お笑いタレントのカラテカの入江氏が、複数の吉本芸人を連れて、振り込め詐欺グループの忘年会に営業を行っていたとかで、吉本興業を解雇になったそうです。ここに参加した有名芸能人も今かなり問題になっているようですね。
恥ずかしい話なんですが、自分は年末のダウンタウンの「笑ってはいけない」シリーズが好きで毎年見ています(*^^*)。お笑いが必ずしも嫌いとかでもないんですが、反面、最近の地上波は朝から晩までお笑い芸人が沢山出てきて、ちょっとどうかな、とも思っています。
特に最近はむごたらしいニュースが多い中、バラエティー番組の・・・「くだらなさ」とのギャップがひどくて、そこに抵抗も感じ始めています。他方、ニュース番組や、情報番組もいつも通りの生緩い感じで、ちょっとしんどいです。
地上波自体あまり観なくなりましたが、日本のテレビ番組はいつからこんなに退屈になったのかと思います。これは全くの個人的な見解ですが、テレビの内容が、常に一枚のヴェールがかかったような印象で、シリアスな問題は絶対に確信に触れないようにしているかのようにみえるし、それを助長しているのが昨今のお笑い芸人たちという感じです。別にお笑い芸人に問題があるかどうかということではなく、あまりに彼らを使い過ぎ、バラエティー番組ばかり作りすぎる、多分テレビ局の方向性というか、その方針や考えが嫌なのかもと考えています。
お笑いとかユーモアは必要だと思うんですが、それは片方にどうしても解決しなければならないのっぴ切らない問題があるから、その緊張の緩衝地帯が必要だ、ともいえるわけで、今の報道番組のようにほとんど「ショー」みたいな構成だと、だらっとして、観ている方も馬鹿にされてる気にもなりますね。
「だったら観なければいいじゃないか」というのが昔のタレントのいい分でしたが、結局、実際にだんだんそうなってきてますね。ネットなどに流れている人は多そうです。
問題の解決は問題そのものを取り扱ってから、ということなんだと思います。先日、佐村河内守の時に話題になった野口剛夫さんのことを書きましたが、彼のいいたいことの1つはそこにあったように思います(野口剛夫氏のことに対しても他者から当然批判があります)。
ピアニストのフジコ・ヘミングや辻井伸行氏のことのマスコミの報道も、彼らがいかに苦労したか、という報道はしますが、一番大事なその「演奏内容」の報道はしないんですね。当然、いくらか専門的な話だし、一般大衆には受けが悪いだけですけど、頑張ってその「演奏内容」について一般にわかり易く報道できるのなら、クラシックファンも増えそうですし、演奏家の苦労話よりは音楽が好きな人にとっては、より本質に近づけるわけです。
初めて彼らの音楽を聴く人にとっては、苦労話は面白いし、必要じゃないという気はありませんが、彼らの演奏が過去の演奏家と比べてどこか違うのか、などといわれるだけでも興味のすそ野の広がり方は違います。
確かに芸術だけでなく政治なども今日、本当の専門家みたいな人がいなくなって、俗物化しているような気がします。芸術なら「芸」の話、政治なら「政策」の話なんかをもっとテレビやメディアでやっていいんじゃないかと思いますけどね。色々問題があるにしても、やればまた国民の見方も変わってくると思うんですけど。
有耶無耶な話が多い気がして仕方ないです。
今回の芸人の件でいえば、芸能人などのモラルや、道徳性の問題、とかになるんでしょうか。もっといえば社会正義とかの話になるかもしれません。真面目で退屈な話です。
物事の本質の議論が、なさすぎるのではないかと思います。
そういう話は確かに固く、人気がないかもしれませんが、「そういうことがなさすぎる」、ということが現代における問題の1つだと思います。
かつて陸軍専属の技術者として、同行した、小松真一氏は太平洋戦争における日本軍の不合理性を日記に記していました。その中で氏は次のように書いています(日本はなぜ敗れるのか、山本七平著)。
<人間の社会では、平時は金と名誉と女の三つを中心に全てが動いている。それらを得る為に人を押しのけて我先にとかぶり付いて行く。ただ、教養や色々の条件で体裁よくやるだけだ。>
男性目線ですが、正に人間の本性をいい当てている言葉で、多分に今のマスコミや政治などもこの調子なのでしょう。退屈なのかもしれませんが、「芸」そのものの話なり、「政策」や「モラル」そのものの話なりをやっていかないと、またそれ以外の話に流されて行って、問題が有耶無耶にされそうな気がします。
振込詐欺の忘年会に参加していた芸人もギャラはもらっていないし、相手が誰か知らなかったといってますが、どうなんでしょう?こういうことも会社自体も含めて、公にもっとはっきりしていかないと、だめなんじゃないでしょうか。
野口剛夫氏の尊敬する指揮者フルトヴェングラーは次のようにいっています。
<知性は、真に偉大さのために畏敬を、愛情を、熱狂的に奉げられる愛情を無条件に再び習得せねばならない。ヴァーグナーの『パルジファル』に見られるように、傷を癒すものは、その傷を与えた槍だけである。今日われわれが世間一般に認めざるをえない一面的な思考、その恐るべき影響に打ち勝つものは、思考それ自体、より高次の、より包括的な思考のみである。真正なる芸術は、素朴さ、それも対照的な素朴さの雰囲気の中でのみ生長することができる。これが知恵の素朴さ、ひとえに私たちの文化の年齢にふさわしい第二の素朴さであることこそ、今日責任を担う全ての人々にとっての願いであろう。>
至言というべきなんだと思いますね。
