何を見るか、何処を見るか!だけど見えない!
朝起きたら眼鏡が無くなっていた。正確にいうなら、起きたときはあった。間違いなくあった。眼鏡をしてベットサイドの時計で時刻を確認したのだ。
今日は新幹線で次の町へ移動する予定であったため、チェックアウトの準備をする前にシャワーを浴びた。
そして眼鏡を探した。
どこに置いたかの記憶は定かではなかったが、無意識にホテルの部屋にくくり付けられている無愛想なデスクの上をみた。
ない。
次に洗面所の歯ブラシの横をみた。しかし、ない。
まだ、この時点では落ち着いていた。なくなるはずがないからだ。ただ、あれ、どこに置いたかな……、と記憶を巡らせながら、ベッドサイドとかシャワーブースなどを探してみた。
しかし、ない。
もう30分以上……探し続けている。やっと焦りが出てきた。あと少しでチェックアウトし、東京駅へ向かわなければ次のアポに支障がでる。
結局、一時間探してみたが眼鏡は出てこなかった。
なぜなのだ?
なぜ、ホテルの小さな部屋の中で眼鏡がなくなるのか?
分からぬまま14時間が経過し、今、また次の町へ移動する飛行機の中にいる。
私の顔には新しい眼鏡がのっている。見えないままでは仕事にならないので新調せざるを得なかったのだ。
そしてよく見える両目でこのBlogのを書いている。
えっ⁉︎
なんと今、分かった!
今、答えに出会った!
そうだったのか!
私の大切な眼鏡は、
きっと空間のひずみがあらわれ、
時空のポケットに落ちたのだ。
そうとしか思えません!
そう思いませんか⁉︎
中村信仁
何かをするために何処へ行く?
新幹線の中でふと気づいた。我々はいつも何かをするために何処かへ向かっているが、するためばかりの移動じゃなく、終えて帰るという時もある。
何かをするための移動と、何かを終えて帰る移動はぜんぜん違う。
子供も大人も家に帰ってホッとするのは、終えたからなのだと気づいた。
はるか遠くまで自転車をこいで出掛け、心細さに負けないよう歯を食いしばり、暮れなずむ道を夕陽と競争するように家路へ急ぎ帰った子供の頃、母親の夕餉の支度に香る味噌汁の匂いに心からホッとしたことを思い出した。
今、子供達は、我が家に帰る都度、ホッとしてくれているのだろうか。ホッとできる茶の間づくりができているだろうか。そんなことを北へ向かう新幹線の車窓からチラホラ雪が舞うのを見て考えていた。
自分も今夜あたり家へ帰ろう……。
そう思った。
中村信仁