以前、大工の奥さんが木造建築推奨の高知新聞に投稿をしておりましたが、是非とも住宅は、地域で賄うようにしたいものです。




住宅を建てるということは、その地域に一生を託すということであり、地域社会・経済に貢献できるようにすべきだと思います。




海外には景観規制と相まって地域で職人を支えるように、屋根に瓦や壁に漆喰など、大工や左官等の仕事を創出している国もあります。職人は、仕事があることで生活ができ、技術を磨き継承もできます。家の持ち主は、補修等が容易に、安くできるのです。このことでお互いの社会保障が成立っている訳です。




近年わが国では、プレハブ住宅が猛威を振るっていますが、県外企業が多く、お金の多くは地域外へ流出し地域に残るのは僅かです。それ故、地域経済への貢献は多くありません。




その点、地域の工務店や大工であれば、お金の多くが地域で循環し、お金が回ればモノやサービスなどはお金とは逆方向に動きます。地域のモノは地域で賄うようにしたいのはそのためであり、その一つが地産地消です。




食物だけではなく、一生を託するに足りる地域にしてゆくためにも、地域の力で住宅も賄うよう考えて頂きたいものです。




(本原稿は、平成21年に高知新聞・声ひろばに投稿したものを一部添削したものです。)

 高齢化が進みますと、多くの方が段差がある住宅などは、上がり降りに不便をきたすのではないかと思います。そこで、バリアーフリーといわれます、段差を解消するなどの住宅改造が出来ればいいのではないかと思っております。


 それとともに、トイレの水洗化も出来れば、もっと快適な生活ができるのではないかと思います。便座式にしますと膝への負担が軽減出来ことになります。


 また、若者定着にも繋がることになるものと思います。昔、香川県のある町では、「トイレを水洗にせんと嫁もこん」とのキャッチフレーズで、各家庭の浄化槽設置に町から補助金を出して水洗化を推進して来た実例があります。

 浄化槽は、合併浄化槽となり性能も向上し、コストも安いのですが、大島地区など既存集落の場合は、建物が敷地一杯のところが多くあり、浄化槽を設置するスペースが少ないので、集約された下水処理場を構えなければなりません。既に大海地区や二ノ宮地区では事業が導入されているようです。


 大島地区などの既存集落も市に対し、要望をして行くことが必要になると思います。

柿落とし以来使用されない施設で、柿落としも惨憺たる状況であったと聞く。
このような施設を誰が、どんな発想で、何のために作ったのかを明確にする必要があるのではないか。


感陽島公園には、海水浴などのための脱衣所やシャワー、トイレは必要です。しかし、設置場所が問題で、自然の防風林や桜を撤去しなくてもよい場所に作るべきであったと思います。


ビーチバレーコートは、市民からの要望があって、それに応えるために作られ、利用頻度も高く、その結果として、市民が健康になり、健康保健料の使用も軽減されたというのであれば、それはそれなりに効果があったということになりますが、利用が皆無ということでは、単なる無駄な施設としか言いようがありません。


ましてや、自然の防風林を伐採し、桜の高木までなくしてしまい、市民の財産を台無しにしているとしか言えません。


このようなことを是正しなければ、我々の税金の無駄遣いのなにものでもないと思います。

山上庄一本人としましては、あくまでも宿毛市政に対する市民の代弁者とともに、宿毛市を元気にするために活動したいと考えております。


市政におきましては、元気になるところに予算配分をして行くということになろうと思います。

これまでの、前記のようなビーチバレーコートなどを作っていてはどうしようもないということですし、もっと有効な予算執行をすることであると思います。


山上庄一自身、高知市で都市計画に長く従事しておりまして、行政は、政治で決めたことを、「安くて、早くて、簡単に、良いものを作ること」を命題としておりました。そのようなこともあって、やはり、物事の決定している川上である、政治に関わる必要性を痛感しております。

今、宿毛に若者がオシャレをして出かけて行く所があるでしょうか。?


若者が出会い、楽しむ場所としても、まちの「ヘソ」となる中心街が必要です。


昔の映画に「サタディ・ナイトフーバー」がありましたが、アメリカの田舎町でも週末の夜にはオシャレをした若者が、まちの中心部のディスコなどに集い、ダンスなどで青春を謳歌し、そこではヒーローやヒロインになったりと個性を発揮している様子が描かれています。


宿毛には、そのような場所がないのが実情で、若者が定着させようにも無理があるように思います。

若者も集い、楽しく、にぎやかに過ごせる場所がなければならないと思いますし、それを宿毛にも作る必要があります。それも、単ある居酒屋街ではなく、食事をしたり、買物をしたりと、個人個人が「見たい・見せたい」という欲求を満たせる場づくりです。その意味ではスポーツも大切です。


また、青年会議所が推進する「出会いの機会づくり」も大切です。
まち全体が雰囲気を醸し出すようにしなければなりません。それが「まち」であると思います。


当然「まち」には、「顔」となる部分があったり、中心市街地の繁華街と言われる部分も必要です。それがまちの「ヘソ」にあたる部分です。


現在、宿毛の人口減少は、自然減とともに、社会減を伴っていることです。
社会減としての若者が少なくなれば、当然、人口の再生産の可能性も少なくなる自然減となり、人口は減って行くばかりになります。


若者が都会志向になるのは、単に仕事だけではないと思います。田舎の方が生活費も安いし、居住の心配もないとすれば、田舎の方が住みやすいことはたしかです。しかし、楽しみという意味では、物足りないところがあるのが実情であろうと思います。


以上のことからも、都市(まち)の作り方にも問題があるのではないかと思わざるを得ません。

現状は、車に依存しなければ、生活が困難なまちになってきています。


高齢化が進行すると、買物難民と言われる方々も多くなり、それを行政的にどのようにサービスを提供して行くのかといったことも、大きな課題になってくると予測されます。


夕張市のようにならないためにも、今から手を打っておかなければなりません。

そのためにも、コンパクトなまちを目指し、若者に定着してもらえるまちにして行かなければならないと思います。


中心街を作るためには、旧市街地の土地利用を根本的に見直す必要もあると思いますし、そのためには、身の丈に合った再開発も必要になると思います。
今後は、このようなことを市民レベルで論議しなければならないと思っております。

高知市役所勤務時代の平成16年当時に、高知城周辺の景観掲載について個人的な見解を記述していました。

 私の地方都市における景観形成の考え方を知っていただくためにも参考文献をご披露したいと存じます。
 
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 先の平成16年9月16日の高知新聞夕刊に,高知城の見えるまちづくりの記事が掲載されておりましたが,見られた方も多く,そのことに関し様々な思いがあったのではないかと思います。
説明会においては,景観保全には賛成との声が多くあったようです。記事を見た方々も賛同される方が多いのではないかと思われます。


では,お城が見えるということで,何から進めるべきかとなった場合の方法論について皆さんに協力をお願いしたいと思います。


 現在では,高知市の建物も高層化し,特に,お城周辺では公共機関と共に業務系の業種が集積し,建物は高層化され,お城が見えるところも少なくなって来ています。
また,見えるであろう場所からでも,お城の樹木に遮られて見えない状況です。高知城を積極的に見せるためには,樹木を一定整理することが求められます。

 三の丸までは,緑地としての機能を果たす意味からも現在の植生を保全する必要がありますが,それにおいても,剪定等は実施する必要があります。三の丸以上については,移植や剪定,伐採を行い,天守閣を積極的に見せるようにすべきです。
 
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 一昔前に,河川などがカミソリ護岸により,市民の視界から水面が姿を消し,水質が悪化し,ゴミ捨て場と化したことは,改めて説明するまでもなく,視覚に入らなくなった水面を気に留めることがなくなったことで,水質の汚濁が益々ひどくなった経緯があります。

 このことと同様に,お城が見えないことで,当然意識されることも少なくなり,益々見えなくなって行くように思われます。


多くの市民は,樹木の生長が徐々に進み,気がついた時には,お城が見えなくなっていたということではないかと思われます。


 これは古くから遠くの緑などを取り入れる借景という技法があり,お城が見えるようになれば,それを借景する建物も出てくるのではないか。それが,一つの方向性を与えるとすれば,まちの景観は秩序付けられて来るのではないかと期待されるところでもあります。
その意味からも,対象物の側も見せる努力を払う必要があると思います。

 しかしながら,一部の市民からは,樹木を整理しようとすると,自然保護や環境保全の名の元に樹木の整理に理解を示そうとしない方がいるのも確かです。


樹木には,適度の剪定を行うことは活力を与えることとなるなどの効用もあります。

また,樹木の生長により,石垣が孕むなどの影響を与えている場所も見受けられ,そのような場所での樹木は,移植や伐採を積極的に行う必要があります。それをしなければ,石垣もやがては崩壊の危機にさらされることになりかねません。


 さらには,一定の景観を維持しようとすれば,樹木の剪定などは当然のことであり,例えば,自宅の庭木のことを考えていただければ一目瞭然ではないかと思います。

平成16年3月高知県教育委員会は,高知公園整備基本計画を策定し,県庁まで移転するとの記事が高知新聞に掲載されておりました。


 是非,高知県には,景観形成に向けた取組みとして,高知のランドマークとしての高知城をもっと見せるようにして頂きたいものです。


高知公園は,明治6年の太政官布告により高知城を公園と定めて以来,市民の憩いの場として,また歴史的な施設として,市民に親しまれ,特に春の花見シーズンは,市民の花見の場所としてもにぎわいを見せ,三の丸の桜については,市民権を獲得していると言えます。


 二の丸への西側のスロープは,公園として整備された当時につくられたもので,創建当時には無かった道です。その上がり詰めには乾櫓があったようです。できれば,そのような櫓も再現できれば結構なことですが,財政的にも困難性があり,歴史家などから時代考証などでクレームが付くこと請け合いですので,まずは,お城を見せることから始めて頂きたいと思います。


 お城の樹木も年々伸長し,お城を見えなくしていることから,市民も,樹木の整理には理解をしなければならないと思います。
お城も創建当時は,樹木は少なかったことは想像にかたくないところであり,積極的に植栽したのは,庭園としての樹木であったと思われます。


 景観的には,樹木は植えれば良いというものではありません。現在の都市緑化においても場所によっては,死角が出来,防犯面での問題や交通事故の要因ともなりかねないケースも見受けられます。やはり,植栽にも,「どう見せるのか」「どう修景する(隠す)のか」を考慮すべきです。
 
 お城の樹木を整理した事例には,丸亀城があります。石垣を見せるように,樹木を一定整理したことで,JR丸亀駅からも非常に存在感のある石垣が見えるようになっております。しかしながら,石垣の上部にあるはずの矢狭間塀が撤去されているために,石垣の上に天守閣が取って付けたように見え,何かバランスが崩れているようにも感じます。


 高知城では,二の丸にも,本丸のような矢狭間塀が再現できれば,城の存在感も増幅すると思われます。現状では,矢狭間塀のあるべき石垣の上部に柵として有刺鉄線が張り巡らされており,下手をすれば,観光客にもケガをさせかねない状況です。


矢狭間塀に代わる生垣においても,棘のある柑橘類の樹木が植栽されており,訪れる者に刺さることもあるのではないかと危惧されます。

 築城時,一番景観を意識されたところは,やはり追手筋からの視線であったと思われます。戦国の城から政治的な城へと変わって行った中での築城であり,如何に見せるかに細心の注意が注がれたと思われ,それが,「ひろめ」であったのではないかと思われます。


山上庄一まちづくり研究会-ootesuzi 高知市追手筋から高知城を望む。

 右手に見える時計台の建物は県立高知追手前高校。露店は日曜市。300年以上前からお城とともに街路市はありました。

 この追手筋からの眺望を一番意識して高知城は建築されたと思いますね。


 現在でも,「ひろめ」といわれる場所から追手門を越しに天守閣を望むアングルが一番きれいと言われております。その延長線上にあるのが追手筋であり,そこからも出来るだけ,お城が見えるようにすべきではないでしょうか。それも通りの全てから見せるのではなく,所々で見えるように出来ればと思います。

 しかし現実には見えるであろうところでも,樹木が邪魔になり,視界を遮っております。

景観演出からは,通りでは隠して,追手門前に来てはじめて景観が開け,そこでお城を見せるというのも演出効果はあるかとは思います。しかし,通りの途中で遠景として見せることも有効であると思います。


 築城時代の地割りでは,「ひろめ」に至るまでの道路はそれほど広くはなく,やはり,演出効果をねらったものと考えられます。


現在の追手筋の所々から,お城が見えるようにするためには,クスノキなどの頂部の剪定をすべきであると思います。また,西側の城西公園からも天守閣が見えるようにしたいものです。

以上のことを要約しますと,


1)お城を周囲から見せるため,お城の樹木の移植・剪定,伐採を実施する。

2)二の丸への矢狭間塀を再現する。

3)追手筋の所々からもお城が見えるように,楠などの頂部を剪定する。

4)環境保護を唱える方に対し,樹木整理への理解を求める。

ということになります。

 高知市五台山山頂展望台から高知市を望む。地方都市でありましても高層ビルが林立、高知城を眺めることは出来ません。


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 世界遺産にも登録されました姫路城。石垣まで見えるようですと、「ランドマーク」としてお城が際立ちますね。



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宿毛が過疎化などで疲弊しています。以前のような活気ある地域にしたい。


今後の人生を託すまちづくりのためにも、高知市役所での30年の行政経験 を生かし、まちづくりの要である市政に関わり、地域の皆さんと一緒になって頑張りたいと思います。


宿毛では、基幹産業である農林漁業の振興を図ることが必要かつ不可欠です。


現状の市政は、偏った部分最適 となり、全体の方向を見失っているように見えます。


もっと全体最適に向けた取組みが必要であり、活性化のための方向性を定めたうえで、各種政策を推進すべきと考えます。


たとえば、咸陽島公園の整備 に見るように、一番大切な自然堤防の防風林を伐採し、コンクリートで固めるなど景観を破壊しており、大切なものの優先順位を誤っているとしか思えません。


 このような誤りを是正する必要があります。


宿毛の人口は、現在、約2.3万人。以前には4万人近くおりました。


 活力の源泉でもある人口の増加を図るためには、様々な潜在的能力を持った地域資源を掘り起こし、その活用を図ることが必要です。


子供たちには、生まれた地域で如何に充足して暮らすかといったことをもっと積極的に教え、郷土愛を育むことが必要であると考えます。


そのためにも、宿毛を誇りに思える場所づくりとしての景観整備コトおこしが 求められます。このことが大きな経済波及効果をもたらす観光へとつながり、ひいては、私たち市民自身が楽しめるまちになると考えています。! 

 皆さんぜひとも、一読をお願いしたい本があります。それは、「正しく知る地球温暖化」(赤父祖 俊一)と「二酸化炭素温暖化説の崩壊」(広瀬 隆)です。既にお読みになっているかもしれませんが。

決してエネルギーの無駄使いをしようということではありません。


エントロピーの増大は避けるべきで、私達の子孫にエネルギーは残すべきです。地球上には負のエントロピーは太陽エネルギーだけです。それを上手く食物エネルギーなどに変化してくるのは、葉緑素・クロロフィルで、光合成によるものです。


高知などはもっと水力の使用を推進すべきであると思います。


山上庄一まちづくり研究会-ogawa


太陽エネルギーが海水などを蒸発させ雨をつくり、位置エネルギーを持ち、山に降り注ぎます。森林土壌に涵養され、徐々に川に流れ、運動エネルギーに変わります。それを、水車等で電気エネルギーに変えるのです。


水車は、連続して配置しても回ります。大小の水路を流れる水をみるとエネルギーに見えてきます。利水であり、水そのものを用水にするのではなく、流れる途中でエネルギーを取り出すだけなのです。


しかしながら、日本には水利権なるもので雁字搦めです。発電に限って法を緩和することが求められますが。一説では、水力で日本の電力の大部分が賄えるといわれています。


高知県では、年間3千ミリ近い降水量があり、森林率も84%も有り、保水力もあります。是非とも小水力発電を促進して頂きたいと思います。


宿毛市など多くの地方都市は、まちの構造自体が、車なしの生活は難しくなっているのが実情で、多くの方が車を持ち、公共交通の利用低迷は当然の帰結です。


 このような中、高齢で車の運転が出来ない方が増え「買物難民 」のことばも生まれています。

 これも、国の土地利用に対する無策といわれる弊害で、地方は手足を縛られ、その結果として都市・地域計画の失敗であるといっても過言ではなく、地方の疲弊にも繋がっています。


 交通を論ずる際、土地利用が一緒に論じることは少ないようですが、表裏一体であることからは、片手落ちの感は否めません。


 市街地の拡張で、社会資本の未整備のところに宅地開発等を行えば、移動は車となり、行政欲求も道路の整備に始まり、公園や学校など、最近では店舗の要求も出ています。これが後追行政となり都市経営的にも失敗といえます。


 昔は、近所に店があり、すぐに用を足せました。それが車社会で、郊外大型店 に駆逐され、遠出の買物を強いられ、交通手段に公共交通は勿論必要です。が、CO2削減は元より、過度の車依存をしないまちにすべきであると思います。

山上庄一でございます。


このたび宿毛のまちづくりと未来について、わたしの考え方を述べさせて頂こうと思います。


皆さんは、宿毛市 の現在の人口は、何人になっていると思いますでしょうか?


現在の宿毛市 の人口 は、2万3千人を切っている状況になっております。


以前、私どもの学生の頃は、4万人に近い人口がおりました。小学校でもそのように習っておりました。

それが、ここ40年ほどで人口が激減しているといってよいと思います。


この数字だけでも、活力が低下している、ことがうなづけるような気がします。

活力の源泉であります人口規模が小さくなってきております。

では、なぜ、減るのか、ということを考えますと、いろいろな要因があります。雇用の場の問題、教育の問題等々、 ありますが、それでも、宿毛ではもっと重大な欠点があるのではないかと思うことがございます。


例えば、竹下内閣の時代に、ふるさと創生 、ということで、一億円が各自治体に交付されました。その使い道で、宿毛市では、大島に桜の木を植えております。


この決定を見て、宿毛では人口が減るべくして、減っていると思った次第です。


非常に、安易に物事を決めているということです。

なぜ、桜なのかと、宿毛市役所の行政の方に聞いたことがありますが、その答えが、宿毛は日本で一番早く桜がさくからだ。ということでした。


しかし、桜の開花は、その年の気象条件等で、九州になったり、本州になったりしたこともあります。一度や二度、宿毛がなったからといって、そのことを理由にして、桜を植えるというのは、非常に短絡的あると思います。


植えるのであれば、もっと戦略的なことを考えて行うべきであると思います。


例えば、果実のなる木などでも植えて、その果実を加工して、宿毛の特産品を造るという、ところまで考えてやるべきではないかと思います。そうすれば、加工の為の雇用の場も創出できたのではないかと思います。


一村一品運動で有名な、大分県の、 大山町 では、40年以上も前に、「梅、栗植えて、ハワイへ行こう」というキャッチフレーズで、見事成功しています。


全国でも、パスポート取得率ナンバーワンになっています。手間がかからず、収益性が高いものを選んでおりまして、各農家も収入が増加して、街全体が豊かになって、ハワイにもいけるようになった。ということです。


また、徳島県の 上勝町 では、葉っぱを売って商売をしています。最近では、若者が帰ってきて、人口も増えているようです。アイデアで勝負している訳です。




このように、次につながるアクションが求められるところですが、残念ながら、宿毛市では、それがなくて、桜の咲く時期は、せいぜい一週間程です。そのために、維持管理費が嵩んでいる状況ではないかと思います。いかにも短絡的すぎるように思います。


このような事例からも、宿毛市の人口は、減るべきして減ってきたといっても過言ではないと思います。単に、人材供給地域になってきたのではないでようか。


それでも、いつまえも続く訳ではありません。やがて、排出できなくなってくると思います。




私し自身のことになりますが、宿毛を離れて、30年~40年近くになりますが、以前、宿毛に対しては、室生犀星の「故郷は、遠くにありて思うもの・・・」という詩(うた、し)がありますが、そのような感覚でおりました。しかし、もうそのようなノスタルジーだけで語ることは出来ない状況になりつつあるように思います。


盆、正月だけではなく、何かことあるごとに帰って来ておりましたが、活力がなくなっていることを感じておりました。


もう「故郷は、遠くにありて、」などとは言ってはおれないような状況になってきており、このままでは、市内の各地区が限界集落化して、やがて集落が無なってしまうのではないかという危機感を持つに至っているところでございます。


私は、これまで、都市計画 等で、コミュニティ の勉強もしてきました。また、大学で学生に講義をする機会などもあり、一緒に勉強をしたことがありました。


その行き着くところと、やはり、故郷の宿毛が一番であると再確認しているところでもあります。


それは、身近に気心が知れた、人々がおり、また、かけがえのない兄弟や同級生などもおりますことから、気が安らぐ場になっているということです。


これまで、いろいろ、まちづくりを見てきました。

しかし、チルチル・ミチルの「青い鳥 」のように、求めるものは、実は身近にあったというのが実感です。


モノ心ついたときから。というよりも、母親のお腹の中に居る時から、すでに、聞いていた、祭りのリズムや盆踊りの太鼓など、多分、自分自身のDNAの中にまで浸透しているのではないか、というような気がしております。


それでも、メーテルリンクの「青い鳥」の結末は、原作では、青い鳥は身近にいた。しかし、気づいた時には、遅かった。というものです。


宿毛市の、先に申し上げました、良いところも、気づいた時には、もうなくなってしまい、気づいた時には遅かった。ということがないように、今、手を打たなければならないと思います。


本当の意味で、「一生を託すに足りるまち」にしてゆかなければならないと思っております。

その意味からは、かつての新田はなくなり、新たな宅地や道路を造りましたが、このような道路線形でよかったのか、また、景観的にももう少し工夫が必要ではなかったかと、疑問を感じております。




そこで、また、一つ例を上げさせていただきます。

それは、感陽島公園の整備の仕方です。

最近では、だるま夕日 で、かなり知名度も上がっておりますが、その、風光明媚な景観を、台無しにしている整備が行われております。


自然堤防は、コンクリートで包まれ、景観の構成上、大切な防風林は伐採されております。そこに、あろうことか、ビーチバレーのコートなるものが造られております。


一体、誰が使うのでしょうか。まったく、首を傾げたくなるようなモノがつくられております。

これも、桜を植えたときと同様の構図で決定されたのではないかと思います。


それでも、市民の皆さんのニーズがあって、利用の頻度も高く、そのために、市民が健康になった。というのであれば、それは、それなりに、投資効果は高いものになると思います。しかし、そうではありません。


とんでもない、無駄なことをしている。としか思えない、ということです。


ましてや、観光資源にもなりえる、景観 を台無しにしているところに、なにかやりきれないモノを感じます。

やはり、「あるべきところに、あるべきものがある」ということが大事であることはいうまでありません。それが、歴史の記憶でもある訳です。


現在の宿毛市制には、何が、重要で、何がそうでないのか。という優先順位があいまいになっているのではないかと思います。多分、一次が万事であろうと思います。

やはり、物事の優先順位を明確にしなければなりませんし、前に述べましたようなことは、是正してゆかなければ、ならないと考えております。


そのためにも、市制に関わらさせていただき、宿毛市の向かう道筋を正していかなければならないと思います。

本当に、皆さんの一人一人が、一生を託せるまちにしたいと考えております。