明治維新後、敵国艦隊の襲来に備えて、陸軍による海岸防御事業が進められました。欧州から陸軍士官を招へいして指導を仰ぎつつ、重要とされる全国各地の港湾、海峡に堡塁/砲台を設置する計画が立てられましたが、紀淡海峡を閉塞して大阪湾への敵艦の侵入を防ぐべく立案されたのが「由良要塞」でした。

 

地図で場所を示します。

 

紀淡海峡は、和歌山県北西部の田倉崎と淡路島の生石鼻の間の海峡で、その幅は約11㎞です。海峡内には友ヶ島4島(沖ノ島、虎島、神島、地ノ島)が浮かんでいますが、ほぼ中央に浮かぶ沖ノ島~淡路島間の由良瀬戸が幅4~5㎞と一番広いため、この水道の防御を中心として砲台築城は進んでいきました。

なお、淡路島西側と徳島県東岸の間の鳴門海峡にも砲台が設けられて「鳴門要塞」と称されました。同要塞はしばらくして由良要塞に併合されましたが、本カテゴリーでは紀淡海峡の由良要塞のみを扱っていきます。

 

「由良要塞」における堡塁/砲台の建設工事は、明治22年(1889年)3月の生石山第3砲台起工に始まり、明治38年(1905年)3月の友ヶ島第5砲台竣工をもって終了しましたが、16年の間に17個の砲台と8個の堡塁が築城されました。

 

地図で堡塁砲台の場所を示します。

 

海峡や港湾に侵入せんとする敵艦を射撃する任務を持つ陣地が「砲台」、重要施設や砲台を守るため後背に設置された上陸敵兵に対する陸戦用の陣地が「堡塁」となります。なお、点線の矢印は射撃の首線を示しています。

 

では紀淡海峡を様々な方向から見てみましょう(・∀・)

 

淡路島側の生石山第四砲台の生石岬展望台から和歌山方面。

手前に友ヶ島砲台が築かれた沖ノ島、奥の陸地は和歌山市です。沖ノ島までの距離は5㎞弱となります。

 

友ヶ島第三砲台のタカノス山展望台から淡路島方面。

対岸の手前左側が生石山砲台の場所です。

 

深山第一砲台の展望地から友ヶ島、淡路島方面。

手前が地ノ島、左が沖ノ島、その奥が淡路島です。ちなみに地ノ島までの距離は800mほどとなります。

 

さて、先にも述べた通り、堡塁/砲台の建設は明治22年(1889年)3月にスタート。明治29年(1896年)7月に由良要塞司令部設置、明治36年(1903年)4月に鳴門要塞を併合、明治37年(1904年)の日露戦争で警急配備下令、明治38年(1905年)に堡塁砲台の工事が完了し、翌年付属施設の竣工をもってすべての作業が終了しました。

 

このように長い期間を経て完成した由良要塞でしたが、明治38年(1905年)の日露戦争での勝利によって海岸防御の見直し気運が高まり、明治43年(1910年)から始まった要塞整理の審議の結果、大正年間に入ると以下の通り堡塁/砲台の廃止が決まっていきました。

 

大正3年(1914年):「佐瀬川堡塁」「深山第一砲台」「深山第二砲台」「赤松山堡塁」「伊張山堡塁」「成山第一砲台」「成山第二砲台」

 

大正8年(1919年):「西ノ庄堡塁」

 

大正15年(1926年):「生石山堡塁」「大川山堡塁」

 

さらに昭和8年(1933年)には再び要塞整理が行われ、「生石山第二砲台」「生石山第三砲台」「高崎砲台」「友ヶ島第二砲台」「友ヶ島第四砲台」「男良谷砲台」が廃止の部類に入りました。

 

以上が由良要塞の経歴ですが、個々の堡塁砲台についても簡単に書いておきます。なお〇数字は竣工の順番を表しています。

 

【由良地区】

 

生石山(おいしやま)の砲台の場所は「生石公園」として整備されています。ただ、砲台敷地内は進駐軍による破壊が激しいことから立入禁止となっており、周囲に設けられた遊歩道からフェンスや柵越しに見学する形となります。

 

生石山第一砲台

・起工/竣工:明治22年5月20日/明治23年7月10日

・備砲:28㎝榴弾砲 6門

・現況:砲側庫と1番砲座の前に見学テラス、それ以外は立入禁止

 

生石山第ニ砲台

・起工/竣工:明治22年8月3日/明治23年8月18日

・備砲:28㎝榴弾砲 6門

・廃止:昭和8年・廃止予定→昭和18年1月・全部除籍

・現況:フェンス設置で立入禁止

 

生石山第三砲台

・起工/竣工:明治22年3月10日/明治23年10月20日

・備砲:26口径24㎝加農砲 4門、斯式36口径24㎝加農砲 4門

・廃止:昭和8年・廃止予定→昭和18年1月・全部除籍

・現況:フェンス設置で立入禁止

 

生石山第四砲台

・起工/竣工:明治22年4月21日/明治23年5月26日

・備砲:斯式30口径27㎝加農砲 4門

・現況:施設→駐車場建設で多くが消滅、残存遺構は柵越し見学

 

生石山第五砲台

・起工/竣工:明治32年5月2日/明治32年12月31日

・備砲:克式40口径12㎝加農砲 4門

・現況:柵越し見学

 

生石山堡塁

・起工/竣工:明治28年12月11日/明治30年3月31日

・備砲:15㎝臼砲 4門、機関砲 4門 (平時備砲せず)

・廃止:大正15年・廃止予定→昭和7年3月・全部除籍

・現況:公園化で原型不明、堡塁外周の塹壕残る

 

成山第一砲台

・起工/竣工:明治23年8月4日/明治24年9月25日

・備砲:克式35口径21㎝加農砲 6門、克式35口径15㎝加農砲 2門

・廃止:大正3年・廃止予定→昭和10年3月・全部除籍

・現況:戦後の再開発で21㎝加は消滅、観測所は現存、15加周辺の地形残る

 

成山第二砲台

・起工/竣工:明治23年8月4日/明治24年9月25日

・備砲:28㎝榴弾砲 2門、12㎝加農砲(制式) 2門

・廃止:大正3年・廃止予定→昭和10年3月・全部除籍

・現況:掩蔽部は破壊、砲座は現存

 

高崎砲台

・起工/竣工:明治31年3月22日/明治35年11月5日

・備砲:安式28口径24㎝加農砲 2門、克式25口径24㎝加農砲 6門

・廃止:昭和10年3月・全部除籍

・現況:狭い尾根上に残るも破壊激しい

 

赤松山堡塁

・起工/竣工:明治26年1月24日/明治27年3月23日

・備砲:9㎝加農砲 6門、機関砲 4門

・廃止:大正3年・廃止予定→昭和7年3月・全部除籍

・現況:掩蔽部の破壊激しいが堡塁全体像は把握可

 

伊張山堡塁

・起工/竣工:明治26年5月1日/明治27年8月31日

・備砲:9㎝加農砲 4門、機関砲 4門

・廃止:大正3年・廃止予定→昭和7年3月・全部除籍

・現況:掩蔽部の破壊激しいが堡塁全体像は把握可

 

 

【友ヶ島地区】

 

友ヶ島第一砲台

・起工/竣工:明治22年9月16日/明治23年11月23日

・備砲:斯式30口径27㎝加農砲 4門

・現況:砲台敷地内立入禁止も、両翼の装甲掩蓋付の観測所は見学可

 

友ヶ島第ニ砲台

・起工/竣工:明治27年8月21日/明治31年4月10日

・備砲:加式28口径27㎝加農砲 4門

・廃止:昭和10年3月・全部除籍

・現況:激しく倒壊、外観は見学可

 

友ヶ島第三砲台

・起工/竣工:明治23年10月7日/明治25年5月25日

・備砲:28㎝榴弾砲 8門

・現況:保存状態良好、敷地内全域見学可能

 

友ヶ島第四砲台

・起工/竣工:明治23年11月29日/明治25年5月25日

・備砲:28㎝榴弾砲 6門、12㎝加農砲 2門

・廃止:昭和10年3月・全部除籍

・現況:遺構はよく残っているようだが立入禁止

 

友ヶ島第五砲台

・起工/竣工:明治33年1月2日/明治38年3月31日

・備砲:斯加式30口径12cm速射加農砲 6門

・現況:保存状態よく見学可能

 

虎島堡塁

・起工/竣工:明治28年10月1日/明治30年2月28日

・備砲:斯加式30口径9㎝速射加農砲 4門、機関砲 4門

・廃止:昭和10年3月・全部除籍

・現況:遺構は残っているものの虎島方面は通行禁止

 

 

【深山地区】

 

深山第一砲台(みやま)

・起工/竣工:明治25年7月10日/明治30年9月30日

・備砲:28㎝榴弾砲 6門、15㎝臼砲 4門

・廃止:昭和7年3月・全部除籍

・現況:展望地として整備され、遺構の保存状態は良好

 

深山第ニ砲台

・起工/竣工:明治25年1月18日/明治26年10月31日

・備砲:28㎝榴弾砲 6門、15㎝臼砲 4門

・廃止:大正11年に演習砲台として改築→昭和6年9月・全部除籍

・現況:休暇村建設でほぼ消滅、砲側庫1つだけ残る

 

男良谷砲台(おらだに) ~深山第三砲台

・起工/竣工:明治35年11月5日/明治37年8月8日

・備砲:斯加式30口径12㎝速射加農砲 4門

・現況:遺構はよく残っている、隣接して海軍水雷発射場がある

 

加太砲台(かだ) 

・起工/竣工:明治35年12月1日/明治37年2月27日

・備砲:斯式30口径27㎝加農砲 4門

・現況:青少年国際交流センター建設で、残る遺構は少ない

・特記:センター敷地内につき窓口で許可申請が必要

 

田倉崎堡塁

・起工/竣工:明治35年12月1日/明治37年2月29日

・備砲:28㎝榴弾砲 6門、31式速射野砲 4門

・現況:青少年国際交流センター敷地内で遊具施設設置も遺構の状態は良好

・特記:センター敷地内につき窓口で許可申請が必要

 

西ノ庄堡塁

・起工/竣工:明治35年11月5日/明治37年2月14日

・備砲:12㎝加農砲 6門、機関砲 4門(平時は備砲せず)

・廃止:昭和10年3月・全部除籍

・現況:学校建設により消滅

 

佐瀬川堡塁

・起工/竣工:明治36年5月7日/明治37年5月18日

・備砲:9㎝加農砲 6門、31式速射野砲 4門、機関砲 4門(平時は備砲せず)

・廃止:大正3年・廃止予定→昭和7年3月・全部除籍

・現況:高地は遺構あり、低地は炭焼き業者内に僅かに残る

 

大川山堡塁

・起工/竣工:明治29年5月24日/明治30年11月30日

・備砲:9㎝加農砲 2門、機関砲 4門(平時は備砲せず)

・廃止:大正15年・廃止予定→昭和7年3月・全部除籍

・現況:山の中に現存

 

 

ところで、昭和46年に刊行された『日本築城史』には高森山堡塁も築城されたと書かれています。ですが、陸軍築城部が大東亜戦争時に纏めた『現代本邦築城史』には、将来設置すべき堡塁として登場しますが築城された記録は一切書かれていません。現地も探索しましたが遺構は確認できませんでしたので、『日本築城史』の記載は間違いだと捉えています。要塞探訪のバイブル的書籍ですが、他地域での記載でも間違いが散見されますからねぇ、、、。

 

以上、由良要塞の概略でした。

次回から1つ1つ砲台を探訪していきます(・∀・)

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第四巻 由良要塞築城史(陸軍築城部、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用