国民の政治責任
先週、
土曜日に
ゼミ内報告のはずでした。
しかし、ゼミ生の皆様方のお時間を拘束するにはあまりに失礼なくらいお粗末な段階でどうにも収集がつかず、当日朝、武藤先生に一週間の猶予を願い出ました。
なのに、
行ってしまったんです。院に
この日は管直人元首相の特別講義があるとの公共政策研究科内のみの周知があり、
氏に傾倒しているわけではありませんが
一国の代表になった方の話を聞ける機会がそうあるわけではないので
受講申し込みをしていました。
中野の報告棚上げへのペナルティ度と、
一生に一度有るか無いかの機会を反故にすることと、比較衡量の結果、
やはり自分のタテマエより実をとりました。
できるだけ目立たないようにと思い、
この日ばかりは遅刻しないぞ
と時間に余裕を持って行動していたのに、
出かける頃になってお客様との連絡を繰り返さなければならない状況になり、
結局遅刻
やっとたどり着いた教室の前にはSP?みたいな人がいらして、
部屋の2つあるドアのどちらが前!?と伺いましたら、
「どっちも前!」
やむなくドアを開け、目の前にはいきなり武藤先生が
菅氏が弁舌振るう脇を通り抜け、
先生からresumeを受け取り、
皆様の視線をよそに小さくなって一番後ろに着席しました。
100人はきついかなーくらいの教室で、半分ほど埋まっていたでしょうか。
テーマは「国会内閣制の現実と課題」。
様々、かつてのご自身の状況を盛り込みながら理念、現実、理想など論じて下さいました。
質疑応答の中で興味深く伺った中の一つが、二大政党論。
管氏のお考えでは
数々の政党が乱立しているより
政権を担当できる
性格を異にする2つの政党があった方が良いのではないかとのこと。
中野もそれは理解できます。
中野は無宗教で支持政党なし!
つまり、完全な浮遊票です。
郵政民営化選挙の頃、
小泉氏がなぜあんなに国民に支持されたかといえば、
他の議員のようなあさましい思想が現れる言葉を持っていなかったからではないでしょうか。
地方がそれぞれに自立して誇りある個別の地域力を蓄えるためにも小さな政府化は必要ですし、
中野も投票所に行くまで、
イヤ、
投票用紙を前にするまで自民党支持を考えていました。
しかし、政治には拮抗が必要との理解があり、
当時の国民がマスコミに扇動されているように感じてられましたので
急遽、自民党以外への投票にしたことが思い出されます。
一人勝ちさせてはいけない。
50年も自民党に政権を担当させて制度疲労にも目を向ける機会を設けず、
他に政権を担当できる政党を育てなかったのは国民の責任が大きいのではないでしょうか。
そして、講演後、
ゼミには出席せず、
神田の店に戻って仕事の続きに取り掛かったのでした
スヌーピーストーリーの中で、
愛着対象を手放すと不安なところが似ている スヌーピーの分身ライナスが好きな
中野
スヌーピーのこと知っていますか?
アイスホッケーを省略して“アイホ”って、
なんとかなりませんかね、石川です
最近めっきり活字が読めなくて、
スヌーピーのアニメをレンタルして見ています
メットライフ アリコのCMで見られるように、
日本ではほんわかしたイメージが定着しているスヌーピーですが、
原作ではかなりぶっ飛んだキャラだってこと、ご存知でしたか?
スヌーピーがどれぐらい破天荒かといいますと、、
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●基本的に飼い主のチャーリー・ブラウンのことを
召使いか何かだと思っている。
●そんなチャーリーの名前をいつまでたっても覚えられず
「丸い頭の男の子」としてしか認識していない。
●屋外で飼われているのに、勝手にチャーリーの家にあがりこんで
冷蔵庫を開けて食事をしている。
●閉所恐怖症らしく、絶対に犬小屋の中で寝ない。
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そんなスヌーピーが、原作者のチャールズ・シュルツさんの大好きな
アイスホッケーで遊んでいる姿がまた可愛いのです
ビーグル犬も飼いたい!!
デンデンムシノカナシミ
友人とのやりとり、
小さい頃から親しんだ新美南吉の童話にまつわってのもの。
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「てぶくろを買いに」
は数種の安堵の余韻を残すが、
多くの作品には生死が隣り合わせであることが描かれているのは、
自分自身がそのことから逃れられない事情に因るものだろうか。
で、生きることへの憧れと生きることへの皮肉が交錯しているように感じる。
「デンデンムシノカナシミ」の解釈は中野は、最後の一フレーズ
『モウ、ナゲクコトヲヤメタノデアリマス』
に一番の注目をする。
なーんだ、普通のことだったのかと、
大小の苦難を
『ねばならない』
系で受忍するよりも、
『あることが並み』
と受容する。
「虐待・いじめ・不登校~教師は今、親は今~」『子どもの虐待とネグレクト』Vol.3-1(2001)日本子どもの虐待防止研究会(現日本子ども虐待防止学会)のPP46-52
からを検討するに、
マイナスな出来事は起きてはいけないことなのか?
生きている中でダメージを受けるような様々なことがあっても、
ふと「良かった」「嬉しい」と思える何かを見つける、
気付く力や考え方を持っていさえすれば、
自分を最悪不幸と位置付けずに生きていけるのではないか。との旨を言っているとの理解。
コレだよと思いましてね。
無くなることの有り得ない忌避事項をあっちゃいけないことと何事もおきない社会作りを検討するより、
小さな幸せの見つけ方を身につけることの方がはるかに心豊かな人生を手に入れることができるのではないだろうか。
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中野