首筋と肩が激しく凝っていて、辛い朝だった。寝違えとかではない。原因不明の症状なので、◯◯梗塞や◯梗塞の前兆現象ではないかという恐怖に慄いた(おののいた)。
それでも、朝のテレビ体操はいつもの通りやった。肩や首の体操もあったので、「いて、いて、いてててて」などと言いながらも、症状改善に期待して体操を続けた。
その後の準備もやたらと時間がかかり、いつもよりも遅れての出発となった。ピタゴラが始まって最初のピタゴラ装置を見てすぐに出るのがいつもの時間だが、今日は何と、その後の0655まで視聴してから7時に家を出るということになってしまった。
仕事で大きなヤマがある日だったので、本来は気合を入れて張り切るべきところ、どうも気持ちがUPせず、ぐだぐだ、だらだら、のそのそ、そんな感じの朝のスタートだった。体調も総合的によくないので、終日だるくて身体が重いのである。
仕事を終えて実家に行って両親の様子を見て、その帰りに馴染みのスーパーに寄ってアホな買い物をするという流れは、いつもと同じことの繰り返しである。
私は少しでも安い米を買うことにしているが、馴染みのスーパーで3,990円で売っていたアメリカのお米を買ってみることにした。新米よりは1,000円程度は安いが、輸入にかかる費用を差し引いても、随分と割高だと感じてしまう。実際の原価は、アメリカ産のジャポニカ米は新米でも日本の4分の1かそれよりも更に安いか、という価格設定らしい。
貧しい私は、少しでも安い米がほしいし、パン食や蕎麦・うどん・パスタ食を増やす等して、お米をいただくときは主にレトルトカレーを食べるときだけという生活に努めているが、本来はもっと格安であるはずのアメリカ産の米でさえ高い値付けをしているわけで、その差額で莫大な利益を得ている人がいるんだなと思うと、とても悲しくなってくる。
最近は、大臣が代わって農協も復活?して絶好調(絶口調?言いたい放題)のようだ。物価高は人の財布の中だけではなく、心も貧しくしてしまうということを、特に政治家には理解してほしい。
貧相で惨めな気持ちになってしまうのだ。金持ちにはわかるまい。
節約のためには、自炊せずに総菜の安売りで食事を済ますことも効果的だ。一人や二人で食べるのならば、買った食材を無駄にしなくて済む。私は本来は料理や調理も好きだが、私にとっての料理はもはや趣味で行う域に入ってきたのかもしれない。
レトルトカレーも、贅沢品をたまには買いたくなるが、最近は100円以下のものや見切り品に手が伸びてしまう。缶詰のカレーも、大好きな〇なば社の製品が1つ99円で売っていたので、思わず大人買いをした。い〇ば製品は値上げをせずに頑張っているなあと感動したら、帰宅して収納引き出しに入れてからわかったのだが、実はこれらもステルス商品だった。ショックだったが、これも世の中の流れで仕方ないことなのだろうか。
これまでに買いためていた「いな〇」の缶詰カレーは、内容量125gだった。もちろん、100円以下で購入したものだ。しかし、今回購入した品の内容量は75g。これは、あまりにも小さいミニ缶と言わざるを得ない。ご飯と一緒に食べるというよりも、海苔の佃煮(例:ごはんですよ)等と同じく、ごはんの「あて」としてちょいちょいご飯に乗せて食べるというやり方しかできないのではないか。
買う時には気が付かずに、安売りしていると喜んで飛びついてしまった自分が恥ずかしい。ステルスに見事にやられてしまった。
夕飯時に、3つとも開いて、ご飯には乗せずにスプーンでぺろぺろといただいた。賞味期限もかなり先で、保存もきくが、災害時にこんな分量のカレー缶をひとつ開けたところで、他の食べ物も必要になってくるだろうから、非常食には向かない。
結局夕飯として3つを食べて、99円×3だから、コスト高であり節約にはなっていない。そもそも、最近は夕飯で米を食べることは滅多にないので、おかず代わりである。ただし、ステルス製品ではあったが、味は整っていたので、少しほっとした。これで味まで退化していたら、ますます惨めな気持ちになっただろう。このメーカーのカレー缶は大好きだったが、今後も応援して買い続けるかは検討中だ。
またもやどうでもいいことだが、今回のレジ店員(あまり見ない若い男性だった)のカゴへの品物の入れ方があまりにも見事だったので、袋に入れる前に撮影してみた。あまりにもひどすぎた私のカゴの写真も、比較用に撮影しておけばよかった。選手権、今回も完敗である。

































