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 ヒマジンノ国

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昨日は上野でマレク・ヤノフスキによる、ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」を聴いてきました。元々聴く予定はなかったのですが、先日の同指揮者のワーグナーを途中離脱し、悔しかったので、急遽チケットを買い求めました。

 

「ミサ・ソレムニス」はベートーヴェン晩年の傑作のひとつとされています。ベートーヴェンは、交響曲を2曲ずつ発表するのが習慣でしたが、第9交響曲の時はその「第9」と、他の交響曲の代わりに、この「ミサ・ソレムニス」を発表。

 

内容は「ミサ曲」とも思えないような雄弁な内容で、オーケストラの迫力もあり、いうなれば、ベートーヴェンの交響曲10番、とでもいえるようなスケールと密度を備えた作品です。実演ではあんまり演奏されませんので、今回は聴くチャンスでした。

 

演奏の全体の印象としては、小ざっぱりした演奏で、脂っこさのないものでした。演奏時間も75分ほどで、テンポも速めでした。

 

キリエとグローリアは割と平均的な演奏だと思いました。グローリアは速目のテンポの方が音楽の輝きが出ると思うし、ヤノフスキの情熱も感じられる好演でした。

 

クレドの合唱はやや速めに始まり、ヤノフスキらしい演奏かと思いましたが、続く受胎告知の場面ではかなりテンポを落とします。ここは誰でもテンポを落としますが、この指揮者のやり方はかなり明確にテンポを入れ変えるので印象的です。ここぐらいからヤノフスキは場面ごとにテンポを変えるようになり、初めて聴くような響きもところどころありました。

 

テンポが急に速くなる場面が何度かありましたが、高音部がふわふわ鳴るような変わった響きで、この曲にそんな場面あったかな?などと感じます。なんというか、バロックなんかに近い響きなんでしょうか、ちょっと独特でした。しかもテンポを変えるのも、曲想に沿って細かく変えるようなロマン派のようなものではなく、ブロックごとに変化を決めているような、構造的な演奏だったと思います。

 

この指揮者の感じだと、ロマン派寄りの「ミサ・ソレムニス」というよりも、古典派からそれ以前のバロックやアーリー・ミュージック寄りの解釈を、モダン楽器でやっているようなもののように思えます。

 

クレンペラーの演奏で聴くと、重厚で分厚い響きの塊のように響くクレドですが、ヤノフスキの演奏ではかなり軽めの演奏に感じました。

 

後はベネディクトゥスではコンマスの川崎さんが立ち上がってソロを披露、視覚的にも効果があって、良かった場面でした。

 

4人のソリストは前回のパルシファルから3人同じ人物、ソプラノのアドリア・ゴンザレスが初めて加わりました。特に書きたいこともありませんが、テノールのスケルトンは声が小さい時と大きい時がはっきりしすぎていて、ちょっと変わった印象です。必要な時に声は出ていたと思うので文句とかではありませんが、大きい声と小さい声の中間の声がないという感じがしました。

 

演奏はまあまあ良かったかなという感じです。楽しかったとは思います。しかし、ワーグナーをやった時ほど、ヤノフスキと演者、N響は気合は入ってなかったかな、と感じました。

 

ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を改めて聴くと、作曲家が人に聴かせるように色々表現を工夫しているな、と感じさせられました。「ミサ」というより、コンサート作品としても通用させようという目論見があるのかな、と思えました。ベートーヴェンとしても入魂の作品なのではないでしょうか。

 

 

昨日は東京文化会館で、ヤノフスキ指揮のパルシファルを聴きに出かけました。しかし、第1幕を聴き終わったところで、体調疲労でダウン。第2幕と第3幕は聴かずに帰ってきました(泣)。

 

先週は、火曜日昼から金曜日夕方までの泊り仕事でしたが、だいたいこういう時は2日から3日休まないと疲れが取れません。今回は土曜日1日しかコンサート迄の間がなく、休みが不十分で、結局聴き通すことができませんでした。

 

朝起きた時から肩こりがひどかったので、やばいかな、と思っていましたが、やはり頭痛が始まり、1幕後半でも手と足の先がピリピリしていました。自律神経がおかしくなるんですね。以前もコンサート中に同じことになったことがありますが、その時は聴き通しました。

 

しかしワーグナーの音楽は長く、第1幕だけで100分。残りの第2幕と3幕も、1時間ずつの正味2時間です。第2幕開始ぎりぎりまで迷いましたが、どうやっても無理だと思い観念しました。

 

やはり帰りの電車の中ではあくびばかりでます。休みが足りていなのは明らかでした。トホホ・・・。

 

今回のパルシファルは、皆さん書いているように素晴らしい演奏だったようです。ヤノフスキの指揮は速いといわれていますが、現場で聴くとそこまで速いという印象はありませんでした。余分な要素がなく、音楽に必要なことだけしているという感じがします。音楽は自然に流れ、内容に即していたので、おかしさは微塵も感じさせませんでした。N響も精緻で非常に美しい音色でした。引き締まっていますが、パルシファル特有の水色を思わせる音がします。

 

歌手も主役級全員が素晴らしくて、2月初めに聴きに行った、新国のオランダ人とは雲泥の差でした。

 

とはいっても第1幕しか聴いていないので、感想書くのも億劫です。全部聴いた方に教えてもらったんですが、後半尻上がりに良くなっていったそうです。終演後のヤノフスキと演者の映像が「X」で流れてきていましたが、あの表情だと会心の出来だったに違いありません。

 

 

ワーグナー後半の大作は、体調に自信がある時に聴きにいかないと駄目ですね。高い授業料を払った気がします。無念です。

 

今回は完全に自分の個人的な趣味で書くブログです。興味ない方はスルーでお願いします。

 

厨二病全開で書きます。

 

さて、やっとのことで、「バルダーズゲート3」をプレイ、クリアしました。かかった時間は100時間以上で、非常に良いゲームで感動しました。

 

やりたいゲームが久しぶりに新作を出したというので、去年PS5を購入。それが先日書いた「ドラゴンエイジ・ヴェイルの守護者」と、この「バルダーズゲート3」です。「ドラゴンエイジ」は実に10年ぶりの新作、「バルダーズゲート」に至っては23年ぶりの新作となりました。

 

バルダーズゲートは、個人的には首を長くして待っていました。新作を作っている、という情報はずいぶん前から流れてきていました。本当に発売されるのか不安でしたが、遂に2023年に発売。日本語版もローカライズされ、国内でも登場しました。

 

コテコテの洋ゲーで、日本ではそこまで話題になってはいないと思いますが、世界的には良く売れたようです。2023年のGOTYも獲得しました。期待通りの出来で良かったと思います。

 

ということで、以下、興味のない人には、どうでも良い解説などを書いていきます。ネタバレなどもありますので、今後初めてやりたい人なども、スルーでお願いします。

 

バルダーズゲートは米国のTRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)、ダンジョンズ&ドラゴンズ(以下D&D)のビデオゲーム版です。まだコンピューターゲームが発達していない時代、人々は会話とサイコロを使ったゲームでこの欧米風のファンタジーを楽しんでいたそうで、それを1人でも楽しめるように、ビデオゲーム化したのが本作です。

 

おそらく1970年代に登場した、このD&Dシリーズ(コンピューター・ゲームではない)が、本当のRPGシリーズの元祖だと思います。

 

D&Dの世界は既に細かい世界観があるらしく、自分はそこまで理解していません。ただこのバルダーズゲートが出る前では「ウィザードリィ」(1981年の作品)と呼ばれるビデオゲームが、このD&Dのルールに準拠しており、これはやったことがあります。

 

 

↑、初代ファミリーコンピューターに移植されたのを、自分はやったことがあります。簡単なグラフィックでしたが、ゲーム自体は完成されていて、中毒性がありました。レアアイテムのドロップを期待して、何時間もプレイするという、現代のゲームにもあるシステムを、既に構築していました。

 

この「ウィザードリィ」は、日本の「ドラゴンクエスト」シリーズなどの「元ネタ」とでもいうべき作品(ウィザードリィ自身は米国製)で、3Ⅾダンジョンの中でモンスターを倒しながら冒険するという内容のものでした。しかし、モンスターを倒しつつ、経験値とお金を獲得しながらキャラクターが成長していく様子や、モンスターとのコマンド型の戦闘など、ほぼ完成されたシステムで、D&DというTRPG自体の完成度の高さだったともいえるのでしょう。ドラゴンクエストはこのシステムを、ほぼパクっています。

 

その後、ビデオゲームの世界では、和製のRPGが発達し世界的にも、一時洋ゲーRPGは下火でしたが、1999年に初代バルダーズゲートが発売され、再びこの手のゲームが外国でも見直されるきっかけになったといわれています。

 

そんな中、自分がバルダーズゲートをプレイしたのは15年ほど前です。

 

ローカライズしたのはセガで、パソコンのみの発売でした。今でも公式にはバルダーズゲート1・2は、日本語にローカライズされていないと思います(セガはもう関わっていないようです、しかし、有志たちが作った日本語版パッチがあるらしい)。セガによるPC用のボックスは、CD‐ROM5枚になる大作で、こういう沢山のROMでの構成は、現代では考えられない気もしますね。

 

 

↑、セガのバルダーズゲート・シリーズの ゲーム・ボックス。拡張版のテイルズ・オブ・ソード・コースト、アイスウィンドデイルなども持っています。当時のゲームにはちゃんとした取り扱い説明書がついていました。現代ではこういうケースは減りましたね。時代を感じさせます。特にバルダーズゲート・シリーズの説明書は分厚くて、200ページ以上もあります。このシリーズ、セガが再販してくれるのが1番良いのですが、その気配はありません。ライセンスの問題など、どうなっているんでしょうか?

 

日本のRPGに慣れてしまった、当時の自分が、このバルダーズゲートを始めてやると、驚きの連続でした。登場するNPCキャラクターが各自自分の意思を持っているように制作されていて、当人たちの気にそぐわないことがあると、勝手にパーティーを離脱したり、喧嘩を始めたりします。

 

また残酷な場面や、血なまぐさい話もあり、日本の子供向けに作られたゲームとは印象がかなり異なりました。自由度も高く、街の中の人を殺したり、仲間も殺すことが可能で、やり方次第では進行が困難になり、ゲームを詰んでしまうこともあります。

 

日本の「ドラゴンクエスト」などは登場する敵のグラフィックなども可愛く描いてあって、戦いのシーンでも残酷さなど感じさせません。しかし、「バルダーズゲート」シリーズは、現実にこの世界(剣と魔法の世界)が存在していたらこんな具合だろう、と感じさせるようなリアリティのある作りです。

 

特に2の「シャドウ・オブ・アムン」は傑作とされていて、パーティー内の仲間とロマンスが発生したり、複雑な物語の展開と、登場するキャラクターの個性的な魅力などで、当時としてはひと際際立っていたと思います。

 

この「バルダーズゲート3」もその延長線上にある作りで、個性豊かなキャラクターたちが登場し、善とも悪ともつかない複雑な物語を、プレイヤーの判断でこなしていかなくてはりません。

 

バルダーズゲートは2辺りから、元々分岐の多い物語の作りでしたが、今作でも同様に無数に話が分岐し、おそらく100人がプレイすれば100通りの物語が展開されるように作られており、その複雑さや豊かさが見事だと思います。

 

登場するオリジナルのNPCキャラクターにまつわる物語なども良くできていて、引き込まれるものがありました。

 

前作をプレイしている人には有名だったキャラクターの、ジャヘイラやミンスク、ヴィコニア、サレヴォクなどが登場し、ジャヘイラとミンスクに限っては今回もパーティーに加えることが可能です。

 

 

↑、3でも数人のオリジナルキャラクターが登場します。プレイヤーは、一緒に旅をしながら、彼らの濃い性格を堪能します。

 

アスタリオンとかシャドウハートみたいな、3でもオリジナル新キャラはゲーム内で楽しめるとして、2以来のキャラについてちょっとだけ書きます。ゲームをクリアした人にしか分からない話なんですがね。しかし自分には、個人的な思い入れがあります。  


彼らは、フォゴットン・レルムの英雄たちみたいな感じでしょうか。このキャラクターたちは、基本的に物語の後半にしか出てこないことが多く、製作者側のサービスで登場している感もありました。

 

 

↑、マッチョな戦士のミンスク。バルダーズゲートの中で最も人気のあるキャラクターです。123、全てに登場します。ミンスクは、ハムスターのブーと一緒に行動する、頭の弱いキャラでした。上は2の時の画像。下が3でのミンスク。今回は賑やかしの役割でしょうか。3では最後の方にしか登場しません。あんまり使う機会がありませんでした。

 

 

↑、初代バルダーズゲートで、ほぼ初めから登場するジャヘイラ。初代は、まだ若い主人公を、夫のカリードと共に守るという役割でした。ただ第2作で夫のカリードは殺されてしまい、女やもめのまま、主人公と共に旅を続けることになります。2でロマンス対象キャラでした。3では年を取った彼女の姿が描かれます。今回はロマンス対象ではありません。

 

 

 

↑、ヴィコニアも123と登場するキャラクターです。ただ今回はプレイヤーが操作できません。2のシャドウ・オブ・アムンでは、これも男性主人公でやると、ロマンスできるセクシーキャラとして有名でした。自分もそれでやっていたんですが、最後までたどり着いても結局結ばれないという結末になります。ちょっとびっくりするんですよね。何十時間もやって来て結ばれないとか、日本のゲームでは中々ありませんね(どうやっても無理なようになっている)。ただ、ヴィコニアはロマンスを最後までやると、彼女の性格の属性が悪から、中立に変化します。良い人に変化する、みたいな感じですかね。そういうのはゲームに直接関係ないんですが、この細かいこだわりが随所に見られるのが、バルダーズゲートかと思います。3のミンサラとキャラクターは被るかもしれません。

 

 

前作からやっている人は上のようなキャラクターが出てくるので、感慨深いです。前作が四半世紀前の作品なのに、忘れがたいものがありました(とはいえ、自分は15年ぶりですが・・・)。ただ基本は、3で登場するオリジナルキャラクターの物語で構成されていて、それがこのゲームの面白さの重要な部分だと思います。

 

しかし最近のゲームはやっていると、本当によくできていて、ゲームでしかできない体験があると感じさせてくれますね。バルダーズゲートについても、正にゲームでしかできない体験があって、素晴らしいと思います。

 

今回は制作会社が変わりましたが、元々バルダーズゲートはバイオウェア社の制作だったんですね。この作品を元にして、先日書いたドラゴンエイジ・シリーズが誕生しました。実際内容はよく似ていますが、あちらの方は映画的な演出が多めになっています。同様のシステムで世界観をSFにしたのがマス・エフェクト・シリーズですね。

 

ドラゴンエイジの最新作もDEIのコミットがなかったら、もっと評価されたんでしょうけどね。残念です。

 

バルダーズ・ゲート1 |  ヒマジンノ国

バルダーズ・ゲート2 |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事なんですが、今読むと恥ずかしくて自分は読めません(汗)。15年ぐらい前の記事ですが・・・一応リンクしておきます。

トランプ大統領とゼレンスキー大統領の首脳会談の様子が目下話題です。トランプが正しいか、ゼレンスキーが正しいかでSNSでは議論が活発です。公の場で一国の首脳同士が感情むき出しの喧嘩をした、というのは珍しいと思います。ただ、過去の流れを見ればトランプ氏とゼレンスキー氏が決別する可能性はかなりあったはずなので、僕自身はそこまで驚いてはいません。

 

「どちらが正しいか?」という話は置いておいても、米国はこの件でウクライナを支援しないと明言しました。ウクライナは領土を割譲したまま終戦する可能性が出てきたと思います。

 

歴史的に「ブダペスト覚書」から、「マイダン革命」、「ミンスク合意」という流れを見ると、ウクライナ、ロシア共々それなりに思惑はあると思います。ヤヌコビッチの「親ロシア政権」を西側の内政干渉で転覆し、ウクライナ内の民族浄化として、ロシア系住民を国内東方に追いやり、ロシア語の使用などを禁止したのがポロシェンコでした。この時(2014年)からウクライナは内戦状態になり、東方のロシア系住民はロシアに助けを求めていたようです。

 

 

このような国内情勢に嫌気を感じたウクライナ国民が2019年に選んだのが、ゼレンスキーでした。彼は公約でロシア系住民の安全と、ロシア語の使用を認めるといって、大統領に当選。しかし実際には公約は失敗。ロシア系住民への弾圧は収まりませんでした。

 

ゼレンスキーはロシアを煽る結果となり、再び弾圧が激しくなった2022年にロシアはこの内戦に介入を決定しました。

 

この過程の中で、ウクライナ、ロシア共々数々の国際公約を破っていて、当然バックには、西側エリートと、ロシアの確執がありますが、同時にウクライナとロシアのスラヴ系民族問題が絡んでいると思います。ウクライナの内戦では1万4000人ほどのロシア系住民が犠牲になったといわれていますが、ロシアが内戦に介入してからは、この戦争での死者数は100万人を超えている可能性があるそうです。

 

この件に関して、極東の我々がどちらが正しいというのは中々難しいと考えています。簡単に結論が出せるような話ではありません。

 

さて、以下は別の話です。別といってもウクライナ戦争と共に、国際問題になっていた、イスラエルとガザ関係の話です。

 

 

D・トランプが公式アカウントで、ガザ地区のリゾート化映像を流し、批判の的になっています。映像をAIで作成し、黄金のトランプ像や、ネタニヤフとトランプが一緒に並んでリゾート地で寛いでいるような映像などが含まれ、少し人をバカにした感があるような映像です。

 

多くのパレスチナ人が死亡したこの地を、この段階で面白おかしく描き出すというそのセンスは、常軌を逸しているようにも見えます。D・トランプという人物像を考えると、この映像は何かしらのディールで、もっと深い内容が裏にあるという人もいます。

 

しかし、中々深読みしづらいこの映像に、やはりトランプ支持者からも反発があるそうです。

 

D・トランプ氏は以前からガザ地区の200万人のパレスチナ人を、アラブ周辺国に移住させ、ガザ地区を米国が管理する案を提示しています。そしてこれを、中東のリヴィエラ(ヨーロッパのリゾート地)にするといってきました。

 

しかしこれは、イスラエルの行ってきた「民族浄化」と同じではないかという疑念が湧く話であり、イスラエル寄りのトランプ政権の後姿を見せているようにも思えます。

 

 

↑、全てAI画像ですが、他人の土地を勝手にリゾート地にするという話はさすがに悪趣味な気がします。イーロン・マスクだけでなく、ネタニヤフなども映っています。

 

まず僕自身の、個人的なスタンスを書きますが、現状のトランプ政権はある程度まで支持しています。グローバリズムに振れ過ぎた世界を修正する、という意味でです。また、このトランプを支持するしか、世界的に見ても、その方向性の修正はできなかったのだろうという考えです。

 

しかし、同時に彼が度々行う、どちらかといえば「イスラエル」よりの発言には疑問を抱いています。その点は非常に不透明であり、今後の展開次第で意見を決めなけらば行けない案件だと思います。

 

国際的な大物政治家の、トランプ、プーチン、ゼレンスキーなどは「熱狂的な支持者」が多く、反対意見を書くと嫌われます。しかし自分は、このような個人崇拝主義は昔から好きではありません。確かに、政治以外の話になれば、自分にも好きな「アーティスト」などはいます。だから、自分の意見に全く矛盾がないとはいいませんが、個人崇拝は人の理性的な思考を奪うので、特に政治的な意見に関しては、要注意だと思っています。

 

話を元に戻します。

 

そしてやはり、上で書いてきたことの続きですが、トランプ政権において一番疑問が湧くのは、上に書いたような、シオニストとの関係性です。

 

以下は断片的ですが、疑問の内容です。

 

 

↑、イスラエルとハマスの紛争中の映像だと思いますが、トランプの自宅、マール・ア・ラーゴでシオニストたちが集まり、イスラエル国歌を合唱したそうです。

 

 

↑、その自宅にある、聖書による遺物「契約の箱」のレプリカ。

 

 

↑、トランプ氏は大統領令で、「信仰局」の発足を明言。そこに統一教会と関係の深い、ポーラ・ホワイトという人物を抜擢。詳しい人は分かると思いますが、日本でも参政党の神谷氏や、東京都知事選に出馬した、田母神氏など、統一教会との関係が噂される政治関係者は、イスラエルとの関係が深い場合も多いかと思います。

 

確かに「シオニスト」、といっても、一概に語れません。例えばD・トランプを批判している、俳優のマーク・ハミルはシオニストです。あと、ガル・ガドットなどもトランプを支持しているかは疑問です。「シオニスト」といわれる人々が全員同じ意見だとも思えません。

 

ただまあ、トランプ周辺の人たちも結構、聖書の終末論者ばかりじゃないのかという気もしており、幾分の怪しさを感じさせます。

 

 

米国副大統領のJ・D・ヴァンス氏が最近目立っています。ミュンヘンでの移民反対の演説や、先日の、米ウクライナ首脳会談でのゼレンスキーとの口論で見るように、意見のはっきりした人物です。

 

 

↑、トランプとヴァンス。トランプ氏が副大統領に指名したそうです。

 

しかしこのヴァンス氏も、トランスヒューマニズムを支持している企業家、ピーター・ティ―ルと関係が深いといわれています。

 

 

こういうのを読んでいると、大丈夫なの?という話です。

 

疑問など |  ヒマジンノ国

 

↑、自分が書いたピーター・ティ―ルに関する過去記事です。自分は、全てのトランスヒューマニズムや、AIによる管理が問題だとは考えていませんが、倫理性が問われるこのような事案は、導入に関して、慎重になりすぎても良いと思っています。特に政治主導でやろうというのは、かなり疑問があると思います。イーロン・マスクにしろ、このピーター・ティ―ルにしろ、元は企業家なわけで、利益などが生まれなければ、何をするかは分からないと思います。当然倫理性は後退する可能性も大きいと考えています。

 

 

↑、大昔、D・トランプ氏の破産を救ったのが、ロスチャイルドだといわれています。

 

とりあえず、支持すべきところは支持しながら、一旦トランプ政権も自分は完全にニュートラルに戻して、内容を見ていきたいと考えています。まだまだ先行きは不透明だと思いますね。

米国はトランプ政権になってから、多くの大統領令を出し、バイデン前政権の極左的な政策を根底からひっくり返そうとしています。

 

そうした中で、勉強不足の自分は、初めて名前を聞いたのですが、「USAID(米国国際開発局)」という、独立機関の解体を発表しました。この「USAID」なる機関は、1961年にJFKによって設立され、国際援助を目的とする組織だったといいます。

 

これが非常に話題となって、「X」上では、日本国内でも多くのインプレッションが見られました。

 

しかしなぜ、我々のなじみのない、この機関の解体が話題になったのか?といえば、そこで扱われている資金がどうやら、多くの極左的な政策に流れていたのではないかということらしいからです。

 

 

USAIDの年間の予算は400億ドル(日本円で5・2兆円)だそうで、米国民の税金で賄われているようです。この資金をUSAIDが優先順位を決めた組織や、団体へと流していたそうです。

 

 

これをトランプ氏やイーロン・マスク氏は無駄使いだといい、削減するとしました。さて、このUSAIDが予算を流していたところがどんなところだったかというと、BBCやロイター、ポリティコなどのメディアや、どんな活動をしているか良く分からないNGOなど。日本のNHKなども槍玉に上がっています。

 

 

これらの資金のおよそ95パーセントを使って、自分たちに都合が良い記事やニュースを流したり、あるいはNGOを名乗りながら、他国の政府に介入したりしてきたのではないかという疑念がもたれています(USAID本来の目的で使われていた資金は、たった5パーセントほどだったといわれています)。

 

先日自分もゲーム業界の記事を少し書きました。

 

ドラゴンエイジ・ヴェイルの守護者 |  ヒマジンノ国

 

↑、トランプ大統領が、USAIDを解体すると発表する、2週間ほど前に、自分は「問題なのはこのようなLGBTQのことだけでなく、BLMなどの人種差別の話を含み、かつ、このような事案はゲーム業界に限らず、ドラマや映画などにも共通で、大荒れしていることでしょう。誰かが主導的に資金を投入して、進めているとしか思えない現状があります。」とこの記事の中で書きましたが、まさにUSAIDはそのような活動の資金源だった可能性があります。そしてこのUSAIDの支配権を持っていたのが、CIAやジョージ・ソロスではないのかといわれています。

 

先週も弥助の問題を扱ったときに、日本国内の、公金の用い方などに疑問を呈しましたが、USAIDは、米国の公金を世界中にばらまいていたわけです。公金チューチューどころではない、まさにマネーロンダリング機関であり、トランプ大統領のいう、DSの資金源の1つだったのでしょう。

 

今日進められてきた、DEI、LGBTQ、BLT、SDGS、などという、歯の浮く様な政策は、世界中の文化的差異や、歴史を内部から破壊する政策であって、本来持っている理念を失っているように思えます。

 

性的マイノリティーや、人種差異への偏見をなくすとか、生活に困った人への援助など、必要なことで、やるべきだと思います。

 

しかし現在行われている政策は、例えば、トランスジェンダーや性的自認の「優越性」というべきものを煽ったやり方で、「(興味がない一般人でも)性転換をするのは素晴らしいことだ」といわんばかりです。

 

また、難民などの移民を受け入れることで、国の労働力を確保するといいながら、実際にはその移民を特別視し、その国で犯罪を犯してもほとんど咎めることなく扱ったり、また、公的資金を彼らに垂れ流したりします。

 

こういうことをすればするほど、国や民族は本来のアイデンティティーを失い、平均化し、分断していきます。また国民の不満も増しますし、国などの治安も乱れ、堕落していきます。

 

なぜこのようなことを、組織的に行っていたかというと、グローバリズムという言葉を合言葉に、これらを進めてきた人たちは、一律の基準や法律で世界を支配したいのですが、そこには各国や民族のアイデンティティーや、独自性が邪魔になるからです。

 

 

日本においても、先日も国連が日本の皇室典範による「男系男子」による皇位継承権が女性差別に当たるとして、勧告を出しましたが、日本政府はこれに反発しました。

 

各国が持つ独自の文化的背景や、歴史的背景などは、世界を一律した基準でまとめようという発想には合わないことが多く、グローバリストにとっては邪魔だ、ということになるのです。

 

そしてそんな中で、やっとのこと、D・トランプがアメリカ第一主義を掲げて大統領に当選し、このような行き過ぎた「グローバリズム」に待ったをかけ始めているということになると思います。その中の1つの政策が、USAIDを解体して、極左政策の資金源を断つ、ということだと思います。

 

今後は、各国はそれそれの独自性を持って良い、ということに当然なりますね。

 

ただこうした戦いは始まったばかりです。2月2日のグラミー賞ではレディ・ガガが、性的マイノリティの連帯を表明し、演説。それをビリー・アイリッシュらが、涙目で見つめている様子が、映像で流されました。このようなグラミー賞での政治的な発言は、当然トランプ政権への批判を込めています。また、D・トランプ氏が、トランス女性の女性競技への参加を認めない大統領令を出しましたが、州によってはこれを拒否したりもしています。

 

日本の地上波もこうしたニュースをやれば良いのですが、トランプ氏を陰謀論者というレッテル貼りして逃れようとしています。テレビばっかり見ている人はこれを信じてしまうんでしょう。日本のテレビ局もUSAIDとの関係を取り沙汰されていますから、どうやってもこうなりますかね。

 

 

↑、日本国内でUSAIDとの疑念がもたれている組織です。

 

これからまだ色々出てくると思います。一応この件で、D・トランプ氏がいっていた政策を、今期は、実地していくというのがこれではっきりしたのかな、とは感じられたニュースかと思いました。

 

もう少し考えておくと、D・トランプ氏もRFK・jrもシオニストである可能性が高いと思っています。イーロン・マスクも旧権力機構の政策は実際は否定していません。

 

 

USAIDも厳密には解体ではなく、再構築のようです。このトランプ革命が終わって、色々暴かれることはあるでしょう。しかしその革命後、結局根幹の政策は変わらずに、政権が極左から極右に変わっただけ、とはならないように願いたいものです。

 

割と有名な話かもしれませんが、フランスのゲーム会社UBIの手掛けるアサシンクリード・シリーズの新作に関する話を簡単に書きます。

 

その前に、先日書いたバイオウェア社の、「ドラゴンエイジ・ヴェイルの守護者」ですが、エレクトロニック・アーツが正式に失敗を認めたそうです。同社の株価は急落し、ディレクターのコリン・ブッシュ氏は同社を退社。自主的に辞めたとなってますが、責任を取らされたのかもしれません。結局初動で、300万本売り上げ予定が、150万本しか売れなかったそうで、バイオウェア社は閉鎖の可能性があるそうです。DEIにコミットしたせいで、大赤字です。酷い話ですよね。バイオウェア社のゲームは好きでしたが、残念です。現在、親会社のエレクトロニック・アーツはバイオウェア社を縮小し、人員を半分にしてしまいました。

 

話を元に戻しますが、UBIソフトの新作は日本を舞台にしたゲームなんですが、これはまだ発売されていません。しかし発売前から、大変炎上していまして、UBIもこれに失敗すると、倒産の可能性もあるそうです。バイオウェア社もUBI社も、欧米では有名なゲーム会社ですが、今回DEIがらみで、非常なピンチを迎えています。

 

UBIの新作「アサシンクリード・シャドウズ」の問題は、戦国時代日本にいた黒人の弥助を主人公に据えたことにあります。彼らはこの弥助を「侍」として扱い、大々的に宣伝しました。ただ、この弥助なる人物はおそらく、間違いなく黒人で、信長に召し抱えられていたのは確かなのだと思いますが、「侍」なのかどうかは、はっきりしていません。

 

しかしUBIはこれを「歴史的事実」を元にしていると主張。多分、「これはフィクションです」、というようないい方であれば問題なかったのだと思いますが、ちゃんとした資料を基にした作品といい出したのが問題でした。

 

その資料の1つが、日本大学准教授トーマス・ロックリー成る人物が書いた書籍で、これが大問題となりました。ロックリーの著作は、歴史的証拠を積み重ねたものではなく、憶測や創造に任せて書かれた部分が多いといわれており、証拠とはなりにくいそうです。またこの著作の中で、ロックリーは「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。弥助は流行の発信者であり、その草分けでもあった。」と書いているようで、この辺は流石に酷いと思います。

 

これは、ロックリーが「日本に黒人奴隷の習慣があった」といっているということになります。どうも、個人的にはこのような発言を見ていると、この教授も、一種の活動家であるとしか思えないんですね。

 

 

さらに彼はこの弥助に関して、英語版のウィキペディアの改変を自ら行ったのではないかといわれており、そこでは自身の未発表の著作を資料にあげ、繰り返し「弥助は侍だった」と主張していたといいます。


日本人に読まれにくい、英国のウィキペディアを書き換え 、とはかなり狡猾です。

 

実際のところ海外ではこうした「弥助が侍」という話が独り歩きを始めており、日本の戦国時代には「黒人の侍」がいた、または黒人の奴隷が存在した、などという、我々日本人が聞いたこともないような話が一部で広がっているそうです。

 

はっきりいって目を疑うような話ですが、日本にいる大学の准教授が、デマを拡散し、また外国のウィペディアなどを使って、嘘を広めようといているというのです。こんなバカな話があるでしょうか?

 

そういう意味ではUBIも被害者ともいえなくもありませんが、彼らもしっかりとした謝罪もせず、未だに外国の自社のPRサイトでは弥助を「侍」として扱っています。彼らがせこいのは、それを日本語版は弥助を「一騎当千」と書き換えていて、外国のサイトとは違う書き方にしていることでしょう。

 

正直にいえば、これはゲームですから、日本を舞台にした作品でも主人公を「黒人」にしても面白いと思いますが、以上のような裏事情が出てくると中々笑えません。

 

今回この「アサクリ」問題が出てきて、ロックリーの悪事がばれたのでまだ良いですが、このままほおっておいたら、とんでもないデマが諸外国では事実とされ、それを元に我々がいわれのない攻撃を受けた可能性があります。

 

 

↑、すでに外国では弥助が侍だったかどうかみたいな議論が始まっているようですが、狂ってますよね。

 

ロックリー准教授ですが、このように悪事がばれて、フェイスブックなどのSNSアカウントを消し、逃亡していましたが、未だに活動しているようです。

 

 

ロックリーは、2025年の1月に滋賀県の安土町で、講演会を開催すると発表。しかし、抗議の電話などで中止になりました。ここでさらに問題なのは、この公演が「万博交流プログラム活用事業」として、公金が出ていた可能性があったということです。

 

問題が多すぎて何から書いて良いのか分かりませんが、日本人のリテラシーのなさ、活動家の暗躍、招致した人間の勉強不足・・・など、ちょっとひどすぎます。

 

日本大学はこの准教授を解雇すべきだと思いますが、問題は知っているのに、問題視せず、まだ雇っています。本当に、他の多くの問題があったにも関わらず、日本大学はダメな大学だと思います。

 

最近はこのように「公金」を扱う部分に、妙な活動家がコミットすることが多く、弱ってしまいます。活動家だけではありません。日本の各都市の首長、つまり知事など、多くの税金を使う場面で何をしているのか分かったものではありません。


奈良県では市民の反対を押し切って、KPOPを推進する山下真知事。イスラム教徒の土葬を市民の反対を押し切って進める、宮城県の村井嘉浩知事など。移民問題では埼玉県の大野元裕知事もひどい。

 

ロックリーの件は、黒人の問題を扱っていますが、上に書いたような、民意を無視して、勝手なことをする知事の扱っている問題の多くも、先日書いたDEI関連です。

 

LGBTや移民問題など人権やらなんやらを「人質」にして、自分たちの勝手ばかり行う、公共機関の人間が多すぎますね。お金のある所に人は集まるのでしょうが、どういう人が集まってくるのか、我々は常々監視していないと、こういうことばっかりになるという、悪い例だと思います。

 

2月1日、新国立劇場、さまよえるオランダ人、千秋楽を鑑賞。

 

オランダ人役のエフゲニー・ニキティン降板で、悪評ばかりのオランダ人公演へ足を運びました。去年の暮れに取ったチケットなので、主役の降板など分かろうはずもなく。それに、2025年シーズンのオペラパレスの演目だと、オランダ人ぐらいしかそそられる演目がありません。「カルメン」は読み替え、「セビリアの理髪師」はキャストがあんまり好みでないので、「オランダ人」しかないかな、と思っていましたが、ニキティンが降板という話なので、ちょっと困りました。

 

ここ数年で、自分は新国に行くのは、今回で5回目なんですが、そのうち4回代役で、さすがに主要キャストの降板が多すぎやしないかと思います。運営は、原因究明しないと駄目な案件だと思います。

 

ニキティンのカバーは日本人の河野鉄平氏。ウーン、どうなんでしょう。非常に人柄の良さそうな人で、悪口とかは書きたくないですが、かといって、感想は書かないと仕方ないので書きますが。

 

河野さんは、メインキャストの中で一番声が出ておらず、オケや他の人の歌声と被ると、ほぼマスキングされてしまいます。声量の問題なのか、発声の問題なのか、専門家ではないので良く分かりませんが、声が前に出ません。どうしてもほかの歌手と比べると、1ランク落ちる印象がありました。3重奏など、ゼンタ役のストリッド、あるいはエリック役のストートンの声と被る時は、河野さんの声がマスキングされてしまい、口だけパクパクしているように見える瞬間が何度もありました。

 

オランダ人が主役の第1幕の有名なアリアも、オケばっかり鳴っている印象でした。全体としてみると、第1幕が1番厳しかったと思います。

 

ただ第2幕以降、ゼンタ役のストリッドが登場してからは、彼女が歌い手の屋台骨になって、機能を始めたと思います。

 

自分は全体を通して聴いた分には、結構感動できたので、出向いて良かったと思っています。

 

キャストが全員揃ってからは、チーム一丸となって良いものにしていこうという、気迫みたいなのを感じました。

 

指揮者のマルク・アルブレヒトは、初めの頃は、割と軽めの指揮ぶりで、手堅い印象でしたが、後半に入ると気迫を前面に出して、畳みかけるような迫力を出しました。その辺もポイントは高かったです。

 

やはりワーグナーの音楽の力なのか、終わりごろは自分は結構ウルウル来てたので、面白いなと思いますね。

 

初めて「さまよえるオランダ人」の脚本を読んだとき、この人(ワーグナー)、女にもてたいだけなんやな、と思ったものです。こんな恥ずかしい脚本、良く堂々と書いたな、とも思いました。しかし結局、この作品も音楽が脚本を救っています。というか、音楽の素晴らしさは中々文句がつけづらい作品なんじゃないか?という感じですね。

 

ブリュンヒルデの原型として、完全に狂気しか感じないヒロインのゼンタですが、オランダ人の救済を語る時の、恍惚とした、あの哀愁に満ちたメロディーを聴くと、何だか彼女の狂気を信じたくなるんですね。この辺はやはり音楽の力です。他にも各種場面で、音楽によって真実と思い込まされるような部分が多数あります。

 

今日も結局、後半になってくると、ワーグナーの音楽に捕らえられて、感動がこみ上げてきました。国際的水準にはとても達しないんでしょうが、観劇したことは後悔していません。河野さんの必死さも伝わってきました。だから満足はしています。

 

まあしかし、それとは別の話で、こう主役級キャストの降板が多いと、運営ももっと考えるべきなんでしょうね。日本でオペラハウスを運営するという、難しい事業に関わっているのは分かりますが、何とかなりませんかね。

 

新国立劇場も色々いわれているようですが、個人的には無ければ無いで困るので、もう少し頑張ってほしいと思います。

 

 

フジテレビの問題とか、色々出ています。兵庫県知事の問題では自殺者も出ています。これらの事件自体、かなり醜い印象があり、あまり追っていません。しかし、書くつもりもなかったのですが、触れないのも不自然な気もするので、少しだけ書いてみます。

 

色々気の毒な面もありますが、因果応報で、今までのような甘えが許されない時間帯に本格的に入ってきている、ということではないでしょうか。厳しい話かと思いますが、簡潔に書きます。

 

崩れていく者 |  ヒマジンノ国

 

↑、2023年の過去記事ですが、本当に「神の法」というものがあるわけです。今までは隠れて悪さをしていても、見逃してくれたりしてましたが、だんだんそうではなくなってきています。

 

悪さをしていても、気づいて後々改めるのなら、という前提付きだったのですが、そういう気のない者には、今後は更に厳しくなっていくと思います。

 

神がいるのかどうか、とか、正義なんてないとか、そう思う人はそういう人生を歩むだけです。全部自分で選んでいます。

 

以下は過去に出た神示からです。

 

<最後の最後は三歳苦難ですべてを開き、そなたの借金(メグリ)なくなるまで掃除して頂くのぞ。そなたが自分でやらないならば、そなたの外側掃除してそなたの内側掃除させるぞ。そなたがルール違反していれば神の世はないぞ。

 

自分が自分を苦しめているのぞ。そなたが魔釣りを続けるならば、不調和続けるならば、全体が偏るのであるぞ。迷惑であるぞ。そなたが体験、そなたの作品ぞ。そなたの結果ぞ。人のせいないぞ。最後は世界纒て大掃除ぞ。罪つむほど重くなって動けんようになるぞ。この方、そなたらの罪をかぶって、一番下に居るのぞ。土はこの方の体ぞ。上下逆転するぞ。上の者、つぶれるぞ。プレスするぞ。この方、重いぞ。用意はよいか。つぶれたくなければ、マコトの上になりたければ、早う、下に下がれよ。>

 

神の法においては、人を騙したり、脅したりして得たものは、相手に返さねばなりません。それらをすべて返して、初めて借金ゼロです。それができるまでは、次々とお知らせがきつくなっていくと思います。

 

自分が間違っていると思うのなら、どんどん自分から頭を下げて、許してもらう努力をするしかないのではないでしょうか?

 

バイオウェア社の新作ゲーム、「ドラゴンエイジ・ヴェイルの守護者」をやりました。およそ70時間プレイで、クリア。「ドラゴンエイジ」シリーズは、エレクトニック・アーツに買収された、バイオウェア社のRPGシリーズで、今回が4作目になります。自分は1作目の「オリジンズ」と3作目の「インクイジション」はプレイ済みで、2作目はやるタイミングを逃して、プレイしていません。

 

「オリジンズ」から続く、連作の「完結編」といわれており、10年ぶりの新作となりました。丁寧に作り込まれた、面白いゲームだったと思います。美しく描き込まれた背景や、後半怒涛の展開をみせる映画さながらの物語など、かなり気合が入った作品だったと思いました。

 

 

しかし、このゲーム発売前から散々炎上して、あまり売れていないとのこと。最近流行のポリコレによる、DEI( diversity、equity、 inclusion、多様性、公平性、包括性)の政治思想が顕著だという理由で、一定のユーザーから発売前の批判が殺到。特にこの作品はLGBTQに対する配慮が顕著で、ゲーム内の人物に、にノンバイナリーを自認するキャラクターが登場します。LGBTQの「Q」(クィア)という、性別意識を持つか持たないか、分からないような部分まで配慮していて、やりすぎだとの意見が多数です。また主人公のキャラクター・メイキングに関しても、性自認の選択を提起し、性転換手術の跡の選択迄できるという、良くわからない設定に批判が殺到中です。

 

こうした批判に対し、このゲームのディレクターである、コリン・ブッシュなる人物がSNSで反論、今作の失敗の原因はポリコレを理解できないゲーマー側にあるといい出し、更に炎上しました。

 

 

↑、ディレクターのコリン・ブッシュ氏。本人がトランス・ジェンダーだそうです。

 

最近のゲーム業界はこのようなポリコレに配慮しないと、制作資金が得られないというので、各会社内でもDEIを取り入れたい経営者側と、取り入れたくない製作者側で軋轢が生まれており、多くの現場で、製作者側が離脱を始めているようです。

 

 

このような政治思想を浸透させるために、最近ではコンサルタント会社まであります。有名なのは「スイート・ベイビー」なる会社で、ここからゲーム開発会社にコンサルタントが派遣され、ゲーム内の政治思想に対してに口出しをします。彼らは別にゲームを開発する人材ではなく、口出しをするだけで、給料をもらう変わった人たちです。

 

これらの人たちの性的思想は、特に女性の描き方に強く表れており、女性は、白人を避け、美人であってはならない、か弱く男性に守ってもらうような存在であってはならない、という特殊なもので、当たり前ですが実際のゲーマーからは大不評で、不買運動が起きています。

 

 

↑、最近話題になった某ゲーム会社の新作トレーラーで発表された、女性主人公の容姿。性別国籍など不明な感じになっています。これぞポリコレですね。結局内容次第だとは思うんですが、映像を見ただけだと、魅力を感じないし、感情移入もしにくいと思いますよね。

 

 

↑、名作の「ホライゾン」ですが、こちらも、DLCで主人公のレズビアンのキスシーン挿入というので炎上。

 

このような政治思想の導入は日本のゲーム会社も他人事ではなく、スクエア・エニックスの「ドラゴンクエスト3」のリメイク版では、主人公の性別が選べなくなっており、見た目が男っぽいか女性っぽいかという程度に変更されているそうです。

 

米国ではトランスジェンダーが高校女子バレーに参加し、相手チームの高校生を半身不随にしたり、また、ファッション感覚で性転換手術を受ける若者が、後に後悔するなど、社会問題にもなりつつあります。

 

ということで、この手の問題が炎上するのも当然と思えます。問題なのはこのようなLGBTQのことだけでなく、BLMなどの人種差別の話を含み、かつ、このような事案はゲーム業界に限らず、ドラマや映画などにも共通で、大荒れしていることでしょう。誰かが主導的に資金を投入して、進めているとしか思えない現状があります。

 

こういう思想統制は旧ソヴィエトの政策を思い出します。ソヴィエトでは違反すれば最悪強制収容所行きでしたが、我々の社会も何だか笑えない感じですね。歴史を見ていると、創作分野に政治思想が入ってくるとあまりい良いことがないので、ちょっと心配です。こういうので荒らされると、その後しばらく、その業界の停滞期が続くことがあります。

 

その上でですが、話を元に戻しますが、個人的には「ドラゴンエイジ・ヴェイルの守護者」については、ゲームの総合評価としては自分は弁護したいと思います。

 

現状、ある程度のポリコレ批判は仕方ないと思います。

 

自分も、上にあげた、この「ドラゴンエイジ・ヴェイルの守護者」のディレクターは、好きではないです。その主張も問題ありだと思っています。ただ真面目にゲームを作っている人が、それ以外の部分で、多く関わっている作品でもあると思うんですよね。

 

このゲームの全体を100とすると、批判されているLGBTQのシーンはせいぜい数パーセントで、それほど気になるレベルではないと思います。またこのゲーム・シリーズを知っている人なら分かると思いますが、元々登場するキャラクターに、美男美女は少なく、同性愛のロマンスシーンはポリコレが騒がれる以前から、普通に描かれていました。どのような相手をロマンスの対象にするかはすべてプレイヤーの意思次第で、強制的に同性愛を選ばされるということでもありません。

 

この数パーセントの問題を除けば、従来通りのゲームで、前作と比べて細かい変更点はありましたが、遊ぶ側のことを考えて作られているシーンで満たされていると思いました。

 

シナリオについても一部同業者から批判も出ていましたが、自分はそんなに悪くないと思いました。良いシーンも多かったと思います。

 

批判者も多いゲームですが、実際にプレイした人は好意的な意見を述べている人が多いと思います。

 

 

我々厨二病の欲求を満たしてくれるレベルには達しているのでは?

 

前作の「インクイジション」が2016年のGOTY(ゲーム・オブ・ザ・イヤー)で、世界中で一千万本以上売り上げたそうです。今回も500万本から700万本ぐらい売り上げないと、元は取れないのだそう。

 

当初は150万本ぐらいしか売れていないといわれていたんですが、最近になって300万本ぐらい出ているという話もちらほら。

 

どうなんでしょう、今後はプレイしたゲーマー側の意見からそれなりの評価見直しがあっても良いゲームだと思いました。

 

しかし、こういうポリコレの話題は、YouTubeみたいなSNSで、閲覧数稼ぎで書きやすいんでしょうけど、明らかにゲームをやらずに批判している人が多くて、この「ドラゴンエイジ・ヴェイルの守護者」に関しては、ちょっと嫌になってしまった部分がある事件だと思いますね。

 

明けましておめでとうございます。

 

今年も惰性?で、自分としては、時間がある時はブログを書こうかと思っています。しかし、去年の年始は色々事件があって、あんまり良い気持がしない年始だったと思いましたが、東京の今年の元旦は良く晴れて、気持ちの良いお正月でした。確かに、韓国などで事故はありましたが、本邦内は比較的静かな出だしだと感じています。気温も比較的暖かったです。

 

しかし今年はどうなるんでしょうかね。色んなことがいわれていますが、噂話に振り回されるのも、ちょっと疲れましたね。

 

今年もゆっくりやっていこうと思います。よろしくお願いいたします。