杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -15ページ目

北海道の千歳市での「こころの健康づくり講演会」、

「自殺予防における人のつながりの再構築~時間論の視点から~」

無事に終わりました!

 

千歳市での自殺予防をテーマにした講演会では、
これまで医療系の先生方を呼んでいたそうなのですが、
今回はかなり方向転換のチャレンジだったそうです。

でも、こういう重いテーマで
みんな笑顔で帰っていってくれたのは初めてだそうで、
主催者の方々も大変喜んでくれました。

 

千歳市のみなさんのように

自殺予防に真摯に取り組まれている方々にお会いすると、
なんだか明るい気持ちになります。

今回お声がけいただいたのは、
千歳市の自殺対策を策定する際に、
僕の論文を発見していただいたことが

きっかけだったそう。

 

いくつか読んでいただいたそうなのですが、

今回の講演のベースとなった論文は

下記からダウンロードできます。

 

「自殺予防における「地域の"つながり"の再構築」が果たす役割」

 

しかも論文だけではなく、『考えない論』や、

下ネタ込みの『文筆家の分泌物』まで読んでいただいたらしく、

ただただ赤面するほかありませんでした(笑)。

 

それはさておき、

手話通訳、要約筆記の方々は、僕の拙いしゃべりに加え、
聞き慣れない言葉もあり大変だったと思います。

 

きちんとお礼をお伝えできなかったのですが、
この場を借りて御礼申し上げます。

 

当日は身に余る歓迎をしていただき、

胸がいっぱいになりました。

 

会場に来てくださったみなさま、

そして僕を呼んでくださった

千歳市保健福祉部のみなさま、

本当にありがとうございました。


打ち上げでは千歳市のさまざまなローカルネタを

聞くことができたのも大収穫でした(笑)。

 

微力ではございますが、
少しでも千歳市の自殺予防に役立てれば
これほどうれしいことはありません。

北海道の千歳市で、自殺予防と人のつながりについての話を、

時間論の視点からさせていただくことになりました。

 

■令和元年度 こころの健康づくり講演会のご案内
日時:10月24日(木)18:30~
会場:千歳市総合福祉センター4F
「自殺予防における人のつながりの再構築~時間論の視点から~」

 

北海道を訪れるのは、実は今回が初めて。

 

昔からいろんな人に、

「北海道に行くと人生観が変わるよ!」

と言われ続け、ずっと憧れていたのですが、

なぜか間違えてインドに行ってしまったのでした(笑)。

今回呼んでいただけて本当にうれしいです。

 

重いテーマではありますが、

にもかかわらず「面白かったー!」と言って

帰ってもらえたらいいなと思っています。

 

申し込み期限は10月23日(水曜日)17:00までだそうですので、

お近くの方がおられましたら、ぜひご参加くださいませ。

 

参加費無料で、手話通訳、要約筆記もあるそうです。

申し込み方法など詳細は下記サイトよりご確認ください。

https://www.city.chitose.lg.jp/docs/8477.html

 

僕が所属している日本時間学会のホームページでも

講演会のお知らせをしていただきました。

ありがとうございます!

 

それでは、会場でお会いしましょう!

英語学習で苦労している人は多いだろう。 

 

個人的には、文法の基礎から学ぶよりも、いきなりフレーズから覚えていった方がやりやすい気がする。子どもが言葉を覚えていくのと同じように。

 

……って英語を話せない僕が言っても、説得力ゼロなのだが(笑)。

 

しかしそんな僕でも、完璧に訳せる英文がある。しかもかなりイカした感じで。

 

いや、僕だけではない。

 

僕と同じ世代の友人らは、この英文を「一語一句違わず」、全員が全く同じように訳すことができる。

 

その英文と日本語訳が、コレである。

 

 

“Welcome to this crazy time” 

       ↓

「このふざけた時代へようこそ」

 

 

なぜこんなイカした日本語訳を全員ができるのか?

 

その答えがコレである。

 

 

 

 

 

そう、「北斗の拳2」のオープニング曲だ。

 

これの冒頭に、

 

「Welcome to this crazy time このふざけた時代へようこそ」

 

という、英語→日本語訳の歌詞がある。

 

僕らはこれによって、英語の英才教育を施されてきたのだ。

 

だから僕らの世代の人間にいきなり「Welcome to this crazy time!」と話しかけたら、間髪入れず「このふざけた時代へようこそ!」と返ってくる。必ず、だ。

 

だからこれからは全てのアニソンの歌詞を、この「英語→日本語訳」のパターンにすればよいと思う。そうすればもはや「英語学習」という概念自体が不要になるだろう。文部科学省にはぜひ真剣に検討していただきたい。

 

ちなみにどうでもいい話だが(というかこの話題自体どうでもいいのだが)、この歌の後半に、次のような歌詞がある。

 

「進まなきゃ 勢いをました向い風の中を」

 

そしてその当時、同じクラスに「中尾くん」という、体が大きくて気の優しい友達がいた。

 

そのおかげで、僕はこの歌詞を聞くたびに、

 

「勢いをました向い風の中尾」

 

を想像させられるハメになった。

 

いまはどうしてるか知らないけれど、順風満帆の人生を歩んでいることを願っている。

「ちょこやまくん」の著者であり、僕のコピーライター時代の師匠でもある横山慶太さんが出版した本。

 

 

タイトルは、『日本一、大まかな娘。アイラブ おおま かなこさん』。

 

何をするにもおおまかな「おおま かなこさん」の日常を描いた、いい意味で「どうでもいい」行動録である(笑)。

 

たとえば、こんな感じ。

 

 

「はははは!……って、俺もそうかも?」

 

と、思いがけず我が身を省みることに(笑)。

 

Amazonのレビューにも書いたけれど、「おおまか」とは、実は「寛容」のことなのかもしれない。

 

価値観は人や国によってそれぞれ違う。それをいちいち指摘し合うより、「へー、おもろいやん!」と面白がったり、そもそもその違いに気づかないほどの「おおまかさ」を身につける方が、はるかに平和で愉快である。

 

まずはこの「おおま かなこさん」を読んで、自らの寛容度をアップさせるのが肝要であろう。……寛容だけに。

 

ちなみに著者の横山慶太さん、イラストを担当している横貫達巳さんは、あの名作『ちょこやまくん』のコンビでもある。

 

 

 

 

『ちょこやまくん』は、NHKでドラマ化されたほどの、人気爆笑コミックエッセイ。

 

そのコンビが放つ「おおま かなこさん」も、盤石の面白さ。

 

「おおま かなこさん」は、寛容性を失いつつある日本を救う「とってもおおまかな」処方箋である、かもしれない(笑)。

 

 『日本一、大まかな娘。アイラブ おおま かなこさん』(横山慶太著、講談社)

「〝本当の自由〟を得るためにはどうすればよいのか?」

 

それが本書のテーマである。

 

市場経済によって覆い尽くされた現代社会においては、「人は恐怖と競争の中で苦しみ、貨幣経済に支配され、そのメカニズムに巻き込まれ、生の隅々までが単一システムによって覆い尽くされてしまいかねない。その結果、自らの生存のためには、否が応でも、自らの意志に関係なく、他者に対して非倫理的にふるまわざるを得なくなるように追い込まれていく」(200頁)。

 

著者は本書の中で、「人間的な解放」への道筋を、「もろともの関係性」という概念とともに明らかにしようと試みている。

 

その事例として取り上げられるのが、埼玉県小川町で有機農業を営む、金子美登さんの「お礼制」である。

 

「お礼制」では、農産物を「売買」しない。

 

まず生産者が、農産物を消費者に贈与する。そして贈与された消費者は、その「お礼」としての金額(あるいは物など)を自分で決め、生産者に渡すという仕組みである。

 

「金額を消費者が決められるのなら、毎回ものすごく安い金額しか支払われなかったり、極端に言えば全く支払われない、ということが起こるのではないか」と誰もが思うだろう。

 

ところが、金子さんの「お礼制」では、そういうことが「起こらない」。もしまれにそういうことがあったとしても、やがて消費者は帳尻を合わせにいく。その背景にあるのが「もろともの関係性」である。

 

この「お礼制」について、あるサロンで金子さんから直接聞いた話が面白かった。

 

「お礼制」を始めてみて、まず最初にギョッとするのは「支払う方」であるという。というのも、八百屋やスーパーのように値段が決まっているわけではない。いくら支払うのかを、消費者が自分で決めなければならないのである。

 

僕たちは普段そんなことをしたことがない。値札に示された金額を支払うだけである。だが、もしその農作物を自分がとても気に入っていて、ずっと食べ続けたいと思ったならば、必然的に「農家がまた来年も頑張ろうという気持ちになる再生産可能な価格」(146頁)を考えることになるだろう。

 

もちろん、一人の消費者が、一人の生産者の生活を支えるわけではない。金子さん曰く、「だいたい30軒からお礼をもらえば食っていける」ようになるそうである。

 

だがそれは、単に「30軒の顧客を獲得すること」ではない。共に生きる仲間として「もろともの関係性」を築くことであり、助け合いの共同体を築くことでもある。

 

それを著者は、「互いに責任を担うことによる自由の獲得」「人間の尊厳を取り戻す関係性」(336頁)と表現している。そこではもはや、私たちを縛る「貨幣の権力性」は失われている。

 

このことを簡潔な言葉で言い表したのが、哲学者の内山節氏による、本書の帯の言葉だろう。

 

「有機農業によって自然と和解し、価格をつけない流通を成立させることによって貨幣の呪縛から自由になる。それを実現させた一人の農民の営みを見ながら、本書は人間が自由に生きるための根源的な課題を提示している」

 

タイトルにある「経済倫理学」という言葉を見ると、なんだか難しい内容に思われるかもしれない。

 

しかし本書に書かれているのは、「よき生」を魂の次元で希求する人間が辿り着いた、ひとつの素朴な答えなのだと思う。そしてそれは、自らの生き方を模索している、全ての人が共有する課題でもある。

 

そのせいもあるのだろう、この本は生き方に関する名言の宝庫でもある。少しだけ引用してみよう。

 

「日本にはAかBかしかないのです。人生にはAでもBでも、Cでも、Eでも、Fでも、Zでもないことがいっぱいあるのです。右か左かという狭い選択こそ、われわれの明るい未来をさまたげているのではないでしょうか。あなたたちも大きくなるまでに、きっとおなじような体験をするかもしれません。その時は、人生の選択の幅はいっぱいあるということを思い出してください」(81頁。金子美登『未来をみつめる農業』より引用)

 

「農のもつ「面白さ」については上野村と東京を二重生活する哲学者の内山節は次のような話を紹介している。上野村の古老に「なぜ農業が続いてきたかわかるか」と問われて答えあぐねていると、「おまえ馬鹿だなあ。農業ってのは、面白いから続いてきたんだ」と言われたという」(207頁)

 

また本書は、私の専門である時間論の観点においても、極めて示唆に富む内容が含まれている。いや、むしろそこにこそ、著者の本領が現れているとも言えるのだが、それについて書き始めるともうきりがないので、また別の機会に譲ることにしたい。

 

ちなみに、著者の名前である「えとな」は、「永遠」を意味する「エターナル」から付けられたとご本人から聞いたことがある。その名の通り、本書は不朽の名作として永遠に読み継がれるに違いない。

 

 

 

折戸えとな著『贈与と共生の経済倫理学――ポランニーで読み解く金子美登の実践と「お礼制」』ヘウレーカ、2019年

地域づくり情報誌『かがり火』187号の連載「そんな生き方あったんや!」に登場してくれた山本菜々子さんが、本日8月31日放送のEテレ「ウワサの保護者会」(21:30〜)に出演されるそうです!

 

以下、山本さんのFacebookより。

 

「収録に参加させてもらって、自分は不登校の経験をどう整理してきて、まだ未整理なのか、考える機会になりました。不登校は学齢期を過ぎたら終わると思っていた時期もあったのだけど、少なくとも今の私は、そういう捉え方では合わないなと思っています。不登校をすることは辛くもあるけど、自分って何者なんだという、かなり普遍的な問いの始まりでもあったと思います。それは今表現をし続けることにとても結びついていて、今の仕事にも繋がっていることです。どんな番組になっているのか、もしよければ一緒に見届けてくれたら幸いでございます」

 

まさに「そんな生き方あったんや!」な、彼女の魅力的な生き方・働き方。多くの人に知ってもらえるといいなーと勝手に思っています。

 

■ウワサの保護者会「学校に行かない!~子どもたちの思い~」(Eテレ 午後9時30分~午後9時55分)
https://www4.nhk.or.jp/hogosya/x/2019-08-31/…/14708/1729613/

池袋駅のホームで、埼京線の電車を待っていた時のこと。

 

その日は朝から列車の事故があって、ダイヤがかなり乱れていた。

 

列の最後尾に並んでいると、構内放送が流れた。「埼京線が遅れていて、ホーム反対側の湘南新宿ラインの方が先に来るから、そちらに乗ってください」とのこと。

 

電車を待っていた人の列は、そのままの形で、ホームの反対側に移動することになった。

 

必然的に、最後尾に並んでいた僕が先頭になり、最前列に並んでいた人が最後尾になるという、実に理不尽な事態が発生した。

 

僕は別に最後尾のままで構わなかったけれど、流れ上、致し方ない。

 

その時にふと頭に浮かんだのが、島根県奥出雲町のことである。

 

島根は、戦後の高度成長から取り残されて、その意味で「最後尾に位置する県」というような見方をされてきた。

 

その島根の中でも、山間部に位置する奥出雲町については「言わずもがな」である。

 

ところが近年、その奥出雲町が「最先端」として評価されることが増えてきた。

 

「奥出雲町が急に経済発展し始めた」ということではない。要するに「評価の基準が変わった」のだろう。「経済がいくら発展しても、それだけで人間が幸せになるわけではない」「本当の豊かさはそこにはない」ということに、人々は気づいているわけある。

 

僕はひょんなことから奥出雲町とご縁ができて、一時期は真剣に移住を考えたほどである。

 

奥出雲町はとにかく米が美味い。奥出雲町のブランド米である「仁多米」を初めて食べた時の衝撃は、今でも忘れない。

 

そして米が美味いということは、当然水がいい。いい水は美味しい作物を育ててくれる。だから結局「何でも美味い」。

 

さらに山間部ならではの寒暖差が、作物の美味しさをさらに引き出す。

 

それだけではない。奥出雲町は経済発展という意味では取り残されてきたかもしれないが、そのぶん、人と人とが助け合うコミュニティがいまだに強く残っている。

 

そしてそういう魅力に惹かれて、エッジの利いた面白い人たちがたくさん集まっている。そこで行われている地域づくりの実践も、かなり先進的なものが多い。

 

今後の日本の方向性や、本当の意味での豊かさを考えた時、まさに「最先端」に位置する地域なのだ。

 

それはある意味で、今まで「最後尾」にいたからこその大転換でもある。

 

だがそもそも「最後尾」というのは、進むべき方向次第で変わってしまう。それは「先頭」も同じである。

 

とすると、社会における「幸福観」のようなものが大きく変化している今、こうした「先頭」と「最後尾」の逆転は、いたるところで起こりえるのではないだろうか。

 

最初の電車の話で言えば、最初に乗るはずだった埼京線が「経済成長=幸福」という価値観の電車だったとして、それが「もう乗れない」ということになる。そこで反対側の「新しい価値観」を象徴する電車に乗ることになるのだが、その時に、先頭と最後尾の逆転現象が起こるわけである。

 

もちろん現実はそんな単純じゃないけれども、それでもそういうことは「起こり得る」。しかも、僕の個人的な想像では、けっこう頻繁に起こる。それは、社会というマクロなレベルでもそうだし、個人というミクロなレベルでもそうである。

 

ただ、「先頭」とか「最後尾」というのは、同じ方向を目指すから発生するのであって、最終的には、先頭も最後尾もない世界が展開していくことになるのだと思う。そもそも人も地域もそれぞれなのだから、それぞれの健やかなあり方を目指せばよいのである。

 

その中で、「やっぱりこれぐらいの経済力はあった方がいいね」とか、「でもこのお店はみんなで守ろう」とか、「この伝統は無くしちゃいけない」とかを、地域の人達で決めていければいいのだろう。そしていま「最先端」と呼ばれている地域は、それができている地域なのだと思う。

 

ただ単に「国家」の方向性に従い、経済最優先でいこうとする地域は、これからどんどん苦しくなっていくだろう。最近のトピックで言えば、横浜の「カジノ招致問題」などは象徴的である。地域住民のほとんどが反対しているカジノ招致。きっと多くの人はこのニュースを聞いて、「横浜かわいそうに……」と思ったのではないだろうか。なぜならこのニュースは、地域の主権を、首長が自ら放棄したことを意味しているからである。

 

「そっちの電車に乗ってもいい場所には辿り着けない」ということを、僕たちはじゅうぶん学んできたはずである。

最近、「電子レンジを使わずに冷凍ごはんを美味しく食べる方法」を模索している。

 

冷凍ごはんを温める方法として最もメジャーなのは、やはり電子レンジだろう。「レンジでチン」だけに、とにかく「楽チン」。僕もずっとこの方法を続けてきた。しかし、どうしても味が落ちる。

 

おそらく「蒸す」のが一番だと思うけれど、まずは一番簡単にできそうな湯煎(ゆせん)からやってみることにした。

 

ちなみに失敗しても美味しく食べられるように、まずはパウチのカレー(夏祭りの射的でゲットした、無印良品の「バターチキン」)をかけて食べることにした。

 

ラップに包んだ米を、さらにフリーザーパックに入れて密封し、それを鍋で沸かしたお湯の中に放り込む。

 

手持ち無沙汰な感じで、なんとなく湯煎している鍋を眺め続ける。腕組みしながら。あまり他人に見られたくない姿だ。

 

そうして沸騰する鍋を眺めているうちに、突然、全身に稲妻のような衝撃が走った。

 

「そうだ!この湯煎しているお湯の中に、カレーのパウチも入れて、一緒に温めてしまえばいいじゃないか!!!!」

 

自分の天才ぶりに半ばあきれながら、僕はカレーのパウチをお湯の中に放り込んだ。

 

「会心のアイデア」としか言いようがない。

 

 

 

……さて、結果から先にご報告すると、湯煎は失敗だった

 

料理経験が少ない僕は哀れにも、冷凍庫から出してカチカチのままのごはんを、そのまま湯煎した。するとどうしても、中の方に冷たい固まりが残ってしまう。

 

もちろん目的は「冷凍ごはんを美味しく食べる方法」だが、やっぱりその前に、冷蔵庫で解凍するぐらいはやっておいた方がよかった。

 

でもその失敗の全てを、無印の「バターチキンカレー」がカバーしてくれた。天才的な商品だと思う。

 

そしてその天才的なバターチキンカレーに匹敵するほど天才的だったのが、「湯煎しながらパウチを温める」という僕のアイデアであったことは言うまでもない。

 

実は以前、「なぜ僕のところにマッキンゼーからオファーが来ないのか毎日不思議に思っている」というブログを書いたことがある。

 

「洗濯機を回しながら別の作業をする」という極めて効率的なことを実践していたにもかかわらず、だ。

 

それはずっと謎のままだった。

 

しかし今日、その理由がようやく分かった。

 

僕はもう、「マッキンゼーを卒業していた」のだ。

 

「いや、そもそも入社してないやん!」と人は言うかもしれない。だがそんなことはどうでもいい

 

「洗濯機を回しながら作業」の時には気づかなかったが、「湯煎しながらパウチも温め」というアイデアを実践した時、自分自身が「もはやそのレベルにない」、すなわち、「とうにそのレベルを超越していた」ことに気づいたのだ。

 

コンサル業をなりわいにする気は特にないが、依頼があれば断るつもりはない。

 

才能は、自分のためにではなく、他者のために使うべきものなのだから。

金峯山寺の田中利典さん、聖護院の宮城泰年さん、哲学者の内山節さんが、修験道の本質について語る鼎談である。

 

ところで、この本を読んでいた頃、ちょうど「川崎殺傷事件」が起こった。そのため、本書で語られる内容を否応なくこの事件と結び付けて考えることとなった。

 

田中利典さんは言う。

 

戦後の日本は、帰属するもの、結ばれるものをどんどん失っていく歴史でした。〔中略〕ところが帰属するもの、結ばれたものがなくなってみると、生きる意味とか生の充実感、自分の役割などがわからなくなってきた。(96頁)

 

川崎の事件も、その背景にはこうした「つながりの喪失」、それに伴う「生きる意味や生の充実感、役割の喪失」があったと思う。そうだとすれば、彼のような事件を起こす可能性は誰にでもあるのだと思う。

 

特に東京では、「会社とのつながり」しか持たない人も少なくない。なんとなく「会社に勤めていれば自立した社会人」という雰囲気があるけれど、もしその人が結んでいるつながりが「それしかない」のだとしたら、それは自立などではなく、「会社への全面的依存」なのかもしれない。それは都市という社会そのものが、「貨幣への全面的依存」によって成立していることと結びついている。

 

企業の永続が信じられた高度成長期ならそれでもよかったのかもしれないが、もはやその基盤は崩れ去っている。つまり、現在は「まっとうに」会社勤めしている人だって、いつ自分の拠るべきつながりを失うか分からないのである。

 

問題は、その人を存在させている関係の一元化である。熊谷晋一郎氏が言うように、「自立とは依存先を増やすこと」だとすれば、それは全ての人にとっての課題のはずである。

 

あらゆる人間は文脈の中で生きている。たとえば、父と母との出会いという文脈なくして、自分の存在はあり得ない。さらにその父と母を生んだ父と母がいて、彼らの多くは、自分が生まれた土地の「風土の歴史」という文脈の中で生きた人々である。

 

戦後の高度成長は、そうした人々を労働力として都市に送り込んだ。それは「風土の歴史」という文脈から人間を切り離すことでもあった。

 

都市は、人間同士の直接的な結びつきを持たなくても、金さえあれば一応は生きていける社会である。さらに、資本主義社会において経済発展を望むならば、むしろ人間的な結びつきは極力排除し、全てのつながりに貨幣を介在させることが求められる。

 

そうしてそれぞれの個人が「自立」し、貨幣を介した経済的な豊かさを実現させることによって人々は幸せになれる、と信じられた時代があった。

 

ところが田中さんが指摘しているように、「結ばれたものがなくなってみると、生きる意味とか生の充実感、自分の役割などがわからなくなってきた」のである。

 

それはつまり、「自分がどのような文脈の中で生きているのか」が見えなくなった、ということだろう。生きる意味は個人の中ではなく、個人を存在させている文脈の中にしかない。もっと言えば、人間に「文脈なき生」はない。それは、たったひとつの単語だけがポツンと存在しても、それだけでは何の意味も為さないのと同じことである。

 

ところで数年前、文部科学省が「国立大学の文系学部の廃止・縮小」という方針を示したとして話題になったが、これもやはり「生きる文脈が見えなくなった社会」のあり方と関係しているだろう。

 

この議論は、要するに経済的な観点から「文系より理系の方が重要」という考え方をその背景にしている。しかしこのような考え方が一般化すれば、人間の生きる意味の喪失はますます深刻化するだろう。

 

文系の学問とは、「自分はどのような文脈の中で生きているのか」を捉え直すための学問なのだと僕は思う。

 

それだけではない。「他者はどのような文脈の中で生きているのか」についての想像力も養ってくれる。そのために歴史を知り、文学を読み、社会を学び、言語を理解し、哲学をする。

 

川崎殺傷事件の後、犯人に対するさまざまなバッシングが飛び交った。その犯行は当然非難されてしかるべきだが、その中にはひどく独善的で人間理解に乏しいものもあった。その時に僕の脳裏をよぎったのは、夏目漱石の名作『こころ』の中で、「先生」が「私」に言った次の言葉だった。

 

「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか」

 

念のため付け加えておくと、本来は理系にも「自分の生きる文脈」を捉える役割があったはずだし、今もあるはずだと思う。それが重視されなくなってきただけで。そもそも、理系と文系を分けること自体にも無理があるのだろう。

 

……と、話が本からずいぶん逸れてしまった(笑)。

 

本書は「通説の仏教史を疑っていこう」という姿勢に貫かれている。それは、文献のない歴史をも含み込んだ、民衆仏教史の試みでもある。そしてその中心に修験道があった。

 

ここまでの「文脈」に沿って言えば、修験道とは、「自分が生きる文脈」を知性ではなく、身体性によって捉えようとするものでもある。修験道の先達たちは、開祖とされる役行者から1000年以上に渡って続く「文脈」を感じ取る。ひたすら山を「歩く」ことによって。

 

僕たちはそのような身体性を、すっかり置き去りにして生きてきたところがある気がする。哲学者の内山節氏は言う。

 

修験道は山での修行がすべてであり、知の領域で学ぶ信仰ではない。今日的な表現をすれば、「徹底的に身体性に依拠した信仰」である。(17頁)

 

西洋近代に由来する合理主義、知性万能主義が行き詰まった現在、身体性に依拠する修験道が再び力を取り戻つつあるのは必然的な流れなのかもしれない。だからといって大上段に構えるのではなく、あくまで民衆の信仰としてあり続けるのが修験道の修験道たる所以である。宮城泰年さんの次のような言葉も、まさに民衆の身体性に響く言葉だと思う。

 

山から教わるものは言葉にすれば「やっぱり山ってええなあ」なんですが、その言葉に込められたものが、山伏の後継者をつくってきた。(163頁)

 

修行をしていると、人間が率直になっていく。(103頁)

 

僕たちの生活は本来、もっとシンプルでいいはずなのだろう。それを複雑にしていったのが知性の働きなのだとしたら、修験道はそのような知性の垢を洗い流してくれるものなのかもしれない。そしてそれは、これまでの自分の死であり、新しい自分の再生にほかならない。

 

修験は山で荒行をしますが、そこで何をめざしているのかといえば、「これまでの自分」の死です。体力の限界まで修行をして、これまでの自分を死に追い込む。そして新しい自分として再生する。(宮城泰年、101頁)

 

本書は、いまの生き方や社会に行き詰まりを感じている人にとって、これまでの発想を転換する大きなヒントを与えてくれると思う。

 

 

 

宮城泰年、田中利典、内山節『修験道という生き方』新潮選書、2019年

子どもたちが夏休みに入った頃から、過去に書いたブログ記事「溺れている人を助けに飛び込んではいけない」(2017年7月23日)へのアクセスが増えている。

 

今年も水難事故のニュースが絶えないが、もしこの記事がそうした事故の予防になったらうれしい。

 

昔から「お盆を過ぎたら海に入ってはいけない」とよく言われる。

 

いわゆる心霊現象的なことと結びつけて語られることも多いし、実際友人からそういう体験を聞いたこともある。

 

その真偽はともかく、科学的な観点からも、お盆過ぎの海は危険度が増すと言われている。例えばクラゲとの接触が増えるとか、潮の流れがそれまでと急に変わるとか。

 

僕も子どもの頃、広島の海でゴムボート遊びをしていたら、思いがけず強い流れに飲まれて、沖まで一気に流された経験がある。

 

幸い年上の従兄弟や兄弟が一緒に乗っていたので、なんとか岸まで辿り着くことができたが、もし自分一人だったら、瀬戸内海で遭難していたかもしれない。あれは本当に怖かった。

 

それ以外にも、僕は海や山で何度か死にかけた経験があるが、そんなことをここに書けるのも、たまたまその時死ななかったからである。夏は大いに楽しみたいけれど、まあせっかく生まれてきたことだし、次の季節まで生き延びたいものである。

 

でも死んだら死んだで、向こうの世界も大いに楽しいかもしれない。けれどもそれは誰にもわからないことなので、ひとまず生きている限りは、この世界をできるだけ満喫しておくのが吉であろう。