ヒマジンノ国 -11ページ目

 ヒマジンノ国

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今年もあとひと月となりました。総括じゃないですが、もうコロナワクチンの結果も出たと思います。

 

 

やはり、ワクチンを打つほど感染者が増える、ということだったと思います。しかも日本は、2023年世界1ワクチンを打ち、感染者も世界1になりました。

 

感染者が増えたから、ワクチンを打った、ということではなく、ワクチンを打ったから、感染者が増えた、ということです。

 

 

しかも1年間での死者数が、ウクライナよりも多い、ていうんだから馬鹿らしい。この表だと世界1死者が多い、ということになります。やっぱり異常でしょう。

 

 

正直結果は出た、と思いますけどね。打てば打つほど感染者は増え、死者も増える。これだけですよ。

 

今インフルエンザワクチンもmRNAワクチンにするっていってますが、自分は断言します。絶対打たない方が良いです。

 

そりゃ政府はワクチン被害なんか簡単には認めませんよ。なんせ、自分たちで推奨したんだから。下手したら刑事事件で、牢屋行きです。ただ国民側は「おかしい」といい出している人たちが、非常に増えてきてますね。

 

身内が死んだ、病気になった、とかね。他にも色々です。しかもテレビなんかはワクチン後遺症を、コロナ後遺症といい換えています。わざとやっているんだね。

 

アメブロもいまだにコロナ関係、ウクライナ関係に関して、注意書きが出ますけど、大丈夫なんですか?自分らで全く判断しよらん。

 

恥ずかしくないんですかね。周りがそういっているから、そうだ、とか。政府がそういっているから、そうだ、とか。

 

いつまでやるんですか、こんなこと。他人が死んでも問題ないってか。

 

 

ファイザーは世界中で訴訟が始まっていますね。当たり前ですよね。

 

 

そのうち、ウクライナのことも出てくるんじゃないの?これもちょっと考えれば分かりそうなもんだよ。

 

ジャニーズの問題がばれたように、いずれ嘘はばれますよ。

 

嘘つきは泥棒の始まりじゃ。

 

2連チャンで邦画を映画館で鑑賞してきました。今回は北野武監督の新作、「首」です。公開前は、「ゴジラー1・0」より、こちらを観たいと思っていました。

 

しかし「ゴジラー1・0」の方が面白かったですかね。こちらはまあまあ、という感じです。

 

感想を書きますが、以下ネタバレあります。

 

北野作品は好きですが、映画館でどうしても観たいような作りでもないか、と長らく思っていたのですが、今回はスケールの大きい作品らしいので、映画館で鑑賞してきました。なんでも15億かかったとか。

 

本能寺の変を独自解釈して、話が作ってあります。北野作品らしいバイオレンス要素と、生々しい人間描写で見せます。戦国武将たちの男色の様子も描いて、時代劇としては新機軸なんでしょう。しかし今回は思ったよりもコメディー要素が多く、好みは分かれそうです。自分はコメディー要素はいらないかな、というふうに思った方です。

 

普段英雄のように描かれる戦国武将ですが、ここでは人間の本性に根差した、厭らしさを熱烈に表現しています。とにかく役者陣の演技が素晴らしく、そこはまさに見どころだと思いました。

 

「ゴジラー1.0」の役者たちはなんだか役を演じている、という感じに見えましたが、この「首」では、役者の地の部分と、彼らの演じる武将たちとの境目が見えないことが多く、良かったです。

 

明智光秀の西島秀俊なんかはもちろん上手いですが、荒木村重の遠藤憲一など本人の地のままという感じがして面白いです。その中でもやはり光っていたのが、織田信長役の加瀬亮です。

 

岐阜弁丸出しで、始終狂っている織田信長は強烈でした。彼が主人公でも良いかも、と思ったりしました。

 

 

実在の信長がここまでひどかったかは分かりませんが、彼の性格の一面は出ていますよね。

 

あとは中村獅童演じる、難波茂助という百姓ですかね。ラストで、明智光秀が逃走して、1人森の中、手負いのまま、木の根元に座しています。そこへ、自分の出世を求めて、友人の百姓を殺し、また他の仲間を捨ててまで、追いすがる難波茂吉。

 

明智の首を持ちかえれるチャンスです。

 

見ず知らずの茂吉の姿を見た明智は、覚悟を決めて「首をくれてやる」といいながら自分の刀で、自ら首を切っていきます。その明智の、武士の覚悟みたいなのを見て、一瞬たじろぐ茂吉。しかし出世欲に負けた彼は、叫び声をあげながら、明智の首を切り落とすために、襲い掛かっていきます。

 

このシーンが今回映画の中で1番良かったです。ここで、中村獅童はどこの百姓かもしれないような人物を、リアルに演じています。ただこの後、彼は直ぐに殺されてしまうんですね。正直、彼は殺す必要がなかったんじゃないかな?と思いました。その方がこの映画の狂気が、ちゃんと残ったのではないか?と思います。

 

茂吉は、北野監督の描く、戦国時代の人間性の原型みたいなキャラクターで、戦国武将たちも根は同じと思わせる役柄でした。

 

 

しかし、肝心の物語全体としては、ちょっとダルさがあるかもしれないですね。

 

やはりコメディー部分が邪魔かな、と思いますね。そのせいで間延びしていると思いましたけどね。

 

北野作品ということで、役者たちが見せる演技の本気度具合と、戦国武将たちがまるで近所にでもいるような、そこら辺のアンちゃんぽい感じが面白かったです。

 

自分の近場にも、こんな奴おるわ、と思わせます。

 

ゴジラ-1・0を観てきました。しかし、邦画の実写を観るのは何年ぶりでしょうか?

 

基本洋画が好みで、良く劇場には足を運びます。しかし、邦画は中々劇場で観る価値を見出しにくく、ほとんど観に行っていません。

 

過去、国産のアニメ映画は観に行くこともありました。多分アニメ映画「君の名は」が最後に劇場で観た邦画だった気がします。多分実写だと1984年の「ゴジラ」が最後だったと思いますね。もう40年前?びっくりです。

 

しかし、ゴジラ-1・0は、非常に面白い映画でした。不思議と観る前から、不安要素も全くなく、期待通りでした。面白いというよりも、感動させられるものがありました。

 

古典的な怖いゴジラに戻っていますが、色々技術が進化した結果、日本映画では革新的といえるほどリアルな描写の映画で、ここまでのものが描けるのは、ハリウッドの次ぐらいに数えられるのでは?と思えるほどの、緻密な作品です。

 

やはりCG技術の長日の進歩があったから、これまでの表現ができたのだと思います。エンドロールで、ゲーム会社の「スクエアエニックス」のクレジットがありましたが、日本のゲーム会社のレベルも高いので、やはりこういう民間の技術の素晴らしさなども、映画に結びついていたのではないでしょうか。多分予算でいえばハリウッドの10分の1以下だと思いますが、ビルが破壊される時の描写の細かさや、海の波の動きの自然さ、戦艦の表現などの違和感が、全くありませんでした。

 

そこに加えて、山崎貴監督の描く、日本の、太平洋戦争後の時代の描写のリアルさ、そして懐かしさが混じりあって、我々日本人が、忘れてしまった時代の記憶を呼び覚まします。

 

我々がそこに観るのは、過去の戦争の幻影をまだ乗り越えていないと思える、日本人の精神性と、それを乗り越えるためにゴジラに向かっていく人々の姿です。

 

これらの内容は、どうしようもなく、私たちの時代の日本の世相とリンクします。何事があっても動こうとしない日本政府、そしてその何ともいえない愚鈍な現今の国内の雰囲気。しかし、そこを変えていこうという気概が、今の日本人にはありません。

 

しかし映画の中で描かれる人々は、時に自分の命を危険にさらしても守るべき人々を守ろうとします。

 

そしてそれを過去の戦争の反省を含めて、もっと建設的に乗り越えて行こうとする、民間の人々の姿が描かれます。それによってはじめて戦後を乗り越えることができるという思いをもって、人々は行動します。これは現代人に対する、山崎監督の明確なメッセージだと思います。

 

本当に今の我々にとって、現実のゴジラは何なんだろうと、思える作品です。

 

大衆娯楽映画には変わりないんですが、ここには今の日本人にないもの、あるいは今必要とされているものがあるんじゃないでしょうか?

 

結末も途中で分かってしまいますが、キャラクターたちが必要な場所にちゃんと収まっていきます。大道というべきか、小細工しないので充分面白いと思いました。

 

また、ゴジラの吐く放射能が今回はまさに「核兵器」のようにも描かれていて、強く印象に残ります。

 

 

非常に、メッセージ性の強いゴジラで、感動しました。

 

今日は池袋で、東京都交響楽団による、ショスタコーヴィッチとシベリウスを鑑賞。前座はウクライナの作曲家、ヴァレンティン・シルヴェストロフによる、「沈黙の音楽」。指揮はアメリカの指揮者、ジョン・アクセルロッド、ヴァイオリンはモルドヴァ出身のアレクサンドラ・コヌノヴァ。

 

 

すべてSで始まる作曲家で、作品47という縛りがある不思議な構成です。

 

シルヴェストロフは彼らしい、リズム感覚が皆無な、ヒーリング・ミュージックのような音楽。現代音楽としては珍しいぐらい聴きやすい音楽です。個人的には、フォーレとか、ディーリアスみたいな雰囲気に、先にいった、現代のヒーリング・ミュージックのような感触を加えた曲という感じがします。美しいですが、感動的かといわれれば、ちょっと分かりません。この手の曲は長くやられると、べた付いてしんどいですが、演奏時間は10分強で、編成も小さく、丁度良い長さでした。

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲は中々良かったです。個人的にはコヌノヴァの演奏が良かったと思います。伴奏の方はやや大柄な気もしました。

 

コヌノヴァは正確な演奏というよりも、アグレッシブに感情を表に出して、中々味の濃い演奏をしました。感情の入り方によって、ヴァイオリンの音色が変わり、本人が感じいっているときなどは深い音を出します。

 

彼女は演奏中も音楽に埋没して、不遜に顎をあげたりし、体でリズムを取り、情熱的に感じるかと思うと、結部では堂々と右手を挙げて弾き切ります。それをバックで見ている楽団員が笑顔なのが印象的でした。

 

特に第1楽章とか第3楽章。第3楽章のように上りあげていく音楽の方が、彼女独特の一本筋を通す感じが出て、良かったと思います。

 

メインはショスタコーヴィッチの5番。アクセルロッドは初めて聴く指揮者ですが、外連味のない指揮ぶりで、迫力ある熱演を披露し、最高でした。

 

重厚でマッシヴな感じがしました。都響の機能美を活かして、メリハリと迫力をもった名演でした。響きに充実感があります。

 

実演で聴くと曲の細部も良く見えて、聴き応えが違います。第3楽章のラルゴなども、彼が第4交響曲で研究したマーラーの如く、感情の激しい移り変わりがありつつも、分裂症的にならない感じが良く伝わってきます。

 

おかげで、プラウダ批判後の曲として、古典的な回帰を見せる曲ですが、やはりそこには近現代的な葛藤や悩みの要素があり、ベートーヴェンの第5のような一本調子には行かない音楽だと強く感じました。

 

鉛のような音色に、鋭く光るガラスのように響く高音部など、ショスタコーヴィッチ特有の世界観を堪能しました。

 

フィナーレの迫力も素晴らしかったです。

 

全体を通して、充実感のあるコンサートで、とても満足しました。

イスラエルのことになると、D・トランプもダメだというような話が出ていますね。

 

 

片や、トランプ氏がまとめたアブラハム合意があるというので、大丈夫とかいう人もいますが、正直、何が正しいかは最早良く分からないですね(-_-;)。

 

 

様子見ないと分からない話です。しかし、RFK・Jrとかデサンティスはもう普通に、イスラエル支持とかで、ダメだって話は多いですね。米国の保守もイスラエルのことになると、はっきりものがいえないそうです。米国版統一教会ですな。米国もこんなんばっかり。

 

 

↑、RFK・Jrはまだ一応保留ですかね。

 

米国政府の高官の多くはイスラエル支持です。

 

 

↑、見ているだけで、ウゲーって感じがします。どこの国も同じやな~。

 

立場がある人間ほど批判しづらいというのが事実かもしれません。それぐらいシオニズムは恐れられているし、政治に深くかかわっている、ということだと思います。日本は保守系の論陣がそっち系ですね(彼らの思想の出どころも推測されようというもの)。日本の政治家は思ったより極端なことはいってないようにはみえます。

 

「テロには屈しない」という標語が生まれたのが、911の時でした。それ以前からもあったかもしれませんが、911以後、世界に大々的に宣伝され、政治的に利用されるようになった言葉です。これに反すると、「テロを擁護するのか」というお決まりの2元論パターンで人々の口を封じようとします。物事は10対0、あるいは0対10ばかりでなく、時には7対3とか、5対5とか、TPOに鑑みて、度合いを調節した方が良い場合が多いと思います。今回もそういう部分は多分にあります。

 

「テロに屈しない」といってイラクを攻撃し、結局後のイスラム国の温床になったというのなら、「テロに屈しない」行為が後のテロを生んだわけです。大量破壊兵器もなく、一国を破壊し、多くの人々を殺しただけでした。まさに「偽善」です。「白か黒か」、だけでやるとそうなる、という見本みたいな例です。

 

「殺し合い」は「殺し合い」を生む、ということです。

 

 

↑、1947年の国境線に準じる感じで、国境を戻して、パレスチナも国家として認めるのが一番現実的な案だと思います(実現は相当に厳しいですが)。当時はアラブ諸国が反対しましたが、さすがに今更イスラエルを無くせというのも無理があると思います。その上で、各国平和維持軍などを派遣して、両国に国境線を守らせるとかにするのが一番でしょう。どっちの国を支持するとかいう話はいったん棚上げにするのが良いと思いますけどね。

 

この件についてはハリウッドは割と冷静な反応のように見えます。

 

 

↑、停戦を呼び掛けているとかで、思っていたより意外な(?)感じがします。しかし、停戦はダメだという人も中にはいます。

 

 

↑、ナタリー・ポートマンやマーク・ハミルなんかはイスラエル支持だそうですが・・・。

 

 

さらに、イスラエル出身の「ワンダーウーマン」こと、ガル・ガドットは、イスラエルとハマスの戦争について、「停戦すべきでない」といいます。イスラエル出身だと、こういう意見になるのも分からなくはありません。

 

しかし、これに喰いついたのが、モデルのミア・ファリハで、かつては、ガル・ガドットを「ジェノサイド・バービー」と揶揄したこともあります。

 

 

ミア・ハリファは中東のレバノン出身で、情勢が危ないそのレバノンから、彼女が8歳の時、家族で米国に亡命してきました。その後ポルノ女優を経て、最近はミュージック・ビデオなんかに出ています。いつも発言などが、論争を呼ぶ人で、ポルノ女優時代はヒジャブを付けてポルノに出演し、イスラム国から殺害予告を受けます。おかげで、その時の彼女は、世間からヒーロー扱いでした。米国左派(?)からすれば、アラブ女性の開放的な意味合いがあるということでしょうかね。イスラム教が女性の抑圧をしているというような話は、某日本の専門家らしい人物がしていたりしますが、どうかね。

 

今回も彼女自身のルーツがそうさせるんでしょうけど、今度はイスラエルのやり方に反発しています。しかしこれはもう、米国の左派(?)とは真逆の意見ですね。

 

 

当然イスラエル人も悲劇にあっていますが、今のままだとガザの人々はもっとひどい目にあっています。

 

そんな中、ツイッターで、彼女はガザ地区の隔離政策を「アパルトヘイト」だといっていますが、自分もまさにその通りだと思います。

 

よくいわれる、壁に囲まれた「ガザの屋外収容所」に、上空から無差別に爆弾を落とし、子供や女性が「逃げるところがない」と泣き叫んでいるのに、何も感じない人間というのはちょっと異常です。

 

彼女は「抑圧と戦う全ての人を支持する」といっています。

 

しかし結局彼女はこれらの発言が元で、プレイボーイとの契約を打ち切られてしまいました。酷い話です。テロに屈しないといいつつ、大手スポンサーは権力には屈していくんですね。

 

 

↑、ミア・ハリファ。ポルノから足を洗って、セレブの仲間入りをしたという感じでしたが、また論争を呼んでいるようです。

 

「白か黒か」だけでもう何も決められない時が来ているんですよ。何かを「悪」といい出せば、結局すべて「悪」だといわねばならなくなります。「テロに屈しない」といえば、また新しいテロを生むだけだと思います。「悪者は消せ」という行為は決して物事の根本的解決を生まないでしょう。

 

(追記)さすがに国連もガザ空爆をジェノサイドと認定したようです。ハマスに問題があるとしても、イスラエルの今のやり方はサイコパスのそれですよ。神というより、悪魔に選ばれた人間たちのやる行為です。本当に選民思想なんぞ、無用です。

最近は色んな物事の背景が表に出てくるようになってきたと思います。何となくですが、国内のある種の勢力の出どころを色々と感じるようになりました。それを今回は簡単に書いてみたいと思います。

 

あくまで個人的な推測で書いているにすぎませんので、ご了承ください。判断は各自でお願いします。興味のある方は自分で調べてみてください。

 

最初に、以下、堤未果さんの「ショックドクトリン」からの引用です。

 

<まずは「2国間の国際交流を活性化する」という名目で交換留学奨学金制度を立ち上げて、チリから大量の学生を呼び寄せます。

 

奨学金といっても、日本のような、名前は奨学金だけど実は利子つきローンという騙し討ち商品でなく、こちらは留学生側負担はゼロ、正真正銘の奨学金制ですから返済の必要はありません。すべてスポンサーが面倒見てくれます。

 

たった1つ、「留学先はシカゴ大学のみ」という必須条件を除いては。・・・(中略)・・・

 

まだ若く頭の柔らかい学生たちは、4年間みっちりフリードマン教授の新自由主義を叩き込まれ、シカゴ学派の「フリードマン・チルドレン」として成長します。卒業後は母国チリに戻り、政府高官や政治家、大企業2代目の要職に就き、自国内部から新自由主義政策の導入に尽力してくれるという寸法でした。・・・(中略)・・・

 

チリの国政選挙で、選挙によって選ばれた世界初のマルクス主義政権であるアジェンデ政権が誕生すると、各分野で要職についていたフリードマン・チルドレンたちと、軍や警察に入り込んだCIA工作員たちが結託してクーデターを起こし、アジェンデ大統領を自殺に追い込んだ後、アメリカの息のかかったピノチェト政権を置いたのでした。>

 

フリードマン・ドクトリンと呼ばれるこの思想は、世界中に米国寄りの、銀行家や起業家が民衆の富を食い尽くす、「コーポラティズム国家」を作り出したといいます。

 

ふりかえって、今日一定の米国の大学と関係ある政治家をみてみると、自民党の政治家の幾人かが、「CSIS(米国の国家戦略を考えるシンクタンク)」と関係ある、ジョージタウン大学と関係があることが分かります。

 

 

河野太郎氏、恵利アルフィア氏、山本一太氏、松川るい氏、などです。そしてもう隠居しましたが、これらのトップにいたのが、CSISでジャパン・ハンドラーズの一人といわれたマイケル・グリーン氏です。

 

 

 

↑、最近はエマニュエル・ラーム氏がこの位置に近いのかもしれないですが、かつてはこのマイケル・グリーン氏だったのではないかということです。何でも日本の総理は「馬鹿」にしかやらせないとかいっていたそうです(事実上の日本の支配者だった?)。また、なぜだか(?)小泉進次郎氏を気にっていたそうです。なぜ河野太郎氏や、小泉進次郎氏がいつも次期総理候補に挙がってくるのか?ということです。TV局もちゃんとアンケートとっているのか疑問ですよね。

 

要は、上述の政治家や、小泉進次郎氏もそうですが、このCSISとの繋がりが指摘されます。

 

そうしてここから出てくる政策が、LGBTであったり、SDGSや、各種国営から民営化への売り渡しという構図です。つまり日本の風土や、文化を無視して、グローバル化し、国際企業に富を売り渡すという構図にみえる政策ばかりです。

 

恐らく自民党の議員はこういう政策に逆らえないんですね。それで一応保守(?)系からは嫌われています。グローバリズムに根ざした、優生思想を持つ集団といえます。

 

これに対して、国内ではいわゆる「保守」と呼ばれる人々がいます。特に最近は「日本保守党」が話題になりました。

 

しかしながら、これらの中心となる人々には、どうやら「統一教会」や、何やら外国の怪しい組織に属している人たちが多く、本当に信用していいものかはよく分かりません。

 

 

↑、有名な、欧米の秘密結社、フリーメイソンに忠誠を誓っているといわれるハンドサインをしています。医師の高須氏は所属を、公にしていたりします。

 

 

↑、櫻井よしこ氏は韓国の諜報機関、国情院との関係が噂されました。国情院はKCIAの下部組織だといわれます。

 

また彼らは、韓国旧統一教会を擁護する発言を繰り返していることで、有名です。

 

 

↑、ある番組内で、統一教会を擁護して喧嘩になったという、門田氏。

 

 

↑、保守系雑誌といわれる月刊花田の編集長も、統一教会を擁護していたといいます。彼らは上の写真にあるように、おそらくフリーメーソンにも属しているのでは?と思わせます。

 

ここまで書いてきて、全員がおかしいとかいう気はないんですが、正直その本性は良く分かりません。最近のグローバリズムの異常さに対抗する、彼らの主張には納得するものもあります。自分の記事でも引用させてもらうこともあります。

 

さて、統一教会も解散命令が出されるかもしれませんが、とはいえ、国内では勢力が弱くなっても、今後も米国やCIAとの関係は問われるのでは?彼らと関係の深い日本保守党を立ち上げた、有本氏についても。

 

 

↑、ご両人はほぼ同じスタンスかと思います。

 

 

↑、ルシャン・アッバスさんは中国ウイグルの人権問題に関係している人らしいんですが、CIAだという噂があります。

 

またこの有本氏が連れて来たといわれている、ウクライナのナザレンコ氏ですが、彼もいわゆる統一教会の提唱する国際勝共連合との関係などがいわれています。

 

 

↑、ジオさんに何の関係もないナザレンコ氏が、宇露問題に関して、急に絡んできたといいます。まずは何故かポーランドから、見知らぬ反論が来たという話。ナザレンコ氏自身マイダン革命に参加していた可能性があるといいます。どうなんでしょうね、各国の保守系に入り込んで、工作するグループというのはあるんでしょうかね?ここまで来ると、メーソンと統一教会(CIA)は同義語?みたいな感じもしますが・・・。あくまで仮説ですがね。

 

上の話なども含めると、似非保守ともいわれる人々は、何だか国際的な機関と連動している人たちに見えます。彼らは戦争などが始まると急に同じことをいい出す特徴があります。それで、絶対的な「敵」を作る傾向にあります。

 

最近のイスラエルとハマスの戦闘では、一切ハマスの擁護はしてはならないといい、イスラエル、パレスチナどっちも良くないという理論は成立しないと言い張ります。国内においては中国やロシアをカウンターパートとして、憎悪を煽っているように見えます。どうも後ろに何かしらブレーンでもいるような動きです。

 

正直本当に彼らが保守なのかどうか、個人的には、怪しさ満載だと考えています。

 

そして先のグローバリストと、この似非保守ともいうべき人たちがやり合っているのが、最近の国内の構図かと思います。特に安倍晋三氏亡き後激しくなってきました。

 

彼らはまさに敵同士でしょうかね?本当に仲が悪いようです。

 

グローバリストは性的にLGBTを志向しますが、保守系は家族主義だったり、また財政政策の違いなど相違点が多いです。

 

単純に、やはり日本国内での権力争いには見えますね。大丈夫でしょうかね。彼らは一般市民のことを考えているんでしょうか?

 

無数の頭 |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、過去記事です。最近は胴元の力が弱くなってきており、こうなってくると結局対抗する勢力は単に仲が悪いだけという話になり、今後はつぶし合いをするだけのなのかも知れません。

 

政治上の権力闘争でなく、ちゃんとした市民生活に根差した政治をやってくれる人が、ほとんどいないような気がしています。

 

おまけで書くと、「れいわ」などは、バックが中核派ではないかといわれており、最近では埼玉で暴れているクルド人たちの擁護を始めたと聞きます。弱ったものです。

 

今のような世の中でも、日本人のことを本当に考えている方は、いるにはいるとは思いますが、そういう方々は上のような人たちにマスキングされて、中々表に出れないんですね。政治にかかわる人物は、市民側で、ちゃんとチェックしないといけないと思います。

 

国民一人ひとりの自覚が問われているんだと思います。

 

疲れているので、ブログを書く気力がありません。

 

涼しくなってきて、すごしやすいんですけど、パソコンを前にするとちょっと疲れがでる。

 

10月の月末にブロムシュテットのコンサートに行く予定だったのですが、なんと中止に。ブロムシュテットのドクター・ストップは分かるんですが、なぜコンサートまで中止に?

 

会場が所沢だからか?他の会場のBプロは代役立ててやるらしい。何だかな~。地方は舐められてるな~。

 

他には、オペラパレスの「こうもり」を取りたかったけど、良い席はもう売り切れで諦めました。

 

一応年末まであと2回ほどコンサートには行くつもりなんですが、レコードとか、コンサートとか、音楽にお金を使うことが一番多いです。特に今年はレコードにお金を使った気がします。

 

最近はエンゲル係数があがってるので、何時までコンサートとか行けるか、ちょっと不安だったりもします。

 

 

写真は借り物です。

今回も理解されるとは思いませんが、書くだけ書いておきます。

 

イスラエルとハマスの戦争について、旧約聖書の記述に乗っ取った、エゼキエル戦争だという人がいます。これはイラン、トルコ、ロシア対イスラエルという構図になる、世界最終戦争のことです。ロシアのウクライナ侵攻時から、ヨーロッパなどでは、そういうことをいう人がいました。

 

片や、Qアノンのプランとか、ホワイトハットによる作戦で、イスラエルの弱体化を狙ったものである、という話も出ています。

 

どうなんでしょうね、なんとも分からないですが・・・。

 

 

 

中東で戦火がくすぶり始める時がいわば、今の我々の時代の終焉の始まりになる、という話は聞いたことがあります。今回のイスラエルとハマスの戦争は、そうなる可能性が高いのでしょうか?

 

世界政府の首都をイスラエルにするという、暗黙の了解が世界のリーダーたちにあり、その方向に向けて本格的に動き出したのではないか、という可能性について少し書きます。

 

ただはっきりいっておきますが、自分はまだ確信はしてはいないし、あくまで可能性の問題として扱います。推測として書くので、よろしくお願いします。間違いがある場合は後日、訂正していきます。

 

 

まず、ハマスがイスラエルに、こうも簡単に侵入したという事実はおかしいのではないか?ということ。イスラエルの警備は厳しいらしく、300人(400人とも)ものテロリストが侵入すること自体、無理があるということ。

 

また、パレスチナには2つの政府があり、アッバス議長の政府とそれを否定する、ハマスの政府があるということ(おそらくハマスはパレスチナを代表していない、同様にシオニストもユダヤ教の正教会とは別の思想を持っている、つまり話し合いができるもの以外で争いを始めている)。

 

 

↑、真正のユダヤ教徒は、イスラエルをパレスチナに返したほうが良いといっているようです。

 

 

↑、シオニストのロビー活動によって、1948年にイスラエルが誕生。元より多くのパレスチナ人が住んでいました。これに納得しないアラブ諸国はイスラエルを追い出そうと、中東戦争を始めます。しかし、西側の介入などで、徐々にアラブ諸国は分断していきます。

 

 

↑、その後少しづつ、力づくで、パレスチナの領土をイスラエルは奪っていったようにしか見えません。結局争いの大本はここにあります。

 

 

同時に、現在の、本来パレスチナの代表とも思えない、そのハマスは、かつてイスラエルから、支援を受けていたという可能性が指摘されます。

 

 

これによって、何者かによる偽旗作戦ではないかという可能性が指摘されます。しかしなぜ、このような偽旗作戦が必要なのかという話ですが、いわゆるエリートたちによる世界政府を作ろうという手段になるから、ということだと思います。

 

既に書いている方はいると思いますが、次のような話があります。

 

シオニストとアラブを犠牲にして、世界政府を作ろうといったのは、アルバート・パイクという人物だとされています。

 

 

↑、去年からこの問題を追及していた方がいるので、ちょっと情報を拝借したいと思います。

 

現状がこの傾向に当てはまっているので、非常に怪しいということです。

 

 

アルバート・パイクは、19世紀の人物で、米国の軍人だったようです。フリーメーソンのメンバーであり、彼のいい分通り、20世紀は進んできたという話がまことしやかに囁かれてきました。

 

以下はウィキペディアからです。

 

「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう」

 

「第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである」

 

「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」

「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる……」>

 

上の話を既に1871年にしていたといわれています(手紙が残っているといいます)。それが本当なら、随分な的中率です。

 

こういう話を聞くとちょっと怖いですけどね。まあ、本当にいう通りになるかは分かりません。どのみち、予言的な意味合いを持つ、聖書にしろ、神示にしろ、最終的には彼ら(世を支配しようとする人々)は滅びるとされています。その話が本当ならば、問題は被害がどれだけ出るのか?という様なことになり、そのために気づいた人たちはどうすべきか?という話になっていきます(争いと論争に参加しない、物資の欠乏に備える、長生きする努力をする、つまり、争いが過ぎ去るのを待つ)。

 

その「起こる物事の程度」は人間のあり方によって、重くなったり、軽くなったりします。

 

彼らの誘発する戦争によって、現今の宗教の醜さの露呈、経済の行き詰まり、また、国家という形の脆弱さなどが明らかとなるとされます(人類の毒出しと膿出し)。そこに、それこそ「グレート・リセット」ではないですが、新しい価値観を放り込むことにより、新しい世界の形を提示しようという魂胆です。

 

多分それもかなり劇的な演出を持ってやろう、という話ですね。結局失敗するとは思いますが。

 

まあ、あんまり細かい話は今はしないですが、様子見ながら、今後当てはまりそうなら、していきます。

 

去年からこの問題を追っている方は、サウジアラビアに注目しているようです。変わったサミットが行われているとかでね。

 

 

今回はイランを敵役にして、イスラエルとサウジの国交正常化をしようといているんじゃないのか、といっていましたが、どうなんでしょう。

 

 

↑、「愛と真実の翻訳メディア」さんが、今年に動きがあるのかも、とツイッターに投稿したのが今年の1月1日。当たっている可能性はあります。

 

ウーン、それらしくはありますが、しかしまだ何とも・・・という感じです。もう少し見て行かないと分からないですね。指摘通りになる可能性もあると思います。

 

サウジとイスラエルの和解に近いことを、国際政治を解説する、田中宇さんもおっしゃってますが・・・。内容は微妙に違います。

 

<50年前の第四次中東戦争でも、当時のゴルダ・メイア政権が、アラブ連合軍の侵攻の動きを意図的に事前に察知せずに大敗を演じ、国内の拡張主義者(今の入植者につながる勢力)たちの動きを阻止し、エジプトとの和解・国交正常化につなげた。今回のネタニヤフの動きは、ゴルダメイアからの伝統を受け継ぐものに見える。

 

今回の戦争開始は、911や真珠湾攻撃にたとえられるが、911も真珠湾攻撃も、米国が自国の体制や状況を転換させる目的で、敵方の動きを事前に知りながら(911では敵を育て)、意図的に敗北状況を作った観がある。
意図的な敗北戦略という意味で、今回の戦争開始と911や真珠湾攻撃、第四次中東戦争が同じだという、裏の関係性がある。
最近の記事で書いたように、アルメニアのパシニャン首相も、アゼルバイジャンとの戦争にわざと負け続け、ナゴルノカラバフの占領地を失うことで、自国を安定に導いている。

 

ゴルダ・メイアは、第四次中東戦争の敗北を誘発した後、しばらくして引責辞任させられた。ネタニヤフも辞めさせられるのか。
ネタニヤフが辞めると、その後は中道左派などの連立政権になり、イランやアラブとの和解やイスラエルの非米化を引き継げる。またネタニヤフが辞めずに、入植者を切り捨てて中道系の勢力を政権内に引き入れて連立を組み替えて政権を維持する可能性もある。
イスラエルは、国家滅亡のハルマゲドンを避けてうまく非米化していけるのでないかと私は期待している。ユダヤ人は世界運営にとって重要なので、プーチンや習近平もイスラエル存続を望んでいるはずだ。>

 

自ら敵を引き入れることによって、問題の解決を図るという話をなさってますが・・・どうでしょうかね。

 

今のところサウジはパレスチナを支持するといっています。ロシアもガザの空爆の非難を始めました。何が起こっても不思議ではありませんが・・・。

 

また、常識的な話をするのなら、当然双方武器を置いて、本来のパレスチナも主権国家として認めてしまった方が安定するとは思うんですけどね。ただどう考えてもそれは無理な話です。イスラエルは認めないだろうし、相互の殺し合いにしても、もう今まで無茶苦茶ですからね。正直、パレスチナの状況なんて、ウクライナが比較にならないぐらい酷いでしょう。

 

まずは今回のハマスの蛮行は異常で、既定路線のいい分かもしれませんが、当然許容できません。特にツイッター上に各種の映像が上がっていますが、相当に残酷です。イスラエルが怒るのも当然です。

 

しかし、パレスチナに限らず、中東のアラブ諸国の酷い状況なんて、ISISの頃から、あるいはその以前から、散々出回っていて、本当に目も当てられないものでした。しかし、国際社会は何もいってきませんでした。急に宇露紛争が始まると、政治的にさんざんやりだしますが、その間も、中東で紛争があったにもかかわらずです。中東のことは結局英米によって、政治的に封印されてきたんです。

 

イスラエルの蛮行も許容できる人などいるのでしょうか?ハマスの蛮行が許せないのと同様、イスラエルのガザ空爆は、人道的に問題ないなんていうんですかね。ちょっと狂ってますよね。

 

 

また、ツイッターなどではイスラエルを応援するとか、パレスチナを応援するとか、色々いっていますが、本当に下らないです。今更そんな話をするのか、と思います。

 

そして、国内には、この話については、どちらも「正しくない」といういい分がおかしいと、いい出している連中がいます(特にイスラエルを応援せよという人たち)。彼らはいつも見る顔ですが、相変わらずです。自分たちで自分たちを追い込むように仕向ける連中です。やはり本性出ていると思います(政治的信条という意味ではなく、人間の内面としてです)。力による現状変更を認めない、といってロシアを非難していた人たちが今度はイスラエル擁護に回るとは、おかしな話です。結局倫理上の問題で何かを発言しているわけではなく、どっちの仲間でいたいか?あるいはどっちが自分たちにとって都合がよいか?でしか発言していないように思います。

 

本当に愚かだと思いますけどね。そういう発想も行き着けば「絶滅主義者」と同じ発想としか思えませんけどね。ファッショです。

 

グレーゾーンがあれば、話し合いができる、ということになるので、それでは困る、という人がいるということです。

 

結局そういう人たちは、何者かの走狗になっているだけだと思います。

最近、「X」(旧ツイッター)のトレンドで「ブルックナー」の文字が良く上がってきます。何でだろうかと思っていたら、来年はアントン・ブルックナー生誕200年で、ブルックナー・イヤーだそうです。ちょっと前夜祭っぽい雰囲気なのでしょうか?

 

しかし、クラシック音楽を知らない人にはマイナーな作曲家なので、前夜祭といわれても、一般の人にしてみると、何のことだか・・・?ということでしょう。

 

 

おそらく騒いでいるのは自分を含め、いわゆるブルヲタばかりなんだと思います。

 

ただ、最近ブルックナーを、自分もコンサートで聴きますが、新譜などは求めなくなりました。若い時は大好きで良く聴いていましたが、聴きすぎて、ちょっと飽きております。

 

上のように、SNSで話題に出たりするので、何となく昔聴いてきたときの感じなどを思い出したりします。先日も河口湖に行きましたが、あのような景色を見ると、自然とブルックナーのことを思い出したりもします。

 

 

↑、最近は巨匠扱いのダニエル・バレンボイム。

 

しかし、指揮者ダニエル・バレンボイムは日本人にはブルックナーは理解できない、とかいったとか。しかしバレンボイムもどうなの?という疑問はありますけど(色々な意味合いで)。

 

現地の音楽の本質は、現地の人しか分からない、という感じでしょうかね。

 

ブルックナーではないですが、「ドイツ人の音楽家にいわせると、ブラームスを正統に演奏できるのはドイツ人だけなのだそうである。ヨーロッパの他の国はもとより、日本人は決してブラームスの様式を理解できないーーー彼らは口を揃えてそう言うのだが、なるほど、その通りかもしれない。」(大作曲家たちの履歴書、三枝成彰著から)

 

こういうことをいわれると、我々にはもうどうしようもありません。日本の「能」を外国人にやらせても、その神髄は表現できない・・・みたいな話でしょうか。

 

しかし最近では「ブルヲタ」(ブルックナー・オタク)なる言葉まで日本ではでき、理解できないまでも、好きな人はいるということで、まあ、好きなら好なりの理解があるということで、少し話を書こうということです。

 

今回は特にブルックナーの音楽の「自然性」について、考えたいと思っています。

 

結局のところ後期ロマン派の音楽は、その描写性の高さから、音楽以外の要素に依存することも多く、絶対音楽といわれるブルックナーの音楽でさえ、その影響は免れないと、自分は考えています。

 

ワーグナーやベートーヴェンの影響が大きい彼の作品ですが、その性質と気質、内容はよほど、北欧フィンランドの作曲家、ヤン・シベリウスの音楽と近いところがあり、自然描写については、かなりの程度まで似通っているとさえ思います。

 

ところが旧来から音楽学者や評論家は「音楽の描写性」を嫌い、辛辣な意見を述べます(特に自然描写を思わせる部分など)。自分が良く引用する、H・ショーンバーグはシベリウスを嫌い、せいぜい2流の作曲家といい、次のように述べます。

 

<例の辛辣な調子でトムソンは、世界に心からシベリウスを愛好する人たちがいるのは知っているが、「教養ある職業的音楽家で、シベリウスを愛好する人間に出会ったことはない、と私は告白する」と書いた。

 

トムソンは、多くの音楽家が思っていたことを代弁しただけであった。彼らにとり、シベリウスは後期ロマン派の時代遅れの遺物同然だった。

 

・・・(中略)・・・

 

最後の4つの交響曲は、格別に民族主義的でさえない。ただ解説者たちは、その中から氷に閉ざされた北国の樹木、雪、山を読み取ろうと懸命になるが。>(「大作曲家の生涯」から。邦訳、亀井旭、玉木裕)

 

まるで、シベリウスの描写性を否定するような発言でさえあります。以前も引用しましたが、彼は以下のような発言をしています。つまり、プロの音楽家は「描写性」の強いのもには惹かれず、標題も無視するべきである、というような内容です。しかし逆に考えれば、そこを見落とすからこそ、シベリウスやブルックナーの良さを見逃している、ともいえるのではないでしょうか?(ハンスリックやアドルノを経て、20世紀の主要な音楽思想となった、「無機的な音楽原理主義」ともいえるものを、評論家や学者は恐れていた。だから彼らはそういった主張に逆らうことなく追随した。それは音楽家も同様だった。)

 

 

<どんな人でも自己流に音楽を聴く。あまり音楽に詳しくない人は一種の補助手段を必要とし、どんな音楽にも絵を「見る」傾向がある。プロは異なった聴き方をして、形式、(譜表の五線の)線、発展の仕方に神経を集中し、どんな音楽でも標題を完全に無視することが多い。>

 

これは以前の記事で引用した、ショーンバーグの意見です。

 

ブルックナー5番 |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、過去記事です。

 

シベリウスなど。 |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、過去記事です。

 

上の記事の中でも書いていますが、日本の音楽評論家、吉田秀和氏も、北欧の作曲家グリーグについて、次のように語っています。繰り返しになりますが、引用します。

 

<(グリーグは)シューマンの流れをくむ抒情作曲家で、ロマン派和声のおもしろいところもあるが、かなりに甘ったるいサロン向きのマンネリズムが鼻につく。私たちはもう彼の『ピアノ協奏曲』も、卒業してよいころではないか?これはシューマンのそれにならったもので、別にわるい作品とはいわないが、いかにも亜流だ。>

 

個人的にはこの辺の意見は、一体「どっちが鼻につくのか?」というような意見でもあります。

 

書式が同じだからといって、愛好家はおそらく、シューマンとグリーグのピアノコンチェルトを同じ音楽とは思わないでしょう。グリーグのコンチェルトには、ショーンバーグが、いみじくも、シベリウスで否定したような、北欧特有の描写性があり、そこを楽しみに曲を聴いている人も少なくないと思います。この作品に比べると、シューマンの曲は、人間感情としてのロマンティックな思いが描かれ、その発露に目的があって、書き方が同じであっても、そこから出てくる「曲の内容」は全く別物であるといえます(グリーグに感情表現がない、といっているのではありません。日本人にとってみれば、グリーグの音楽がもつエキゾチズムは魅力だし、音楽を聴くという行為は、そういった内容を聴く、という意味合いも含んでいると、自分はいいたいわけです)。

 

こういうことを「学者」たちは否定しがちだと思うし、「人間の感性」に関することを否定する運動は、のちの「無調音楽」によって頂点を極めたともいえます。

 

そしてこのような、内容の描き方の違い、を読み取ることは「後期ロマン派」の音楽を聴く側にとっては、必須のことではないでしょうか?

 

ブルックナーにしても同様で、その自然を思わせる描写性は、否定しがたいと自分は考えています。難しいのは他の標題音楽にある、「標題」がないことで、それを各自で補って聴かねばなりません。

 

始めから、ドビュッシーのようにこれは「海」を描いたものである、といってくれれば良いものを、ブルックナーやシベリウスは黙っています。しかし彼らの音楽を好む者たちは、そこに自然描写があるというわけです。しかし音楽で描いたものをそこまではっきりいい切れる根拠は何なのか、ということになるのだと思います。

 

各自が描いている、イマジネーションの問題を的確に表現するのは難しいでしょう。しかし多くの人がドビュッシーの音楽の内容に文句をいうでしょうか?ショーンバーグの、以下の文章を再録します。

 

文学的内容を知らないまま、初めて「幻想交響曲」を聴く人は(リストの「前奏曲」、シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、ドビュッシーの「海」でも同じだが)、その標題を推定することができないだろう。>

 

確かに初出で表題のないドビュッシーの「海」を聴いても理解はできないと思います。しかし今や、何十年も演奏されているシベリウスやブルックナーにも同じことがいえるでしょうか?

 

シベリウスやブルックナー愛好家が、そこに自然描写があるという時、それは本当に音楽の主題を理解してないといい切れるのでしょうか?個人的にはシベリウスやブルックナーにおける、美しい自然の描写性は認められて良いと考えています。

 

<当のマーラーは、ドイツの作曲家で音楽評論家のマックス・カルベックに宛てて、「ベートーヴェン以降、標題音楽を内に秘めていない現代音楽は存在しない」と述べている。20世紀に聞くこの言葉はなんともアイロニカルに響く。>(「20世紀のクラシック音楽を取り戻す」、ジョン・マチュウリ、松村哲也訳)

 

 

ギュンター・ヴァント指揮、「ブルックナー交響曲8番」(1993)。

 

自分は、ギュンター・ヴァントの演奏した、ブルックナー交響曲8番の演奏を複数持っていますが、これが1番好きです。名演といわれるベルリン・フィルや、ミュンヘン・フィルの演奏と比べても、この北ドイツ放響との演奏を好みます。ベルリン・フィルやミュンヘン・フィルの演奏は力強く、確信に満ちています。これ以上ないほど迫力があります。しかし、おかげで、この曲が持つ、ナイーヴな感触、青白い感情などが吹っ飛んでいます。しかしこの演奏は、そういったナイーヴな感触を残しつつ、非常に静けさに満ちた演奏になっており、この曲のイメージそのものを表現していると、個人的には感じるところです。

 

ブルックナーの交響曲第8番のアダージョは、彼の傑作のひとつで、大きな音楽的空間の中に、神秘的なアルプスの自然描写が音楽的に閉じ込められています。

 

25分程度かかる巨大な楽章で、壮大な広がり、多彩な曲想、どれをとっても一流作曲家のものだと思います。

 

特にこのアダージョは、ブルックナーの最高傑作といわれる、交響曲8番の核心部分といえます。

 

第1主題はゆらめくヴァイオリンの伴奏の上に、ファーストヴァイオリンが瞑想的で清澄な思いをのせていきます。そしてそれがハープの音色を伴って抜けていきます。その様子はまるで、透き通った、静けさに満ちた湖面を思わせます。

 

同じ音形が繰り返され、時間をかけることによって、空間的な雰囲気を醸し出します。

 

チェロが導く第2主題は優しさに溢れ、森の奥へと導く様な、親密な感情に満ちており、この楽章の持つ奥深い導入部となっていきます。

 

 
↑、第2主題冒頭。

 

神秘的な森の中を進むように流れる音楽は、静かに高揚する心を表現し、徐々に入ってくるホルンの音色は、遠くに見える山脈の、稜線を表すように響きます。

 

 

↑、ツイッター上で、ブルックナーの音楽から受けるイメージをのせてる人がいましたが、自分は、まさにイメージとして共有できるものだと思います。豊かに鳴るホルンが、まるでアルプスの険しい山並みのように響くさまは、ワーグナー、パルシファルの「信仰の主題」を思い出させます。

 

主題が絡みながら、徐々に高揚するパッセージは、金管楽器の描く雄渾な山並みの雰囲気に支えられて、聴き手にこれ以上ない安心感を与えつつ、この世への信頼と信仰を力強く描いていきます。

 

 

↑、豊かに広がる山並みを思わせます。

 

そしてクライマックスで、高揚の頂点を迎えると、音楽は静かな第1主題を呼び戻し、この世への浄福感を極めます。

 

 

ウィーンの評論家、エドアルド・ハンスリックは、音楽で感情は表現できないし、その論理はあくまで形式でなければならいと考え、ブラームスの音楽の擁護者でした。

 

<ハンスリックは1854年に『音楽美論』を出版し、以後音楽界の大物として1904年に亡くなるまで50年にわたり、ウィーンに君臨し、批評を続けた。ワーグナーを痛烈に批判する立場を取り、ワーグナー陣営から保守的とみなされていたハンスリックは、好き嫌いにかかわらず音楽は普遍的な美であると主張した。音楽に感情が入り込む余地はなく、ある種の感覚を呼び覚ますことはあっても音楽が感情を表現することはないと主張した。そして音楽は音と運動であり、音楽の美は形式に、形式にのみ根差すと考えた。音楽が何かを描写すると考えるのは論外だった。>(「20世紀のクラシック音楽を取り戻す」、ジョン・マチュウリ著、松村哲也訳)

 

1部真実ですが、極めて狭量な論理を持つ彼は、この第8交響曲の初演を聴き、不満を覚え、これ見よがしに第3楽章が終わった時点で、席を立ったといいます。彼が新聞に寄せた批評には次のようにあったといいます。

 

<この作品の特色は、一言でいえば、ワーグナーの劇的様式を交響曲に移しかえたものである。>(ブルックナー、根岸一美著)

 

ハンスリックにしてみれば、彼の信奉する絶対音楽が、彼の提唱する美学だけでなく、ワーグナーらが追及した、劇的な様式と、描写音楽でも表現できることが証明されてしまったわけです。

 

しかし、20世紀の潮流はハンスリックの美学の影響を受けて、極めて無機的なものと変容していきます。

 

<多くの人の信じたところによれば、マーラーの永久の探求心、世間と妥協できない性質、罪悪コンプレックス、疑惑と不安―――これらすべての要素によって、マーラーは同じように疑惑と不安にさいなまれている時代の予言者となったのだ。昔はすくなくとも、ちゃんとした宗教を信じていれば安心していられた。ところがカトリック教に改宗したユダヤ人のマーラーは、ユダヤ教もカトリック教も信仰せず、人生の回答を1つも見出すことができなった。彼と同時代のほとんどの人びとは、自身と宇宙の間に一種の平安状態を作り出すことができた。マーラーにはそれができなった。そして今日、そうできる人々は、ますます減少している。>(「大作曲家の生涯」から。邦訳、亀井旭、玉木裕)

 

ブルックナーの音楽にはまさに「自身と宇宙との平安状態」が存在しています。ブルックナー8番の第3楽章、アダージョを聴けば、極めて安心感に満ちた雰囲気の中、深い自然の情景の懐に抱かれるような感触を味わうことができます。

 

そしてその表現の深みは決して、ベートーヴェンやブラームスの音楽に比べても、劣るものでないことは愛好家であれば実感しうるところでしょう。

 

リスボン・ライヴ |  ヒマジンノ国 (ameblo.jp)

 

↑、チェリビダッケの演奏で、フィナーレの初めのみ、音を入れています。

 

イスラエルとパレスチナが本格的な戦争状態に入ったといいます。まだ良く分かりませんが、偽旗作戦だという人もいます。

 

パレスチナのハマスが非常に残酷な行為を行っていて、ツイッター上でも流れています。ただ、どこまで本当の映像かは分からないので、もう少し様子見しないと何ともいえない部分もあります。

 

いずれにせよ、これまでの中東の歴史を見れば、善悪の話などできない状態でしょう。

 

今回どうもサウジアラビアは、パレスチナの応援をしているという話が伝わってきています。ペトロダラーを反故にしようとしているサウジですから、あり得るかもしれません。その他の中東の国次第で、今後どうなるか決まるかもしれません。西側は当然のようにイスラエルを応援するでしょう。

 

第5次中東戦争のようなことになれば、黙示録的な意味合いも出るかもしれません。

 

グレーター・イスラエル・アジェンダの可能性があります。

 

しかし今のところ良く分からないことも多いので、静観したいと思います。

 

 

↑、色んな情報が飛び交っていて、まだ状況が良く分かりません。