以下、小説となります!

 

 

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任務帰りの途中。
そこでオレは非常に興味深いものに遭遇した。


場所は演習場近くの森上空。
いつもなら大して気にも留めないことだったが、何故かその日は目についた。


森上空で一羽の小鳥が飛んでいる。
やたらと鳴くその小鳥は、小鳥に似合わぬ飛び方で縦横無尽に空を駆け、狂ったように羽を動かしていた。
あーぁ、そんなに目立ったら猛禽類の目につくのに馬鹿な奴だーねぇ。
胸糞悪い任務後の自分だけが隔離されたような感覚の中、そんなことを思った直後、その小鳥は案の定トビの強襲を受けた。
これも自然の摂理だと特に感慨も受けずに観察していれば、トビの鉤爪が小鳥に接触するや否や突如煙をまき散らした。
それに驚いて逃げるトビと、煙の中から現れた人影が真っ逆さまに落ちていく。


そこでオレの視界は明瞭となる。
ぴたりと内のオレと外のオレが瞬時に重なり合った。
任務内容が胸糞悪くなればなるほど世界はオレだけに膜を張り、容易に抜け出してくれない。
この度の任務だって口に憚るようなものだったはずだ。
驚いた拍子か、それとも一連の出来事に興が注がれたのか。
こんなことは初めてで、だからこそオレを一瞬にして繋げた存在が気になって、オレはこっそり森へと落下した人物を追った。


件の人影はすぐに見つかった。
枝の生い茂った葉に狙ったように尻をめり込ませ、両手両足を浮かせて茫然としている。
黒い髪を後ろで一本にまとめあげ、中忍のベストを着た正規服の男。
顔のど真ん中、鼻を横切るように一本傷があるくらいで特に目立ったところはない男だった。
「……っっっ」
男は落ちた衝撃からようやく我に返ったかと思えば、声にならない呻き声をあげた直後、顔を真っ赤にさせた。
無理もない。
中忍ともあろうものが、トビに襲われるばかりか、成す術もなく尻から着地して茫然としているのだ。忍びとしてどうかと思うほどの鈍くささだ。下手したら中忍の資格を取り下げられるほどの間抜けさだ。


男はぷるぷると体を震わせ、目をきゅっと瞑り、苦虫をかんだように己の恥ずかしさをこれでもかというほど味わっていた。
手に取るように男の感情の推移を目の当たりにして、不意に笑いが込み上げてきたが、ここで笑って男に存在を知られるのは何故か嫌で必死に我慢した。


やがて男は前触れもなくカッと目を開くと、前後左右視線を這わせ、親の仇のように周囲を確認した後、ようやく木の枝から脱出した。
飛び降りた後、地面に着くなり男は誰も見ていないはずなのに、何事もなかったかのように不自然に首を森の上部へと傾け、今まで散歩していましたよと言わんばかりに鼻歌を歌い始め歩き出した。
その取り繕いの下手さに思わず吹き出しそうになったが、オレは我慢した。鋼の腹筋をここぞとばかりに活かし、笑いを封じ込めた。
もう息などしている場合ではなかった。今にも漏れ出そうな息を手で押さえ、オレは男の行方を追う。


だが、男も自分の取り繕いの下手さに我慢できなかったのか、突然全力で走り出した。
少し笑いも落ち着いたこともあり、ここで見逃すのも何か面白くなくて、オレもすぐさまその後をつける。
男は人目のない道をうまく選び、一心不乱に駆けていく。かくいうオレは民家の屋根や電信柱を伝って追いかけていくのだが、明らかに人目もなく行き来が楽な上の道を使わずに、下の道を頑として使う男の性根に何となく胸をくすぐられた心地になった。
そうして男がたどり着いたのはボロアパートで、外付けの錆びた階段を駆け上がるなり、とある部屋に飛び込んでいった。
部屋を確認し、部屋の中が見える位置を探して男へと視線を向ける。
折しも男の部屋がよく覗ける場所に木が立っていたので、その幹へと飛び移る。ちょうど葉で目隠しになり周囲からも目立たず、都合が良すぎるほどいい場所だった。


男の部屋は男の性格を表すかのように、なんとも無防備だった。
寝室に使っている部屋というか、全ての部屋の外に面している窓という窓にはカーテンなどの目隠しするものは一切なく、外から見放題だったのだ。
ま、オレにとっては都合が良いことだけども。


そんな状況もあって、男はすぐに見つかった。
帰ってきてから速攻で布団にもぐったらしい。
頭から布団へ突っ込み、尻は丸出しで、思い出したように時折じたばたと足をばたつかせている。なんなら布団の中で呻き声でもあげているのかもしれない。


大いにもだえ苦しんでいる男の姿を飽きることなく見つめ続けていたが、やがて男は動かなくなってしまった。どうやらそのまま寝てしまったらしい。
このまま朝まで見続けようかなと一瞬思ったが、冷静な自分がそれはまずいでショと突っ込んでくる。
明日もまた任務だし、体は休めなくてはならないだろう。


「……おやすみ」
何となく男へ言葉を紡ぎ、つかの間の休息を得るために家へと帰った。
機械的に腹に物を入れ、体を清める。
明日の任務の準備を行い、横になったのは、0時を少し超えたくらいだった。
目を閉じて浮かんだことは、陰惨な任務の情景ではなく忍びとは思えない間抜けな男の赤らんだ顔で、その日は何故かよく眠れた。



「……うみのイルカ、ねぇ」
あの日から何の気なしに動向を探るようになって、本日、書庫にて該当する男を探し当て、名を知った。
先日のあの間抜けな行動からは想像つかなかったが、数年前まで里外で戦忍をしており、何度か高ランク任務にもついていた。今はアカデミー教師として内勤についており、里外任務からは遠ざかっているようだ。
いらぬお世話だろうが、オレとしても内勤任務は賛成だ。素であんな間抜けな失態を演じる部下はぶっちゃけ欲しくないし。
アカデミー教師としては優秀なようで近々幼年組の担任を任されるそうだ。それに加え、本人の気質と顔の広さを買われてか、今年から受付任務に駆り出されている。
「上層部の覚えもめでたく、特に三代目火影様に可愛がられている、と」
資料には書かれていないことを口ずさむ。
うみのイルカの後を追っていった先で、三代目と談笑するばかりかお茶まで一緒にしていた姿を見たときは驚いた。おまけにオレが追い回していたのを咎めるように殺気をぶつけられたのには参った。もはや身内贔屓の域だろう。
三代目と関係の深い、腐れ縁にそれとなく聞けば、親の代から親しく、それこそ孫のように可愛がっているようだ。立派な息子がいるのに、孫とはこれ如何にと疑問を投げかければ、息子であるアスマは特に気にした様子もなく肩を竦めていた。そればかりか、アスマまでも弟扱いするのにはげんなりした。
妙なちょっかいかけやがったらただじゃおかねぇと面と向かって言われ、今度はこちらが肩を竦めてしまう。
上の者から可愛がられる気質でもあんのかねぇ。
ご意見番のコハルさまとホムラさまからも茶を一緒にしていたし。


面倒だなとか、目を付けたのがオレだけじゃなかったことにちょっとがっかりしつつも、オレはなんだかんだで暇なときはうみのイルカの後を追ってこっそりと観察していた。
そして色々と観察をした結果、うみのイルカは極度の寂しがり屋だということが分かった。それと同時に人が好きで好きで、それこそ木の葉の里の住民全部に愛を注ぐような大変情の篤い男だった。


そこでオレは首を捻ることとなる。
だったらば何故うみのイルカは変化をしてまで一人になるような行動に出たのか、と。
そうなると俄然興味と好奇心が掻き立てられ、オレは自分の持ちうるすべての能力、伝手、権力、力などを思う存分奮い、うみのイルカという人物について暴いた。


そうして、知った。
うみのイルカが一人になりたい理由は、極度の愛されたがり屋が捩れまくった結果だと。


うみのイルカの幼少期は、両親に余すことなく愛された幸せな少年だった。
しかし九尾の事件で両親を失い、突然天涯孤独の身の上となり果てた。
両親から余すことなく愛された分、自分が人が大好きな分だけ、うみのイルカは自分も愛されたかったようだ。
だが、両親からまっとうな愛を受け取っていたうみのイルカは、常識というものを識っていた。
無分別なクソガキだったらまだ良かったのだろう。
けれど、うみのイルカはここで捩れた。捩れずにはいられなかった。
人が好きな分、常識を識っていた分だけ捻じ曲がり、その結果己を曲げた。
愛されたいと思う自分に制限をかけるかのように一人でいる時間を求めた。
一人でいることが好きなのだと、己を騙した。


そうして出来たのが今現在のうみのイルカだ。


「ふむ」
眼下には、薄汚れた犬に変化をしたうみのイルカがいる。
何が楽しいのか、尻尾をぶんぶん振り回し、傍から見れば幸せそうな馬鹿犬に見えるうみのイルカがいる。
うみのイルカという人物を見、知り、中身まで余すことなく暴いた。
興味も好奇心も暴いた後なればそこら辺の有象無象と同じようになるものだと思っていたのだが。
「……なーんで、欲しいと思っちゃうのかーな?」
答えがない問いを投げかけてしまう。
だから、少し考えた後、自分で小さく返す。
「だって、何かいいじゃない。欲しいものがあるけれど生半可なものじゃ我慢できないから、だから自分を騙して自分なりの解決方法を実行してんのよ。それも無意識に。すっごく可愛いじゃなーい」
言って、くすりと笑う。
本当に可愛い。
自己完結してるようでコロリと変な輩に騙されそうな危うさがある。見た目はしっかりしていているようですぐ足元をすくわれそうな間抜けさもある。なのに、正真正銘その中身はみっしりと綺麗なものが詰まっている。
あんな存在を手元に置けたら、いや置いたら、オレも何かマシなものになれるのかな。


遠い日に置き忘れたものが目の前に現れたような心地になって鋭く胸が痛んだけれど、それと同時にくすぐったくさせられた。
だったら、だったら手に入れないと。


にっと笑って今後の算段をつける。
なに、大丈夫。今までの下見で攻略方法はすでに頭の中に出来上がっていた。
なんだかんだと情報を集めながら、すでにそのときからオレはうみのイルカを捕獲するつもりでいたらしい。
捩れているのはお互い様か。
くくっと喉で笑い、まずはオレ自身を知ってもらおうとうみのイルカの行く先へと先回りをして待ち構えた。



******



「も、申し訳ありませんでしたぁぁぁぁ!!!」
何とか銀髪上忍の手から抜け出そうと足掻いたが、非力すぎる俺ではどうすることもなく、とうとう本丸へと足を踏み込んでしまっていた。
絶対上忍の住処に入るなんて、一介の中忍には恐ろしすぎて、もうなりふり構ってはいられず、俺は変化を解いて土下座謝罪をしている最中である。



「……あ」
玄関に入った先での出来事に、銀髪上忍は間抜けな声をあげた。
土下座しているため顔は見えないが、何となくひどく気落ちしている表情をしているような気がして、俺は畳みかけるように謝罪と反省を繰り返す。
「私的に変化して大変申し訳ありませんでしたぁぁぁぁ!!! しかも俺の私的事項に巻き込んでしまい重ね重ね申し訳ありませんでしたぁぁぁぁ!!! ちょっとした息抜きで動物に変化して惑わしてしまい、申し訳ありませんでしたぁぁぁぁ!!! 今回のことは本部にきちんと告げて厳重に処していただきます! 本当に、本当に申し訳ありませんでしたぁぁぁぁ!!!」
やたら広い玄関の土間にて額をこすりつけて詫びた。
もう何というか、申し訳なさと同時によりにもよって上忍に目をつけられた己の運のなさに嘆く他ない。
だってさ、不運以外の何ものでもないじゃないか!?
俺、一応人目のないところで一人で変化の姿を楽しんでいたんだよ。一人になるために変化しているんだからそりゃ誰もいないところを狙って、一応細心の注意は払っていた。なのによりにもよって上忍に見られて興味持たれるなんて思わないじゃない? それに、上忍だったらこれが誰かが変化してんなとか、そういう少しの差異にも気づいて欲しいというか、だめ? 俺の変化の術があまりに完璧すぎたのかもしれないけど、それでも上忍なんだから気付いてそっといて欲しかったとか、そんなこと
「……里内でわざわざ動物に変化していると疑いもしなかったオレのミスですね」
唐突に漏らされた、俺の心の中の愚痴の返答にしか思えない言葉に思わず顔を上げてしまう。
「……ぐす」
銀髪上忍は何故か口布と額あてをとっぱらい、俺に素顔を見せつつ落ちる涙を拭っている。
顔隠していたのに何で部外者の俺にそれを見せつけてんのとか、現れた素顔がめったに見ないほどの美形なのにも驚きつつ、何よりも俺と同い年くらいの男を泣かせたことに動揺してしまう。


「あ、あああ、あああ!! す、すいません! 本当にすいません、泣かないでください!!」
わたわたしつつ、幼少組の子供たちを相手にすることが多くて、何かあった時用のために余分に持っていた手拭いを取り出し、俺は男の涙を拭く。
「あ、ああ! こ、これ綺麗です! きちんと洗ってますし、まったくもって問題ないです!!」
瞬きする度にぽろぽろと長い睫毛を伝い落ちる涙と、頬に伝う涙を渾身の丁寧さを持って拭く。
荒くこすり拭う手を軽く押さえ、懸命に拭いていれば、男は俺の瞳を見つめ少し困ったように笑った。
そこでハッと気づく。
見知らぬ他人、しかも大の大人に対してする行動ではない。
す、すいませぇんと声がひっくり返る手前の声を発する直前、男は拭いていた俺の手を握り、自嘲気味に呟いた。
「……やっぱりクロスケはクロスケですね。あのときも、泣いているオレを必死に慰めてくれたクロスケと……同じ……」
うっと感極まったようにぼろぼろと本格的に泣き出した男に、俺は血の気が抜ける思いだった。
よほどあのときのことは男にとって印象深く、心に刻み付けた事柄のようだ。
男のことは全く知らないが、一時会っただけの犬に固執する男の背景が何となく察せられて、こっちまで胸が苦しくなった。だからか、泣く男の体を自然なほど自分の懐に抱きよせていた。
子供たちにするように頭を撫でつつ、背中をゆっくりと叩く。
一瞬、男は緊張したように硬直したけど、不意に体が弛緩するなり肩口に顔を伏せた。
そのままお互い黙ったまま、しばらく抱き合っていた。


「……ありがとうございます。もう、大丈夫です」
どれだけの時が過ぎたかわからないが、男はそう言って顔を上げた。
「すいません、情けないところ見せて……。服も濡らせてしまいましたね。どうぞ上がってください」
控えめに俺の袖口を握る男の仕草と、ここで断ればまた泣いてしまいそうな潤んだ瞳を見て、俺は言われるがまま上がってしまう。
玄関から繋がる廊下から、戸を開けた男の部屋は、俺の住処と比べるにはおこがましいくらい綺麗でしかも広かった。
今流行りなのか分からないが、ほぼ間仕切りのない部屋がどーんと目の前に広がり、何故か真っ先に男の寝ているどでかいベッドが出迎える。
手裏剣柄の布団に思わず目を奪われつつ、男は俺をその隣にあるソファへと座らせ、少し奥まったキッチンでお茶の準備をし始めた。
「待ってて、今、コーヒー入れるから。砂糖とミルクは両方入れるよね?」
「え、あ! お、お構いなく!! そんなに長居してもわ」
断りの言葉を入れようとする俺を、男は涙でいっぱいにした瞳で見つめてくる。犬だったら、尻尾を下げてきゅーんと言ってきそうな姿に、俺は言葉を飲み込んだ。
「……い、いただきます」
「うん、ごーかっく」
意志薄弱な己に肩を落とせば、男は何故か合格判定を下す。何故だ、よくわからない。



男は俺にコーヒーと茶菓子を振る舞い、何故かそれが俺の舌に抜群に合い、うまさに感激していると、自己紹介をし始めた。
男の名は、はたけカカシといい、やはり上忍だった。
今は里外任務が主だが、近々ある何かの結果次第では里内勤務になるかもしれないと言う。
はたけ上忍は俺に名を告げて何かの反応を待っていたが、恥ずかしいことに噂に疎い俺は期待された反応をすることができなかった。申し訳なく思う俺に、はたけ上忍は逆に機嫌を良くし、何故かこの部屋に泊まることになってしまった。
思い返しても不思議である。俺もどうしてここに泊まることになったのか、未だによく分かっていない。
風呂を勧められ、入った後は手料理を振舞われ、いただいた料理もほっぺが落ちるかと思うほどの絶品で、酒も少しいただいて、ちょっとほろ酔い気分で気付けば翌日の朝となっていた。しかもどうしてか、一緒に仲良く同じ布団に入って、今日初めて話したとは思えない距離で寝ている。


「イルカの着ていた服は今日返すから、アカデミー終わったらここに帰ってくるんだーよ」
「え、あ、は、はい」
いってらっしゃいと何故か弁当まで持たされて見送られ、俺ははたけ上忍の服を身に着け、そのままアカデミーへと出勤した。
相変わらず頭の中は疑問符だらけなのだが、ふと後ろを振り返れば、満面の笑みで手を振り送り出してくれるはたけ上忍がいる。
その光景が何故かぐっと胸にきて、俺は下手くそな笑顔で手を振り返した。



******



「カカシ、わしはお主のそういうところは人間として致命的な欠陥だと思っとるんじゃがお主はどう思おうている」
泣く寸前のぶさかわいい顔をオレに晒したイルカを改めてモノにすると決意を固めたところで、傍らにずっと気配を殺して控えていたパックンが問いかけてきた。
「何よ。言っておくけど、イルカだって嬉しそうにしてたじゃなーい。もちろんオレも嬉しい。双方Win-Winの関係でショ。何も文句ないじゃない」
肩を竦めるオレに、パックンは元からしわくちゃの顔をもっとしわくちゃにして唸る。
「わしとてお主が戯れでやっているとは思っておらんが、騙し討ちのようにするやり口がの」
パックンの言い分は至極まっとうで通常ならば耳を傾けるべき苦言だが、オレとしても言い分があるのだ。
「わかるよ。イルカだったら正攻法で誠実に向き合えば幾らでも返してくれるってね」
ならばと見上げるパックンに首を振る。
「それじゃ遅いんだーよ。今までよくぞ見逃されてきたと思うくらいあの人はオレみたいなのにとって本当に稀有で誰もが欲しがるような人なーの。アカデミー勤務だから子供たちばっかりの相手してきたけど、これから受付任務にも入って交友関係がぐっと広がるんだーよ。目敏いのに見つかる可能性大なの。早いうちに手を打たなくちゃーね?」
「……独占したいが故か」
あきれたように零した言葉に深く頷く。
「そうそう。手早く囲って、オレの、はたけカカシのモノだって見せつけないと」
マンションから出て、通りに入ってからも、時々振り向いてオレを確認するイルカへ手をあげる。ぱっと弾けるように嬉しそうな笑みをオレに向けたイルカへ混じりけのない笑みが浮かぶ。


いいじゃなーい。
騙し討ちだろうと何だろうと。


「イルカの笑みを見ていたいオレの気持ちに嘘偽りはないんだかーら」


イルカの姿が見えなくなるまで見送って、部屋に戻ろうとしたところで、パックンがこちらをじっと見つめている気配がした。
何よと視線を落とせば、パックンはさっきまでとは打って変わって上機嫌な気配を出しつつオレより一足先に部屋へと入っていく。
「惚気なんぞ犬も食わんわい」
ぽつりと吐き出された言葉に、少し照れた。惚気に聞こえたのか。


「さて、二度と変化しないように努力しますかねぇ」
伸びをしつつ、今晩の飯を何しようかと考えながら転び出た言葉に思わず苦笑した。
パックンの言う通り、惚気以外の何物でもない。
ははっと笑って、これからどうやってイルカをこの家へ住まわせるか胸を高鳴らせる。
オレの直感は優秀すぎるらしい。
手元に置く前からこんなにもイルカを思う自分がいる。
それを嫌悪しない己に、すでに何かに変わった己に、笑いしかでないオレはたぶん何かの一歩を踏み出したのだろう。






おわり

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……あれ? 猫の存在の希薄さよ……。

くっ、くぅぅぅうぅぅ。

来年、ご期待ください……(´;ω;`)ウゥゥ

 

 

 

お久しぶりです。

とても遅くなりましたが、拍手コメントのお返事となります。

 

2023年3月20日

 ・15:57の方さま

 こちらこそお読みいただきありがとうございます!!

 もっとこれから書きたいという意欲はありますので、稀でいいのでまたお越しくださいませ。

 夢はでかいぞ、大きいぞ! 目指せ、いろいろ!!

 

 それでは、本日、2月22日猫の日!!ということで、以下、小説となります。

 続きは明日には載せたい……。いや、今夜できれば……。どうなる!!?( ;∀;)

 

 

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季節的には珍しい、ぽかぽかと温かい日差しに包まれて、野原の真ん中で一人、体をしならせて大きく伸びをする。
そよぐ風もただ心地いいだけの感触を残して通り過ぎ、微かに落としていく梅の匂いを堪能しながら一つあくびを漏らした。
あぁ、実にいい天気であり、実に良き猫の日、日和だ。


俺の名前は、うみのイルカ。
忍者の卵を育てるアカデミー学校に勤める一教師だ。
里で私用目的の忍術は推奨されていない中、教師という子供に模範とならねばならない立場で変化をする訳は、ぶっちゃけ俺自身にもよくわからない。


昨年の春から受付任務も兼任し非常に充実した毎日を送っているが、別に働くことは苦じゃないし、忙しく動いているのはどちらかといえば好きだと言える。たまに体にガタがきそうなほどの忙しさに追いかけられるけど、まぁ、それはそれで楽しいとも思う。


毎日接する子供たちは可愛い。
同僚たちとする日々の仕事をするのは楽しい。
嫌味な上忍を相手にするのは疲れるが、それでも尊敬はしている。
火影さまを始めとして、上司に当たる方々からも随分可愛がられていると思う。
商店街のおじちゃんやおばちゃんたちも親身になって接してくれる。


不満があるわけではない。逆に人間関係には恵まれていて、ありがたいぐらいだ。
けれど、どうしようもなく一人になりたい時がある。


そうして俺はつい、やってしまったのだ。
当たり前すぎて誰の目にも止まらない小さな鳥へ変化し、外へと飛び出した。
瞬間、圧倒的、解放感に包まれた。
顔見知りを眼下に見下ろし、自由に飛び回れる清々しさ。
何だか訳も分からないほどの喜びに包まれて、俺はピヨピヨと高らかに鳴いた。
最高の気分だった。誰彼構わず愛を叫びたいほどのアゲアゲの気分だった。
すると、どうしたことか直後に暗転した。
何ものかに全身を抑え込まれた。
刹那に見えた影を思い出し、俺は上空からトビに強襲されたのだと理解した。


襲われた時点で変化は解けるため、人間に戻った俺に驚いてトビは驚き逃げて行き、特に怪我という怪我はない。
落ちた場所が人気のない森の木の上で本当に良かった。
浮かれてトビの気配に気付かずに襲われて墜落などしては中忍失格だろう。
周囲に誰もいないことをくどいほど確認し、俺はその日の出来事を胸奥底に深くしまい込み、逃げ帰った。
だが、その一連の出来事は俺に深い傷を残した。
恥ずかしい。赤っ恥だ。
その日はあまり眠れなかった。


だが、俺は諦めなかった。
休日の日にあの解放感を味わうため、再び変化をした。
今度は犬だ。ちょっとひねくれた気のある、人には懐きそうにない薄汚れた野良犬となった。
やっぱり何とも言えない解放感を味わいつつ、ささっと住宅地を抜け、人気のない森の辺りへ直行。
るんるん気分で犬になりきっていると、一つの気配が俺の前に現れた。


任務帰りの忍びのようだった。
銀髪をした、額あてと口布で大部分の顔を覆い隠していた忍びは、少しくたびれた感のある正規服に身を包み、ぬぼーと佇み俺を見下ろしていた。
独特な気配をまとう忍びに、俺の中忍的直感がずばりと告げた。
こいつは上忍だ、と。
まさかもしや俺の変化がバレたかとビビる俺の心情に連動して、ご機嫌だった尻尾が丸まり、お腹にくっつく。
じりじりと後ずさりして、そのまま逃げようかと踵を返したかけた直前、件のたぶん上忍は口を開いた。
「……お前、一人なの? オレもだーよ」
と、非常に寂し気な目で俺を見つめ、あろうことか俺を抱きしめてきた。
「ウオ、オ、オン!?」
さすが推定上忍。
逃げる間もない抱擁だった。
さすさすと後ろ背を撫でながら、きっと上忍はぽつりぽつりと語りだした。


自分の生い立ち。
相次ぐ戦いで友を、恩師を、そして友を殺したと壮絶なる過去を語る絶対上忍。
やだ、ちょっと待って、待って、重い、重すぎる。
今日初めて会った薄汚い犬に話していいことじゃないでしょう?
お前、絶対上忍なんだから、こうも簡単に身の上話していい立場じゃないと思うんだ。しかも、あれだよ、あれ。心開くの早すぎてこっちついていってないから。俺が犬だから口が軽くなったかもしれないけど、泣きながら縋りつく相手は別にいると思うんだ!!


「う、っ、ひ、ぐす」
「オ、オオオン、オン、オン!!!」
泣くなよ、泣くじゃねーよ! 男だろ! 辛いのは分かったがシャンとしねーと!! 亡くなった人たちもお前がそんな悲しそうな顔をしてたら浮かばれないって!! な? なぁ?! 泣き止めって、な!!
俺に縋りついて泣きまくる上忍に、俺は犬ながら必死に励ました。
きっと伝わっていないが全力で励ました。
そうして時は過ぎ、あたりが完全に闇に落ちた頃、銀髪上忍はようやく泣き止んだ。


「っ、お前、優しいーね。……うちの子になる? オレね、他にも忍犬飼っているんだけど、お前ならきっとうまくやれるよ」
にっこりと笑い、銀髪上忍はオレに誘いをかけてきた。
絆されすぎやしないか、上忍……!! もし俺が他里の忍びの変化だったらどうするんだ! 危機管理なさすぎじゃないか、上忍!!
銀髪上忍はオレの内心の動揺を尻目に、よしよし帰ろうなと俺を抱きかかえようとしてくるではないか。いや待て、待って、待たんか、ごらぁぁぁあぁ!!!
「あ、クロスケ!」
俺は渾身の力で銀髪上忍の手を跳ねのけるや、ここ最近で断トツの本気を出して逃げた。尻尾まくって逃げまくった。
後ろから銀髪上忍の悲痛な声が聞こえてきたが俺は無視した。でも、すでに名前を決めているんだとちょっとげんなりしたが、中忍の全力で俺は家へと逃げ帰った。


家に着いて変化を解き、廊下へ倒れこんだ。
非常に疲れた。
よりにもよって物好きな上忍に絡まれるとは誰が予想しようか。
しかし、俺は疲れ果てた頭で次なる手を考えていた。


そして俺はとうとう見つけたのだ。
短い時間からお試し変化し細かく検証した結果導き出された、誰も俺に注目しない、目に入れたとしてもそこそこの接触ですぐに解放される至高の存在に!!


というわけで、休日の本日、俺的至高の存在である猫の姿で野原を歩いている最中だ。
時々飛んでくる虫へ戯れに猫パンチをかましつつ、俺は野原を当てもなくふらふらと歩く。
商店街の屋根上散歩も飽きたし、火影岩での日向ぼっこも気が乗らない。今日は森で木登りでもしようか。
本日の予定も決まったことで、のんびりとした足取りで森へとたどり着けば、いた。
奴がいた。


「クロスケー! 出ておいでぇ、クロスケぇぇぇ。オ、オレと一緒に帰ろう! クロスケぇぇ」
がさごそと森の入り口あたりで藪に頭を突っ込んだり、木に登ったりと、実に忙しない様子でクロスケを探す銀髪上忍。
もしやまさか。
俺が犬生活を諦め、猫生活を大いに堪能している間も、この銀髪上忍はクロスケとやらを探してたのか。俺が猫生活をし始めて早一か月は経っている。それなのに諦めもせずに探しているのか、この上忍。
その執念を目の当たりにし、ぞわっと体の毛が逆立つ。
俺が変化した犬だということはバレていないようだが、このご執心ぶりを見るとバレる可能性が非常に高い。ここはそっといなくなるにかぎ――
「おぉい、カカシ。黒いのがいるぞ」
方向転換しようとする寸前、背後から声があがった。
ちょ、ま、気配なんて一つも感じなかったぞ!!


ばっと振り返って見れば、明らかに普通の犬ではない。
理知的な瞳に、額には木の葉の額宛。くしゃっとした顔をしたパグ犬が俺を真っすぐに見つめている。
やべぇっと先ほどより毛を逆立て、俺はここから離脱するために足に力を入れ地を蹴ったところで後ろから拘束された。
「ク、クロスケェェエェェェエ!!!!!」
「フギャァァァァア!!」
背後から手が出て、抱きしめられる。それと同時に背中に何度も固いものと柔らかいものが行き来するから怖気が走る。
止めろ、止めろぉぉぉぉぉ!!
ぞわぞわする感触にしっちゃかめっちゃか暴れたが、背後の気配は気にする素振りもなく、ご満悦な息を吐いて信じられないことを宣った。
「はぁ、ようやく見つけた。さ、帰ろーね」
「うにゃぁぁぁあ!??」
ぎょっとして背後へ振り向く。
クロスケは犬だ。だが今の俺は猫だ。犬違いも甚だしい間違いである。
「うにゃ、にゃ! にゃ! にゃにゃ!!」
おいテメっ、目ん玉ついてんのか! 俺は猫だ! おめぇの探し求めている犬とは似ても似つかないだろうがっ!!
フシャーっと渾身の威嚇をしながら唸れば、足元のパグ犬が首を傾げて物を申してきた。
「おい、カカシ。その猫は違うと言っているようだぞ。確かにお主、犬を探していたんではなかったか?」
すげぇ、パグ犬!! 俺が言いたいことを全て言ってくれた。さすが忍犬。そんじょそこらの犬とは一線を画している。


パグ犬の言葉にちょっとホッとしつつ、銀髪上忍を見上げれば、銀髪は俺をじぃっと見つめていた。その眼差しの強さに、思わずひぃっと息を飲めば、銀髪は静かに言った。
「パックン。大丈夫。これはクロスケの生まれ変わりだーよ」
は、はぁぁあああぁ!???
頭おかしいんじゃないか発言をしてきた銀髪に二の句が継げない。
パグ犬ことパックンはその発言を聞き、非常に難しい顔をした後、「そうか」と一言だけ呟いた。
え? ちょっと待って、そこ突っ込むところ。絶対スルーしちゃいけないところだぞ!?


「みぎゃぁぁぁ、みぎゃぁぁ!!!」
下ろせ、下ろせと俺は必死こいて暴れたが、銀髪の手は一度も緩みはしなかった。
「うんうん、クロスケもオレに会えて嬉しーんだね。ふふ、相思相愛だぁね」
俺を胸に抱き、優し気に微笑む銀髪の唯一見える右目からはほんのりと涙が染み出ているからなお悪い。
嫌がる俺を見てそんなことを平気で宣うお前の神経が信じられない。
「うぎゃぁぁ、ぎぃやぁぁぁ」
嫌だ、俺は帰るんだ! 俺は俺は――
「うんうん、帰ろうね。今日からクロスケはオレの家族だぁよ~」
うふふふと非常にご機嫌な様子で歩き出した銀髪に向けて、俺は腹の底から叫んだ。
「うにゃぁぁぁぁああぁああ!!」
人間なんだぁぁああっぁ!!

つづく
 

おひさしぶりです!!
猫の日ssです!
読み返しておらず、取り急ぎですいませーん。楽しんでいただけたら幸いです( ´∀`)
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2023年2月22日 令和5年

ふーっと満足気な息を吐き、日の当たるベンチに体を横たえる。
自分の手を舐めて、擦るように顔を洗い、耳の後ろまできちんと毛づくろいをする。
ぽかぽかと温かい日差しが俺の黒い毛に当たって、全身がほんわりと温かくて非常にいい気持ちだ。
黒猫ってやっぱり熱吸収率が高いんだなぁと、自分が黒髪で良かったと心底思えた。

アカデミー教師と、受付任務の二足の草鞋を履きつつ、その合間の休み時間を使って俺は猫に変化して休憩をとっている。
里の中で無闇に忍術を使うのは褒められたことではないが、のっぴきならない理由のため致し方ない。

俺ののっぴきならない理由。
それは、人の頼み事を断れない、ということだ。

何だそんなことかと人は鼻で笑うかもしれない。だが、当人からしたら己の生死に直結する致命的な欠点だ。
考えてもみてほしい。
普通に生活してて休みもなく永遠と動いていられるか? 自分の睡眠をなげうち、6日間連続で働くことができるのか?
答えは否だ!
それを余すことなく体験した俺が言うのだから間違いない。
八方美人? 意志薄弱?
そんなことは俺が一番分かっている! だが、頼まれたらNOと言えないんだよ! いかんいかんと自分でも思っているが、気付けば「うん」って頷いている自分がいる。大丈夫って胸を叩いている俺がいるんだよ!!
気を置けない友人に泣きつつ愚痴を吐く度に、お前のそれは病気だと言われること数度。
そして、無理な頼み事を聞いて、ぶっ倒れること数度。
俺は開き直った。
人間だから駄目なんだと。人間だからこそ、頼み事を引き受けてしまうのだと、思い至った次第である。
そして導き出された答えは。

猫だ。
俺が猫になってしまえばいいという結論に相成った。

犬はそれこそ命令されることに喜びを覚える生き物だし、鳥は鳥で体格小さくて外敵に狙われやすいから気が休まらないし、鼠も同様。うさぎもかよわいイメージあるしと身近な動物を潰していって、猫という最高の生き物が残った。
猫は自由気ままで可愛い癖に、ちゃんと攻撃のできる爪、牙もあるし、何と言っても身のこなしが軽く、危険から逃げる術も持っている。
猫、最高か! と興奮冷めやらぬまま、いざ変化してみてもやはり猫は最高だった。

楽だった。ものすごい気楽だった。この世に春が来たと思えた!
顔見知りの側を歩いても、芝生の上で寝転んでいても、ベンチの上で毛づくろいしても、誰一人として俺に声をかけてくる輩はいない。そればかりか、誰一人として俺に視線を向ける者はいなかったのだ!!

ちょっとトイレに行こうと廊下に出れば「あ、うみの中忍」と声をかけられ、己の膀胱の耐久度を日々試されていたのに、猫になれば一直線にトイレへ行ける。
昼飯時にさてご飯と己の弁当を広げれば、「イルカ、ちょっとこっち来い」と顔見知りに捕まり最後まで食べ切れることがほぼなかったのに、猫になれば誰にも邪魔されずに最後まで完食することができる。しかも残った時間でお昼寝という至福までついてくるのだ!

猫、たまんねぇ。最高すぎるぜ、猫!!

というわけで、俺は己の自由時間が来た瞬間、猫になっては日々を過ごしている。
おかげさまで、ここのところ吹き出物が出ていた顔や始終切れていた口端、濃くなっていたクマは見事払拭されて健康的な面構えとなった。

これも猫さまさまだなぁと、ひとしきり毛づくろいを終えた俺は、くふんともう一度満足げな息を吐き、腕を顔の下に敷いて眠る準備に入る。
が、今日もじぃーっと何かを訴えるように向けられる視線に気付き、俺は内心ため息を吐いた。
俺の素晴らしき猫時間に、ここ最近、ちょっかいを出すものが現れた。
目を開き、ちらっと見れば、大部分が隠された顔の中、唯一覗く右目がきらきらと喜びに溢れるさまを目撃してしまった。

その人の名は、はたけカカシ。
里の誉れと謳われる、木の葉の里を代表する忍びであり、今年卒業した俺の生徒を下忍に持つ、上忍師の先生だ。
顔合わせをしたのは、下忍合格の報告をしにきた生徒たちにお願いをして、紹介してもらった時だった。
生徒たちのことをよろしくお願いしますと深々と頭を下げた俺に、「んー、こちらこそよろしく」とぼんやりと頷いてくれた。
そのときは高名な忍びに関わらず気さくというよりどこかぼぅとしている人となりに、この人、大丈夫かなと不安を覚えはしたものの、受付で受け取る報告書はまことその名に恥じぬ働きぶりで、俺の生徒はいい上忍師に当たったなーと思っていたのだが、ここにきてはたけ上忍は不穏な態度を取るようになった。
よりにもよって、俺が猫に変化している時に限り。

猫の身で初めて会ったのは、今いるベンチでだった。
昼ご飯を食べて、残りの休憩時間はゆっくり昼寝でもするかと、冬の日差しの暖かさに爆睡してしまった時だ。
不意に良からぬ気配を感じて目を開けた目の前に、覆面男のドアップ顔があった。
ほんの少し前に動けば、顔と顔がくっつきそうになるほどの至近距離だった。

俺は心臓が口から飛び出でんばかりに驚いて、カッと口から威嚇の音が出るばかりか、気付けば手が出ていた。
そして、俺の爪は、見事はたけ上忍の口布の上にわずかに出ている鼻梁を左から斜めに跨ぐように抉っていたのだった。
あ、やっちまったと思った時にはすでに遅く、俺は混乱する頭で、上忍の癖に何で避けないんだよ、つぅかお前はたけカカシだろう!? と謎の逆ギレを起こしてしまい、カカカッと続けて体を膨らませ、耳を倒して威嚇をしまくった。
冷静な人間の俺はあっちゃーと痛恨のため息を漏らし、混乱中の猫の俺はあぁん、やんのかテメェと強気に出ている。
逃げる機会は失われ、このまま上忍のえげつない暴力に曝されてしまうと、ほぼほぼ覚悟していた俺に、一向に上忍の怒りの鉄拳は降ってこなかった。

カカッカカカと自然にこぼれ出る威嚇音を吐きながら、よくよく目の前の男に視線を向ければ、俺が引っ掻いた傷跡をそっと撫でて、何故か嬉しそうなくぐもった笑い声をあげたのだ。
「ふふ、引っ掻かれちゃーったっ」
語尾にハートマークがついてもおかしくない上がり調子のその言葉に、人間の俺と猫の俺は同時にドン引いた。
こわっっと呻いた俺に、猫の俺も一歩後ろに下がってシャーッと叫ぶ。
折しも休憩時間が終わる頃合いだったので、いい機会とばかりに脱兎のごとく逃げ出した。
後ろでは「あー、もぅ行っちゃうのー」と残念そうな声が聞こえたが、関わりになりたくないとばかりに逃げる足に力を込めた。

その後、受付任務に入った俺の元へ、はたけ上忍は子どもたちの任務報告書を持ってきたが、傷跡を隠しもせず相変わらずのにこにこ顔だった。
にこにこと笑うはたけ上忍に傷跡のことを聞くか聞くまいか迷ったが、俺は結局触れないことを選択した。
俺が猫に変化している事実は誰にもバレたくない。ようやく得たエデンの園を手放すなど認められる訳もない。
猫関連の話題が出てボロを出さないという絶対的な確信もない以上、関わらぬが吉、君子危うきに近寄らず、なのだ!!
任務お疲れ様でしたとにっこり笑って次の報告者へと視線を向け、俺は受付任務を続行した。
大丈夫、大丈夫。ボロは出してない。ただ真面目に働いているだけですよという態度でその日は終えた。

その対応が完璧だったのか、今のところ俺自身に対してちょっかいをかけられることはなくホッとしていたのも束の間、はたけ上忍は猫の俺に絡むようになってしまったのだ。
大抵は俺が昼飯を食べた後の昼寝中にそーっとやってきて、じぃーっとこちらを見てくる。
俺は猫であるという絶対的な地位を胸に、ガン無視で寝る。
初めてのときもそうだったが、はたけ上忍は俺を見つめはするが特に何もしてこないので気にしなければ無害も同然だった。
まぁ、距離が近すぎるというのが難点だが。

なので、今日もいつものことだと、俺は無視してさっさっと眠りに入る。
はぁ、今日もいい天気だ。冬の冷たい風もこの猫の体ならばちょうどよい涼しさに感じる。
ふわふわっと優しく撫でられる風が気持ちいいなぁと思ったところで俺の意識は途絶えた。

**************

初めて見たときは我が目を疑った。
アカデミーの敷地内、木の葉の本部のお膝元とはいえ、憩いの場ではあるが不特定多数が行き交うベンチの上で、大口を開けて爆睡している人がいるなんて。
しかもそれは先日子供たちを介して知り合った、子供たちの恩師で、それも何の趣味か、黒猫の耳をつけて寝ているなんて!!

やばい、この人、何か良からぬ趣味でもあるんじゃないの? 挨拶しに来たときは疲れ草臥れきっていたけど無害そうでお人好し感あふれる、忍びには珍しいタイプで、ま、これなら酒くらい一緒に飲んで子供たちの話とかしてみたいなぁとか思ったのに騙された!! あの人に育てられた、今はオレの部下たちは何かしらの悪い影響を受けているじゃないのと、おののき慌て、オレは最高権力者である三代目火影様へと報告しに行った。
告げ口というなかれ、忍びは歴然たる階級社会だ。不穏分子がいれば即上にご報告するのが義務なのである。
ヤバい教師がいるけど、アカデミー大丈夫なの? と真剣に告げたオレに、三代目はなんとも言えない息を漏らして、オレ以外からも報告を何度か受けたような態度で事もなげに言った。
「イルカじゃろ。よい、休ませておけ。おぬしが気になるなら、結界でも目眩ましでもしてやれ」
お咎めがないばかりか、積極的に寝させてやろうという差配にオレは二の句が継げなかった。
いやだ、あの無害な皮を被った猫耳変態男、火影を誑し込んでもいるの?

やばい、うちの里の火影がやばいと、その場はそうですねと穏やかに別れたが、里の忍びでも実力上位にいる腐れ縁共にこの里の危機を訴えたが、そこでもオレの望んでいた反応は得られなかった。

曰く。
「イルカか。仕方ねぇ。前触れもなくぶっ倒られるよりかは、ああして大口開けて寝てくれたほうが安心するぜ」
「あー、イルカ先生ね。そうね、私達もつい気軽に頼み事しちゃっていた手前、何も言えないわ。カカシ、あんた余計なちょっかいかけないでよ」
「あぁ、イルカ? 嫌なら断ればいいってのに、ホントあいつ不器用よねぇ」
「アンコさん、それは無理ってもんですよ。イルカの奴が断ったところなんて見たことねぇですもん」
などなど。
どれもが致し方ないという意見で埋め尽くされていたのだ。
なんてことだ。あの疲れて浮腫みまくって、吹き出物が出て、胃の調子も悪そうな男は、上忍どもの心も掌握していたのか! これは里の危機的状況ではあるまいか? あの大丈夫大丈夫俺まだ頑張れますよとどう見ても大丈夫じゃないのに頑張れるという無駄に健気な様を見せつけ、窶れて少し色気が出ている感もある男に、このままでは里を良いように扱われてしまう。
ここはこの中で唯一といっていいほど、男に対して何も思っていないオレの出番であろう。
疲れた男の眠る顔が何となく腹の奥底をくすぐるだけであとは何も思っていないオレが、最後まで責任を持って対処するべきだろう。
いやー、オレの木の葉の里愛も困ったもんだーね。危険人物をこれから始終見張らなくては気がすまないなんてっ。

それからというもの、オレは密かにうみのイルカを尾行し、何か良からぬことをする前に阻止しようと目を光らせている。
任務中は監視できないこともあり、里の未来が心配で出来得る限り早く任務を終わらせ、監視体制に戻るようにしているが、今のところあの男の毒牙にかかったものはいない。
中には何をとち狂ったのか、うみのイルカへ下心を持って近付いてくる輩がいたが、この百戦錬磨のオレが恐れおののいた人物だ。その危険性を力説して近寄ることはやめるよう噛んで含んで言い渡し、周囲にも伝えるよう厳命したので哀れな被害者が出ることはないだろう。
しかし。

目の前を行く、黒猫の後ろ姿を見て、ぞわぞわと背筋に震えが走る。
改めて見ても、なんて卑猥な教師なのだろう。
うみのイルカは尻尾をピンと立てて、キュッと引き締まった小さな肛門ばかりか、その下についている小さな2つの玉も曝け出していた。
こんなに人目のある通りで、己の卑猥な部分を堂々と見せびらかし闊歩するなんて!!
歩く度に、ふるんふるんと揺れるタマタマが非常にいやらしい。ほのかに毛に覆われていて、一見柔らかそうに見えるのも想像力が掻き立てられ、思わず叫んでしまうほどに目の毒だ。
これは猥褻物だ、木の葉の里を堕落せしめん特一級猥褻物である。

オレは本日も高速で印を組み、うみのイルカへと目眩ましの術をかける。
これで里の目は守られたと安堵するのも束の間、うみのイルカは目的のベンチの上へひらりと飛び乗り、口に咥えた弁当箱を傍らへと置き、そのまま腹を出すようにベンチへ座って、弁当箱の包みを解いた。そして弁当箱をお腹へ乗せるようにしてフォークを使って食べ始めたではないか!

その衝撃的な映像に思わず呻き、写輪眼を剥き出した。
弁当の包みを解いたり、フォークを持つなど、猫の身では普通出来ることではないが、チャクラを使って己の猫の手に吸着させているのだろう。
猫の身でベンチに座ろうとするから、足は大開脚してその間に鎮座するタマタマの全貌が今までの比でないくらいにお目見えされている。
これはいかんと、卑猥物すぎると、後に立証するための証拠集めとしてぐるぐる写輪眼を回して記録する。
オレがこうも必死にうみのイルカの悪事を記録しているというのに、当の本人はといえばのん気に弁当を食べている。
むぐむぐと口を動かす横の髭に大きな米粒がついているというのに、気付かずに食べ進めている様は、こちらの気を引きたいがためにわざとやっているとしか思えない。
むしゃぶりついて取られるのを待ち構えている計算高さに、喉の奥からうめき声がこぼれ出る。
な、なんて小狡い教師なんだ! さては、影から見ているオレに当てつけているんだなっ!! この陰乱猫めっっ。

写輪眼のカカシ、業師とも言われるオレを手玉に取っていることすら当然と思っている態度で、悠々と弁当を完食し、いちいち律儀に猫の手を合せて「にゃん」とあざとく食後の挨拶をしたうみのイルカは、弁当を包むと傍らへ置いた。
そこで毛づくろいをした後、満足そうな息を吐いて横たわると、重ねた腕の上に顔を置き眠りに入ろうとする。
本日もここで無防備に眠るのかと、その天真爛漫を装った罠に震えていると、ふとうみのイルカの目がこちらへ向いた。
アーモンド型をした大きな目が真っ直ぐオレを見つめてくる。途端に走る痛みに似た動悸を抑えるために胸を押さえつつ、こちらも負けじと睨み返す。
だが、うみのイルカはやがて興味を無くしたようにオレから目を背けると、自分の足に顎を乗せて目を閉じた。
その様子にオレは思わず呻いてしまった。

オレという第三者がいるにも関わらず、呆気なく眠りに落ちるということは、うみのイルカはオレという存在に気を許しているということに他ならない。
なぜなら、オレたちは忍びだからだ!
例え猫に変化しようが、忍びの本能として赤の他人の側で眠ることなど受け付けないからだ!!

何ていうことだと目眩すら覚えつつ、恒例となった、熟睡するうみのイルカの全身を撫で回す。
これもいつものことながら、オレの手つきが気持ちいいのか、開始数秒でお腹を天に向けて曝け出し、もっと触れと強請ってくる。
まったく何て陰乱教師だーよ。無意識化でも人をたらしこもうとするなんて!
もふもふもふとお腹の毛を触りつつ、口布を取って、顔を腹毛に埋める。
日の光に温められ、うみのイルカの体臭がより濃く臭う。そこに誰かを誑かしてつけた他の臭いがないことを隅々まで確認するため、そこかしこに鼻を埋め、より大きく息を吸う。ん、本日も異状なし。
異状ないことを理解しつつも、何となくうみのイルカの腹毛に埋まり、オレは冷静に思考を回す。

これはもう里のためにも、うみのイルカはオレが囲うしかあるまい。
幸い、顔を突き合わせ続けたおかげで、うみの
イルカの不特定多数を狙った誘惑行動ならびに関心は、ここにきてオレだけに向けられている。
これはまたとないチャンスだ。
里で名を挙げまくっている優秀な忍びであるオレという抑止力で、このド陰乱露出狂であり、あざとい仕草と天真爛漫と健気属性を装う、たちの悪い教師であり受付員に首輪をつけるのだ。
これでもううみのイルカの好き勝手で、里を惑わすこともなくなるだろう。
ゴロゴロと喉を鳴らしながら涎を垂らさん勢いで口を開ける、お気楽なうみのイルカを見つめながら、オレはフツフツとした何かが胸の中に生まれたのを感じるのだった。

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「アンタは今この瞬間から、オレの物であり、オレはアンタだけのものだかーら。それで手を打ちな」
目を覚まして開口一番に言われた言葉は全く意味の分からないものだった。
ふぁとかふへぇとか俺は言った気がする。
それより、俺は猫に変化して眠っていたはずだったのに何故か俺は人の姿で、しかも訳の分からないことを言った男、はたけカカシ上忍の腕の中だった。
寝ぼけた頭で考えようとして、瞬きと口元からこぼれ出そうな涎を拭うより早く、はたけ上忍は口布を下げて言った。
「拒否権は認めなーいよ。観念しな」
曝け出したその素顔の秀麗さと、右目の灰青色に潜む壮絶な熱と、口元に浮かんだ匂い立つような色気に当てられ、ぽかーんと間抜けに口を開いた俺は、気付けば唇を奪われ、ねちこすぎる舌技に翻弄されていた。
もう訳が分からないやら、気持ちいいやらで、そのときの俺は間違いなく腑抜けだった。何も考えていない馬鹿だった。
だからこそ、今の現状があるわけで、よくやったと褒めるべきか、もう少し考えようぜと無防備すぎる俺に苦言をするべきかでいつも迷う。
ただ、まぁ。

「カカシさん、今日は一緒に猫に変化してお昼寝しましょうよ」
昼休み。
カカシさんと昼休憩が重なった本日、昼飯を食べた後に俺は提案してみた。
「……まーた、アンタねぇ」
ものすごく不満げな表情を、右目以外はほぼ顔を隠している状態で、カカシさんは訴えてくる。
場所は俺が猫に変化していた時によくカカシさんと顔を合わせて?いた、中庭のベンチで、いわば二人の付き合うきっかけになった思い出の場所だ。
まぁまぁと宥めつつ俺が先じて印を切れば、カカシさんは口では何だかんだ言いつつ、俺に合わせてくれることを知っている。
始めの頃は戸惑ってばかりだったが、一緒に過ごすうちに何となくカカシさんがどういう人か分かってきた次第だ。

黒猫に変化した俺に続いて、カカシさんは白というには光り輝いている毛並みの猫に変化した。髪と同じで銀色に近いのかな?
少し戸惑い気味のカカシさんを誘導するように俺は寄り添って、共にベンチに寝そべる。
俺の頭はカカシさんの腹の上に置いて、カカシさんの頭も俺の腹の上になるよう二人で丸くなる。
どこか緊張気味の、逆さまなカカシさんの鼻へ俺は自身の鼻を軽くくっつけて笑う。
始まりが始まりだったし、いい大人だからやることはやっちゃってて今更だとは思うけど、やっぱり俺としてはちゃんとケジメをつけておきたい。

「好きですよ、カカシさん」
にゃーと心を込めて告白する。
対するカカシさんは一瞬にして毛を逆立てて目を真ん丸くさせている。
息すらしてないのではないかという硬直具合に苦笑しつつ、俺はつけていた鼻を押すようにしてお伺いをたてる。
「で、カカシさんは実際どうなんです? まーだ俺のこと木の葉に悪影響を及ぼす危険人物で、側で監視してないといけない輩なんですか?」
俺の言葉に、カカシさんの耳が倒れた。非常にバツの悪い気配を醸し出すカカシさんの反応に、分かっててやっていたのだなぁと少し安堵する。
付き合い当初は妙な疑いをかけられていることに戦々恐々としていたが、カカシさんの友人兼同僚に話を聞き、カカシさん自身を知るにつれ、だんだんと見えてきた。

カカシさんは私生活において全く素直じゃないというか、何かしらの理由がないと行動に移せない、とんだへたれだったのだ。

まぁ、カカシさんは里の誉れだ、写輪眼のカカシだなんだと周りから注目される存在だし、カカシさん自身も根は真面目な人だから何かしらの葛藤があっての、この行動なんだと今ならば理解できる。あくまで理解できるだけだがな。

非常に困っている気配を醸し出して、カカシさんは沈黙を守ったまま往生際悪く逃げようとするが、そうは問屋が卸さない。
「カカシさん、俺、ちゃんとあんたのことが好きですよ。始めこそ流されまくりでしたけど、今はきちんと惚れてます」
猫に変化した俺を影ながら見守っていてくれたこと、俺に過剰な頼み事をする人たちに釘を差していてくれたこと、寝ている俺を労るように撫で続けてくれたこと。
周りの人の話と、さりげない気遣いで俺を尊重してくれるカカシさんの優しさに触れて、俺はカカシさんを意識するようになった。
中には「止めとけ、止めとけ、あいつ変態だぞ?」「無理強いされているなら私達いつでも味方になるわよ?」という意見もあったが、そこはご愛嬌ということで。

カカシさんの目を見つめて答えを待つ俺に、カカシさんは一度だけきゅっと眉間に皺を寄せた後、か細い声でにゃーと鳴いた。
「初めて会った時から好き。……愛してる」
最後の言葉を吐息に乗せると同時に、カカシさんは身を起こして俺に抱きついてきた。
首に腕を回して体に乗り上げてくるから、肝心のカカシさんの顔は隠れて背中しか見えなかったけど、小さく震えていたから、とんでもなく勇気を振り絞って言ってくれたのだと理解した。
ちゃんと目を見て言って欲しかったなぁとか思ったけど、それは未来の俺の楽しみに取っておいてやることにした。

ぐいぐいと首元に顔を擦り付けてくるカカシさんの背中を撫でつつ、顔を傾けて舌が届く範囲を毛づくろいする。
途端にカカシさんも首元あたりの毛を懸命に梳ってくれた。
何故かカカシさんは俺の髪を手入れすることが好きで、オレの物宣言後に、俺の部屋に転がりこんでからは毎晩のように髪を触る。
今も必死に舐めてくれる様子からして、よほど好きなのだなぁと思っていたらぼそりと不穏な言葉が聞こえた。
「オレだけの匂いがするイルカって堪んない。もっと濃い匂いつけたくなる。このまま抱かせてくれないかーな」
イルカと初めての獣姦と、はっはっはっと小さく息があがっていることを確認し、俺の眉間に力が入る。
こういうことは明け透けなく言えるのに、カカシさんのヘタレスイッチはどうなっているんだ。

肉球がぷにぷにのかわいい猫の手なのに、動きが全く可愛くない軌道を描き始めたのを機に、俺は身をよじって、反対にカカシさんを体の下に敷いてやる。
「イルカってば大胆っ」
語尾にハートマークがつくような調子で発言してきたが、それをまるっと無視して俺は言う。
「今はお昼寝の時間ですー、それ以外のことは認めませーん」
「えぇー」
いけずだなんだと口では文句を言っているものの、カカシさんは俺の背中に手を回して固定してくれるから、そういうところが好きだなぁと再確認する。

空からはお日様の日が降り注ぎ、下からは大好きな人の体温を感じる。
とろとろと瞼が重くなってきて、それでももっと体温を感じたくて埋めるように首の下へと潜る俺に、カカシさんは小さく呟いた。
「意気地なしでごめーんね」
今更な言葉に吹き出しそうになったが、カカシさんが正攻法で俺に交際を願っても、頭の硬い俺が受け入れることは長い年月がかかっていたことは想像に固くないから、これが最速の最適解ではないかなとも思う。
さすがは年間最多任務達成記録持ちと、夢現で思いつつ、もう一度にゃーと鳴いた。

「大好きですよ、カカシさん」

俺の言葉に対する声は、もう眠りに飲まれて聞こえなかったのだけど、ぐるぐるとしきりに鳴る心地いい振動を感じて胸が温かくなった。



おわり

追記:言い回しなどを変えました。内容は変わってません(R4.2.25)

 

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「にゃんこー、ご飯だぞ。食べられるか?」
声を掛けられて目を開ける。
場所は変わって、うみのイルカの自室に戻っていた。
電灯が点る室内の窓の外は、すでに日が落ち暗闇に沈んでいる。これまたよく眠っていたものだ。
常に眠りが浅かった身としては、夢すら見ずに熟睡できるのは嬉しい誤算だ。だが、それを意味するものは。
近い未来を想像するもすぐ打ち払う。どうしようもならないことを考えても仕方ない。

「ミ」
んー、一応。
懐から顔を出し、乗せられる前に差し出される手を伝って外に出た。
「おぉ、本当にチャクラ使ってるな。すごいな、お前」
いつもの定位置たる手のひらに座れば、うみのイルカが嬉しそうに笑ってオレの頭を撫でる。
「ミ、ミッミミ」
そうだーよ、だからトイレもちゃんと準備してよね。
伝わらないと思いつつ、ひとまず主張する。
「うんうん、そうかそうか、側にいるからな」
オレの言葉は何一つ分かっていないだろうに、気軽に相槌を打ってくるうみのイルカへぼやく。
「ミーミミミッミ」
あのねー、あんた分かってる? オレ、一応あんたの上官であれほど話したがっていたはたけカカシな訳よ。オレが本当の姿になったらアンタ腰抜かすかーらね。
「そうかそうか、今日は外に出て楽しかったか。明日も一緒に行こうな」
「ミー」
受付所はもう御免だーよ。
あそこは時間帯如何によっては魔窟となる。上忍がひしめく中でこの姿を見せれば、それこそ面白おかしく酒のつまみになること請け合いだ。

「ほら、まず水な」
スポイトを差し出され、突っ込まれる前に自分で口に含む。それを一口と半分。
押し込まれる前に口を外し、もう十分と顔を背けた。
うみのイルカの傍らには、スポイトに入れられた流動食があったが、食べられそうにない。
「ミーミ」
水だけでいいのよ、水だけで。
もう一つのスポイトに手を伸ばそうとした手を引き留めるように鳴く。
うみのイルカはほんの少し動揺したように体を震わせて、オレを見下ろした。
「……いらないのか?」
「ミー」
そうだと軽く頷けば、うみのイルカはスポイトを手に取ることはしなかった。その代わりに黙ってオレの頭を撫で始める。
オレもその手つきは嫌じゃなくて、うみのイルカの手のひらの上で腰を落ち着けてそれを享受した。
「にゃんこ」「にゃんこ」とうみのイルカが小さく囁く。それに律儀に返事をする。
とんだ茶番だ。意味のない言動に返す義理はない。それでも付き合ってしまうのは、何かしらの理由がオレの中で生まれたのか。単なる気まぐれなのか。
うみのイルカの声が聞こえるまで、それをずっと繰り返した。

薄ら寒さを覚えて目を覚ました。
首を起こして見やれば、茶色い壁に四方を囲まれた、タオル生地の中に埋まっていた。
頭の中では理性的なオレが、眠ったオレを寝床に運んでくれたのだと理解した。だが、やっぱり心と体は納得してくれない。
「ミッ、ミィーミィーミィー!!」
魂が消し飛ぶような不安さとは裏腹に、けたたましい声が喉から迸る。
おいおい落ち着け。うみのイルカは近くにいーるよ。
鳴き叫ぶオレを落ち着かせようと呟いても、聞く耳持たずにただ不安と恐怖を訴える。
あーぁ、仕方ないねぇ。

わめく声をさらけ出しながら、オレは体を起こして段ボールの壁を飛び越える。
チャクラで補強、強化した体は、段差も距離も関係なく目的地へと滑るように進んでいく。
気配からして風呂だろうか。
寝室から居間へ。居間から廊下ともいえない狭い床に面している風呂場へと進む途中、オレの声が聞こえたのか風呂場の戸が音を立てて開いた。
「にゃんこ!? 起きたのか! ちょっと待て、すぐ行く!!」
慌てたように水を流す音が聞こえてきた。そんなに急がなくてもいいのにと思う頭とは裏腹に、体は構うもんかとばかりにうみのイルカの元へと駆け込んだ。

「ミィィィィーー!!!」
開け放たれた風呂場の前で、オレの心と体は非難めいた声を発する。
訳するとすれば、あんたなんでいないのさ! という感じだろうか。
「ミィーミーミー!」
ずっと一緒にいると思ったのに、なんでいないの、なんでいなかったの!
オレの嫌いな束縛女の言葉みたいに叫ぶ心と体に笑ってしまう。
そんなもの、うみのイルカの勝手だろう。四六時中お前の相手をする訳にはいかないだろうが。
無視してもいいーよ。あんたにもあんたの生活があるものーね。
身勝手な主張をする心と体に辟易するオレ。
だが、目の前のうみのイルカは何故かちょっと嬉しそうにはにかむから調子が狂う。

「悪かった、悪かった。ごめんな、すぐ上がるよ。分かってるって上がるから」
ミーミーとけたたましく鳴くオレを押さえるように手を伸ばし、あちこち泡をつけたままそう言って優しく笑う。
だからだろうか。本人が喜んでいるなら、それならとオレが思うのも別におかしくない話で。
伸ばした手に飛びついて、オレは一息に腕を駆け上がってうみのイルカの首筋へと顔を擦り付けた。
「わ、にゃんこ。こら、濡れるぞ、おい」
風呂の途中だったから、泡もつけば水滴もつく。体は湿って非常に嫌な思いをしたが、心と体は多幸感に満たされた。
ゴロゴロと小さく喉が鳴る。
うみのイルカは濡れるからとオレを捕まえようとしたけど、その小さな音に気付いて手を止めた。
「……にゃんこ、嬉しいのか?」
顔を何度も何度も首筋に擦り付けて、擦り付けて、ゴロゴロと盛大に鳴くオレは、確かに嬉しかったし喜んでいた。

嬉シイ嬉シイ、会エタ会エタ、一緒ニズットイル、ズット一緒ニイテネ

純粋な喜びに、その一途な思いに目眩がした。
手放しで相手を求める言動は、この体が他者に庇護してもらわなければ生きていけないためだ。本来なら親猫がその対象だったが、この子猫には何らかの理由でいなかった。代わりに現れたのは、うみのイルカ、その人だ。
親に無償の愛を強請る子猫の体と心。
だが、オレはそんなものを必要とするには年を取りすぎていて、それを求めるには汚れすぎていて、結局間近で味わいながらも呆然と見送ることしかできない。

うみのイルカは「うんうん、良かったなぁ」と喜んでいる子猫のオレの頭を何度も撫でる。その声はくぐもっていて、オレだからこそうみのイルカの気持ちを察してしまう。
お人好しバカ。あんたみたいなバカは初めて見たーよ。
興奮しすぎて変な音を出す喉をそのままに、オレは自分の意志でぺろりとうみのイルカのしょっぱい頬を舐めた。


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うみのイルカとの日々は、何の代わり映えもない淡々とした日常だった。
時々オレが起きて、うみのイルカが「おはよう」と言って、水をくれる。
必要ないと言っているのに流動食を用意するうみのイルカの律儀さに苦笑しながら、日々摂取できる水が少なくなるのを見送った。
うみのイルカも気付いているのだろう。たぶんオレを保護したときから覚悟は決めていたはずだ。
オレを見つめる黒い瞳は、深い慈しみと悲しみの色が覗いている。その割合が段々後者へと傾くのを間近で見ながら、オレはバカだねと呟くことしかできなかった。

相も変わらず、オレの心と体はうみのイルカを求めていて、一時たりとも離れるのは嫌だと言うから、オレも観念して四六時中つきまとうことにした。
風呂もトイレも一緒というのは我ながらやりすぎだとも思ったが、これはオレの慈悲でもある。
おかげで心と体は安定していて、初日の時のように張り割けんばかりの声は出していない。

「ミー」
時々、ほんの時々、うみのイルカの暇な時間を狙ってオレは声を掛ける。
するとうみのイルカはオレをいつでも見下ろして声を掛けてくれる。
「ん。なんだ、にゃんこ」
眉をちょっと下げて、目の端に二つ皺を作って笑ってくれる。
そのときの優しい眼差しと深い声が癖になるほど心地よかった。それに、オレをまるで大事な宝物のように触れてくれる指先も。

けれど、それももうお終い。

この子猫の体に閉じこめられてから四日目の夜のことだった。

オレには最後の水さえ飲むこともできなくて。
チャクラも当然練ることすらできなくて。
オレはうみのイルカの手のひらの中で横たわっていることしかできなかった。
「にゃんこ、にゃんこ!!」
きっとうみのイルカにとっては唐突すぎる出来事だったと思う。
朝は普段通りに接したし、昼も気取らせなかった。ただ夜までは保たなかった。
ごめーんね、本当はあんたが眠っている時に静かに逝く予定だったんだけど、この体の限界過ぎてた。本当はーね、三日だったんだ、この体。オレがちょっと余計なことしすぎて引き留めてたーの。無理させすぎた、この体には。

「にゃんこ!!」
目の前で大粒の涙が流れる。
ふふ、やっぱり泣くよーね。こっちが引くくらいに泣くんだろうなって思ってた。一緒にいるうちにね、オレはそんなの見たくないなーって思うようになってた。どうせなら、オレを見つめて笑って欲しい。あの日溜まりのような眼差しを向けて欲しい。
息を詰めるようにして吐いて吸って、うみのイルカはオレの顔を首もとに押しつけるように抱きしめる。
あ、知っててくれたーの? オレ、あんたの首もとが一番好きだったんだーよ。あんたの匂いがして、生きている音が聞こえて、柔らかい声が響くそこがーね。
嗚咽が邪魔して聞こえないかもしれないけど、小さく音が鳴ってるの、聞こえてるかな。ま、無理か、これじゃ聞こえてないんだろーね。

身も蓋もなく、全身で悲しみを叫ぶうみのイルカへなけなしの空気を使って声を出す。
「ミー」
ありがとね、イルカ。
感謝と心残りと、たくさんの思いを込めて。

オレはこの四日間で色んな事を学んだ。
たかが四日で、意識がある時間だけをいえば、きっと一日も満たなかった。でも、何も出来ない死を待つ子猫になったからこそ気付けたものがある。

一番の気付きは、あんたのこと。
オレ、あんたのこと気にしてたんだ。
避けたていたのはその反対。アスマが笑う訳だーよね。オレも今、笑えてきちゃう。

ねぇ、オレがオレに戻ったら、会いに行ってもいいかな。
あんたはびっくりして拒否するだろうけど、それでも会いにいきたい。

涙で濡れて鼻水だって出て、ぐしゃぐしゃになってるあんたを抱きしめて、オレは必ず言うよ。

この四日間、子猫のオレの面倒をみてくれてありがとう。いっぱいの愛をくれてありがとう。
今度はオレに返させて。
だから待っててね、イルカ。


遠くでイルカの声が聞こえた。
答えたくてももう声は出そうにない。
ぼやけていく視界の中、オレは一度、死んだ。


******


「ん。なーに、イルカ」
「えっと、その……」
俺は今、非常に面食らった状況下にいる。
自室で俺は今、背後から抱きしめられるようにして首もとに顔を突っ込まれていた。しかも、はたけカカシ上忍に……!!

今宵は衝撃的なことが連続で起こりすぎた。
道ばたで拾った子猫が亡くなった。
とっても小さくて、風が吹けば飛んでしまうほどひ弱で儚くて、それでも一生懸命生きようとする我慢強い子だった。
ちょっと意地っ張りで気まぐれで、俺がいないと泣き叫ぶほど甘えん坊な癖にどこか達観していて、俺に心配かけまいと頑張っていた優しい子。
その子が俺の腕の中で息を引き取って、俺は泣いた。
大声でわめき泣き叫んだ。

覚悟はしていたはずだった。
拾った時に、ハナさんに忠告された時に、折に触れて、俺はその日を覚悟して迎えようと思っていた。
それでも覚悟はあっけなく打ち砕かれた。
悲しくて悲しくて、これからどうしようとさえ思った。胸にいた小さな重みがなくなることが信じられなくて、喪失感ばかりが胸を占めて、ただただ泣いた。

いまだ仄かな熱を持つ亡骸を手に、一人絶望していると、突然玄関ドアがけたたましい音を立てて破壊された。
そして土足で踏み込んできた二つの人影。
「イルカ!!」
「琥珀!!」
一つは俺めがけて抱きついて、一つは俺の手に抱いていたにゃんこをさらって抱きしめた。
「イルカ、泣かないで。大丈夫、大丈夫、オレはここにいるから」
「琥珀、琥珀、ごめんね。ごめんね、琥珀」
滂沱と流す涙を手のひらで拭い、慰めてくれたのは、はたけカカシ上忍。
にゃんこの亡骸にすがりついて、大粒の涙を流して謝罪を繰り返したのは見知らぬくの一だった。

目の前の光景が理解できずに呆然とする俺に、はたけ上忍は申し訳なさそうに説明してきた。
それはにゃんこと暮らした数日間の出来事のことで、はたけ上忍はにゃんこの体で俺と一緒にいて、逆にはにゃんこははたけ上忍の体で、くの一の人と一緒にいたらしい。

事の起こりは痴話喧嘩から別れ話の果ての暴挙らしい。
不誠実なはたけ上忍をこらしめるために瀕死の猫と精神を交換させたというのだから、上忍の別れ話のこじれは尋常ではない。
はたけ上忍に術を掛けたくの一は、にゃんこを琥珀と呼び、この数日間琥珀の体の面倒を見てくれてありがとうと俺に対して深々と頭を下げてきた。
「叶うなら、琥珀のお墓は私が立てたい」
彼女の顔は俺と同じように瞼は腫れ上がり、鼻の下はみっともなく赤く爛れていた。
身なりに気遣うのが当たり前なくの一の方が、なりふり構わず、にゃんこのためにすっ飛んできたことが、どれだけにゃんこのことを大事に思っていたのかが窺えて、俺はその申し出に素直に頷くことができた。
後日、お墓の場所を教えてもらうことを約束し、彼女とは別れた。

そして残ったのは、俺を背後から抱きしめるはたけ上忍だった。
怒濤すぎる事実に、壊れた蛇口のようにあふれ出ていた涙は引っ込んでいる。それでもはたけ上忍は足で腕で、俺を包み込むようにして、あやすように慰めてくれた。
「……本当に、にゃんこだったんです?」
少しずつ頭の中を整理して、俺はやっとのことで疑問を口にする。
泣きすぎてガラガラになった声ははたけ上忍にとって哀れを誘ったのか、後ろから頭を撫でてくれた。
知人に近い関係性で、しかも成人男性にやることではないが、色々なことがあってすでに抵抗する気力は失われている。心身共にぐったりだ。
「うん、そうだーよ。ここで四日間お世話になった。……猫の目からじゃ広かったけど、この目で見るとそうでもなーいね」
内勤中忍の安月給っぷりを笑っているのか。
笑いの調子が微かに入った言葉に、頭の中で文句を言ってみるが上滑りしてしまう。
はたけ上忍の笑いが俺をからかうようなものではないことが分かるからだろうか。
はたけ上忍の声音は感慨深くて、色んな感情が入り交じっていて、それでいて自嘲も入っている。
よくよく考えれば、はたけ上忍も被害者だろう。死にかけの猫に精神を閉じこめられて、俺との生活を強制されたようなもんだから。

腕の前を通っている、はたけ上忍の腕を軽く叩いて慰めてみる。
はたけ上忍は後悔しているかもしれないけど、俺は後悔なんて微塵も感じていない。その証拠に、はたけ上忍だったにゃんことの生活は俺にとって泣き叫ぶほど離れがたいものだった。

「……訳は理解しました。ちょっとまだ混乱してますけど、もう、大丈夫です」
慰めるために叩いて手を、今度は別の意味で叩く。
身を乗り出してこちらの顔を覗こうとする気配を意識しないようにして、一息に言い切ろうとした言葉は直前で邪魔された。
「帰らなーい」
言おうとした言葉とは逆の言葉を言い放たれ、思わず言葉を飲み込んでしまう。
肩を引かれ、くるりと体を反転させられて、どうしてと言い掛けた言葉が止まる。
向かい合ったはたけ上忍は満面の笑みを浮かべていた。

「……えっと、あれ?」
普段見ていたはたけ上忍とは明らかに違う顔に脳が混乱する。
まとまらない頭でよくよく思い返して、何が違うのかやっと理解が追いついた。
いつもの口布と左目を覆っていた額宛てがない。
覆面忍者と呼ばれ、常に顔を隠していたはたけ上忍の素顔が今、俺の前にさらけ出されている。

白磁の肌に、整った鼻筋。ほんの少し垂れた瞳に、薄い唇。
灰青色の瞳と巴模様が浮かぶ赤い瞳。
思わず見ほれてしまうほど綺麗な顔だった。

ぽかんと口を開いて見入って、ちゅっと小さな音を立てて離れた感触に遅れて面食らう。
「え? あ。え?」
「ふふふ、無防備だと食べちゃーうよ?」
悪戯っぽく囁かれた言葉が頭に入ってこない。
混乱ばかりの頭を抱え目を散らしていると、はたけ上忍がすごく困った顔をして俺の首もとへ顔を埋めた。
「オレね、感謝してる。この数日間、イルカに愛されて慈しまれて、すごく幸せだった。たぶん、あんただから、こんなに幸せになれたんだと思う」
そっと首もとにすり寄る感触が、小さなあの子の仕草に重なった。
不意に胸を衝かれて、息が詰まる。
「イルカ、オレの面倒をみてくれてありがとう。いっぱい愛してくれてありがとう」
ミーとぶっきらぼうな調子で鳴いたあの声を聞いた気がして、視界が歪む。
「今度はオレが返す番だから。だから、一人で泣かなーいで」
一人になるとこの世の終わりとばかりにミーミー鳴いていた声を思い出した。
小さい体でその癖割れんばかりに鳴いていたあの子。
それでも俺を見つけると、暗かった瞳はきらきらと輝きだして、躊躇う素振りもなくまっすぐに俺を求めてくれた。
「オレはここにいるよ」
いつか俺が言った言葉が重なる。

にゃんこが俺を求めてくれて、その分俺もにゃんこを求めてた。

依存し合う関係なんて歪だろう。
それでも終わりが見えた命だからと自分に言い訳して、にゃんこに全て注ぎ込んだ。
なのに、にゃんこは同じ人間になって帰ってきた。
だったら、この結末はどうなるのだろう。
碌でもない歪な関係の行く末は、やっぱり危惧したような歪な終着点につていしまうのか。

安堵と希望と切なさと。
にゃんこを思って泣いて、にゃんこと出会えたことに感謝して、にゃんこがまだ目の前にいることが嬉しくて。

ぐちゃぐちゃになって大泣きする俺に、はたけ上忍はちっとも気にせず笑い出す。
「いいじゃなーい。こんな関係もきっといいものだーよ。無くしすぎて忘れたオレと、無くしすぎて固執したあんた。きっとお似合いだって。それに」
大泣きする俺の頬を両手で掴んで、距離を開けたはたけ上忍は嬉しそうに笑って一筋の涙を流してた。
「あんたの隣にいるオレはきっと笑ってられるーよ」
幸福感に満ちた笑みが、一筋だけ流した涙がはたけ上忍にとって本当は何を意味しているのか、俺にはちっとも理解することはできなかったけど。

「あんたは、どう?」

そうやって頬を染めて問いかけた言葉に、俺は自然と笑っていた。




おわり



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……病んでる!? ひっ。こんなつもりじゃ……!!!

一夜明けて書き直す可能性あります。

 

す、すいませーん。

 

蛇足:見直しても書き直せませんでした……。

もっと明るい話にしたかったのに、なぜこうなったのか。

 

 

あぁぁぁぁ、間に合わなかった。

あおーん、負け犬になった。スーパー猫の日に負け犬になったぁぁぁぁ。

 

以下、猫の日小説となります。

推敲してない……。変わる可能性大です。はは!

 

追記:言い回しなどを少し変えました。内容はほぼ変わってません。(R4.2.25)

 

 

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令和4年2月22日 にゃんにゃんの日

「いい加減にしてよ! あんた一体何様のつもりなのッ」
出会うなり金切り声をぶつけられ、低空だった機嫌がますます下がる。
今宵の熱を発散するはずだった相手も、目の前にいる女の剣幕に恐れをなしてそうそうに退散した。
目の前の女と違って、戦忍のそれとは違う柔らかい肢体がうまそうだったのにとても残念だ。

「カカシ! 聞いてるのっ!?」
突然降り出した夜半の雨に濡れながら、女はオレを睨みつけ怒鳴る。
女の横やりがなければ、そのまま何不自由なく快楽を貪れたのに。
髪から落ちる雫が鬱陶しい。振り払うように頭を振れば、女はオレの反応が気に障ったようで一歩踏み込んできた。
「今日は、今日だけは一緒にいてって言ったじゃない! 約束、したでしょう!?」
激高した女と比例するように雨足も段々と強くなっていく。
周囲の大通りに人影はとうにない。
大粒の雨が地面に叩きつけられる中、突っ立っている者がまともではない証だろう。
「今日は私の誕生日だって! 私、待ってたんだから! ずっと、ずっと……!!」
雨で顔をしとどに濡らし、いまだに大口開いてわめき散らす女に視線をやって、ふと自分たち以外の存在に気付き、視線を移す。

大通りの隅、暗がりに隠れるよううずくまっている小さな生き物の気配がある。集中してようやく捉えることができるか細い息に、もう手遅れだろうなと漠然と思う。
それでも小さく足掻く生き物が気になって見つめていれば、急に女の口が閉じた。
その変化にも興味が持てなくて、頭の片隅でそろそろお暇しようかと去る算段をしていれば、女は思わぬ言葉を放り投げてきた。

「分かった。もういい。よく分かった。あんたとは別れてあげる」
女に乞われてからの一ヶ月弱の付き合いだったが、束縛したがる女の性格には辟易していたところだ。
渡りに舟の言葉が嬉しくて、初めて女の視線と真っ向から向き合う。
なけなしの情を繋ぎ合わせて当たり障りのない言葉を吐く直前、女は両の口端を吊り上げた。

「ただし、今日入れて数日間は誕生日プレゼントとしていただくから」
女の手が動く。
腰に吊り下げていた巻物ホルダーを解くと同時に、術が発動した。
油断していたし、里内で、まさか仲間相手に術を掛けてくるとは正直考えつきもしなかった。
己の身に術が掛かっていくのを感じながら、上忍師として里内勤務になった弊害かと臍を噛む。
任務に明け暮れ、死線の中にいた自分が、里のぬるい空気に毒される訳がないと思っていたが、十分に毒されていたらしい。
眩む視界に、四肢から力が抜ける。

「無視される人の気持ち、あんたには一生分からないんでしょうね」
意識が閉ざされる中、聞いた言葉は、確かにとついオレも納得してしまっていた。


******


「カカシ。無視はダメだよ。オビトだってリンだって一生懸命やってるし、前に進もうと足掻いている。君が同年代と比べて頭一つ二つ飛び抜けているとしても、人の意見は聞くべきだ」
先生に両肩を掴まれ、こんこんと諭される。
オレたちの後ろ、オビトとリンには到底聞こえない距離が開いているから、この会話は聞かれることはないだろう。

そうやってオビトとリンに気を遣う先生を心底不思議に思った。
先生はオレでさえ敵わない実力を持つ忍びだ。オレで敵わないのだから、オビトやリンなぞ赤子の相手をするようなものだろう。
それなのに二人を気にする先生の意図がつかめない。

必要があるとは思えないと呟くオレに、先生は困ったように眦を下げた。
「カカシ。君は強い。きっと君に勝てない忍びを数える方が早いほどに、君はこれからも強い忍びのまま育っていくんだろうね。でもね」
先生はオレを何か哀しいものでも見るように言葉を吐いた。
「それは寂しいっていうことだよ」


******


寒い。
かたかたと小刻みに震える体で目が覚めた。
妙に混濁している意識と視界に、直前のことを思い出し、ため息を漏らす。

術をかけられた。
掛けられた直後に意識が飛ぶ術なぞ、心身共に影響を及ぼすろくでもないものだ。

外回りの任務を昨日終わらせ、報告は済ませた。毒を扱う任務だったため、まだ体が出来ていない下忍たちと接触するのはまずいということで、五日の休暇をもらっている。
今日から五日間の猶予はあるが、その間にこの術は解けるのだろうか。
腐っても上忍だったあの女がそうそうへまはしないとは思うが、何の術を掛けられたか分からないため不安もある。

面倒なことになったなぁとすこぶる調子が悪い体を動かそうとして気付く。
周りはタオル生地で満たされ、横たわる視線の先には自分の視線より数倍高い茶色い壁に囲まれていた。
見知らぬ場所と環境に面くらい、冗談だろうと力の入らない四肢を叱責して足掻けば、天井から窘める声が降ってきた。

「おいおい、騒ぐな。大丈夫、大丈夫だから」
四角い壁の上からぬっと出た顔は、やけに馬鹿でかいが見知った者だった。

うみのイルカ。
今年の春先に受け持った部下たちの担任教師だった男。
後ろに一本にくくった黒髪と黒目の平凡地味な容姿に、目立つと言えば顔のど真ん中を横切る傷跡くらい。
人なつっこく、人畜無害といった雰囲気に、果たしてこれは同じ忍びなのだろうかと初対面時には本気で疑ってしまった覚えがある。
子供たちにもよく慕われており、オレの部下であるナルトは隙あらばこの恩師の話をねじ込んでくる。
向こうは子供たちの話を聞きたいのか、オレを見つけるなり駆け寄ってくるが、オレはそれに気付かない振りをして避けていた。
理由はとくにないと思う。強いて言えば、たぶん反りが合わないからだろう。
オレとは考え方も感じ方も正反対であろう人物。
関わっても薬にも毒にもならないと、認識外にあえて置いていたというのに、ここにきてかち合ってしまうとは何の因果か。

呆然とするオレに、うみのイルカは柔らかい笑みを浮かべて大きな手を差し出してくる。
「にゃんこ、お前運が良かったんだぞ。俺が見つけてなかったら、今晩でお陀仏だったって獣医の先生の判断だ。ーーまだまだ予断は許さないからゆっくり大人しく寝てるんだぞ」
大きな手は途中で二本の指に変わってオレの頭を優しく撫でてくる。
気遣うようなその触り方にぞわぞわと背筋が震えたが、払いのけるほどでもない。
うみのイルカはやけに簡素な服を着ていて、珍しいことに髪の毛も下ろしていた。髪に水滴がついていることからして風呂にでも入った後なのだろう。

着実に増えていく情報と、信じたくはないが今の自分の身の上を飲み込んで、上に引き延ばしていた首を落とす。
ちらっと自分の手足に視線を移せば、案の定、そこには細すぎる四つの獣の足が見えた。

間違いない。
あの女、あのとき見た死にかけの生き物に、オレの意識を乗り移せやがった。
一般的にある索敵、盗聴などに使われる忍術だが、普通は長くて一時間程度の憑依しかできないものだ。だが、腐っても上忍。巻物の補助つきでかつあの口振りを考えると数日はこの肉体に拘束されることになるだろう。
ひさびさの休暇は爛れて過ごそうと決めていたのに、なんという誤算だろうか。
あのまま雨に打たれることは免れたが、避けていた相手の家に保護されることを考えると複雑な気分に陥る。
ま、どうせ時間が解決するのに任せる他ない。

観念して力を抜けば、うみのイルカはオレの様子を窺いつつ声をかけてきた。
「にゃんこ、食べられるなら何か食べてみないか?」
体を横たえただけで眠る気配のないオレの口元へ、どろどろとしたものが入っているスプーンを近づけてきた。
鼻をうごめかし、何が入っているのか匂いで判断しようとするが、死にかけの子猫では鋭敏な感覚が失われているのか、中身がまるで検討つかない。
まさか瀕死の子猫に毒は盛るまいと、空腹すぎて感覚がない腹に少しでも栄養をとるべく舌を伸ばす。
スプーンに舌をつけた途端、貫いた衝撃に体が震えた。

「っ、ミ」
激痛といって過言ではないその味に、思わず声が出た。
足掻くように喉を掻けば、うみのイルカは緊急事態にようやく気付いたようで慌ててどこかへ行った。
触れた舌先から胃にへと、熱い何かが落ちていく感触が分かる。それに応じて通った場所から強制的に細胞が蠢く感覚を受け、何を食べさせられたか知る。

あの野郎、忍び用の兵糧丸を食わせやがった!!
子猫、しかも瀕死に陥っているものに食わせるものではない。
オレがこの子猫に入っていなかったら、たぶんショック死していた。
急速に活発化する臓器を押さえ込むように丸まり、喉奥で苦痛の声を噛み殺す。
うみのイルカへの呪詛を唱えながら、暴れる感覚を押さえ込もうとやっきになっていると、どたどたとした音を立てて戻ってきた。
「にゃ、にゃんこ!! 無事か!? 水だ、水持ってきたぞ!!」
劇毒に近いそれを薄めるためには実にいい判断だ。
さっさと寄越せと閉じそうになる目を見開き水を求めれば、そこにはガラスコップになみなみと注がれた水があった。
「ミッィイィィィッッ」
飲めるかぁぁぁっと思わずすべてを忘れて突っ込み、やばいと思ったときは昏倒していた。
「にゃ、にゃんこぉぉぉぉ!!!」
薄れいく意識の中、うみのイルカのせっぱ詰まった声が聞こえた気がした。


******


「イルカ先生。あなた正気ですか? いくら猫を飼ったことがないとはいっても、忍びの子供ですら食べてはいけない正規の兵糧丸を、瀕死の子猫にやるとは何事ですか!!」
でかい図体を小さく丸め、地べたに正座してオレを抱えるうみのイルカは今にも死にそうな顔で謝罪を繰り返していた。
「すいません。軽率でした。野生の生きる力を過信していました。二度としません。申し訳ありませんでした」
タオルに包まれて懐にいるオレから、うみのイルカの顔がよく見える。
オレが気を失っているときに泣いたのか、瞼は腫れ上がり、鼻の下も真っ赤になっている。
最初こそ、どんどん言ってやれと非常に気分良くうみのイルカの謝罪と獣医師でもあり、里の忍びでもある犬塚ハナの叱責を聞いていたが、あまりにもみすぼらしくしょげかえるうみのイルカに飽きてきた感もある。

ま、一応命は助かったんだしいいんじゃない。そこら辺にしたら?
オレが思っていることが通じた訳ではないが、犬塚ハナは額に手のひらを当て一つ大きくため息を吐くと、口を閉じた。そして、うみのイルカを見つめるとおもむろに切り出した。

「……イルカ先生、もう一度お尋ねします。今回は調子を持ち直しましたが、いつ亡くなってもおかしくない子です。特にこの子は先天性の心疾患があって、衰弱したこの体でこの子の心臓がいつまで持つか……。生き続けることがこの子にとって幸せなことか、私には判断がつきません」
犬塚ハナの言葉に、うみのイルカの唇が噛みしめられる。落ち着いていた瞳に水滴が盛り上がる様を見て、呆れた感情が浮き上がる。
上忍であり、生き汚いと定評のあるオレが入っているからこそ、この体はぎりぎりのところを保っているが、本来ならばとうに死んでいた体だ。
犬塚ハナの言い分は至極まっとうなばかりか、慈愛にさえ満ちている。
だが。

「いいえ。俺はこの子が生きようとしている限り、その選択肢を取ることはあり得ません」
さきほどの泣きそうな顔とは打って変わって、毅然とした表情で犬塚ハナを見つめ返した。
オレを抱く手がほんの少し強まる。
そのときのことを考えては泣きそうな顔を晒しているのに、断言している今はやけに力強い。
バカだ。懐に入ったものは躊躇いもなく慈しむバカだ。余計な苦労を背負い込んで、得をする訳でも、未来の布石にする訳でもない。単純に目の前にいる相手の最大幸福値を思い、自分に出来る限りの手を差し伸べる、とんでもないお人好し。

鳩尾がもやもやとした重苦しい感覚に囚われる。
うみのイルカを目にする度、その行動を見かける度、何度も味わったその感覚。
身の不調を覚えるそれが気持ち悪くて仕方なかった。
だから、関わり合いたくなかった。

「……分かりました。相変わらず、ですね。また何かありましたらお越し下さい」
犬塚ハナの声で内にこもっていた意識から浮上する。
犬塚ハナはどこか気安い苦笑を浮かべ、うみのイルカを見つめていた。
「頼りにしてます」と申し訳なさそうに笑ううみのイルカとのやり取りに、何度か同じことを繰り返していたことが窺えた。
そのまま会話を広げようとする二人が何となく癪に障る。
「ミッ」
根性振り絞って出した声はどうやら届いたようで、二人はオレの発言に驚いた顔をして、同時にオレを見下ろして笑った。
その空気はやけに二人を親密に見せて、眉根が寄る。
「ミッミッ!」
いい加減、帰るよ!
時計を見れば、深夜過ぎている。
どうせこの男のことだ。明日も通常通り変わらない日程なのだろう。
教師の癖して明日の予定も考慮しない態度はどうかと思う。
うみのイルカもオレの視線で時刻に気付いたのか、頭を下げた。

「ハナさん、夜分遅くまですいませんでした。本当助かりました」
「いいえ、イルカ先生もお疲れさまです。明日も授業あるんでしょう?」
タオルに包まれたオレを抱え直し、会計を済ませたうみのイルカの後を犬塚ハナがついてくる。
「ミ、ミ」
どうでもいいから早く帰れって。
立ち話なんぞされたら、このかよわすぎる子猫の体では負担が大きすぎる。
オレの警戒の声は無事聞き届けられたようで、うみのイルカは犬塚ハナへここまでで大丈夫ですよと、外へのお見送りを断る。
いい判断だと頷くオレの頭を一撫でして、今度こそ外へと出た。

「またいつでも来て下さいね。決して一人で判断しないで分からなかったら相談して下さいよ。時間関係なく、いいですね!」
見送り不要だというのに、犬塚ハナは外へと出てくる。
うみのイルカはだらしない顔つきで「はい」と何度も振り返っては頭を下げ、おかげでオレが体を横たえることができたのは、それから数十分あとのことだ。
絶対あの外へ出てからのやり取りで時間を無駄にした。

段ボール箱にタオルが敷き詰めらている、オレ用の寝床に寝かされた。
あらかじめ綺麗なものを用意していたようで、変な臭いもないしいい感じだ。
「ほら、にゃんこ。湯たんぽだぞ、これでよく温まれよ」
タオルでぐるぐるに巻かれた、オレよりも大きいそれを隣に置き、うみのイルカはそれごと抱えて、部屋を移動した。そして下ろされる。
オレの寝床は四角く覆われていて、ほぼ天井しか見えない。うみのイルカが寝床を置いた場所がどこか知らないが、眠るつもりだろうから自分のベッドの近くだろう。
起きあがる元気はおろか、顔を起こす気さえないオレは、ただ大人しく体を横たえるしかない。
隣にあってもほかほかとした温度が伝わるそれを感じつつ、体力の回復に勤しむかと諦めて目を閉じようとしたそのとき。

「じゃ、おやすみ、にゃんこ」
ひょいとオレの寝床をのぞき込んだうみのイルカの手がオレの頭に触れる。途端突き抜けたのは、体表と内臓がひっくり返るほどの温もりの飢えだった。
何故今まで忘れていたのか、何故今まで平気でいられたのか信じられないほどの飢え。
あ、と思う暇もない。気付けば、オレの喉はしきり動いて訴え始める。

「ミィ、ミィ、ミ、ミ、ミィ」
一音出すだけで息切れさえ起きそうな肺の脆弱さなのに、オレの声は止まらない。
ばくばくと心臓が高鳴って、温かいそれが遠ざかることこそが死なのだと、心底厭う。
感情と行動が理性に追いつかない。
何で鳴き続けるのか、なぜこうも死にもの狂いで足掻くのか。疑問ばかりが頭を通り過ぎる。それでも心と体はオレを蹴落とす勢いでみっともなく訴えた。

イヤダ、一人ニシナイデ。ヤダ、ヤダ、ヤダ、側ニイテ!!

「ミーーッッ」
気が狂わんばかりに鳴くオレに、オレ自身がびびる。目の前のうみのイルカも目を見開き、小刻みに瞳が左右に散り始めた。
「ど、どどどどした、にゃんこ!! 異常事態かっ、なんか痛いところが! それとも気分が悪いのか!?」
顔を蒼白にしてオレに聞いてくるが、さっぱりだーよ。この子猫の元の主に聞いてくれ。
まだまだオレの喉は動く。小さく途切れ途切れ、声すら枯れる勢いで鳴き倒す。このままでいったら鳴きすぎのために死んでもおかしくない。
おいおいどうすんのよ、これ。オレでもどうにもできなーいよ?
胸中で軽口叩いて、悲鳴を上げ始める心臓を騙し騙し、呼吸をし続ける。それでも限界はあっという間に迫る。
あ、ちょ、無理かもしれない。
心臓への特大の痛みの予感する寸前、うみのイルカの手がオレの体を包み込んだ。

ふわりと香る生きているものの体温。体を包む鼓動音。確かな質量を感じる厚い手のひら。

それを全身で感じた瞬間、オレの喉から声が途切れた。
代わりに動いたのはオレの小さな手だった。小さい指を広げて閉じて、うみのイルカの手のひらを押し揉み続ける。
「……え? え……。え??」
頭上でうみのイルカの困惑の声が聞こえる。オレの頭も疑問で埋め尽くされたが、体と心はこれで大丈夫と勝手に安心し始めていた。
幾度となく動かしていた手つきもだんだんと弱くなり、意識が朦朧としてくる。体が眠りを欲しているのだと理解して、抵抗することなく身を任せかけた直後、体が無機質な温もりに触れて意識が即覚醒された。
ぱっと目を開ければ、オレの寝床に横たえようとするうみのイルカを見つけて体が叫ぶのに任せてオレも文句をまき散らす。

「ミィッ、ミィッミィィッ」
アンタ、バカじゃないの!? オレの様子見て察しなさいよ、オレの体はアンタの温もり感じないと寝れないって言ってんのが分かんない訳!?
再び鳴き始めたオレに、うみのイルカはたじたじとしていたが、ようやく悟り諦めたのか、オレを手のひらに乗せたまま自分のベッドへと横になった。
「マジかぁ。潰しそうで怖いんだけどな……。まいったな」
手のひらを頭の横に置き、布団に入ったうみのイルカの顔はオレからよく見える。
もそもそぼやくうみのイルカにオレは眼光鋭く睨み据えた。
アンタ、オレを潰したら後々報復するかーらね。
例えオレの体でないとはしても今はオレの精神が入っているのだ。圧死だなんて悪趣味な死に方は御免被る。
オレの視線に気付き、うみのイルカはしばらくオレと目を合わせていたが、小さく笑って触れるか触れないかの距離で耳元へ囁いてきた。
「おやすみ、にゃんこ。お前に良い夢が訪れますように」
児戯めいたおまじないの言葉。
いつもなら鼻で笑ってしまいそうな文句だが、子猫の身に入っているためか不思議とするりと内まで入っていた。


******


翌朝。
オレは何とか生きていた。
うみのイルカは寝相は悪くないようで、夜半に起こされることもなく、なかなかに良い眠りだった。
隣のうみのイルカはしょぼくれた目を擦りながら、大きく片手を上げて伸びをしている。
今はまだ起きあがれないが、昨日よりかは気力共に上向き傾向にあると感じる。もしかすると今日は体を起こすことができるかもしれない。
怪我の功名か、あの劇薬に近い兵糧丸がこの身に効いたことも要因しているだろう。だからといって二度と舐めたくはないが。

「おはよ、にゃんこ。よく眠れたみたいだな」
少し目が赤いうみのイルカに話しかけられ、声が出すのが億劫で、口を開けるだけの挨拶を返してやる。
それだけで通じたのか、うみのイルカは嬉しそうに「そうか、そうか」と目を細め、何かを一瞬考えた素振りを見せた後、オレを寝間着の胸ポケットへと入れた。
素肌とは違う感触に一瞬激しく体が反応しかけたが、うみのイルカの鼓動が間近に聞こえることには安堵したらしく、オレはみじめったらしく鳴かずにすんだ。
なかなかにこの身を分かっているではないかと、オレはうみのイルカへの評価を上方向に修正する。

うみのイルカは手早く顔を洗うと、朝食を食べ、身支度をし始める。着替える間はオレは再び手のひらへと移動し、うみのイルカが忍び服を着終えると、手ぬぐいに包まれて首に下げられた。
「ミッ」
心臓の音が聞こえないそれに即反応したオレに分かっていると言わんばかりに、うみのイルカはベストの内側にオレを収める。
少々遠くなったがそれでも聞こえはする。理性的なオレがいるためか、体と心も妥協してくれたらしい。

「にゃんこ、水分補給しような」
オレが大人しくしていることを確認し、今度はオレのご飯時間となる。
手のひらへ再び移動してスポイトから水を飲ませてもらう。
顔を上向かせてスポイトの先を横からくわえさせてくれたまで良かったのだが、勢いよく水を押し込まれて溺れ死にそうになった。
せっかく回復した気力がここでごっそりと殺がれたのは言うまでもない。
「ご、ごめん、大丈夫か!」
むせかえるオレに声をかけてくるが、オレの怒りはそんなことでは収まらない。
もう一度しやがったら同じ体験を味わらせてやる。
呪うようにうみのイルカを睨みつければ、びくっと体を震わせうみのイルカが固まった。
オレの犯行予告を察したのだろう。それ以後、打って変わって丁寧な手つきになったため、オレの予告状は破棄することとなった。
「うーん、ご飯はいらないか? ちょっとでも食べてみないか?」
水を飲んだ後に、流動食が入ったスポイトをくわえさせられたが、全く食べる気にならず顔を背けた。
というか、アンタが無理矢理舐めさせた兵糧丸がまだ胃の中にあるっぽいんだーよねー。
どうも水には砂糖らしきものが入っていたので、当座はこれで大丈夫だと思う。
しつこく食べさせようとするうみのイルカに、頑として拒否を続けること数十分。
登校する時間が迫ってきたのか、うみのイルカは渋々スポイトを置いた。

「よっし、んじゃ今度は”しー”な?」
しー?
不思議な擬音を口にしたうみのイルカに疑問を沸き上がらせていると、突然仰向けにされた。ぐっとわきの下に指を入れられ、、逃げられないように固定されてしまう。
碌でもない予感を覚えながら目を散らしていると、うみのイルカの空いている左手には微かに湯気が立った濡れティッシュが握られていた。
あ、あ、あ、まさかぁぁっぁぁ。
「よーし、よしよし、すぐ出るからなー。ほら、”しー”」
迷うことなく宛てがわられたティッシュ。
オレの内心の絶叫なぞ露知らず、そのまま軽く上下に擦られて、我慢することすらできずに果てた。
子猫の体は思っていたより精神に屈辱を与えるものだったことを、オレはそのときになって知った。


******


「先生、今度は何? 何?」
「見せて、先生、見せてぇー」
「あ、私も、私もー!!」
出かけ前にやられた、成人をとうに過ぎたオレが味わうには難易度が高く、子猫的には至極当たり前な排泄行為に精神をやられたオレは物置になったようにうみのイルカの懐で丸まっていた。
だが、アカデミーにつく頃には、オレの安らかな現実逃避は周りのけたたましい声にてぶち破られることとなった。

「あー、落ち着け、落ち着け。今回は子猫だ。まだすっごく小さいし、弱ってもいるからお前たちに触らせることはできないんだ。大きな声にもびっくりするほど小さい子だから、なるべく大声は出さないでくれると助かる」
うみのイルカの説明に周りに群がっていた子供たちの声が一瞬にして小さくなる。
その反応を見て、うみのイルカはベストのチャックを開けてオレをお披露目した。
「うわ、ちっちゃぃ」
「かわいい、寝てるの?」
「子猫だぁ」
何とか声に興奮を出さないように押さえているが、体はその分飛んだり跳ねたりしている。
未来の忍び候補とは思えぬ、幼すぎる言動の子供たちに、時代は変わったなぁと胸中でぼやく。
目をキラキラさせて、頬を真っ赤に染めてオレを見つめる純粋無垢な子供たち。この中から一体何人が忍びとして成長できるのだろうか。

そんな子供たちをうみのイルカは慈しみの満ちた眼差しで見つめ、子供たち一人一人の言葉に応えていた。
そればかりか、気になっていてもこちらに来ることが出来なかった子供を目ざとく見つけては、自分から声を掛けてオレを見せていた。
何というか、ご苦労なことである。

もし、うみのイルカがオレたちのスリーマンセルの中にいたとしたら、どういう風になっていただろうか。
ふと考えたがすぐ打ち消した。もしもの仮定なんて全く意味がないし、参考にもならない、考えるだけ時間の無駄だ。
おまけに年も微妙に違うし、なんだかんだ言って、ミナト先生が受け持った下忍チームは潜在能力が高い者たちが集まった、所謂選ばれた者たちだった。
子供たちへ穏やかに接するうみのイルカを見るに、能力値は対人関係に極振りしたような、忍びとしては平凡過ぎる人材だ。もし同年代で近くにいたとしても、まず選ばれなかっただろう。
そこまで考えて、らしくない思考にやきもきした。
仮定が無意味といいながら、再び仮定をしてしまう。それはどうにかオレの人生に組み込めないかという仮定ばかりで、悲しくなるほど無意味な所行だ。

「よーし、本日の授業始めるぞー! みんな、席につけー」
授業時間になり、教壇に立つうみのイルカ。
子供たちははしゃぎながら席につき、うみのイルカに注目した。
その様を薄目で見ながら、ぼんやりと思う。
もし、オレもうみのイルカの生徒だったなら、あんなにきらきらとした目で前を向いていられたのだろうか。
基礎忍術論を読み上げる、低く通る声を耳にしながら、子供たちと一緒に授業を受ける姿を夢想した。

真面目に授業を受けるリンとオレにちょっかいをかけようとするオビトの真ん中で、オレはリンのように真面目に耳を傾けていたのか、オビトのちょっかいにやり返していたのか。そこまでは具体的な想像が出来ず空白となった。
だけど、そのとき見た夢は、たぶんいいものだった。


******


「おー。またか、お前。懲りないなぁ」
見知らぬ声を聞きつけ、びくりと体が震えて目が覚めた。
気付かない間に深く眠り込んでいたらしい。
久しぶりに熟睡できたそれに、前後の記憶がすぐに思い出せない。
探すように顔を上向ければ、優しい眼差しでオレを見つめる瞳を見つけてほっと胸をなで下ろして、ぎょっとした。
かなり毒されている。うみのイルカを無意識に探すばかりか、その存在に安堵を覚えるなんて。
術が解けた後に後遺症なんて残らないよねと、術を掛けた女に恨み言を呟いていれば、うみのイルカは起きたオレを手のひらに乗せ、スポイトを横の口から入れてきた。
起き抜けに水を摂取しろと強要されるのは些か思いやりに欠けるのではなかろうか。ま、飲むけど。

朝の一件ですこぶる飲ませることが上達したうみのイルカの手つきに満足を覚えつつ水を飲む。
一口二口飲んで満足したオレは、再び飲ませようとするスポイトを拒絶する。
「うーん、もういらないのか? そんなんじゃ大きくなれねぇぞ」
ちょいちょいと興味を引かせるように鼻をくすぐられたがいらないものはいらないのだ。
つんと思い切り顔を背けると、うみのイルカは不本意そうだがスポイトを退かしてくれた。
「んじゃ、次は”しー”か?」
「ミシャッ」
やるか!
くわっと威嚇するように口を開けてやれば、うみのイルカは目を見開いた後押し殺したように笑い始めた。
二人きりの時だけでもオレの自尊心はいたく傷つけられたのに、ここには第三者の目がある。断固、拒否の構えだ。

水も飲んで一服したところで、周囲を見渡す。
よくよく見ればここは受付所だ。
どうやらアカデミーの授業はとっくに終わったようで、受付勤務に入っているらしい。
時計を見れば、15時を指し示している。
受付の暇な時間帯なのだろう。
任務報告にくる忍びはおらず、受付所内にはうみのイルカのような受付担当の忍びと、事務員が二人、手に湯飲みを持って突っ立っている。

その視線の先にいるのは、うみのイルカの手のひらにいるオレだ。だが触るでもなく声をかけるでもなく、興味津々な視線を向けるにとどまっていた。
「子猫とは、意外でしたね」
「ですよね。お前、いつもは怪我した変な生き物拾ってくるのに、今度はやけにまともだ……。それにしても小さいなぁ。顔つきはしっかりしているから生後すぐってことはないだろう?」
「でしょうねぇ。……トイレも自分で出来そうですけど、毎回促してやってるんですか?」
オレを見下ろしたまま続けられた会話の中で、一、二点引っかかるものがあったが、それにも増して一番引っかかったのは最後の言葉だ。
オレは、一人で、トイレが出来る……!!

雷が落ちたかのような衝撃だった。
脆弱すぎて出来ることすら分からなかったが、年齢的に出来そうな体の作りはしているようだ。
最後に発言した事務方の男に視線を向け、オレはひどく誇らしい気持ちになった。
ならば、じっとしている訳にはいかない。
この体でも尊厳はあるのだ。やれることをやるのだ、オレ!

「まぁ、そうなんですけど、このにゃんこ歩くこともできないし、まして立つこともできないから、俺が補助した方がいいかなぁって。それに何と言っても、あのときの脱力感がかわい」
まさかの排尿の瞬間を口に出したうみのイルカに、思わずオレは立っていた。そう、すくっと四本足で気付けば立っていた。
「え」
「……ミ」
驚きに目を見開くうみのイルカに、オレは自分の体を見て納得する。あ、なーんだ、この体でもチャクラ練れるじゃなーい。
四本足のそれぞれの指をもそもそと動かし、首を左右に揺らす。なるほど、いい感じだ。
どうやら昨夜は死にかけていたため全チャクラが生命維持に勤しむことを優先した結果、自分の中にあるチャクラを見逃していたようだ。
今日は水分と睡眠もたらふくとったおかげでチャクラに余裕が出たらしい。
貧弱な手足はおろか、全身にチャクラを馴染ませれば、普通に動くことばかりか、下忍程度の動きもできるだろう。
自分の才にこれほどまで感謝したことはない。

「ミ、ミ、ミー!」
これから、一人で、トイレに行く!
ぽかんと口を開けているうみのイルカにオレは堂々と宣言する。
ちょっと聞いてんのと主張するオレの横で、受付員が何故か椅子ごと距離を開けた。それに伴って、事務方の二人も身を跳ねさせて大きく後退している。
「やっぱお前、変な生き物拾ってきやがった!! うそだろ、おい! この子猫、おれよりチャクラ量が多いぞっっ」
「う、うみのさん!? だまし討ちとは卑怯ですよ!!」
「やっぱりうみのさんは信用なりません!!」
距離を開けて文句を言う三人に、うみのイルカは首を振り振り弁明する。
「いや、そんなはずは! 昨日まで普通の子猫だったんだって!」
「そんなこと言って、怪我した子犬拾って来て、実は遠い異国の誘拐された獣人の王子様だったじゃないですかっっ! あのとき、どれだけ対応に追われたかっっ」
「その一つ前も、隣の隣の国の王族を守護しているよく分からないくらい尊いカブトムシを保護しましたよね! あのときも訳分からない騒動に巻き込まれて、今でも訳分からなくて夢に出てくるんですよっ!?」
他にもあると、過去の起こったことを口々に言い始めた面々に、うみのイルカの顔は青ざめるばかりだ。
……何というか、オレを含めて、引きがいいのーね。

「おーい、おまえら、何揉めてんだ。報告書、いいか?」
ぎゃーぎゃー騒いでいた中、出入り口で一つ声があがる。
受付所に入ってきた男は、オレにとって馴染みのある顔だった。
「お疲れさまです、猿飛上忍! もちろん、どうぞこちらに!!」
言い合っていた四人はすぐさま定位置に戻り、最敬礼せんばかりに入ってきた髭、猿飛アスマを出迎える。
受付所の机の上で、手のひらに乗せられていたオレも、うみのイルカがさらうようにしてベストの内側の手ぬぐいに収められる。
「お騒がせしてすいません。アスマ先生」
すまなそうにぺこりと頭下げるうみのイルカに、髭はいぶかしげな顔をして、うみのイルカの隣の受付員に報告書を渡す。
そのまま黙って報告をして帰ればいいのに、面倒だと言い放つことが常の男は騒ぎに首を突っ込む天の邪鬼な性格をしていた。
案の定、髭は騒ぎの中心であるオレに目をつけ、うみのイルカへと声を掛けた。

「あー。また面倒事を持ってきたのか?」
視線でオレを指し尋ねる髭。
うみのイルカは顔を大きくひきつらせ、小刻みに首を振った。
「いえ、私にはそのような認識は一切ないんですけども……」
過去の行いがあるせいか、うみのイルカの言葉は歯切れ悪い。
髭はオレより先に里内勤務になっているせいか、そのときの事件を知っているらしい。
黒い瞳におもしろそうな光を宿し、からかうように口を開いた。
「お前はそうでも、事実はちげぇからな。まぁ、今回は他国に及ぶことはねぇことは確かだ。……イルカ、カカシの奴、今、どうしているか知っているか?」
にやにやとお見通しだと言わんばかりに視線をくれる奴が憎らしい。
あいつ、チャクラでオレだと気付いたな?

「え、はたけ上忍ですか? えーっと、確か今は五日間の休養中のはずです。さすがに今何をされているかは知りませんが……。あの、どうしてはたけ上忍の名を?」
困惑したように返す言葉に、髭は「ほほー」と意味ありげににやついた。
あの野郎、何か絶対勘違いしている。
ひとまず動けるようになった体で、うみのイルカのベストから顔を出す。
余計なこと言うんじゃないよと視線に殺気を込めれば、髭はますますにやついた気配を出し始めた。
そして、分かっていると言わんばかりに首を縦に振り、おもむろに話し始める。
「イルカ。あいつもな、悪い奴じゃねぇんだ。ただ、ちょっとばかし自分の気持ちも、人の気持ちも分からなくなっちまった……。言うなれば、迷子の迷子の子猫ちゃん、て奴だ」
「は、はぁ」
うみのイルカは髭の言葉についていけないようで、目を白黒させている。
ちょっと、髭! お前、何言っちゃってんの!!
「あいつはなぁ、自分でも分からない感情にぶち当たると逃げる癖があってよぉ。だから、おめぇを避けるのもそのせいだ。断然被害者はおめぇだが、余裕がちょっとでも、いやカカシの野郎に少しでも情があるなら呆れずに相手をしてやってくれ」
「え、俺、避けられ……!?」
髭の言葉に知らなくても良かった事実が知られてしまった。
多大なショックを受けているうみのイルカにオレは慌てる。
髭ぇぇぇ、余計なこと言ってんじゃないよーーー!!

「ミィィィィ!!!」
余計なことは言わず、とっとと帰れ!!!
シャーッとおまけに出た威嚇音を聞き、アスマは何故かオレを生温かく見守るような眼差しを向けてきた。
「ま、なんだ。というわけだから、頼むぜ」
ガハハハと笑い出しそうな口調で、アスマはうみのイルカの肩を叩くと、受付員の「受理しました」との言葉にうなずき、受付所から出て行った。

「……イルカ、大丈夫か?」
アスマの後ろ姿を呆然と見送るうみのイルカへ、隣の受付員が声を掛ける。その際、ちらっとオレに視線を向けて、目があった瞬間、あからさまに首を背けた反応を見てバレたことを知る。
あんのくそ髭め、余計すぎることをっ。
オレの危惧は当たったようで、受付員はおろか事務方の二人にもそれとなく知られたようだ。
だが。
「……俺、はたけ上忍に嫌われてたんだなぁ。ナルトや、サスケ、サクラの話、ちょっと聞きたかったんだけなんだけど……。あれかな、しつこかったのが悪かったのかな。元担任がうろつくの嫌だったとか?」
肩を落とし、うつろな目で小さく笑い始めたうみのイルカはちっとも気付いていなかった。
え、忍びとしてこれでいいの、この人と、オレは本気で資質を疑ったが、オレの考えとは裏腹に周りは過剰反応を示した。
「ば、ばっか、おま、本人めのま……。いやいやいや!! 違うよ、ぜってぇそれは違うとおれは思うぞ!! だって、な、だって、だって!!」
「そ、そうですよ、うみのさん!! ほら考えても見て下さいっ。嫌っている人の元にわざわ、んんんんごほごほごほっっ」
「あぁぁぁ、あれですよ、あれ!! きっとは、恥ずかしかったんじゃないですカァァァ!?」
まさに苦し紛れについ飛び出たという言葉に、何故かうみのイルカは食いついた。
「……恥ずかしい?」
訝しげに繰り返したうみのイルカへ、周りは乗っかる。
「うんうんうん、そう、きっとどうやって説明していいか悩んじゃったりしたんじゃないかなぁー! だって、あの、はたけ上忍ですものっ。孤高の白銀狼! ね、ネームバリューが凄すぎて、イルカを萎縮せずにどうやって伝えていいか分からなかったとかっ!?」
「あ、あり得ます、あり得ます!! だって、はたけ上忍ですし、私たちとは頭の出来が違うとかもっぱらの評判で、その言葉は凡人には理解しがたいものがあるという話を聞きますし!!」
「せ、せせせせ、千の技を持つ業師とか言いますしぃ! 脳の発達具合がハンパないんですよ、きっと!! きっとぉぉぉ!!」
支離滅裂過ぎて聞けたものではない。おまけに、オレのご機嫌を伺うように、ちらちらと視線を投げる様がうざったい。
しかし、周りは半分恐慌に陥っているといのに、渦中であるうみのイルカはのんきなもので、これまた明後日の言葉を発した。

「……そっか。はたけ上忍、俺のこと気遣って距離を開けていたのか」
『……え?』
予想もしなかったと反応する周り。
オレもそれに便乗したいが、ちょっと疲れた。それもこれも髭のせいだ。
もうどうにでもなれと遠い目をするオレを尻目に、うみのイルカは持論を展開させる。
「あぁ、そっか。そうだよなぁ。相手は一流の忍びだもんな。その言葉を理解するにはそれ相応の知識がいるもんな……。甘かったよ。はたけ上忍と話すには俺はまだまだ修行不足ということだったん、だな」
ふっと小さく笑い、自省し始めるうみのイルカ。
「……え、どうすればいいんですか、これ」
「ちょっと想像とは違う方向に行き始めたような」
「流しましょう! 所詮、我々には荷が重すぎる問題です…っ」
最後の言葉に、残り二人が賛同するように何度も頷く。
周りは周りで事態を収拾することを諦めたようだ。
「分かった、俺、がんばるよ! 自分の力ではたけ上忍を捕まえて、俺がはたけ上忍と対話できるにたる忍びだと証明してみせるっ。その暁にはナルトたちの話を思いっきり聞かせてもらうことにする!!」
「うんうん、そうしろ、そうしろー!!」
「がんばって下さい、うみのさん!」
「応援してます、うみのさん!!」
わーっと何となくまとまった場に、オレは首を引っ込めて再び眠る事にする。
チャクラで身体能力を補助、強化しようが、依然とこの体は死にかけている。余計な体力を使うことは厳禁だ。
「見てろよ、はたけカカシ! 俺は絶対諦めないっっ」
勇ましい言葉を吐くうみのイルカに、再び周りが騒ぎ始める。
そんな騒音を聞きながら、広い胸に耳を当てて目を閉じる。興奮しているためか平素より少し早い鼓動が体に響く。
もっと深く聞きたくなって顔を擦り付けてより密着した。
心と体はそれだけで充足して満足の吐息をつく。残る理性は一体どう感じているのだろう。
自分の内面を探る間に、深い眠りに誘われ、結局その答えを知ることはなかった。
 

以下、猫の日小説、後となります。

 

 

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「イルカ、今晩は魚、あ、寒いから魚鍋にしようよ、ね?」
受付任務終了と共にソファで待っていたカカシ先生が小走りに駆け寄ってくる。
最後の言葉尻と共に俺の手を両手で握るあざとさに、俺は思わず顔を背けて震えた。
……何なの、この人、クソ可愛い!!


俺とクロの意識が入れ替わった事件は、無事解決した。
事の起こりである術式の書かれた紙の出所は、火影様が管理する書庫だった。
火影さまの孫である木の葉丸が性懲りもなく書庫に侵入し、悪戯に使えないか物色している最中、お目付け役であるエビス先生に見つかり、慌てたせいで引きちぎれてしまった紙が、運悪く開けっ放している扉から吹き込んだ風に飛ばされ、ふわりふわりと流れた先が俺とクロの元だった、という不運すぎる顛末だった。
俺が里抜けした理由も、俺の体に入ったクロが恐慌をきたして闇雲に駆け回って出た事故であり、証拠となる術式が書いた紙も無事カカシ先生の手から提出され、俺は晴れて独房から開放された。
里抜けという重大な罪を犯したにしては呆気ない解放だったが、尋問部の友人から具体的な理由を聞いたところによると、イルカが6名の暗部を相手に善戦するなんておかしすぎるだろうという一言に納得せざるをえなかった。やっぱり、クロが入った俺って……。
クロはクロで、猫ながらカカシ先生とやり合える稀有な素質に目をつけた忍猫を使役する一族に目を付けられ、忍猫として新しい人生を進んでいるようだ。
あれから一度もクロとは会えずにいるが、元気でやっていることを祈るばかりだ。


ちなみに、俺とカカシ先生はというと、先のことでも分かるように、知人から一歩進んだ関係へと進んでいる。
というか、俺が一方的にしてやられているというか、何というかだ。
ドゴンドゴ鳴る心臓を押さえながら、俺はカカシ先生に向けて頷く。
きっと顔は真っ赤だが、もう仕方ない。
キスされた時からカカシ先生の顔を見る度に真っ赤かになるので、もうこれが俺の通常だと受け入れた。
「えっと、はい。じゃ、タラ鍋にしましょうか。帰りに買い物に寄っていいですか?」
「うん、もちろーん。じゃ、行きまショ」
にこにこと笑いながら、俺の手を握る。握り方もお互いの指を深く絡めるようながっちりとした握り方だ。
ちょっと戸惑ってカカシ先生を見れば、カカシ先生はちっとも不思議なことはないと言わんばかりに堂々としているので、俺はいつも言葉を無くしてしまう。
「家族なんだし、おかしくなーいよっ」
「えっと、はい」
黙る俺にすかさずカカシ先生が言う言葉は『家族』というものだ。
確かにあの事件からカカシ先生は俺の部屋へと住むようになったし、食事も一緒で、帰りも時間が合えば一緒で、寝る時も一緒だ。
真夜中にカカシ先生が俺の布団に潜り込んで、抱きしめては下腹を触ったり胸を触ったりするのは困りものだが、今ではもう慣れた感がある。


カカシ先生が俺の部屋に住むと言った時に『家族』について詳しく聞いたことがある。
そのときカカシ先生は、あの事件で口付けで解呪できたことが何よりの証拠だと言っていた。
どうもあの術の解呪方法は、身も心も預けられる人物による接吻だったようだ。
確かにあのとき俺は猫になっていて、頼る人はカカシ先生しかいないと俺は思っていたので、それが解呪に導いたようだ。


家族、家族かぁ。
共に建物内から出て、アカデミーの運動場を通り過ぎ、校門へ向かう。
ちらっと左隣のカカシ先生を見れば、嬉しそうに目を細めて真っすぐ前を見つめているカカシ先生の横顔がある。
トクンと小さく跳ねる音は、過去に何回か経験したことのある心音で、俺は徐々に分かり始める自分の気持ちに遣る瀬無さを覚えた。
家族に向く気持ちとしては、情熱的でしかも厄介な思い。
知人だ知人だと言いながら、カカシ先生を見ればすっ飛んで話しかけていた過去の俺は、無意識にその思いを抱いていたのだろう。
現実的に考えれば、高嶺の花。しかも同性という柵もある、とてつもなく無謀な行い。
カカシ先生が何を思って、俺を家族として扱ってくれたのか皆目見当もつかないが、これが天から降ってきた貴重なる機会だということは理解している。
あわよくば俺の良いところを見せつけて、然るべき関係に!! それにはまず胃袋の制覇だ!


「とびっきりうまい鍋を作りますからね!!」
漲る決意を胸に宣言すれば、カカシ先生は俺に顔を向けて幸せそうな笑みを浮かべた。
「うん、楽しみにしてーる」
だばだばと溢れんばかりの喜色に、首にかじりついて撫でまくりたい衝動を抑え、頼りのある姿を見せるべくエスコートするように先を歩く。
校門を通り、いざ商店街へと方向を見定めた時、何故かカカシ先生に抱き上げられた。その直後。


「イルカー!!」
俺が先ほどいた場所に影が突っ込んできた。
勢い余って校門の壁に体当たりしたその衝撃に、肝が冷える。
カカシ先生に抱き上げられていなければ、俺はきっと校門の壁に挟まれてご臨終していたのではなかろうか。
「大丈夫、イルカ?」
「は、はい、助かりました」
若干語尾が震えつつ感謝の言葉を述べれば、カカシ先生は当然と言わんばかりに俺の頬へ口付けをくれた。
「イルカを守るのは当たり前でショ」
いつもより近い距離とその言動に照れてしまう。本来なら、俺がカカシ先生を照れさせてなんぼなんだけどなっ。


「で、お前は性懲りもなくまだ叶わぬ夢を見てーんの? イルカの迷惑だから止めてよね」
俺を抱き上げたまま、カカシ先生は壁を抱きしめている人物に冷ややかな視線を送っている。
黒い短髪に、黒い肌と鍛えられた肉体を持つ長身の体。
動きからして忍びには違いないが、木の葉には珍しすぎる黒い肌を持つ忍びを俺は知らない。
「カカシ先生のお知り合いですか?」
見知った口調のそれに尋ねれば、カカシ先生は珍しく意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふふ、だってーよ。お前のことなんてイルカは知らないってさ」
俺も知っている人物だと告げるカカシ先生の言葉に目が見開き、動揺する。受付勤務しているというのにこれはひどい失態である。
脳内にある忍びの顔と名前を急いで検索するがやはり思い当たる人物はいない。
内心冷や汗をかきながら、黒髪の忍びを見つめていると、その人は吊りあがり気味の瞳を垂れさせ、涙を浮かべた。気まずい。


「イルカ。オレだよ、クロだよ! お前の番であるクロだよ!!」
両手を握りしめ、真っすぐ俺を見つめてきた人物の言葉に既視感を覚えた。
クロ。番。
最近の記憶の中で、特に慌ただしかったものに思い当たり、ハッと息を飲む。
「もしかして、黒猫のクロか!? え、あれか、お前変化してるのか!? おま、お前、すごいなっっ」
久しぶりに会った友人の大進化に興奮する。もっと近くでその進化ぶりを見たくて、カカシ先生から降りようとしたが、カカシ先生は俺の腰を抱いた手を離そうとはしなかった。
「あの、カカシ先生」
クロと普通に話したいのだがと窺ってみるが、カカシ先生はにこっと俺に笑いかけるだけで微動だにしない。そればかりか、俺の尻に腕を差し込むなり縦抱きに抱え直し、背中を叩きながら歩き始めた。
「え、カカシ先生!?」
まさかクロを無視して帰るのかと驚きの声をあげると、クロもクロで非難交じりの声をあげた。
「ふざけんなよ、トサカ銀髪野郎!! ようやくイルカと同じ姿を手に入れたんだ。テメェの出る幕はもうねぇんだよッ」
敵意を隠しもせずに食ってかかるクロに慌てふためく。どうしたんだ、クロ、落ち着け!
「イルカ、今日はもう帰ろうか。冷蔵庫の中にあるものでオレが今日は作るよー」
「どうでもいいが、イルカは置いてけっ! オレの番だぞ!!」
いや、クロ。俺はお前の番になった覚えは一度もない。俺とお前は友達だろう。
追いかけてくるクロへ物申そうと口を開いたところで、カカシ先生の歩みが止まる。特大のため息を吐き、クロに向けて言い放った。
「まーだ分かってないみたいだーねぇ。あの時も言ったけど、イルカはお前の番じゃない。オレの番なーの」
一度聞き流して、数秒して頭が言葉を理解した。ふぇ!?
ぱっとカカシ先生の顔を見下ろし、もう一度確認するべく口を開いたが肝心な声が出てこない。
金魚みたいにぱくぱくと口を動かすしかできない俺に気付いたのか、カカシ先生は優しい眼差しで見上げてくる。


「家族って言ったでショ。イルカはオレの伴侶なーの。もしかして気付いてなかった?」
鈍いんだからと苦笑交じりに告げられた言葉に涙腺が緩む。
一体いつの間にと、気付かぬうちに両想いになってた奇跡に体を震わせていれば、カカシ先生は真っすぐ俺を見つめた。
「いつも言ってるでショ。大好きって。イルカはオレのことどう思ってるーの?」
よく見てみれば、カカシ先生の瞳にはしっかりとした熱量が見えた。俺だけが抱えていたわけじゃない、その熱に胸が苦しくなる。
「お、俺も……! 俺もカカシ先生が好きですっ。家族って言われて、意識してもらえないんだって、いつか俺のこと見てもらおうと思ってて……!」
言葉を吐く度に、ぼろぼろと塩っ辛い液体がこぼれ出る。
情けなくて袖で拭こうとした腕を止められ、親指で涙を優しく払ってくれた。
「うん、知ってた」
まさかの返答にぽかんと口を開けてしまう。カカシ先生はくすくす笑いながら、言い訳を始めた。
「だって、アンタ、オレのこと始めから絶対好きなのに、知人だ知人だなんて回りに言っちゃうし。オレがあんたのこと気になって、深い仲になりたいって思ってても、アンタときたらちぃっとも自分の気持ちに気付かないし。少しくらいオレが味わったヤキモキ感を味わって欲しかったーの」
鼻から下りてきた液体をすんすん吸いながら、悶々していた気持ちを思い返してつい文句を言ってしまう。
「カカシ先生、意地悪です」
「ふふふ、ごめーんね。ま、でも、こうやってようやく一歩進んだってことーで」
そこまで区切って、カカシ先生はクロへと視線を向けた。
「お前のおかげで、イルカもようやく自分の気持ちが分かったみたーい。ありがとうね」
クロは目を真ん丸に見開き、茫然と突っ立っている。


「あの、クロ?」
数秒待っても微動だにしないクロが心配になって声を掛ければ、クロの瞳からぶわりと涙が膨らみ、ぼろぼろと大粒の涙を落とし始めた。
「あ、あ、クロ! クロ、ごめん! お前の気持ち全く気付いてなくて、でも俺はカカシ先生のことが好きなんだ!!」
いつクロが俺のことをそういう対象として見ていたか全くちっとも気付かなかったが、勘違いさせてしまったことは俺が悪い。
渋るカカシ先生の腕から下りて、声もなく泣くクロを必死に慰める。
「ごめんな、クロ。ごめん」
ぴすぴすと鼻を鳴らしながら、クロは俺を見つめる。
「イ、イルカが、オレに、求愛行動したのに。毎日、美味しいものオレに貢いで、愛を乞うてきたのに……っ」
クロの言葉にざぁぁっと血の気が引く。
場所代としての貢物は求愛行動としてクロに受け取られていたのか。
これは俺が全面的に悪い。本当に悪い。
「イ、イルカのために、人に化けられるよう、が、頑張ったのに……」
「ご、ごめん、クロ!!」
泣くクロの涙を手で拭い、必死に謝ることしか考えつかない。
むずがるように俺の手を軽く拒絶するクロに、根気よく声を掛けていれば、クロは「分かった」と小さく呟いた。
分かってくれたのかと胸に淡い期待が芽生えたが、次の瞬間、クロは言い放った。


「イルカがアレと別れるなら許してやる」
さっきまで泣いていた顔を晴れやかにさせ、八重歯を覗かせる口元で笑うクロに俺は固まった。
ぎゅっと腕を痛いくらい握られ、頭が真っ白になっていると反対側の腕を掴まれた。
「そこまでだ、くそ猫。お前の考えはお見通しだーよ。真面目なイルカを惑わせようたってそうはいかないよ」
クロの手を容赦なく叩き外すと、カカシ先生は一歩前に踏み込み、クロとの間に割って入った。
カカシ先生の言い分に、あの可愛いクロがそんなことを考える訳はないだろうと苦笑したが、対するクロは隠しもせずに舌打ちをしてた。……クロ!?


クロは俺の視線に気付いたのか、にこっと笑った。
「冗談だって。イルカの気持ちは分かったよ。でも、オレだってイルカのこと好きなんだ。せめてオレと口寄せの契約を結んでよ。ね?」
さすが猫と言わんばかりの軽やかな身のこなしで、カカシ先生の体を潜り抜け、俺の元へと歩み寄る。
元はといえば俺の紛らわしい行動のせいで、忍猫の修行までしてしまったクロとの口寄せは非常に妥当なものだと思えた。
「そりゃお前がいいなら……」
「ダメー!! ダメに決まってるでしょうがぁぁぁぁ!!!」
カカシ先生の言葉が終わる間もなく、クロは両手の平にはクナイと巻物を握り、気付いた時には俺の親指に小さな痛みが走っていた。
「よし、契約終了だっ! これからもよろしくな、イルカ」
俺の血が押された契約の巻物を手渡し、握手してくるクロ。
あまりの早業に茫然としてしまったが、にこにこと嬉しそうに笑っているクロを見ていると憎めない。
不機嫌になるカカシ先生の腕を撫でて宥めると、改めてクロと向き合う。
「これからもよろしくな、クロ」
俺の言葉にクロは真剣な眼差しで言い切った。
「オレ、イルカの役に立てるよう頑張るから」
殊勝な態度を見せるクロに、そこまで気負わなくてもいいのになと思いつつ、俺はもう十分すぎると言葉を返した。


「クロはもう十分俺のために行動してくれたよ。カカシ先生とくっつけてくれたのは、お前だし」
ありがとうなと俺より若干高い位置にある頭を撫でれば、横にいたカカシ先生は感極まった声をあげ、クロの表情は反対に不貞腐れた。
「そうだ、クロ。お前はよくやった。ま、いなくてもいずれはくっついていただろうが、お前がいたことで短縮したのは間違いなーいね」
「慣れ慣れしく触んなっ」
カカシ先生も頭を撫でたが、クロはけんもほろろに手を弾く。それでもカカシ先生は気分を悪くした様子もなく、笑みを浮かべてクロを眺めていた。
それを面白くなそうに見ていたクロだったが、何かに気付いたのかにやっと笑みを浮かべると上機嫌に言い放つ。
「まぁ、オレはもうイルカの家族みたいなもんだし、今日から一緒に住むから」
カカシ先生が何かを言い出す前に、クロは俺の腕の中に飛び込むなり変化を解いた。
ゴロゴロと喉を鳴らすクロを抱え、その懐かしい感触に顔がほころぶ。
「ちょっとお前図々しすぎるでショ!」
腕の中のクロを覗き込みカカシ先生が言い募るが、クロは逆方向に顔を向けて無言を貫いている。
何を言っても無視を決め込むクロに腹を据えかねたカカシ先生をまぁまぁと宥め、俺は笑いかけた。


「家族、増えましたね」
ここ数週間でにぎやかになってきた状況が嬉しい。
家族も増えたことだし、ここらでいっちょ引っ越しというのもありかもしれない。
出来れば小さなものでいいから庭付きの、縁側付きの家がいいなぁ。畳の部屋は欲しいし、風呂はでっかい方がいい。小さな庭でちょっとした家庭菜園なんかしてもいいし、薬草畑もありだ。
いや、どうせならカカシ先生が使役している忍犬が走り回れるような庭だと、一緒に暮らせるかもしれない。
そうしたら家族がもっと増えて、もっと楽しくなりそうだ。
我ながら良い考えだと、提案をしようと顔を向けて戸惑う。
「? カカシ先生?」
何故かカカシ先生は顔を手で覆い、何か煩悶している様子だ。
様子がおかしいためにじっと見ていると、カカシ先生の耳が真っ赤になっている。どうやら非常に恥ずかしがっているようだ。
今のやり取りでどこに恥ずかしがる要因があったのかと、首を捻っていれば、ようやく平静になったのかカカシ先生が顔を上げた。
「……イルカ、後で覚えておきなよ」
未だ熱が冷めないのか、唯一見える右目の目じりも赤くなっている。犯罪予告のように告げられる言葉に目を白黒させていると、カカシ先生は咳払いをして肩の力を抜いた。
「ま、家族が増えるなら、今日はそのお祝いで鯛鍋でもしようか」
高級魚の鯛という太っ腹な提案に、嬉しい悲鳴が出る。クロもクロで鯛鍋というのは魅力的だったのか、小さくゴロゴロと喉が鳴っていた。
「じゃ、買い物行きましょうか。クロ、買い物中は外で待っててな」
「にゃーん」
非常にいい返事をするクロの頭を撫で、そのまま歩き出す。
カカシ先生もどこか浮かれたような様子で、隣についてきてくれた。あ、そうだ、買い物と言えば。


「カカシ先生、近々でいいんで一軒家見に行きましょうよ」
「へ!?」
素っ頓狂な声をあげるカカシ先生がおかしい。それを揶揄いながらさっき妄想していたことを提案する。
「カカシ先生も忍犬いるじゃないですか。クロだけっていのも何なんで、忍犬たちとも一緒に住めるような家があればなぁって。まぁ、俺の薄給じゃ、たかが知れているんですけどね。目標金額知るだけでもやる気が変わってくるもんです」
とうとう俺も一国一城の主かと胸を熱く高鳴らせていると、カカシ先生が再び顔を覆って天を仰ぎ始めた。
「もー!! アンタってば、本当に……!! イルカ。言っておくけどもうオレはアンタのこと離してやらないからねっ。今後もう嫌だって言っても離してやらないんだからッッ」
突然宣言してくるカカシ先生はもしかして情緒不安定なのやもしれない。いや、もしかすると俺が薄給な癖に家を構えるという発言に不安を覚えたのかもしれない。
「カカシ先生、大丈夫です。薄給って言っても下忍からこつこつと貯金してますので、思ったよりは持っていますよ」
己の堅実ぶりをアピールすれば、カカシ先生はひどく困惑した気配を醸し出し、俺の腕の中にいるクロと視線で会話をしていた。
いつの間に仲良くなったのだろうか。ちょっと仲間外れにされたみたいで寂しい。
数秒、クロとカカシ先生は見つめ合っていたが、ふぅぅとお互いがため息を吐いて視線を外した。会話は終わったらしい。


「ねぇ、イルカ。色々と言いたいことはあるけど、オレが一番言いたいことって分かる?」
突然の問いに考えてはみるが、やはり先ほどの懐事情だろうか。
「いや、絶対それじゃないから。オレ、こう見えても稼いでるからね。イルカが薄給でも補って余りある資産は腐るほどもっているから」
カカシ先生、容赦なし。
俺だって好きな人の前ではかっこつけたいのに、それさえも許さない現実を掲げてくる。
「そりゃ内勤中忍は薄給が常ですけど、俺は貯金あるし、ちょっとは甲斐性あるつもりですし」
「いやいや、そこで落ち込まないでーよ。もう、イルカ。そういうことじゃなくて、オレはもちろん、オレの忍犬たちも家族って認めてくれてるんでショ。だったらいつまでカカシ先生なんて他人行儀な呼び方しないでーよ」
指摘されて気付く。
初めて会った時からカカシ先生と呼んでいたせいで、全く違和感を覚えなかった。
んんと咳を払い、改めて名を呼ぶ。
「カカシせ……さん」
「ん~、そこは呼び捨てでも良かったけど、ま、それは追々ね」
呼び捨てはハードルが高すぎる。さん付けでも、心臓が破裂しそうに動いているのだ。呼び捨てなんてしたら、口からまろび出るに違いない。
そのときのことを想像し口元を押さえていたら、カカシ先生が俺の考えを呼んだようで屈託なく笑っている。
朗らかなその笑みに何だか拗ねるのもバカバカしくなって俺も一緒になって笑った。


「ね、イルカ」
ひとしきり笑った後でカカシさんが名を呼ぶ。
はいと振り返ったところで、カカシさんの顔が近付いてきた。
ちゅっと小さな音を立てて吸い付いてきたそれに固まり、目をかっ開いていると、いつの間に口布を下ろしていたカカシさんは薄っすらと色づいた頬を隠すように口布で隠し、悪戯っぽく囁いた。
「イルカとキスはまだだったからーね」
だからといって天下の往来でしてもいいのだろうか。いや、すごく嬉しいんだけど困る。
叱るのも違うし、喜ぶのもおかしいし、どう反応していいか分からずうろうろと視線を這わせて、腕の中にいるクロが眠り込んでいる姿に気が付いた。
猫のみで人に変化して疲れ切っていたのだろう。
眠るクロを撫でていると、カカシさんもくすりと笑ってクロの頭を撫でた。
優しい顔をして、クロを覗き込むカカシさんを見て、ふと脳裏に映像が蘇った。


俺を真ん中にして父と母と手をつなぎ、二人とも優しい顔をして俺を見下ろしている姿。


そこでようやくカカシさんが恥ずかしがった理由に気付いた。
あぁ、カカシさんはきっとクロを見下ろす俺とカカシさんの二人が……。


真っ赤に色づく俺に、カカシさんは俺の考えていることは何でもお見通しだと言わんばかりにぽつりと呟いた。
「……オレたち、家族だものーね」
どっちが産んだのかと突っ込みたい気分もあったけれど、俺もそこまで情緒がないわけでもないので、半歩カカシさんの方へ近づいて身を寄せた。
「はい、忍犬たちも入れて大家族です」
俺の言葉にカカシさんは笑み崩れて、密かな秘密を分かち合う様にクロを起こさないように小さく笑い続けた。
きっと俺の妄想は漏れなく近いうちに叶うに違いないと、笑いながら思った。



「……だからここ、アカデミー前の校門だって分かってるのか?」
「あーぁ、何かなるようになったって感じだなぁ」
「イルカは最初から、はたけ上忍は途中から……。すっかり二人の世界作ってるなぁ」
俺たちが帰路についている最中、その後ろで、俺の同僚がぼそぼそと語り合っていた内容を俺は知らなかった。





おわり



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思っていたより長くなってしまった……。

あぁ、ちょっと何かよく分からんことになった。

クロちゃん間男ポジションにするつもりなかったのにぃぃ。

 

その後きっと二人含めた大家族で仲良く一軒家、カカシ先生の生家に住んでいる希望です。です。

 

 

 

お久しぶりです!!

生きてます、カカイルしてるんですけども完結していないから載せていないだけなんですよ!!と、言い訳をしつつ、本日猫の日にあやかり急いで書き上げたSSを載せます!

 

うん、前というように、後があります。

く、間に合わなかった( ;∀;)

明日には完結できるよう頑張ります。

 

最後になりましたが、ちっとも更新しないのに拍手くださる皆さまどうもありがとうございます!!

 

それでは、以下、SSとなります~!!

 

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俺は目の前で華麗に姿をかき消す自分自身を見送ったまま、固まることしかできなかった。
恐慌を通り越して無我の境地に至る思いとは裏腹に、本日もよく晴れた絶好の弁当日和である。
「……うにゃん」
マジかよと零れた声は思った通りの声音で、現実逃避したい意思薄弱な俺を捕らえて離してはくれなかった。


一体俺が何をしたと染み出そうな液体を上を向くことで堪え、その原因である紙切れが降ってきた時のことを思い返す。


今から遡ること数分前。
俺は最近昼を一緒にする新しい友人と共に、アカデミーの校舎横。日当たりも良い、木々もわんさか生えた中にぽっかりと開いた空間で昼食を取っていた。


俺の新しい友人こと、黒猫のクロは、俺がこの場所で昼飯を食うようになってから知り合った。
どうやらこのぽっかりと空いた空間はクロのお気に入りの場所で、しかも先に使っていたようだ。
俺が初めてクロと出会ったときは、ひどく煩わしそうに、かつ胡散臭そうに俺を睨んでいた。
この場所では新参者である俺は、古参のクロに貢物として弁当の中に入ってたハムを献上した。始めこそ、これしきのことで許されると思うなよと、猫にしては気合の入ったガンつけをされまくっていたが、出会う度におかずを献上しまくった結果、俺はこの居場所にいても許される存在となった。
今では俺の顔を見ると、気配も顔も穏やかで優しくなるクロに癒される毎日である。
共に飯を食った後、一緒に昼寝をする時間は何物にも代えがたく、雨が降る以外の日は足繁く通っている。


本日も俺は可愛い友人が待つ場所へとスキップ交じりで向かった。
「クロー、お待たせ。今日はお前の好きなハムだぞ。しかも厚切りだっ」
薄給の我が身ながらも、クロの嬉しそうな顔を見たいがために日々やりくりした成果の特選ロースハム。
クロは俺の足元にすり寄り全身で喜びを伝えてくれる。何て可愛い奴だ。
「よしよしよし、それじゃ一緒に食べようなぁ」
「にゃーん」
クロ専用の器を懐から取り出し、そこへハムを乗せ、俺も俺で正座した膝の上の弁当箱を開ける。
「いただきます」と俺とクロが隣り合って、声をあげた時だ。


空からひらひらと一枚の紙が降ってきた。
ゆっくりと左右に振れながら降りるそれが目の前にきた瞬間、ぼふんと白い煙を吐き出し弾けた。
もろに白い煙を吸い込んだ俺と、たぶんクロ。
何かの術の気配を感じながらも、目を開けた直後、世界は様変わりしていた。


突然低くなった視界。五感を刺激する圧倒的なまでの情報量。
びびる俺の横では、どでかくなった俺が何事かを叫ぶなり目で追えない速さでどこかへと去った。


「うにゃぁぁぁぁぁぁぁ」
我が身に起きたことを振り返り、思わず頭を抱え叫んでしまう。
もしかしなくても大事である。
直近は午後のアカデミーの授業だ。その後には受付業務だって入っている。このままでいくと無断欠勤か。いや、それよりも俺はどこに!! クロの意識が入った俺がどこかに旅立った! 何あれ何なの、クロが入った俺の動き見えなかったんだけど、それは俺が猫だから? それともクロが入った俺だから!? いやまずこれから俺は一体どうすればいいのやら誰か教えてぇぇぇぇぇぇ!!!!
遅れて混乱してきたが、それと同時にくるぅぅぅと腹の虫が鳴った。
考えてもいい案は出てこないので、先に腹を満たすことにする。
ちなみにクロが入った俺が去っていた時に地面へひっくり返った俺の弁当ではなく、クロにあげたロースハムの方だ。
猫の舌でも確かなうまみを伝えてくるロースハム様は偉大だ。……非常に塩辛いけど。あれ? 猫にロースハムは与えてはならない食べ物だったのか??


うにゃうにゃとロースハムのうまさと塩辛さに対して呟いていれば、横から気配を感じた。
「……イルカ先生?」
一体いつからいたのか。
俺が夢中でロースハムを食っている真横で、真剣な表情で俺のひっくり返った弁当を見つめている。
遅れて毛が逆立つ。人より五感に優れた猫になってもカカシ先生の気配を捉えきれないって一体どういうことなの。


カカシ先生は今年卒業した教え子たちの上忍師の一人だ。
どうやらかなり高名な上忍らしく、数々の戦にて功績をあげているらしい。
鼻の上まで口布をし、左目を隠すように額当てを当てているので、顔は右目以外は全く見えない感じだ。ただ、木の葉では珍しい銀髪だし、俺より背が高いのに猫背で、やる気なさげな独特な雰囲気を身にまとっているので、かなり目立つ存在ではある。
カカシ先生の元についた元教え子たちはその素顔はたらこ唇だ、顎が割れているのだと散々言っていたが、女性陣が既婚独身問わずに黄色い声を上げているので、見えない素顔は美形ではないかと予想している。


本日も顔を覆い隠す、覆面忍者として変わらぬカカシ先生の横顔を見つつ、ハッと我に返る。
これはチャンスではないか!!


お口の中を彩るうまさと塩辛さを急いで飲み込み、俺は憎き元凶である紙を咥えてカカシ先生の真正面に赴いた。
カカシ先生の視線が俺に向く。どうやら猫は嫌いなのか、唯一見える右目の眉根が思い切り潜まれている。
「……何よ、お前。いつもはオレ見て威嚇してる癖して今日はやけに大人しいじゃない」
カカシ先生の言葉にぎょっとする。
クロー!! お前、上忍に喧嘩売ってんの? これは元に戻ったら要指導案件だぞ!!
きっとここら近辺のボス猫であろうクロの度胸に冷や汗が流れる。命知らず過ぎるだろう。
目の前のカカシ先生が良識ある上忍で良かったと心底感謝しつつ、俺は本題に入ろうと咥えていた紙を地面に下し、黒い肉球がついた手で何度も紙を叩く。
クロとの仲はすでに険悪なものに入っているのか、カカシ先生は俺の行動を冷ややかな眼差しで見ている。だが、俺も諦めるわけにはいかない。どうか、どうかカカシ先生、気付いてください!


「にゃんにゃにゃにゃ。にゃんにゃにゃにゃ、にゃ!!」
イルカです。分からないかもしれないけれどイルカなんです、カカシ先生!!
何かの巻物の切れ端らしいその紙には、古い忍び文字で術式が書き込まれているが、文字がところどころ虫食いにやられているばかりか、俺の知識では古い忍び文字過ぎて読めない。
術を食らったことからして、他者との意識を入れ替える術らしいが、一体この効力はいつまで続くのだろう。
「うにゃーうにゃにゃーうにゃー?」
俺には読めないので解読お願いできませんか?
必死に鳴いて懇願するも、カカシ先生のこちらを見下ろす瞳は冷ややかなままだ。クロー、お前、カカシ先生に何したんだよー。
それでも俺にはお願いするしかなくて懸命に鳴いていると、カカシ先生は腕を組むなり顎先を指で触り始めた。
見つめる先は俺の足の下にある紙。
「……双方向、意識を転……術」
ぶつぶつと内容を読み始めたカカシ先生の邪魔になるまいと、俺は一歩下がって黙って待ちの姿勢に入る。
さすがはカカシ先生。虫食い以外をすらすらと読み進める姿は、聞いた話と違わぬ博識ぶりだ。
職業柄、俺も知識量はそこそこあると思っていた方だけど、カカシ先生の足元には及ばない。これを機会に勉強始めるかな。


全てを読み終え、カカシ先生は戸惑う様に辺りを見回した後、俺に視線を向けた。
「……まさか、イルカ先生?」
通じたー!!!
「うにゃぁぁぁぁおんん!!」
しっかりと俺を見て俺の名を呼んでくれたことに、嬉しさを隠せず思わずカカシ先生へと飛びつく。
「わ、本当にイルカ先生なんですか? 一体何でこんなことに」
「うにゃぁうにゃにゃにゃー!」
俺の方が聞きたいですよー! 
俺の喉から盛大に音が鳴る。カカシ先生は俺を落とさないようにおしりを支えるように抱えてくれていた。


ちなみに、俺とカカシ先生は元教え子を通して知り合い、時々世間話をする仲だ。つまり、単なる知人である。
受付の同僚たちは、単なる知人である関係なのに上官であるカカシ先生へ親し気に話掛ける俺に恐れおののいている。
お前、悪いことは言わないから止めろって。見ているこっちが心臓に悪いだろうが。危機意識が枯渇しまくってるぞと、散々っぱら言われる。
知人に話しかけて何が悪いのだ、俺には元生徒たちの情報源が必要不可欠なんだと叫び返しているのだが、すると何故か。同僚たちは非常にまずいものでも食ったような顔を見せるから、俺もその反応はなんだと聞き返す。だが、同僚たちは、まだ気付かねぇのか、もうおれヤダぁとか、あーもうオレ知らねぇと自棄になった態度を返すから謎は深まるばかりである。


「イルカせんせ?」
しばし俺がよそ事を考えていたのを察したのか、カカシ先生が呼びかけてくる。
その間も器用な指先で顎の下やら耳の後ろやらを掻いてくれるから気持ちよくて、思わず恍惚の声をあげてしまう。うー、そこそこ、あーきもちぃぃ!!
ゴロゴロと喉の音が一段と大きくなるのを聞きながら、俺はそろそろ本題に入らなくてはと、苦渋の涙を飲んで、顎先を擽る人差し指を手で止める。
「うにゃ、うにゃにゃにゃん。うにゃー!?」
俺が、あっちに行ったんです。見つけてくれませんか!?
俺の体が去ったであろう方向へと手を指し示せば、カカシ先生は何故か嬉しそうに俺の手を指先で摘まみ、もみもみと揉みこみながら機嫌良さそうににこにこと笑っている。
「ふふ、イルカ先生の手小っちゃくなっちゃったーね。可愛い」
ちゅっと口布越しだが頭に口付けされ、俺はびくりと身を跳ねさせる。
おぉぅ、カカシ先生ってもしかして猫好きですか? クロにつれない態度取られて不機嫌になったのも愛情の裏返しってやつですか。
なるほど、猫好きなのに猫に威嚇されると凹みますもんねとカカシ先生の気持ちに共感するが、今は悪いがそれについて語り合う時ではない。俺の、体が、大変なのだ!!


「うにゃ、うにゃにゃにゃにゃにゃ」
あのですね、カカシ先生真剣な話ですから聞いてください。
「んー? イルカ先生、オレのこと好き? オレの家族になる?」
いつものやる気ない空気はどこに行ったのか。右目は爛々と輝き、全身で喜びの気配を発している。
「うにゃぁ」
話が通じねぇ。
「うんうん、オレも大好きだーよっ」
ちゅっちゅっと頭と言わず、顔にまで口付けを降らす、猫好き過ぎるカカシ先生を前にどうしようかと途方に暮れていると、俺の背後から声がかかった。


「先輩」
またもや気配も何も感じなかった。
びくぅっと体を震わせ、咄嗟に背後に視線を向けようとすれば、カカシ先生は俺の後頭部を優しく手のひらで覆うなり、より深く懐に抱きしめてきた。
「何」
さきほどと打って変わって硬質的な声音がカカシ先生の体を通じて響く。
雰囲気もがらりと変わり、冷ややかな気配を纏う様に思わず体を固くしていれば、宥めるように頭を撫でてくれた。
「うみのイルカ中忍が無断で里を抜けようとしましたので捕縛しております」
なんだってぇぇー!!
まさかの報告に俺は恐慌に陥る。こ、こうしちゃいられねぇー!!
じたばたとカカシ先生の腕から抜け出そうと足掻くが、カカシ先生の腕は絡みついたように離れなかった。上忍スキル半端ないな!!
「イルカせんせ、大丈夫。安心してオレに任せて」
足掻く俺に向けてカカシ先生が優しく囁く。足掻くのを止めて顎先を限界まで上げてカカシ先生を見上げると、カカシ先生の右目は優しく撓み、真っすぐ俺を見つめていた。
絶対どうにかすると言外に言ってくれるカカシ先生に、俺は何だか押し負けてしまって、こてんとカカシ先生の胸に頭を預けた。
まぁ、確かに今俺猫だし、何をするにも誰かの手を借りねばならないのも事実だし。
「にゃーん」
お任せします。
観念して一声鳴けば、カカシ先生は震えるように笑いながら了承してくれた。
「はい、任されましーた」
「……先輩?」
俺とカカシ先生のやり取りが意味不明なのだろう。背後にいる人から戸惑う空気が伝わってくる。
「お前が気にすることじゃなーいよ。じゃ、案内してくれる? イルカ先生が里抜けしたのは事故みたいなもんだってオレが証明できるから」
「は、はぁ」
カカシ先生は腰を屈めて、例の紙を拾い、どなたかへ案内を求める。
俺はと言えば、カカシ先生の胸の中で目を閉じた。カカシ先生ならば大丈夫だと信じ切っている俺がいた。



「近づくんじゃねぇよっっ!! 喉首掻っ切られたいか!!」
ぐぅるうおおおと、形容しがたい雄たけびと共に、重苦しい殺気が放たれる。
濃すぎるそれは俺の精神を揺さぶり失神しそうになったが、布に覆われた手のひらに顔が包まれたことで息をしていない自分に気付き、呼吸を再開することができた。
「大丈夫、イルカ先生?」
カカシ先生が気を遣ってくれることが嬉しい。
「うにゃ、にゃー」
大丈夫です、ありがとうございます。
カカシ先生の腕の中にいると安心感が半端ない。
今も濃厚な殺気の只中にいるが、一度呼吸をしてしまえば十分耐えられた。


ここは木の葉の独房室だ。
結果的に里抜けしてしまった俺の体は今、経緯の確認と興奮する俺を大人しくさせるために一時的に独房へと入れられた。
俺の体の元へと道案内してくれたどなたかが言うには、捕まえる時も激しい抵抗に遭い、数名の暗部を導入しての大捕り物だったようだ。
数名の暗部。
もしかしなくてもクロが入った俺は、かなり強いのではなかろうか。


カカシ先生の顔パスで、監視員の立ち合いの元、即会えることとなったのだが、クロは極度に興奮して殺気をまき散らしているという訳だ。
俺もだが、クロもとばっちりを受けただけの圧倒的な被害者だ。どうにか落ち着かせて、独房から出してもらおう。


とんとんとカカシ先生の胸元を叩いて気を引き、クロと話したいと鳴いて告げる。
カカシ先生は何故だかちょっと嫌そうな顔をしたが、クロを落ち着かせることには文句はないようで、俺をクロの元まで運んでくれた。でも、決して胸の中から解放はしてくれなかったけども。


「にゃ、んにゃー?」
クロ、大丈夫か?
胸元から顔を出して、鉄格子の向こうにいるクロへと呼びかける。
クロは全身ズタボロの有様で、正規服は土で汚れているわ、破れているわで、かなり激しい戦闘をしたことを物語っていた。
顔にもいくつか切り傷が刻まれていて、俺はクロに申し訳なく思ってしまう。
クロは眉間に皺をよせ、他を近付けないような憤怒の表情をさらけ出していたが、カカシ先生の胸元にいる俺を見つけるなり、眉根を和らげ顔をほころばせた。
「イルカか!? 良かった、オレ、取り乱してお前を置いていっちまって。何だか分かんねぇけど体入れ替わっちまったみたいだな」
駆け寄るなり鉄格子を握りしめ、クロは俺の目線に合わせるように腰を曲げる。
「にゃ、にゃ。にゃにゃにゃ。にゃんにゃにゃ」
ごめんな、クロ。痛い思いさせたな。今すぐそこから出られるようにするから。
クロは俺の言葉が分かるのか、うんうんと頷き、目を細めるなり鼻先を俺に近づけた。
「あぁ、信じてたよ。イルカはオレを見捨てないって。何たって、オレとイルカは番だもんな」
うっとりとしたクロの表情に、俺はちょっと固まった。
正直、自分の顔が恍惚とした表情を曝け出すのを見るのは辛い。というか、番ってなんだ?
固まる俺とクロの鼻先がくっつく寸前、視界が暗闇に落ちた。それと同時に布が顔を覆っている。
呼吸ができるので混乱することはなかったが、目の前のクロは違ったらしい。


「てめぇ。いつもいつもイルカに付きまといやがって鬱陶しい。イルカを保護してくれたのは礼を言うが、番であるオレがいるんだ。とっととその腕から離しやがれッ」
ごぅっと唸るように言葉を発し、クロが憤る。
俺に布を覆った、もとい手のひらで顔を覆ったカカシ先生は飄々と言葉を返した。
「番ねぇ。野良猫風情が叶わぬ夢見たもんだーね。オレとイルカ先生の絆に比べれば、お前なんて太刀打ちできやしなーいよ。何たって、オレとイルカせん……イルカは家族になったんだもん。イルカはオレのこと大好きだってさ。今、その証拠見せてあげる」
カカシ先生は腕に背が添うようにして俺を抱え直す。ほぼ仰向けになった俺はカカシ先生を見上げる状態となり、カカシ先生は右目を優しく細め、長い指先で自分の口布を徐に下した。
「イルカ」
耳の奥へと響く低い声が俺の名を呼ぶ。
ぞわっと全身の毛が逆立つさまを感じながら、近づいてくるカカシ先生の素顔から目が離せなかった。


銀色の髪に、少し垂れた目尻の灰青色の瞳。白く抜けるような肌と真っすぐ整った鼻筋、薄い唇。向かって唇の右下には小さなホクロがあって、全てのパーツが品良く並んでいた。
甘すぎず硬すぎず、大人の色気を漂わせ、修羅場を潜った者だけが持つ自信を瞳に宿らせた、野性的な美しさを持つそれに、俺は見惚れてしまっていた。
「大好きだよ」
薄い唇が動く。
視界を占領するそれをただ茫然と見つめていると、口先に柔らかい感触を覚えた。
少しかさついた、温もりのあるそれ。
ちろりと、熱いともいえるもっと柔らかい感触を受けた瞬間、脳が沸騰した。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
絶叫して思わず唇を押さえる。
心臓が痛いくらいに高鳴って、目の前がくらくらしている。
まずい、鼻血が出そうだ!!


「ブギャアァァァァ、シャァァァァァ!!!」
「ちっ、クソ猫がぁぁぁ!!」
鼻と唇、心臓を押さえて蹲る俺の目の前では、鉄格子の向こう、カカシ先生とクロが闘っていた。
監視員の人は、さきほどまで穏やかに接していた猫と突然闘い始めたカカシ先生についていけないようで、混乱しきっている。
その後、クロの善戦により長引いた闘いは、監視員が呼び出した応援である、三代目火影さまにより引き分けとなった。

 

 

続く

---------------

 

 

今思ったのですが、ほぼ全文に近い気がする……。

ふふふ……orz

 

こんばんは!
だいぶお久しぶりです。
只今コロナで大変な状況下にありますが、とにかく人には会わない、己がコロナ感染者かもしれぬという思いを常にもちつつ、皆で頑張りましょう!!(゚Д゚)!!

それこそ、ネットだ!
そうだ、今こそカカイルサイトを皆、立ち上げるんだ!!(希望大っ)

というわけで、以下、拍手コメントのおへんじとなります!
最後になりましたが、拍手くださる皆様ありがとうございます!!
……う、えっと、今、あれしてるんですぅ、ごめんなさーい!!!((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


3月21日

Osamさま

最近とみに更新していないサイトですが、見に来てくださりありがとうございます!
読み返してもいただいているようで、本当に嬉しく思います(;∀; )やっふー!

頑張ってまた書き始めたいとは思っております!
お時間ある時にでもぜひいらしてくださいませー!

拍手コメント、ありがとうございました!!













蛇足


ちなみに、今やっているのはこれです。


そう、略してあつ森ー!

そして、ご覧ください。



当社比で管理人は頑張りました!!

木の葉の正規服を二時間かけて頑張って作りました!!
次は子イルカちゃんの一番服を作るんだ!!
そして、島にカカイル島を作るんだ!!(゚Д゚)!!

ふおおおおお、燃えるーー!!

さぁ、今宵も金策に励まねば!!


拍手くださる皆さまありがとうございます!!

 

以下、小説となります!!



ーーーー




キッチンとダイニングの仕切りのない、大きな空間の中。
新たに家族となる人を出迎えるため、そして日常生活に支障のないように、かつ、見た目にもゆったりと寛げられるよう吟味して揃えられた家具たちは今、誰にも使われることなく放置されている。


代わりに頻繁に使用されているのが、イルカさんの家にあった年代物のちゃぶ台だ。
フローリング畳というのものを床に直接置き、これまたイルカさん宅にあった座布団をお供に座っている。
しかも、部屋の隅っこ。
はりきって用意した部屋がほとんど用をなしておらず、オレは密かに落ち込んでいた。


最近なんて、仕切りが欲しいなぁと独り言を漏らしては誰も使わない空間に目をやるから、今度はイルカさんと一緒に家探しをしようと思う。
不動産屋の言われるがままに購入したが、流行りとは無縁のイルカさんにはお気に召さない住居だったようだ。


「イルカさん、お茶ここに置くよ」
「はーい。ありがとうございます」
仕事を持って帰ってしまいましたとしょんぼりしつつ、精を出すイルカさんのためにお茶を入れて傍らへ置く。
一緒に暮らし始めてよかったと思うのは、オレがイルカさんの側に近づいても、触れても、ビクつかなくなったこと。寛いだ表情を自然とオレに見せてくれること。あと、お互いの呼び名が『先生』から『さん』へ変わったことだ。


猫の譲渡会で黒猫なイルカさんを譲り受けた飼い主的な立場ではあるものの、騙すようにこの家に連れ込み、共に暮らすことを強制した。
始めの一日こそ、暴れに暴れまくったイルカさんだったが、切っ掛けは不明だが突如として大人しくなり、オレと住むことを許容してくれた。
イルカさんの口から「いってきます」と「ただいま」の言葉が自然に出るようになったのは、思えば早かった。
今日なんて、帰ってきたオレを「おかえりなさい」と自然な笑顔で出迎えてくれたものだから、思わず「解」と印を切ったくらいだった。
イルカさんの環境適応能力が高すぎて、いらぬことを考えてヤキモキすることは多々あるが、今が幸せならいいとオレは己に今日も言い聞かす。


本日で、一緒に暮らし始めて12日目となる。


黙々と明日提出する書類を作り上げていくイルカさんの横顔を眺め、茶を啜る。
イルカさんとの距離はすぐ触れるほどに近くて、その気になればその体温を感じられる。
さらさらとイルカさんの書類を書きつける音とひそやかな呼吸音を聞きながら、オレはゆったりと過去を振り返る。



オレのイルカ先生。いいや、先生になる前のうみのイルカと出会ったのは、オレが暗い暗い地の底にいる頃だった。
あの頃は、火影の直属隊である、暗殺戦術特殊部隊、通称暗部で、その名の通り血生臭い任務ばかりを遂行していた。


ちょうど時期が悪かったこともあっただろう。
四代目火影が倒れ、引退していた三代目を引っ張り出し、立て直しを図っていた木の葉の里は、裏社会と深く関わらなければならないほど困窮を極めていた。
正しければ正しいほど利が薄いのは、世の習いだ。
だが、表向きの木の葉の印象を落とせば、木の葉全体が裏社会に塗れてしまう。
後々のことを考え、三代目は裏社会からの依頼を、火影直属の部隊に全て任すことを決めた。


裏切り、裏切られ。殺し、殺され。
昨日の友が、今日は敵となり、油断のならない仇となる。
この世の薄暗いものが全て集結したような世界だった。
そこに温かいものは何一つなく、あるとしても必ず下心や罠が張り巡らされていた。
当然、そんな世界に長く身を置けば置くほど、心は荒み、精神は墜ちていく。
その場その場の快楽だけが唯一気が紛れるもので、それも場合によっては血塗れとなり、心の安寧など望むべくもない。
正規の忍びたちの殺しがいかにお綺麗で情に溢れたものだと、暗部の仲間たちと嘲笑っていた。その裏にはどうしようもない羨望を抱きながら、見下すことでしか己を保つ術がなかった。


そんな時に出会ったのが、まだ少年の輪郭を残す、うみのイルカだった。
行き会ったのは、一度きり。
いつもの如く胸糞悪い任務を終えて、一時の休みを仮宿で得ようとした時だった。


時は冬で、うっすらと白い雪が積もっていた。
深夜の、誰にも汚されていない新雪を踏みながら、誰もいない夜の道を進んでいると、後ろから呼び止める声がした。
「待って、お願い、待ってください!!」
待てと言われて待つ者はいないだろう。だが、この時のオレはほんの少しの嗜虐心に引かれて、足を止めた。
我ながら始末の悪いことに、殺した奴の返り血そのままに里へと戻っていた。
月のない暗がりの中、周りは白く染まった世界で一人蠢くオレは、傍目から見て、きっと幽鬼や化け物の類に見えるだろう。
声を掛けてきた者は、変声期をようやく終えたような不安定な調子を持ち、まだ年若いことを示していた。
そして、ここは暗部の通り道。
ここを使う者たちも、ここが何かを知ってる者たちも、任務後の暗部が如何に危険か、身をもって知っている。
無警戒にも声を掛ける輩は、何も知らない、それこそ忍びとすら言っていいのか疑問さえ残る、里の幼き者だけ。


くくっと小さく笑いが零れた。
その無垢な瞳にオレが映った時、どんな表情をみせてくれるだろうか。
綺麗なまあるい目の玉に、血塗れのオレが映る様はどんなに冒涜的なものか。
その少年の綺麗な心にオレという醜いものが傷として残る事実は、実に愉悦に富んでいた。


息せき切って少年が背後にたどりつく。
それと同時に振り返って、面越しに目を細めた。
さぁ、一体どんな悲鳴を上げる? どんな顔をオレに晒してくれるだろうか?。
殺しの興奮がまだ冷めやらぬせいか、ひどい飢餓感を覚えながら少年を見下ろし、少年の夜よりも暗く明るい黒い瞳とぶつかった。


少年の驚く顔。
見つめ合ったのは一秒にも満たない時間だっただろう。
けれど、その直後に、少年はほっと安堵の笑みを浮かべた。


「良かった。あなた自身の怪我じゃないんですね」
朗らかに言われ、息を飲んだ。
意味が分からなかった。
想像していた少年の反応と目の前にいる少年の言動がことごとく一致しない。
少年は、鼻の中央部を一文字に横切る傷が特徴的なだけで、あとは平凡な顔立ちをしている。その平凡な少年は自身の鼻傷を軽く掻きながら、何でもないように笑った。
「血塗れの足跡があったので、近所の人に救急箱借りて急いで来たんです。でも、違ったみたいで良かったです。もしもの時のために式も用意してましたけど、使わなくて本当に良かったです」
最後の言葉は自分に向けたように言い切り、少年は最後に白い歯を見せ笑い、頭を下げた。
「お騒がせしてすいませんでした。それじゃ、俺は――」
暇を告げる言葉を耳にし、気付いた時には華奢な手を捕まえ、押し倒していた。
周囲には少年が持っていた救急箱の中身が散乱し、間抜けな様子で箱が口を開けっ放しにしている。


真ん丸に少年の目が見開く。
その目の奥に見える感情を逃さないように見据えて、騒ぎ立てる感情のまま言葉を吐き出した。
「バカだーねぇ、お前。手負いの暗部に声かけて、無事に帰れると思った?」
食い散らかしてしまえ。
興奮のまま己の獣が吠え立てる。
食いでも何もない、貧弱な体だ。それでも今日の熱を治めるぐらいの役には立つだろう。
暗部の特殊装備である鉤爪で、少年の服だけを真っすぐに断ち切れば、少年は泣いて暴れると思った。
止めて、許してと、今宵この手で葬った者たちのように、金切りめいた悲鳴をあげるものだと思っていた。
違うのは生きているか、生きていないか、ただそれだけだと。


だけれど、オレの脳裏に浮かぶ絵と、目の前の少年が重ならない。
オレの体の下に引き敷いている、貧弱な体は微動だにせず、恐さで口が真一文字に引き結んではいるものの、決してオレから目を反らさずに、じっと仮面越しにあるオレの瞳を見つめている。
だからなのか、少年の喉元に突き付けた鉤爪を下ろせなかった。
静かに、恐怖を湛えながらも黒い瞳がオレを見つめるから、そこから先の行動に移せない。
互いに動けず見つめ合っていると、小さく少年の唇が動いた。
「……いい、ですよ。あなたが本当に、この行為を必要としているなら、いいです」
奥歯を噛むように、己の何かを殺すように、少年は言葉を吐いた。そして、強張っていた体の力を抜いた。


その言葉に、オレへ身を任せる仕草に、咄嗟に反応できなかった。
少年はオレを見ている。ずっと。
会ってから今まで。
目を反らさず、恐怖に負けず、オレを見ている。


瞬間、少年の頬に触れそうだった手のひらを取り返し、みっともないまでに後ろへと距離をとった。
心臓がうるさい。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。今は、駄目だ。
今、触れれば、オレはきっと。


叫び泣きだしたくなる衝動を殺し、背を向ける。
何もないように、この邂逅は幻だったと己に言い聞かせるために歩き出したのに、馬鹿な少年はオレに声を張った。
「あの! 猫、猫飼いませんか!?」
脈絡のない言葉に詰めていた息と線が緩んでしまう。
思わず足を止めた己の意志の弱さに辟易していれば、少年はこちらが去る前にとまくし立てるように言葉を並べた。
「ね、猫って、温かくて! それに寂しいと寄って温めてくれるんです。普段は本当に役にも立たないし、犬より賢くないし、寝てばっかりだけど!! でも」
言葉を止めた少年に、意図もなく振り返ってしまう。
少年はまだオレを見つめていて、何故か泣きそうな顔を見せていた。


「本当に、あったかいんです」


その言葉の意味を理解するには、今はどうにも都合が悪くて。
オレはそれを断ち切る意味でも踵を返し、今度こそ振り返らずに歩き出す。
「あ、あと、あの!!」
それでもなお言葉を伝えようとする少年から去るべく、走る寸前。
「おかえりなさい!!」
怒鳴るように告げられた言葉に、堪らなくなった。
逃げるように最速の速度で走り出すオレの姿は、きっと少年からは消えたように見えただろう。
だから、当然、その直後に返した言葉は聞こえていないはずだ。


「ただいま」
湿った声で聞き取りにくいそれ。
真っ暗闇の中、小さく、けれど確かにオレに輝きを見せた星を、見つけてしまった瞬間だった。



******



「ふー。終わった。やっと寝れるー」
ふわぁぁと大きなあくびと伸びを見せるイルカさんの声に、遠い過去から今へと意識が戻る。
結局お茶は一口しか飲んでいない。しかも、どれだけ夢想していたのか、手のひらに感じていた熱はすでに温度を失っていた。
「……カカシさん、先に寝ててよかったんですよ? 明日、早いんでしょう?」
イルカさんはオレを真っすぐに見つめて心配してくれる。
その優しさは、彼の美徳だろう。だけれど、オレにとってはひどく切ないものだ。
零れだしそうになる心の声を聞きたくなくて、オレはイルカさんの手を取り、首を振る。
「いいの。一緒に寝るのが猫飼う醍醐味でショ?」
本音を冗談で紛らわせて、ベッドに誘う。
そういう意味でイルカさんのことは思っているのに、臆病なオレは猫と寝るのだと自分とイルカさんを騙し続ける。


二人で寝ても余りあるほどの大きなベッドに、イルカさんを誘って一緒に布団にくるまる。
今がまだ寒い時期で良かったとも思う。
イルカさんを猫として扱っている現状では、求めていても何か理由がなければこうして腕の中に囲うことはできない。
今日もイルカさんの首の下に腕を差し入れ、肩口に頭を乗せるようにしてぎゅっと抱き着く。
もぞもぞとしばらくはイルカさんは身動きするけれど、自分のお気に入りの場所があるのか、位置が定まるなり力を抜いてオレに身を任せてくれる。
そのことが例えようもなく嬉しい。
イルカさんにオレの存在が許されていることを感じる一瞬が今は励みになる。


「……イルカさんはオレの猫なんだから、他の人に愛想振りまかないでーよ」
それでも胸の中にいつもある不安がぽろりと声に出て、一瞬ひやりとした。
そもそも猫になるとは言っていないと、この家から去られたらどうしようと更なる不安に襲われ始めた時、小さく息を吐かれた。
それはどこか呆れたように、でも、とっても軽い感じで。


「いつ言おうか悩んでましたけど、いい機会なので言っときますね。俺的に、カカシさんの猫になったつもりは毛頭ありませんよ」
まさかの発言に、イルカさんの顔をガン見してしまう。
けれど残念なことに、密着したこの態勢ではイルカさんの頭しか見えない。
得られる情報が少なくて、うろたえているオレに、イルカさんは続けて言う。
「まぁ、あのびっくり仰天な手を回しまくった感のある譲渡会を経て、ここに俺が住み着いたもんだから、カカシさんは俺がペット的なものになったのを了承したのだと勘違いしてんだろうなぁとは思っていましたが、俺は違います。あのときは猫耳尻尾がついていましたが、今は、正真正銘の人間のうみのイルカです。うみのイルカが己の意思でカカシさんと一緒に暮らすことを望んだので、ここにいるのです」
重ねて飛び出てきた、自分にとって都合のいい言葉に混乱してきた。
夢? これは夢か?
何て贅沢な夢を見ているだろうか。いっそこのまま目が覚めなければいいのにと、腕の中にいるイルカさんを抱きしめて願っていれば、イルカさんがくつくつと体を揺らしながらオレの背中を叩いてくる。


「ちょっと、もう。夢じゃないですから。話しますから。あんたが不安に思っていたことをたぶん解決できる話をしますから、ちゃんと聞いてくださいってば」
宥められるように叩かれて、ほんの少し冷静さを取り戻す。
オレが落ち着いたことを見計らい、イルカさんは静かに語りだした。


「昔話になりますけど、関係することだからちゃんと聞いてくださいよ。俺ね、小さいころから新雪を踏むのが大好きだったんです」
新雪。
思わぬ言葉に、黙り込む。
気分が落ち込んだオレに気付いたのか、イルカさんはぽんぽんとオレの背中を叩きつつ話を続けた。
「真っ白い何も跡がついていない中に俺の足跡だけ残ると、達成感というか、征服感というか、子供心をくすぐられたんですよ。で、年を取ってからもそれが止められなくて、暇を見つけては新雪見つけて楽しんでしました。そんで、ある時、とっておきの秘密の小道を見つけたんですよ。木の葉の里内の森に続く道から少し離れた小道。そこはいつ行っても真っ新で、通りかかる度に俺、そこ踏んでいたんですよね」
イルカさんの言葉に、一瞬ひやりとしたものが走る。そこって。
イルカさんもオレの考えていることが分かったのか、悪戯が成功したような悪ガキみたくケタケタと笑って、白状した。
「あそこ、暗部の通り道だったんですってね。知らなかったとはいえ、無謀なことをしてました。後から三代目に目くじら立てて怒られて、二度と行くなと厳命されました」
イルカさんの言葉に、オレはむくれる。やっぱりイルカさんはオレ以外にもああいうことをしていたのだろう。返り血塗れの暗部に声を掛けるイルカさんだ。それはもう、オレ以外の暗部にもその優しさを駄々洩れさせていたに違いない。


ぶーたれるオレの気も知らないでイルカさんは言う。
「まぁ、話は三代目に禁止される前のことになるんですけど。ある時、その秘密の小道の新雪がことごとく踏まれている現場に遭遇しましてね。俺、なんだかすっごく悔しくなって、それよりも先に踏んでやろうと朝に昼に夜に。……特に夜な夜な徘徊していた時期がありました」
「夜な夜な!?」
「はい、夜な夜な」
何て危険極まりないことをするのだろうか。
夜なんて、任務帰りの気が立った暗部と遭遇してもおかしくない時間帯だ。
三代目に禁止されて良かったと遅れながらに鼓動を早まらせていれば、イルカさんは小さくため息を吐いた。
「それでも先を越されましてね。こりゃ、相手は複数だなと俺より先につけられた足跡を観察するようになって、とある足跡が異様に気になったんですよ」
「……足跡が?」
「はい、足跡が」
おかしなところに注目するなぁと思うオレに、イルカさんは思い出すように語る。
「ほかの足跡よりも少し小さくて、華奢で。猫背の癖があるのか、妙に前に突っ張るような動きしてるんですよね。それと極めつけが、その足跡だけ赤かった」
しんみりと漏らされた言葉に、息が止まりそうになった。
あの頃、何もかも面倒で仲間内からも苦情が出るほどに、任務後の後始末を投げやりにしていた。雪の上に滴るほどの血を残して歩く酔狂な奴は、オレしかいない。


「俺ね、一度だけその赤い足跡が一つだけ新雪の上に残っていたものを見ました。気だるい足取りで、それでも真っすぐ、真っすぐに前に進む足跡を見て、胸が衝かれました。ひどく悲しくて、ひどく尊くて、俺、いつの間にか泣いちまってた。馬鹿みたいにボロボロ泣いてました」
イルカさんの言葉を黙って聞いた。いや、黙ってないと余計なものが溢れ出そうで口を閉ざした。


イルカさんは言う。
そこから自分の目的が変わったと。
新雪をいかに先に踏むかではなく、その赤い足跡の人の痕跡を見るために通ったと。
もうその頃には、この道は訳ありの道だということを薄々分かっていたが、通うことを止められなかった。
後半部分になると、救急箱をいつも持参していたと笑った。
もしそれが返り血じゃなく怪我をしていた血だったら恐くて、持てざるを得なかったと複雑そうに笑みを漏らした。


「で、あるとき、真新しい跡を見つけたんですよ。俺、後先考えず夢中に追いかけて追いついて、初めてその人と対面しました。一面積もった雪に負けないほど白くて儚くて、それと同時に真っ赤で鮮烈で。俺、浮かれちゃってたんでしょうね。不用意な言葉漏らして反感買って、おまけに慰めにさえならなかった。……完膚なきまでに打ちのめされた気分でした」
違う。
違うよ、違うんだ、イルカさん。オレだって、オレだってあのとき。
胸に秘めた思いが荒れ狂う。口に出すためには息を吸わなくてはいけなくて、でもその瞬間、決壊しそうで。
オレがオレの事情でこんがらがっているのを尻目に、イルカさんは続けた。
「だから、俺じゃ無理だけどって猫飼えばいいってその人に勧めたんです。寂しそうに、寒そうに凍えるあなたをきっと温めてくれるから、寄り添ってもらえば寂しくなくなるって勧めたんです。そうしたら」
突如言葉を切ったイルカさんがオレの顔を両手で捕まえて、伸びるようにしてオレと顔を突き合わせる。


「十数年後に、俺という黒猫をご所望してくださったみたいで」
くしゃりと笑ってイルカさんは、きっと情けない顔をしているオレを見た。
息を一つ吐いて、また吸って。
確かめるように呼吸を繰り返すオレを黙って待ってくれているイルカさんにようやく言葉を紡ぐ。
「……気付いてたの?」
遠い昔。一度きり邂逅しただけの、危険極まりない人物がオレだと、イルカさんは気付いていた。
何と言っていいか分からず、後の言葉が続かない。
わななくように震える唇が無様で噛みしめれば、イルカさんの指が唇を撫でた。
「噛まないでくださいよ。……情けないことに、気付いたのはこの家に来てからです。何といっても、俺が見た暗部の犬面の人は頭から白いコート被ってて、唯一その人だと認識出来たのは、二言三言の声と、面から覗く両目だけでしたもんで」
じっとオレの両目を見つめるイルカさんの瞳が潤む。
「足跡が気になって、その歩き方の癖が気になって、あんたの目を間近に見た瞬間、もう落ちちまってた。……俺の初恋の人なんですよ、あんた」
「……え」
ぽんと放たれた言葉に、目が見開く。
イルカさんは何とも言えない表情を浮かべてオレを見た後、恥じるように下へと視線を落とす。
「いや、分かりますよ。その、あり得ないって、お、俺だって他の奴が言ったら嘘だろって絶対言うし、でも、あり得ないことが起きちまった身としては何て言っていいか。だから、その!!」
ぐっと奥歯を噛みしめ、顔を真っ赤に赤らめたイルカさんは挑むようにオレを睨みつける。
「あんたしか、接触してませんから!! 俺はあんただから声を掛けたし、何でもいいから助けになりたかった! あんたのことが好きだからだって、そこはちゃんと分かれ!!」
ふんと大きく鼻息を吐いたイルカさんの言葉に、じわじわとその意味が浸透してくる。


「……誰彼かまわず優しい言葉掛けてたんじゃないの?」
「掛けません。だいたい暗部に声掛けようなんて危ない真似するほど命粗末にしてません」
「本当に?」
「本当ですってば。そもそもあんた、俺のことを博愛主義が極まった聖人みたいに見ている節がありますけど、全くそんなことありませんから。俺が手を掛けるのは、子供たちとあんたくらいですよ」
むぅっと不満げに口を曲げたイルカさんを見て、ふいに心が軽くなる。
優しいから、イルカさんは誰隔てなく手を差し伸べる人だとずっと思っていた。
だから、オレに手を伸ばした。だから、オレを見てくれた。
そう、ずっと思い込んでいた。
だけど。


「……オレだから、声掛けてくれたの?」
「そうですよ」
オレの問いに速攻で答えてくれる。
「オレだから、追いかけてくれた?」
「……はい」
今度は少し照れ臭そうに。
「オレだから、救急箱用意して、心配して、果てには体までゆる」
「うあぁぁぁぁ! そうだって言ってんだろう!! そ、そういうことは蒸し返さないのが武士の情けでしょうが!!」
イルカさん的に恥ずかしかったのか、オレの口を手で塞いでくる。
真っ赤な顔をして涙目でオレを睨むイルカさんはただただ可愛くて、とても愛おしかった。


口を塞ぐ手を捕まえて、その内側に唇を寄せる。
ちゅっと故意にリップ音を立てれば、イルカさんは驚いたように手を退けようとしたけどそれを阻む。
ちゅっちゅっと捕まえた手の指先に口づけを落とし、口を開けて軽く噛んでやった。
ひっと驚きの声をあげるイルカさんを真正面に見て、オレは笑う。


「イルカさん、好きだよ。アンタの了承を取らないで、黒猫として強引に引き取るほど、オレはアンタにイカレてる」
自分の必死なまでの足掻きを思い出し、笑いがこみ上げてくる。
ふふふっと抑えきれなくて笑いを漏らせば、イルカさんは顔を真っ赤にしたままオレを睨んだ。
「カカシさん、好きですよ。強引に飼い主になった不気味な人が初恋の人だと気付いた瞬間、あんたのこと惚れさそうと画策するくらい、俺だってあんたにイカレてる」
じっとお互いを見つめ合って、次の瞬間、どちらともなく笑い、抱き合った。


「オレたち、初めから両想いだったんでーすね」
背中に回る確かな腕の感触と腕の中にある温もりを味わいながら漏らせば、イルカさんは「へ」と間の抜けた声をあげる。
そういえば言ってなかったなぁと考えながら、ぐるりと体を回して、イルカさんを体の下へ組み敷く。
あのときと同じ状況になぞらえて、体を離して、イルカさんを見下ろした。


イルカさんは目を瞬きしながらオレを見上げていて、オレはあのとき触れなかった頬へと手を伸ばす。
本当は触れたかった。
イルカさんの許しをもって、その熱を味わいたかった。あなたへ、溺れたかった。
「オレもね、恋をしたーよ。オレを真っすぐ見つめてくれたその目に。どうしようもないオレを許してくれたアンタに。……でも、アンタの手を握り返すにはオレは弱くて、意気地なしだった」
手のひら全体で熱を覚えこむように触れる。頬から首筋へ、時折、親指で触れられる場所を擽りながら。
イルカさんはオレの手を目を細めて受け入れてくれるばかりか、擦り寄るように懐いてくれる。まるで猫みたいに。
「……今だから手を伸ばしてくれたんですか?」
ちょっとからかうように問いかけてきたから、オレは笑って否定する。
「本当はもう少し前から狙ってたーの。里に帰る度、アンタの居場所つきとめて、忍犬に張り込みさせたり、様子を見たり。いつ声を掛けようか、いつ知り合いになろうかって窺ってたんだけど、どうにも、ね。子供たちを介して知り合えた時にやっと一歩を踏み出せたと思ったんだけど、言葉が出なかった」
何度も何度も視界に収めて、同じ空気を吸っている今に感謝して、一歩踏み出しても誘いの言葉が出てくれなかった。
怪訝そうな表情でオレを見てくれるだけで嬉しくて、でもじれったくて苦しかった。
「意気地なしな自分に嫌気さしてーね。もう、なりふり構ってられなくて外堀から埋めちゃった。……どうしようもない男でショ?」
肩を竦めて自嘲すれば、イルカさんは目を細める。
いつもは隠している写輪眼が埋め込まれた左目の横を指先でなぞりながらぼやいた。
「カカシさんの両目を見る機会に恵まれてたら、俺から行ってたんですけどね。まぁ、あんたの両目を見ることは死と同義語だって言われてたから難しかったんでしょうけど」
「イルカさんが見たいって言ったら即見せてたーよ?」
「無茶言わんでくださいよ。俺はしがない中忍ですよ? 上官に向かってそんなこと言えるわけないでしょうが。……だからこそ、あんたの強引な手も必要だったっていうことでいいじゃないですか。結果オーライってやつですよ」
くすくす笑って慰めてくれるイルカさんが甘くて、とろけてしまいそうだ。
堪らなくなって額に口づけを落とせば、びくりと体が震えて固まってしまった。
さきほどから接触する度に過剰な反応を示すイルカさんが不思議で、まじまじと見れば、イルカさんは口を真一文字に食い占めて顔を真っ赤にしている。
極度の緊張と照れが入り混じった様子を感じ取って首を傾げれば、イルカさんは唸るように言葉を発した。


「あ、あのですね! お、俺もその気持ちが通じ合って、そういうことするのは吝かではないんですけども、過去の少年時代ならいざ知らず、ごつくなった今は俺がやるべきなのは重々承知しておりますが、初恋の人と思いが通じた嬉しさとか喜びとかで胸がいっぱいで体的にもう一杯一杯でお相手することが困難というか、男はデリケートな生き物なので、今夜はこのまま思いを噛みしめて眠りにつくのが吉といいましょうか!!」
ぷるぷる震えながら必死に思いを伝えるイルカさんに、オレは瞬き一つして、次の瞬間破顔した。
イルカさんも男なんだーね。でも、それは少し思い違いがあるというか。
「ねぇ、イルカさん。ネコってね、もう一つ意味があるの知ってる?」
にこりと笑ってオレは水を向ける。
あくまでイルカさんを怯えさせないように、外面の良い、とてもいい笑顔を意識して作る。
オレの笑みに少し肩の力が抜けるイルカさんを見下ろしながら、ほんのりと胸に灯る加虐心にそそのかされ、囁くように教えてあげた。
「同性同士の行為において、受け身な人を指す用語なんだーよね。ねぇ、オレの言っている意味分かる?」
うっそりと笑えば、イルカさんは目を真ん丸に開いて、口をぱくぱく開閉し始めた。うん、その通り、察しがいいね、イルカさん。


逃げられないよう、さりげなく胴体に跨り動きを封じ、意思を持ってイルカさんの体に手を這わせる。
オレの手一つで早くもびくびくと身じろぐ敏感な体を、内心舌なめずりしながら、体を倒して顔を寄せた。
ちゅっと軽く唇に吸い付けば、それこそ目の玉が落ちんばかりに見開く可愛いイルカさんへ言ってやる。


「そういう意味でオレだけの猫になってね?」


「いや、ちょま、心の準備というか、そういう意味で猫になったわけでもなぁぁあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!??」



猫の日から、12日後。
猫から人になったイルカさんは、別の意味でオレのネコにもなってくれた。







おわり


 

遅れました!!

以下、2月22日小説、後編です。

 

 

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「そろそろ会場内の手伝いに回るか」
会場入りが始まってから一時間経ったころ、入場者も落ち着いたこともあり、友人が声を掛けてきた。
これから新たに飼い主になりたい方と猫たちの縁組を進めていくのだが、今回の譲渡会はあくまで初顔合わせと相性を見るためのもので、気に入ったからといって当日一緒に帰ることはできない。
簡単に流れを説明すると、飼い主希望者の方と猫の相性を見て確かめ、引き取る猫が決まれば、今度は飼い主さんとボランティアスタッフとの面談が入る。そこから引き取った猫が幸せになるための約束事として誓約書に署名してもらい、最後にこちらで直前引き渡しの前の最終検査を経てようやく家族の一員となる。
親の許可さえあればすぐ引き取ることができた俺の子供の頃と比べると、手続きが煩雑で手間のかかるものだが、昨今、捨て猫が多い中、致し方のない処置なのだろう。


友人と別れ、ケージの前で和やかな様子で猫の様子を見ている、未来の飼い主さん方へと歩み寄ろうとして、不意に後ろから声がかかった。
「あれ、もしかして、イルカ先生ですか?」
聞き覚えのある柔らかい声に、思わず背筋が伸びる。
何とも言えない嫌な予感を覚えながら振り返ると、そこには顔の大部分を隠した正規服に身を包んだ忍びがいた。
唯一覗く右目を細め、じっと俺を見つめるこの方は、去年卒業した教え子の上忍師の一人、はたけカカシ上忍だ。
木の葉では珍しい銀色の髪と、色白な肌を持つこの方は、木の葉を代表する忍びでもある。
額当てと口布で隠された顔の下は、既婚未婚関わらず女性の方々から美形だともっぱらの噂であり、性格も温厚、寛大。任務で一緒になりたい上司のトップ3には入る、顔良し、性格良し、将来性抜群の有名人でもあった。
だが。


「ど、どうも、はたけ上忍」
俺の体は俺の内面の心情を表すように少し引き気味になっている。
「どーも」と格下の俺に対しても気さくに声を返してくれるはたけ上忍は確かに好人物な方だ。
それなのにも関わらず、出会った当初から俺は苦手意識が離れないでいた。
ニコニコと笑うはたけ上忍の視線が気になり、俺はうろうろと視線をさ迷わせる。
そのことに気付いたはたけ上忍は俺が探していた人物にあたりを付けたのか、忍び笑いを漏らした。
「残念ですけど、子供たちとは別行動ですよ。ま、譲渡会の話は子供たちから聞いたんですけーどね」
子供たちとワンセットで見ていることを見抜かれ、バツが悪くなる。
「えっと。いや、その……あ、あの、はたけ上忍も猫を見に?」
口に出した瞬間、自分の間抜けな発言に内心呻いた。譲渡会に来ているのにそれ以外一体何の目的があるというのか。
一人落ち込んでいると、はたけ上忍はなおも優しく答えてくれる。
「ま、そうですね。ナルトたちも行きたいとは言ってたんですけど、ナルトの奴は訳アリですからね。何の訓練もしていない小動物は気配に怯えますから、上忍師権限で第七班は自主練するよう言いつけちゃいました」
悪戯っぽく、そう告げたはたけ上忍に、ほんのり胸が温かくなる。ナルトはいい上忍師に当たったもんだ。本当に、いい人なんだけどなぁ、はたけ上忍。なのに、なんでか苦手なんだよな……。
そうでしたかと、言葉を返した後、沈黙が訪れる。
正直、続けて話す話題が見つからない。というよりも、俺はここから去りたい。
友人の姿を見つけ、友人を出汁にここからの離脱を図ろうと口を開けた瞬間、はたけ上忍が先に切り出した。


「イルカ先生、今日はボランティア任務だーよね。オレの家族探すの手伝ってくれる?」
口調こそ柔らかいが、その裏には断ってはいけない何かを忍ばせている。
目を白黒させながらどう断ろうかと必死で頭を回転させたが、はたけ上忍は少しずつ後退して開けた距離を一歩踏み込むことでほぼゼロにし、俺の手を両手で握りしめてきた。
「オレ、どうしても先生と一緒に回りたいの」
至近距離でにこりと笑むと同時に、握られた手に力が入る。
言外の上忍の圧力を感じ、しがない万年中忍である俺は即陥落した。
「は、はいぃぃ、喜んで!!」
上ずった声で了承すれば、はたけ上忍は一歩体を引いてくれたが、握られた手はそのままに俺を連れ出した。


「にゃーん」
まずは会場の壁に沿って並ぶケージから覗き込む。
濃い黒と灰色の鯖猫という色の種類の猫だ。
年は1歳、雄。去勢手術も済み、病気もない健康優良児。
よく食べよく遊ぶ活発な子のようで、飼い主さんは一緒によく遊んでくれる人が希望とのこと。
猫のケージにぶら下がっている紹介プラカードを読み、隣にいるはたけ上忍を窺えば、何故かはたけ上忍は俺を見つめていた。
「……あの。はたけ上忍、聞いてました?」
「もちろん、よーく聞いてましたよ。イルカ先生の声はいつもよく通って聞きやすくて、耳に馴染みますね」
「?」
一応聞いていたらしいが、その反応はどうなのか。
にこにこと機嫌良い様子で猫ではなく、俺を見つめたままのはたけ上忍からそっと視線を外す。


こういうところだ、こういうところが俺がはたけ上忍を好人物だとは言い切れない所以だ。
子供たちが下忍合格したという報告と共に、上忍師になるはたけ上忍を連れてやってきた時から、俺ははたけ上忍の物言わぬ視線が気になって仕方なかった。
子供たちのことで何か聞きたいことがあるのかと思い、こちらから声を掛けても、はたけ上忍は特に何でもないですよと言う癖に、じっと俺を見つめるのだ。
用がないならいいかと気にしないようにしようとは思ったが、俺がアカデミー教室の移動中や受付任務、商店街での買い物の最中など、ふと視線を感じて顔を上げると大抵そこにははたけ上忍がいて、俺は困惑に拍車がかかった。
俺と視線がぶつかるとはたけ上忍はほんの少し笑みを浮かべて去るのだが、二、三度ならただの偶然として処理できるのだが、毎日三~五回はさすがに多すぎるだろう。
しかも。


「あ、イルカ先生、この子、マロ眉毛してますよー。面白いですねぇ」
並んだ俺の肩にはたけ上忍の体が密着する。話すときは顔をより近づけてくるから、この人の中の対人距離はよほど狭いのだろう。
だが、俺としてはあまり知らない人との接触は望むところではない。失礼のない程度にじりじりと距離を開けようとするのだが、さすが上忍、その隙はほとんどない。
偶然一緒になった飲み会や、定食屋でも、密着するはたけ上忍に、俺はすでに諦め傾向にある。はたけ上忍と一緒になると俺の心の安寧は消え去る。
だからこそ、だからこそ、普段ははたけ上忍と出来るだけ会わないように、行きかわないようにしていた。
でも。


「あー、こいつ図太い神経してますねぇ。こんなに騒がしい気配の中寝てるなんてきっと大物ですよ。顔もふてぶてしいですし。ね、イルカ先生」
現実逃避していた俺の耳に、はたけ上忍の声がかかる。
視線を向ければ、はたけ上忍はにこにこと笑い、青灰色の瞳を真っすぐに俺を向けていた。
ずきんと胸が痛んだ気がした。
俺ははたけ上忍を避ける素振りをあからさまなぐらいにはっきりと示しているのに、はたけ上忍はそれでも俺のことを嫌っていない。そればかりか、駄々洩れんばかりの好意を俺に向けてくれているのだ。
避けられていると分かっているのに、それでも好意を向けられる強さは並大抵のものではないだろう。
何だかよく分からない視線を向けられ、行き会えば密着されたからといって遠ざける俺と、めげずに好意を向けてくるはたけ上忍。
はたけ上忍を見ていると、俺は器の狭い、矮小な人間のように思えてきて、落ち込むこともある。
そういうところも相まって、俺ははたけ上忍に苦手意識を持っているのだろう。


「どうしました?」
俺が何も喋らず、見つめていたことが不安だったのか、微かに声の調子が落ちる。
特に実害がないのに、邪険な態度をしてきた自分に気付いて反省する。
対人距離は人それぞれだ。それに気になる人を見るのは俺でもあることだし、そう考えれば、今まで度が過ぎるほどの警戒をしていた自分が馬鹿みたいに思えた。
「いいえ、何でもありません。はたけ上……カカシ先生の家族、見つけに行きましょうか」
今まで頑なに拒んでいた、はたけ上忍以外の呼び名を口に出し、握られた手をこちらからも握りしめれば、カカシ先生は傍目から見ても分かるくらいに喜色を飛ばした。
「……っ、は、はい!! はい!!」
よほど嬉しかったのか、右目の下を赤く染め、勢い余って俺の手を再び両手で握りこむカカシ先生を俺は笑う。
恐がらずに一歩踏み込めば、こんなに嬉しそうな顔が見れたんだなぁ。
俺を見るカカシ先生の目はいつも笑ってはいたが、ほんの少し寂しそうな気配が混じっていた。
今はその寂しそうな気配が一点もないのを見て、我ながらいいことをしたと胸が擽られる。


「あ、カカシ先生。俺思ったんですけど、家族候補の猫がこんなにいっぱいいる中見つけるのは難しいじゃないですか。だから、カカシ先生が家族にしたいという猫の特徴を教えていただけませんか?」
会場内に集まった猫は軽く千を超える。
二月二十二日に合わせて、近隣の里猫ボランティア団体が一斉にこちらに集まって開催されたことでの、この数の多さだ。
それでも猫を飼いたいという人と、猫耳尻尾をつけたボランティアの物珍しさが受けたのか、会場は大盛況である。
気に入った猫を見つけた飼い主候補の人たちが、ボランティアの人と熱心に話すさまがちらほらと見受けられる。早くしないと、カカシ先生のお気に入りの子がお手付きになってしまうかもしれない。


「え。家族にしたい子ですか?」
俺の言葉に、カカシ先生はぽっと顔を赤らめる。
変なところで恥ずかしがるカカシ先生を面白い人だなと考えつつ、聞く態勢を取れば、カカシ先生は空いている手で指折り数えつつ話始めた。
「まず、黒い目と黒髪の可愛い子です」
「ほー。黒目黒髪……? あぁ、とにかく色は黒がいいんですね。カカシ先生ともなると、家族も忍びに有意な色の方が見ていて安心するんですか?」
カカシ先生ご希望の子を探そうと、くるりと会場内を見渡す。
黒猫は案外多くいるようで、ひとまず安心する。
「それに、よく食べて、よく寝て。日中、お日さまの下で走り回ってお日様の匂いをしている子です」
「よく食べ、よく寝て、遊ぶ子ですね。あー、でも引き取る猫は、基本室内飼いですからね。外には出せませんよ。まぁ、カカシ先生ほど稼いでいたら家でも中庭付きが夢ではないでしょうから、大丈夫ですけど」
よく遊ぶとなると年若い方がいいだろう。
うつらうつらと船を漕いでいるお年を召した黒猫を除外しつつ、該当する猫に近づくために足を進める。
「あと、帰ると『おかえりなさい』って笑顔で出迎えてくれて、怪我していたら本気で叱って手当してくれて、どんな肩書きも、どんなに気が立っていても、決して引かないで自分を貫く強い子」
「お出迎えはその後の仲によりますけど。んー、優しくて心配してくれて、肩書きは猫にとってはどうでもいいでしょうから、カカシ先生が気が立っても怯えない子ともなると豪胆な猫じゃないと務まりませんね」
雌より雄がいいだろうか。だが、俺が見てきた猫は大抵雌の方が強かった。いや、しかし、野良猫の雄は根性が入りまくっている。貫禄が違うのはやっぱり雄猫だ。困った。これは難しいぞ。
飛び出た難題に、足を止め、唸りながら周囲に視線を飛ばす。
この際、ここにはいない、まだ野良として野生を保っている猫の方が該当するのではないかと、側にいたボランティアの人に声を掛ける。


「あの、すみま――え?」
一歩踏み出した足は、後ろから手を引かれ、下すことなく宙に浮いた。
引き留める素振りをするカカシ先生が不思議で、振り向けば、カカシ先生は青灰色の瞳を真っすぐに俺に向けている。
どうかしましたかと声を掛けるより早く、カカシ先生は言った。
「そして、青い首輪に銀色の鈴をしている黒猫」
ん?
言葉が出ずに、ただ固まる。
思考停止した俺を尻目に、カカシ先生は歌うように言い切った。


「俺の家族になる人はね。イルカ先生、あなただーよ」


一歩踏み込んだカカシ先生が俺の首に嵌る首輪の鈴を、チリンと一つ鳴らした。
そこで頭は高速回転し始める。
今言ったのは、今言ったのは、今言ったのは!!


到底飲み込めない出来事を前に、うぎゃぁぁぁぁぁと声をあげる寸前、カカシ先生は俺の口を手で塞ぎ、ピュイィと指笛を鳴らした。
さっと飛び出たのは、俺をボランティア指名していた友人で。お、おまぁぁぁぁぁっぁ!!!


友人は懐から書類を出すと、カカシ先生は諳んずるように読み上げる。
「オレ、はたけカカシはうみのイルカを生涯愛情を持ち、慈しみ、溺愛し、何不自由のない生活と環境を保証し、その死を看取ることを誓います」
「ん!? ん? んんー!!!」
「はい、確かに受け取りました。なお、これはあくまでも当ボランティア施設との約束事のため、役場では効力を発揮いたしません。その際はくれぐれも本人の意志を尊重した上でご提出ください」
深々と頭を下げた後、にかっと俺に向かって親指を立てる友人に唸り声を上げる。
何も解決なってないからな!? お前のために俺は言ってやったぜって変なドヤ顔見せんな、お前っっ!!
「んーんーんー!!」
「さぁて、用は済んだんで、帰るねー。早くしないと厄介なのがきちゃう」
あの糞爺余計な手を回しやがってと、黒い言葉がカカシ先生の口からこぼれ出る。
一体何が、何が起きたのか!!


「はたけ上忍、この度は譲渡会を開催させていただくばかりか、お名前と莫大な資金と色々ご協力していただき、本当にありがとうございました!! 一同、礼!!」
『ありがとうございましたー!!』
目につくボランティアの皆さまが一斉にカカシ先生へ頭を下げる。
「いいのいいの、オレも目的のものは手に入れたし。じゃね」
後ろ手に手を振り、瞬身の印を組むカカシ先生。俺はというと、いつの間にか簀巻きにされ、肩に担ぎあげられていた。
「ちょ、え、えぇぇぇ、嘘ですよねぇぇぇぇ!!!」
「ホントだーよ、はい、口閉じて舌噛むーよ」
カカシ先生が言い終わるか否や、景色が飛ぶように後ろへと飛んでいく。


その寸前、「しくじったぁぁ」と年配男性の声を聴いた気がした。
一体、何がどうして、どうなった。


二月二十二日。
今日は猫の日だという。
俺はその日、譲渡猫になり、いつの間にか飼い猫になっていた。



おわり
 

 

 

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って、ということなので、裏も書きます。

次はカカシ先生視点だ!!