ヒマジンノ国 -42ページ目

 ヒマジンノ国

ブログの説明を入力します。

 

お笑いタレントのカラテカの入江氏が、複数の吉本芸人を連れて、振り込め詐欺グループの忘年会に営業を行っていたとかで、吉本興業を解雇になったそうです。ここに参加した有名芸能人も今かなり問題になっているようですね。

 

恥ずかしい話なんですが、自分は年末のダウンタウンの「笑ってはいけない」シリーズが好きで毎年見ています(*^^*)。お笑いが必ずしも嫌いとかでもないんですが、反面、最近の地上波は朝から晩までお笑い芸人が沢山出てきて、ちょっとどうかな、とも思っています。

 

特に最近はむごたらしいニュースが多い中、バラエティー番組の・・・「くだらなさ」とのギャップがひどくて、そこに抵抗も感じ始めています。他方、ニュース番組や、情報番組もいつも通りの生緩い感じで、ちょっとしんどいです。

 

地上波自体あまり観なくなりましたが、日本のテレビ番組はいつからこんなに退屈になったのかと思います。これは全くの個人的な見解ですが、テレビの内容が、常に一枚のヴェールがかかったような印象で、シリアスな問題は絶対に確信に触れないようにしているかのようにみえるし、それを助長しているのが昨今のお笑い芸人たちという感じです。別にお笑い芸人に問題があるかどうかということではなく、あまりに彼らを使い過ぎ、バラエティー番組ばかり作りすぎる、多分テレビ局の方向性というか、その方針や考えが嫌なのかもと考えています。

 

お笑いとかユーモアは必要だと思うんですが、それは片方にどうしても解決しなければならないのっぴ切らない問題があるから、その緊張の緩衝地帯が必要だ、ともいえるわけで、今の報道番組のようにほとんど「ショー」みたいな構成だと、だらっとして、観ている方も馬鹿にされてる気にもなりますね。

 

「だったら観なければいいじゃないか」というのが昔のタレントのいい分でしたが、結局、実際にだんだんそうなってきてますね。ネットなどに流れている人は多そうです。

 

問題の解決は問題そのものを取り扱ってから、ということなんだと思います。先日、佐村河内守の時に話題になった野口剛夫さんのことを書きましたが、彼のいいたいことの1つはそこにあったように思います(野口剛夫氏のことに対しても他者から当然批判があります)。

 

ピアニストのフジコ・ヘミングや辻井伸行氏のことのマスコミの報道も、彼らがいかに苦労したか、という報道はしますが、一番大事なその「演奏内容」の報道はしないんですね。当然、いくらか専門的な話だし、一般大衆には受けが悪いだけですけど、頑張ってその「演奏内容」について一般にわかり易く報道できるのなら、クラシックファンも増えそうですし演奏家の苦労話よりは音楽が好きな人にとっては、より本質に近づけるわけです。

 

初めて彼らの音楽を聴く人にとっては、苦労話は面白いし、必要じゃないという気はありませんが彼らの演奏が過去の演奏家と比べてどこか違うのかなどといわれるだけでも興味のすそ野の広がり方は違います。

 

確かに芸術だけでなく政治なども今日、本当の専門家みたいな人がいなくなって、俗物化しているような気がします芸術なら「芸」の話、政治なら「政策」の話なんかをもっとテレビやメディアでやっていいんじゃないかと思いますけどね色々問題があるにしても、やればまた国民の見方も変わってくると思うんですけど。


有耶無耶な話が多い気がして仕方ないです。

 

今回の芸人の件でいえば、芸能人などのモラルや、道徳性の問題、とかになるんでしょうか。もっといえば社会正義とかの話になるかもしれません。真面目で退屈な話です。


物事の本質の議論が、なさすぎるのではないかと思います。

 

そういう話は確かに固く、人気がないかもしれませんが、「そういうことがなさすぎる」、ということが現代における問題の1つだと思います。

 

かつて陸軍専属の技術者として、同行した、小松真一氏は太平洋戦争における日本軍の不合理性を日記に記していましたその中で氏は次のように書いています(日本はなぜ敗れるのか、山本七平著)。

 

<人間の社会では、平時は金と名誉と女の三つを中心に全てが動いている。それらを得る為に人を押しのけて我先にとかぶり付いて行く。ただ、教養や色々の条件で体裁よくやるだけだ。>

 

男性目線ですが、正に人間の本性をいい当てている言葉で、多分に今のマスコミや政治などもこの調子なのでしょう。退屈なのかもしれませんが、「芸」そのものの話なり、「政策」や「モラル」そのものの話なりをやっていかないと、またそれ以外の話に流されて行って、問題が有耶無耶にされそうな気がします。

 

振込詐欺の忘年会に参加していた芸人もギャラはもらっていないし、相手が誰か知らなかったといってますが、どうなんでしょう?こういうことも会社自体も含めて、公にもっとはっきりしていかないと、だめなんじゃないでしょうか。

 

野口剛夫氏の尊敬する指揮者フルトヴェングラーは次のようにいっています。

 

<知性は、真に偉大さのために畏敬を、愛情を、熱狂的に奉げられる愛情を無条件に再び習得せねばならない。ヴァーグナーの『パルジファル』に見られるように傷を癒すものは、その傷を与えた槍だけである。今日われわれが世間一般に認めざるをえない一面的な思考、その恐るべき影響に打ち勝つものは、思考それ自体、より高次の、より包括的な思考のみである。真正なる芸術は、素朴さ、それも対照的な素朴さの雰囲気の中でのみ生長することができるこれが知恵の素朴さ、ひとえに私たちの文化の年齢にふさわしい第二の素朴さであることこそ、今日責任を担う全ての人々にとっての願いであろう。>

 

至言というべきなんだと思いますね。

 

また事件ですね(-_-;)。農林水産省の元事務次官が殺人容疑で逮捕とか。44歳の長男が家庭内暴力と引きこもりで困っていたようです。

 

しかし、殺してしまうんですね・・・(-_-;)。相当ひどかったんでしょうけども。

 

川崎の事件があったばかりですが、引きこもりの40代50代の大人が高齢の親の元で問題を抱えている、という構図。詳細はよく分かりませんけど・・・。

 

過保護?コミュニケーション不足?・・・本人に元々問題があった?

 

今回殺されてしまった44歳の長男はネットゲームに1月30万円以上課金し威張っていたとか。多分精神年齢は中学生から高校生ぐらいで止まっていたのだと思います。

 

親も気の毒だといえばその通りですが、こうなる前に何とかできなったのでしょうか?

 

野生の狐なら、巣立ちの季節になると母親が無理やり巣から追い出したりするものです。

 

とはいえ・・・他人の家庭のことだし、何かしていたのかもしれませんが・・・まあ・・・正直よく分かりません・・・。

 

しかし、農林水産省の元事務次官何て結構偉い地位だと思いますけど、非常に情けない話だと思います(-_-;)。

 

6/5、追記 : 長男はしばらく一人暮らしをしていたそうですね。勝手なことを書いたようです。すいませんm(__)m。

 

このような事件が無くなることを祈るばかりです。

 

最近のニュースなどを見ていて感じたことを書いてみます。しかし、あまり明るいニュースがないようです(-_-;)。

 

子供が事故に巻き込まれて死ぬ事件が多いですね。高齢者社会になって、高齢者ドライバーが増え、そこから起こる高齢者の車の操縦ミスなどが原因の1つでしょうか。

 

ただ幼児の列に車が突っ込んだ事故は以前にもありました。その時から感じていたことを書きます。古い本ですが、哲学者の和辻哲郎が「風土」(岩波文庫)の中で、以下のような批判をしています(前書きが昭和10年になってます。1935年)。

 

我々は日常日本において自動車や電車を見慣れている。それは西洋から輸入されあるいは西洋をそれを模して作られたものであるが、しかし我々日本人がそれらのものにおいて珍しさというものを感ずるということは、今日においては通例はないであろう。

 

・・・(中略)・・・

 

ところで日本へ帰って街上の自動車・電車を見る。それはまるで麦畑の中を猪が暴れまわるような感じである。

 

・・・(中略)・・・

 

電車の方が一階の軒より高く、また一軒の間口よりも大きく、そうしてもしそれが暴れ込めば家の方がめちゃめちゃにこわれるだろうと思われる堅固さで、しかもそれが木造家屋の力を圧倒し去るような勢いをもって突き進んでくる、それが右のような印象を与えるのは当然であろう。電車がそばにくれば向こう側の家は見えなくなって電車の屋根の上に空が見える。背の低い自動車でさえも時には同じように偉大なものとして現れてくる。ある小路では自動車が運河にはいった鯨のように横たわり、そうしてそれが実際に一軒の家の間口よりも大きく軒よりも高いのである。

 

ヨーロッパの町々では、家に比べてはるかに小さいこれらの交通機具が、いかにも交通のための「道具」らしく、従って町や人間に服従した家来らしく、そのものの持つ意味にぴったりと合った感じをしか与えない。しかるに日本の町では、これらの「道具」「家来」であるものが人を圧し家を圧し街を圧してのさばり回っている。

 

・・・(中略)・・・

 

我々は道路が広げられて自動車や電車の交通が便利になるという視点だけから見ていた。しかしそれは自動車・電車と家や町との不釣り合いを道路と家や町との間に押しひろげることにほかならないのであった。我々は新しい「都市計画」によって次々に新式の立派な道路を与えられる。>

 

最近は木造住宅も少いし、自動車も軽自動車が発達して、時代の変化もありますが、上の80年以上前の和辻哲郎の批評を読んでも現代日本の「車社会」の印象はほとんど変わっていないな、と思いますね。

 

実家の家の正面に立派な道路がありますが自分の子供時代は大した舗装もしていない小さな道路でしたその道路は途中までしかなく、その先は畑でした。しかし、都市計画で道路は拡張し、畑を突っ切って、近くの幹線道路に無理やり繋げられました。確かに若干便利にはなりましたけどそれほど必要かといわれれば微妙でしょう。昔はその道路近辺で子供が遊べましたが今は近所の公園に行くためにその道路を渡らなければなりません。

 

日本の道路は狭く、小さな路地など、白線だけを引いて歩行者用のスペースになっているケースも少なくありません。人のギリギリそばをものすごいスピードで車が通ることも珍しくもありませんし。いくら軽自動車とはいえ、何か1つ間違って、車と家の壁との間に人が挟まれれば大事故になります。正直、こんなにたくさん道路が必要かは微妙だと考えています。人が沢山住む場所なら、車が通れないようなところがあってもおかしくないはずです。しかし現実は逆で、どこまでも車を通そうとするかのように、アスファルトで固めた道路を行政は作ろうとしますそこに住む人のことを考えたならば街の外周だけ道路でくくって各家に必要な生活道路はつくるにしても、街の中は車は一切入れない状態であっても恐らく問題はないはずです。

 

道路を作れば作るほど事故に遭う人が増えるのは道理です。幼い子が事故に遭う確率も増えるでしょう。

 

日本、というよりこれは東アジアに良く見られる傾向なのかもしれませんが、人と車の距離が思いの外近いという気がするものです。当然その分、人と車の接触などは増えることが予想されます。

 

かつて東京教育大学が茨城県に移転した時、その場所を探すために時の大臣が上空からヘリコプターで飛んだといいますそして上空から眺めて、沢山の畑を見て、「まだ土地が余っているじゃないか」と。実際筑波大学は茨城県の田園地帯に突如姿を現します。南北4キロ、東西1キロの巨大なキャンパスです。しかし、当然そこで農業をしていた人には導線を急に引き裂かれた形になったわけです

 

都市計画なんていっても結局「地図上」でここにまっすぐ道路を引いたらいいんじゃないかという様な程度の感覚で、どんどん道路をつくるわけですから、実際そこで生活している人たちの感覚を無視した道路が出来上がっていくわけです。

 

そこに病気の高齢者なり、注意力散漫の人なりが事故を起こせば、他人を巻き込むことは容易に想像できます。

 

実際生活している人の感覚を無視して、頭の中や地図上だけで合理性や正確性を求めると、人の住みにくい世界になります。機能性を追求した、20世紀初めのドイツのバウハウスによる、初期の集合住宅の実験では、精神異常者が良く出たといいます。

 

機能性だけとか、合理性だけでは人間はおかしくなると思います。最近の日本の低賃金の集合住宅も無造作に立てられていて、ごみ置き場なども汚かったりしますしね。「住めればいいだろう」ぐらいな感じです。21世紀にはいってから日本ではかなり通り魔殺人なども増えています。こういうのも一種の精神異常者かなと、思いますね。

 

都市計画なども含めて、我々の身近な部分を見直すことは多いと思いますけどね地方議員などヨーロッパに視察なんかに出かけていって、一体何を見ているんだと思いますよ。見る目がなさすぎるというか。道路を造れば儲かる人がいたり、票を集められたりする人がいるのかな?しかしやっていることが雑過ぎるんですね。自動車が日本に入ってきてかなりになりますが、都市計画などの観念はこの国で、全く成熟していないと思います。行政に関わる人もちゃんとした教養と、感性が求められていると思います。

 

何もヨーロッパのようにしろという話ではなく、日本なら日本なりのやり方はありそうです。また、道路も本当に必要かどうか、良く考えて作らないと、日本中アスファルトで埋め尽くされてしまいます。

 

日本フルトヴェングラー協会の会長で、野口剛夫という方がいらっしゃいます。個人的にはクラシック関係の書物を見ると時折顔を出す方というぐらいの認識です。この人は2013年に「新潮45」という雑誌に<「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か>という論文を寄稿して少し話題になりました。2013年はまだ佐村河内守が偽物と分かる前の話です。

 

彼はここでクラシック音楽の演奏家であるフジコ・ヘミングや辻井伸行氏などに関するマスコミの取り上げ方のおかしさについて意見を述べ、同様に当時まだ、「全聾の天才作曲家」として騒がれていた佐村河内守への不信感を述べています。

 

野口氏は佐村河内守が作曲したとされていた作品を聴いて、必ずしも良い作品でないと感じたことを、各種の情報を踏まえて書いています。当然、過去の天才作曲家達のレベルにはないということを書いているわけです。結局彼は正しかったわけで、佐村河内守に散々振り回されたNHKのようなマスコミなどを見ると、いかに本物を見る目が大事かということを物語っています。

 

そしてこうした「本物を見る目」というのは、やはり各自が自分の実体験に照らし合わせた経験や感覚から導き出されてこないと、生まれてこないのだと思います。「得をしたい」とか「人気が欲しい」とか、そういった自分の埒外にある感覚に導かれると間違いを犯すようになると思います。

 

音楽関係の話題では、ピエール滝のコカイン使用事件の後、麻薬を使って作曲した作品を市場に出していいのかどうか、という話題がありました。

 

電気グルーヴなんて個人的には全く興味がなく、ネットでちょっと聴いたことがあるぐらいです。作曲家の三枝成彰氏がベルリオーズのアヘン使用のことを例に出して、作品には罪がないということで擁護していましたけど。作曲家の方は擁護している人が多かったような気がします。

 

ただまあ、彼らのようなアンダーグランドな世界はどうしても麻薬などの温床地帯になっているという印象はぬぐえませんけどね。偏見だといわれるかもしれませんが。

 

自分も好きでテクノなどを聴いていたこともあります。しかし曲にもよるんでしょうが、気分は高揚するんですが、反面「自分を肯定できないこと」が許せなくなるという感覚が強くなります。逆にいえば、「自分を肯定すること」しか受け入れなくなるというのか・・・。

 

個人的な体験では、テクノを聴いた後は、昔嫌な思いをしたこととかを思い出したりするようになるんです。そしてそれに腹が立ったりとかするようになります。そういう風に作られている、ということなんでしょう。

 

しかしその反面には、音楽による麻酔的な自己肯定の強力な快感があります。日々学校や職場で自己批判にさらされる人にとって見ると、これほどの快感はないわけです。こうした音楽には、自分を認めることは徹底的に受け入れますが、肯定してくれないならどんどん攻撃する、という一種のチンピラ主義みたいのがあるような気がします。一応文化的見地なんていう権威付けをするのなら、「現代社会批判」みたいな感じなのかな。幼稚ではありますけどね。

 

まあ、全てのテクノミュージックなどが、そうだという話ではなく、自分が聴いていたものはそのような感じだった、ということでしかありませんが・・・。

 

電気グルーヴの音楽がそうなのかどうか確かめるまで聴いてませんが、どのみち、地下の箱に入って何時間もテクノのような音楽を聴けば、ある種の催眠効果に浸ってしまうのは間違いないところでしょう。そうなれば自己の意識で何かをする、という感じは弱くなると思いますけど。外部の刺激に弱くなるんですね。

 

ワーグナーの音楽にも似たような効果がありますね。ただ音楽の目的自体は違いますけど。

 

デヴィ夫人がジュリアナ東京のイベントで呼ばれて、トイレに入ると麻薬の匂いが随分したという話をしていたと思います。酒井法子もDJをして随分暴れている映像が流出していましたけども。

 

個人的には、ピエール滝がコカインをやっていた、とかいわれてもそんなに驚かなかったですが、実際はどうなんでしょうかね?ベルリオーズの「幻想交響曲」を聴いてアヘンをやりたいなんて人はいませんが、音楽が作る世界が麻薬の温床になっているというのなら問題ですよね。

 

スイマセンね、この件は半分ぐらい推測で書いてみたんですが、間違っているかもしれません。ただ随分怪しい印象はしているので、一言書いてみたくなりました(゚Д゚)ノ。

 

犯罪とか事故とか、最近結構多いと思います。個人的には当然関わりたくないことばかりです。そのためには物事の原因を知らねばならず、それを怠ると、事件や事故に巻き込まれてしまうのかも、と考えている今日この頃です。

 

年頭はパラオに行きたいと思っていましたが、値段の安さに負けて、グアムに変更。パラオではありませんが、グアムのイパオ・ビーチに行ってきました。

 

グアムはパラオの半額の値段でした。サイパンより安いです。サイパンは最近人気がないみたいで、直行便もほとんどなく、かえって割高のようです。

 

一応、グアムは2回目なんですが、1度目はもう10年以上前・・・かな?あんまり記憶にありません。

 

 

グアムはタモン湾に弓上の2キロほどのビーチが広がっていて、大型のリゾートホテルが並んでいます。

 

イパオ・ビーチはその南の方にあって、サンゴが生えているビーチです。

 

 

人が非常に少なく、まばら。

 

透明度も高く、美しいビーチでした。

 

タモン湾最南端にあるヒルトン・ホテルがイパオ・ビーチのアクセスが良いというのでそこにブッキング。今回は比較的時間に余裕あるブッキングでした。

 

ヒルトンはかなり年季が入っているホテルでした。デザインは古いですね。ホテル内は当然綺麗です。

 

 

プールが複数あります。インフィニティとかもありましたが、おまけみたいなものかな。

 

 

プールには入らないので、あまり興味もなく・・・(;^ω^)。

 

 

チャペルがあって、結婚式もできるようです。

 

 

チャペルの奥の雲に短い虹がかかっていました。結婚式をしてる人もいました。

 

 

 

狭いけどプライベート・ビーチもあります。パブリックの方のイパオ・ビーチは盗難なども多いらしく、ヒルトンのプライベート・ビーチに荷物を置いて、イパオに行ってました(*^^*)。

 

気の向くままに泳ぎました。

 

 

泳ぐといっても物凄く遠浅で、膝とか腰ぐらいまでの水深しかないところがほとんどです。子供連れには安心かも。

 

3日かけて、朝、昼、夕という感じでシュノーケリング。

 

 

サンゴはこの調子でたくさん生えていました。しかし浅いので、気を付けないと、すぐに体をサンゴで切ります。

 

 

浅いので魚はみんな小さかったです。

 

 

モルディブでは岩場で足を切り、そのまま泳いでいたら、気配がして後ろを振り向くと、体長2メートル近いサメが迫ってきていたことがありました。チョーびっくりしたら、相手もびっくりして逃げていきましたけど(;^ω^)。

 

今回は可愛いお魚ばかりでした。

 

 

ほとんどホテルから出ることもなく、好きにしていました。街ブラを少ししたけども。買って帰りたいものがあるわけでもなく、天気も半分晴れ、半分曇りみたいな感じでした。

 

まあでもちょうど良いかな。オプションなんか入れても慌ただしいだけですし。だらだらするのが一番好きです(*^^*)。

 

観光客は韓国人が多かったです。彼らのほとんどがサングラスして、韓流スターみたいなカッコですね。日本人も多いけど、同じぐらいはいたね。

 

売店もさ、昔はKマートぐらいしかなかったと思うけど、今はABCストアとかあるんですね。日本のペット・ボトルのお茶とかカップ・ヌードルとか売っていました。随分変わったなと思いました。

 

 

食事はせっかくグアムに来たので、肉食も解禁。

 

 

ロブスターとステーキはマスト。特にロブスターは美味しかった。2日連続で食べてしまった(*^^*)。

 

めっちゃ爽やかな5日間で、グアム良かったです。

 

1977年の普門館におけるカラヤンのベートーヴェン・チクルスから、第9番と4番、7番。

 

5000人を収容できるという普門館(2018年に取り壊し)でのベルリン・フィルと、ヘルベルト・フォン・カラヤンによるライヴ録音です。!(^^)!

 

2年後の再来日の際、カラヤンはこのホールの音の鳴りの悪さを憂慮して、音の反射板を作らせたのこと(この録音を聴く限り、さもありなん、という感じです)。これはまだ1977年のライヴなので、音の鳴りは悪いようです。

 

カラヤンの良い音質のレコードが欲しくて、これを買いましたが、どうでしょう?これは東京FMのレコードですが、ボベスコのものが非常に良い音質でしたので期待したんですが、上述のようなことらしく、期待とはまた違う印象です。

 

ただ、音は良く入っています。しかし、残響がほとんどなくて、響きに豊かさが全くないです。音が悪いともいい切れないので、何と表現して良いか分かりません。

 

カラヤンの正規録音は丁度良い残響が金粉をまぶしたように響くので、そこが魅力の1つかと考えていました。

 

この録音は特に高音の弦の音がはっきりせず、そこが微妙です。

 

 

1962年(1977年の正規盤は持ってないです(;^ω^))の正規の第9の録音は綿密に計算された演奏で、フルトヴェングラー流の神学的解釈は皆無、どこのパートも決まるところにきっちりと決まって、無駄がありません。音量も決してはみだしがありません。曲に耽溺しない分、演奏家の技量や、そのスタンスに目(耳)が行きます。音は残響が黄金色に輝く、いわゆるカラヤン・サウンドで、演奏家の威厳というものがあるように思います。

 

それに比べると普門館の1977年の第9は一見ノリが悪いように思えます。しかし、第1楽章の再現部に来ると、曲の造形を壊してまでも、ティンパニを連打、オーケストラは大轟音を発し、正規録音とは違う解釈を見せます。

 

これはおそらく解釈ではなく、むしろ、現実的な措置なのかなと思います。

 

当時、この普門館の後方で聴いていた人は良く音が聴こえなかったそうです。なので、カラヤンはそれを知っていて、音が大きくできるところはできる限り大きくしようとしたのではないかと(あくまで個人的推測ですが・・・)思えます。

 

晩年のブルックナー8番、第1楽章のクライマックスとか、パルシファルの場面転換の音楽などでカラヤンが見せる轟音と同じタイプの音です。こういうのを聴いていると、カラヤンの舞台人としての矜持みたいのを感じますね(*^^*)。

 

スケルツォは並みの出来ばえ、アダージョが弦の音が正規盤に比べて弱く、どうしても落ちる気がします

 

 

しかし、フィナーレはライヴのカラヤンで、音の造形が第1楽章同様大きく、聴きごたえがあります。こういうのも鳴りの悪い会場に集まったお客さんのため、というのかなあ、オーケストラを良く鳴らすんですね。

 

そういう雰囲気があるためか、カラヤン、後半につれてお客の期待を一身に受けているような気がして感動的でしたね。観客の万雷の拍手も分かる気がしました。

 

4番、7番はそれに比べると常識的でした。この時の普門館ライヴは5番が名演だったそうです。

 

 

ワルター・ギーゼキング(1895-1956)とカラヤンによるベートーヴェンの「皇帝」(1951)。33CX1010。

 

今ではほとんど伝説的なピアニストとなった、ワルター・ギーゼキングは、ドイツ人の両親を持ちながら、フランスのコートダジュールで育ったそうです。そのせいかもしれませんが、ギーゼキングのピアノの音色は色彩的で、カラッとしていますドイツ人ながら、ドイツ的なピアニズムとは違った、美しい演奏をします。

 

しかしそれをういうのなら、カラヤンも似たようなものでドイツ伝統の哲学的解釈から離れ、しんねりむっつりした感じがないのが魅力かと思います。ベートーヴェンの「皇帝」も4番のような憂鬱さがなく、きらびやかな曲なので、この2人の演奏は南欧風の陽光に照らされたように、明るく朗らかです。

 

このコンビは1945年に実験的にステレオ録音(!!)が残っているそうです。驚きですね(゚Д゚)ノ、聴いてみたいです。

 

33CXシリーズとしては少し音が落ちるかな。ギーゼキングの色彩的なピアノの音が記憶に残りました。

 

 

コンスタンティン・シルヴェストリ(1913-1969)による「シェヘラザード」(1966)。TWO167。

 

シルヴェストリを初めて聴きます。シルヴェストリはルーマニア生まれの指揮者ですが、50台で物故しているので、もう一つ有名でない気がします。

 

 

ここに聴くシェヘラザードは弾力があり、各部分の表情が良く描き分けられた表現で、東欧系のオケを鳴らす手腕と相まって、かなり迫力ある演奏でした。第4楽章結部、船の難破シーンの追い込みの迫力は大変なもので、爆演の様相を示します。しかしこれぐらいやってくれると、この曲も面白いんじゃないかな。

 

スタジオ2ステレオと銘打ったこのアナログ盤の音質は優秀で、音の味が濃く、深みがあります。フェイズ4ステレオなどと同様、カラフルな管弦楽にはもってこいの音質でしょう。

 

アラビアン・ナイトのエキゾティックな雰囲気を盛り込んだ、リムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」は交響詩風の描写性と、4楽章形式の交響曲風の形式感を融合させたもので、聴きごたえがありますね。たっぷりと、くどいほどに異国情緒を味わえる曲だと思います。

 

特に冒頭に現れる迫力ある「王の主題」と、繰り返し切々と流れる、懐かしい「シェヘラザードの主題」はこの曲を形作る主要なメロディーです('ω')ノ。

 

王妃シェヘラザードは残酷な夫である王のために「千一夜物語」を聴かせて、その王の心を慰めたという話をもとにした音楽です。4つの物語「海とシンドバットの船」、「カレンダー王子の物語」、「若い王子と王女」、「バグダッドの踊り」という4つの物語が、4楽章形式として、王の主題とシェヘラザードの主題によって統合されていますね。

 

 

シルヴェストリは冒頭から王の主題を結構な迫力で押し出してきます。しかしすぐに大人しくなって、しんみりとした美しい音色も引き出してきます。迫力と詩情が効果的に描かれていて良かったです。

 

また優秀録音によって、昔の映画音楽のように響く味の濃い音色がより一層、この音楽の絵巻物に魅力を与えていますね。原色で色彩的、シェヘラザードの主題がヴァイオリン・ソロで歌われるのは特に美しくて、印象に残ります。

 

 

アナトール・フィストラーリ(1907-1995)による「眠れる森の美女」全曲(1952)。LXT2762、2763。

 

フィストラーリも初めてなんですね(゚Д゚)ノ。

 

というか、1980年代にCDが現れる前、指揮者でいえば、カラヤン、バーンスタイン、ショルティなどより前の時代、LP全盛期にはまた別のスターたちがいたんですね。ビーチャム卿、ベイヌム、ケンペン、クーセヴィツキー、ラインスドルフ、ライナーなどです。今の自分の興味はそこにあって、フィストラーリもそんな1人です。

 

 

ウクライナ生まれのフィストラーリはバレエ音楽を得意としたといわれていて、チャイコフスキーの「白鳥の湖」が良いらしいです(当然まだ聴いてないです)ドラティ盤(CD)で「白鳥の湖」全曲は持ってますが、あんまり良くないですね。迫力がありすぎるかな。LPで聴いたらまた違うかもしれませんけど。

 

これはデッカによるモノラル録音のLPです。初期デッカのモノラル、LXTシリーズはどれも音が良いです。コロンビアの33CXシリーズ同様で、個人的にはかなり好きです(*^^*)。

 

演奏は素晴らしかったです趣味の良い芸風とエレガンスさが絶妙にマッチしていて、品がありますドラティみたいに爆音で押すことはしませんね4面を使う長い音楽ですが、飽きません。

 

バレエは観ないので、実際どの場面かは良く分かりませんラヴェルの「ラ・メール・ロア」とかチャイコフスキーでも「くるみ割り人形」なんかは音楽を聴いても分かりやすいですけど。

 

でも何というのか聴くといってもLPだと1面づつ聴くので、長くても30分ぐらいですか詩情あふれるチィコフスキーの名旋律が名演奏で、4面聴けると思うとかなりの満足感があります。

 

暫く愛聴すると思います(*^^*)。

 

 

カルトなことを書きますね。

 

しかし先の時代の予言などというものは中々成り立たないもので、そこを書くのは本当は気が進みません。かつて日本では1999年に世界が滅びる、という話があり、騒ぎになりました。世界規模では2012年でしたが、何もなかったということなど、こういう予言らしきものは難しいですね。

 

 

 

世界各国に中央銀行というものがあります。

 

これらの銀行は必ずしも国営ではなく、民間からの出資があります。日本銀行も40%以上が民間からの出資です。ところがこの出資者が良く分からなくて誰だろうということが話題になっています。公開してないのでこれは分かりません。

 

しかし一般に、昔から中央銀行の支配者はロスチャイルドだといわれていて、中央銀行を使って各国を借金漬けにして魔の手を伸ばしているといわれてきました。

 

予算のたびに発行される、国の借金である、日本国債もかなり日本銀行が買い取っていたと思います。

 

ところが世界には中央銀行がない国が存在しています。かつてはキューバ、北朝鮮、アフガニスタン、イラク、イラン、シリア、スーダン、リビア、パキスタンの9ヶ国でしたが、イラク、アフガニスタンでは21世紀にはいってから設立されたそうです。リビアがどうなったかはちょっと分からないです。

 

しかしこうやってみると、アメリカや国連軍に破壊されたところが多く、一見すると中央銀行を設立しない国はひどい末路を迎えるように思えますね。シリアでは今でも国の破壊が進行中です。

 

一時期ヒラリー・クリントンのメールの内容が問題になった時期がありました。その一つにカダフィを殺害を指示するメールがあったなどといわれています。

 

 

幾分好意的に見るのなら現在のトランプ政権がしていようとしていることは、こうしたロスチャイルドなどの権威や権力を、削ぎ落していきたいのだということらしいです。リビア破壊やカダフィ殺害に関わったヒラリー・クリントンや、その他、自己の利権を獲得しようとしていた政治家やセレブの逮捕と同時に、FRB(アメリカ中央銀行)の権利を自国のものに取り戻すという行為です。先日もトランプの息のかかったものをFRBに送り込もうとして失敗したようですが・・・。

 

ロスチャイルドなどによる各国支配(中央銀行などによる)がグローバリズムというのなら、その逆をやりたいというような話です。

 

はたして、日本の場合ですが、財務省などは中央銀行の息がかかっており、今回の消費税増税なども気を付けた方が良いといわれています。日本では借金が沢山あるから増税しなければいけない、といいますが、どの道日本の借金は経済成長しない限り返せないので、増税ばかりの緊縮財政では庶民はむしりとられるばかりです。

 

個人的に安倍首相がトランプ大統領と仲が良いのは、かつての小泉、ブッシュ、のような関係性を持ちたいのかとも思っていましたが、ロシアの中央銀行の力を削ぐことに成功したといわれているプーチン、そのプーチンといくらか足並みをそろえているトランプ側に、安倍さんがすり寄ろうとしているのではないかと思えるようになりました

 

この前、安倍さんの側近から消費税の先のばしの意見が出ましたが割と安倍さんの本音なのかもと。麻生さんとか、菅さんは財務省よりなのでしょうか

 

どのみち、安倍さんでは胆力がなさそうですが

 

こうしたトランプ政権が目標としていることが、株式市場の廃止と新たな制度の導入といわれており、その制度をNESARAとかGESARAといっています。これはRVといわれる実体のはっきりしない、電子式のマネー(多分。説明を読みましたが、良く分かりませんでした)で、現在の貨幣はその価値を失う、というものです。しかし、これも導入すると散々いってきてますが、その実現の可能性は現在薄いようです(NESARAはアメリカ国内のみについて、GESARAは世界規模にしたシステムをいいます)。

 

要はロスチャイルドなどの権力の元になる、現在の株式市場の廃止をしたいということです。

 

色々書いてきましたが、この時点でかなり突っ込みたいことが沢山あります。結局電子マネーかい!('ω')ノとか・・・あるいは、そんなもんで本当に今まで力のあった人がいなくなるんか!とか・・・ユダヤの陰謀に挑んだ人はかつてもいたな、とか・・・ね。

 

悪い人達を断罪するという部分は応援しても良いかなと思っています。

 

まあ、他はとりあえず伏せます。先に進みたいので

 

先のトランプ改革に熱心な人達は「地球外」の存在についても熱心な場合が多く、その点でも異彩を放っています。


直接トランプ支持者とは関係ありませんが、次のような話もあります。

 

今回この記事を書こうと思ったのは、実家から帰ってきたらポストに次のような小さなパンフレットが入っていたからでした。

 

 

世界人類の教師を名乗る存在がいるといいます。それを支持する団体もあり、シェア・インターナショナルというそうです。スポークスマンであったベンジャミン・クレームも高齢で亡くなりましたが、未だに活動は続けているようです彼らが待ち望むという「マイトレーヤ」なる人物は既に存在しているといい、いずれ世界中の人々に姿を現すといっています。

 

小さなパンフレットには・・・

 

<過去にはブッダ、キリストなどの優れた霊的指導者が、その時代に相応しい教えを説き、人類を次なる精神的段階に導きました。現代の危機的状況においても、再び偉大な教師たちが現れ、人類を鼓舞し始めています。また、地球環境の再生は太陽系全体の課題でもあるため、地球外からも多くの働きかけがなされ始めています。>

 

とあり、地球外との関係も匂わせています

 

パンフレットのシェア・インターナショナルによるとマイトレーヤは次のような人物だそうです。

 

世界の宗教はそれぞれに新しい啓示をもたらす方を予言し、待望してきました。キリスト教徒はキリストの再臨を、仏教徒はマイトレーヤ仏(弥勒菩薩)の降臨を、ユダヤ教徒はメシアを、イスラム教徒はイマム・マーディを、ヒンズー教徒はクリシュナの再来を待ち望み、そして秘教徒は新しい時代の世界教師の到来を待っています。

 

 名前は異なるが、事実、すべての宗教が待望する方は同じ方であり、その個人名をマイトレーヤといいます。

 

 歴史を通じて、人類の進化は、完成の極みに到達なされた覚者方の一団によって背後から導かれてきました。永い間、覚者方は辺鄙 な砂漠や高山脈に住まわれて、世界にいる彼らの弟子たちを通して働きかけてこられました。この覚者方の構成する霊ハイアラキーの中心に世界教師、主マイトレーヤがおられます。今、新しい宝瓶宮(アクエリアス)の時代の始めに当たって、マイトレーヤは大勢の覚者方を引き連れて、全人類を導く大教師として、案内人として、日常の世界に戻って来られたのです。マイトレーヤの主な関心事は今日の世界にある経済的、政治的、社会的不均衡です。まず優先なさるのは、豊かな世界で餓死する何百万の人間を救うための行動、そして地球環境の浄化と惑星の再生への行動を呼びかけることでしょう。そして人類が分かち合いと正義と同胞愛に基づいた新しい文明を創造し、人間本来の神性を顕すようになるための道を示されるでしょう。>

 

ところがこの人物は欧米の一部で「ヨハネの黙示録」が予言した「アンチ・キリスト」そのものではないかと囁かれてきてもおり、その一見建設的な教義とは裏腹の存在ではないかと見なされてもいます。

 

さあ、どうなんでしょうねえ・・・((゚Д゚)ノ。

 

・・・しかし、彼はいつ現れるのか?

 

<「もうすぐ、世界が待望するお方は出現して、御自身をすべての者の視野の中に現されるだろう……マイトレーヤは、貪欲のギャンブルのカジノである株式市場の崩壊を合図として使うだろう。その時、彼は公に世界の舞台に入ってこられ、そして正義と自由、分かち合いと良識を訴えるだろう」

(『覚者は語る』混乱の終りより)

 

 十分に大勢の人々がマイトレーヤのメッセージに反応するとき、人々は世界のメディア・ネットワークに対して、大多数の人々に彼の考えをもっと十分に伝えることができるように彼を呼んで話をさせることを要求するでしょう。その時、世界のテレビネットワークが衛星で連結されるでしょう。これは私たちの人生で最も途方もない出来事であり、その規模において比べるもののない、歴史上で最大の比類ない出来事となるでしょう。

 

 「大宣言の日」は、メディアによってあらかじめ告知されるでしょう。人はその時間にテレビのチャンネルを合わせ、マイトレーヤの顔をテレビの画面に見るでしょう。テレビ中継はこの出来事のために存在するのであり、それによって史上初めて、世界教師が、教会や聖職者の仲介を必要とせず、すべての人間に語りかけることができるのです。

 

 マイトレーヤは全知・遍在です。彼はすべての人間と思念伝達(テレパシー)の交信を確立し、それぞれの人が、自国語で、心のうちに彼の言葉を聞くでしょう。これは2,000年前にパレスチナで本当に起こった出来事の再現であり、ただ今回はそれが世界的規模で起こるのです。

 

 彼は世界の歴史について短く説明し、私たちがやって来た途方もないレベルから、私たちが落下した堕落への経緯を紹介するでしょう。私たちに変化を促し、未来への展望で私たちを鼓舞するでしょう。これまで誰も世界に提示したことのない未来、この地球がこれまで見た中で最も素晴らしく、美しく、途方もない輝きに満ちた文明について語るでしょう。

 

 ……彼の思いが伝えられている間に、マイトレーヤのエネルギー、愛のエネルギー(キリスト原理)が途轍もない強さで流れ出るでしょう。「それはあたかもわたしが全世界を抱きしめるかのようであろう。人々は肉体的にすらそれを感じるであろう」と、彼は言われます。

 

 これは、マイトレーヤのメッセージに対する直観的な反応を呼び起こすでしょう。外的な物質界では、何千人もの自然な奇跡的治癒が地球全体で起こるでしょう。これらの方法で、この人物がキリストであり、イマム・マーディであり、クリシュナであり、メシアであり、マイトレーヤ(弥勒菩薩)であることが知られるでしょう。あるいはどのような名前も付けず、世界教師であると知るでしょう。>

 

という様なことらしい(-_-;)。あんまり特定の団体をディスってもあかんので止めますが。


しかし、株式市場崩壊に合わせて姿を現す?う~ん、タイミング良すぎんか?何かどっかで通じてないのか?

 

 

NESERAやらGESERAとかいわなくてもねドイツ銀行などの問題もあって株式市場はやや危ないところにいるともいえますが・・・。

 

もしかしたらもうすぐ現れるかもしれませんな・・・(-_-;)。ヒラリーみたいな悪者がいるのは、彼みたいな人には好都合やね。

 

興味のある方は新約聖書の「ヨハネの黙示録」なども読んでみてください。

 

地球外の存在について自分も過去に少し書きましたが、自分が読んだりしている物とはまた違うことを彼らはいってますね。個人的に、シェア・インターナショナルみたいのは信じていません。

 

しかしこうやってみてみると、地球外の存在以外の話は、人類の歴史上過去にあったことのオンパレードみたいな話です。ユダヤ系の陰謀はヒトラーのことがありましたし、NESERAについても貨幣を電子式にするだけで共産主義と何が違うの、みたいな。でまたそれがナショナリズムによって成し遂げられる、みたいな。

 

共産主義なんてのも何でも信じやすい、希望に燃える若者なんかが引っ掛かったりしたもので、最近のその手の信奉者も似た匂いがします。

 

馬鹿にする気もないんですけど・・・まあ、やりたければ、やってくれ。

 

さて、色々書いてきて何ですが、株式崩壊も、ヒラリー逮捕も、マイトレーヤ出現もそれこそ嘘かもしれません。何も起きないかもしれません。

 

しかし本当に上述のことが起こって、大勢の人がそこについていくっていうのなら、人類は相当のアホやな・・・と思いますが・・・。

 

まさにたわごと・・・。

 

本当に起きたなら、世の終末的な様相は出てくるかな、と思いまして暇つぶしに書いてみました。日本の神道系などの予言の内容についても、本来なら書くべきでしょうが、また時間があるときにします('ω')ノ。