曼珠沙華の季節
早朝の羽田空港に到着した、VP-BAPの往年の名機B727-21。
直前までランウェイがわからず、結局転がりを狙いましたが太陽光がログアウトしてしまいました。
それでも久しぶりにB727が撮れたので、早起きの成果はありましたね。
ちょっと高速道路のSAで仮眠してから房総半島へ転戦しました。
曼珠沙華の季節も終わりそうだったので、その姿で撮ろうと小湊鉄道沿線へと展開しました。
既に終了している場所もありましたが、何とか季節感ある彼岸花で撮る事が出来ました。
その後、上総中野行き列車を撮ろうと待っていたら、現れたのはキハ40の東北色2号機でした。
しかもまた単車だったので、そのまま追いかけて色んな場所で色んな表情を撮りました。
一番撮りたい形態で来た列車だったので、山区間で撮れたのは成果でした。
その後も暗くなるまで、キハ40の首都圏色の3号機と5号機の組み合わせが来たり。
3両編成のキハ200があったりで、何もない平日は充実していました。
何とか曼珠沙華の季節で撮れたのは、本当に充実した1日を過ごせました。
それから3日後、羽田空港に着陸するHi Fly MaltaのA340-312を撮りました。
雲ってしまうなら1タミで流したかったA340でした。
A340も往年の名機となってしまうのは、時代の流れを感じずには居られませんでした。
2024.10. 7 : 羽田空港・小湊鉄道沿線
2024.10.10 : 羽田空港
FIGHT'S ON
翌日最終日は岩国基地に張り付き、戦闘機を狙ったものの午後まで鳴かず飛ばずと言うオチに…。
半ば諦めかけた15時過ぎ、やっとホーネットのエンジンが点火し1機が転がったのですが。
唯一飛んだその1機が、VMFA-312"Checkerboards"のF/A-18Dホーネットの色付きDR312でした。
フライトラインから出て来た時はロービジに見えたのですが、まさかの色付きにテンションMAXでしたね。
しかもその離陸はリクエストR/W02から低い上がりで、まさかの逆捻りをかました後に海側へと捻りました。
この瞬間、全てが吹き飛び、たった1機でも10機以上の価値があった事は言うまでもありません。
DR312の離陸後はR/W20にランチェンしたので、海上自衛隊機を綺麗に撮る事が出来ました。
US-2やOP-3Cなど、この時間になってバリエーション溢れる機体が飛び晴天の空に映えました。
まあ、DR312の素晴らしい離陸が撮れたからこそ余裕が出来て、色々と撮ったのが事実ですが。
離陸から1時間ちょっと、F/A-18DホーネットのDR312が訓練を終え帰って来ました。
低めのオーバーヘッドで進入し、夏らしい入道雲をバックにR/W20で着陸しました。
その着陸だけでも最高の表情を沢山撮れた事で、今回の遠征を最高の結果で締めくくる事が出来ました。
さらに着陸後ホットピットに入り給油したかと思うと、再びクリアランスを取り2回目のフライトへ。
今度は夕方の光でR/W20へ転がる姿を、メラメラ無しのクリアで撮る事が出来ました。
もう言う事は何も無しの最高の結果でコンプリートしました。
あとから聞いた話ですが、月曜日は米海兵隊のフライトはほぼ無いようです。
そんな中で、まさかの色付きレガシーホーネットが飛ぶとは、本当に感謝でしかありません。
この前日厚木基地で激捻りした事が悔しかったですが、それは完全に吹き飛び完全燃焼出来ました。
2024.9.30 : MCAS IWAKUNI
BLOOD ~38年振りに訪れた街~
広島サンプラザホールで行われた、長渕剛さんのLIVEに参戦し久しぶりの遠征をしました。
テイラースウィフトの来日公演以来となった今年のLIVE参戦でしたが、不覚にも西新宿で泣きました。
そんな剛さんでしたが、ツアートラック撮影は思うように行かず、積込後のスタティックのみ撮れました。
翌日は広島遠征を決めた時から、行こうと決めていた山口線のSLへと展開しました。
D51200が牽引するSL"やまぐち"号ですが、38年前に家族旅行の時に乗り自身初となるSL体験でした。
そんな思い出の地へと繰り出し、アシストして貰いながら沿線で撮りました。
往路撮影3箇所目ではトワイライトエクスプレス"瑞風"の通過もあり、初めて撮る事が出来ました。
クソ雲にやられながらも、3箇所目では撮りたかった爆煙のD51が撮れました。
38年前はC57 1が12系を牽引していましたが、今はD51200が35系新型客車を牽引しています。
列車は終着の津和野駅に到着、この津和野こそ今回一番来たかった38年振りの街でした。
当時小学校4年生だった自分を思い出しながら、がらりと姿を変えた特急"おき"を撮ったりしました。
当時訪れなかった転車台で小休止を撮り、行きたかった街の中を散策出来たのは今回の成果でした。
そんな津和野の街を懐かしく思いながら、復路は2箇所で撮影しました。
山影で太陽はログアウトしてしまいましたが、斬新な新型客車を牽引し煙を上げる姿が撮れました。
沿線に繰り出すのは初めてだった山口線でしたが、良いモノが沢山撮れた1日でした。
2024.9.28 : 広島サンプラザホール
2024.9.29 : 山口線沿線
シュナーベルトレーラーが住宅街を走った夜
市原の富士電機から鉄道輸送で搬出された変圧器は、終着の高麗川駅で二週間以上停泊しました。
理由は色々とあったようですが、当初の予定より遥かに遅れ三連休明けにやっと運ばれました。
陸路は久しぶりに撮るシュナーベルトレーラーの登場で、前後でトラクタが牽引するタイプです。
高麗川駅の狭い工事用ゲートから出し、スイッチバック形式で駅前の道路に姿を現しました。
沢山のギャラリーに見守られながら、ゆっくりと慎重に住宅街でその輸送劇が始まりました。
深夜の住宅街に現れた、ゆっくり動く工事現場でした。
こうしてシュナーベルトレーラーは交差点でスイッチバックを繰り返しながら、
ゆっくりと目的地である郊外の変電所に向け、深夜の住宅街を走り抜けて行きました。
途中までですが、そんな姿を撮って今回の変圧器輸送は終演となりました。
2024.9.24 : 埼玉県日高市郊外
線路端と道路端
いよいよ終焉に向けカウントダウンが始まった、高崎のELとDLですが。
この日は両毛線を走っていたので、DD51をしっかり撮りたくて午後だけ展開しました。
この日御召機DD51 842が牽引する12系客車は、主演を演じ尊い存在となっていました。
週中には郡山から修理のため工場へ運ばれる、E657系の陸送を撮りました。
ここ最近遠のいているこの被写体ですが、折角教えて頂いたので2日目の行程を追いました。
久々過ぎて思うようには撮れず、結局翌日の仕事が辛かっただけでした。
そして9月後半の三連休は、夕方からちょっと曼珠沙華の様子を見に小湊鉄道へ。
今年は開花が遅れていたようで、この日は満開までまだまだのようでした。
それでもキハ40の2号機が単車で来たりと、短時間ながら充実した小湊鉄道沿線でした。
2024.9.16 : 両毛線沿線
2024.9.19 : 埼玉県さいたま市
2024.9.23 : 小湊鉄道沿線
"みちのく"へ
関東を飛び出し、みちのくを走るSLを脇役にシャッターを押した9月でした。
まだまだ残暑が残り暑かった頃の話ですが、何とか5箇所で撮る事が出来ました。
しかし、この日は距離感を誤る事が多く、なかなか思うように事は運びませんでした。
今年も各所で脇役を入れて撮ってきましたが、とうとう『ばんえつ物語』で撮る事が出来ました。
6月の終わりに単独で撮りに展開しましたが、この日は意外とギャラリーが多かったですね。
やはりガチでやるなら、新潟から追ってやりたいものです。
復路は1箇所で済ませ、白虎隊で有名なお城の夕方で撮影しました。
まさかの雨降りとなりましたが、この場所に来るのは高校の時の遠足以来でした。
そんな9月のルーティンは関東から飛び出してみちのくでシャッターを押しました。
Model : Hakobe Chikuma
(当画像の肖像権はモデルご本人、著作権は撮影者に帰属します。画像の無断転載、二次利用、画像への直接リンク等は堅くお断りします。)
特大貨物列車、変圧器輸送劇
今年の始まり1月以来となる、特大貨物列車シキによる変圧器輸送が京葉臨海鉄道で行われました。
今回はシキ611B1で200tの化け物のような変圧器が、富士電機のある市原から運ばれました、
充当された機関車は自身は初めましての、DD200-801でコキ2両を介添えしての出発でした。
最新鋭機として導入されたDD200-801ですが、まさかシキでお初になるとは思いもしませんでした。
ただコキの介添えがちょっと不完全燃焼で、やはりシキ単独で撮りたいところですね。
まあ今回は重量の関係での介添えだけに、変圧器の馬鹿デカさが伝わってきました。
平日休みだったので、その後は久しぶりに北袖で貨物列車を撮ろうと転戦したのですが。
まさかのここでもシキを牽引し終えたDD200-801が登場し、久しぶりの画を撮る事が出来ました。
その後は小湊鉄道へ転戦し、キハ40をサクっと撮って一度コンプリートしました。
そして夜に再度出撃し、いよいよ本線へと運ばれるシキ611B1を撮りました。
京葉臨海鉄道から夜はKD603+KD604の重連が登場となり、この時点でかなりお腹一杯になれました。
KDからEF210-113がバトンタッチして、この夜は新座まで運ばれて行きました。
その週末、鉄道輸送区間では最終章の行程である青梅線や八高線でその姿を撮りました。
とにかくゆっくりと運ばれて行く特大貨物でしたが、それだけ大物を運んでいた事がわかりました。
そしてまさかこの後、色々と事件が多発するとは思いもしませんでした。
2024.9.4 : 京葉臨海鉄道・小湊鉄道沿線
2024.9.7 : 八高線・青梅線沿線
原点回帰、国境の街の夏
世間が米不足と騒いだ夏、稲穂の絨毯で蒸気機関車を脇役に撮らせて頂きました。
私にとっては、このSLが走る北関東の線区は原点にしている場所です。
そんな原点回帰で撮るのも最終章でしょうか。
バリバリの撮り鉄だった頃、カメラにポジフィルム入れて頑張っていた頃。
よく撮りに来た場所であり、よく利用した駅でポートレートを撮る。
何度も書く事かも知れませんが、当時は想像にもしていませんでしたね。
ドン曇りで今にも雨が降り出しそうだったこの日、SLは爆煙を上げ山を登って行きました。
その昔から主役として何度も撮った奥利根のSLに、脇役を演じて貰うのはとても贅沢な事です。
コロナ全盛期の無限列車から始まり、脇役で撮らせて頂くのももう4年になりました。
その機関区があった今の転車台広場では、雨も本降りとなってしまいました。
雨粒が写り込む中で、復路上り列車も思い入れのある駅で撮らせて頂きました。
原点回帰でありながら、ここでも沢山のシーンを撮って来ました。
そして湿気が漂る国境の横坑へと転戦、この日は雨降りだけに良い感じで舞い上がりました。
雨降りだけに湿気も多く何より暑かったですが、地底は天然の冷房なのは相変わらずの事でしたね。
すっかり定番ですが、この現象で撮れるのは2071列車の通過を知得しているからこそです。
そしてこの日も、相変わらず運を持っているようで上下線ともに配給列車がありました。
ブルサンとDDの重連が国境を走り抜けて行きました。
こうして今年の、夏の国境での撮影はコンプリートしました。
Model : Hakobe Chikuma
(当画像の肖像権はモデルご本人、著作権は撮影者に帰属します。画像の無断転載、二次利用、画像への直接リンク等は堅くお断りします。)
"Cavour"が入港した横須賀の夏③
6日間にわたり横須賀港を熱くさせてくれた、イタリア海軍航空母艦"Cavour"が出港の時をむかえました。
台風接近が騒がれる中で、その調整から午後休が取れたので職場から横須賀へと向かいました。
そして出港は軍港めぐりのクルーズ船からやろうと思いましたが、流石に14時便には間に合わないと諦めました。
しかし、この日はフランス海軍フリゲート艦の出港もあり、軍港めぐりは大幅な遅れで乗る事が出来ました。
既に空母にはタグボートが繋がり、甲板には船員さんが登舷礼のため整列を始めてました。
そんな中で、空母の姿と艦載機を最後にと撮りまくってました。
出港ムードが高まった横須賀港でしたが、イタリア海軍の空母以外にも出港する艦船がありました。
2日前に東京から戻って来た、ドイツ海軍フリゲート艦"FGS Baden Wurttemberg F222"の出港にまずは遭遇。
長浦の岸壁では、出港間際の補給艦"FGS Frankfurt am Main A1412"の姿を撮る事が出来ました。
横須賀港各所で、お見送りムードになっていました。
先に出港したフランス海軍フリゲート艦に、海上自衛隊護衛艦いずも、ドイツ海軍フリゲート艦が続いていました。
まるで国際観艦式のような1シーンを浦賀水道航路で見る事が出来ました。
軍港めぐり14時便接岸と同時に、イタリア海軍空母は岸壁を離れました。
右舷側には登舷礼で船員さんが並び、回頭しながら出港して行きました。
そんなシーンを追うように15時便に乗船し、横須賀港を離れて行く姿をひたすら撮りました。
残念ながら太陽光がログアウトしてしまいましたが、艦載機を満載したヨーロッパの空母は圧巻でした。
今回は入港から夜撮、出港まで一部始終を撮る事が出来ました。
それだけに、出港の後姿は寂しさを感じましたね。
同日夜、場所を東京国際クルーズターミナルに移しイタリア艦船の続きを撮りました。
イタリア海軍の練習帆船"Amerigo Vespucci"が世界一周イベントで寄港していました。
ミッションでは無くイベントでの来日だったので、クルーズターミナルはお祭りムードでした。
電灯艦飾は無く、イタリア色にライトアップされていました。
終演間際だったので、その後は台風接近で流れる雲とともに東京港を撮りました。
こうしてイタリア海軍の熱き一週間が終演しました。
2024.8.27 : 横須賀港・東京国際クルーズターミナル