営業の魔法 中村信仁と永業塾の仲間たち -4ページ目

何を見るか、何処を見るか!だけど見えない!

朝起きたら眼鏡が無くなっていた。正確にいうなら、起きたときはあった。間違いなくあった。眼鏡をしてベットサイドの時計で時刻を確認したのだ。

今日は新幹線で次の町へ移動する予定であったため、チェックアウトの準備をする前にシャワーを浴びた。

そして眼鏡を探した。
どこに置いたかの記憶は定かではなかったが、無意識にホテルの部屋にくくり付けられている無愛想なデスクの上をみた。

ない。

次に洗面所の歯ブラシの横をみた。しかし、ない。

まだ、この時点では落ち着いていた。なくなるはずがないからだ。ただ、あれ、どこに置いたかな……、と記憶を巡らせながら、ベッドサイドとかシャワーブースなどを探してみた。

しかし、ない。

もう30分以上……探し続けている。やっと焦りが出てきた。あと少しでチェックアウトし、東京駅へ向かわなければ次のアポに支障がでる。

結局、一時間探してみたが眼鏡は出てこなかった。

なぜなのだ?
なぜ、ホテルの小さな部屋の中で眼鏡がなくなるのか?
分からぬまま14時間が経過し、今、また次の町へ移動する飛行機の中にいる。

私の顔には新しい眼鏡がのっている。見えないままでは仕事にならないので新調せざるを得なかったのだ。

そしてよく見える両目でこのBlogのを書いている。

えっ⁉︎
なんと今、分かった!
今、答えに出会った!
そうだったのか!

私の大切な眼鏡は、
きっと空間のひずみがあらわれ、
時空のポケットに落ちたのだ。

そうとしか思えません!
そう思いませんか⁉︎



中村信仁

何かをするために何処へ行く?

新幹線の中でふと気づいた。我々はいつも何かをするために何処かへ向かっているが、するためばかりの移動じゃなく、終えて帰るという時もある。

何かをするための移動と、何かを終えて帰る移動はぜんぜん違う。

子供も大人も家に帰ってホッとするのは、終えたからなのだと気づいた。

はるか遠くまで自転車をこいで出掛け、心細さに負けないよう歯を食いしばり、暮れなずむ道を夕陽と競争するように家路へ急ぎ帰った子供の頃、母親の夕餉の支度に香る味噌汁の匂いに心からホッとしたことを思い出した。

今、子供達は、我が家に帰る都度、ホッとしてくれているのだろうか。ホッとできる茶の間づくりができているだろうか。そんなことを北へ向かう新幹線の車窓からチラホラ雪が舞うのを見て考えていた。

自分も今夜あたり家へ帰ろう……。
そう思った。



中村信仁

218億円ていったい幾ら?

毎日毎日200万円使っていいとしよう。いったい何日使い続けていられるか?そしていつ使うことに飽きるだろう。

マックが11年ぶりに赤字になったそうだ。その金額、218億円。

この218億円という金額は、毎日200万円を30年間使い続けられる金額。

たいしたものだ。
これほどの赤字でもマックは倒産の兆しすら見せない、大きな体力のある企業なのだ。

100円でハンバーガーを売っているのに、この赤字を耐えられるのだ!

まさに塵も積もれば山となる、である。

そして、もうひとつ今回は書きたい。
マックの商品価格を考えた時、どんなに企業努力をしたところで、もう日本での商品生産、または原材料調達は不可能だ。

普通の感覚で……、
常識的に……、
ごく一般的に……、
いや、とにかく当たり前に考えた時、あの値段のモノに、いったい何が期待できるだろう⁉︎

普通の人なら、異物混入に対して、まあ、値段から考えたら仕方ないよね…と笑って済ますべきではないだろうか。

しかし、臆病者の私は、なかなかラジオでこのように発言できないのです。



中村信仁

移動時間を何に使うか、昔はアホみたいに真剣に考えたなぁ。

アホだったなと思う。


新幹線の中とか飛行機の中で何をして過ごすか、それが自分の将来を決めるのだ、なんて22~23才の頃は真剣に考えていた。


新幹線に乗ったら窓の外を眺め、素晴らしい景色の中で情緒を育んで過ごすのが一番、飛行機に乗ったらすぐに眠って体力の温存を計るのが一番だ。


時間を上手に使うとか、○○時間術、時間を活かす人は人生を生かす人、なんていう言葉に踊らされて躍起になっていた自分が、今はとても可笑しくて仕方ない。


時間というのは、その人の今に丁度よく与えられている。若い時に背伸びして、時間を有効に使おうなんて無理したツケは、しっかり今に廻ってきている。


若い頃、必死になって忙しく過ごしていたら、いい齢をしてもまだ忙しい。若い頃にのんびり過ごしていれば、いい齢をしてのんびりできる。


人生はあるがままに過ごしたんで丁度いいのだ。

信じられないだろうが、そう思う。




中村信仁

今日は誰とメシ食べる?

なにをするんでも、どこへ行くんでも、誰、と一緒なのかが、それを楽しくもつまらなくもするもんです。


よっぽど孤独大好きで、一人でいることを愛するような人じゃなければ、呑みに行くにしても、メシを食べるにしても、やはり誰かと一緒のはず。この、誰……というのがとても大切なんだと感じる真冬の今日この頃です。


先日、日本デブエット協会(ダイエットの真逆を歩む会)の会長、副会長の2人と焼肉を食べに行きました。二人とも日本を代表するデブエッターですから、みごとな食べっぷりと飲みっぷり。


食事とはこうするものだぁ !!

酒をのむとはこう呑むものだぁ !!

おらぁあぁぁあぁ !!


まあ、それは、それは、お見事 !

そんな二人と一緒にいると、自分なんかなんて可愛いものだろうと思えてしまい、つい調子に乗って一緒に食べたり飲んだり……。あと2~3回も一緒に食事をすれば、みごとにデブエッターの仲間入りができそうです。


人間は弱いもの。

誰と呑むか、誰と食べるか、誰と遊ぶか……。


この「誰」がとてもとても大切なんだと、寒い寒い北海道の冬の朝、ふと考えていました。





中村信仁

売れるようになりますか?

そこへ行くと売れるようになりますか? と本気で質問してくる人が多い。


なんのことかというと、永業塾に関する問合せで、ダントツ1位の質問がこれだ。「そこへ行くと売れるの?」と。


あり得ない、と答える。

無理だ、と告げる。

来ない方がいい、ともいう。

すると、「そんなわけない、売れるようになるはずだ」といってくる。


いや、主宰の私が「無理だ」というのだから無理ですよ、といっても「そんなはずないだろう、隠すのか」と怒り出す。


売れるか売れないかは本人に関係ない。

お客様次第。

お客様が買って下さるかどうか。


それなのに世の中では、売る方法があると信じて疑わない人が多過ぎる。売る方法はありません。買っていただけるよう努力するだけなのです。


そう思いません……?




中村信仁


立春におもう。

こんなことがあった。

初めての町を旅するのだが、その町の美味しいものなど知らないだろうか……、しいては誰か地元の人を紹介してくれないかと。


毎月全国を旅して歩く私を知ってのお願いだった。それを断るとやはり角が立つ。なので快く引き受け、地元の仲間を紹介し、色々と面倒な段取りを裏で済ませ、本人に安心して旅立つよう伝えた。


旅を終え戻ってきたその人は「楽しかった」という笑顔と一緒に、だけど、○○がこうだった、□□がもう少しあーだったらよかった、などと些細な不満を言いつらねてきた。


アホか、と思った。


初めて会う者たちが、人となりなどなにも知らない中で、一所懸命もてなしてくれたことに対して、なぜ平気で文句を言えるのだろう。

快く引き受けた自分を悔やんだ。
このワガママな珍客は、多分旅先でも仲間たちに不快な思いをさせたのではないだろうか。


山道を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に掉(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。


文豪、夏目漱石も草枕の書き出しにこう書いている。そしてその文書はこう続く……。


人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。


さりとて、親切から人に関われば傷つけられてしまう、こんな人の世もいかがなものかと立春を迎えた今日、久しぶりに降りそそぐ陽の光が窓の雪景色に反射する中で考えていた。人でなしの国より、まだこの人の世の方が住みやすいのは間違いないのだろう。





中村信仁

本の貸し借り

そういえば、昔から本の貸し借りが嫌いだった。


「なに読んでるの」

「○○だよ。読み終わったら貸そうか」


でも借りない。

タイトルだけチェックしておいて、あとから買いに行く。

昔から大してお金は持っていなくても本だけは買っていた。


「それ、読み終わったら貸して」

「やだよ、買いな」


そういっては何人もの仲間たちに嫌われていた。


平気で「貸して」という人は、大抵汚して返してくる。その程度の取り扱いだから平気で「貸して」とも云える。


そもそも、本はなんのために読むのだろう。暇つぶしで読む本、教科書のように勉強のために読む本、仕事のスキルを得るための本、自分自身を鍛える本……。


だけど、一番は、面白いから読む。

少なくとも自分はそうだ。

読んでいて面白い。

面白い本は読み終わると寂しい。

続きを想像してしまう。

完結しているはずなのに、その先を考えてしまう。

だから貸せない。

想像している間はまだ読書中だから。

読み終えたところから始まる自分の読書。


「なに読んでるの」

「○○だよ」

「へー、面白い」

「うん」
「○○ってのも面白かったよ」

「そーなんだ」

「じゃあ、またね」


ここで会話は終了。

それがいい。

本の貸し借りはしない。

だけど本の情報はたくさんやりとりする。

よく晴れた午後の公園のベンチ。

なんだか春が待ち遠しい。




中村信仁




朝日はISILを支援しているのだろうか。

朝日新聞やテレビ朝日は戦争が好きなのかと考えさせられる。なぜなら、何かことが起こる都度「日本が戦争に巻き込まれる」という論調で我々国民を扇動する。

この時代、こんな非常識な理屈がまかり通ると本気で考えていることの方が心配だ。ただ、その論調に同調し「そうど、そうだ」とプラカードを持って街中や総理官邸前でデモの真似事をする人が必ずいることを危惧する。

戦争なんて誰もしたくない。そうならないために頑張って新しい法案を通そうとしている。それを必ず「戦争になる」と叫ぶ左翼の活動家とその取り巻き達がいる。

イスラム国の今回の人質事件に関しても、現内閣が悪いという論調で情報操作をしようと躍起になっている。でも我々国民も簡単には鵜呑みにしなくなっている。空回りする朝日グループの報道は見ていて痛い。

ただの国際テロ集団であり、犯罪者集団、詐欺集団でしかないイスラム国なる馬鹿者たち。その集団に安倍総理が毅然とダメ出しをしただけのことに対し、イスラム国と戦争になる、とかタイミングが悪い、演説してはいけない、演説の場所が悪かった、などなど、まぁ、よくそこまで問題のすり替えができるものだ。

まるで自分の暮らす町に凶悪な犯罪者がいて、その犯罪者が隣の町へ行くまで黙っていよう。そうじゃなければ自分の町で暴れるから!みたいな理屈のようにきこえる。安倍総理が余計なことを言ったからこうなった!みたいな。それは違うのではないか。

問題はそこではなく、犯罪集団をなんとかしなければならないだけなのだ。イスラム国という非人道的集団に対して世界がひとつになって立ち向かわなければならないだけのこと。

それを批判する人たちに逆に問いたい。あなたたちはイスラム国を支援しているのかと。


中村信仁

自由、自由って、そんなに不自由なのだろうか。

自由を求めてデモ行進とか、自由への革命だとか、やたらと「自由」という言葉が最近飛び交っているが、われわれはそれほど「不自由」なのだろうか。


メディアは「表現の自由を守れ」と威勢よく声高に叫んでいる。だけど、われわれビジネスマンの不自由さと比べたら、メディアほど自分勝手で自由過ぎる世界もないだろうと思える。


先日のフランスでの出版社襲撃テロ。あのような行為は最低なことだ。テロを決して肯定する気はない。しかし、考えてみたい。


異国の異教徒の神を風刺する権利は誰にだってある。そしてそれを表現の自由とよぶのだろう。しかし、そんな権利をわざわざ行使するかとどうかは、人間性にあるのではないか。もしくは本人の良識、もしくは人としての礼儀にあると断言する。


挑発されれば誰だって腹が立つ。表現の自由だといって何でもかんでも表現すれば、深く傷つくことも、傷つけられることもある。相手を思いやる優しさと、知りたいであろうことを伝える技術は、人として良識ある精神の持ち主にのみ与えられた特別な力であって欲しいし、そうでなければいけない。


自由、自由、と云って、なんでもかんでもごちゃ混ぜにするのではなく、自由だからこそ責任と良識をもち、いっていいことと悪いことがあるという大義を大上段から振り下ろして欲しいのだ。




中村信仁