・・・「建具」「表装」「日本文化」をイメージするにあたって、ヒントになったことなど。
《参考》「バウハウス」Bauhaus(独)
1919年、ドイツのヴァイマールに設立された、総合的造形教育機関。建築家ヴァルター・グロピウスが初代学長を務めた。グロピウスは、14年の終わり頃から、彼自身が学長に推薦されていた、ヴァイマール美術学校の改組案を練り始め、美術学校と隣の工芸学校を統合し、建築部分を新しく加えるかたちでバウハウスを開校させた。ここでいう「総合」あるいは「総合的造形教育」とは、絵画、彫刻、諸工芸、建築(後に写真も加わる)に関するさまざまな訓練を、一連の過程と見なし、行なうことを意味する。開校にあたって公表された「バウハウス要項」のなかで、グロピウスが記した有名な文句、「すべての造形芸術が最終的にめざすところは完成した★建築にある!」はしばしば引用され、バウハウスの教育目標が建築にあったかのように解釈されることがある。しかし、造形の集大成である建築をもとに調和のとれた造形と、芸術と工芸への見直しを促していたと考えるのが正しい。その教科課程はヨハネス・イッテンによる「予備課程」を経て、金属、陶器、家具、織物などの七つの工房で「専門教育」を受けた後、最終段階である「建築教育」へ進むことになっていた。26年にデッサウ校舎に移転。33年にはナチス政権の圧力で閉校を余儀なくされる。閉校までの活動はデザインや建築の分野だけでなく、20世紀芸術と造形教育に大きな影響を与えた。
★「バウハウス100年映画祭」/2019年11月23日~12月12日
https://trenova.jp/bauhaus/index.php
バウハウス100年を祝う映画祭が、11月23日から東京・渋谷ユーロスペースで開催され、その後、全国各地を巡回中です。バウハウスに関連したドキュメンタリー作品6本が上映されます。
★「開校100年 きたれ、バウハウス―造形教育の基礎―」
2020年4月11日(土)~5月31日(日)/静岡県立美術館
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/exhibition/detail/74#exhi_event
《参考》「バウハウスと茶の湯」/著★山脇道子/新潮社1995
茶の湯の世界に生まれた二十歳の日本人女性が太平洋と大西洋を渡航してモダンデザインの源流をなす造形大学バウハウスに入学。カンディンスキーやアルバースから親身な指導を受け、クレーの前で日舞を踊り、ミース・ファン・デル・ローエとすき焼きパーティー…。黄金のモダニズム期を痛快に生きた「おしゃまな」モダンガールの回顧録。
・・・大学時代「デザイン史」講義で学んだバウハウス、「すべての造形芸術が最終的にめざすところは完成した建築にある」という言葉が常に頭の中にありました。まさか自分が建築できるなんて思いもしない、せめて建築へとつながる作品を制作したいと思い続け、少しは近づけるのではと思えるヒントを与えてくれたのが、重森三玲さんの庭園そして茶室でした。
https://ameblo.jp/manabunc/entry-12044276979.html
https://ameblo.jp/manabunc/entry-11995337451.html
★「重森三玲庭園美術館」
http://www.est.hi-ho.ne.jp/shigemori/index.html
【重森三玲】(1896年~1975)
https://www.okayama-kanko.jp/okatabi/60/page
東京美術学校で日本画を学び、その後、造園・庭園学を独学で学び、氏独特のモダンを取り入れた枯山水庭園を各地に残す一方で、日本の伝統美である茶道、華道の奥義を極め、全国各地の古庭園の鑑別保存調査事業も行うなど、日本庭園界に多大なる功績を与えました。茶道・華道などの多ジャンルにおいて、理論・実践の両面を通じて活動しました。華道の世界では、戦前から勅使河原蒼風などの前衛的活花作家と交流を持ち、1950年代には、前衛活花作家・岡本太郎★イサムノグチなどの美術家達との交流を持ちました。また、作庭においては、全国の古庭園の実測調査・その成果をふまえた著述活動を積極的に行い、自身も作庭家として200にも迫る庭園を手がけました。
※「永遠のモダンを庭園に~闇夜につぶてを投げる人・重森三玲」監督・脚本:重森貝崙
企画:中日文化研究所2020/制作協力:岩波映像株式会社、アートギャラリー884
http://www.iw-eizo.co.jp/sell/society/06/so_06_eiennomodanwoteienni.html
・・・「永遠のモダンを庭園に」注文しました。「バウハウス」映画や展覧会、大阪には来ないのかなあ。
・・・お待たせしました、まず現在の制作にあたって最初に作ったモデルを紹介します。「氣になる玉手箱展」で作成したパウチ・チラシの廃材を利用しています。