はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~ -28ページ目

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1981年西武ファンブックより)

天性のバネを生かしたピッチングは、スピード十分。
まだまだ体も大きくなりそう。
あとはきわどいコースをつくコントロール、打者との駆け引きも。
東北出身者特有の内に秘めた闘志で投げ勝ってほしい。

 

【1981年の田鎖博美】
西武在籍:2年目(20歳)、背番号18
一軍成績:公式戦出場無し

 

【イースタンリーグ成績】
投手成績:6試合、0勝 2敗 0セーブ、投球イニング12回、自責点3、防御率2.25、奪三振7
打撃成績:6試合、3打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁

ドラフト1位指名の高評価で期待され入団したものの前年1980年は二軍の試合で課題を露呈し一軍デビューは果たせなかった。
迎えた2年目の1981年シーズンは、故障の影響もあり二軍の試合でもわずか6試合のみの登板に終わった。

 

将来ライオンズを背負う存在になるであろう田鎖投手。

 

【関連記事】

西武ライオンズタイムマシーン(第329回):1980年 田鎖博美

★2019年11月23日(金)に掲載したブログのアップデート版です★

 

西武ライオンズ カルビープロ野球チップスカード【通算160枚目】

カルビー1982年 No.580(表面)

 

カルビー1982年 No.580(裏面)

 

カードの通し番号以外は、No.410のカードと表面写真、裏面コメントとも全く同じカードです。

唯一の大きな違いは、1982年の500番台後半は、広島地方を中心に流通していたとされており、No.580のカードの方が入手困難なカードであるという点です。

このカードも先述した2002年の広島出張の際に一緒に運良く入手することができた一枚です。

(1981年西武ファンブックより)

ノンプロ球界で活躍してきただけあって、まとまっている。
シュアーなバッティングで左右に打ち分ける打球は鋭い。
足が速いだけに実戦になれば、内野安打もかせげよう。
期待の新人。

 

【アマチュア時代】

加治木工高→社会人・丹羽鉦電機時代までは、アマチュア球界でも無名に近い存在だったが、丹羽鉦電機休部に伴うあけぼの通商への移籍が転機となった。
あけぼの通商は、約20名の選手で活動し都市対抗野球の本戦(全国大会)への出場経験もなかったが、プロ入りすることを目標とするなど志は高かった。
実際、1976年から廃部する1985年までの10年間で7名がプロ入りしている。
1979年ドラフト2位で西武へ入団した柴田保光もあけぼの通商出身の先輩である。
地頭方は、俊足、巧打の選手として1980年オフにドラフト外で西武へ入団。

 

【1981年の地頭方一男】
西武在籍:1年目(24歳)、※新人=あけぼの通商からドラフト外入団、背番号45→35へ変更
一軍成績:公式戦出場無し

 

【イースタンリーグ成績】
打撃成績:22試合、26打数7安打、打率.269、0本塁打、2打点、0盗塁

入団時に与えられた背番号は「45」だったが、新外国人テリーの入団が決まると開幕前に背番号は「35」に変更された。
プロ入り一年目の1981年は、一軍出場機会は無く、二軍の試合でも22試合の出場にとどまった。

 

【1981年当時の記事写真とコメント】

シャープなバッティングで注目されている地頭方選手。

(1981年西武ファンブックより)

小柄ながら、素早い身のこなしでボールをさばく姿は「名人吉田遊撃手」をほうふつさせるものがある。
コンスタントなバッティングができるようになれば、足も速いので、塁上をかき回すうってつけの1番打者になろう。

 

【1981年の小川史】
西武在籍:3年目(21歳)、背番号24
一軍成績:公式戦出場無し

 

【イースタンリーグ成績】
打撃成績:65試合、139打数40安打、打率.288、0本塁打、7打点、5盗塁

前年1980年にプロ入り2年目で一軍デビューを果たし、1981年は飛躍が期待された若手の一人だった。

しかし、1981年の西武一軍内野陣は、二塁にベテラン山崎裕之が健在であり、三塁は行沢久隆が安定した働きを見せた。

そして球団発足以来、課題とされていた遊撃には、新人・石毛宏典の大活躍によってレギュラーがほぼ固定されたシーズンでもあった。

一軍内野陣の層が厚くなり、攻守ともまだ不安定だった小川に一軍昇格チャンスは訪れず、一年を通して二軍生活を送った。
それでも二軍では遊撃手で32試合、二塁手で30試合に出場。
さらに外野手としても3試合出場するなど、実戦での経験を積んだ。

 

【1981年当時の記事写真とコメント】

小川は小柄ながら俊足の持ち主。

 

紅白戦第1号のホームランを放って気分をよくしてキャンプを送っている小川選手。

 

【関連記事】

西武ライオンズタイムマシーン(第297回):1979年 小川史

西武ライオンズタイムマシーン(第344回):1980年 小川史