万世橋とわたし(神田)のブログ -34ページ目

お茶ときたら、

次はミカンオレンジ


中野は冬ミカンを食べません。
嫌いなのではなく、むしろ柑橘類は大好きなのですが、
冬ミカンの場合あの小房の皮まで全部除いて食べたいため、

得るものとそれにかかる労力・時間を考えると、どうにも手が伸びません。


しかし、冬ミカンの時期になるとミカンを送って下さる方がお一人いらっしゃいます。
静岡大学の農学部で作っているミカン

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これだけは、中野でも必ず味見をします。だって、このミカンだけは必ずや、労力・時間をかける価値のある美味しさであることが期待できるんです。

中野の家族は、いちごでもリンゴでも、ただ甘さを追求しただけの果実は基本的に不評です。
この冬ミカンは、甘味と酸味がバランス良く揃い、味わいが濃いと感じます。
なので、家族は皆この静岡大学みかんに目がありません。


ただ、天の恵みの作用の大きいのが『作物』!!

万が一不作の年はどうしても無いとは言えませんが、

それはそれで、今年は生産者の方々は大変だったのであろうとお察しします。


我が家に様々な思いをめぐらせる機会と

季節の訪れを贈ってくださるあの方に、心から感謝です。


中野

身近にある恐怖政治

小学校から高校まで素行が悪くて、

教員らに殴られ続けていた、石川です


人命を失う事件が起きて初めて、

体罰が社会問題としてクローズアップされるようになりました。


しかしこんな事件が起きなくても、

体罰はずっと以前から、私たちの重要な懸案事項だったはずです。


また、これだけマスメディアで取り上げられるようになっても

スポーツの指導以外での、親子関係や師弟関係といった

教育現場での暴力について全く触れられないこの状況には、

驚きを超えて空恐ろしさを感じます



体罰は、少なくとも以下の3つの点でいじめと相似しています。


1) 自分が相手よりも上の立場に立つために行われる。


2) その場を収拾するコミュニケーション方法がなくなった者が、

  状況を打破するために行う。


3) プライベートや他の人間関係で抱えている葛藤の転嫁行動として行われる。



体罰とは、パワーハラスメント(大人によるいじめ)に相違ありません。


教育や指導に対する情熱が強いことを理由に、

暴力を正当化しようとする指導者や親が世の中には多いようですが、

それほど情熱が強いのなら、

子どもや教え子たちと辛抱強く対話を進めるべきでしょう。


さもなければその暴力行為は、全て大人の自己都合です




茶道

またまた寒気に見舞われた週明けでした


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雪景色に一変した千葉です。

中野は先日の大雪に懲りて、

極寒の冬山もOKかにひひチョキと思われるような

モコモコの着膨れダウンを装着し、

だるまさんに足がニョキっと生えたような出で立ちで

意気揚々と出かけたのはいいのですが、

神田に着いたら


雪がイッコもない叫びあせるあせる


大汗かきの月曜日でした。


さて、院のそばに

神楽サロン

があります。

こちらの堀内先生のお茶教室にご縁がありまして、

何度か通わせていただきました。


中野はこれまで「茶道」に一方ならぬ興味を抱いておりましたが、

接する機会を逃してまいりました。

お茶の先生をしておいでの方や、結構親しんだと言われる方々にお会いすると

「茶道とは!!?」

と、問うておりましたが、皆様

「奥が深い」

旨のお返事にて

具体的にどうというsuggestion無く、

長らく遠い存在でした。


しかし、堀内先生の

「ワンポイント」的ご指導はとてもアプローチがしやすく、

また、サロンは池田学さんの画が壁面を覆っているというような

非日常の異空間ラブラブ!


茶道の歴史、原理原則を説きながら、
場面に合わせた所作を指導して下さいます。
また、少人数な中でアットホームに展開して下さるので、フと浮かんだとるに足らない疑問でも丁寧に解説して頂けます。


マイブーム状態です。


で、堀内先生のお話を伺って、

「茶道は、心を尽くしたコミュニケーションツール」

であるとの理解を得ました。


私が「茶道」と思っていたのは、

お茶を点てる、いただく、

という相手との心の通わせ合いにおける作法を極めることとの理解でした。


しかし、「茶道」って、そんなものではなかったんですね~。

前述部分は、「道」のごく始まりに過ぎず、


神様を迎え、

皆でその神様を囲んで楽しく集い、

そして、神様に心地よくお戻りいただく


一連の、


『皆で心を尽くし、心豊かに時を過ごす』


ためのお作法であると、心得ました。


そして、「茶道」は、

弓道、柔道といった競技、

華道や書道といった自己の精神性の発現などとは違って、

「道」と言われるものの中で、唯一みなさんで作り上げるコミュニケーションのツールであるということが、斬新な理解でした。


「奥が深い」ことは、まったくもってその通りですが、

日常にお茶を愉しめるようになるまで

今しばらく堀内先生にご教授いただきたいと思います。


そして、これを小さなお子様を持つ親子のコミュニケーションツールにしたら、

とても望ましい親子関係になるのではないか!!!?

と思いました。


親と子がお茶を挟んでお互い対等に礼を尽くす時間。


相互を尊重しなくては成り立ちません。


親は子どもを一人前の人として接する時間であると同時に、

子育て中ではなかなか得難い落ち着いた時間を得る。

子どもは、自分を尊重されていると感じる時間。


ともすれば育児は、

良かれと思う中で親が子どもを支配しがちと感じています。


とても良い親子の距離感をつくりだせると感じました。

「茶道」は

これからの中野のキーワードにもなりそうです。


中野