遠野物語を考える
遠野物語は、柳田国男が書いてはいるが、創作ではない。他者の創作なのかと言ったら、そうでもない。歩いていると、気持ちを引き付ける岩があったという感じかな。それについて人に言いたくて、書いた。現代にも岩はあって、建物や人ごみに紛れてわからなくなっているけど、限界集落というようなものが発生している日本では、また、明らかになってきているかもしれない。ザシキワラシが今の服装なら、バスとか電車に紛れていてもわからない。たぶん、昔の着物を着ているはずもない。先日、田舎の川を見た。そこで、子供であった頃、皆で遊んだ。川への入り口は、草で覆われていて、どのようにして泳ぎ場に至ったのかもわからなかった。結構流れがあって暗い、上流にダムが放流を定期的に行っていて危ない。ここには川童がいてもいいような気がする。少子化で、人の子供はもうそんなに遊ばない。だから、川童も減ってはいるように思うが。顔は赤いのか緑なのかは知らない(笑)すれば、思考がまわりまわって、自分なりの岩を見つけることはできるのではないか、と思った。