もっと複雑な事情があったのではないでしょうか? そのあたりを追求するだけで、今の時代では「女性差別だ」と批判されてしまうので、誰もそこに触れようとしないのかもしれませんが、彼女の評価に対してはもっと「冷静さ」が必要だと思います。それは、この映画の作り手やインタビューを受けている人たちのあまりに「熱狂的」な様子に恐怖すら感じてしまったからです。

「マッチ工場の少女」('90)

 

誰からも愛されない薄幸な少女の姿を冷めた視線で痛切に描いた、アキ・カウリスマキ監督の代表作です。主演はカティ・オウティネン、共演はエリナ・サロ、エスコ・ニッカリ、ヴェサ・ヴィエリッコ、シル・セッパラ他。

 

Wikipedia「マッチ工場の少女」

 

どういう結末になるだろうと思ったら、「そういう方向ですか…」という感じ。

 

意外と言えば意外ですけど、それまで主人公の不幸を散々見せられた後だけに、「痛快」にも見えちゃう。

 

ただ、正味60分強と短い尺にもかかわらず、それでも「長いなぁ…」と感じてしまうほどには「面白いとは思えない」映画でした。