友ヶ島第一砲台は島の西側に築城された砲台で、由良瀬戸(友ヶ島水道)に侵入する敵艦を撃退する任務を持っていました。
第一砲台の簡単な履歴は以下の通りです。
◆起工:明治22年(1889年)9月16日
◆竣工:明治23年(1890年)11月23日
◆備砲:斯式三十口径二十七糎加農砲 4門(明治29年10月備砲完了)
◆設置標高:47m
◆特記:大東亜戦争終結まで存続
◆参考リンク:「由良要塞の概略」はこちら →→→
※2021年8月、2022年10月訪問
※2022年10月31日、加筆修正
見取図を描きましたので掲載します。
砲台の遺構は比較的よく残っていますが地下施設は立入禁止となっていますので、見取図は見える範囲内で確認し、一部配置は推定で作図しています。
遊歩道を歩いていくと砲台手前に階段が現れます。
上がってみましたが何もありませんでした。
砲台入口となる隧道Aに到着です。これを入ると掩蔽部や砲側庫などがありますが、残念ながら立入禁止となっています。
入口左横に石垣の凹みがあります。見取図では井戸としました。
隧道内部を覗いてみる。
右壁に開口部があります。隣の掩蔽部に繋がる入口でしょう。
隧道入口右横の階段を上がって灯台敷地を横目に見ながら左に下ると、、、。
二十七糎加農砲の第3砲座があります。1砲座1門なので4つの砲座があります。
遊歩道敷設のため砲座前面の胸墻が壊されています。
胸墻はレンガ積みモルタル張りです。奥に見える丸い穴は伝声管ですね。
左側の横墻に上がる階段があります。
階段を上がって進むと石積みの凸部があります。ちょうど第3砲座と第4砲座の中間に築かれており、小隊長位置だと思われます。
なお確認していませんが右翼側の第1砲座と第2砲座の間にも同じ物があったと考えられますので、見取図ではこちらを小隊長位置Bとしました。
第3砲座の左後方にある階段を下りると弾薬置場である砲側庫③がありますが、残念ながら立ち入りできません。
奥に見える階段を上がると第4砲座ですので、1階に置かれた砲側庫を挟んで2階部分に砲座が置かれているスタイルになります。
砲側庫の対面に掩蔽部が2つ、そして右横は先ほど柵から覗いた隧道Aの出口です。
「掩蔽部」上部のアーチ部分もレンガ積みですね。生石山砲台の記事でも書きましたが、砲台築城初期の明治20年前半までは総レンガ積みだったようです。明治25年頃を境に、耐弾性を増すためにコンクリートが使われるようになりました。
なお掩蔽部の窓から円筒状のパイプが立っていますが、ここは戦後何かの用途で使われていたのでしょうね。
さらに奥の壁に目を凝らすと通路の入口があるのが見えます。
入口はブロックで塞がれていますがこの上に左翼観測所が設置されていますので、観測所指令室とがこの通路の先にあったと思われます。
掩蔽部左側を見ると、右翼側の第1、第2砲座に繋がる隧道Bの入口が見えます。
灯台付近に戻って子午線広場に向かいますが、その途中に砲側庫②の通気口が突き出ています。
海を挟んで正面に見える陸地は淡路島の由良地区です。
では次に、友ヶ島の最大の見どころである観測所に向かいますが、続きは後編で。
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[参考文献]
「現代本邦築城史」第二部 第四巻 由良要塞築城史(陸軍築城部、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)
「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用