後編では両翼に配置された観測所を見に行きます。

 

 

見取図を見ても分かる通り右翼観測所は砲列右側に隣接していますが、左翼観測所は最左翼の第6砲座前方に置かれており、約100m離隔しています。

史料を検索すると、観測所増築は明治32年(1899)10月に建設に関する書類が提出され、明治33年(1900)6月に竣功図書が進達されています。

砲台完成から10年後の設置となりますが、鋼製掩蓋付きコンクリート円形掩体(測遠機室)とレンガ積み掩蔽部(司令所)で構成された観測所は、明治30年ごろから要塞砲台に増築され始めました。田向山の観測所もその一つとなります。

 

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まずは右翼観測所から見に行きます。

当時は第一号砲側庫の前から道が伸びていたようですが、現在は公園外で手すりの先にありますので見に行くのは自己責任で。

 

観測所の司令所です。

 

造りはレンガ積みで穹窿部はコンクリートです。よく見かけるタイプですね。

 

出入口や窓は塞がれていますが穴が開いているので覗いてみました。

 

奥の壁に扉がありますが、この向こうに部屋があるわけではなく立てかけられているだけです。出入口の扉かな?当時物だったら嬉しいですが。

 

部屋の側壁にかまぼこ型の物置棚が2つあります。上の写真は右側の棚ですが、下記は左側です。部屋の中に棚があるのは他地域の観測所ではあまりお見掛けしませんね。

 

司令所右横の石垣に陶管の穴が開いています。

 

もしかしてこんな所に伝声管?

 

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測遠機室となる鋼製掩蓋付きコンクリート円形掩体は司令所の上に置かれていたと思われますが、公園整備により破壊され展望台にすげ変わってしまいました。

 

ココにあったはず...。

 

展望台に上がっても上がらなくてもよい景色が拝めます。展望台の意味...(^^;

 

正面の下関市彦島には先日紹介した筋山砲台と田ノ首砲台が築かれており、写真右奥には関門橋を挟んで火ノ山砲台と古城山砲台が置かれていました。

 

(参考)筋山砲台の記事

 

(参考)田ノ首砲台の記事

 

(参考)火ノ山砲台の記事

 

(参考)古城山砲台・堡塁の記事

 

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次は左翼観測所に向かいますが、第6砲座後方から左の道を下って行きます。

 

左の遊歩道は電燈所の施設に向かう道なのでこのまま舗装路を下ります。

 

とうちゃこ。

 

司令所は状態良く残っており、石段の先の測遠機室も現存しています。

 

残念ながら出入口と窓は塞がれています。

 

石段を上がって測遠機室。コンクリート製円形掩体です。

 

3本の石柱が三角形状に立っていた痕跡が残っていますが、これは応式測遠機を設置するための支柱となります。

 

左側が応式測遠機です。

 

内壁にかまぼこ型物置棚が設けられています。

 

前方より。鋼製掩蓋の留め具が残っていますね。

 

鋼製掩蓋は現存していませんが、史料を検索すると砲台の廃止が決定された大正3年(1914)の書類にこう書かれています。

 

「田向山砲台に属する観測所用鋼製掩蓋(視界180度、引戸式)2個を旅順要塞司令部へ保管転換すべし」

 

明治期の堡塁砲台は廃止に伴い鋼製掩蓋を撤去したようなので残っていないのは仕方のないことですが、佐世保要塞丸出山堡塁に1個と由良要塞友ヶ島第一砲台に2個が奇跡的に現存しています。

 

丸出山堡塁。

 

友ヶ島第一砲台の右翼観測所。

 

同左翼観測所内部。

 

 

(参考)丸出山堡塁の記事

 

 

(参考)友ヶ島第一砲台の記事

 

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ところで測遠機室のコンクリート製掩体の前方は円盤状に造られていますが、田向山の観測所はなぜか円盤の両側がカットされています。

 

左斜め前から見ています。

 

左側面。

 

右斜め前。

 

正面はパッと見で他の観測所と同様に円形に見えます。

 

イラストを描いてみました。

左側のようになんか変な形になっているわけですが、本来は右側の形だったのでは?

すぐ左手に砲台長位置があるので、円盤が視界を妨げるからカットしたのかもしれませんが、それなら右側も同様にカットされてるのはなぜよ?(・_・;)

 

砲台長位置はこちら。測遠機室斜め後方にあります。

 

砲台長位置に立って見てみる。確かに円盤の端は邪魔そうですね。

 

とは言え測遠機室には鋼製掩蓋が乗っかっていましたので、砲台長位置から右側の視界は十分取れなかったように思えます。そもそも設けた場所が悪くね?(^^;

円盤状に作ったけど不都合があってカットしたのか、最初からこう言う形で造ったのか。元からこの形ならなぜそうしたのか、、、。まぁ疑問は疑問のまんまでw

 

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参考までに丸出山堡塁の砲台長位置と測遠機室の位置関係を見てみます。

 

砲台長位置は測遠機室の左前方に設けられていますので視界は良好です。

 

砲台長位置から右手やや後方に測遠機室の掩蓋。

 

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田向山の観測所に戻って...。

先ほど写真を載せましたが、司令所の左横に砲台長位置に上がる石段があります。

 

測遠機室直下の外周に小径が残っています。

 

以上、これにて田向山砲台の記事書き直しを終わります。

 

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[参考資料]

「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「明治期国土防衛史」(原剛著、錦正社)

「日本の大砲」(竹内昭, 佐山二郎 共著、出版協同社)

「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」

「田向山砲台観測所設置の件」(Ref No.C02030225200 アジア歴史史料センター)

「下の関海峡防禦田向山砲台観測所増築等竣攻図書進達の件」(Ref No.C02030420400 アジア歴史史料センター)

「観測所鋼製掩蓋保管転換の件」(Ref No.C02031750100 アジア歴史史料センター)

「火砲一覧表」(Ref No.C10071631300 アジア歴史史料センター)

「田の首崎、田向山砲台監視衛兵所建築の件」(Ref No.C02030431700 アジア歴史史料センター)

「工兵方面より 田向山電燈建築の件」(Ref No.C03023042500 アジア歴史史料センター)

「工兵方面本部より 田向山電燈建築工事竣工延期の件」(Ref No.C03023052000 アジア歴史史料センター)

「工兵方面より 田向山電燈建設費増額の件」(Ref No.C03023052200 アジア歴史史料センター)

「下関海峡防御田向山砲台観測所建築費増額の件」(Ref No.C10062342400 アジア歴史史料センター)

「下関要塞電灯改造(老ノ山、門司、田向山)並増築工事引き渡済の件」(Ref No.C01003911000 アジア歴史史料センター)

「下関要塞防御営造物除籍の件」(Ref No.C01004457300 アジア歴史史料センター)

「田向山等の電灯付属電話室増築の件」(Ref No.C02030441400 アジア歴史史料センター)

「補助建設物解除の件」(Ref No.C03011503900 アジア歴史史料センター)

「下関要塞防禦営造物除籍利用に関する件」(Ref No.C01006144500 アジア歴史史料センター)

「工2より田向山砲台送弾路修繕費の件」(Ref No.C07050288800 アジア歴史史料センター)

「廃止予定砲台補助建設物除籍の件」(Ref No.C01006566400 アジア歴史史料センター)