西武ライオンズタイムマシーン(第417回):1981年 地頭方一男 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1981年西武ファンブックより)

ノンプロ球界で活躍してきただけあって、まとまっている。
シュアーなバッティングで左右に打ち分ける打球は鋭い。
足が速いだけに実戦になれば、内野安打もかせげよう。
期待の新人。

 

【アマチュア時代】

加治木工高→社会人・丹羽鉦電機時代までは、アマチュア球界でも無名に近い存在だったが、丹羽鉦電機休部に伴うあけぼの通商への移籍が転機となった。
あけぼの通商は、約20名の選手で活動し都市対抗野球の本戦(全国大会)への出場経験もなかったが、プロ入りすることを目標とするなど志は高かった。
実際、1976年から廃部する1985年までの10年間で7名がプロ入りしている。
1979年ドラフト2位で西武へ入団した柴田保光もあけぼの通商出身の先輩である。
地頭方は、俊足、巧打の選手として1980年オフにドラフト外で西武へ入団。

 

【1981年の地頭方一男】
西武在籍:1年目(24歳)、※新人=あけぼの通商からドラフト外入団、背番号45→35へ変更
一軍成績:公式戦出場無し

 

【イースタンリーグ成績】
打撃成績:22試合、26打数7安打、打率.269、0本塁打、2打点、0盗塁

入団時に与えられた背番号は「45」だったが、新外国人テリーの入団が決まると開幕前に背番号は「35」に変更された。
プロ入り一年目の1981年は、一軍出場機会は無く、二軍の試合でも22試合の出場にとどまった。

 

【1981年当時の記事写真とコメント】

シャープなバッティングで注目されている地頭方選手。