五五

 川には川童かっぱがたくさん住んでいた。猿ヶ石川はことに多かった。

 

松崎村の川端かわばたうちでは、二代まで続けて川童の子をはらんだ者がいた。

 

生れた子はきざまれて、一升樽いっしょうだるに入れ、土中にうずめられた。そのかたちはきわめて醜怪なるものであった。

 

女の婿むこの里は、新張にいばり村の何某といって、これも川端の家であった。

 

その主人ひとにその始終しじゅうを語った。

 

かの家の者一同が、ある日はたけに行って夕方に帰ろうとするに、川のみぎわうずくまりてにこにこと笑う女がいた。

 

次の日はひるの休みにまたこの事があった。そんな日を重ねているうちに、次第にその女のところへ、村の何某という者が夜々よるよるかようといううわさがたった。

 

始めには婿が浜の方へ駄賃附だちんづけに行っている留守るすをのみうかがっていたが、のちには婿むこたるよるさえ来るようになった。

 

川童で間違いないという、評判だんだん高くなってきたので、一族の者集まりてこれを守ったけれど、どうすることもできない。

 

婿の母も行って、娘のかたわらた。深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てるな、と知りながらも、身動きもかなわなかった。人々、みんなどうしようもなかった。

 

その、お産はきわめて難産であったが、ある者が、馬槽うまふねに水をたたえその中にてんだら、楽に産むことができると言った。

 

これを試みてみれば、果してその通りであった。

 

その子は手に水掻みずかきがあった。この娘の母も、またかつて川童の子を産んだことがあるという。

 

二代や三代の因縁ではないという者もあった。

 

この家も如法にょほうの豪家にて何の某という士族である。村会議員をしたこともあったという。